「あらよっと」
隼鷹は、角材の破片を台車に積んで手をはたいた。
清掃二日目。これでバリケードの残骸はあらかた撤去できた。
「なぁ北上ぃ。これ裏にもってくけど、何か必要なモンあるか?」
背後で、壁の弾痕からドライバーで鉛玉を取り出していた北上に声をかける。
「んじゃあ、白の壁紙もってきて。あとそこのカーペットのコゲ隠したいから、適当な置物とかあったらお願い。たぶんカーペットの替えはもうないでしょ」
「へーい」
返事をし、じっと北上を見る。
「……なにさ」
「それ、いちいちホジくらなくてもいいんじゃないの? 上から壁紙で覆っちまえば」
「覆ったらここだけデコってなって不自然でしょ。あと張りにくいし」
「几帳面だねぇ……。どうせ近いうちに、この司令部からオサラバすんだぜ? そこまで気にする必要ないって」
北上は「うーん」とうなり、ドライバーを見つめた。
「……ここでできること、できるだけしたいんだよね」
「は?」
「隼鷹さ、清二提督がいた時、楽しかった?」
唐突な質問に、隼鷹は言葉を詰まらせた。
「えっと、そりゃあ……。まぁね。酒にも付き合ってくれたし、他のメンツと愚痴ったりするのは悪くなかったけど」
「だよね」
北上は、次の弾痕にドライバーを入れた。
「ここってさ、戦闘ないじゃん? よそからは嫌な目で見られるけど、ある意味あたしらを守ってくれた家みたいな感じがしてさ。ちょっと愛着があるんだ」
ドライバーの先が、埋まっていた鉛玉を弾きだす。隼鷹は、足元に転がってきたそれをつまみ上げた。
「……アタイは、もうちっと戦場に出たかったな」
手の中で、つぶれた目玉焼きのような塊をもてあそぶ。
「そこは意見が合わないね。参考までに、理由を聞いても?」
「何言ってんだよ! 艦娘になったのは、深海棲艦と戦うためだろうが。それが嫌なら、艦娘になんかハナからなりゃしねぇだろ」
「そうだよねぇ……」
北上は、ひたすら弾痕に向かっている。
「……わりぃ、ちっとだけ違うわ。アタイが艦娘になった理由」
「お互い様だよ。あたしも、わけわかんないこと聞いてゴメン」
最後の弾痕から、ポロリと鉛玉を落とした。
「……もう少し、ここにいたかったなぁ」
ぼんやりと、空いた壁の傷跡を見てつぶやいた。
「……そいつぁ、意見が合うね」
北上が振り返る。二人はフッと笑って作業を再開した。
単冠湾泊地本部の将官から入電を頂き、西郷提督の来訪時間を伝えられていた。
黒塗りの公用車が、予定時刻ぴったりで司令部に横付けされる。
到着前から整列して待っていた俺を含む予備泊地の面々は、敬礼でそれを迎えた。
最初に降り立ったのは、運転席にいた若い将官だ。彼も提督らしく、白い正装に帽子を目深にかぶっている。
慣れた動作で、後部座席のドアを開いた。
車から足よりも先に降り立った杖の先が、乾いた音を立てる。
降り立つその姿は、軍服姿でなくとも戦場に生きる者であることが分かるだろう。
顔に刻まれた深い皺が年齢を感じさせるが、偉丈夫ともいえる大きな体躯をしている。膝を悪くされている様子ではあるが、精錬された身のこなしはまさに軍人の鏡のようだ。
この人が、西郷克己提督。噂に違わぬ古強者らしい。
隣に座っていた女性が、反対側のドアを開けて降り立った。
橙色を基調にした、非常に軽量化されたセーラー服を着用している。頭には鉢金を巻いており、恰好から推察するに彼女も艦娘なのだろう。
俺の前に立つ西郷提督の隣に、小走りで駆けつける。
お二人と、運転していた将官から敬礼を頂いた。
「単冠湾予備泊地司令部所属、臨時の提督を勤めさせて頂いております。本間清一少尉であります。この度はご来訪頂き、まことに光栄であります」
西郷提督は頷いて、敬礼を解いた。それにあわせて、艦娘と将官も手を下ろす。
「単冠湾泊地司令本部、西郷克己大佐と申します。引っ越しもままならない時に押しかけてしまって申し訳ないな。……あぁ、楽にしてくれたまえ」
口を開けば、印象とはまるで正反対なほど穏やかな話しぶりだった。
「はっ ありがとうございます」
敬礼を解く。背後の連中も、俺の後に手を下ろす気配がする。
「うむ。やはり最近まで内地の兵役を勤められていただけに、きちんとしておられるな。もう察しがつかれていると思うが、艦娘司令部の仕事が長いと振る舞いがおろそかになってしまうものでな」
なんとなくわかる。もとは軍人でない女子に囲まれて過ごしていれば、態度も乱れてしまうものだろう。
「光栄であります。心得ておりますのは陸将の振る舞いでありますが、西郷大佐にそのようにおっしゃって頂けるとは恐れ多い。お寒いでしょうから、まずは中へどうぞ」
「そうさせてもらおう。ああ、その前に」
隣の艦娘へ目を向ける。
「彼女は、秘書艦の神通だ。よろしくしてやってくれ」
紹介された艦娘は、やさしげな雰囲気で会釈した。
「軽巡洋艦、神通です。今後とも宜しくお願い致します」
戦時にも着用すると思しき身なりには不釣り合いだが、立ち振る舞いはまさに令嬢と言えるものだった。身分の高い家の出身なのだろうか。
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
軽く挨拶をかわし、二人を司令部に招き入れた。運転していた将官は、車で待機している。
廊下を進み、執務室へたどり着く。扉の前で待機させていた夕立が、二人に頭を下げて扉を開いた。
「ほお。艦娘に給仕を任せておられるのですか?」
先に執務室へ入られた西郷提督は、部屋の真ん中に用意させた上座のソファに座って口を開いた。隣に神通も座る。
向かいのソファに、俺は腰を下ろした。夕立は、一礼して部屋を出る。
「無作法をお許しください。なにぶん人手がないもので」
「いやいや、感心しました。まだ会って間もないというのに、ああした仕事を任せられるような信頼関係を築かれているとは」
「恐縮です」
おそらく冗談か世辞だろう。会って間がなくとも、俺が彼女の上官である以上は命令すれば従うのが当たり前だ。
「艦娘というのは、自由な者が多いですからなぁ。儂も初めて会った時は苦労しました。本間少尉は、初めて艦娘とこうしてまみえて、いかがですかな」
「……正直に申し上げますと、戸惑いが大きいところです。今まで預かってきた部下は、叩いて鍛えられることを崇高に感じるような男ばかりでしたもので」
俺が言うと、西郷提督は大きく笑った。
「はっはっは、そうでしょうとも。儂も艦隊を預かるまでは、やんちゃな小僧どものあやし方しか知らなかった。しばらくは、逆に艦娘たちの尻に敷かれるような気分で指揮をとっていたものです」
西郷提督の笑顔がひきつる。見れば、隣の神通がゆっくりと西郷提督に笑顔を向けたようだ。目が少し冷たい光を帯びている。
まさか、先ほどの評価は冗談でも世辞でもないのだろうか。
扉が軽くノックされた。
「お話し中、失礼いたします」
片手にお盆を乗せた夕立が入ってきた。
「お飲み物をお持ちしました」
ソファに挟まれる形で置かれている机の上に、夕立はお盆を置いた。お盆には、三つの湯飲みが乗っている。
俺が教えた通りの順番で、西郷提督から俺たちの前に湯飲みを分配した。
「ありがとう。よく指導されておられる」
「お、お褒めにあずかり光栄です!」
緊張しきっており、ついお盆を抱きそうになっている。
夕立はギクシャクと一礼して、部屋を出た。教えた通りの動きをしていれば、扉の前で待機しているはずだ。二時間経過したら、言われなくてもお茶のお替りを汲みに行くように教えてある。
「彼女は、夕立ですな。いつもの〝ぽい〟が出なかったのは、そう教えられているのですか」
「はい。彼女らにとっては、とても意味のある語尾だと伺っておりますので、普段は強制しておりませんが。……やはり、他の夕立も〝ぽい〟をつけて話をするのでしょうか」
「うむ。そこが彼女らの可愛いところだよ。しかし、あの口癖を封じられるほど信頼を得ておられるとは、恐れ入りましたなぁ」
どうやら、〝ぽい〟の指導は完全に無駄だったようだ。
「信頼を得られているかどうかはわかりませんが、西郷大佐のお目にそう映られているのであれば、確かなのでありましょう。短い付き合いになるとはいえ、運がいいと思っております」
「確かに。短期間とはいえ、彼女らに提督への信頼感を忘れさせずおくことはとても大切だ。次に彼女らが着任する司令部でも、司令官との関係を良好に築こうという意思を失わせてはいけない。それが何より大切なことです」
言葉を切り、お茶を手に取る。
「本間少尉。儂はあなたを間に合わせの提督とは思いません。だからこそ、知っておいてもらいたい。提督と艦娘の絆がどれほど大切なものかを」
お茶をすすり、軽くため息をつく。
「ふぅ。神通、少し席を外してくれんか」
「了解」
神通は、俺に軽く頭を下げて立ち上がった。
「夕立が控えておりますので、応接室まで案内させましょう」
「ご厚意痛み入ります。ですが、私も付き人なので、扉のそばで待たせてもらいたいのですが、構いませんか?」
西郷提督に目を向けると、笑顔で頷いた。
「わかりました。では、何かご不便があれば夕立にお申し付けください」
「ありがとうございます」
神通が部屋を後にする。
「悪く思わんでください。神通は、少し神経質なところがありまして」
「いいえ。常に上官のことを考えての行動がとれるのは理想的なことです」
「そう言って頂けるとありがたい。さて、艦娘との絆についてですが……。少尉、あなたは先ほど、艦娘の扱いについて戸惑いを覚えられたとおっしゃっておりましたね」
「はい。私が今まで指揮をとってきた部下とは、真逆でした。私の知る、上官と部下の絶対的な軍人としての信頼関係ではない。命令は絶対的な物であるという、恭順的な思想を彼女らは持ち合わせていない。そんな風に思えます。一応確認させて頂きたいのですが、これは、ここが予備泊地だからなのでしょうか?」
俺の質問に、西郷提督は笑顔で首を振った。
「いいや。艦娘とはそういうものなのですよ。なぜなら、彼女らは軍人としてここにいるわけではないのです」
再びお茶をすすり、続ける。
「彼女らは、もともと軍事訓練を受けたことのない女性たちです。我々兵卒は入隊前に、それまでの〝国民〟であるという自意識を、それを守る〝軍人〟である、という意識に作り直される事から始まります。先ほど少尉のおっしゃられた恭順の思想は、ここで初めて芽吹くものです。軍隊とはどういう組織か。自分たちが軍という共同体の部品であることを徹底的に教え込まれる過程です。だが、彼女らにはそれがない。それが、どういうことか分かりますか」
国に忠を尽くすための人格形成。肉体と精神を厳しい訓練によって追い詰め、今ある自意識を消し去る。上官から下される命令に自尊心を何度も崩される生活の中で、己は個の人間ではなく軍を形作る一部であるという意識を育むのだ。全体を機能させるためには、自愛を捨て与えられた使命を全うすべし。それが自然にできるようになれば、軍人の第一歩だ。
だが、全体の一部品としての意識のない者にとって、どのような命令や任務も単なる〝行動の指針〟としか認識できないだろう。一般人と軍人では、任務に対する絶対性の認識はまるで違う。
軍事の任務とは、それを達成できなければ国の安泰に関わる。俺たちの失敗で、国益が大きく失われる可能性もある。そうなれば、自分の身内が貧しい思いをすることになる。敵国の侵略が進めば、やがて命さえ脅かされる。その責任の担い方が違うのだ。
軍人ならば同じ任務を与えられた者たち全体で、必要な勝率を得るための手段と犠牲を尽くして敵から勝ちを得るよう動く。時には部隊の中で自分だけ危険を冒すことも、勝つための最善策として納得できるのであれば志願さえ厭わない。
己が犠牲となる可能性よりも、任務達成の可能性を優先する。
しかし、そうでない者が〝勝て〟と命令された場合。
もちろん、作戦上自分が取るべき行動は分かっているかもしれないが、国の勝ちではなく〝己の勝ち〟を求める。
勝てたとしても、自分が死んだら意味がない。そう考えるはずだ。
己の技量では賄いきれない、どうやっても誰かが死ぬ事を想定せざるをえない戦況に放り込まれた時点で、彼らは敗北を受け入れる。彼らの想定できる最低限の被害は怪我までだ。
国に、任務に対して己が捧げられる物に、命までは含めていないのだ。
戦争は命の奪い合い。奪うのだから奪われることもある。
当たり前の事だ。しかし、普通の人間には到底覚悟などできるものではない。
己が死ぬくらいなら、ここは負けを受け入れて出直そう。任務は失敗だが、次の機会に勝てばいい。
一般人の闘いとはそういうものだ。結果に犠牲の伴わない〝試合〟なのだ。
「……軍人ではないままに戦場に出る。スポーツのような感覚で戦っているということですか」
「そうです。もちろん、戦争を競技や遊びとは思っておらんでしょう。ですが、ひと月前までお裁縫の勉強に熱心だった女子が、突然最新鋭の兵器と強靭な肉体を得たからといって、国防に命を捧げる兵士の心まで得られるわけではない。彼女らは誰の命令でもなく、いち個人の決意をもって戦争に加わることを選んだ者たちなのです」
言われてみれば、腑に落ちる話だ。
彼女らの多くは軍人のように、それで終生メシを食っていくつもりはない。〝普通の女の子に戻れる〟という謳い文句が効力を持つ意味がそこにある。
「なるほど。ただただ平和な生活を取り戻したいがために、戦う道を選んでいるということですか」
「おおむねの艦娘は、そうでしょうな。例外もおりますが、深海棲艦を絶滅させた後も一生艦娘でありたいと願う者は稀有でしょう。さて、ここで一つ懸念すべき点があります」
西郷提督は、人差し指を立てて声を潜めた。
「戦争を終え、艦娘をやめた後の平和な生活を目指して戦う彼女らは、戦争で命を落とす覚悟がどれだけあるでしょうか。艦娘の多くは、戦争を終えた平和な生活に戻ることを念頭に戦っている。平和な世界に〝生き残る〟ために、です。そんな者たちが、自らの生命が脅かされる可能性のある任務や命令を与えられたとして、素直に従えるでしょうか」
無論。平和に生きることしか考えない者が、死ぬかもしれない命令に従うはずがない。
与えられた任務に従事することこそ存在意義。そこに戦死の可能性など関係ない。それが軍人だ。
もし死ぬ可能性のある命令が与えられた場合、その任務の成否が国の安泰に繋がるのであれば、自らに課せられた義務として納得する。理想的な軍人というのは、度を超えた愛国者のようなものだ。
だからこそ、死地に赴くことに怯えず、苦しまず、後悔しない。
戦争を地獄ではなく、心の寄る辺である国家へ奉仕する機会と考えられる意識があるからこそ、俺たちは軍人として健全に生きていけるのだ。
では、そんな意識を持たない者が、どうして戦場へ赴き続けられるだろうか。
「西郷大佐。おっしゃりたい事は理解できます。しかし現に、艦娘は十数年の間運用が続いております。いくら軍人としての教養に欠けているとはいえ、それだけの愛国心があるからこそ戦場に立ち続けていられるのではありませんか? もし艦娘が、危険な戦地を拒むものだとすれば、深海棲艦を打破することなど敵わなかったはず」
「確かに。少尉の疑問はもっともです。平和な世界を作るという動機だけでは続かないほど、戦争とは過酷なものです。ゆえに、艦娘と戦場を繋ぎ続けるための存在が必要不可欠となるのです」
西郷提督の言う、艦娘と提督の絆。そこには、馴れ合いとは別の意味が込められているらしい。
「それが、提督ということですか」
「左様。提督とは、艦娘にとって戦場との、ひいては軍との唯一の繋がりでもあります。戦場で経験した恐怖、孤独、精神的疲労。それを乗り越えて次の任務へ臨むためには、任務を与える者が自身の絶対的な味方であるという強固な信頼が最も重要なのです。我々にも共通して言えることではありますが、提督以外に軍とのパイプを持たない彼女らにとって、我々以上にデリケートな問題と言えるでしょう」
なるほど。西郷提督が艦娘を〝軍人としてここにいるわけではない〟と言った意味がようやく理解できた。
彼女らにとって、軍や国家との繋がりは全て提督を通すことになる。つまり、艦娘が日本軍に対してどういった認識を持つかは、提督次第ということだ。
であれば、彼女らの軍属としての自覚は、当然俺たちとは異なるだろう。軍人として国家に従うのではなく、艦娘として提督に従う。それが、彼女らの任務に対する意識の在り方というわけだ。
「我々にとっての国家への忠誠心は、艦娘にとってイコール提督への忠誠心。ということですね」
「その通りです。儂は彼女らを、儂らと同じ軍人と考えるべきではないと考えます。でなければ、とても酷な話だと思いませんか。だからこそ、提督と艦娘は強い信頼関係を持たねばならないのです」
もし俺が、予備泊地のあいつらから信頼に値しないと認識され続ければ、当然軍への信頼も薄れる。次に所属する泊地の提督への信頼さえ忘れるような状態にまで陥っていた場合、任務に対する積極性は限りなく低下するだろう。
ひょっとすると、そうした問題を抱えて予備泊地に送られてきた艦娘もいるのだろうか。
「艦娘との絆。以後、心に留めて勤めさせて頂きます」
「ありがとう。すまないね。老人の説教のようになってしまった。しかし彼女らを長く指揮し、尊敬する者として、彼女らには苦しい世界に生きていてほしくはないのです。本間少尉、ぜひとも、宜しくお願いします」
西郷提督は穏やかな笑顔で、しかしなぜか哀愁を感じさせる目をして、軽く頭を下げた。