札幌より空気が冷たい。
単冠湾泊地に到着して唯一、これと言える印象はそれだけだった。
内陸で風の穏やかな札幌と比べ、ソ連が目と鼻の先に迫る千島列島の気候はひどく辛辣に思える。
太平洋から横殴りに吹きつけられる海風は、棒のように細長い島を永久凍土に変えてしまおうと目論んでいるに違いない。それほどに、刺すように冷たい風が吹き荒れていた。
連絡輸送船を降りながら、鹿革の分厚いコートのポケットに手を突っ込む。
サビと泥だらけの汚いタラップから目を上げ、空を仰いだ。
負けずとも劣らない、汚らしいまだらの曇り空。気が滅入りそうだ。
札幌駐屯地で砲兵科の教官補佐をしていた時に見上げた、寒くとも目に澄み渡る青空が急に懐かしく思えてきた。つい一週間前の事だというのに。
「引き返せ」と船頭に命じるのは簡単だ。しかし、本土に戻っても同じ青空を拝むことはできない。
俺が抜けて、砲兵科第六四小隊は既に解散しているはずだ。戻れたとして、もはや陸軍に俺の居場所はない。
深海棲艦との戦いは、二一年目の今年で終戦を迎えようとしていた。
各国政府はこれまでに戦線投入された艦娘戦力を縮小し始めている。
それに伴い、対深海棲艦の名目で拡大されてきた軍備も徐々に抑えられることとなった。新規艦娘の徴用や義体の開発も、現在は必要最低限にとどまっている。
日本における軍拡は、深海棲艦への戦備をふまえ帝国海軍戦力に重きを置かれていたのは言うまでもない。
陸軍はつまらない意地のためか、政府の〝ちょっとした下心〟があったのかは不明だが、それに追従するように陰ながら力を蓄えてきた。
だから当然といえば当然の結果なのだろう。国連安保理の推し進める各国軍備撤廃の波は、真っ先に陸軍の無駄に肥えた軍備を削り取った。
俺は、削り取られたクズの中の一人だ。
軍と民間企業が共栄していた第二次大戦中ならまだしも、急ごしらえの一般教養と金にならない軍事学を詰め込まれた陸軍将校が、民間でまともな職を見つけることは難しい。
しかし、そんな身の上は鼻で笑えるような者たち。迫る泰平の時代に葬られゆく者たちがいる。
それは、これから会う連中――艦娘だ。
世界を救った、歴史に名を残すであろう英雄たち。だがそんなことは、彼女らの幸せには一切関係のない話だ。
対抗すべき深海棲艦は、もうひと月以上どの海域にも発見されていない。かつて華々しく開港しては戦果を積み上げてきた数々の泊地も、今ではただ物々しい兵器をチラつかせ、漁場を無駄に占領する港の倉庫番になってしまっている。
ある意味で、彼女らもまた職を失いかけていた。
もちろん軍縮の波は、海軍からもきっちりとツケを払わせている。
いくつかの小さな警備府、泊地は既に解体され、数少ない有能な提督や艦娘だけは大本営直属の鎮守府に栄転していった。
だがそれ以外の、無能と言わずとも本部のお眼鏡にかなわなかった艦娘には、一つの選択肢しか与えられなかった。
解体を受け、退役する。
〝解体〟とは軍艦になぞらえた表現だが、ようは義体化されていた肉体を外科手術で常人に戻すということだ。
艦娘の徴兵広告には、退役後は普通の女の子に戻れるという歌い文句がつづられていた。
ずいぶんと都合のいい話じゃないか。
たった数日で大量破壊兵器と化した生身の生物が、そう簡単に元の体を取り戻せるのか?
艦娘とは、自然発生する深海棲艦の戦闘能力を参考に、それらを真似て作られた生体兵器だ。いわゆる、人工の深海棲艦である。
だが、現在まで深海棲艦の研究は、その発生理由さえ詳細は明らかではない。
今でさえそんな状況なのに、開発からわずか数年足らずで実戦投入された艦娘の強化義体が、そう簡単に元に戻せるような、都合のいい代物であるはずがない。
炭素繊維骨格、強化結合筋、過縮性人工リボソーム。脳以外の肉を剥ぎ取り、代わりにカーボンと金属と劇薬を詰め込まれる。
そんな施術を経て、超人じみた戦闘能力を与えられた人間が、おいそれと普通の女の子に戻れるのか?
常識を包み隠した甘言とプロバガンダに脚色された志願者募集広告の裏に、その答えは今なお隠されている。公然の秘密として。
何度か、解体後の艦娘に会ったことがある。
解体、なにをかぶいた表現をするのかと思えば、まさしく〝解体〟なのだ。
義体は、素手でベトンの壁を壊せるような筋力と俊敏性を持ち、ライフル弾を青アザで受け流す強度を誇る。それを常人レベルまで引き下げるため、各々の生命力にあわせた措置で義体の機能を制限することになる。
わずかに残った生身が拒否反応を示さなければ、グレードダウンされた虚弱な骨格、筋や皮膚と総入れ替えを行うらしい。その後は毎月の通院が義務付けられ、肉体維持のため投薬を行うそうだ。
だが俺が見たことがあるのは、拒否反応に耐えきれず死んだ艦娘と、骨格入れ替えに失敗して両腕を失った艦娘、皮膚の規格が合わず感染症を起こし、寝たきりになった艦娘だけだ。
港に行けば必ず一人は、どこか欠けた肉体でふらつく娘がいる。
いずれも、世界を救った英雄たちが受けるべき報いとは思えない。
彼女らは、深海棲艦への多大な打撃力をもって人類を救った。
政府は、その力が自らに向けられる日を恐れたのだろう。
大戦で猛威をふるった軍艦と同等の威力を持ちながら、人と似た姿を持つ生体兵器。
十数年前までそれは、人類が深海棲艦へ立ち向かう勇気を象徴する表現だった。
今、そんな認識で見られている者たちは、最寄りの港に行けばいつでも見物できる。
彼女らは今でも海を守り、人類の脅威と戦っているつもりだ。
深海棲艦を駆逐した暁には、自分たちが新たな〝人類の仮想敵〟として排斥されてしまうことも知らずに。
艦娘(あいつら)に比べれば、俺はまだマシなのだ。
卑屈な考え方かもしれないが、自分より下がいるという認識は今のところ俺の精神を救ってくれている。
「将校殿。お荷物は、このトランクと軍刀だけでありますか?」
輸送船キャビンのドアが開かれ、声をかけられる。
「いや。引っ張ってきたそのデカブツもだ」
振り返るのもおっくうな気分だった。親指で背後の、船に繋がれてきたボートを指し示した。
駐屯地の荒くれ部下どもが、餞別にと押しつけてきたガラクタだ。
ワイヤーで船尾に括りつけられている輸送用ボートには、車両ほどの大きさの機材が積まれている。安っぽい防水布を荒縄で巻き付けてあるが、今日中に手入れがいるだろうな。
……いや、もう使えやしない道具に何を考えてるんだ。置き場がなければ、明日にでも粗大ゴミに出そう。
「これは……さすがの自分も、一人では重くて持てないのであります」
「ここの連中と挨拶した後に引き揚げさせる。いいから、トランクと刀だけ持ってこい」
「了解であります」
二つのトランクケースを両手にさげ、黒い軍帽と背嚢が特徴的な艦娘――あきつ丸がキャビンを出てきた。
速足に俺の背後につくと、俺の歩調に合わせてゆっくりタラップを降りる。
「ようやく到着であります。しかし、こちらの泊地には連絡をすませているというのに、迎えの一人も見えないとは、意外でありますな」
意外、というよりも気分を害したと言いたげにため息をついた。俺はかまわなかったが、上官の到着時に野外の出迎えは様式的にあってしかるべきではある。
彼女は、陸軍本部から俺の執務補佐として送られてきた艦娘だ。
同じ帝国軍人とはいえ、提督執務がどんな仕事なのか想像も及ばない俺にとってはありがたい話だ。彼女もまた、かつて勤務していた泊地を失った根なし草の一人だった。
「仕方ねぇさ、あんな事件の後だ。前の提督を銃殺刑に処した憲兵の元同僚となんざ、一秒たりと顔を会わせたくないだろうよ。艦娘に慕われてたらしいからな、弟は」
「そうでありますかな。だとしても、礼儀を欠いたことに変わりはないのであります」
この泊地を任されていた提督は、俺の弟だった。
弟は、国家反逆の罪で拘束され、銃殺された。
泊地の執務室に複数の将兵を伴い、立てこもり事件を起こしたのだ。
二日前。俺は軍医総監の親父に呼び出された。
任意除隊を迫られ、山でマタギでもしようかと考えていた時のことだった。
「清一。お前、清二が死んだのは聞いておるか」
兄弟とはいえ、俺は陸軍、弟は海軍。水と油に身を置いた互いの事など一切気にしていなかった。突然の訃報は、続く言葉でさらに実感の伴わない物となった。
「あやつ、艦娘の戦後待遇について何度か上申しておったらしい。同意書を他の泊地からも募りよっての。バカなことをしたものだ」
戦後待遇の改善案。それは艦娘を兵器でなく人間、自分らと同じ人間として扱った内容なのだろうと想像できたが、それは国にとっての解釈をすれば〝兵器を人並みに尊重し、早計に破棄せず新しい運用方法を考えるべき〟という危険思想に捉えられかねない。
艦娘は兵器なのか人なのか。それは実戦投入時からたびたび議論されてきた。
だが現在では、マスコミの徹底した兵器的側面のクローズアップにより、世論の艦娘への同情心は完全に政府のコントロール下に置かれている。
当然だ。なにせ艦娘を人間扱いしてしまったら、次は深海棲艦が人であるかという議論に発展していただろう。対話可能かどうかはともかく、艦娘の元となった技術で戦う理知的な生物なのだから。
人類を脅かす敵に、国民が慈悲を向けるべきではない。
軍事的に、政治的に、それは忌避すべき事態だ。
「兄弟そろって、わしの顔に泥を塗りおって。まったく親不幸者に育ちおって」
哀しげにうつむく親父の姿が、とても小さく見えた。
これ以上、つまらない小言を聞くのはうんざりだ。そう思い、黙って立ち上がった時、
「お前、軍に残る気はないか」
唐突だった。
その誘いは俺の願いでもあったが、父親の権力にすがってでも官職に舞い戻る恥知らずになりたくもなかった。
「もう一度、父さんの顔に泥を塗れと?」
皮肉のつもりでそう言った。
「かまわん。清二が命懸けで守ろうとした物を見てこい。お前の将来を考えるのは、その後だ」
「……どういう意味ですか」
「清二のおった単冠湾予備泊地が、近々解体される運びとなっておる。それまでの間、空いた提督の執務を片づける者を探しておってな。お前もはじめは、海軍に行きたがっておったろう」
「待ってください。俺は提督なんて――」
「話は終わりだ。もう陸軍省にも承諾を得ておる。どうせ退役したら山籠りでもする気だったのだろう? ならば、行きたかった海へ行くがいい」
黒いコートの下には、弟が残した白い正装を着ている。自分の制服を仕立てる時間はなかった。
ひどく窮屈だった。大きさも、これを纏う自分の立場も。
それでもここに来たのは、せめて一度は弟の死に場所を訪ねてやろうかという気まぐれに近いものだった。あるいは、自暴自棄の延長ともいえる。
防波堤を強かに打つ波音を背にして、コンクリートのわずかな裂け目から雑草を伸ばし放題の荒れた港を歩く。
目の前に見える司令部の建物は、海風でだいぶ色あせていた。さびれた病棟のような、監獄のような三階建の小さな司令部は、玄関先に立てられた旗章だけが軍籍を示していた。これだけは、綺麗に手入れされているようだ。
「予備泊地、か。生存自活訓練の時に使った野営テントの方が住みやすそうだ」
「さようでありますな」
あきつ丸は、鼻で笑って同意した。
その時、司令部の扉が内側から開かれた。
両開きの扉を押して現れたのは、一人の小さな艦娘だった。
ひどく寒いのにも関わらずブレザーにスカート姿で、しかもだいぶ着崩している。ブレザーの上には何も羽織っておらず、まるで本州の春先にちょっとした外出をする女学生のようだった。
艦娘は俺を見て、ゆっくりと近づいてきた。
俺の顔を見上げ口を開きかけた時、横合いからあきつ丸が割って入る。
「こちらの艦隊は、後任の指揮官を歓迎できないと申すのでありますか? 部下のくせに出迎え一つせず、温かい室内で我々を待っていたことの釈明を求める」
頭一つ小さな艦娘に詰め寄り、見下すような視線を向けた。
俺は確かに上官の立場にいるわけだが、あきつ丸はただの補佐であって他の艦娘と階級は変わらない。この態度は、本土からの出向であることからの優越意識だろう。だが、言っている事は間違ってはいない。
それに対する艦娘は、臆すことなくあきつ丸を見返した。
「自ずから人を迎えに来る軍艦などない。戦争の道具に必要なのは、有事の際に確かな戦力となることのみだ。そして、艦を動かすのは提督の仕事だ。お前は私の上官ではなく、まして提督でもない。人の真似事はよせ」
感情の読み取れない視線に乗せて放たれた言葉を、あきつ丸は奥歯で噛み殺さんと食いしばった。
「……両手がふさがっていなければ、その無礼なしかめ面を殴り飛ばしているのであります」
あきつ丸の肩を掴んで、引きさがらせた。
「もういいあきつ丸。こいつらの無礼は、礼節を教えなかった弟の責任だ。弟の責任は、兄の責任でもある。俺の顔を立てて、ここは許せ。いいな」
あきつ丸は一つ深呼吸して、俺の後ろに下がった。
「承知。この場は将校殿に預けるのであります」
艦娘の表情は、俺と対峙しても何一つ変わらなかった。
背は俺の胸元までしかない。歳はせいぜい十三か十四程度の、ようやく奉公に出られるかどうかといった見た目だ。
「電文は届いているな? 本日付で着任した、本間清一だ。今お前は、司令官の指示には従うと言ったな。それが艦娘としての……兵器として在るべき態度であると主張したのだな?」
兵器、と俺が口にした途端、艦娘の片眉が少しヒクついたように見えた。しかし返答は、さっきまでと同じく感情のない声色だった。
「そうだ」
「では艦娘、お前の礼節を欠いた態度は、兵器である以前の問題であることを認識せよ。それについては、後でたっぷり躾けてやる」
なるべくドスをきかせた声色でそう言うと、背後であきつ丸が笑う気配がした。
馬鹿者め、躾けるのは二人ともだ。
部下同士の対立は、上官が預からねば全体の統率力を欠く。初対面でなら、尚更だ。
こうなると、二人ともども個別に両成敗するしかない。もちろん、双方のプライドを傷つけない形で。
「所属と艦艇名を述べよ」
そう命じると、艦娘は両足をそろえ敬礼した。
「大日本帝国海軍保有艦艇、単冠湾予備泊地所属。駆逐艦、第二五〇号。――若葉だ」
二五〇号。何の数字だ?
艦娘の自己紹介を聞いたのは初めてではない。
ほとんどの艦娘は、軍艦として生まれ変わった後に受け継いだ艦艇名を大切にしている。名を尋ねられれば必ず艦艇名を使う。義体化する前の、人間であった時の名を使う者もいないことはなかったが、珍しい方だった。
しかし、番号を名乗られたのは初めてだ。
「あきつ丸。艦娘ってのは同型艦艇の識別のために番号でもつけるのか?」
振り返らずに尋ねる。
「いえ、そんなものは……。いや待ってください。確か、初期の戦線に投入されていた大本営艦隊についての記録に、識別番号の記載があったように覚えがあります」
珍しく歯切れの悪い報告だ。
「若葉。その番号の意味は?」
「二百五十隻目に建造された艦娘、という意味だ」
俺は耳を疑った。あきつ丸も驚いて、息を飲んだ。
「なんだと……」
艦娘が初めて実戦投入されたのは、十五年ほど前の反抗作戦。
艦娘建造計画が始動した当初、まだ俺も清二も士官学校にいた。校舎の掲示板には、艦娘志願者を募集する官製のビラが貼られていた。
噂では、下級士族からの志願者が圧倒的に多かったと聞く。
まさか、とは思うが。
「十五年前、大本営艦隊に所属していたのか?」
「そうだ。五年前に大本営艦隊の任を解かれて、ここに配属された」
「嘘であります……。大本営艦隊を最初に構成していた試作型艦娘は、三度目の大反抗戦で全滅したと聞いたであります」
「ある意味では、そうだ。私を含む、実戦情報収集を目的とした旧規格艦娘は、その役割を終えて戦線へ投入されなくなった。私たちに使われている義体と艤装が、三度目の反抗作戦の後に生産終了してしまったんだ」
義体と艤装が新品と交換できなくなったということは、一度大きな負傷をすれば直せないし、弾薬が切れても補給できないということ。
補給不能の軍艦など、戦場では邪魔でしかない。戦闘中に弾切れや燃料不足を起こしては、ただの足手まといだ。
「お前らの実戦での成果を元に開発された、戦術的により効率的な義体と艤装で固められた今の艦娘にお株を奪われたってことか」
「そうだ。でも、まだ闘えるぞ」
初めて若葉の目に、感情のような光が見えた気がした。
くすぶった炎のような、行き場のないわだかまり。そんな光だ。
終戦も間近という時勢に、闘いを求めるというのか。
それとも、欲しいのは死に場所か。
「……まぁいい。自己紹介は執務室についてからだ。若葉、案内しろ」
若葉は無言で頷き、踵を返した。
司令部の中は、外観とは違った廃れ方をしていた。玄関に入ってまっすぐのびる廊下のあちこちには、砕けて焦げた角材や、明らかに銃弾による物と分かる傷跡が残る壁紙が目立った。
清二の起こした事件の名残だろう。憲兵隊がバリケードを突破し、上階の執務室に突入する様を想像した。
「……例の事件は、どのくらい前になる?」
目の前を先導して歩く若葉に尋ねる。
「二週間前だ」
「二週間経って、まだ片づけも済ませてないのでありますか」
俺の後ろを歩くあきつ丸が言葉尻を掴む。
「人手が足りないんだ」
若葉は、相変わらず無感動な返答を返した。
「清掃員はどうした」
「最初からいない。ずっとここは、艦娘だけで管理している」
俺は重くため息をついて、首を振った。
普通の鎮守府であれば、調理や清掃などの雑務をこなす小間使いが働いているものだ。
「じゃあ、お前らを整備するのは誰の仕事だったんだ」
「ほとんど司令官が一人でやっていた。専門家の手がいる時は、単冠湾本部に依頼していた」
この泊地単体では、鎮守府としての機能を最低限しか果たせないらしい。予備とはまさに、ただ艦娘を保管しておくためだけの場所なのだろうか。はじめから、任務をこなすための泊地ではなかったようだ。
「ここは出撃も演習も、遠征もなしか。俺は用務員としてここに招かれたのか?」
そう言ってあきつ丸を振りかえると、困ったような、慌てた様子で目を泳がせた。
「じ、自分はそのようなことは聞いてないであります。ただ、執務の補佐をせよと……」
階段を登り、三階の角に位置するひときわ大きな部屋にたどりついた。
執務室だけは、とても綺麗に片づけられていた。
あきつ丸に荷物を置かせ、窓の外を眺めた。
太平洋に面した泊地を一望できる。湾岸で砕ける白い波と、そこから来る湿気をおびた鋭い風に引き裂かれるススキ野ばかりが目立つ。
「掃除してるのは誰だ?」
「私と、夕立だ」
夕立。駆逐艦でそういう名前のやつがいたな。
机の上には電灯とインキ瓶、羽ペンとメモ帳。黒電話が並べてある。
椅子に座り、一番手前の引き出しを開けた。
いくつかの封筒と、その中に「所属艦艇」と記された冊子を見つける。
青表紙の冊子をめくると、一頁につき一人の艦娘のプロフィールが記されていた。
「掃除当番は二人だけか。他の連中はどうした」
数十頁ある艦娘たちの顔写真には、ほとんどに「除籍」の赤印が押されていた。
除籍の理由については何もない。
「泊地に残っている艦娘は、私を含めて五隻だ」
冊子から目を上げ、「なぜ」と口を開きかけたが、喉元まで出かかった言葉を飲みこんだ。
訊くべきではない。訊けば、余計なものを背負ってしまう気がした。
だが、若葉と視線が交錯すると、俺が訊くより早く答えた。
「みんな死んだ。司令官と心中した」
忌むべき事実を、淡々と報告する。
そうだった。元々この泊地は、清二が事件を起こす前から処分される予定だったのだ。
総司令部にとってこの事件は、ついでに不要な艦娘を処分する格好の口実でもあったはずだ。
心の中で舌打ちし、若葉の目を睨みつけた。
こいつに苛立ったのは、余計なことを言ってくれたからではない。
仲間が処分された事実を、どうしてそんな薄情に報告できるのだ。
「若葉。お前は事件について、どう思っている?」
どうせ短い付き合いになる。俺個人と艦娘の間に信頼関係を築く必要はない。しかし、思惑の測れない部下に後ろをうろつかれるような、不気味な職場にいたくもない。
こいつも俺を信用する気がハナからないのだろうか。だからこんな機械のような振る舞いに徹しているのかもしれない。
「……」
若葉はまっすぐ俺の目を見て、口をつぐんだ。
焦れたあきつ丸が、机の横から一歩前に出た。
「将校殿は質問なさっている。なんとか言うのであります」
「黙ってろ。……答えにくいのは承知している。だが俺は後任の司令官として――清二の兄として、お前らの感想は知っておかねばならない」
そう言った途端。濁った目で俺の目を覗きこんでいた若葉の目が、何か探るように細められた。
「私は――」
ようやく口を開いた、その時。
誰かが執務室のドアを開いた。
「若葉ちゃん、ここにいるっぽい?」
清楚な顔立ちをした、これも駆逐艦かと思われる少女だった。若葉より少しだけ背が高い。
黒を基調としたセーラー服姿は、白露型駆逐艦の資料で見た覚えがある。
若葉を探していたのだろうか。
少女は若葉を見つけ、部屋に入ってきた。しかし、俺とあきつ丸に気付くと、驚いたようにその場に立ちすくんだ。
「あ……」
俺の顔をじっと見つめてくる。呆けたように口を開き、言葉を失った。
若葉が、彼女に向き直る。
「夕立、どうした」
若葉の手が少女の肩に触れようとすると、少女はそれを払った。
「てい……とく、さんッ!」
突然、少女は若葉を押しのけて俺に走り寄ろうとした。
「ッ! 何をする!」
少女が俺に伸ばした腕を、あきつ丸が掴んだ。
「提督さんッ! 提督さんッ! 生きてた……生きてたッ!」
「よせ、このッ!」
かまわず机を乗り越えようとする少女の頭を、あきつ丸は机に抑えつけて腕を後ろに捻りあげた。少女は「提督さん! 提督さん!」と何度も俺を呼び、泣き叫んだ。
若葉も駆け寄ってきて、少女を下がらせる。
「夕立、違うぞ。この人は、違うんだ」
少女の耳元でそう告げる若葉の表情は、どこか哀れみを帯びているような気がした。
「違くないッ!! 提督さんが殺されるわけないッ! あんなに優しい人が、死んでいいはずないもんッ! 帰ってきたんだもんッ!!」
俺を清二と勘違いしているのか。いや、そう信じたくて錯乱しているようだ。
暴れる少女を抑えるあきつ丸も、さすがに動揺して俺に視線を向けてくる。
俺は立ち上がって、机の前に出た。少女と対面する。
「あきつ丸、若葉。離してやれ」
「し、しかし」
「さっさと離せ」
「……承知したであります」
二人が少女を開放すると、少女は俺の胸に飛び込もうとする。
「提督さんッ! 提督さんッ!」
抱きつこうと、両腕を俺の背に回そうとしてくる。その片腕を掴み、体を横にそらして拒んだ。
「提督さん、どうしたの? 夕立、悪いことしてないよ? いい子で待ってたよ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった笑顔で、俺を見上げてくる。
俺は口をきかず、ただ冷たく見下した。
「ねぇ、どうして? 提督さん、今日はご機嫌ななめ?」
なおも抱きつこうとしてくる少女を、腕を掴んだままかわす。
「……なんで、怒ってるの? 夕立のこと忘れちゃったの?」
俺は何も言わなかった。ただ、冷たく少女を見下ろし続けた。
「やめて……嫌ッ! 提督さんにそんな目で見られたくないの! 夕立のこと嫌いにならないで! 元の提督さんに戻ってッ!」
少女は、腕を振り上げた。
「ッ!」
「将校殿ッ」
顔に振りおろされようとした握りこぶしを、寸でのところで身を引いてかわした。当たっていれば顎の骨が砕けていたかもしれないが、正気じゃない喧嘩素人の大振りすぎる拳を避けるのは難しくない。
拳が空を切り、少女は態勢を崩して俺に倒れかかってくる。
その肩を掴んで無理やり立たせ、俺は少女の頬をはたいた。
少女は、信じられないという表情で俺を見る。
「嘘でしょ……ふざけんじゃないわよ……提督さんは、こんなこと絶対しないッ!! あんたなんか、提督さんじゃないッ!!」
掴んでいた俺の腕を振りほどいて、少女は激昂した。犬の唸り声のような、恨みったらしい声で俺を罵倒する。
怒りと悲しみで満ちる瞳に、俺はため息を返した。
「その通りだ。俺は清二じゃない。清二の代わりには、なれない」
はっきりと事実を叩きつけてやると、怒りの形相が再びあふれ出した涙に溶かされていった。憤怒が、深い悲しみに押し流されてゆく。
提督の死が、忌まわしい記憶が、彼女の中で現実味を取り戻したようだ。
「ていとく、さん……ああああああああああッ!」
少女はその場に崩れ落ち、大声で泣きだした。
椅子に座りなおし、少女の肩を抱く若葉に命じた。
「寝室に帰してやれ。落ちついたら戻ってこい。二〇分、時間をやる」
「……わかった」
泣きじゃくる少女を立たせ、引きずるように執務室を後にした。
その背を見送ったあきつ丸が、大きくため息をつく。
「着任早々、問題だらけでありますな」
「まったくだ」
俺は懐から銀延べの煙管を出し、刻み煙草を丸めて火皿につめた。
煙管を咥えてマッチを取り出そうとすると、あきつ丸が先にライターを差し出してきた。
ステンレス製の細いライターの蓋を親指で押し上げ、火を灯す。部下たちの間で流行っていた、オーストリア製の武骨な代物だった。
「……女郎か貴様は」
言いつつも、火皿を傾けて頂戴する。
「似たようなものであります。陸軍省船艇管理部では、ずっと男どもの相手をしていましたから」
フッと自嘲した笑みを浮かべ、ライターを仕舞った。
船艇管理部。確か、陸軍省固有の深海棲艦対策を担う部門の一つだ。
深海棲艦との紛争が激化していた頃、政府の方針で海軍の軍備増強が図られる事を懸念した陸軍は、自発的に戦略的支援を行うことでそれを牽制した。
陸軍保有船艇の艦娘が設計されたのは、これがきっかけだ。
その際に生まれた組織が、船艇管理部。陸軍の中では、海軍と癒着した必要悪的な扱いを受けている。
しかし今となっては、陸軍が出しゃばる隙などない。戦況が優勢に立ってからこっち、陸軍内における艦娘運用の相談役程度の部署に成り下がっている。立派な天下り先だ。
風の噂では、艦娘を鎮守府に派遣せず〝高官向けの個人秘書〟として扱っているとも聞いた。
男所帯の陸軍内で堂々と女性を侍らせることができる。一部の色好きにはたまらない商売だろうな。