若葉と、おまけで夕立も執務室に集合した。都合がいい。
「若葉。三日後に西郷提督がここへ参られるそうだ。ついてはここの大掃除と、西郷提督を迎えるにあたって必要なものを確認しておきたい。ここにいる連中の中で、西郷提督と面識のあるヤツはいるか」
若葉が、能面のような顔を動かして口を開いた。
「西郷提督とは、何度か話をしたことがある。おそらく他の艦娘は、遠巻きに姿を見たことはあるかもしれない程度だ」
「よし。では西郷提督がどういった人物かは後で確認させてもらう。まずは、大掃除の計画だ」
あきつ丸に探させた、建物の見取り図を机に広げる。
まだ残っているバリケードの残骸や、弾痕のある壁紙の交換などが必要な場所を若葉に確認し、だいたいどの程度の時間で片が付くかを話し合った。
「二日あればこの辺りはクリアできそうか。問題があるとすれば、北上と隼鷹がサボるかどうかだが。どう思う?」
「いつもはだらしないが、やるときはやる。安心しろ」
「安心できないから訊いてるんだよ。それで、もう一つ確認だが」
おそらく無駄な質問だろうが、奇跡を信じて尋ねる。
「清掃業者や給仕を一時的に雇い入れることは可能か? それも早急に」
「無理だ。民間業者もこの辺りにはない。別の単冠湾泊地から出向いてもらうことになるが、たぶん聞き入れてはもらえないだろう」
予想通りの回答を、煙管に詰めた煙草に火をつけながら聞き流した。
「そうか。では、臨時に給仕を任せられる艦娘は誰が適任だ?」
若葉の目が、執務室のドアのそばに立っている夕立に向く。
「だろうな。では夕立、お前に任務を与える」
「は、はい!」
子犬のように小走りに寄って来る。
「三日後、単冠湾泊地本部の西郷提督がお見えになる。当日は、予備泊地内で可能な限り快適にお過ごし頂けるよう、身の回りのお世話をするんだ。分かるか?」
「身の回りの、お世話っぽい?」
「そうだ。おもてなしをするんだ。経験はあるか?」
「えっと……〝いらっしゃいませ〟って言うっぽい?」
「ゲホッ!」
煙を肺に入れてしまった。
「だ、大丈夫っぽい?」
「大丈夫だと思うか……?」
助けを求めるつもりで、横に立っているあきつ丸を見る。頭が痛そうに目頭をおさえていた。
着任四日目に、俺は首を飛ばされるかもしれない。
「夕立。お前は大掃除に参加しなくていい。かわりに二日の間、俺が給仕の指導をする」
夕立は「え?」という、言っている意味が一瞬分からなかった顔で返事をし、あきつ丸が横で「はぁ⁉」という言葉をのど元で殺した雰囲気が伝わってくる。
「しょ、将校殿……」
苦虫をかみつぶしたような顔で、あきつ丸が抗議の意を示す。
「背に腹は代えられない。夕立が担当する掃除の穴はお前が埋めろ」
肉体労働なら艦娘に任せたほうが何倍も効率がいい。艦娘二人が抜けたら、それこそ二日で終えられるような大掃除ではないのだ。
あきつ丸なら、給仕の真似事もこなせるとは思う。
しかし、俺と同じ現役の陸軍所属――陸軍保有艦艇のこいつに茶を勧められて、古株の海軍提督がどのような感想を持つか予測ができない。
海軍が陸軍に対して抱く印象はけして良いとは言えない。
あの岡田提督の態度を鑑みるに、艦娘の提督だろうとそれは変わらないのだろう。
西郷提督がどういうお人なのか分からん現状で、迂闊にあきつ丸を給仕に据えるのは悪手だ。
大まかな掃除のプランを立て、北上と隼鷹を招集した。三日後に西郷提督が来訪されることを告げ、それまでにこのあばら屋司令部を、まともに人を招くことのできる程度に清掃する任務を各々に与えた。
北上と隼鷹は「無理無理」と渋い顔で答える。
「いいか。北上、隼鷹、あきつ丸、若葉の四名は、この見取り図に記したエリアから順当に清掃を行え。一か所につき二名の人員で取り掛かるように。壁や床、調度品に明らかな破損の見られる物があった場合は優先的に修繕するか、取り換えろ。できなければ、どうにかして隠せ。バリケードの残骸はいったん裏の洗濯機の前に置いておくんだ。掃除用具は一通りあるが、足りないものがあれば若葉に確認しろ。本日の作業は夕餉時まで継続せよ。以上。質問はあるか」
北上が一歩前に出て敬礼する。
「質問。夕立は掃除しないんですかー」
「夕立には、当日の給仕係を任せる。そのための指導に時間を割くため掃除には参加しない」
「えーずるい。あたいも給仕がいいでーす」
隼鷹が手を挙げる。
「お前、指を震わせずに茶を出せるのか?」
「馬鹿にしないでもらいたいね。そんくらい余裕」
「酒気を取るために前日は酒を控えてもらう」
「……やっぱり夕立が適任ですね! さすが提督は見る目がおありで」
隼鷹が一歩下がる。
「北上は何か言いたいことはあるか」
「なにも。暇ですし、きちんと掃除するのは気持ちいですし、私は文句ないですよ」
少しはやる気がありそうな顔で、追加の質問を思いついたらしく手を挙げた。
「誰が給仕の指導をするんですか?」
「俺だ。他に誰がいる」
北上と隼鷹が噴きだした。
「ま、マジで?」
「似合わないっすよ提督。ひひっ」
北上は笑うのをこらえているようだが、隼鷹は遠慮なく笑っている。
「性に合わないのは自覚しているが、そんなことを言っている場合ではない。他に質問がないなら、さっさと任務にあたれ。解散」
「了解!」
「わかった」
「はーい」
「はいよ」
四人が執務室を後にし、部屋には俺と夕立だけが残る。
そわそわと、居心地悪そうに部屋を見回す夕立。
「夕立」
「は、はい、ぽい!」
ぽい、というのは三日以内に直せないだろうか。
机の上に出しておいた、若葉に持ってこさせた備品の入った袋を指さす。
「……ここに給仕服がある。自室で着替えたら、メモ帳とペンを持ってここへ戻ってこい。わかったか」
「りょ、了解しました!」
敬礼もそこそこに、袋を抱えて執務室を飛び出していった。
夕立のいなくなった執務室の窓を開ける。
煙草の煙を外に逃がすためだ。
給仕服に煙草の臭いをつけるわけにはいかない。
今日はサイズがあっているかの確認も含めて着させるが、明日一日はいつもの制服でやらせよう。
「……くそったれ。俺だってやりたかねぇよ」
自ら指導を買って出たのは、消去法の人選にすぎない。
早々に提督の椅子を下ろされることはかまわないが、さすがに四日では死んだ清二に笑われるだろう。既に笑っているだろうがな。
実家にいた頃、奉公に来ていた娘たちの働く姿を必死に思い返していたところで、夕立が戻ってきた。
「お待た――ただいま戻りましたっぽい!」
扉を開けた夕立は、部屋に一歩踏み入って敬礼した。
台所の奥にある倉庫で、埃をかぶった箱の中に放置されていた未使用の給仕服。
英国のメイドが着用していた物を元に作られており、汚れが目立たない黒で染められている。安物らしく、厚ぼったい生地のロングスカートは重そうに見える。簡素な白い前掛けをその上につけているが、装飾性はいっさい排された仕事のための服装だ。
「着付けは問題なかったか」
「はい! ぴったりっぽい。……どこか、変ですか?」
楽しそうに、くるりと一回転して着心地を確かめている。
大していい服でもないのに、何を喜んでいるのだろうか。
「いや。だが髪は後ろに束ねろ。茶や料理を運ぶときに不衛生だ」
「了解っぽい。だったら、三つ編みのほうがあんまり動かなくていいっぽい?」
「……」
夕立はポケットから輪ゴムを出して髪を束ねた。
「……なぁ、その〝ぽい〟は、いつから言うようになったんだ?」
先ほど注意をしたのにも関わらず、一切直す気配はない。
何か、その言葉を発する理由があるのだろうか。
「あ……ごめんなさいっぽ――」
言いかけ、口を手で押さえる。
「――すみません」
許しを請うような、怯えた目で俺を見る。
部下に注意をして、そんな目で見られたことなどなかった。
だからだろうか。これからしようとしている事に、とてつもない抵抗感を覚える。
嫌われる覚悟を固めるため、大きくため息をついてから言葉を発した。
「三日後に来訪される西郷提督は、清二よりもさらに階級が上のお方だ。そんな方にお茶を出して、料理を出して、必要があれば軽く話をする機会もあるだろう。その時、お前は語尾に〝ぽい〟をつけて話をしてもいいと考えているのか?」
俺が言うと、夕立は涙目になって俯く。スカートのすそを両手で握っている。
「さっきも言ったはずだ。それは上官に対してありえない言葉遣いだぞ。お前は俺の命令を訊く気はないというのか? ここは確かに戦力外の泊地で、お前らが帝国海軍において何の貢献もできんお荷物だということは知っている。だが、だからと言って兵卒としての役から放免されると思ったら大間違いだ。清二はこのことをどう思っていた? もし清二が、親しくもない上官にも砕けた言葉遣いで接することを許していたとしたら、俺はあいつに失望するぞ。お前は今、清二の顔に泥を塗っているんだ。死人に鞭を打って楽しいのか。お前らをかばって死んだ男に恥を上塗りして、恥ずかしいと思わないのか」
叱咤を連ねるたびに、夕立の目が歪んでゆく。
俺の言葉が、こいつの心をえぐり取っていくのが手に取るようにわかった。
同時に、俺自身の中にもやりきれない重みが募り始める。
子供を泣かせて、俺は何がしたいのか。
しかし、態度は徹底的に正さねばならない。
俺が陸軍で学び、実行してきたことだ。部下にナメられて、痛い目を見るのは俺自身とその部下、そして周りの部下たち全員なのだ。指揮系統の乱れが命に関わる戦場において、上下関係は鉄の理だ。
夕立に詰め寄る。彼女は、返事もせずにうつむいている。
殴るべきだ。上官が話している間に顔を伏せる馬鹿がいるか、と。
平手をかまそうとした。しかし、彼女の震える小さな肩を見て、思いとどまる。
俺がこうして相手してきた部下は、こんな華奢な少女ではない。体力だけが自慢の生意気な小僧どもだ。
そんな連中と彼女を、同じように扱って有効なわけがないだろう。
そう結論付ける頃には、叱る気力も底をついていた。
黙っていると、夕立の涙が床にぽろぽろと落ちる音が聞こえた。
「……チッ」
お手上げだ。
俺にはもう、どうすればいいか分からない。
役に立たない経験に従ったが為に、部下に嫌われただけの散々な結果となった。
未経験である以上、提督として自分が無能であることは当たり前だ。しかし、そんな言い訳で彼女の心を傷つけた事実が許されるはずがない。
ひどく煙草が吸いたかった。煙の代わりに、大きくため息を吐いた。
「……すまん。言葉が過ぎたな」
やはりこの小娘は、軍人じゃない。
途方に暮れて窓の外に視線を逃がすと、夕立が震える声をあげた。
「提督さんは、悪く、ないです。悪いのは私っぽ……です」
鼻をすすって言葉を続ける。俺は夕立から目を離したまま聞いていた。
「私、一度も実戦に出たことないんです。模擬演習で一度も合格できなくて、ずっとずっと訓練ばっかりやってました。結局、ここに来たのも訓練したって無駄だって判断されたからです。私は何やっても、ダメなんです……」
艦娘になるためには、数々の体力テストと健康診断に合格し、面接や筆記テストを経て適正を認められる必要がある。
最近の適正試験はかなり難しくなったと聞いている。少なくとも、そうした試験を乗り越えるだけの資質はあるはずなのだ。
それでも、戦場に立つ才能はなかった。ということか。
「……泣くな。給仕服が汚れる」
耐え切れず、煙草盆を机に出して煙管を手に取った。
何と声をかけるべきか、考える猶予も欲しかった。
開けた窓の前に立ち、煙管に火をつける。背後でしゃくりあげる声がおさまるのを待ってから、煙管から口を離した。
「……聞かせてくれ。なぜ、艦娘を続けているんだ」
才能がないのに、なぜ解体をしない?
直接そう訊くのはためらわれた。おそらくもっとマシな話題を振るべきなんだろうが、俺にはこの程度に話を逸らす以外に何も思い浮かばなかった。
純粋に興味が沸いたことも理由だが。
「……さっき、若葉ちゃんにも聞かれ、ました」
いくらか落ち着いたからか、まだ鼻をすすりながらも少し笑った。
「私、三女なんです。年の離れた姉が二人います。二人とも奉公に出てるんですけど、家の借金を返すまでにはぜんぜん仕送りが少なくて……。父は、帝国海軍に在籍してました。父がいる時はまだよかったんですけど、五年前に深海棲艦との闘いで戦死しました。遺族恩給もあんまりあてにならないので、私が働きに出るしかなかったんです。下手な奉公先に出ちゃうより、艦娘になるのが一番稼げるからって、母に頼まれて……」
俺はまた煙管を噛んだ。もう火皿の煙草は灰になっている。
「たまたま、父の親しかった同じ軍人さんに艦娘の採用に関わってる人がいたんです。母が頼み込んでくれて、どうにかして私を試験に合格させてくれました。たぶん、試験結果はボロボロだったと思うんですけど……」
なるべく「ぽい」を出さないようにしているのか、途切れがちに話す。
「不正入隊ねえ。艦娘でもそんなことがあるとはな」
誰が得をするというのか。これが一般兵卒の試験の話ならば罪に問われるが、艦娘の場合も例外ではないはずだ。
そんな形で入隊したヤツが戦争で役に立つはずがない。訓練で脱落するならまだいい方だ。どちらにせよ長生きできまい。
「なおさら、はやく解体して家に帰るべきだ」
解体と言った直後、夕立が息をのむ気配がする。
「で、でも! 私ががんばらないと、お母さんが……」
「母親はどうしてるんだ。働けないのか?」
「……お母さんは、そういう人じゃ、ないので」
隠すというより、恥じ入る、というニュアンスで濁した。
まあ、娘を死地に売り渡すような母親だということだろう。
「これ以上君が艦娘を続けたところで家計の助けにはならん。今や深海棲艦も絶滅寸前だ。のし上がるチャンスは、まともな艦娘にだってあるもんじゃない。無理に実戦に出て死ぬより、別の仕事を探した方が家のためだ」
煙管の灰を窓の外に落として、夕立を振り返った。
「……解体は……怖いんです。昔の自分に戻れるわけじゃ、ないですから」
ぎゅっと胸元をつかんで、夕立はいった。何かを乞うような目で、見つめられた。
俺は少し怪訝に思った。
艦娘は、解体処分を行えば普通の女の子に戻れるという触れ込みで募集をかけている。
それが偽りであることは公然の秘密であり、本人らがそれを知っていてもさほど驚くべきことではない。だが、着任してそれほど期間のない夕立が、躊躇するほどにそれを認識しているのはなぜだ?
最近の研修では、きちんと教えているのだろうか。
「確かに。だから、無理強いするつもりはない。もとより実戦に出ない泊地だからな。ゆっくり覚悟を固めればいいさ。その時はいつでも言え、手続してやる。しかし遅かれ早かれ、この泊地がなくなれば選択の余地がなくなるかもしれんことは忘れるなよ」
夕立は、俺の言葉を聞き漏らさんとばかりに、俺の目をじっと見つめたまま話を聞いていた。泣き顔は、ゆっくりと解けているようだ。
煙草盆に煙管を置いて、椅子に座る。
「母親に負い目を感じるのは仕方ないが、君の人生は君のものだ。帰って母親に叱られたとしても、〝こう育てたのはアンタです〟って言い返してやるくらいがちょうどいい親子関係だと俺は思うがね。今のうちに、艦娘をやめた後の仕事を考えておくのがいいんじゃないか。料理が得意なら、本州で増え始めた洋食屋でもやってみるのはどうだ。スパゲッチとか言ったか。俺のいた札幌にはまだ見たことがないから、流行るかもしれんぞ」
在籍している艦娘の経歴資料を探して、早めに目を通しておいた方がいい。
そんなことを考えながら適当に話していると、夕立が笑い出した。
「――アハハっ それ、清二提督も同じこと言ってたっぽい!」
唐突な笑いと答えに、俺は二の句をつげなかった。
「清二提督も、スパゲッチ食べてみたいって言ってたっぽ――あっ……すみません!」
「ぽい」を思い出したようで、笑顔を引っ込めて頭を下げる。
「……かまわん。今後もぽいを使って話すことを許す」
叱るのも面倒になりそういうと、夕立はまた笑顔を取り戻した。
「さっきの話だが、その「ぽい」はいったいどこで身についたんだ? 家でか?」
「いいえ。艦娘になった時、ほかの夕立がみんな語尾に「ぽい」をつけてたんですっぽい。なんか、夕立の間で受け継がれてる伝統らしいっぽい? 艦娘って、同型艦でも違う名前が何隻もあるっぽいので、昔はそれぞれ個性が違った方が管理者側も識別しやすくなるって理由があったっぽいです」
今の話の中のいくつかの「ぽい」は、本当に認識が曖昧な意味で使っているらしい。
「昔は、だろう?」
「はい。同期の子たちは、アクセサリーみたいな感じで使ってたっぽいです。私は……その……」
少し顔を赤らめた。
「せめて、特徴だけは夕立らしくなりたいって思って……」
成績が悪いことの裏返しだろう。
本名を訊いてみようかと思ったが、やめた。無意味なうえに、職務上は避けるべきだ。
「そうか、わかった。ということは、他の提督も夕立は「ぽい」をつけて話をしていることは周知の事実ということだな。古株の西郷提督もご存じのはずか……」
ならばそこまで目くじらを立てずに隠す必要はないかもしれない。
「で、でも! 夕立、がんばって普通にお話するっぽい。提督さんが恥ずかしくないようにするっぽい!」
「その意気やよし。あまり期待はしないでおこう」
「ひどいっぽいー」
夕立が頬をふくらせる。
彼女が、ころころと表情を変えるのが面白く思えてきた。
「……提督さん、笑うとますます清二提督に似てるっぽい!」
「……ゴホンッ」
咳払いをし、表情を改めた。
「さて。まずは当面の問題から解決するぞ。さっそく給仕の指導を始める」
「了解っぽい!」