一二〇〇を五分ほど遅れ、北上が執務室に顔を出した。
「お待たせ」
「遅い。お前のせいでこいつらがメシを食う時間が五分減ったんだぞ」
執務室には、球磨を除いた艦娘全員を招集していた。
壁に寄り掛かった隼鷹が、へらへらと手を振る。
「提督、北上の遅刻はいつものことだよ。五分で怒ってたら、いつか憤死しちまうよ?」
「あんたに言われたくないけどねぇ」
軽口をたたきあう二人を、部屋の隅で見つめる夕立。
若葉に命じて、寝室から彼女を連れてこさせた。落ちつきを取り戻していた彼女は、小動物のようによそよそしく俺に謝罪してきた。
彼女は現場経験がまるでないらしく、はっきり言ってこのメンツの中では最も扱いにくい艦娘だ。
若葉は言うに及ばず、隼鷹も北上も他の司令部で経験を積んできた経験者だ。軍隊での身の振り方を〝曲がりなりにも〟心得ているおかげで、普通の軍隊で指揮を執った経験しかない俺でも手綱を握るのは難しくない。
しかし、兵卒とは名ばかりの少女相手となると、接し方一つ取っても経験や知識が俺には不足していた。
今後の付き合いに関しては、他の者以上に気を使うべきだろう。
「……まあいい。始めよう」
傍らのあきつ丸に手を振る。
彼女は頷き、声をはった。
「総員、注目!」
あきつ丸の号令に、北上はそれとなく姿勢を正し、隼鷹は壁から背を離してこちらを見る。
若葉は相変わらずの無表情。夕立は表情をこわばらせて向き直る。
「さて、改めて自己紹介をしておく。本日より単冠湾予備泊地の司令官に着任した、本間清一だ。階級は……今もそう名乗っていいかは分からんが陸軍少尉だ」
すると、あきつ丸を除く全員の顔色が変わった。
この反応は予測できていた。
「え……陸軍将校が、なんで?」
北上は一歩前に出て、自然とあふれてきたであろう疑問をぶつけてくる。
「皆も知っての通り、昨今の世界情勢は陸海軍の余剰軍備を削減することに躍起になっている。俺もちょうどその煽りを食らってな。今は除隊と出向の間にいるような立場さ」
要領を得ないと言わんばかりの北上に代わって、隼鷹が進み出た。
「まちなよ。それじゃアンタはどうしてこんなトコにいんのさ」
「俺の父が軍医総監でな。強引にここへの配属が手配されたんだ。ある意味、親の七光りってやつさ。他に仕事がなかった」
何も隠しだてせずに話しているのだが、やはりと言えばやはり、誰一人として納得した表情は見せなかった。
「……狙いは、清二司令官への弔いか。父の命令というのは」
扉の前にいた若葉が、唐突に口を開いた。
皆が一様に若葉を振りむく。
弔い。つまり、清二を死に追いやった要因たるこのゴミ箱泊地へ報いを与えるため俺が寄こされたのか。という質問だろう。
そう思われても仕方がない。
「……いや、俺も父も、清二の死は自業自得が招いた結果だと思っている。今更、清二を弔うつもりはない」
若葉の視線は、それでも俺から離れなかった。話の続きを促しているようだ。
一呼吸置いて、俺は続けた。
「実を言うとな、俺も分からないんだ。なぜ父が俺をここに寄こしたのか。ただ一つ、〝清二が守りたかったものを見てこい〟とだけ言われた」
皆の視線が少し和らいだように感じた。
ただ一人、若葉を除いて。
「その、守りたかったものというのは、なんだ?」
目をふせがちに、若葉は口を開く。なにか、迷いのある表情だった。
「さあな」
煙を吹き上げ、背もたれに腰を預ける。
「むしろ俺が教えてほしいくらいだ。お前らの人権を願っただけで、どうして清二は死ななきゃならなかったんだ? 別の理由があったように思えてならないのが、正直なところだ」
そう言うと、皆は困ったような表情を浮かべた。
しかしここでも、若葉だけは違った反応を見せた。
「それは、提督個人の感か? それとも、誰かがそう言っていたのか?」
傍らで、あきつ丸が歯ぎしりを立てている。気にするなと言っているのに、まだ若葉の態度が気に入らない様子だ。
色々と思うところはあるが、これ以上この話を続けると彼女らの居住まいが悪くなりそうだ。
「勘違いするな。さっきも言ったが、俺はお前らに弟の死の責任を問う気はない。嫌みに聞こえたなら勘弁してくれ。一応、家の長兄として弟の不始末には厳しく向きあう義務があると考えている。それだけだ」
紫煙を手で払い、煙草盆に火皿の灰を叩き落とした。
「ともかく、俺からの自己紹介はこれくらいだ。他に質問はあるか?」
すると、部屋の隅にいた夕立がひょっこり出てきて手を上げた。
「はい!」
「質問があるのか?」
「はい。提督さんは――」
俺は手で言葉を制した。
「待て。上官に物を申す時、そんな態度でいいのか?」
「ひっ ……え、あの……」
明らかにうろたえて、両腕を胸の前で抱いてあとじさる。また目に涙が浮きだした。
作法を知らないことは承知していたので、教育するつもりで諭したのだが……そこまで厳しく聞こえただろうか?
「……姿勢を正して敬礼だ。それくらいでいい」
やはりこの子は調子が狂う。新兵教育じゃ、訂正のたびに平手やゲンコツをかましていたものだが。
「は、はい! 失礼しましたっぽい」
夕立は言われた通り敬礼し、背筋を伸ばした。
「ぽ、ぽい?」
さすがに絶句した。
「なんだそれは。自分じゃ失礼したつもりがないと言うのか?」
どうでもよかったが、俺が先んじて指摘しないとあきつ丸が厳しく当たりかねない。
頭が痛くなってきた。煙管を置いてこめかみに指をあてる。
「ご、ごめんなさい! 口癖で……」
口癖……。それは育ちの中で身についた習慣の話なのだろうか。それとも艦娘特有の事情があるのだろうか。
「はぁ……。かまわん、質問したまえ」
考えるだけ無駄だと判断し、話を先に進めることにした。
「は、はい! 提督さんは陸軍出身なんですよね? 艦隊司令部のお仕事はできるんですか?」
なるほど。もっともな疑問だ。
「確かに俺は、提督業の内容は書類に目を通した程度の知識しかない。ゆえに今後実務を通して勉強させてもらうが、至らない点があれば遠慮なく指摘してほしい」
一旦言葉を切り、傍らのあきつ丸に視線を向けた。
「それに執務に関しては、同じく本日付で着任したこのあきつ丸が補佐を務めることになっている。ちょうどいい機会だから、ここで挨拶してくれ」
あきつ丸は執務机から一歩前に踏み出し、皆に見せつけるように陸軍式の敬礼をぴしゃりとかました。
「大日本帝国陸軍、船艇管理部から参りました。自分、揚陸艦のあきつ丸であります。将校殿の執務補佐、ならびに秘書艦を務めさせていただきます。以後、よろしくお願い致します」
これ以上ないほど模範的な自己紹介だが、彼女の視線はその場の誰にも向けられていない。これから仲間になろうという意思をまるで感じない態度だ。
ハナから仲良くする気などなく、ただ儀礼的に挨拶を行った。そんなふうに見える。
他の者もそれを察してか、曖昧に返事を返すか軽く会釈する程度の反応しかしなかった。
敬礼を解き定位置に戻って来たあきつ丸に一瞥をくれてやると、しれっとした表情でそっぽを向いた。
「よし。それでは今後の艦隊勤務については後に協議を行いたいと思う。ひとまず、昼食にしよう」
そう言って、皆の反応を見る。
夕立は明らかにホっとした様子でため息をつき、北上は大きくノビをした。
隼鷹は、杯を掲げるようなしぐさを交えて笑いかけてくる。
若葉は微動だにしない。
「ここは、食事はどうしているんだ。食堂は営業していないようだが」
若葉に尋ねると、先に隼鷹が答えた。
「ここのメシは三通りある。一つはつぶれた食堂で自炊。もう一つは最寄りの単冠湾第二泊地から出前。最後は、ちっと遠出して露助がやってる居酒屋だ」
「最後のは、あんたしかやったことないでしょ」
苦笑しながら北上が付け加える。
「ま、今から食べるなら自炊しかないと思うけどね。出前は一時間くらい待つし、なにより高いし」
確か、地図を見る限り第二泊地は車で三十分以上はかかる場所にある。
「高いというと?」
「臨時の資材分譲扱いになるらしくてさ、えらく費用請求されるの。食事だけでいいって言っても余分な物資とか押しつけてくるし」
唇を尖らせて話す北上の様子は、冗談めかしてはいるもののどこか憂いを帯びていた。
恐らくそれは、実際に嫌がらせのようなものなのだろう。向こうからしてみれば、不要な人材の口減らし所である予備泊地なんぞ目の上のコブでしかないだろうから。
出前はできるのに、こちらから泊地に出向いて食事するという選択肢を上げなかったのは、そういう理由があるからなのかもしれない。
「わかった。それじゃ、誰かメシを作れる奴に任せよう」
すると、若葉たち三人の視線が一斉に夕立へ向けられた。
「夕立、任せる」
若葉が言うなり、隼鷹も北上もうんうんと頷いて同意した。
「提督、夕立のメシはなかなかの一品だよ? 特に肉じゃがは乙なもんさ」
隼鷹がはやし立てると、夕立は顔を赤くして「そんなことないっぽい」とはにかむ。
「そうか。では夕立、調理を頼む。他の者は、俺と一緒に波止場まで行くぞ」
煙管をかますに入れてコートのポケットに突っ込み、立ち上がる。
「昼餉の前の運動といこう」
艦娘たちを連れ、輸送船を着けた波止場まで戻ってきた。操舵室で居眠りしていた船長を叩き起こし、船で引っ張ってきたボートを波止場まで寄せ付けさせる。
「隼鷹、北上はボートに乗り移って、部品を一つずつ取れ。若葉とあきつ丸は、波止場の上からそれを受け取ってこいつに乗せ代えろ」
輸送船から下ろした荷車を軽く蹴って示す。
隼鷹と北上はあからさまに面倒くさそうな顔をして呻いた。
「うへぇ、マジかよ。艦娘使いが荒いどころの話じゃないね」
「そういうのは水夫の仕事だと思いまーす」
「お前らは水夫だ。それともタダ飯喰らいの生き遅れか? 好きな方を選べ」
二人はむくれた表情で、しぶしぶとボートに降り立った。ボートいっぱいに積まれた荷物を踏まないよう、二人はボートの縁の上を歩く。
「ちぇ。もう少し愛想よく言ってくれりゃ、清二司令官とウリ二つなんだけどねぇ」
北上は軍手をはめ、荷物の縄をほどいて防水布を取り除いた。
「……おお? こりゃ立派なブツをお持ちで」
顎に人差し指を当て、積み荷をまじまじと見つめる。
まず現れたのは、北上の身の丈よりも大きな一本の砲塔だった。無骨な黒い塗装を施されているが、砲口の辺りだけ塗装が禿げており、下地の鋼がむき出しになっている。しかし、煤やサビなどの汚れはまったくない。その傷は大切に使いこまれた証であり、ずさんな管理のせいではないことが見受けられた。
傍らには、設置台と見られる寸胴の鉄塊と、細かい部品を納めたずだ袋が据えられている。
「なんだいなんだい、やけに物騒な荷物じゃないか」
隼鷹がそれを見て、いぶかしげに清一を振り返る。
「札幌駐屯地から押し付けられた餞別だ。俺はそこで、砲兵科の教官をやっててな。訓練用の野戦高射砲がちょうど代替え時期だからって、無理やり持たされたんだ。欲しけりゃくれてやるから、あの溶接機でオブジェにでもしてくれ」
一〇式八粍野戦高射砲㊕改。通称、マル特一〇八高砲。
大戦中に運用された八八式七粍野戦高射砲を原型に、対深海棲艦兵器として改修設計された高射砲である。元は複数人で運用する高射砲だが、艦娘の艤装で扱われるものと同じ規格の砲弾を撃てるよう設計されているため、サイズは一人でも運用できる程度に抑えられている。それでも基本は二人以上で扱うものだが。
まだ艦娘が実戦投入されていない頃に設計され、本土防衛戦に運用された。現在は艦娘にその役割を追われている。
とはいえ、深海棲艦に対し有効打撃を与える砲弾を常人の手で扱うことのできる兵器は、あまりない。それこそ艦娘の保有数が少ない陸軍では、この野戦砲は現役の戦力として認識されている。
「弾がないよ? 忘れてきた?」
北上は目を輝かせて、ずだ袋の口を解く。
「あるわけないだろ。どの道、もう撃てんように手が入っているはずだ。でなけりゃ俺個人で所有できる物じゃない」
「だよねぇ、もったいない――ん?」
ずだ袋から、布切れを取り出す。
「提督……こりゃ、こんなとこに入れちゃダメだよ」
紫色の上等な絹で、金糸の桜模様で縁どられた腕章だった。中央には菊の御紋が刺繍されている。
駐屯地の私室に置いてきたはずのものだった。部下の誰かが余計な気を回したのか、あるいは嫌がらせのつもりで仕込んだのだろう。
俺が賜った中で、最も大きな賞与だ。そして、最も気に障る印だ。
「いいねぇ、シルクじゃん。てか、菊紋はもっと大切にしようよ。一応まだ帝国軍人だろ?」
隼鷹が、絹の感触を指先で弄ぶ。
「欲しけりゃやる。俺にはもう必要ない」
背後で、革靴が砂利を踏む音がした。
振り返ると、腕章を見つめる若葉の姿がある。
見開かれたその目は、腕章の菊紋を捉えて離さない。
一歩、また一歩と、怯える小動物のようにあとじさっている。まるで死にかけのコイが水面でもがくように、口を開けて荒い呼吸を繰り返した。
「……どうした」
声をかけた瞬間、若葉は駆けだした。
体でぶつかるように司令部のドアを開き、中へと消えていった。
その様子を見ていた隼鷹、北上へ視線を戻すと、二人はあっけにとられたような顔で、大きな音を立てて閉められたドアを眺めている。
「て、提督。あの子、どうしたの?」
「若葉があんな顔したの初めて見たぜ?」
「……俺が訊きたい。腕章を見たようだが」
あきつ丸に目をやると、わけがわからないと言いたげに目を細めてため息をついている。
「放っておくのであります。異常な手合いが何をしようと、いちいち気にするより手を動かす方が建設的であります」
先の夕立と球磨を見た後のあきつ丸は、そろそろ若葉の行動にも理解を示し始めたようだ。いい方向にではないが。
「今は……それでいいか。北上、隼鷹、はやく引き揚げろ」
あの仏頂面があそこまで恐怖に染まる理由は、心底気になった。
あいつも、ここにいるからには相応の〝ワケあり〟なのであろう。
だが今は、あきつ丸の言う通り後回しだ。