司令部の二階には、艦娘に与えられる寝室が並んでいる。通常は一部屋に四人詰められているらしいが、今は在籍する艦が少ないおかげで一人一部屋あてがわれているようだ。
北上の部屋の前で、俺は一旦思い切りため息をついた。
今のうちにしておかなければ、話の最中に耐えきれないだろう。
隼鷹から北上の話を聞き、ここまで来る足は非常に重くなっていた。
北上のトラウマについて、隼鷹もそれほど詳しい話を聞いたことがあるわけではなかったが、それでも俺の気を削り取る程度の威力は十分にあった。
数十分前の俺に教えてやりたい。演習の話をする前に辞表を書いていたことだろう。
「北上。いるか」
ノックをし、声をかける。
部屋の奥から、「はい」と無機質な返事が返ってくる。今までだらけた雰囲気で対応されることはあっても、このような拒絶感さえ漂う返事をされたことはない。
「入っていいか」
「……どうぞ」
ドアを開ける。窓が開いているようで、酷く寒い。
司令部の海側に面した北上の部屋は、海風を真っ向から受け入れることになる。脱いでいたコートを羽織り直し、パイプ椅子に座る北上と向き合った。
「なぜ窓を開けている」
「……特に意味はありません」
なら閉めろ。そう言いたかったが、表情を殺した北上の目を見れば「長居するな」という秘めた主張に思い当たらざるを得ない。
「そうか……少しでいい。話をしてもいいか」
北上は、首を縦に振って見せる。
「私は、演習に参加しません。処罰は受けます」
「……」
会話をする気はないらしい。
「ほかに、ご用件はありますか」
「ない。だが、お前の演習辞退についての話はまだ終わっていないぞ」
感情を隠していた目に、険しさがにじむ。
「まず先に明確にしておきたい。一つ、演習の辞退は認める。二つ、罰を与えるつもりはない。三つ、お前が演習に……いや、戦場に出ない理由を確認させてもらいたい」
言い切ると、北上は一瞬驚いた表情に、そしてすぐに怪訝な表情に変わる。
「……隼鷹に、何か聞いたんですか」
「さわり程度には」
「……そうなんだ」
北上は舌打ちして、ため息をつきながら立ち上がった。
諦めともつかない、気の抜けた雰囲気をまとう。
「……あたしが、漁港を雷撃した話は聞きましたか?」
俺はうなずいた。北上はまっすぐ俺の目を見ている。
やはりと言うべきか、責めるようなまなざしには少し鬼気迫るものがあった。
「……すまん。他人に訊くべき事じゃないことは分かっている。それでも、お前の希望を叶えるためには必要だった」
「演習辞退の受領材料になるとは思えない話ですが」
「辞退の条件には関係ない。もとより理由に関わらず受け入れてやるさ。問題は、その後のお前の立場のことだよ」
「……」
少しだけ、北上の表情がゆらいだ。むすんでいた唇が、何かを言いかけるようにほどかれる。
「お前が予備泊地に来た理由だが、出撃拒否が続いたことが原因だと聞いている。そのきっかけについては、隼鷹にも詳しい話をしていないようだが」
「……あたしの過去について確認したとして、今後何が変わるんですか? あの秘書艦があたしを許せないというのなら、いくらでも殴ってくれて構わないと伝えてください。あたしはやり返したりしませんので」
あしらうように手をひらひらと振って、北上は苦笑する。
俺も思わず苦笑が漏れた。
「そうならないために話をしに来た。まあ、あきつ丸がお前を殴るようなことはない。既に言い聞かせてある」
北上は、意外なものを見たというように目を見張った。
「提督は、怒ってないんですか?」
「辞退を言い出した時はな」
一呼吸おいて、思い返す。
「あの時は、つい気が立ってしまった。すまない」
「え……なんで謝るんですか。間違ってるのはあたしですよ」
「だとしても、ここの司令官としてはふさわしくない態度だった」
作られていた無表情は既になくなっている。決まりが悪そうに眉根を寄せて、立ち上がった。
「とりあえず、窓閉めますね」
海を臨む窓を閉める。
汚れたガラスの向こうで、白い波が防波堤に繰り返し当たる様を眺める。
「……申し訳ありませんでした」
「何がだ」
「演習の辞退。提督にあとでこっそり話せれば、穏便に済んでたのに」
「どの道あきつ丸は怒っただろうけどな」
言うと、北上は再び苦笑をこぼした。
「さっきの話ですけど。あたしの今後のことって、どういうことですか?」
未だ海を見つめる北上の背中を見るに、入室時のこわばった態度は解消されているようだ。多少は信頼を勝ち取れてきているのだろうか。
「俺が何も知らんままに辞退を受け入れれば、理由を話したくないお前は俺から距離を置くだろう。そうなれば、あきつ丸は別として他の連中もそれにつられてしまう恐れがある。ここに来て日の浅い俺より、お前の方に同情するのは当たり前だ。それは司令部を預かる身としては忌避すべき事態だ。辞退の理由について確認をするのは、その予防だよ」
北上は「ふーん」と、ため息ともつかない相槌を返してきた。
「理屈はわかりました。でも、あたしがその理由を詳しく話したくないとしたら?」
窓枠に触れたままの指に、力が入る。
一拍間を開けて、俺は口を開いた。
「かまわん。無理に聞こうとは思っていない。ただ、〝お前が演習を辞退したい理由を俺は理解したく思っている〟と、知ってもらえればそれでいい。演習に出たくない理由は、俺が隼鷹から聞いた話で間違いがないということが分かれば十分だ」
あくまでも、北上が俺から精神的に距離を置きたがる状況さえ潰せればいいのだ。
だからこそ、とっかかりだけ掴むために隼鷹から話を聞く必要があった。一から北上に尋ねたところで何も話してはくれないだろうし、無理強いすれば元も子もない。
ようは適度に断片的な情報さえ知っていれば、北上にとって俺は〝何も知らない部外者〟ではなくなる。隠したがっている過去について僅かながら情報を共有しているという間柄を確保できれば、そこから先に進める。
ただし、取り返しのつかない危険も伴う。
単に知るだけでは、こいつの気に障る詮索屋が一人増えるだけだ。
この後の会話如何によっては、俺は信頼を得られないばかりか敵対感情さえ持たれることだろう。
「軍の上官なら、部下の過去を詮索するのは当然の権利、と?」
窓に映っている俺の顔を、今の北上はどのような目で見ていることだろう。
「そうは言わん。お前に責められても仕方ないことだと思っている。ただ、お前に遠慮するだけの名ばかりの上官になるくらいなら、きちんと管理したうえで嫌われる方を選んだ。もとより好かれようとは思っていなかったしな」
本音を引き出したい相手には本音をぶつけるべきだと思っているが、ここで通用しない可能性はどの程度あるだろうか。
「……お前が俺を気に食わないと思っていても、咎めはしない。部下に嫌われるのは慣れている。それでもお前が俺の部下である以上、臨時の提督だろうとも適当な扱いはしない。お前の演習辞退を受け入れるのは決して放任ではなく、お前の過去を尊重したいと考えた結果だ。ゆえに、こうして話す必要があった。お前の過去を暴き立てて苦痛を与える人間は、ここにはいないと知らしめるために」
「っ……」
北上が俺を振り返る。
先ほどとは違った形で目を見張り、俺を見つめた。
「提督って……見かけによらず優しい人だったんですね」
そう言った直後、北上はおかしそうに笑った。
「……上官としての態度を守っているだけだ」
「恥ずかしがらないでくださいよ。――アハハッ」
「何がおかしいんだ」
「いや、本当に見かけに似合わないこと言うなぁって」
「……」
言われ、思い返すとかなり小っ恥ずかしい気分になってくる。
ばつが悪く、荒くため息をついて目をそらした。
「チッ……ああそうだよ。柄にもない言動なのは百も承知だ。それで、言いたいことは理解してもらえるだろうな」
「……はい。しかと理解しました……ふふ」
「なら十分だ。俺はもう行くぞ。飯にはちゃんと顔を出せよ」
踵を返す。
「そんな風にすねたところは、清二提督とよく似てますよ」
背中でそれを聞いた途端、ふと気になった。
「そういえば、清二にはお前の過去について話したのか?」
演習の辞退を受け入れていたというからには、ある程度は話をしたのだろうか。
「いえ……清二提督は、あたしたちの経歴については元いた泊地から資料をもらっていたので、話すまでもなく知ってましたよ」
「……そうか」
後日、俺も知ることになるだろう。その時、今と同じような顔で北上に会えるか心配になった。
「――でもね提督」
俺の足は、今までに聞いたこともないほど重い北上の声に縫い付けられた。
「あなたは清二提督じゃないんだよ」
振り返れなかった。
そこには、確かに殺意があった。
「これ以上、あたしのろくでもない思い出に触らないでください」
生唾を飲む。喉の音がやけに耳につく。
久しぶりに肝が冷える。
「あたしは、できれば何も知らないみんなと最後まで楽しくやりたいんです。それを壊さないでもらえると助かります。今なら、提督もほとんど知らないから、いいんですけど」
「……」
何も言えない。止まった息を吸いなおした。
「この話、金輪際しないでくださいね。思い出したくないので」
その瞬間、部屋の空気が動き出す。
北上が再び窓を開けたらしい。
「少ししたら、食堂に行きますね」
北上の声色がいつもの調子に戻る。
ようやく戒めから解かれた俺は、視線だけで振り返った。
海を臨む北上の背中は、とても孤独に見えた。
『泰平丸事件』
岩手の漁港に深海棲艦の残党が流れ着き、漁港を攻撃した事件があった。
緊急出撃した艦隊は、深海棲艦へ沖合から雷撃を行い、上陸寸前で轟沈させた。
その際、避難民を乗せ出港した直後であった漁船『泰平丸』が雷撃により大破着底。
漁港は閉鎖となり、死者多数の被害を出した痛ましい事件は道民の俺にさえ耳に届いた。
雷撃を行った北上が、泰平丸を確認したのは魚雷掃射を終えた後だった。その際、漁港の住民は避難を完了していたと司令部から聞かされていたらしい。