偽典アンジュ・ヴィエルジュ【刻】   作:黒井押切町

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アンドロイド、その真の意味

 ウロボロスの根拠地のひとつを調査するという作戦は、ひとまずの成功を見た。構造物自体は不純物を含んで黒っぽくなった珪素の結晶で出来ており、未知の物質が発見されることはなかった。また、そこではウロボロスの上位種も発見され、それはアビスと命名される運びとなった。更に、それと構造物内のウロボロスの討伐にも成功し、少なくとも現状では、根拠地からそれらが再び出てくることは無いだろうと判断された。更に、αドライバーの凍結も解除されたので、作戦の価値はより大きなものとなった。

 次なる課題はウロボロスが亜空間跳躍を行ってきた理由の解明、ということになった。その技術はS=W=E特有のものであるから、学園はS=W=E全域に及ぶ大規模な調査を計画している。

 しかし、リーナは、そこからは遠く離れた立場にあった。

 シノンにはスペアのボディはおろか、人工知能のそれさえ存在しなかった。そのおかげでリーナと、同じコクピットにいたジュリアは、丸呑みにされ生きていた可能性のあった命友軍の仲間を、命令を待たずに殺害したということになってしまったが、当時の状況を鑑みて一週間の謹慎という軽い処分となった。

 一方で、シノンが軍籍を偽造して青蘭学園にいたことも発覚し、更にメルティが、リーナとジュリアが謹慎処分を下されたその日、つまり作戦の翌日のうちに失踪した。これにより、シノンを送りこんだのはメルティということが殆ど明らかになったようなものだ。しかし、EGMAが捜査を始めればいずれ彼女に辿り着くのは明白であり、その手が及ぶ前に彼女が蒸発したのは当然のことだと言える。

 また、メルティがシノンを送り込んだ理由に関しては、リーナは、メルティのことだから、敵の情報は敵を使って知るのが一番だと考えてのことだったのだろう、と考えた。シノンがリーナに頻りに絡んできたのも、メルティと関係が深かったからと考えれば、納得できた。

 今リーナが納得できないのは、軽減されたとはいえ処罰されたこと自体であった。シノンを含んだままのウロボロスを攻撃した時は、その事情など知る由もなかった。通常、アンドロイドなど金さえあればいくらでも替えがきくのだから、それごと敵を倒したことを金銭的な理由で責めるならともかく、人道的な理由で責められるのには納得がいかなかったのであった。

 

「まあ、この学園でアンドロイドと人間を明確に区別してるのなんて、反EGMA的な立場を取ってる子くらいだからね。是非はともかく、人道的な理由で責められても仕方ないんじゃないかしら。マイノリティは排除されるのがこの世知辛い世の中なのよ」

 

 リーナが不満をぶちまけると、ジュリアはソファに寝転がりながら、間延びした声で茶化すように返した。彼女の言うことは理解できるが、納得はできなかった。

 また、焦る気持ちもあった。メルティから良い意味で名前を売ってくれと頼まれていたのに、評判を大きく落とす事態となってしまった。これを巻き返す手が、全く思いつかなかったのだった。

 リーナは無言でカールの遺品のひとつのベンチに向かうと、そこに仰向けになって、50キログラムのバーベルでベンチプレスを始めた。ジュリアの手前、自慰も自傷もできない上に、謹慎処分のせいで外に出ることも叶わないため、室内でできる運動で苛立ちを収めるしか、リーナにはなかった。

 

「よくそんな重い物、自己強化の魔術無しで何度も上げ下げできるわよね。感心するわ」

 

 ジュリアは、依然寝転がったまま、顔だけをリーナに向けて言った。黙々と続けていたリーナは1セットを終えてからバーベルを懸け、体を起こしてからジュリアに答える。

 

「何、鍛えればこのくらいは出来ますよ。ジュリアも筋トレします? きっと引き締まっていい体になりますよ」

 

 ベンチプレスだけでも、リーナの苛立ちは素で軽口を叩けるくらいに大きく抑えられていた。彼女のその様子を察したのか、心なしか弾んだ声でジュリアは応じる。

 

「やーよ、めんどくさい。今も別にお腹ぷにぷにって訳じゃないし。筋トレなんかしなくても私のナイスバディは維持されるのよ」

 

「ナイスバディて。ちんちくりんで胸も尻も小さいのに何を言いますか」

 

 リーナが軽い調子で冗談を飛ばすと、ジュリアはにっと笑って、勢いよくソファから立ち上がった。そして瞬間移動してリーナの後ろに立つと、そこからリーナのジャージの下に手を入れ込み、両胸を揉みしだきながら、乳首をつまんできた。

 

「あなたも似たり寄ったりの体型のくせによく言うわね。そういえば乳首が感じやすいのだったわね。ホラホラ」

 

「ちょっと、こらジュリア! あっ、あっ、やだ、やめて下さいよぉ! 感じちゃいますからぁ!」

 

 元からのものと、常日頃から弄っていたおかげで、リーナはそこで随分と感じやすくなっていた。一方で、ジュリアはリーナの言うことを無視して、彼女が満足するまで揉み続けていた。やがてそれを終えると、彼女はリーナの前に回って、ころころと笑いながら告げる。

 

「いやあ、二人きりの謹慎生活も悪くないわね。むしろこのまま謹慎処分を続けて欲しいところだわ」

 

「いいんですか、そんなこと言って。愛しの殿方がいるんじゃあなかったんですか」

 

 リーナはからかうように言うと、ジュリアは天井を眺めながら、笑みを消して答えた。

 

「そうね。会えないのは確かに癪だわ。前言撤回するわ」

 

 ジュリアが言い終えた直後、外から雷の轟音が響いた。リーナが気になってカーテンを開けてみると、外はまだ昼だと言うのに薄暗く、大粒の雨が降り注いでいた。

 

「あらあら。すごく天気悪いじゃないの。やっぱり謹慎処分もいいことあるわね」

 

 ジュリアが冗談めかして言うが、リーナはそれには答えずに、眉を軽く顰めて、ただ視界の悪いベランダ越しの風景を眺めていた。

 

        ***

 

 教室にいると、嫌でもリーナへの悪口が聞こえてくる。悪い噂とは恐ろしいもので、日に日に一部の生徒たちの間で、リーナへの恨み言は大きくなっていき、更にはリーナと交友関係のあった者らへもその矛先は向いた。

 特にクラスメイトであるルルーナとリーリヤへの風当たりは強かった。直接何かを言われることはないが、よく耳をすませてみれば陰口を叩かれていることが多くある。これに対して、二人は強く出られなかった。ブルーフォールで統合軍の戦士として戦ったために、他の四世界の者らに負い目を感じているのだった。

 ゆえに、ルルーナもリーリヤも、統合軍のコミュニティでしか生活することができなかった。昼休みはおろか、短い休み時間でさえ、教室から出て同僚と雑談を交わす始末であった。

 しかしそこでは、他の世界の者とは別の話題が中心になっていた。リーナへの陰口が全くないかわりに、身分を偽装していた者が青蘭学園に入学できたという、学園のセキュリティの杜撰さについての議論が活発に行われていた。更に、リーナを擁護する意見も多かった。シノンの事情を知っていれば、自動的にリーナは反EGMAのシノンを送りこんだ一派ということになり、彼女にそれごと破壊する理由は無くなり、知らなければアンドロイドの性質を考えて、そうするのは止む無し、ということが、統合軍人の間での認識であった。

 

「この一週間でこのバッシングをどうにかするのは、無理だよね。リーナとジュリア、私たち統合軍のコミュニティに迎えて守ってあげるしかないのかな」

 

 放課後、ルルーナはリーナの分の配布物を届けに行く途中で、一緒にいたリーリヤと、夏菜、ナイア、ランに話しかけた。大きく響く雨音のせいで、普段より声を大きくせねばならなかったのが、ルルーナにとっては少し癪だった。その言葉には、ランが一番初めに答えた。

 

「そうすれば二人を守れるのは確かですが、陰口は止まないでしょうね。更には私たちと、他の世界の方々との溝が深まるのは間違いありません。ウロボロスという共通の敵がいる以上、ここで内部分裂を起こすのは好ましくありません。かと言って、二人を放ってもおけませんし、どうしたものか」

 

「とりあえず私の方の現状を報告すると、私も今日、露骨にハブられたし、統合軍所属の生徒の殆どがリーナを擁護してるっていうことも他のコミュニティで広まってる。もうとっくに、他の世界の人とG・Sとで溝は出来ちゃってるよ」

 

 ランに続けて、夏菜が視線を落としながら発言する。そこで、先を歩いていたリーリヤが一旦立ち止まって、振り返りながら言う。

 

「つまり、私たちはリーナたちを守って対立するか、リーナたちを売ってよりを戻すか、のどちらかを選ばなければならないということですか」

 

「迷うことなく前者だな。友達云々以前に、あたしたち軍人が感情論に負けたとあったら士気はダダ下がりだろうし、そもそもブルーフォールで出来た溝すら埋まり切ってねえのに、新しい溝を埋めてよりなんか戻せるものかよ」

 

 リーリヤの言葉の直後に、それまで黙っていたナイアが口を開く。この時、彼女はいつになく真剣な表情をしていた。相当に苛立っているようで、その語気からは刺々しさがありありと感じられた。

 

「ナイア中尉の言う通りですね。とりあえず学園にいる統合軍人で意見の統一は計らねばなりませんから、リーナさんとジュリアさんが復帰した時に心を休められる場所を作らないと」

 

 ランの纏めたその言葉にリーリヤとルルーナは頷くが、夏菜とナイアは微妙に不満気な表情を浮かべていた。

 

「夏菜さんとナイア中尉は、まだ何か引っかかりますか?」

 

「はい。殿下、特務から離れた身ですが、この件で少し調査することをお許しいただけますか? どうも、陰謀の匂いがしますので。幾らセンセーショナルな話題に惹かれやすいと言っても、地球とT・P・A、S=W=Eの連中がリーナへの非難しか口にしたりネットの掲示板に書き込まないのは些か無理があると思います」

 

「私もナイアと同意見です。軍から離れてる私なら、より詮索が容易かと思います」

 

 ランが尋ねると、ナイアと夏菜は口々に答える。そのような考えにはルルーナは辿り着けなかったため、これも元特務隊所属の嗅覚が為せる技かと、大いに感心していた。

 

「分かりました。もし上層部がナイア中尉の行動に口出ししても、私が口を利いておきます。夏菜さんはもう民間人ですから、気兼ねなく調査をしても大丈夫ですよ」

 

「分かりました。ナイア、元特務の本領発揮だね」

 

 ランの言葉に夏菜は頷き、ナイアに向かってどこか嬉しそうな顔を見せた。対して、彼女の方も不敵な笑みを浮かべて、手の関節を鳴らしながら言う。

 

「ああ。あたしも特務を引退したと言ってもまだ一ヶ月くらいだしな。今の状況に黒幕がいるかどうか、白黒はっきりさせようじゃねえか」

 

 今の二人の姿が、ルルーナには大きく見えた。特に夏菜に関しては、一瞬でも彼女が裏切り者だということを忘れてしまいそうなほどであった。

 それからは軽く雑談を交わしながら、リーナとジュリアの部屋まで歩いて行ったのだった。

 

        ***

 

 リーナとジュリアは尋ねてきたルルーナ、リーリヤ、ラン、ナイア、夏菜の五人を迎え入れると、その七人でテーブルを囲った。

 

「今の状況を説明すると、例の件に関しては、G・Sの出身者と他の世界の出身者とで意見が大きく分かれてます。私たちはリーナを擁護して学園のセキュリティのザルさを非難してて、他の人たちはリーナを叩くだけ叩いて、シノンが身分を偽造してたとかそういう話は無視しています。ただ、後者に関しては論が極端すぎて無理があるとのことで、ナイアと夏菜は陰謀があると見ています」

 

「そう、ですか。陰謀ですか」

 

 リーリヤから陰謀と聞いて、リーナは少しだけだが気が楽になった。本当にそうであれば、初めから、心の底からリーナを叩いているのは一部だけ、という可能性もある。一方で、誰がリーナを貶めようとしているのか、という疑問も湧いた。陰謀であればその誰かが個人にせよ団体にせよ、必ずそれは存在する。その意図を向けられる原因として思い浮かぶのは、リーナがEGMA打倒後に象徴的英雄となるために、いい評判を多く立てようとしていることくらいだ。もしもそれが理由であるならば、陰謀の首魁は何らかの手段でリーナたちの情報を得た、EGMAの信奉者ということになる。

 

「もしかしたら、首謀者はEGMAのシンパかもしれませんね」

 

 リーナは、思考の結果だけを呟いた。すると、その場の全員の注目が彼女に集まり、その中でナイアが訝しげな視線を向けて、彼女に尋ねてきた。

 

「何でそう分かった?」

 

「ナイアたちには詳しく言えませんが、心当たりがあります。私のアテが外れていたら、それ以上の心当たりはありません」

 

「分かった。心の片隅に留めておくよ。それで、調子はどうだ? 何か欲しいものはないか?」

 

「全然、大丈夫ですよ。こうして来てくれただけでも嬉しいですし。ねえ、ジュリア?」

 

「ええ。謹慎生活も悪くはないと思うけれど、新しい刺激は無いもの。たまーに来てくれると助かるわね」

 

 ジュリアはそのように答えるも、リーナには彼女が少しだけ苛立っているように見えた。しかし、そうだという確信も持てないため、リーナは気のせいということにしてそれを忘れることにした。

 

「とりあえず今日もらったプリントと、今日の授業のノートのコピーね。あとこれもあげる」

 

 ルルーナは鞄からそれらの束を取り出してテーブルに置き、更にその上に、紐で縛ってある干し肉の塊を乗せた。

 

「あ、差し入れ今渡しますか。なら私からはこれを」

 

 ルルーナが干し肉を出したのを見て、リーリヤが取り出したのは干した魚であった。リーナは、この辺りで心の中で首を傾げた。この、二人も乾燥食品を差し入れとして出してくる感覚がよく分からなかった。二人に便乗するようにラン、ナイア、それに夏菜も差し入れを取り出すが、ランが高級そうな干し肉を、ナイアが鰹節を寄越してきて、まともだったのは夏菜の煎餅の袋詰めと2リットル入りのスポーツドリンクくらいなものだった。

 これはどうしたものかと思ったものだったが、リーナはすぐにG・Sの状況を思い出した。世界的に植物が育ちにくいところであるから、家畜も数多く増やせるものでもないのであろう。それ故に、G・Sではこれらのような保存食が喜ばれるということだろう。夏菜はエトランジェで元は地球の出身だから、そちらの感性で差し入れを選んだと考えられる。

 

「ありがとうございます、皆さん。ありがたくもらっておきます」

 

 納得したリーナは、引き攣った笑顔のジュリアを横目に、テーブルに置かれたものをそれぞれ彼女に近い方に寄せた。

 それから30分ほど雑談を交わしたのち、話のネタも尽きたところで、ランがゆっくりと立ち上がった。

 

「では、私たちはそろそろお暇しますね。御機嫌よう」

 

 そう言う彼女に続いて、ルルーナたちもそれぞれ別れの挨拶をして、外へ出て行く。リーナとジュリアは彼女らを玄関まで見送ってからリビングへ戻ったが、その直後にドアをノックする音が聞こえた。

 

        ***

 

 ノックが聞こえてから、反射的に出ようとしたリーナを抑えて、ジュリアが出ることにした。ドアの向こうから漏れ出てくる魔力の波動の感覚を、ジュリアは知っていたからだった。リーナにこちらに来ないようにと注意してから、ジュリアはドアを開けた。玄関先に出るくらいは、謹慎とはいえ許されていた。

 

「何の用かしら、ソフィーナ」

 

「プリント渡しに来たのよ。そんな刺々しく言うことないでしょ」

 

 ジュリアはソフィーナが差し出すプリントを奪い取るように受け取ると、彼女の何か言いたげな視線を感じた。

 

「何よ」

 

「何でそんなにカリカリしてんのかしらって思ってね。あなたらしくないわよ」

 

「その原因作った大元が何を寝惚けたことほざいてんのよ」

 

 ジュリアは冷めた目でソフィーナを睨んだ。リーナの前でないからか、隠していた苛立ちが意識しなくても自らの体から立ち上ってくる。彼女の方も反抗心からかジュリアを睨むが、長い時間が経たないうちに、小さくため息をついて目を逸らした。その視線の先には「故障中につき使用不可」という張り紙のしてあるインターホンがあった。

 

「まだ、インターホン修理してないのね。いつまで壊れたままにしておくつもりなのよ」

 

「余計なお世話よ。それよりも、聞きたいことがひとつあるわ」

 

 ジュリアは、ソフィーナに詰め寄る。そして、彼女の目を見つめた。それは微かながらに揺らいでいて、目が合っているように見えるが、実際には微妙に合っていなかった。

 

「私たちが、いえ、リーナが学園中で非難されてるっていうのは本当なの? G・Sの子たちから聞いたんだけど」

 

「確かに、そうよ。正直に言うと、私もリーナは悪いと思ってる。アンドロイドの性質を考えるとやむなし、っていう言い分も分からなくはないけれど、やっぱり私の感覚的には受け入れられないわ」

 

 ソフィーナは、ジュリアから明確に目を逸らして答えた。その言葉と様から、ジュリアは彼女が「リーナが悪い」という意見一辺倒ではないことを悟った。

 しかし確信は持てぬので、ジュリアは念を押して確認することにした。

 

「あなたは、悪意を以ってリーナを非難するわけじゃないのね?」

 

「当然よ。あの子を貶めたいんじゃなくて、私とそりが合わないということしか、私には無いわよ。悪意を持ってる人もいるみたいだけど、悪いことに私には誰がそれを持っていて誰が持っていないか、判別がつかないわ」

 

「気にしなくていいわ。その判定は他の子がやってくれるから」

 

 目的は達することができたので、ジュリアは部屋に戻ろうと「じゃ」とだけ言って手を振った。だが、ソフィーナが慌てた感じでその肩を掴んできた。ジュリアが振り返って彼女の顔を見ると、今にも泣きそう、という程ではないものの、その目は潤んでいた。

 

「ねえ、最近あなた変よ。特にここ一ヶ月くらい。私と会う時、今みたいにイライラしてることなんて前は無かったじゃない。何か、何かあったの?」

 

「あなたに話せることでもないわ。でも、心配してくれるのは嬉しいわ。ありがとう」

 

 ジュリアは素直な気持ちでそう言ったのだが、ソフィーナはどういうわけかきょとんとして、開いた口が塞がらない様子であった。

 

「どうしたのよ」

 

「いや、あなたが私にありがとうだなんて、言うとは思ってなかったから」

 

「もうあなたの知ってる私ではないってことよ。こんな私を受け入れられないなら、私を外に出したあなた自身を恨むことね」

 

「受け入れられないってことはないわよ。でも」

 

 ソフィーナは唇を尖らせる。しかし、先程までのように涙目ではなかった。

 

「やっぱり変よ、あなた」

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 そう告げた時、ジュリアは自然と口角を上げていた。それを見たソフィーナは、安心したように微笑む。

 

「それでこそ、ジュリアよ。じゃあ、私はもう行くわね」

 

「あ、ちょっと待ちなさいな」

 

 離れようとするソフィーナを、ジュリアは呼び止めた。それから一息置いて、表情を引き締めて告げる。

 

「ことの本質を見失わないようにしなさいよ。単にリーナが好きか嫌いかなんて問題じゃないのだから」

 

 ジュリアの言葉に対し、ソフィーナは暫く考え込んで黙っていたが、やがて顔を上げて、ジュリアを真っ直ぐ見つめた。

 

「分かったわ。あと思い出したのだけれど、メルティが失踪した件について、気になることがあるのよ」

 

「気になること?」

 

「ええ。メルティが失踪してからなんだけど、ユフィの居場所がたまに分からなくなるのよ。あなたに言ってもしょうがないと思うし、あまり口外するのも好ましくないのだけど、友達のよしみで一応言っとくわ」

 

「それはどうも。リーナに伝えても大丈夫かしら?」

 

「そのくらいなら問題ないわ。じゃ、今度こそばいばいね」

 

 ソフィーナはそう言って、すたすたと去って行った。ジュリアはその背中に短い間手を振ると、ひとつため息をついて室内に戻った。するとすぐに、リーナが出迎えてきた。

 

「誰だったんです?」

 

「ソフィーナよ。プリントを届けにきたんだって。ああ、あと、メルティとユーフィリアって、何か関係あったりする?」

 

「いえ、そういう話は聞いたことありませんけれど」

 

「ならいいわ。この話は忘れてちょうだい」

 

 ジュリアは不思議がるリーナを尻目に、リビングに戻って、テーブルにソフィーナが届けてきたプリントを無造作に置いてから、ソファに飛び込んだ。友人たちと交流しても、ジュリアの心にはまだ満たされぬものがあった。リーナに続いてジュリアの心に浮かぶのは、アルフレッドの姿、声、そしてあらゆる表情であった。家から出られぬというだけで、普段は感じぬ辛さがあった。なまじ友人たちと会っただけに、それはますます増大していた。

 

「あなたに会いたいです、アルフレッドさん」

 

 リーナには聞こえぬようにソファに顔を押し付けて、ポツリと漏らした。

 

        ***

 

 明くる日の放課後、ナイアは学園の図書館に向かっていた。彼女は、情報収集に関しては、その方法を夏菜とは違うものを取ることにした。夏菜は耳を欹てたり、掲示板の書き込みを観察したりして特定しようというものだったが、ナイアはリーナの、EGMAのシンパが首謀者かもしれない、という意見があったことで、EGMAに直接ハッキングをかけて、EGMAの目論見そのものを見ることにした。今はまだEGMAのセキュリティが完全ではないため、そうするなら今しかないとナイアは踏んだのだった。

 しかし、ナイアはS=W=Eのコンピュータ理論を知らなかった。わざわざ図書館に向かっているのは、それを知るためであった。もし徹夜して理解できるものであればすぐに手をつけるし、複雑で難解であれば手を引いて、夏菜と同様の作業をするつもりでいた。

 

「あれ、ナイア? 図書館に来るなんて珍しいね」

 

 ナイアが図書館に着くと、そこから出てきた紗夜とばったり出会った。ナイアはため息をつくと、彼女に歩み寄りつつ、笑みを作って答える。

 

「あたしだって図書館で勉強したいときもあるさ。一応学生なんだし」

 

「それはそうだけど、やっぱり珍しいよ。というかここ二日くらい、あんまり私たちの輪に入って来ないし、珍しいっていうより変」

 

 紗夜のその言葉を聞くと、ナイアは笑みを崩して真顔になった。そして、棘のある口調で、紗夜を突き放すように言う。

 

「そりゃあたしは紗夜たちだけのダチじゃないからな。他の連中とつるんだって、何の文句もねえだろ」

 

「そんな言い方しなくても」

 

 紗夜は、少しむっとなって苦言を呈した。対して、ナイアは今一度ため息をつき、彼女の横を通り過ぎながら告げる。

 

「悪いが、紗夜と言い合いをする余裕なんざ無いんでな。あたしは用を済ませて来るよ」

 

 ナイアは呼び止めようとする紗夜を無視して、図書館に入っていった。そして、真っ直ぐ電子書籍閲覧用のパソコンの前に座って、S=W=Eのコンピュータ理論の基幹を記した専門書のデータを開いた。

 

「全く、紙をなくすなんてS=W=Eもアホなことをやるもんだ。見づらいったらありゃしない」

 

 ナイアは小声で文句を垂れながら、その書を読み進めていく。特務隊の訓練で速読術も心得ていたため、千頁近くあるその書も、読み終えるのにそれ程時間はかからなかった。その上、彼女には天才的な記憶力もあった。目で見たものを絵として瞬時に脳に焼き付けられるその能力は、この時にも遺憾無く発揮された。全ての頁の内容を僅か30分ほどで正確に暗記すると、一息ついて立ち上がり、伸びをしながら退館した。

 

(根幹はG・Sや地球のものとほぼ同じだったな。S=W=E製のパソコンを取り寄せる必要がなくなって安心したぜ)

 

 夕日が差す帰路の途中で、ラッキーだとナイアはほくそ笑んだ。彼女は気分良く歩いていたのだが、寮の付近で、また紗夜と出くわしてしまった。しかも、今度はエルエル、ステラ、アルマリアまで一緒であった。

 

「そんな露骨に嫌そうな顔することないじゃん。ぷんぷん」

 

 笑みから一転、眉間に皺を寄せたナイアに、エルエルが頰を膨らませた。その彼女を無視して歩き過ぎようとすると、その肩をアルマリアが掴んできた。

 

「なんだよ」

 

「それはこっちの台詞ですわ。何に気を立てているのです?」

 

「言わなきゃ分かんねえのかよ。アルマがそんな馬鹿だとは思わなかったがな」

 

 彼女の手を振り払って、ナイアは彼女を睨みつける。それを対抗してか、アルマリアも睨み返した。二人の間に漂う一触即発の空気に、焦った様子の、引きつった笑顔を浮かべるエルエルが割って入った。

 

「と、とりあえず、アルマもナイアも落ち着こう? ね?」

 

「うるさいな。今、あたしはあんたらと友情ごっこやれる状況じゃないんだ。悪いが放って置いてくれ」

 

「友情ごっこって、そんなの言うことないじゃん!」

 

「喧嘩止めに入っといてキレてんじゃねーよ。とにかく、あんたらの知ってるナイア・ラピュセアは、今は死んでるってことだ。分かったらさっさと散りな」

 

 ナイアはそう言って、手で四人を追い払うようなジェスチャアをした。しかし、彼女らは顔を見合わせたまま動こうとしなかった。どうにも、納得できていない様子だった。そしてナイアがうんざりして去ろうとした時、ステラが声をかけてきた。

 

「もしかして、リナーシタ先輩のことで気が立ってる?」

 

「そうだよ。だけどそれがどうした? お前らどうせ、どちらかと言えばリーナを非難する立場だろうが。なあ?」

 

 ナイアは煽り口調で返した。すると、すかさず紗夜が一歩前に出て反論してきた。

 

「じゃあ、もしあれがシノン先輩じゃなくてステラでもナイアは同じこと言えるの?」

 

「余裕で言えるね。あの状況だったら、仲間とか何とかは関係無えよ。それに、何もやられたのがアンドロイドに限らなくてもあたしは納得できる。あたしも軍人で、昔は高官だったからな。敵を放置して100の害を貰うくらいなら、1を犠牲にして100の利益を優先するさ。高々1ヶ月くらいしか命懸けの戦いを知らないあんたらとは違うんだよ」

 

 ナイアは即答し、それから四人を小馬鹿にした。押し黙った彼女らを見て、反論の材料が尽きたと見たナイアは、何も言わずに踵を返して自室に向かった。すると、寮の廊下で、今度は夏菜と遭遇した。

 

「よう、順調かい?」

 

「大体の絞り込みは済んだよ。ちゃんとした結論を出すのは、長く見積もってあと二日要るかな」

 

「長く見積もって、ってことは概ね明日には終わるわけだな。あたしの方も明日には片がつくと思うぜ」

 

 ナイアは胸を張って告げるが、夏菜は浮かない顔をしていた。そして彼女は辺りに誰もいないことを確認してから、ナイアに耳打ちしてきた。

 

「本当に大丈夫? EGMAにハッキングだなんて」

 

「使うパソコンも回線もダミーだし、用が済んだらどれも木っ端微塵に粉砕するから問題ねえよ、多分」

 

「多分て」

 

「安心しろい。あたしも長いこと特務にいたんだ。やべえって感じたら早々に身を引くさ」

 

「そう、なら良いんだけど」

 

 そう呟くように言うと、夏菜はナイアから離れた。それから互いに別れの挨拶を交わし、ナイアは自室に戻った。

 

「さてと、準備準備」

 

 ナイアは、予め用意しておいたパソコン機器諸々を、整理して箱に梱包材と共に入れていく。久しぶりのスパイらしい活動に、彼女は高揚していた。事が対象に露見したらどうなるかということまで含めて、胸が高鳴る。このような過度なストレスがかかる作業は、使命感だけでは不可能で、楽しまなければやっていけない。これはナイアのモットーだ。

 

(めんどくさがりのボケた高一演じるのも飽き飽きしてたからな。こんなエクスタシー、いつぶりだろうな)

 

 先程まで紗夜らと口論していたこともあってか、いよいよ覚醒剤を服用したかのように興奮が絶頂に達してきたため、ナイアは一旦深く呼吸して、気持ちを落ち着かせた。

 

「やるのは深夜だってのに、今からこんなに興奮してもしょうがないだろ。てか興奮してどうする。ブランクのせいかな」

 

 ナイアは、そのように独り言を言うと、時計を確認した。19時前で、夕飯にはちょうどいい時間だ。統合軍の仲間も何人かいるだろうと考えて、財布片手に食堂に出かける。

 

「うわあ」

 

 食堂に着いたナイアは、思わず間の抜けた声を出してしまった。G・Sの出身者の塊とそれ以外の塊とに、中央列のテーブルが境界線となって見事に分かれていた。昨日の時点では、まだ混ざり合っていたため、驚きは尚のことであった。

 幸いなことに、統合軍の側にも食券の自動販売機とカウンターはある。ナイアはそちらの方に向かっていると、統合軍の塊からも他の世界の塊からも離れた端の方で、細々と食事をするアインスとユニを見かけた。彼女らを認めると、ナイアは意地の悪い笑みを浮かべてそちらに足を向けた。

 

「よう、現職の特務のくせにウロボロスに精神操作されたアインスさんよ、元気かい?」

 

「うん」

 

 ナイアがアインスに小声で嫌味を言うが、彼女はドーナツを頬張りつつ、ナイアの方を見ずに無表情で答えた。

 

「悪態を吐くだけなら離れてくれ。食事が不味くなる」

 

 ユニもナイアを見ずに、蕎麦をすすりながら告げる。しかし、ナイアは足を一歩も動かさず、侮蔑の視線をユニに向けた。

 

「あたしの飯は上手くなるんでな。それに売国奴の非国民風情がいくら真っ当なこと言ったって、全く心に響かねえな」

 

「まだ、根に持っているのか」

 

 ユニは箸を持つ手を止め、俯きがちになって呟いた。ナイアはその彼女の行動を鼻で笑い、この場の彼女も含めた三人にのみ聞こえる声で言う。

 

「何寝ぼけたことほざいてやがる。あんたらの裏切りが無けりゃ、今頃あたしたちはここに居ない。ウロボロスなんて面倒なやつの相手をせずに済んだかもしれない。もっと言えば、縁もゆかりもない連中のために命を張らなくて済んだんだ。誰があんたらの所業に恨みを持たねえって言うんだ」

 

 ナイアは静かに怒りを込めながら告げた。その一言で、ユニは完全に押し黙ってしまった。それに気分を良くしたナイアは、彼女の口惜しそうな表情を尻目に、食券の自販機に向かう。そこで塩ラーメンの食券を買ってカウンターに出し、ブザーを渡されてから、ルルーナたちのいる集まりに向かった。

 

「よっ、混ざっていいかい?」

 

「うん、いいよー」

 

 ルルーナはサイコロステーキを食べながら答えた。ちょうど彼女の向かいの席が空いていたので、そこに腰を下ろす。

 

「ラピュセア少佐、じゃなかった中尉、どうだ? いい酒が今日手に入ったから、今夜私の部屋で一杯やらないか?」

 

 隣に座っていたナタク・ヴリューナが、上機嫌な様子で話しかけてきた。彼女はルルーナやリーリヤの所属する統合軍第一大隊の隊長で、大学院の方に学生として通っている。また、ナイアとは士官学校時代の同期であるため、そこそこに仲が良い。しかしながら、ナイアが中等部に留学したために、これまで話す機会が無かったのだった。

 

「悪いが、今夜は用事があるんでね。徹夜で呑むなら、まあ付き合えんこともないが」

 

「じゃあそうしよう。明日は休みだし、二日酔いしても問題ないだろう」

 

「何やら楽しそうなことを計画しているではありませんか。私も混ぜてくださいよ」

 

 後ろからそう話しかけてきたのは、ユウヒ・ライクールだ。彼女もナタクと同じくナイアの同期で、大学院の方に通いながら統合軍第一大隊の副隊長を務めている。彼女が手ぶらでいるところを見ると、どうやらつい先ほどトレーをカウンターに戻してきたようである。

 

「ユウヒも混ざるとなると、プチ同窓会みたいだな。あともう一人くらい、同期を呼んでも良さそうだけど」

 

「呼んでもいいが酒が足らんぞ。まあ、その辺は持ち寄れば済むことだろうけど、ナイアは一応高等部の身分だから、持ってくるのは無理だろう?」

 

 ナタクの言葉はもっともであった。この時ほど、ナイアは初めに中等部の学生として青蘭島に来たことを後悔したことはなかった。その口惜しさで固まっていると、ナタクともユウヒとも違う女性の嘲笑うような声が、ナイアの近くで聞こえた。ナイアは彼女の姿を見た瞬間、「げっ」と思わず漏らした。

 

「げっ、とは失礼ねェ。実年齢バラすわよォ、ナイア?」

 

「おいスレイ、バラしたらぶっ殺すぞ。つか何でここに居んだよお前。学生でも何でもねーだろ」

 

 その女性はスレイ・ティルダインであった。特務隊の中佐で、ブルーフォールでは強奪部隊を率いたほどの有能な人材だ。彼女もまた、ナイアたちの同期である。

 

「ちょっとした視察よ。でも用事は済んだし、同期のよしみであなたたちの酒宴に付き合ってあげてもいいけど?」

 

「えー、スレイも来んのか」

 

「私は構わんが、ティルダイン中佐も参加するとなるとこれはいよいよ酒を増やさないといかんな」

 

 難色を示したナイアに対し、ナタクは比較的好意的だった。ナタクの態度に好感を持ったらしいスレイは、彼女の方に寄っていった。

 

「ナタクはいい子ねェ。作戦行動中でもないのに同期の私を『ティルダイン中佐』って呼んでくれるあたりも、どこぞの特務から引退して降格した中尉とは大違いだわァ」

 

「うるせー馬鹿。オフなんだからどうでもいいだろ、んなこと」

 

「私もスレイと呼び捨てにしますし問題は無いでしょう。まあでも、スレイも来ることには賛成ですよ」

 

 ユウヒのその一言で、ナイアは軽く四面楚歌の状態となってしまった。それで、彼女は溜め息をついて頭を掻きながら、小さめの声で言う。

 

「まあ別に、スレイが来てもいいよ。むかつく野郎だけど、嫌いってわけじゃないし」

 

「あらあら、ツンデレってやつかしらァ?」

 

「そう思ってくれて構わんよ、別に」

 

 からかってきたスレイに対して、ナイアは気怠げに返した。否定などしたら彼女が調子付くのは火を見るより明らかだ。ここは抑えるに限った。

 ちょうどその時、カウンターで渡されていたブザーが鳴った。それでナイアは一旦席を外し、塩ラーメンを受け取ってからまた戻った。すると、着席して麺を啜り出した直後に、ナタクが話しかけてきた。

 

「しかしナイア、その年で高等部って楽しいのか? 結構、精神的な苦痛が大きいと思うんだが」

 

「楽しいこともあれば嫌ーなこともあるさ。まあ、今は一番楽しくないけどな」

 

「哀れねェ。私が手を回して、大学部の方に通わせてあげましょうかしらァ?」

 

「けっ、余計なお世話だよ。お前の助けなんか死んでも借りたくないね」

 

 面白がるようなスレイの申し出を、ナイアは一蹴した。

 

「こんなシケた話するより、もっと前向きな話しようぜ。例えば今夜飲む酒は何にするかとか」

 

「G・Sの酒は飲み飽きましたし、やっぱり地球産の方がいいでしょう。私は、ウイスキーでも持っていきますかね」

 

 ナイアの言葉にユウヒが乗る。彼女の言葉にナイアはありがたく感じた。旧友の前でいつもよりも気が緩んでいるとはいえ、負の感情まで出すのは好ましくない。

 

「じゃ、私はとっておきのものを持って行くわ。楽しみにしなさいな」

 

「私が手に入れたのも良いものだからな。どんなものかは今夜のお楽しみだ」

 

 スレイとナタクは口々にそう言った。スレイのとっておきが如何なるものか、非常に不安であったが、それだけに楽しみでもあった。ナイアはこれはいよいよ早くハッキング作業を済まさねばならんと意気込んでいると、ルルーナとリーリヤから羨望の眼差しを向けられていることに気がついた。

 

「ん? どうしたお前ら」

 

「いや、何でもないよ、うん」

 

 ルルーナは取り繕ったような笑みを浮かべて、首を横に振った。その横で、リーリヤも焦った様子で何度も首を縦に振っている。

 

「ルルーナもリーリヤも、来たいならいいぞ」

 

「ああ、いや、ホントに何でもありませんから。同窓会のお邪魔をするわけにもいきませんし」

 

「そうですそうです。どうかお気になさらずに」

 

 ナタクが誘うも、二人は遠慮し続けた。

 

「もしかしてスレイがおっかないからとかですか? なら大丈夫ですよ。こう見えて結構俗っぽくて、お茶目なところもある良いやつで、滅多に怒りませんし。あなた方が思ってるほど怖い人じゃないですよ」

 

 ユウヒもスレイを親指で指しながら説得に加わった。すると、スレイは彼女の肩に手を置いてルルーナとリーリヤに話しかけた。

 

「ユウヒの言葉はさて置いて、別に酒の席で粗探しなんてしないわよ。だからビビることなんて無いわァ」

 

 スレイは満面の笑顔だった。ナイアたちは昔から彼女を知っているから、その笑顔に他意はないことが分かっていたが、基本的に特務の中佐で記憶操作まで行える彼女の一挙手一投足は、他の統合軍の兵士を震え上がらせるものだ。事実、完全に恐れ慄いてしまったらしいルルーナとリーリヤは、別れの挨拶をして、一目散にその場から去ってしまった。

 

「あーあ、逃げられちゃったな」

 

 ナイアは麺を一口啜って、スレイにニヤニヤと笑いながら顔を向けた。対し、彼女の方は不満げに呟く。

 

「特務の左官としてはこれで良いのだろうけど、結構複雑ねェ」

 

「じゃあ、あたしみたいに特務辞めたらどうだ? そうすりゃイメチェンも楽じゃん?」

 

「私まで特務を抜けたら誰が残るのよ。真剣にあなたに復帰してもらいたいって思うくらい、今の特務はクズばかりなのよ」

 

 ナイアは軽口を叩いたつもりだったが、スレイの方は真剣な表情で答えた。その顔を見て、ナイアは何も言えなくなってしまった。特務を抜けたのは間違いだったかと、一瞬でも思ってしまったのだった。

 

(やっぱり、ブルーフォールは成功させるべきだったんだな。失敗が無けりゃ、カールとアイリスが謀殺されることも無かったんだから)

 

 ナイアは立場上決して口に出せないその思いと共に、麺を勢いよく啜り上げた。

 

        ***

 

 ナイアが話しているのを遠巻きから見ていて、紗夜は複雑な気分になっていた。彼女は決して上機嫌ではなかったが、彼女の見せていた表情は、どれも紗夜らが見てきたものとは違っていた。それが悪いということでもないが、彼女が言った、友情ごっこという言葉が、殊更に紗夜の心を苦しめた。

 

「やっぱり、私たちはナイアの普通の友達以上にはなれないのかな」

 

 紗夜と同じようにナイアを眺めていたエルエルが、ポツリとこぼした。その言葉に、ステラが比較的冷静に返す。

 

「波長が合わなくなったから、普通の友達も無理だと思う。あそこまで私たちと統合軍の人とで態度を使い分けてる所を見ると、私たちのことを見下していた可能性だってある」

 

「考えたくはありませんが、私もステラと同意見ですわ。さっきの態度も考えると、本当に私たちを下に見ていたんでしょうね」

 

 辛そうに、アルマリアはステラに続けた。すると、一緒に食べている生徒会のメンバーのうち、ソフィーナがどこか冷めた様子で言う。

 

「仕方ないんじゃないの。彼女、元々侵略者じゃないの。仲良くすること自体、幻想だったってことよ、きっと」

 

「ブルーフォールの失敗を根に持っている人は、まだここにいる統合軍の大多数が該当しますからね。だからといってブルーフォールを忘れろと言うのは、あまりに傲慢で、酷な要求です。今、統合軍の人と真の意味で友になろうと言うのなら、怨恨を一身に受け止める覚悟が無いと無理でしょうね」

 

 マユカは、淡々と、どことなく寂しそうに言った。多くのG・Sの出身者から恨まれる立場である彼女の言葉だからこそ、その言葉には説得力があった。

 

「リーナの件についての対立もあるしね。これに関しては、私たちの方に、流石に言い過ぎじゃないのって子も結構いるけれど」

 

「なんとかできたら良いんだけど、私たちが出しゃばったら事態の悪化を招きそうだしね。みんな仲良くできるのが理想だけど、それを振りかざしてどちらかを非難したら、溝は深まるよね、多分。今みたいな非常の事態だからこそ、溝を認めて妥協点を見つけなきゃ、理想に一歩近づくことすらできないと思うから」

 

 ルビーに続けて、美海が笑顔を消した真剣な表情で語る。ここ数日、紗夜には、彼女は余裕が無いように見えた。その理由は、どのように考えても生徒間の対立に違いなかった。ウロボロスとの戦いが始まった頃からその傾向はあったものの、リーナがシノンを、仕方なかったとはいえ殺したことがきっかけで爆発したと言える。彼女の理想と現実との乖離は深まる一方で、元に戻る望みも消え失せていた。しかも、穿った見方をすれば、彼女の唱えていた「みんなが仲良く、絆を大切に」という理想が浸透した結果、皮肉にもこの乖離を呼んだとも取れるため、彼女が疲弊するのも無理はなかった。

 

(私も、ナイアとの仲を無理に戻そうとするんじゃなくて、ナイアを理解して溝を認めた上で、新しい関係を築かなきゃな。絶縁されるくらいなら、そうしたい)

 

 紗夜は、再びナイアを眺めた。今の彼女は笑っていたが、その笑顔は紗夜が彼女と知り合ってから今日まで見てきた笑顔よりも、ずっと自然なものに見えた。図らずもそのことを認めたとき、紗夜の視界に靄がかかった気がした。

 

        ***

 

 誰がやったかの特定を少しでもし辛くするために、裏山の森でハッキングを済ませたナイアは、それで得られた事実に対して考え込みながら、酒を求めてナタクの部屋に向かっていた。

 

(まさかあんな思惑だったとはな。どうせS=W=Eの内ゲバだろうって考えてたのがとんだ計算違いだったよ、全く)

 

 やがてナタクの部屋の前に着いたのだが、静かな話し声が聞こえるだけで、酒宴とは程遠い静けさであった。不思議に思いつつドアを開けて入ってみると、その理由に納得できた。

 部屋にいたのは、180ミリリットルのウイスキーの角瓶を片手にポーカーをするユウヒと、その相手の、赤ワインの入ったワイングラスを片手にするスレイ、そして酔い潰れたらしく大きないびきをかいてソファで熟睡しているナタクであった。

 

「やれやれ、ナタクは爆睡しちまってるってのに、おたくらは酒に強いね、ホント」

 

 ナイアは、テーブルや床に乱雑に置かれた、大量の空の酒瓶や缶を一瞥して、呆れながらに言った。

 

「あたしの分の酒はどこだ?」

 

「ちゃんと取ってありますよ。ちょっと待ってください」

 

 ユウヒはゲームを中断して、ウイスキーをストレートで一口飲んでから台所に入り、そこから酒瓶と缶の詰まった紙袋を取り出した。ナイアがそれを覗いてみると、その殆どが地球産の酒であった。G・Sでは必然的に動物由来の酒一択となるので、バリエーションが多い方を望むなら、これは当然であった。

 それらを袋から全て出して眺めていると、ふと二本だけ雰囲気の違う酒瓶があることに気がついた。

 

「なんか高そうなワインと老酒があるな。スレイのとっておきがこのワインで、ナタクのいい酒がこの老酒か。あたしが来るまでこれ開けるの待っててくれたなんて、感動だなあ」

 

「私があなたに気を遣うなんて滅多に無いことだから、感謝することねェ」

 

 スレイがナイアにまとわりつきながら言う。先程までは彼女が比較的冷静に見えたのだが、どうやらちゃんと酔っているらしい。しばらくしてスレイは飽きたようにナイアから離れると、今度は寝ているナタクの方に寄って行き、その肩を揺さぶる。

 

「ナイア来たんだから、いつまでも寝てないで起きなさい、ホラ」

 

 しかし、ナタクは一向に起きる気配がしなかった。スレイも根気よく揺さぶってみるものの、ナタクの眉はピクリとも動かなかった。

 

「やれやれ、この酒は明日に持ち越すこととしましょう。明後日も休日ですから、問題はないでしょう。乾杯も明日に回しますか」

 

 ユウヒは、紙袋に老酒とワインを戻す。外せない用事だったとはいえ、ナイアが遅れたから彼女が寝てしまった。そのことを悪く思ったナイアは、ばつの悪い表情を浮かべた。

 

「ごめんな。あたしが遅れちまったばかりによ」

 

「気にしないでいいわァ。悪いのは、この、酒に大して強くもないくせにガブガブ飲んだナタクなんだもの」

 

 スレイがナイアを慰める。ユウヒもスレイに頷いて、ナイアの肩を叩く。どこか恥ずかしくなったナイアは、それを誤魔化すように、椅子に座って最も手近にあったビールの缶を開けて、それをぐいっと飲んだ。

 

「ぷはー、やっぱ酒はいいなあ。地球産のは久しぶりだからなおさらだ」

 

 喉が渇いていたこともあって、独特の苦味も爽やかな旨味に変わっていた。それからその缶の中身を全て飲み干して、恍惚のままに天井を見た。

 

「ああ、最ッ高! もう一杯だ、もう一杯」

 

 ナイアがそう叫ぶと、ユウヒが彼女の前のテーブルに目一杯氷の入ったグラスを置き、そこにウイスキーを注いだ。

 

「ほら、一杯どうぞ」

 

「ありがてえ。じゃ、早速」

 

 ナイアはそのウイスキーを一口飲む。どうやらユウヒはクセの少ないウイスキーを選んできたようで、ウイスキーとしてはまろやかで飲みやすかった。

 

「そうそうナイア。さっきまで何してたのかしら?」

 

 スレイが少し離れた所から、ワインを飲みつつ尋ねた。ナイアはグラスをテーブルにおもむろに置くと、浮かべていた笑みを消して答える。

 

「EGMAにハッキングしてたんだよ」

 

「あらァ、そんなこと簡単にバラすなんて、その歳で耄碌でもしたのかしら?」

 

「そんなわけないだろ。あたしたち統合軍にも関係ある話だからさ」

 

 ナイアがそう言うと、ユウヒとスレイの表情が引き締まった。酒が入っているにも関わらず、その意識の切り替えが早いことにナイアは頼もしさを覚えた。それを胸に、ナイアは得られた事実を告げる。

 

「EGMAの目的は人間全てをアンドロイドにすることだそうだ。S=W=Eだけじゃなく、G・Sも、地球も、D・Eも、T・R・Aも含めてだ。なんでも、『主』の世界を超えた、究極の秩序を持つ完璧な社会を作りたいんだとよ。で、その『主』から借り受けているらしいウロボロスを用いて、色々と悪さを始める予定らしい。こないだ亜空間移動してきたのがそのウロボロスで、あとシノンを丸呑みしたのは、反EGMA派の送り込んだヤツを解析してより正確な情報を得ようとしたかららしいぜ。いきなりリーナにやられたのは想定外だったみたいだが、それを利用して、反EGMA派のアイドル的な英雄にする予定だったリーナの評判を落とす工作をしたってことらしい」

 

 ナイアはそこで一息ついた。すると、すかさずユウヒが質問をしてきた。

 

「大体わかりました。ですが、その『主』というのはなんなのですか?」

 

「分からん。その情報を引き出そうとしたところで気付かれちまったんだ。まあとにかく、EGMAより上位の存在ってことは確かだな。で、ウロボロスは、『主』とかいうのが使役するのと、EGMAが使役するのに分かれていると考えて良さそうだな。こないだEGMAにウイルスを流そうとしたウロボロスは『主』が使役するものと考えれば、EGMAと『主』は敵対関係と取っても問題ないだろう」

 

「つまるところ、EGMAは『主』を超えたいわけね。アンドロイドはそのための手段、と。S=W=Eのアンドロイドがあんなに人間臭いのは、人間に成り代るための存在だからと考えても差支えはなさそうね」

 

 スレイはそのように纏めると、グラスに残っていたワインを一気に飲み干すと、怒りに拳を震わせながら言った。

 

「冗談じゃないわ。緑の世界の大地も人も空も水も社会も全て、私たちのものよ。それを訳の分からない余所者で、しかも人工物風情が()ろうなんて、生意気にも程があるわね」

 

「ええ。私も同意見です。それが真実ならば、S=W=E相手に戦争することとなっても構いません」

 

「あたしもだ。一発、灸を据えてやらなきゃ気が済まねえ」

 

 ユウヒに続けてナイアも、己が意志を表明する。三人は顔を合わせて頷き、それからスレイが口を開く。

 

「ナイアを疑う訳じゃないけど、とりあえず信憑性を強化するために、特務隊総勢で、明日からでも調査に取り掛かるわ。ハッキングの時、データとか抜き出してきたかしら?」

 

「当然。ほら、必要なんだろ」

 

 ナイアは統合軍の制服の内ポケットから、ハッキングで得たデータを保存した2テラバイトのUSBメモリを五つ取り出し、スレイに差し出した。彼女が受け取ってポケットに入れたのを見てから、ナイアは彼女に忠告する。

 

「ただ気をつけろよ。データの改竄の方は向こうも分かってて放置していたきらいがあったが、あたしのハッキングは想定外だったみたいだからな。とんでもなくセキュリティが強化されることもあり得ると思うぜ」

 

「だからこそ、特務隊総勢で調査にあたるのよ。異動のせいで有能なのが何人か更迭されたとはいえ、なんだかんだで各分野に秀でた選りすぐりのエリート部隊なんだから、舐めないで頂戴」

 

 スレイは胸を張って言った。それは自信の表れとも、虚勢を張っているとも取れた。食堂での会話のことを考えると、もしかしたら後者の方の確率が高いかもしれない。しかしそうだとしても、特務の外部の人間に力を貸してくれとかいうことを頼むのは、「各分野に秀でた選りすぐりのエリート部隊」という自負が許さないのだろう。ナイアはそう推測し、ただ一言「おう」と返した。

 

「この情報、他の者には知らせますか?」

 

 代わって、ユウヒがスレイに尋ねる。彼女はしばらく考えてから答えを出した。

 

「情報が確定するまでは他言無用にして。不要な混乱は避けたいわ」

 

「了解しました」

 

「それから、ナイアもね」

 

 ユウヒが応答した直後、スレイはナイアに釘を刺すように言った。つまりそれは、リーナにも話すな、ということだろう。

 

「ああ、分かってるよ。とにかく、情報が確定したらどうなる? S=W=Eとドンパチ始めるか?」

 

「流石にそんなこと決める権限は私には無いし、今の国力からいって、やるとしたら向こうが攻めてきた時になるわ。だから、することと言えば防衛体制の強化くらいね」

 

 スレイはどこか諦めたように言った。ブルーフォール後の大規模な体制の再編で、特務隊所属といえど、かつての権力は見る影もなく、その殆どが削られていた。流石に以前の特務隊の権限が強すぎたこともあるが、スレイは歯痒く思っているようだ。

 

「とにかく、EGMAは危険だということは確かだろう。なら、反EGMA派の組織を支援してやるのもアリじゃないか? EGMAが何かする前にそいつらに破壊してもらえばこちらの損害は少なくて済むし、恩を売ることもできる」

 

 いつの間にか起きて話を聞いていたらしいナタクが、先程酔い潰れて寝ていたとは思えないくらいハキハキと、三人の間に入りながら言う。

 

「ナタクの言うことにも一理ありますが、あなたいつ起きたんですか?」

 

「ナイアがハッキングしてきたとか言ってたあたりだな。祖国の危機とあっては、おちおち寝てもいられないからな」

 

 ユウヒの問いに、ナタクは爽やかに答えてみせた。その様子を見てから、スレイが全員の顔を見回しながら提案する。

 

「四人起きたことだし、今のうちにアレ、やるわよ」

 

 スレイはそう言うと、ナイアたちの反応を待たずに、彼女のとっておきの赤ワインを、四つのワイングラスに注いで、それを全員に手渡した。

 

「では、我らが祖国G・Sの繁栄と勝利に捧げて」

 

 スレイが全員の目を見ながら取った音頭に合わせて、四人はグラスを互い互いに打ち付けた。ガラス同士がぶつかる音が、ナイアの耳に心地よく聞こえた。




 前に全十二話の予定とか言った気がしますが、本作でアンジュの二次創作は最後にしたいので、全十八話の予定に変更します。
 その関係で、出す予定のなかったキャラクターがこれから結構出てきます。今回初登場となったナタク、ユウヒ、スレイもそうしたキャラクターです。次回にはレミエルも登場する予定です。
 次回からも拙作をよろしくお願いします。
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