葵くんアンダーフロー! 作:下品な牛乳◆N1RGqRourg
朝
学生達は学校へ、労働者達はそれぞれの戦場へと向かう往来のピーク時。
赤信号に掴まり大通りを整然と
立派な家々が建ち並んでおりますなぁ
などと考えながら大きなハンドルを握る運転手は、目前一つ目の青信号に間に合わせようと緩やかにアクセルを踏んだ。
チラリと前方の角から覗けた歩行者自転車用信号がチカチカとその緑のライトを明滅させていた為、間に合わないと悟りアクセルペダルから足を離し緩やかな減速を図る。
そんな運転手とは裏腹に、その大きな車体は勢いを少しも落とす様子を見せなかった。
仕事の手足としてトラックを扱っているその男はすぐに違和感を覚え、エンジンブレーキに任せようとしていた考えを切り替えてブレーキペダルに足を乗せて焦らずゆっくりと踏んで行く。
しかし車体は減速しなかった。
ゾワリと嫌な予感が全身を走り、手の平にじっとりと汗を滲ませながらも路面の凍結の可能性を考える。
そこまで冷え込んではいないし、先程から朝のランニング情報を垂れ流しているラジオもそんな交通情報は出していない。
では油や洗剤でもぶち撒けられていたのかと、サイドミラーとバックミラーをチラリと見るも、過ぎた路面にその様な以上はやはり見受けられなかった。
視線を前方に戻しブレーキを強く踏んでいた運転手は、見通しの悪い交差点の端から猫が悠々と足を踏み出し横断しようとしていた様を見受ける。
躊躇いなくサイドブレーキを上げてクラクションを鳴らす。
トラックは減速せず、目前の猫はクラクションに驚き道の真ん中でその身を竦めて止まってしまった。
咄嗟に悪態を吐きながら、猫がそのまま前方へと走り去ってくれる可能性に賭けて猫が出て来た方へとハンドルを切る。
一瞬見つめ合っていたその猫は目論み通り反対側へと走り抜けていったが、
ヒュウッと息を呑む間に思考が真っ白に染まった運転手は、トラックを動かす前に車体の異常をチェックしきれていなかった己を呪った。
朝の短い時間に出来る簡単なチェックは済ませていたつもりだった。
であるならば前日にトラックを事務所に戻した時にでも普段以上に確り点検しておくべきだったと運転手の男はしても仕方が無い後悔へと逃げてしまった。
嗚呼、買い忘れていたからといって慌てて宝くじを買いに走った昨日の仕事終わりの俺を今からでも叱りつけてやりたい。
愚にもつかず反省とも言えないその思考に逃げた男の身体を強い衝撃が襲った。
じわりと色がにじむ様な胡乱気な空気の中、青年は意識を取り戻した。
「…あれ、ここは…?」
判然としない思考の中、己の状況を思い出そうとするその青年の名は
猫、トラック、交差点と断片的に直前の記憶を呼び起こす彼に、背後からふわりと静謐なる声がかかる。
いきなりの事にびくりと肩で驚いた葵は、間を置かずに風を切る音を立てながらその声へと振り返る。
そこには"心"が在った。
綺麗な物を綺麗と感じる心が
楽しい事を楽しめる心が
憂える様を憂う心が
愛おしい何かを愛せる心が
余りにも尊く映るその白く透き通った女性の在り方に、ただの立ち姿に、葵の心が掴まれて表へと引きずり出される様な感覚だけがあった。
「なん…だ、これ」
葵は想像を絶する体験をさせられている自身の心境を言葉に表せず、そんな疑問の声を上げるしか出来ずにいた。
そんな姿を見て、白く儚げなその女性はふわりと首をかしげた。
ただそれだけなれど、未曽有の美しき景色を見せられた葵の魂はぶるりと震える。
雄大な森林の木々がそよ風に揺れて枝葉を鳴らすように静かに響くその声を聴き、数瞬の間パクパクと口を開閉させることしか出来なかった葵は声を絞り出す。
「―はじ、め…まして」
己が挨拶を交わしたと自覚したその時に至って、ようやく葵はこの場に目を向ける事が出来る冷静さを得ていた。
白く陰影の無い屋内とも屋外ともつかない天も地もないその空間にて、葵はへたり込む様にして女性を見上げていた。
どうやってここに来たのかはわからないが、徐々に直前の記憶の断片は一つの記憶へと繋がっていく。
暴走するトラックと、それを前に竦んでしまった猫と、交差点へと飛び出した事が一つに繋がって行く。
そうして己の今の状況を、記憶との繋がりを、少しだけ察してしまう。
「女神…様…」
あぁやはり。と葵は胸中で溜め息を吐く。
己はあの事故で死んでしまったのだと察し、心が少し暗くなった。
そういって土下座の様なモーションをなぞる
「ん?」
えっと…ん?今の台詞って…?
突然の謝罪に戸惑う葵を他所に、女神を名乗った彼女はみっともなく頭を下げてひたすら謝り倒していた。
「いや、もうマジありえんてぃ…我ながらしくるとかどんだけだしって感じで…」
「は?」
フランク極まりない女神の言葉使いに、先程まで勝手に一人で厳かな空気を察して気圧されていた葵はガツンと殴られる様な衝撃を受け、抜けていた記憶の断片の全てが埋まってしまった。
「まさか運転手の貴方が死んじゃって、死んじゃう筈だった方の勇者ちゃんが無傷とは予想外で…失敬失敬」
頭を上げて素敵な笑顔で恥ずかしそうにしながら頭をポリポリと掻き「いやぁマジ勇者ちゃん肉の宮」なんて笑う女神の顔に、葵のローリングソバットがさく裂した。
女神を自称する者の両膝を踏み抜き、目潰しに2本の指を立てる。
「えっとですね、おこなのはわかるんですけど…」
腋と脇腹にフックを放ち、正面から背中の膵臓あたりへと鎌の様に脚を振るって踵をぶつける。
「まずはお話をと言いますか…」
肘のファニーボーンを狙って此方もフック、ジョーを狙ってフックフック!
「やだなにこの魂、殺意高過ぎるんですけど…」
どれだけ暴力を振るおうが触れる事は出来ずに女神の身体をすり抜ける事を良い事に、幸が薄いどころか運気が悪い人生を歩んできた鬱憤をここぞとばかりに晴らす葵。
肉体は死んでいるのだから暴力が意味を為さないのは当然である、故に息切れも無いのだ。
肉体が無い故に息切れも無ければスタミナ切れも無い、なのにランナーズハイ状態になっているのは何故なんだ葵!
爛々とした目つきで何を言うでもなく嬉々とヤクザキックを右左と放つ葵は怖い!
「はい!はいはいはいはい!はい!ストップ!シャドー終わり!」
「はぇ?」
鬼気迫る物を感じた女神は葵の目の前で猫だましよろしく手を叩いて張りつめた気を解く。
そうして初めて、葵はハイな状態から帰ってくることができた。
すみません。いえいえこちらこそ。と互いに頭を下げ、どちらからともなく「さて」と前置いて面と向かい合い座る姿勢になる。
「で、その肉之宮勇者さんでしたっけ?」
「いや、うんメンゴ。その人そんな名前じゃないですから」
アレ?違うのかと首を捻る葵はどうやらいまだ混乱の最中に居た。
そもそも肉之宮勇者って誰なのだ。
「まず私が貴方の車を女神の
「いえ、違いますけどどうぞその話をお願いします」
そして女神も女神で話が下手であるため、お互いの混乱をただ煽るだけであった。
この女神は役目がある魂を次なる世界へと送る事が役割なのだが、魂に役目がある事自体が非常に稀である上にいざ務めを果たす時ともなればただ魂を右から左に、左から右に通すだけ。
コミュニケーション能力など求められないし必要無い神様なので話が下手でもなんとかなってしまうのだ。
このまま互いに好き勝手話をしてお互いに理解を得られず状況もズルズル引き延ばされてゆくかと思いきや、あまりにも惨めな女神のコミュニケーションスキルを葵が察し、慮って聞き手に徹する事にした為に状況は進展の兆しを見せた。
あぁ、この女神様、俺より苦労してそう。
という失礼なシンパシーによって、葵の心にはゆとりができたのだ。
そんな調子で女神のあっちへ飛んだりこっちへ飛んだりする話をなんとか聞き終え、要点をまとめて答え合わせをする。
「つまり、あの猫を助けた人の魂が異世界から呼ばれていて、俺を殺すつもりはなく本当ならあの子が死んで異世界に行く筈だったと?」
「それな、そり過ぎてそりになるくらいそれな」
「それ俺の過失致死罪になりますね」
結局こうして葵が死ぬか、あの子を殺して葵が社会的に死ぬかの二択でしかなく、トラックの点検をサボろうが徹底しようが、葵が何かしら死ぬのは決まっていたのだった
遠い目になりながらも「で」と女神へ問いかける。
「なんであの子は無傷だったんですか?」
「いやぁ、勇者ちゃんの魂はいつか異世界に呼ばれるって事は感覚的に理解していたみたいでして、その日に備えて身体を鍛えていたみたいですねぇ」
そして起きたトラック正面衝突からの無傷の生還である。
「あと、勇者ちゃんの魂は神性属性に対する特防を持っていますので、多分私がトラックを突っ込ませる時に使った女神の業での攻撃に反応して防御もあがってたかも」
つまりどうあっても女神が仕組んだ場合はその勇者ちゃんとやらは特防で死なず、葵だけが死ぬのである。
選択肢は二つも無く一つしかなかったと知った葵は気が遠くなった。
はじめましてお久しぶりです、ROM専の下品な牛乳です。
ギャグは書けない人間ですが、思いついてしまって筆が走ってしまった以上投降するしかなかったです。
たまに続きがあがるかもしれません。
書くつもりはありますが、筆が遅いのであまり続きは期待しないでくらさい。