吹奏楽の知識が全くないため設定が結構ガバガバだと思いますがお許し下さい。
今年はあと1話書けるか書けないかぐらいだと思います。
あとがきに続きます
オーディション当日
朝、スマホのアラームが鳴り目を覚ます。ディスプレイにはいつもどおり5:40と表示されている。大きく伸びをしてベッドから出る。今日はついにオーディションの日である。
俺はこの日、懐かしい夢を見ていた気がする。
1年前 関西大会当日
この日、俺と宗人は宗人の父親に車を出してもらい吹奏楽部の関西大会の会場である兵庫県の尼崎総合文化センター、通称「アルカイックホール」に来ていた。
北中吹奏楽部は府大会をもって脱落してしまい3年生の俺たちは実質引退という形になっていた。受験生ではあるものの気分転換も含めてこの場にやってきた。やはり一番の明確な目的としてはなんと言っても小学校からの幼馴染であり元先輩の久美子先輩と秀一君が北宇治高校吹奏楽部として出場するからである。北中は勿論、北宇治高校も昔は強豪校であったらしいが今となっては見る影もなかった。しかし今年急に関西大会に出場を決めたのだ。
県、府大会を勝ち抜いてきた様々な学校が入り乱れている会場にたどり着き俺たちは興奮を隠しきれていなかった。現地に着いたが北宇治の演奏まではまだ約30分ほどの猶予があった。あわよくば先輩たちと会えればと思っていたのだがやはり本番前なのでおそらくリハーサル室にいるのだろう。特にやることもなかったので宗人と父親と3人でホールへ入ることにした。適当に空いている席を探しているとちょうど3つ空いているところを見つけたので隣に座っている人に「すみません、隣大丈夫ですか?」と聞くと「はい、どうぞ」と返ってきた。
5分ほど演奏が続き、次の学校のアナウンスがされる。
『明静工科高等学校』、北宇治高校のひとつ前で関西3強と謳われている内の1校だ。アナウンスされた途端、周りの空気が明らかに変わった。
ひとつ前の学校とは1音目からその違いが如実に表れていた。
終始演奏に圧倒される12分弱を終え、待ちに待った北宇治の出番がやってきた、こっちまで緊張してきたが、そんな心配は必要無いと言わんばかりに素晴らしい演奏をやってのける。特に驚いたのは立華高校に推薦を貰っていたはずの高坂先輩が北宇治に入っていたことと1年生ながらにプロ顔負けの演奏でソロパートを務めていたことだ。明静工科高校にも匹敵する演奏を聴き鳥肌が止まらなかった。
北宇治の演奏が終わると一息つくために飲み物を買おうということで席を立ち、宗人の父親にお金を貰い自動販売機へ向かった。
自動販売機を見つけて飲み物を買っていると北宇治高校の制服を着た人が1人歩いているのを目撃する。
「なあなあ、あれって北宇治の制服やんな?」
宗人がコーヒーを自動販売機から取り出しながら聞いてくる。
「多分そうっぽい…」
「せっかくやし久美子先輩たちどこにおるか聞いてみるわ」
そう言って俺に飲み物を預けて走り出す。知らない人に対しても臆することなく話せに行けるところが羨ましい。
「あの…すみません。北宇治高校の方ですか?」
宗人が近づいていった。
北宇治の生徒は、宗人よりも若干低い身長で黒いロングヘアに赤縁の眼鏡をかけた抜群のプロポーションを誇るかなりの美人だった。初めて会ったはずなのに何故かどこかで一度見たような気がする。
「…?はい、そうですけど…なんでしょうか?」
その女性の双眸はどこまでも黒く深くてまるでここではないもっと遥か遠くを見据えているような感じがした。
流石の宗人も少し怖気づいたのか一瞬間を置いて言葉にする。
「僕たち、北中の在学生で黄前久美子さんや塚本秀一さんの元後輩でして、もし、今どこにいるか知っているなら教えて頂けたらなあと思いまして…」
珍しく宗人が吃る。
「あぁ~なるほど!後輩ね…一瞬ナンパされちゃったかと思ったわ」
そう言って女性はわざとらしく笑った。
「久美子ちゃんなら番号知ってるから電話してあげよっか?」
「はい!ありがとうございます!」
2人揃って礼を言う。
中学生ということもありまだ2人は携帯を所持していないのだ。不便。
「あ~、もしもし久美子ちゃん?うん、ちょっとな…今どこにおる?うんうん、おっけー!そこで待ってて、今からそっち向かうわ」
そう言って電話を切ると、着いて来てと手招く。
「君たちなんで関西大会まで来たの?いくら久美子ちゃんたちが中学の時の先輩とはいえ、それだけで京都からわざわざここまで来うへんやろ?」
歩きながら女性が質問してきた。
「あ…いえ、実は後輩なのは後輩なんですけど小学校からの幼馴染なんです、それで付き合いが長くて…今回関西大会に出場するって聞いたのでそれで父親に連れてきてもらったんです」
「ふ~ん、幼馴染ね~…君たちは楽器何してるん?」
「僕たち今3年生なんで府大会で引退したんですけど僕はトロンボーンでした」
「あ、僕はユーフォニアムでした」
「へ~!ボーンとユーフォか~!うち、久美子ちゃんの隣でユーフォ吹いててんけど覚えてる?」
その言葉を聞いて、初めて会ったはずなのに一度見たことがあったような気がしたのはそういうことだったのかと先ほどの違和感に納得する。
歩きながら談笑すること約5分、目的の人物がベンチで座っているところを俺たち3人は見つけた。
「さて、目的の人物も見つかったことやしうちはこの辺で退散するわ」
「え…ここでですか?」
「別にうちは毎日部活で会ってるからええよ、せっかくなんやし幼馴染同士話してき」
ほれほれと手を払い、早々に立ち去る女性の後ろ姿に俺たち2人は頭を下げた。
「久美子先輩!」
宗人が手を振って彼女の方へ駆けていく。
「え!?どうしたの?」
勿論ここに俺たちが来ることは先輩たちには黙っていたので当然の反応だろう。
「先輩たちが関西大会に出るって聞いたんで応援に来たんですよ、演奏すげえ感動してぶわーって鳥肌立ちました」
宗人は手を大きく動かして大げさに振舞った。
「ありがと…でも、私がここにいるってよく分かったね」
軽く微笑んだ。
「あ、それは北宇治の人に案内してもらったんですよ、さっき電話きたはずですよ」
久美子先輩の疑問に俺が補足する。
「あ~、それであすか先輩から電話きたのか…あすか先輩は?」
そう言ってキョロキョロと周りを見渡した。
「さっきの人、あすかさんって言うのか…」
宗人が呟く。
「それが、さっきまで案内してもらってたんですが久美子先輩を見つけたら帰っていったんです」
久美子先輩の質問に俺が付け加える。
「そっか…」
先ほどからどうにも久美子先輩は元気が無いようだ。
「それより久美子先輩は1人でこんなところでどうしたんですか?」
「ちょっとね…確かに私たちは今日、今までで最高の演奏が出来たと思うんだ…でも、明静工科の演奏を聴いた時、まだ足りないって感じたんだ。それで私、どこか心の中で彼らの失敗を願う自分がいたの、そんな自分が嫌になっていたところなの」
自嘲気味にえへへと苦笑いをしている。
「別にそれぐらい普通じゃないですか?」
宗人が真面目に話し出す。
「え?」
「だって、直接妨害したわけでも無いし…それにそれぐらい本気で全国に行きたいってことでしょ?勝負事なんだからどこかが勝ってどこかが負ける、だから僕はそれが間違いだとは全然思わないですよ、結果が全てなんですから…」
「そっか…ありがとね、ちょっとは罪悪感も晴れた気がするよ」
時計を見て久美子先輩は続ける。
「そろそろ戻らなくちゃ…そう言えば秀一にはもう会ったの?」
「いえ、会えてないです」
「電話してあげようか?」
「もう時間もないみたいですし大丈夫です、会おうと思えばいつでも会えますし…それとあすかさんにお世話になりましたと伝えておいてください」
俺たちは時計を見て申し出を断った。
「分かった…じゃあまたね」
バイバイと言って立ち去る。
「俺たちも戻るか」
先ほど買った飲み物は既に冷たさを失っていた。
俺たちが席に戻ると宗人の父親は爆睡していた。演奏をしているのは最後の1校のようだ。
そして、いよいよ結果発表の時間がやってきて、見事北宇治高校は金賞を獲得した。
『続きまして、全国大会に出場する高校の発表をします』
その言葉につい息を止めてしまう。
『1校目……3番、大阪府代表、大阪東照高等学校』
ぎゃあーっと会場のどこからか割れんばかりの歓声が聞こえてくる。いくら3強と言われていても全国行きを手にすることは相当嬉しいことなのだろう。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが。
『2校目……15番、大阪府代表、明静工科高等学校』
これで3校の内2校が決定した…いよいよ残りの枠は1校となる。
『そして3校目…これが最後になります』
少しの沈黙のあと最後の高校が発表される。
『3校目……16番、京都府代表、北宇治高等学校』
最後の発表の後、俺たちは顔を合わせてハイタッチする。まるで自分たちのように喜んだ。
今思えば、この日が北宇治高校を目指すきっかけとなった日なのだ。
低音パート練習教室
オーディション直前、呼び出されるまでいつもの教室で待機している。
梅雨はいまだに明ける気配を見せない。
「次、ユーフォスタンバイしてください、音楽室までお願いします」
教室に顔を出したのはマネージャーである加部先輩だった。
「あ~、もうそんな時間か…」
夏紀先輩が楽器を抱えて立ち上がる。それに続いて、久美子先輩、久石、俺も立ち上がる。
「4人ともファイトやで!全力全力!」
加部先輩の緊張感のない声援が飛んでくる。
「順番は、夏紀、黄前ちゃん、神木君、久石ちゃんやからよろしくな、先生たちの休憩があるから、そのあとのチューバ組はユーフォ組終わって20分後からでお願いしますね」
加部先輩はそう付け加えた。
「奏ちゃん、体調悪いの?」
久美子先輩の問いかけに、久石がはたと顔をあげる。
「いえ、大丈夫です、気にしないでください」
「緊張してるんか?久石らしくないやん」
「失礼な、緊張なんかしてませんよ」
青ざめた唇が明確な否定の言葉を発する。
「落ち着いて、奏ちゃんなら、普段通りの実力を示せばいいだけだから」
「はい…」
久美子先輩の助言に久石は短く返事した。
そして、4人は音楽室前に移動する。
「じゃあ、先にちゃっちゃっと終わらせてくるわ」
1番手である夏紀先輩が音楽室へと消えていく。
「ありがとうございました」
数分後、夏紀先輩が音楽室から顔を覗かせた。
「次、久美子の番、頑張りや」
励ましの言葉に久美子先輩がコクリと頷き、教室に入る。
そして、いよいよ自分の番が回ってきた。
「拓海君、落ち着いてしっかりとね」
「はい」
そう言って楽譜ファイルを腕に抱え、音楽室の扉を開く。
音楽室では滝先生と松本先生が隣り合って座っていた。俺は譜面台に楽譜を置いて演奏の準備を始める。
「では、学年と名前と楽器担当を」
「1年、神木拓海です。ユーフォニアム担当しています」
「では、まずは課題曲からいきましょうか」
「はい」
滝先生の指示に従い、指定されたフレーズを演奏する。
「ずいぶんと落ち着いていますね」
「そ、そうですかね…」
それから5分ほど演奏を続けてオーディションの終わりを告げた。
次の人を呼んでくださいという指示に従い音楽室をあとにした。廊下にはまだ夏紀先輩と久美子先輩が腕を投げ出すようにして窓枠にもたれかかっていた。
「次、久石の番やで、頑張れよ」
そう声をかけると久石は無言のまま立ち上がり扉が閉まったのを見届け2人に声をかける。
「2人ともまだいたんですね」
「まぁ…なんとなくね」
音楽室の中から漏れるユーフォの音色が聴こえてくるが明らかにいつもとは違う音だった。
その音を聴いた夏紀先輩は顔をしかめ大きく舌打ちをした。
「あの馬鹿…」
その呟きに被さるように再び大きく外した音が響く。久石にしては明らかに変なミス…おそらくわざとだ。同時に久美子先輩も異変に気づいたようだ。そんなことを思っていた刹那、夏紀先輩が蹴破るようにして音楽室の扉を開いていた。躊躇なく室内に飛び込んでいく先輩に俺と久美子先輩は思わず目を剥いた。
「えっ?ちょっ、先輩!?流石にまずいですって!」
慌てて久美子先輩がかけた声が裏返る。その抑止も聞かず夏紀先輩は久石の腕を強引に引き上げ無理やり立ち上がらせる。それを見ていた松本先生は渋い顔で眉間を押さえ、滝先生はやれやれと肩をすくめている。
「中川さん、今はオーディションの時間ですよ」
滝先生に咎められても夏紀先輩は動じず言葉を発する。
「久石さんは今、体調が悪いみたいなのでオーディションをあとに回してもらってもいいですか?」
「何勝手なこと言ってるんですか!」
久石は声を荒げて夏紀先輩に反論した。
「私は副部長として、久石さんのオーディションを中断すべきだと考えています。先ほどの久石さんの演奏はあまりにも彼女の実力とはかけ離れています」
「私の実力なんて先輩は知らないでしょ!誰だって緊張したらミスぐらいします。今の演奏が私の実力なんです!」
「滝先生だって本当は分かってますよね?今からコイツの頭を冷やしてくるので少しお時間頂けませんか?」
夏紀先輩はそう言って先生2人に頭を下げる。滝先生は険しい表情のまま少し沈黙した後、やがて根負けしたように大きくため息を吐き、口にする。
「分かりました…では、今回は特例とします久石さんのオーディションは最後に行います」
「先生、ありがとうございます」
再び、夏紀先輩は頭を下げ礼を言うとそのまま久石の腕を無理やり引っ張ってその場を後にする。
「あ…し、失礼しました~」
その場に残された俺と久美子先輩は申し訳なさそうに誤り久石の楽器を教室から回収してそそくさと退散する。
「2人ともどこに行ったんだろう?」
廊下を歩きながら久美子先輩が呟く。俺は少し考えてある場所を思い出す。
「先輩、こっちです」
屋上につながる階段、そこで2人の姿を発見する。
夏紀先輩が久石の肩を掴み、そのまま壁へと身体を押し付ける。こんなところで同性同士の壁ドンを見る羽目になるとは……。俺と久美子先輩は少し離れたところで立ち止まる。
「うち、ずっとアンタに嫌われてるんやと思ってたわ」
まだ部活に入って3ヶ月だが夏紀先輩が他者に対して本気で怒っているところを初めて見た。久石は夏紀先輩の顔を睨み据えると、その口端を挑発的に吊り上げた。
「現に今だって嫌ってますよ、勘違いしないでくれますか?」
「じゃあなんで手抜いたん?」
「大体どうして私がわざと手を抜いたと思ってるんですか?そんなことしても私にメリットなんてひとつもない…」
「だからや」
夏紀先輩が久石の言葉を遮る。
「アンタにメリットなんか1個もない。理由は知らんけどアンタは手を抜いた。自分のチャンスを犠牲にしてでもうちがAに行くことを選んだんやろ?」
「自意識過剰はやめてもらえますか?」
「本気を出したらうちより上手くなるからわざと音を外して、下手くそに吹いて…それがどれだけ失礼なことか分かってるんか?」
夏紀先輩は冷ややかに睨みつけ吐き捨てるように続ける。
「次も同じことしたら、うちオーディションを辞退するで、コンクールも出えへん」
あまりの暴論に久美子先輩が口を挟んだ。
「辞退だなんて冗談でも言わないでください」
「冗談ちゃうわ!こんな舐めた真似されて、それでAになれたらアホみたいに喜べってか?後輩の枠を潰して平然と受け入れろってか?」
「ふざけないでください、オーディションを辞退だなんて…それじゃあ、私はなんのために…」
久石の細い腕が夏紀先輩の胸ぐらを掴もうとしたがそれは空を切り結局何も掴めないまままっすぐ見据える。
「奏は何を考えてるん?アンタの本音を聞きたいんや」
「……本音」その手のひらを固く握り締めた。
「そんなの……あなたが3年生だからですよ!下手な先輩は存在自体が罪なんですよ、本人が気にしなくても周りは気にする。みんな中川先輩がAになってほしいと思ってるに決まってる。それなのに先輩はその期待に応えるだけの実力を持ってるか怪しいじゃないですか!今年が最後のチャンスなのに私のせいであなたはAじゃなくなるかもしれない…それがどういうことか本当に分かっているんですか!?」
久石はそこで一旦区切り返事を待たずにさらに続ける。
「あなたがいい人なことぐらい知ってます。副部長で、人望があって、練習だって真面目にやってる。そんなあなたを見て皆が頑張ってるって評価する。それであなたがオーディションに落ちたら声を揃えて言うでしょ『あんなに頑張っていたのにどうしてあの人はAじゃないんだろう』って……。声に出さなくたってそう心の中で思うに決まってます。私は周りから疎まれたくないんです。オーディションでミスしたのはあなたのためじゃない、私自身のためです」
そう吐き捨てるように言うと、久美子先輩は彼女らに近づき言葉を発する。
「奏ちゃん…やっぱり、奏ちゃんは甘いよ」
「……?」
「奏ちゃんが手を抜いたって、夏紀先輩の結果が変わるわけじゃないんだよ……。私と拓海君だけ合格するかも、滝先生は実力がなければ容赦なく落とすよ?…奏ちゃんは十分頑張ってるよ、それぐらいみんなだって分かってるよ、頑張ってないって言う人なんているわけないじゃない」
「久美子先輩……」
最後の言葉を告げた瞬間、久石の目が見開かれたと同時に目の淵から涙が滑り落ちる。
「はぁ~なんか気づいたら久美子にええところ全部持っていかれたなぁ~」
先ほどまでの剣呑だった目つきはすっかり戻り夏紀先輩は苦笑して久石の頭をくしゃくしゃと撫で回した。
「何するんですか?」
「何するんですかちゃうやろ?うちになんか言うことは?」
少しの沈黙のあとに久石は渋々と言葉にした。
「すみませんでした…」
「許す!じゃあ、まだ先生たち休憩中やと思うからうちと久美子は先に戻って謝ってくるな、奏は落ち着いたら戻ってき」
「はい…」
「え…?私も行くんですか!?」
「後輩がやった始末は先輩がつけんとな…このとおり!」
手をパンと合わせて夏紀先輩が久美子先輩にお願いする。
「いや、先輩が勝手に引っ掻き回したと思うんですけど…まぁいいです、サーティワンで手を打ちましょう」
「はぁ…ちゃっかりしてんな~。拓海、落ち着くまでアイツのこと頼むわ」
2人は階段の踊り場から降りてくると今まで少し離れたところで3人の言い合いを見守っていた俺に夏紀先輩が小さく言って音楽室へ向かった。そこで初めて気づいたのか久石は慌てて涙を拭いてこちらに声をかけてきた。
「な…!?いつからそこにいたんですか?」
「久美子先輩と一緒に来てたで」
「全然気づきませんでした…どれだけ影薄いんですか」
「やかましいわ」
はぁ…とため息をついて真剣な顔で続ける。
「せっかくくれたチャンス、次は絶対手抜くなよ、もし抜いたら一生軽蔑するからな」
「分かってますよ……。神木君は先輩にAを譲ろうとは思わなかったんですか?」
「……。中学の事があったから正直迷っててんけど1ヶ月前ぐらいに夏紀先輩にオーディション全力でかかってきてって言われたんよ。だから今日は本気で挑んだ。Aに入れる自信だってある」
「中学の事?」
久石は俺の言葉に気になったのか短く聞き返してくる。
「実は俺、楽器始めたんは中学2年になるちょっと前からやねん、元々弓道部に所属しててんけど1個上の先輩を差し置いてレギュラーになったことをきっかけに揉めて、その時の喧嘩で右腕を骨折したんや、まぁそれで試合に出ることは出来なくなったし、そんな先輩と次の年も同じ部活でやっていくことが嫌やったから退部してん」
「それでどうして吹部に入ることになったんですか?」
「退部してからしばらく腐ってた俺を宗人が…あぁ櫻井な、吹部誘ってくれたんや、久美子先輩も秀一君もおったしそれで入部することにしたんや」
「そうだったんですか…」
久石は申し訳なさそうにして俯いた。
「もう昔のことやし、それよりもう戻れるか?」
「そうですね、戻りますか」
目元が赤くなっていること以外は完全にいつもどおりの久石に戻っていた。
そうして2人は教室に戻った。
期末テスト最終日 教室
最後の教科の終わりのチャイムが鳴ると同時に俺と小松さんは机に項垂れた。
「はぁ~やっと終わった」俺が気の抜けた声を出すと前の席の小野が振り向く。
「中間は調子良かったみたいやのに期末は良くないみたいやな」
「だってさ~テスト期間にオーディションやるわ、今日までの10日間結果発表お預けやし、まじで胃に穴空きそうでテストどころちゃうでホンマに…」
「ホンマにな~」
机に突っ伏しながら小松さんが隣から激しく同意してくる。
「うわ~私めっちゃ緊張してきたわ~あと1時間半後にはわかってしまうんやで」
椅子に座りながら足をバタバタしている。
長かった期末テストもようやく終わり教室はすぐさま夏休みモードに入る。だが俺たち吹奏楽部員には運命の日でもある。
音楽室
音楽室に集められた94人の部員たち、その人口密度の高さに俺は顔をしかめる。
「全員揃ったな」
正面に立つ松本先生が室内をぐるりと見渡した。
「では、さっそくAメンバーの発表を行う。今回呼ばれなかった面々は私の指導のもとB部門に参加することとなる」
「はい!」
「合格者は全員で55人だ!呼ばれた者ははっきりとした声で返事すること!」
「はい!」
キリキリと張り詰める空気が室内に広がる。
「では、これより発表を行う。まずはトランペットパートから」
松本先生が一息つき名前を呼ぶ。
「3年、吉川優子」
「はい!」
「3年、滝野純一」
「はい!」
「2年、高坂麗奈」
「はい!」
「2年、吉沢秋子」
「はい!」
「1年、小日向夢」
「は、はい!」
「以上、5名がトランペットパートだ。次にホルンパートの発表をする」
次々に名前が呼ばれ、安堵のあまり脱力する部員、メンバーから漏れ泣き出す部員、喜びと悲しみが錯綜して混沌としている。
「次に低音パート、まずはユーフォニアム」
自分のパートが呼ばれて心臓がドクンと鳴る。緊張で手に汗握る。
「3年、中川夏紀」
その名前を呼ばれた瞬間、先輩の両目が大きく見開かれた。はい、と応える声が震えていた。それと同時に俺と久石のどちらかが落ちる可能性が大幅に上がる。
「2年、黄前久美子」
「はい!」
「1年、神木拓海」
「はい!」
自分の名前が呼ばれハッとし返事する。そして同時に久石の方を見ると拳を固く握り締めていた。
「1年、久石奏」
「以上、4名がユーフォニアムだ」
4人が合格することを願っていたがまさか本当に叶うとは思ってもいなかった。
久石が信じられないものを見るような目でこちらを見た。強張っていた頬が安堵によって音もなくほどけ、その瞳を潤ませた。その表情は彼女の本音に違いない。
「次にチューバ」
「3年、後藤卓也」
「はい!」
「3年、長瀬梨子」
「はい!」
「1年、鈴木美玲」
「はい!」
名前を呼ばれた瞬間、普段しなやかに伸びているみっちゃんの背中が申し訳なさそうに丸まった。隣に立つ加藤先輩がその背を軽く叩き小さな声で「やったやん」と呟く。
「次にコントラバス」
「2年、川島緑輝」
「はい!」
「1年、月永求」
「はい!」
「以上、55名がAメンバーとなる」
喜怒哀楽の感情を全て吸い込んだ室内は異様な熱気に包まれていた。
「京都大会まで残り1ヶ月、悔いのないように過ごすこと、いいな?」
「はい!」
松本先生の力強い言葉が狭い空間に反響した。
第七章 きっかけ 完
この章で響け!ユーフォニアムの原作波乱の第二楽章前編が終わります。
最初は軽い気持ちでなんとなしに始めたのですがなかなか大変ですね笑
もしよろしければ感想や評価など頂けるとモチベーションにもなりますのでどうかよろしくお願いします。