とある鎮守府の、とある一室。
夏の涼を取るためという名目だったけれど、ちらちらと揺らめくろうそくの明かりだけが照らす室内は、何処か籠った温い空気が流れていた。
室内には何人いるのだろうか。
提督はどこにいるのだろうか。
入口はどこにあっただろうか。
薄ぼんやりとしたろうそくの灯りの輪はせまく、向かいに座った娘の顔も分からない。
そんな中、では、と一声あげて、すっと娘が独りろうそくの前に進み出た。
では、不知火がお話をさせて頂きます。
といっても、不知火は怪談などはあまり詳しくありませんし、語りも得意ではありませんので、不知火自身が経験した事件を、ここで明かそうと思います。
あれは、不知火が以前所属していた鎮守府でのことです。
ああ、いえ、俺がFBIに所属してた頃の話なんだけどさ、みたいな見え見えの作り話ではなくて。
まあ、もう随分前のことですから、名前を出してしまってもいいでしょう。
あれは██████の第███鎮守府でのことでした。
当時は████中将が指揮をとっておられました。
大きな鎮守府で艦娘も多く所属して、活気のあるところでした。
他の鎮守府とも大いに交流があったようで、艦娘の異動も多く、あれほど入れ替わりの激しい鎮守府というのは、いまも他に知りません。
いまは██████准将が中将に変わって指揮を取られているそうですが、すっかり疎遠になってしまってよくは知りません。
中将は美食家でいらっしゃって、食べるのも作るのも好きだとかで、鎮守府の食堂で出される食事も、他より随分上等なものでした。
美食家と言うとなんだか気取っているようなイメージがありましたが、中将はそういうところがなく、美味しいものはどんなものであれ美味しいというスタンスで、下品なくらいごてごてと盛り付けたハンバーガーに笑顔でかぶりついたり、かと思えば小さな器にちまりちまりと可愛らしく盛り付けた前菜を、上品な箸使いで召し上がったりしておられました。
皆で食べた方がおいしいだろうと、時間の取れる限り艦娘達と食事を共にしていたのも、司令官としてはまた変わったところでした。
最初の内は皆緊張して喉を通らないようでしたが、中将の気さくな態度に、すぐに司令官司令官と気安く呼び掛けては笑顔で食事する、暖かな食卓へと変わっていきました。
思えばあの頃は、どんなに敵との戦いが大変でも、みな笑っていたように思います。
不知火も、食卓では微笑んでいたような気がします。
笑っていなかったのと言えば、いつも中将の隣で陰気な顔をして、言葉少なに食事も少なめに俯いていた秘書艦の吹雪だけでした。
不知火はこの吹雪が何とはなしに気になって、暇を見つけては話しかけたり、秘書艦の仕事を手伝ってあげたりとしましたが、ついぞ心からの笑顔というものは見せてくれなかったのが心残りです。
不知火達はみんな、三度の食事時をいつも楽しみにしていましたけれど、特に出撃後の食事を楽しみにしていました。
というのも、出撃したもののうち、その日のMVPの誉れに輝いたものには、ご褒美としてご馳走が用意されていたのです。
料理の腕もたつ中将が手ずから作ってくれるということもあって、艦娘たちはこぞって手柄を競ったものです。
それにこの特別料理は豪勢なだけでなく、味ももちろん素晴らしいものでしたから、横で見ている側としては、次こそは自分がこれを、と大いに奮ったものです。
不知火も一度だけ、特別料理を食べたことがあるのですが、いやはや本当に、あんなに美味しい料理はそれまで食べたことがありませんでしたし、いまもあれと並ぶものはちょっと思いつかない位です。
食べ慣れない味の肉はとろりと柔らかく舌の上でとろけて、よくよく味わって食べようと気をつけないと、するりするりと喉奥へと駆けこんでいくようでした。
ナイフの通りもよく、切り分けているとなんだか申し訳ない気分になるくらい柔らかくて、肉汁したたる赤身など実際犯罪的な魅力でした。
不知火は運よく一度口にできましたが、長く続いてくるとMVPを取る顔ぶれも決まってきて、同じ顔が何度か連続で特別料理を勝ち取ることもあって、随分悔しい思いをさせられたものです。
まあそれでも入れ替わりの激しい鎮守府でしたから、そういう練度の高い艦娘などは余所へ駆り出されたり、異動したり、はたまた激戦区で沈んでしまうこともあり、全体の底上げが進むにつれて、ゆっくりと特別料理を食べる面々も変わっていきました。
前置きが随分長くなりましたが、はてさて、あれは何時頃のことだったでしょうか。
いまみたいに随分暑い頃だったように思います。
その頃MVPの常連は加賀さんと赤城さんでした。
不知火も随分頑張りましたし、練度も決して低い訳ではありませんでしたが、やっぱり空母の制圧力というものは凄まじいものですからね。
特に赤城さんなど食い意地が――失敬。中将の料理を殊更に愛しておられましたから、加賀さんも少し遠慮して、最後の頃など連日赤城さんのMVPでした。
不知火達も、赤城さんが大変おいしそうに召し上がる上に、これを食べるためだけに頑張っているだなんておっしゃるものですから、これだから仕方がないって、苦笑いしてお手上げでした。特別料理は羨ましかったですが、お腹をすかせた正規空母を怒らせたくないですしね。
そんな赤城さんですが、ある日のこと、いつものように威風堂々と帰ってくるはずの彼女はおらず、真っ青になった加賀さんと、それを支える艦娘達だけが意気消沈と帰ってきました。
その時のメンバーは確か、赤城さんを旗艦に、加賀さん、天龍さん、球磨さん、陽炎、そうそう、それに秘書艦のあの陰気な吹雪でした。
特別難しい海域という訳でもなく、赤城さん以外の被害は軽微なもので、みな大いに驚いたものでした。
真っ青になってかちかちと奥歯を慣らす加賀さんが言うところによれば、急にふらついてバランスを崩したところを急襲されてしまい、魚雷をもろに直撃されたとのことでした。
事故はいつでも起こるものです。
どんなに気をつけていても起こるときは起こってしまうもので、いままでもこういうことがなかったわけではありませんでした。
ただ、その時不知火は、赤城さんといっとう親しかった加賀さんだけでなく、あの誰とも付き合いの薄い吹雪もまた、普段以上に青ざめて沈み込んでいるのが気になりました。
不知火はおおわらわの鎮守府の隅でひっそりと隠れるようにしている吹雪を捕まえて、気にすることはない、こういう事故は何処かで絶対起きてしまうものだから、気に病むことはないわ、とそう慰めてやりました。まじめな子ですから、きっと責任を感じているだろうと思ったのです。
吹雪ははっとしたような顔で、何か言いたげにしましたが、すぐに口をつぐんで、中将のもとへと去ってしまいました。
その日の食堂は静かなもので、みな喉を通らぬ様子でした。
中将も姿を見せず、一人で食事を取られたようでした。
翌日からまた、鎮守府は活気のある姿へと戻っていきました。
みな、赤城さんのことを気にしながらも、それでも前向きにやっていかなければならないということは分かっていましたし、これが初めてという訳でもありませんでしたから。
赤城さんがああなってしまってから少しして、不知火は初めてMVPをとり、その時初めてあの特別料理を口にしたのでした。それまでも惜しいところまではいったものですが、やっぱり駆逐艦、空母や戦艦の護衛に回ることが多く、なかなかMVPが取れず歯噛みしたもので、だからその時はずいぶん嬉しい思いでした。
初めての特別料理への感動に水を差したのは、あの吹雪でした。
不知火さんには、とてもよくしてもらっていますから、と前置きして、辺りを気にするように吹雪は言いました。
あんまりMVPを取らないようにしてください。出来れば二度と取らないでください。と。
不知火は目立った活躍のない吹雪が、特別料理を食べられないことを悔しがっているのではないかと思いましたが、それにしては吹雪は随分必死な様子でした。
MVPを取り続けて、特別料理を食べ続けて、頃合いになってしまったら、不知火さんも、
焦ったような早口でまくしたてる吹雪の肩に、中将の分厚く広い掌がおかれました。
吹雪、すこし作戦の件で話があるんだけれど、いいかな、と。
お邪魔して悪いね、不知火君、とも。
吹雪は真っ青な顔で、それでも気丈に立ち上がって、中将についていきました。
去り際にこちらを見て、お願いします、と繰り返した吹雪の目が未だに忘れられません。
翌日吹雪は、よく知らない遠くの鎮守府へと移動になったと聞きました。
練度の高い駆逐艦を必要としていたとのことで、詳しくは分かりませんでした。
中将は昨夜階段から落ちたのだと頭に包帯を巻いていました。
不知火には不思議とあの吹雪の目が頭にチラついて離れませんでした。
吹雪の次に長い古参艦の叢雲が秘書艦についてから暫くして、中将は更迭され、次の司令官が着任するまで鎮守府は一時期作戦行動を停止しました。
中将はその後、結局失職なされて、呆気ない最後でした。
真っ青な顔の叢雲は、大丈夫かと支えた不知火に、吐き捨てるように言いました。
あんたは吹雪に助けられたわね。
予定じゃ次はあんただったみたいだし。
誰がMVPを取るかなんて、ある程度編隊を考えれば決められること。
全部決まってたのよ。
空母で少し胃がもたれたから、次はあっさり駆逐艦がよかったみたい。
工廠の記録にはあるのに姿を見たことのない娘たちをあんたは知ってる?
あいつは「それ」じゃ満足できなくなってたのよ。
「それ」を飼料にして飛び切りに仕上げた、質のいい肉じゃないとってね。
叢雲は暫くして、異動した先の鎮守府で自殺的な特攻をして轟沈したと聞きました。
彼女も一度だけ特別料理を口にしていたことを、その時ふと思い出しました。
ああ、すみませんね、前置きが長くて。
怖い話といわれても、不知火はあまりそういうものに詳しくないので。
そうそう、怖い話。
なにせ不知火はずっとそういう鎮守府に居たものですから、他の鎮守府に移ってから随分と驚かされたものです。
まさか正式に近代化改修なんてものがあるとは、いやはや怖い話ですね。
え?
ええ、これで終わりです。
つまらない話だったかもしれませんね。
はあ、そうですか、では場も盛り下がってしまったようですし、ためになる豆知識を。
中将は美食家として、よい肉を食べさせて育てた上等の肉がおいしいと思っておられたようですが、よい肉を食べさせて育てた上等の肉を食べて育った肉は、結局不知火達の口にはあまり合いませんでしたよ。
ふっ
とろうそくが吹き消された。