一服して荷物を片づけ終えたところで、若葉が一人戻ってきた。
「夕立はどうした」
尋ねると、若葉は首を振って答える。
「布団に寝かせた。ああなるとしばらくは起きない」
「ずいぶんと清二に懐いていたようだな。古株なのか、あいつは」
「いや、一番新顔だ。司令官……清二司令官との付き合いは半年くらいだ」
半年。たった半年であそこまで慕えるものだろうか。
清二が管理していた艦娘の数は数十隻にもなる。ほぼ全員、自分と心中させてしまうほどの忠誠心をはぐくみ、その上新人にもあますことなく気を使える技量があったのか。
関心を通り越して、少し気味が悪い。
ふと、なぜ予備泊地に艦娘が送られてくるのか不思議に思った。
「夕立がここに来た経緯は分かるか」
自前の煙草盆に立てかけてあった煙管に手を伸ばした。
「ああ。夕立は呉鎮守府の第七司令部から異動してきた」
「呉からの異動? ずいぶん離れた場所からだな」
若葉の話を聞きながら、火皿に煙草をつめた。すかさず横から、あきつ丸が火を差し出してくる。
「数年前から少しずつ増えているんだ。深海棲艦の減少で、司令部はそれほど多く艦娘を運用する必要がなくなった。所属艦艇の多い司令部は管理費用を削減するために、空いている予備泊地に不要な艦娘を移すんだ」
火皿から立ち上る紫煙ごしに、ぼんやりと若葉と視線を合わせた。
「しかし、どうして呉の予備泊地でなく単冠湾に来たんだ?」
「呉の予備泊地もいっぱいになったと聞いた。夕立だけでなく、本州や他の鎮守府から異動してきた艦娘ばかりだぞ。ここにいるのは」
ため息のかわりに、煙を吐いた。
艦娘の左遷先。そしてここを任される提督もまた左遷組ってわけだ。
清二が優秀だったかもしれないという予想は間違っていたらしい。
では、なぜ清二はあんなにも慕われていたのだろう。
「ここの連中は、はっきり言えば古巣から〝使えない〟と評価された艦娘ということになるな。理由はそれぞれだろうが、清二はちゃんと管理できていたのか?」
火皿の灰がくすぶっているうちに、新たな煙草を丸めて押し込む。
「清二司令官は、ひょうひょうとして掴みどころのない人柄だった。何があっても気さくに皆と接していたよ。でも、有事の際は人が変わったように的確な指示を出せる優秀な司令官だった。周りにいたのは気性の荒い艦娘や、それ以上に問題のある艦娘たちばかりだったが、逆らおうとする者はいなかったな。まるで、友達と接しているようだった」
懐かしむように、若葉は目を閉じた。
清二は確かに、友達を作るのが上手い方だった。学校では、よくまとめ役を買って出る目立ちたがりな部分もあったが、変なところで頑固なところを見せる職人気質な性格をしていたため、指揮を取るのはどちらかと言えば不得手だったような覚えがある。
普通の司令部ほど上下関係をあまり気にしなくてよい予備泊地の提督業務は、あいつにとって適材適所だったのかもしれない。
では、俺にとってはどうだろうか。
上下にうるさい陸軍のやり方しか、俺は知らない。
そもそもここは、理由はともかく軍隊の基本である連帯行動を取れない艦娘の集まりだ。マニュアル通りに指揮が取れるようには思えない。
いや、普通の提督と艦娘の間柄を知らない俺は、そのマニュアルさえ把握していないのだが。
「……本当に、厄介な場所だ」
煙管の雁首を煙草盆に叩きつけ、灰を落とした。
「あきつ丸。輸送船の出港までどのくらいだ」
尋ねると、彼女はポケットから懐中時計を出した。
「夕刻、一六〇〇に出港であります。まだ半日の時間があるのであります」
あのガラクタを引き上げる時間の余裕はたっぷりあるわけだ。
「よし。若葉、司令部を案内してくれ。ついでに他の連中と顔を合わせる」
立ち上がって、あきつ丸に手招きした。
「ま、待ってください。着任したばかりの将校殿自ら部下を訪ねて歩くなど、上官としては威厳を欠く――」
「わかってる。だが、どうせここの艦娘は威厳なんて言葉も分からん、軍属の中の出来損ないどもだ。召集をかけたところで、揃うまで何十分待たされるかわかったもんじゃない。司令部を散歩でもしながら、同じ時間で挨拶しちまった方が有益だろう。コートをよこせ」
「……了解であります」
しぶしぶあきつ丸は、帽子掛けに吊るしていたコートを取ってきた。
それを羽織って、若葉を見る。
「単冠湾本部には、現地の艦娘が一時的に施設を管理していると聞いた。施設の詳細は艦娘に訊けと言われているが、管理の責任者はお前か?」
「そうだ」
「他の艦娘には、俺が今日着任することは伝えてあるんだろうな」
「もちろんだ。だが、提督が清二司令官の兄であることは伝えていない。夕立もそうだったが、皆、提督の顔を見て驚くかもしれない」
舌打ちをこらえて、若葉に向き直る。
「なぜ伝えなかった?」
事前に伝えられていれば、夕立があのように錯乱することはなかったかもしれないというのに。
「……余計な希望を、持たせたくなかった」
そう言って若葉は目をそらした。それ以上語ることなく、執務室のドアを開けた。
希望とはなんだ。清二は艦娘に、どんな未来を示していたのだろう。
いずれ世界に破棄される運命を覆す。そんな幻想を、艦娘は清二の背中に見出したとでも言うのか。
艦娘の未来を少しでも明るく照らしてやるため、命を投げ出したことは知っている。だがそれは愚直な計画の末に、主張ごと国の意向に抹殺された。
失敗した清二に代わって、兄の俺が次の未来を照らし出すかもしれない。若葉の言う希望とは、そういうことか。
それならば確かに、伝えない方が都合がよかっただろう。伝わっていれば、俺が来るまでの間、毒にしかならない妄想を育む時間を与えることになる。
俺にそんな思想はないのにも関わらず。
「司令部を見終わったら、ドックと倉庫を見に行こう」
「了解した」
若葉の先導で、司令部をおおまかに案内してもらった。
若葉によれば、この建物は海運企業の持ち物だったらしい。企業が倒産する際、総司令部が敷地ごと格安で買い叩いたという。
そのため、建物の設備はかなり庶民的だった。一階奥の食堂は、社員だけでなく一般にも開放されていた名残があった。
階段を登り、最上階の三階を通り過ぎて屋上に通じるドアに到達した。
「屋上は物干し場になっている。厨房の横に洗い場があるから、洗った衣服はここで乾かすんだ」
厨房の外に並んでいたカビ臭い洗濯機を思い出す。
「どうせ自分で洗えってんだろ? まったく、なにが提督だ」
ぼやいてドアを開けると、氷の風が吹き込んでくる。
屋上に出ると、いくつかのさびれた物干し台が出迎える。今は何も干していなかった。
見回してみると、手すりによっかかって海を眺める者が一人いた。癖のある長い髪を腰まで下ろしており、格好は巫女のようだった。
若葉が、その背中に声をかける。
「隼鷹……おい、隼鷹!」
隼鷹と呼ばれた女性――艦娘は、顔だけゆっくり振り返った。
「ンだよ若葉ぁ、今けっこういい気分なんだ。酔いが目にきちまってさァ、ついさっき泊地に提督が戻ってくンのが見えたんだよ。まったくいい夢見れ――」
俺の顔を見た途端、ふやけたような顔色を真っ青にした。
「て……提督ッ」
隼鷹は全身で振りかえって敬礼してきた。左手は背中に回しており、何かを隠しているように見える。
「昨日話したろう、新しい提督だ」
若葉の説明に、一瞬ポカンと口を開く。
「え? 新しいって……ん?」
隼鷹は目を細めて俺の顔を覗きこむ。
「あぁ、なんだ脅かすなよ……。あんた、清二と似てるねぇ」
あきつ丸が何か言おうと前に出た。俺は軍帽を脱いで、それをあきつ丸に押しつける。
「持ってろ、これがない方が勘違いされないだろう。あと、無礼だなんだはこの際何も言わなくていい」
「……ハァ。承知」
もはや諦めたと言いたげに下がる。
「本日付でここを任されることになった、本間清一だ。清二は俺の弟だ」
自己紹介すると、隼鷹は「あぁ!」と納得したように頷いた。
「やっぱりそうかぁ。いやー、どうりで似てると思ったよ。雰囲気は正反対だけどさ」
言いながら、隠していた左手を持ちあげた。カップ売りされている安酒を持っており、一口あおった。
「びっくりしたねぇ。清二にゃ昼間に呑むなってうるさく言われててさぁ。さっきは思わず、清二が戻って来たかと思って焦った焦った……」
見ると、足元にも同じカップがいくつか転がっていた。
「清二でなくとも、昼間に呑む部下は叱るもんだと思わないか?」
「まぁ、叱るよなぁ。でもアンタにはまだ叱られてない。つまりこいつぁ初犯ってわけで、次回から懲罰の対象って感じだろ?」
笑って、カップへもう一度口づける。
その様子を見ているうち、だんだんと腹が立ってきた。
なぜ俺はこんな所にいるんだ。
このクソ溜めを管理するのはいい。だが、真昼間から上官の前で酔っぱらう恥知らずの世話をしろと言われた覚えはない。
恐らくこいつは、知っていても俺を上官だとは思ってないだろう。
こんな場所でエラぶる気はない。だが上官と部下の関係が崩れた軍属など、考えただけで反吐が出る。そんなものは、ただの愚連隊だ。
俺自身に残された最後の尊厳。軍人としての経歴を、こいつの行いは真っ向から否定してくるのだ。
どうせ先の見えない身の上だ。いちいち上官らしい見栄を張ろうとは思わん。だが臨時とはいえ提督として、
「それに、こいつは祝い酒だ。新しい提督さんは、自分を歓迎する祝杯にもお叱りを与えるおつもりですかい?」
こいつは俺を怒らせたいのだろうか。
背後であきつ丸が奥歯を噛み締めている。若葉は額に手を当てて首を振っている。
――いや、そもそもこれは、酔っ払いの世迷言だ。まともに付き合う方が間違っている気がしてきた。
そう考えを改めなければ、俺はこいつを殴って留飲を下げるしかない。
煮えた腹の内を冷やすため、チビチビと呑み始めた隼鷹に歩み寄った。
手が届くほど近くに寄ると、酔っているとはいえ狼狽した様子を見せた。
「な、なんだい」
「よこせ」
隼鷹の手からカップをひったくる。
「俺にも呑ませろ」
あっけにとられた顔を無視して、半分ほど残っていた酒を一気に飲み干した。
「……ひでぇ酒だ。こんな安酒で俺を歓迎したつもりだったのか。冗談じゃない」
空いたカップを隼鷹にさし出す。彼女はカップを茫然と見つめた。
「こんなゴミ溜めで働くんだ。呑まなきゃやってられん気持ちはわかる。だがこんな酒で祝われるのは、癪に障るぞ」
干したカップを、ずいっと押しつける。
「艦娘、所属と艦艇名を述べよ」
受け取ったカップを見つめ、その後笑いだした。
「……ハハッ。あんた、おもしれぇ人だね」
カップを左手に持ち替え、再び敬礼する。表情も目つきも硬くなった。
「所属、単冠湾予備泊地。艦艇名、隼鷹。軽空母だ」
「よし。今後は俺の指揮に従ってもらうが、まず最初に一つ命令する」
真面目な顔が一気に崩れ、背後に積まれたカップの山を省みた。
「真昼間に呑むな。それと、深酒はよせ。手に出てるぞ」
敬礼のピンと張りつめた指先が、にわかに震えていることを指摘した。
「おおかた、ここに異動してきた理由がそれなんじゃないのか」
隼鷹は敬礼を解き、震える手を見つめた。
「……いや、少し違うさね」
自嘲のこもった笑みを浮かべる隼鷹に、今はそれ以上訊こうとは思わなかった。
「ところで、もう二隻の艦娘がここに所属していると聞いた。夕立にはもう会ったんだが、他の連中はどこにいるか分かるか」
手すりによりかかり、湾を見渡してみた。
相変わらずシケた風景だが、天候は徐々に晴れてきていた。沖の雲に切れ間ができ、日の光が帯のように海へ落ちている。
「そんなら、一人あてがある。案内しようか?」