日常の裏で
ある秋の日の夕方のことである。青蘭島の都市部の路地裏の一角に、一人の、金髪で、黒いグリューネシルト統合軍の制服を着た青年が一人と、パンクファッションの格好をしたり竜の模様が入った金のスカジャンを着たりした不良風の五人の男が居た。ただし、不良風の男は四人が気絶して倒れ伏しており、残りの、タバコをくわえた一人も壁際に追い詰められている状況であった。
「あー、つまんね。揃いも揃って青蘭島のチンピラはこんなもんかよ。こんなところでチンピラやってるってことは、もともと低脳か、在学中にαドライバー能力失ったかのどっちかか。ま、どっちにしろロクデナシのドサンピンってことには変わりねえな」
金髪の男は拳を鳴らしながらそう吐き捨てるが、口元は嗜虐的な笑みを浮かべていた。不良風の男は、四人をたやすく一蹴した目の前の男に歯を鳴らしながらも、威勢良く啖呵を切る。
「ふ、ふざんけんじゃねえぞバカヤロウ! 手前なんかに馬鹿にされたままでいられるか!」
そう言って彼が取り出したのはバタフライナイフであった。蛮声を上げて金髪の青年に突進する。しかし、金髪の青年は紙一重でそれを避け、ナイフを持った腕を締め上げた。
「んな屁っ放り腰で、統合軍のスーパーエースの俺に勝てるわきゃねえだろカスが」
金髪の青年は、徐々に締め上げる力を強くしていった。やがて不良風の男は痛みに耐えかねたように絶叫し、口から紙巻きタバコを、手からナイフを落とした。金髪の青年はそのまま彼の肩を脱臼させると、彼の尻ポケットから出ていた財布を取り出して、その中身を確認した。
「ひい、ふう、みい。なんだ万札三枚しか持ってねえのかよ。しけてんなあオイ。ま、無いよりマシだな。じゃ、これ貰ってっから」
「てめえ、ふざけんな!」
不良風の男は至極真っ当な反論をするが、金髪の青年は財布を懐にしまうと、彼の正面に回ってその胸元を蹴って倒れさせ、さらにその鳩尾に踵を押し付けた。
「ああ? 因縁つけてきたのはそっちだろドサンピン。だったら慰謝料払うのも当然だろうが。あ、そうそう。口答えしたから慰謝料追加な。つっても金はもう無えだろうから、俺が楽しむことでチャラにしてやるよ」
そう言って、金髪の男は不良風の男を踏みつけたまま、辺りを見回した。すると、彼が先ほど落としたタバコが、まだ火がついているのが見えた。金髪の男は嬉々としてそれを拾うと、不良風の男の頬を手で挟んで、そのタバコの火を彼の目に近づけた。
「てめえ、未成年のくせにタバコ吸うってことは、よっぽど好きなんだろうな。だとすると、目に入れても痛くねえよなあ。ヒッヒッヒ」
不良風の男は顔を激しく振って抵抗した。何かを叫んでいるようであったが、金髪の青年に頬を挟まれているため、それは呻き声にしかならなかった。
「うるせえよ。あと動くな。手が狂っちまうだろうがよ」
金髪の男が悪戦苦闘していると、一際大きな足音と、凛とした女性の声が背後から聞こえた。
「そこまでです! 私は風紀委員のリーナ・リナーシタです! 今すぐやめなさい、カール・ヘス!」
そう言われ、金髪の青年——カール・ヘスは、舌打ちをしながら、口を尖らせて振り返った。その先には、細身の低身長で、長い青髪を伸ばした少女、リーナ・リナーシタがいた。
「さあ、早くこちらに来なさい!」
リーナは大声で催促した。カールは、それに頷きながら、再びその場に倒れている不良に向き直った。
「良かったなあ。命拾いしたぜ」
カールはそう言いつつ、彼の鳩尾に強い踵落としを入れて気絶させた。それから振り返って、カールはリーナの方に歩いて行った。
***
「さあ、これであなたが一ヶ月前に入学してから暴力沙汰は十二回目ですが、言い訳を聞きましょうか」
青蘭学園の風紀委員会教室で、リーナとカールは机を挟んで向かい合っていた。二人の他には誰もおらず、陽の光はカーテンで遮られており、光源は天井に付いている照明だけだ。
「他の風紀の連中はどうした?」
カールはリーナの質問を無視して、辺りを見回しながら尋ねた。リーナはその態度にムッとしながらも、質問された以上は答えねばと、吐き捨てるような口調で返答する。
「様々な事情で出払っていて、今は私しか手が空いてないんです。これで満足ですか」
「そうだなあ。風紀委員会に仕事やらせ過ぎなんじゃねえのか? 学園内の風紀の取り締まりだけじゃなくて、プログレスとかαドライバー絡みの犯罪の取り締まりもやってんだろ。そりゃいくら人がいても手が足りねえだろうよ」
カールはそのように言いつつ、座っている椅子を後ろにやって、頭の後ろで手を組んで、机に組んだ足を乗せた。リーナは更なる苛立ちを感じながらも、カールの言葉に返事をした。
「確かにその通りです。もっと細分化させて、専門の委員会を作るか、もしくは警察の中にプログレスの犯罪を取り締まらせる部署を作るかしなければと私も考えています。でも、今聞いてるのはそんなことじゃありません!」
リーナは机を強く叩いて音を鳴らした。しかし、カールは全くその横柄な態度を変えず、リーナの方すら見ずに返答した。
「なんか向こうが突っかかってきたので撃退しましたー。以後このようなことを他の人に起こさないように、身も心も懐事情も死なない程度に粉々に打ち砕いて再起不能にしましたー。私一個人としては、街の治安向上に繋がると思ってのことでしたー。はい、以上」
真面目さが微塵も感じられないカールの口調に、リーナはフラストレーションを爆発させて怒鳴る。
「だとしても! あなたのあれはやり過ぎです!」
「いや、だってよ。傑作なんだぜ? 俺がアイリスと街中でイチャついてる時でもよ、前にボコったやつに気さくに挨拶すると一目散に逃げ出すんだぜ。……フヒヒ、いかん、思い出すだけで笑いがこみ上げてきた。ヒッ、ヒッヒッヒ」
とうとう、彼は腹を抱えて下卑た風で笑い始めた。それでも机から足を下さないあたり、変に器用だとリーナは感心してしまった。しかし、我に返った彼女は、再びカールを叱責する。
「ともかく、規律に則れば、あなたにはよくて謹慎、悪くて退学といった重罰が課されます。あなたみたいな極悪人、本当は今ここで銃殺したいところですが」
「ああ、そのうち俺解放されるから、そんなこと言わなくても大丈夫だぜ。それに、もしも俺がお前の言うような極悪人なら、今頃お前は俺にレイプされて種付けされてる真っ最中だ」
「なっ、なんて下品なことを! ありえません!」
平然として下品な言葉を言ったカールに、リーナは顔を少し赤らめて怒鳴った。すると、カールはおもむろに机から足を下ろし、急に真面目な顔になって言葉を続けた。
「それくらいお前が上玉だってことだよ」
急に態度が改まったかと思えば、唐突に予期していなかったことを言われ、リーナは唖然としてしまった。カールはその間にリーナに近づいて、彼女の頬に触れた。
「海のように深い青のその髪と、雪のように白い肌。エメラルドグリーンの大きな瞳は、引き込まれてしまうようだ。小柄ながらも引き締まったその体も、お前の魅力を一層引き立てる。身体的な特徴だけじゃない。職務に忠実なその真面目さや、時折見せる柔らかい笑みも、全てがお前を魅力的にしている。お前は美しい。そして、その美しさに応えられるのは、この五つの世界でたった一人、俺だけだ。だから、俺の女になれ」
先ほどの発言以上に予期しえなかった事態に、リーナは完全に茫然自失としていた。しかし、ふと我に帰ると、自分が何をされたのかを理解され、ゆでダコのように顔を真っ赤にし、声を震わせてまた怒鳴りつけた。
「な、な、な、何ナチュラルに口説いてるんですかあなたは! 奥さんもいるのに、なんてはしたない!」
リーナの言う通り、カールは妻帯者である。先ほど彼の発言に出てきた、アイリスが彼の妻なのだ。彼女の存在があるのに、他の女を口説くなど、リーナの価値観からすれば言語道断の所業である。しかし、カールは調子を変えずに続けてきた。
「グリューネシルトは重婚が許されているんだ。というかそれが当たり前だ。なるべく沢山の子を作り、次代を切り開かせようということでな。だから、これはアイリスも了承済みだ。それにな」
カールはリーナの頬から手を離し、その手を腰に回すと、爽やかな微笑みを浮かべた。顔立ちだけ見ればかなり端正な彼の笑みは、人なりを知っているリーナでさえ、心を奪われるほどのものであった。
「アイリス以外に口説いたのは、緑の世界にいた時から数えてもお前一人だけだ。そのくらい、俺はお前をものにしたいってことさ」
「だ、だからといって、私は嫌です」
リーナは精一杯に抵抗したつもりだったが、弱々しい、消え入るような声になってしまった。その言葉を聞いたカールは、鼻と鼻が触れ合うか触れ合わないかの距離まで顔を近づけて、囁くような声で尋ねる。
「なら、なぜ俺の手を払わないんだ? なぜ、俺の言葉を最後まで聞いたんだ? 本当に嫌なら、あんな口説き文句、気持ち悪いと思うはずさ。意地を張ることはないんだ。素直になれよ」
意地悪で最低な言葉であったが、妙な妖艶さがあるおかげか、リーナはその言葉に反論できないでいた。それどころか、彼の言う通りかもしれないと思い始めていた。彼の言葉は、まるでリーナの心を弄ぶようで、彼女はある種の恐怖感すら覚えていた。これまでに一度もないような心境に陥り、あわや籠絡されるかというところまでになっていた彼女を救ったのは、リーナの携帯電話にから聞こえた着信音だった。どこか淫靡だった空気は無に帰り、カールもその着信音で興が冷めたのか、リーナから手を離してしまった。なんとか落ち着きを取り戻したリーナは、その電話に応える。
「はいもしもし。こちらリーナです。ええと、委員長ですか。今カールの取り調べ中ですが」
「そのカール君なんだけど、すぐ解放してあげて。上からの指令なの」
風紀委員長のその言葉にリーナは、またか、と息を漏らした。これまでに十一回も暴力沙汰を起こして退学にならない原因はこれだ。彼が暴力沙汰を起こす度、謎の圧力がかかって解放せざるを得なくなるのだ。それが統合軍の仕業だということは、リーナも勘付いている。しかし、分かったところで聞くわけにもいかず、どうしようもないのが現状である。
リーナは了承の返事をして電話を切ると、カールに向き直った。
「解放だそうです」
「知ってたぜ。こうなることはな」
カールはそう言って、無造作にドアを開けて廊下を歩き始めた。リーナもそれに続いて、彼の隣を行く。すると、彼は不思議そうな調子で尋ねた。
「あれ、なんでお前が着いてくるんだよ。結局俺に惚れたのか」
「んなわけないでしょう、この馬鹿。あなたを一人で野放しにしたら、何をしでかすか分かったものじゃありません。それに、私ももう戻る時間ですから、寮まで送ります」
リーナの返答に、カールはニヤついて相槌をうち、ポケットに手を入れて歩き続けた。リーナは彼に何も話しかけられなかった。先ほどの出来事が尾を引いて、何を話せばいいのか分からないでいるのである。カールはそのような彼女の様子を察してかどうかは不明だが、時折リーナの横顔を見て微笑むだけで、積極的に話しかけようとはしなかった。
リーナは、たまに彼と視線が合うと、その顔の端正さにいつも脱帽する。鼻が高く、シュッと引き締まった輪郭を持ち、更にその白い肌には荒れている様子は全く見当たらない。二重瞼で大きく見える青い瞳や、短めで整えられた金髪もまた、彼の顔立ちの良さを引き立てるのに一役買っている。また、服の上からでも分かるほどに筋骨隆々な肉体も、筋肉質ながらも長い脚もまた、女性としての本能を惹きつけてやまない。これで性格が品行方正で、言葉遣いも下劣なものでなかったら、どれほど好青年に映ることかと、リーナは心底思っている。しかし、現実には口を開けば汚い言葉が飛び出し、性格もお世辞にも良いとは言えないものだ。「残念系イケメン」なる言葉が俗世では存在するようだが、まさにカールにぴったりだとリーナは思った。
そのようなことを考えているうちに、二人は寮のカールの部屋の前に着いた。その直後、まるでリーナとカールが帰ってくるのを知っていたかのようなタイミングでドアが開かれ、リーナとほぼ同じ身長で、ウェーブのかかった長い銀髪と赤い瞳、そして筋肉質な肉体を持ち、それでいてリーナと比べて少しあどけない雰囲気を醸し出す少女が、藍色のタンクトップとショートパンツを身に付けた汗だくになって出て来た。リーナは、彼女を知っている。彼女こそが、カールの妻、アイリス・ヘスその人である。
「ただいま、アイリス」
カールは爽やかに告げた。銀髪の少女——アイリスも、ニッと笑って返す。
「おかえり、カール」
「その様子だとまた筋トレか。熱心なのは良いことだ」
「私、小柄だからね。出来る限り体は鍛えておかなくちゃ」
アイリスはそう言って、その体格には不釣り合いなほど成長した力こぶを見せる。タンクトップの脇から下着をつけていない、生の乳房が見えたが、彼女は気にしていなかった。しかし、胸筋かと見間違うほど筋肉ばかりの乳房であるので、男性が見たとしてもエロティシズムは全くないだろう。リーナは男性ではないし、同性愛的な嗜好も持っていないために、そのような想像しか出来ないが、アイリスが全く気にしていなかったり、カールも特に注意しないため、リーナは己の考えは正しいのだろうと思った。
「ねえ、ところで、何でリーナがあなたを送って来てるの? ひょっとして、もう落としちゃったり?」
会話には入れないでいるリーナを一瞥して、アイリスは心底楽しそうな口調でカールに尋ねた。それに対して、カールもリーナを見ながら、小声でアイリスに告げる。
「いや、まだだが、もうちょっとって所だ。あと一押しであいつはもう俺の女になる」
「やったあ! じゃあ、家族が一人増えるね」
二人は小声で話を盛り上げていき、結局リーナはその輪には入れないでいた。アイリスの話ぶりからするにグリューネシルトでは重婚が可能だというのは本当のようだが、だからといって恋人になることと結婚することを等しく捉えているのはいかがなものかと、リーナはため息をついた。
リーナがそのように考えている間にも、二人の会話の内容はエスカレートしていっていた。部屋の間取りはどうしようだとか、そもそも異世界人との婚姻が軍に許されるかとか、夜伽の順番はどうしようだとか、ともかく彼らの妄想は止まることを知らぬかのようだった。更にはそれらは全て小声で話されており、どうにもリーナには聞こえていないと思っているようである。仕方がないので、リーナは大きく深呼吸をしてその話に割って入った。
「あの、全部聞こえているのですが」
リーナが告げた直後、カールとアイリスは同時にリーナに向いて、バツの悪い表情を浮かべた。やがてアイリスが誤魔化すように笑いながら、リーナの肩を叩いた。
「ははは、ごめんごめん。今の話は忘れていいからね。それじゃ、また明日、教室でね」
アイリスは早口気味にそう言って、リーナの返答も待たずにカールを部屋に引き込んでドアを閉めてしまった。リーナは頭を掻いて暫くその場に立ち尽くしていたが、そうしていてもどうにもならないので、自分の部屋に向かって歩き出した。
カールとアイリスは、リーナにとって心底奇妙な存在だ。彼らは、緑の世界が新たに青の世界接続した、九月の頭に、そこからリーナのクラスに転入して来た。高校一年生なのに妻帯者という彼らは、良くも悪くも好奇の目に晒された。リーナもそのような目を向けた一人であった。実際にはリーナたちより少し年上で、学習環境の都合で高等部の一年になったということや、二人の人となりが分かると、次第にそのような目線も無くなっていき、何故カールのような者がアイリスのような器量の良い女性と婚姻関係にあるのか、という疑問が彼らに対する話題の中心となった。これについては、カールはもちろん、アイリスも何も言わなかった。聞いたところではぐらかされてしまう。彼らは、本当に仲の良い鴛鴦夫婦であるので、余計に訳がわからなくなって、リーナを含め、クラスメイトらは無理矢理な理由をつけて納得させているのだ。
そして、リーナがそのように感じる理由はもうひとつある。ブルーフォール作戦という、世界の持続に必要な世界水晶が、緑の世界で死に瀕しており、それを打開するために青の世界のそれを強奪しようという作戦のことだ。第一次作戦はマユカ・サナギの裏切りが直接的な原因で失敗したというのは公然の秘密だが、生徒会役員選挙や文化祭も近い慌ただしい今、第二次作戦が水面下で進行しているという話が、統合軍特務隊所属の、アインス・エクスアウラら三人から、数日前に齎されたのだ。その特務隊という、諜報や破壊工作を専門とする部隊の存在も、第二次作戦と同時に知らされた。彼女らが学園側や風紀委員会に流出させた作戦の人員のリストには確かにカールとアイリスの名があったのだが、配置や進行ルートの資料には、彼らの名前だけが一度も現れなかった。アインスらの流した情報に誤りがあったのか、それとも彼女らも知り得ないレベルの情報の中に二人がいるのか、どちらにせよ、日常の中でも彼に疑いの目を向けざるを得ないのである。しかし、リーナは割り切れずにいた。カールとアイリスの目が離れるまで、リーナはブルーフォール作戦のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。学園に来る前、乃ち、13歳から15歳になった年まで、十メートル級の人型兵器、ジャッジメンティスのパイロットとして軍事活動に従事していた頃のリーナであれば、そのような公私混同はあり得ないことであった。彼女は、そのような自身の変化に、悶々とするのであった。
気が付けば、自分の部屋のドアの前に到着していた。「故障中につき使用不可」と書かれた張り紙がされているインターホンの上に、リーナ・リナーシタとジュリアの名前が刻まれたネームプレートがある。間違いなく自分の部屋であると確信し、ドアノブを回してドアを開け、中に入った。
「ただいま。ジュリア、聞いて欲しい話があるのですが」
「今手が離せないから、部屋まで来なさいな」
壁を隔てた、ジュリアのくぐもった声が聞こえた。リーナは靴を靴箱に入れ、洗面所に入って手を洗ってうがいをすると、リビングに入った。青蘭学園の寮は、寮と言ってもマンションのようなもので、1LDKで、風呂に直結した、玄関に廊下で繋がっている洗面所がひとつある。
基本は一人部屋だが、申請をして許可が下りれば相部屋にすることができる。リーナもそうして相部屋にした一人で、二人で今住んでいる部屋は、元々ジュリアのものだ。理由は簡単で、ジュリアが大量に私物を持っているのに対し、リーナは必要最低限の私物しか持っていなかったため、リーナが引っ越した方が楽だったからだ。
そういう訳で、内装はジュリアの趣味の、白と黒と赤を基調としたゴシック調のものとなっている。二人で共有している個室のリーナのスペースにもそのゴシック調は侵食しているが、そもそもリーナが内装の見栄えなどについて無頓着なので、不満は持っていない。
リーナがリビングを通って個室にはいると、ツインテールに縛った金髪を持つ頭に小さな王冠を載せ、裾と袖、胸元のリボンが水色で、他は白色であるワンピースを着た、人形のように整った顔立ちの美女が床に座って何かを弄っていた。彼女がジュリアである。
リーナは鞄を自分の机の脇に置くと、ジュリアが睨めっこをしている物を覗き込んだ。すると、ジュリアは説明書らしきものを見ながら、細かなプラスチックのパーツどうしを汗が滲んだ手で嵌め込んでいるのが見えた。彼女の周りを見てみると、ニッパーや替え刃式のナイフ、数種類の紙ヤスリ、接着剤と、細かすぎて何のパーツなのかさっぱりわからない数多くのランナーと、底箱と思しき箱、そして細かい区画が作られており、そこに棒が差してあり、その先に沢山の組まれたパーツが付けられている箱が置いてあった。
「プラモデルですか。ジュリアにそんな趣味、ありましたっけ」
「ううん、今日始めたのよ」
「今日!?」
あっさりと言ったジュリアに、思わずリーナは素っ頓狂な声を出してしまった。対して、ジュリアはそのような彼女の様子を少しも気にせず、パーツと格闘しながら言う。
「そ。地球にしかないものにも手を出そうと思ってね。その記念すべき第一号よ」
「それにしてはやけに難しそうなものを買ってきましたね。何だか揃えてるものも本格的ですし」
「いやね、手先の器用さには自信があったから、どうせなら難しいものから手をつけようってことよ。一応、必要になるものはネットで調べたのだけどね。いやはや、思ったより難しいわ」
そう言いながら、ジュリアは心底楽しそうに笑っている。しかし、いつもこのように精力的な訳ではない。彼女は興味のあるものや、やる必要があることに対しては積極的に動き、かなりの能力を発揮するが、普段はものぐさで、
「しかし、それほどのものとなると値段は高くつくでしょう。いくらしたんですか?」
リーナが率直に感じた疑問を口に出すと、ジュリアはリーナの方を見ず、プラモデルを組み立てながら答えた。
「道具込みで三万円強だったかしらね」
「あれ、ジュリアってそんなにお金持ってましたっけ?」
「ん? こないだ、青蘭学園上層部の気前のいいおじさんに五百万円もらったから、三万円くらいわけないわ」
「ちょっと待ってください! 五百万ってどういうことですか!?」
しれっと大金を口に出したジュリアに、リーナは慌てて突っ込んだ。対し、ジュリアは思い出し笑いを堪えながら、手を止めて答えた。
「いやね、こないだ暇だったから、青蘭学園の収益の使い道を法に触れない程度に探ってたのよ。そしたらね、一見問題無いんだけど、よく見ると不可解な金の流れがあったのよ。それを上層部のおじさまの一人に直接聞いてみたら、なんとびっくり! それをやった調本人だったの。それでいくら欲しいかって聞いてきたから、五本指を広げてみせたわけよ。私は五万貰えりゃいいかなーと思ってたのだけれど、なんとおじさまは五百万円下さったわ。というわけで謹んで五百万円貰って話を無かったことにしたわ」
彼女の話を最後まで聞いて、リーナは聞いたことを後悔してこめかみを抑えた。ジュリアという女性が、まともな手段で大金を入手するわけがない。それに、彼女の言ったことは明らかに詳しい調査が必要なことであるが、リーナにも、風紀委員会にも、警察にもそのような余裕は今ない。
「ていうか、そんなこと聞きたいんじゃないでしょう? 聞いて欲しいことがあるんじゃなくて?」
ジュリアは組みかけのプラモデルを片付けながら尋ねた。彼女の言葉でハッとしたリーナは、今日のカールとのやりとりを告白した。ジュリアは最後まで黙って聞いていたが、話が終わった途端に腹を抱えて笑い出した。
「な、何を笑ってるんですか!」
「そりゃ笑うわよ。だってそんな下手くそな口説きにまんまと引っかかって手籠めにされかけたんでしょ? くくく、カールに余程の魅力があるか、もしくはあなたがカールに気があるかしないとそんなのありえないわよ」
「どちらもありえません! それに、笑うのもやめてくださいよ! ルームメイトを解消しますよ!」
リーナは憤慨して怒鳴り散らすが、ジュリアは一向に笑いを止めず、その調子のまま告げる。
「いいわよ別に。だって一番困るのはあなたでしょ?」
その言葉に、リーナは押し黙ってしまった。これには学業成績という、学生にとって深刻な問題と、リーナの交友関係が絡んできている。
まず学業成績についてであるが、リーナは、今は中の中ほどの成績であるが、これはジュリアの存在が大きい。ジュリアと知り合う前は本当に悲惨な成績で、13歳からジャッジメンティスのパイロットをやっていたおかげで、15歳までどうしても学業を疎かにするを得なかったために、赤点を取るか取らないかの得点しか取れなかったのだ。それが、一学年上であり、学業成績がトップクラスのジュリアと知り合ってから、彼女に勉強を教えてもらうことで変わったのである。彼女と縁が切れると、気軽に勉強を教えてもらえる者がいなくなってしまうのだ。
次に、交友関係についてである。リーナは風紀委員だけでなく、生徒議会の一年生代表も兼任している。その上、酷かった成績も順調に伸ばし始めたため、気の置けない友達というよりは、凄い同年代として尊敬されがちな立場なのだ。まだ知り合って日が浅い緑の世界出身の者からはそのような扱いを受けないのだが、周囲の空気に触発されてしまうようで、親しげに話してくれるのはアイリスくらいなものとなっている。そのような中で、ジュリアという、同級生でなく、かつ自己中心的な人物はリーナにとって数少ない親友なのだ。リーナは、彼女に苛立つことは数多くあるが、彼女はそれでいがみ合うことなく、軽く流すかからかったりしてくれる。そのような友の存在は、リーナには本当に喜ばしいものなのだ。
そういうわけで、リーナはジュリアと縁を切ることはできない。今のリーナに、ジュリアは必要不可欠だ。リーナは折れて、自分のベッドに、大の字になって飛び込んだ。そこから、ジュリアのスペースを見やる。
そこには、人間サイズから親指ほどの大きさまで、大小様々な人形が、壁に立てかけられたり棚に陳列されたりしているのが見える。それがジュリアの趣味であり、
一方、リーナも、人型のものを操るという、似たような異能を持つ。しかし、リーナの方が異能だけで比べても弱い。というのも、ジュリアは操るものの能力を底上げしたり、複数体操ったり、人型以外のものも操ることができるが、リーナは対象物のポテンシャル以上の能力を引き出すことはできず、また対象は単体で、人型のものしか操れない。しかし、リーナが操るのは基本的にジャッジメンティスなので、巨大兵器どうしの戦いとなればジュリアにも引けを取らない。事実、リーナがジュリアと初めて知り合い、ブルーミングバトルをした時は、彼女の操る、ジャッジメンティス並みの大きさの人型の鎧である
リーナは、人形から目を離し、天井をぼんやりと見つめた。その行動に意味はなく、ただ少し無気力になってしまっただけのことだ。翌日が休日なのも、リーナの無気力さに拍車をかけた。とうとう、うとうとし始めてしまった辺りで、ジュリアが顔を覗き込んできた。
「まだ風呂も入ってないし、晩御飯食べてないでしょ。寝ちゃダメよ。寝たら私があなたの純潔奪っちゃうから」
怖いほどに底抜けに明るい笑みを浮かべるジュリアのその言葉で、リーナは飛び起きて、慌てて部屋を出てリビングと廊下を走り、脱衣所と一体になっている洗面所に飛び込んだ。そこで制服を脱いで全裸になったところで、ふと鏡の前に立ってみた。S=W=E軍の推奨するトレーニングメニューは卒なくこなしているため、リーナの身体には、常人よりは遥かに全身に筋肉がある。しかし、リーナの頭にアイリスの肉体が思い起こされると、えも言われぬ劣等感を感じられてしまうのだった。
***
カールは外に、アイリスは部屋の中に盗聴器などが仕掛けられていないことを確認すると、カーテンを閉め切って、そこかしこに置いてある筋トレ用の器具を避けながら、リビングの中央のテーブルの前の椅子に二人して座った。アイリスの前には軍用のパソコンが置いてあり、今しがた電源を入れたところだった。
「じゃあ、頼むよ」
アイリスにそう言われたので、カールは左の眼窩に指を入れ、悍ましい弾力のある義眼を引きずり出した。彼はその粘液が付いた手をテーブルの上に置いたハンカチで拭きながら、空いた手で左の眼窩を隠した。
「この感覚、やっぱ慣れねえな。気持ち悪いったらありゃしない」
「ぼやいても仕方ないでしょ。どうしようもないんだから」
アイリスは吐き捨てるように言うと、義眼の上部を取り外してコードの接続口を露出させると、そこにコードを繋いだ。すると、パソコンの画面に、風紀委員会教室の金庫やファイルの中身を透過したものが現れた。カールがわざわざ暴力沙汰を起こすのは、このためだった。
カールの左目は昔、ある事情で潰されており、統合軍に拾われた頃から、彼らに渡されたこの透過能力を持つ義眼を使うようになった。義眼を眼窩に嵌めている時は目の代わりとなって働き、透過した内容を見るにはコンピュータに接続するしかない。そのため、今のように取り外さねばならないのである。
データの開示はアイリスが行う。特務隊の嗜みとして、カールも人並みよりはコンピュータを扱えるが、アイリスの方が扱いが長けているため、公私ともにパートナーである彼女に任せている。
「ねえ、カール。これ見てよ」
アイリスはカールの腕を指で突いて、パソコンの画面をカールに向けた。そこには、風紀委員会の最新の配置図と見回りのローテーションの表がテキストデータ化されて表示されていた。それを見た瞬間、カールは言葉を失った。
「気づいた?」
アイリスは眉をひそめて訊いた。カールはぎこちなく頷き、掠れた声を絞り出すように答える。
「ああ。明らかに今度の作戦を意識した配置だな。しかもまだ一般部隊に知らされてない内容もカバーされてる。裏切り者は特務の誰かと考えるのが妥当だな」
カールの言葉に、アイリスは頷く。もう一度、カールはその表を隅々まで凝視した。すると、ある、重大なことに気がついた。リーナも、学園内に配置されていたのだ。そこから導き出される情報は、ただひとつだ。
「これ、俺たちの碧き巨神のことは全く考慮されてないな。となると、裏切り者の候補から、俺とアイリスに、ティルダイン中佐以上の幹部は外されるな。特務の中でも下っ端か」
「本当だ。碧き巨神のことを極秘事項にしたミロク少将に感謝しなきゃね。とりあえず、報告書はどう書こうかな」
「碧き巨神に関していない部分の作戦内容が流出している、くらいでいいんじゃねえのか? 傍受されても、碧き巨神のことなんざ、特務の下っ端には分かんねえしよ」
カールの提案に対して、アイリスは少し考えた後、それに追従することにした。彼女が報告書を作っている間、カールはその横顔を眺めていた。彼女がこうして軍の業務に従事している時でも、彼は彼女が愛おしくてたまらなかった。初めて出会ってから、ずっと惹かれあい、苦難を共にしてきた。十四歳の時まではまさに生き地獄で、そこから統合軍に救い出され、才能を見出された二人は、ミロクの元で数年間、特殊な訓練を重ね、軍の最重要機密であり、当時の統合軍では誰一人として扱えなかった碧き巨神を任されるに至った。
そのような理由で、カールは、愛する者と自分を救ってくれた統合軍に、絶大な忠誠心を持っている。これはアイリスも同じで、二人とも、愛国心は誰にも負けないという自負を持っている。だから、裏切り者の存在は死んでも死にきれないくらいに許せないのである。国が滅ぶか滅ばないかの瀬戸際で、ブルーフォールを台無しにしかねない売国行為を働く不埒な輩は、見つけたらその全身の皮を剥いで、内臓を抉り取った後に残った肉体を滅多刺しにし、木っ端微塵に爆破したいとまで、カールは考えていた。
第一次ブルーフォール作戦が失敗したのはマユカ・サナギの裏切りによるもの、というのは公然の秘密であり、カールは当然彼女にも激烈な恨みを持っているが、書類上は無罪ということになっているため、カールも手出しができないのであった。流石のカールも、今はそこまで冷静さを欠くことはない。
「ねえ、カール。そういえば、今日街に何しに行ってたの?」
報告書の提出まで終えたらしいアイリスが、パソコンを閉じながらカールに話しかけてきた。カールは思考を切り替えて、爽やかに笑いながら懐から、首輪風の黒革のチョーカーを取り出した。
「これ、前にデートした時に欲そうに見てただろ? これを買いに行ってたんだよ。ま、その帰りでちょっとしたアクシデントがあって、それでリーナに連れてかれたんだけどな」
「そうだったんだ。ありがとね!」
アイリスは興奮した様子でチョーカーを受け取ると、早速身に付けて、無邪気に笑いながらカールに尋ねる。
「どう? 似合うかな?」
「今のガチムチのタンクトップ姿じゃミスマッチ過ぎるかな。アイリスは着痩せするから、いつものデートに着ていくような服や、統合軍の制服なら合うかもしれんが」
「そっか。じゃあ、明日のデートに着けてくよ!」
アイリスは興奮が冷めない様子で、部屋のクローゼットに直行した。カールはその間に義眼を再びはめ込んで、部屋でクローゼットを漁るアイリスの姿を、穏やかに見つめていた。
***
リーナの朝は早い。まだジュリアが熟睡している朝の五時半に起床し、顔を洗って歯を磨き、ジャージを着て長い髪をポニーテールに束ねて三十分ほど寮と学校の間の緩やかな坂道でランニングをする。これは今日のような休日でも変わらず、S=W=Eにいた頃から続く日課である。少し前までは半袖のトレーニングウェアを着ていたのだが、流石に十月の半ばともなるといくら運動で身体が温まるとはいえ、かなり肌寒くなるので長袖のジャージを着ている。
まだ日の出前だが、リーナと同じくランニングをする者が数人いる。とはいえ他に目に見える生き物はすっかり青い葉を赤くした道の両脇の並木くらいなもので、特にこの薄暗く、静かで冷たい空気が流れる中では自分一人だけが世界にいるような感覚になる。以前はそれを心地良く感じたものだったが、近頃、具体的にはジュリアと同棲を始めたあたりから、一抹の寂寥感を覚えるようになった。そして、今日はそれがこれまでで最も強く感じられた。いくら走っても、前日のカールの言葉が脳裏にこびりついて離れない。しかも、ジュリア曰く下手くそな口説き文句そのものが。
(まさか、ジュリアの言う通り、私はカールに気があるのでしょうか? いやいや、そんな馬鹿なことはありません)
リーナは彼の言葉を振り切ろうとして懸命にランニングに励んだが、彼の言葉を忘れることは、三十分が経ってもできなかった。結局諦めたリーナは坂を下りてそのまま寮の敷地に戻ると、リーナがよく知っているアベックと目が合った。
「よう、リーナ」
男の方が先にリーナに声をかけて、小走りで近づいてきた。遅れて、女の方も早歩きで近寄る。リーナはしまったと感じたが、二人との関係を考えると無視はできないので、ぎこちなく口を開いた。
「兄上に、アナベルさんじゃないですか。こんな時間にここで出会うなんて、珍しいですね。何かあるんですか?」
「これから、ミッキーと今日開店するレストランに並びにいくところなのよ。すっごく評判がいいシェフがいるらしいの。リーナちゃんも来る?」
頰に手を当ててゆったりとした口調でそう話す、長い黒髪でグラマラスな長身の美女、アナベルは、リーナが最も苦手とするモノのひとつだ。というのも、それは人間ではなく、アンドロイドなのである。
白の世界におけるアンドロイドというものは、元々は生身の人間では対処が難しい領域や、機械でもできる仕事を担うために開発された、人間型のメカニズムだ。当初は、それこそ片言で話し、一目で機械とわかる代物だった。しかし、最近は急速にアンドロイドの技術が発展し、見た目も肌触りも話し方も人間と遜色なくなったばかりか、人の感情を理解するようになり、終いには、白の世界全ての政治、裁判、立法を司る巨大コンピュータEGMAが、アンドロイドに市民権を与えるまでに至った。人間とアンドロイドとの結婚すら可能になった。これは、EGMAがアンドロイドが、人間と変わらぬ知的生命体であることを認めたということだ。更に噂によれば、人間との性行為で子を作ることのできるものまで開発されたという話だ。
目の前の、リーナの兄であるマイケルとアナベルはそのような今の白の世界を体現するような存在だ。マイケルは、今の身分は青蘭学園大学部の物理学科の学生だが、リーナや、二人の父であり青蘭学園高等部保健体育科の教官であるアルフレッドと同じく、軍人でありαドライバーである彼が青蘭島で過ごしやすくするために得た身分に過ぎない。実際、マイケルは齢25であり、アナベルと婚姻関係にある。アナベルの方も、正式名称はタイプPM-66アナベルといい、戦闘用でなく、カウンセリングを行って人間の精神的なケアをするためのアンドロイドである。リーナはアンドロイドの存在自体は認めるものの、機械が人間を称することには嫌悪感を抱いている。これのすることは、本来であれば人間がすべきことであり、機械がすることではない。人間に対する冒涜にも等しい行いだ。しかし、リーナは面と向かってそうは言えない。兄の妻であるということもあるが、他ならぬリーナ自身がアナベルの人柄を気に入っているため、それに対しては複雑で混沌とした感情を抱かざるを得ないのである。
「い、いえ。私は今日は用事がありますから、結構です」
リーナは所々つっかえながら、作り笑いを浮かべてアナベルの誘いを断った。もちろん、用事などは口からでまかせだ。アナベルは何かを言おうとしたが、マイケルがそれを遮るように前に出て、リーナと同じ色合いの短い青髪をいじりながら、明るい声で言う。
「用事があるなら仕方ないな。また誘うよ」
マイケルはそうして手を振りながら踵を返し、アナベルの肩を抱いて、早足で寮の敷地外に出て行った。マイケルの顔がリーナから見えなくなる寸前に、その表情が一瞬暗く沈んだのを、リーナは見逃さなかった。
リーナとマイケルの関係もまた、微妙な関係である。彼の明るく気さくで、気遣いができる性格もリーナは好きで、それ故にアンドロイドを伴侶としていることを許せないでいる。マイケルの方も言葉には出さないが、リーナにアナベルを受け入れて欲しいと考えていることは、リーナにとって明白である。表面上も内面でも仲の良い兄妹でありながら、主義主張の面で反目し合うという、常に綻びが存在する関係だ。
アルフレッドはこのことに関しては何も言わない。二人の決着をつけさせるにはどちらか一方に味方するか、それとも、どちらでもない新しい主義を示して、二人をそれに導くしかない。どちらをとっても、親として失格の行為と彼は捉えているようで、なんとかしたいと願っているのだろうが、徹底して不干渉の立場を取っている。リーナはこの点を含めて、彼を父親として尊敬し、また彼に自分を認めて欲しいとも考えている。母はリーナを産んだ時に逝去したため、リーナは家族全員と複雑な関係を抱いてしまっているのだ。
「ただいま」
心にモヤがかかったような気持ちのまま、リーナは自分の室に戻り、洗面所で手を洗ってうがいをしてからリビングに入った。すると、納豆の独特の匂いが鼻を刺激した。ダイニングテーブルの方を見やると、湯気が立っている味噌汁と、三個のめざしが載せられた皿と、すでにかき混ぜられたらしい納豆がかかった茶碗いっぱいの飯が、それぞれ二人分用意されており、片側に白いネグリジェ姿のジュリアが椅子に腕を組んで座っていた。
「おかえりリーナ。さ、朝ごはん食べましょ」
ジュリアに促されて、リーナはジュリアの向かい側の椅子に座った。
「いただきます」
二人同時に手を合わせて箸を持ったものの、リーナはその食事の内容に失礼だとわかっていながら、不満を漏らしてしまった。
「また納豆ご飯とめざしに味噌汁ですか。美味しいですけど、毎朝違うのが味噌汁の具だけなんて、飽きちゃいますよ」
「文句言うなんて感謝の心がなってないわね。嫌ならいいのよ、私もう料理作ってあげないから」
ジュリアは、見ているだけで微笑ましく思えるくらいに美味しそうに、納豆のかかった飯を食べながら言った。その言葉で、リーナは押し黙るしかなかった。というのも、リーナは料理が下手くそで、サバイバル用の料理も満足に作れないほどなのである。そのおかげで、同棲を始める前は寮や学校の食堂で食べるしかなかったのだが、それだと出費がかさんでしまうし、今更その生活に戻れというのも無理がある。しかしジュリアは料理は上手だ。朝の食事は毎朝これであるが、彼女が作る弁当や夜の食事は毎日違う。しかもどれも絶品で、その点に関していえば今すぐに嫁入りしても十分やっていけそうなほどである。
「大人しく食べます」
「よろしい」
リーナが渋々引き下がると、ジュリアは満面の笑みで頷いた。彼女がリーナをからかって楽しんでいるというのはよく分かる。全く褒められた行為ではないが、かといってリーナもこうしたジュリアとの関係を楽しんでいることを自覚しているため、心の底から嫌と思っているわけではない。
食事を半分くらい進めたところで、誰かが戸を叩く音が聞こえた。リーナは立ち上がって玄関まで行ってドアを開けると、そこには所々が意図的な感じに破られた、褪せた藍色のジーンズを履き、黒地の退廃的な柄のシャツの上に黒革のジャンパーを着て、大きな銀の輪のようなイヤリングに、首輪状で黒革のチョーカーをつけたアイリスと、統合軍の制服姿のカールがいた。
「おお、ポニテか。結構レアだな。これでジャージじゃなかったら完璧だったのに、残念残念」
軽い調子でそのように話しかけてきたカールは無視して、リーナはアイリスに声をかける。
「アイリスさん、そういうファッションをするんですね。少し意外でした」
「んー? まあ清楚な感じのも着るけどね。せっかく昨日こういうチョーカー貰ったから、それに似合う格好をしようと思ってね。チャラチャラしててリーナには不快だった?」
「ああ、いや。そういうわけじゃないですから、安心してください。似合ってますし」
「そう? ハハハ、いやあ照れちゃうなあ」
アイリスは、後頭部を掻きながらがさつな風で笑った。その横のカールを見ると、いつの間にか出てきていたジュリアと何やらひそひそと話していた。特にその会話の内容が気になるわけではないが、珍しい光景だった。その様子を眺めていると、アイリスに軽く肩を指で突かれた。
「そうそう。今から私とカールでデートに出掛けるんだけど、良かったらリーナも着替えたら来る? 私たちは今日開店する例のレストランに並ぶからさ。まあ、これを言うために訪ねたんだけどね」
「すみません、今日は行けないんです。またの機会に」
リーナは、アイリスの誘いを丁重に断った。普段であれば、カールと一緒だということの他には彼女の誘いを断る理由が無かったが、あいにく、先ほどマイケルとアナベルの誘いを断ったばかりである。しかもそのレストランに並ぶとなると、彼らと鉢合わせになる可能性もある。それでは幾ら何でも体面が悪い。
誘いを断った直後に、リーナはふと違和感を覚えた。そして、その原因がアイリスの服装にあることにすぐに気がついた。
「あの、アイリスさん。その格好でレストランに行くんですか?」
「うん? そうだけど」
「いや、少し雰囲気的におかしくなりません?」
「ああ大丈夫大丈夫。白い目で見られることには慣れてるから」
「いや、その」
「あっ。もうこんな時間。カール、もう行くよ! リーナ、じゃあね!」
アイリスは、リーナの言うことも聞かずに飛び出してしまった。彼女に続く形で、カールもリーナに手を振ってから走っていってしまった。
「いやはや、エロい体してるわね、あのカールっての。性格はともかく、体つきだけでいったら、こっちがお金出してでもセックスしたいくらいだわ」
唐突に、ジュリアがそのようなことを言い出した。面食らったリーナは、彼女を叱るような形で怒鳴った。
「なんということを言うのですか! 冗談でも女性がそんなこと、言うもんじゃあないですよ!」
「いや、私は割と本気で言ったわよ。あの体の魅力があれば、口説き方がど下手くそでも十分カバーできるわね」
ジュリアはそう言って部屋に戻ってしまったので、それが捨て台詞になった感じになった。リーナは彼女がいなくなった後、外を歩くカールとアイリスを、無意識のうちに目で追っていた。
***
カールとアイリスは、門のところで見知った二人を見かけた。青い統合軍の制服を着た露草色の長髪にリボンをつけた少女のルルーナ・ゼンティアと、赤い統合軍の制服を着た朱色の短髪の少女のリーリヤ・ザクシードだ。そのうち、ルルーナが二人に気がついたらしく、手を振って近づいて来た。
「特務のガチムチカップルじゃん。アイリスの格好を見る限りだと、今日はデート?」
ルルーナが大声でそう言うので、カールは詰め寄って人差し指を立てて己の口に当てた。
「シーッ、声が大きい。一応秘密部隊なんだから、聞かれたらどうする。あと誰がガチムチカップルだ。ぶっ飛ばすぞこの野郎」
「前者は、黒服着て大手を振って歩いてる人が言うことじゃないと思うなー。それに女の子に向かってぶっ飛ばすぞなんて、ちょっと言葉遣い気にした方がいいんじゃない? 特に私にそんなこと言ったら、リーリヤに殺されるよ」
ルルーナはそのように言ったが、当のリーリヤはうつらうつらとしていた。カールが見る限り、寝ているのか起きているのか分からない状態だった。
「ちょっとリーリヤ、起きてから三十分は経ってるのにそれは無いっしょ」
「朝は弱いのです低血圧なのです寝かせてくださいお願いします」
ルルーナが注意するも、リーリヤは彼女特有の早口で、寝ぼけた風で、目をこすりながら返した。目がしっかりと覚めている時はもっと俊敏で、ハキハキした喋りをするのだが、朝はこの通りだ。おかげで、彼女が朝に作戦行動を行う時は覚醒剤を服用する有様である。
「ルルーナたちはこんな朝にどこ行くの?」
リーリヤを揺さぶるルルーナに、アイリスが尋ねる。
「んー? 例の今日開店するレストランだけど」
「奇遇だね、私たちもなんだよ。良かったら一緒に並ぶ?」
「おっけーおっけー。じゃあ歩きながら話そっか」
そう言いつつ、ルルーナはリーリヤの首根っこを掴んで彼女を引きずる形で歩き出した。カールとアイリスも、彼女に続いて早足で行く。
リーリヤの目も覚め始めた頃、四人は件のレストランに到着した。開店まで三時間前ながら、既に五十名ほどが並んでおり、また、後続の者も数十名ほどが並んでいる。一人で来ている者は殆どいないようで、まだ朝早いうちでありながら、けたたましいくらいの喧騒に包まれている。周囲の数人の声を拾うのがやっとなほどだ。
「こんな朝によくもまあこんなに来るもんだ。これが日本本土とかだともっと来るんだろうが……うん?」
後ろを見ながら呟いたカールだったが、つい先ほど列に入ろうとしていた女性に、彼は見覚えがあった。その女性もカールに気がついたようで、こちらに小走りで近づいてきた。
「よう、四人とも。久しぶりだなぁ」
高めの背丈で、特務隊の黒の統合軍制服をしっかりと着てモデルのような体型を収め、鈍く輝く長い銀髪を持つ美人の彼女はナイア・ラピュセアだ。階級は少佐で、中尉であるカールとアイリスが砕けた口調で話せる相手ではないのだが、昔から上官としてでなく、姉のような立場で二人に接していたため、公式な場でなければ、二人は彼女に友人のように接するのである。
「こっちに来てたなんて知らなかったよ。言ってくれれば良かったのに」
アイリスがそう言うが、ナイアは首を横に振った。
「実は今日来たんだよ。昨日、急に命令が下ったのさ。どうせ来るなら一日くらいは楽しもうかと思ってね。休日じゃ、大した調査も出来そうにないしな。昨日の夜に調べておいた。しかしな」
ナイアはアイリスの全身を眺めた後、上着を脱いで彼女に差し出した。
「その格好でレストランは恥ずかしいからやめてくれ。レストランから出るまででいいから、これを着ときなよ」
アイリスは、もしリーナがいたら驚くほどに、素直に彼女の言葉に従ってナイアの上着を着た。ナイアは緑の世界でずっと姉貴分で、恩義も数え切れないほどなので、アイリスは彼女に逆らうことができないのである。
アイリスが革のジャンパーを脱いで鞄に入れ、ナイアの上着を着る間に、リーリヤがナイアに尋ねる。
「少佐殿までがこちらに来られたということは何かあったのでしょうか。先ほど調査と仰っていましたし」
リーリヤとルルーナも、カールたちと同じく階級は中尉だ。しかし、ナイアとは所属部隊が違う上に、親しい付き合いがあるわけでもないため、彼女らは普通に上官としてナイアに接する。
「昨日、誰かは分からないが裏切り者がいるという情報が入ってな。それで、あたし自ら調査に赴いたってわけ。そうそう、それで、中等部の三年生の身分で調査することになったから、よろしくお願いしますよ、先輩方」
ナイアは冗談めかしてそう言ったが、カールたちは唖然とする他なかった。その中で、最初に口を開いたのはルルーナだった。
「いや、いや、いや。さ、流石に無理がありませんか? しょ、少佐殿のお歳は確か、にじゅ——」
「あー、はいはいはい。気にすんな気にすんな。あたし童顔だから大丈夫だ。あと、モデルとかだとあたしみたいな中学生とかいくらでもいるだろ。いけるいける。それにルルーナとリーリヤ! 特務隊権限で命令する。リーリヤはいつも丁寧語だからいいとして、ルルーナは、あたしは下級生なんだからタメ語を使え。復唱は無しでいいからな」
「りょ、了解です!」
ナイアがルルーナの言葉を遮り、早口で捲し立てた上に勢いで出した命令に、リーリヤとルルーナの二人は背筋を伸ばして返答した。
ナイアの言ったことはかなり滅茶苦茶だった。確かにナイアのような見た目の中学生のモデルはいることにはいるが、だからと言って中学生と言い張るには無理がある。
しかし、それは重要な問題ではない。最もおかしいのは特務隊権限の命令を使ったことである。その命令は、左官以上の特務隊所属の者が使えるもので、部隊や階級の垣根を超えた、グリューネシルト王家の者以外には絶対の命令だ。当然、濫用されれば部隊の私物化から国家の転覆も思いのままであるから、特務隊の左官以上の者は、皆愛国心と責任感が強く、また十分な実績のある者が上層部の慎重な審査を経てその立場が与えられているのである。今のナイアのように、冗談に近いものとはいえ、私事、とりわけ些事に使うようなものではない。
しかし、四人ともそれが分かっていながらも、特に注意することはなかった。というのも、ナイアが笑顔で四人を順に一瞥していったからだ。嫌に明るい笑顔だったので、全く口答えする気になれなかった。
「時期的に、あんたらも学園生徒としては今日明日で最後の休日だろ? 一世一代の大勝負が迫ってるんだ。ということであたしが奢ってやるから、ここで一丁景気付けってことで」
ナイアはそう言って、財布の中を四人に見せた。そこには地球の通貨の札がぎっしりと詰まっていて、カールは思わず見入って、息を飲んだ。他の三人も同様に、その大金に目を奪われていた。
「奢る代わりに、絶対、大勝利に終わろうな」
ナイアは財布を閉じて、憂いを帯びた表情で告げた。それで、四人とも力強く頷いた。故郷の命運をかけた、乾坤一擲の大作戦。この場にいるグリューネシルトの軍人がそれに馳せる思いは皆同じだった。それなのに裏切り者が統合軍の内部にいるということに、カールはやりきれない気持ちにならざるを得なかった。