むかしむかしのことでした。
この国の南の方の、常夏の南国の深い深い海の底。この星の表面を覆う薄い薄い岩盤に刻まれた一番深い裂け目の底が、ある日突然抜けてしまったのです。ある人は地獄の窯が開かれたと言いました。ある人は大地震が起こるかもと恐れました。ある人は岩盤がばりばり破れてしまうかもと怯えました。
一体どうなるんだろうと人々が調査に乗り出すと、なんと裂け目からたくさんの生き物が溢れ出てきて、潜水艦や調査艦をヴァリヴァリと食べてしまったのです。
生き物は次から次へと溢れ出て、波に乗って潮を越えて、海で繋がる世界中へと広がると、そのあちこちで人々の乗る船を沈めてしまいました。人々は驚いて、沢山の軍艦を送り出してこの生き物を退治しようとしましたが、生き物はどれだけ沈められても次々現れ、逆に軍艦を返り討ちにしてしまいました。やがて海辺の町や港も襲われるようになり、人々は海をすっかり奪われてしまいました。
人々はこの生き物を深海棲艦と呼んで恐れ、海辺に大きく分厚い壁を築いて、海から離れて生きることにしました。
けれど、そうも行かないのが海辺や島国の人たちです。魚も取れず海にも出れず、輸入も輸出も限られてしまいました。こうなると後はじわじわと苦しくなっていくばかり。そんな窮地に生み出されたのが、深海棲艦と戦う不思議な力を持った少女達でした。
海を走り、深海棲艦を鎮め、人々を守る存在。
それが、我々艦娘なのです。
沢山の艦娘が生み出され、沢山の鎮守府が作られ、沢山の艦隊を編成し、沢山の深海棲艦が鎮められました。沢山の戦いがあり、沢山の海域を奪い返し、沢山の艦娘が沈みました。
しかし深海棲艦は次から次へと裂け目の底から溢れ出てきてしまいます。それもより強く、よりしぶとく、より理不尽になって。
最初の内は快進撃を続けていた艦娘たちも、段々と深海棲艦に後れを取るようになり、ようやく完成した裂け目の包囲網も、破られるのは時間の問題と思われました。
もとを立たなければいけないと偉い人たちは考えました。
そこで、とても強力な爆弾を、裂け目の一番深い所、深海棲艦の生れる場所で爆発させて、一網打尽にすることにしたのです。
けれど裂け目があるのは超深海層。どんな艦娘も行ったことのない、一万メートルの海の底。そしてそこに至るまでには無数の深海棲艦たちが待ち受けているのです。
辿り着けるかどうかもわからない道程。決して帰ってくることのできない片道切符の決死行。けれど、成し遂げなければいずれ海と言う海は深海棲艦で埋め尽くされてしまうでしょう。
そこで選ばれたのが七隻の潜水艦でした。
海大VI型 1番艦 潜水艦伊168。
巡潜3型 2番艦 潜水艦伊8。
巡潜乙型 3番艦 潜水艦伊19。
巡潜乙型改二 3番艦 潜水艦伊58。
潜特型(伊400型潜水艦) 潜水空母伊401。
呂号潜水艦 呂500。
そしてどうしたことかこの三式潜航輸送艇 まるゆがその旗艦なのです。まあ一度潜ってしまえばまるゆ達はとにかく潜り続けて、敵を避けて隠れ続けて、裂け目まで辿り着くのが唯一の目的となります。だからいろんな書類仕事や連絡などをしなければいけない旗艦を押し付けられたというのが本当の所なのでしょうけれど。
輸送艇のまるゆを除いて、みなさん長年深海棲艦を相手に戦ってきたベテランで、そしてこれがいま残っている潜水艦の全てでした。
出撃の日、まだ日も出る前の暗く、けれど暖かな夏の南の海で、まるゆ達を見送ってくれたのは、連合艦隊の錚々たる面子でした。まるゆたちが深海の裂け目を封鎖するまでの間、溢れ出てくる深海棲艦を退治して、最後の一隻まで鎮める役目の方々です。
それもその総旗艦、大和型 1番艦 戦艦 大和さんが直々に見送りに来てくださったのです。
「轟沈前提の大博打に挑む潜水艦への壮行会っていうのもね」
「よーするにゴーヤたちを生贄に捧げる罪悪感を誤魔化そうって訳でち」
「ろーちゃん、セカンドプランがあるの知ってるって!」
みなさん何か言っていますけれど、まるゆは大和さんの偉容にすっかり緊張してしまって、かちんこちんになってしまいました。なにせ大和さんと言えば、最大最強の戦艦と呼んで差支えない、艦娘の中の艦娘なのです。
その大和さんとこんなに近くで向かい合って、真っ直ぐに目を見て言葉を交わすなんて、想像もできない事でした。その大和さんが今、まるゆ達潜水艦に、ゆっくりと頭を下げたのでした。
「貴女方に全てを託して、こうして見送ることしかできない私達を、貴女方はきっと恨むことでしょう。憎むことでしょう。責めることでしょう。そしてその上で尚私たちは貴女方を送り出す他にないのです。人界を守る為、貴女方を海の底に沈めるこの蛮行を、私たちは止めることが出来ない。謝罪はしません。全てを察してそれでもなお沈み往く貴女方の覚悟を侮辱することになるから。だからただ伏してお願いします。どうか人類の為に沈んでください」
大和さんはそれだけ告げて頭を上げると、まるゆ達を力強い目で見据えました。悪びれることもない態度に、潜水艦の皆さんがすこしむっとしたのがわかりました。潜水艦娘は基本的に自尊心が高いのです。一度水中に潜ってしまえば、そこにあるのは徹底した静寂と、隣り合わせに泳ぐ死の存在。隠れ潜んで密かに狙う卑怯な連中と言われることもある潜水艦ですが、絶対孤独の冷たい海中を、音ばかりを頼りに呼吸を止めて泳ぐ、その過酷な環境は、水上艦とは一線を画したものだという自負があるのです。まあ、まるゆは大した武装もない逃げることしかできない様な輸送艇なので、そういうのはあんまりですけれど。
「え、えーと、べ、別にその、まるゆたちは、」
惰性で返事をしてしまいそうになって、まるゆはごほごほと空咳をして誤魔化しました。後ろからさくさくとゴーヤさんやイムヤさんの視線が刺さります。一応とはいえまるゆは旗艦なのです。単なる輸送艇とはいえ、潜水艇と言うことで此度の栄えある作戦に畏れ多くも抜擢されたのです。相手が連合艦隊総旗艦であったとしても、ただただ頭を下げてへつらっていていい立場ではないのです。
まるゆは縮こまってしまいそうな背中を伸ばして、大和さんの目を真っ直ぐ見つめ返しました。まるゆなんかがそうして気丈に振る舞うのが意外だったのか、大和さんは少し身構えたようでした。端正な顔立ちが僅かに強張るのは、ともすれば怯んだようにも見えましたけれど、きっと勘違いでしょう。
「えっと、他の皆さんはなんというか、自由気侭なのでどう思ってるかはわかりませんけれど、まるゆは大和さんたちのお見送りが受けられて嬉しいです」
「えっ……?」
「まるゆは大和さんたちの事も、人間の人たちの事も、恨みません。憎みません。責めません。まるゆはまだ建造されて日も浅いですけれど、それでも色々してもらいましたから。美味しいごはんを貰いました。頑張ってくれって整備の人に言って貰いました。うまく行くようにってお守り沢山貰いました。隊長さんや偉い人たちにも、本やお菓子や、貴重なものを沢山貰いました。海の底に持っていっても、もう持って帰れないから、箱に詰めて皆さんにお返ししましたけれど、でも、沢山貰いました」
「……ッ」
「鎮守府で、隊長さんたちは、まるゆ達に出撃の命令だけ出しました。それ以外何も言ってくれませんでした。隊長さん、何にも言えなかったんですね。まるゆ、わかります。沈んでくれなんて言えないし、でも帰ってきてくれなんて言えないし、すまないなんて言われてもゴーヤさんたち怒るでしょうし、ありがとうなんてますます言えないし。隊長さんたちが言いたかった、言えなかった沢山の事、まるゆはちゃんと貰いました」
「あなたは……っ」
「大和さんにも、いま、沢山のものを貰いました。まるゆはそれで十分嬉しいです。まるゆはそれで充分、もぐもぐ潜っていけます。きっとお役に立ってみせます。だから、まるゆ達がお仕事を終えるまで、宜しくお願いします」
まるゆが敬礼をすると、後ろのゴーヤさんたちも、しぶしぶと言った気配はしますが、きちんと敬礼をしてくれるのがわかりました。
「…………全艦! 敬礼!」
大和さんが号令をかけると、海上に並んだ連合艦隊の皆さんが、規律正しく美しい喇叭演奏付きの敬礼を返してくれました。
まるゆ達の無骨な敬礼とは違いそれはそれは盛大で見事な敬礼で、その余波で大波が立ち、まるゆ達潜水艦はまとめて沈みかけ、慌てた艦隊の皆さんに助け起こされるという事故はあったものの、何とか無事敬礼を交わせました。
「むぅ、はっちゃんの本がびしょぬれ……」
「ろーちゃんも溺れるかもって!」
皆さんぼやきながら、水上の世界とはこれでお別れ。まるゆ達は真っ直ぐ潜航を開始し、深く深く、この星で一番深い海の底を目指して潜っていきました。
海の表層、100メートルくらいは暖かな物です。季節の変化も受けやすく、嵐が起きた時などは波の変化も受けることがあります。まだまだお日様の光も届いて、沢山のプランクトンが生きています。確か、人間の人でも頑張れば、この位までは潜れるそうです。
まるゆ達潜水艦娘は、大体この辺りを潜ることが多くて、お魚さんたちも多いです。そう言えば何時だったか、ゴーヤさんたちが非番の時に、海辺を潜って海底でサザエやウニ何かを採っては焼いて食べていて、密漁でしこたま怒られていたことがありました。後から聞いて、ろーちゃんさんも怒ってました。なんでろーちゃんがいるときにやらないのって、って。
楽しかったなあ。
さらに潜っていくと、余り光が届かなくなってきて、どんどん寒くなってきます。200メートルくらい潜ると色がわからなくなってきて、灰色に見えるようになります。この辺りが普通の潜水艦娘の限界です。これより深くは幾ら艦娘の体でも、普通は耐えるようにはできていません。
でもまるゆ達はこれからどんどん潜っていかなければならないのです。
200メートルより深く潜って行くと、この辺りはすっかり光が届かなくなって、たそがれ時の様にほんのわずかに光が届くばかりとなります。この辺りまで来てしまうと人間はとても生身では潜ってこれませんが、生き物はこんな世界でもちゃんと繁栄しています。少ない光でも物が見えるように、目をとても大きく進化させた生き物など、グロテスクな深海魚たちです。
潜って潜って1000メートル位まで行くと、魚もすっかり少なくなって、プランクトンが多く繁殖する、見た目よりも生命の濃い海になります。なので、プランクトンの死骸である、マリンスノーもこの辺りで多く発生するようです。
まるゆも潜っていく内に、視界の端にちらちらと舞い降りていく雪の様なものを見つけて、少し感動しました。まるゆが手信号で皆さんに教えると、潜水艦一同は初めて見る深海の雪に、しばし目を向けるのでした。深海棲艦に発見されないよう、電波や音を使った連絡は極力控えなければなりません。しかしそんなものがなくても、皆さんの感動が見て取れるようでした。怖い位に静かで美しい、水底の雪。それが微生物の死骸でしかないと知識では分かっていても、何やら神秘的なものを感じずにはいられませんでした。
人知れず生きて、人知れず死んで、あとはただただ深海へと沈んでいくしかないマリンスノー。自分たちの事を思って、しんみりしてしまうのも無理はありません。もう艦娘の目でも何も見えなくなる深さを潜りながら、暗闇の中でまるゆ達はお互いの存在だけを感じながら潜り続けました。
裂け目から現れるとはいえ、深海棲艦も一度海上に出てしまうと、もう深海には戻れません。肺が膨らみ、海上に適応し、戻れなくなるそうです。その深海棲艦でも後戻りのできない超高圧の深海に潜る為、まるゆ達はみんな特別な改修工事を受けていました。普段は精々100メートルや200メートルのこの辺りを潜っている潜水艦娘が、最大1000気圧に耐える為の改修は、やっぱり後戻りのできない改造です。一度改造してしまえば、もう元には戻せません。それだけでなく、一度潜って行ったら、もう浮かび上がってこれないのです。超高圧に低温、それに極小酸素という環境に耐える為、まるゆ達の体は潜っていく内に徐々に徐々にその構造を造り替えていき、深海に適応していくのです。もう水上では生きていけません。
身体に残された酸素が消費されていき、増設された酸素ボンベ残量が一定以下に達すると、体細胞の代謝系が酸素を必要とせずにエネルギーを生み出す特殊な回路に切り替わります。肺や内臓は委縮していくと同時に分解され、この回路を回すために使われていきます。
必要ないものは分解され、全てエネルギーに回されます。お腹はぺっこり凹んで、手足を体に巻きつけてぎゅうっと縮こまって、どんどん暗い海の底へと潜って行きます。
艦娘たちが深海棲艦を追い払っていた全盛期の頃は、良く艦娘の人権が問題となっていました。何処から何処までが人間なのか。何処から何処までが艦娘なのか。人間と艦娘を区別する境界は何処にあるのか。人間とは何か。艦娘とは何か。
まるゆ達はいま、艦娘なのでしょうか。人間なのでしょうか。それとも、もう艦娘でさえないのでしょうか。
深く深く、3000メートルを超えると、水温はもう殆ど一定となります。
余りにも深い海は、自身の重みでとてつもない密度となっていて、まるで夜を固めて沈めてしまったように、ひたすらに静かで、冷たく、死に絶えてしまったかのような恐ろしの闇に包まれています。それでもほんの僅かながら深層流と言う海水の流れがある様で、何千年もかけてゆっくりと巡っているそうです。まるゆ達が海の底のどん底で散ってしまっても、いつかその塵が明るい海に戻ることがあるのでしょうか。あったらいいな。
音もなく光もなく、ただただ沈んでいくだけの暗闇の中では、自分の中にある計器の変動以外見るものがなく、自然といろんなことを考えてしまいます。みんなの事。自分の事。短い間でしたけれど、鎮守府で過ごした日々の事。
まるゆが一人前になるまで、色々と教えてくれたのは木曾さんでした。潜るのが下手な潜水艇のまるゆを笑いながら呆れながら、それでもいろんなことを教えてくれました。あんまり似ていないお姉さんたちがいた事。ずっと妹が欲しかった事。もう誰にも沈んでほしくない事。いろんなこと。
まるゆがこの作戦に選ばれた時も、最後まで反対して、まるゆを引き留めれくれました。もう置いて行かないでくれと泣いてくれました。でも、そんな木曾さんを置いて、まるゆはここまで来たのでした。これを木曾さんの流す最後の涙にしたくて、木曾さんだけでなく、艦娘の皆が、人間の人たちが、誰も深海棲艦のせいで泣かずに済むように、まるゆは作戦に参加することにしたのでした。
水深5000メートルを過ぎたあたりで、ゴーヤさんがゆっくりと寄ってきて、ぺたりとまるゆの背中に触れました。接触通信です。
『あと半分でち。びびってないでちか、旗艦様』
『結構怖いです。でも、やらないとですから』
『覚悟はいいけど、気迫がたりんでち』
『き、気迫ですか?』
ゆるゆると他の皆も集まってきて、接触通信でみんなが繋がりました。絶対孤独の深海で、黙って沈んでいくことに耐えきれなくなってきたのでした。
『そうそう、あんたは気迫が足りないわ』
『強そうには見えないのね』
『深海棲艦どころか子供も怖がらないと思いますって!』
『う、うーん、そうですかね』
そう言われても、まるゆ、輸送艇であって攻撃艦じゃないんです。気迫と言われてもすっかり困ってしまうのでした。
『深海棲艦をビビらせるぐらいはしてやるでち』
『え、ええ……どうすればいいんですか?』
『そうね、咆えるとか』
『ほえる?』
『戦艦とかがやってるのね』
『きっと格好いいって!』
『え、えーっと……が、がおーっ』
頑張って咆えてみたのでしたが、皆さんには笑われてしまいました。
そうして束の間の安息を楽しんでいるうちに、深度は7000メートルに達しようとしていました。
超深海層に入ってくると、今度は水圧だけでなく、深海棲艦の脅威が切実になってきます。深海棲艦は裂け目の底から現れて、水上に向かって浮上し始めます。すっかり水上に上がってしまうまでは、さしもの深海棲艦も水圧のせいで碌に動けないのですが、もし浮上ルートがまるゆ達とかぶってしまったら、食いつかれてしまうかもしれません。そして光もささないこの暗闇では音を頼りに深海棲艦を見つけなければならないのですが、アクティブソナーを使えば、深海棲艦にこちらの位置がばれて、攻撃されるかもしれません。生まれたての深海棲艦が出す僅かな音を拾って、慎重に進路を変えなければいけません。まるゆ達は散開し、一度に狙われることを回避しながら、更に潜航を続けました。
一番下はゴーヤさん。続いてイムヤさん、ハチさん。その後しおいさんが続いて、ろーちゃんさん、それから一番最後をまるゆが潜って行きます。
深度8000メートル辺りで、深海棲艦のものらしき機関音が聞こえました。幸い直撃コースはそれています。まるゆ達はゆっくりと散開し、深海棲艦を避けて沈んでいきます。機関を動かさず、自然に重力に任せて沈んでいけば、発見はされない筈です。
それでも、音だけでしか存在を感知できない、とてつもなく大きな何かがすぐ近くをすり抜けていくのは、とてもとても恐ろしいものでした。ギュッと身を縮こまらせて、もうしていない筈の息を殺して、その大きなものが通り過ぎるのを待ちます。心臓が高鳴りそうになるのを抑え、ただじっとこらえて。
『ヒッ』
でも、恐怖は抗いがたい敵なのです。
際どい位置にいたろーちゃんさんが、深海棲艦の意味のない身じろぎに反応してしまい、機関を震わせてしまいました。すぐに大きな揺れが来て、深海棲艦の機関音が響きました。周囲の海水が大きくかき回され、暫くぐるぐると機関音が響き渡り、そして、そのまま上の方へと去って行きました。
ろーちゃんさんの機関音は二度と響ませんでした。
誰も確認はしませんでしたが、多分そういう事だったのでしょう。
深く、深く、9000メートルを超え、その間何度か深海棲艦をやり過ごし、まるゆ達は沈んでいきました。もう自分の他に誰が残っているのか、誰も確証は持てませんでした。
やがて底に、水深10940メートル近づくにつれて、海底の方がほんのり明るくなってきました。お互いの姿もじわじわと闇の向こうに見えるようになってきて、まるゆたちは一度集まりました。光がある以上、闇に潜むことはできません。
残っているのは、まるゆとゴーヤさん、ハチさんだけでした。
三人で固まって沈んでいくと、やがて海の底に出来た大きな裂け目から、何色とも言えない不思議な色の光が溢れ出ているのがわかりました。あの向こうに、深海棲艦の巣があるものと思われました。あの奥へ進み、爆弾を仕掛ければまるゆ達の任務は終わりです。
しかし、その裂け目を守るように、今まで見た中でもひときわ大きな深海棲艦が、ゆっくりと光の中を泳いでいるのでした。その咢は大きく、装甲は分厚く、とてもではありませんが魚雷の一つや二つでどうにかできるとは思えませんでした。
どうしよう。どうしたら。悩むまるゆの方に、ゴーヤさんの手が置かれました。接触通信です。
『まるゆ。ゴーヤたちがあいつの気を引き付ける。その間に済ませるでち』
『でも、そんなことしたら、ゴーヤさんたちは』
『元々上には戻れないのね。なら、作戦は完遂するの』
ハチさんがまるゆの背に手を置きます。
『なら、まるゆが囮を』
『爆弾を持ってるのはお前でち。お前にしか使えない』
『でも、でもそんなの、』
『まるゆ。ゴーヤたちは命令でここに来たでち。でも命令に従ったのは、ゴーヤたち自身の意思。深海棲艦どもをぶっちめて、潜水艦を舐めてた水上艦共の鼻を明かしてやるために、資源集めばっかりさせてた提督に三下り半叩きつけるために、そんで、それから、ありがとうって言ってくれた、人たちの為に』
『ハチたちはもう戻れない。でもそれは特攻兵器だからじゃない。ハチたちが艦娘だから。人間の、ちょっと解り合いづらい、隣人だから。英雄になりたいわけじゃない。でも可哀そうな特攻兵器にはなりたくないんです』
何も返せないまるゆの肩と背中を叩いて、二人は深海棲艦に向かっていきました。これを最後の見せ場と決めて、一世一代晴れ舞台、アクティブソナーを響きに響かせ、ありったけの魚雷を抱えて、二人は最期のダンスを始めました。
まるゆは一秒だけ二人のぬくもりを思い出すことを自分に許して、それから、真っ直ぐに裂け目の奥へと泳いで行きました。
不思議な色の光を超えると、そこは上も下もわからない不思議な世界でした。鉄と肉、ボーキサイトと骨、油と血、それらが混ざり合って、ある種整然とした工場のように、深海棲艦が作られているようでした。警備兵の様なものなのでしょうか、小型の深海棲艦が何隻かまるゆを見つけて泳いできましたが、その頃にはまるゆはもう準備を終えていました。
まるゆにだけ持たされた、というよりは、まるゆの体自体を材料とした爆弾です。腹部に増設されたこの臓器は、構成する細胞のサイクルに粒子加速サイクルを組み込まれたもので、生きていることそれ自体が粒子加速器の働きを示し、反物質を生成する事が可能な特殊な臓器なのだそうです。ただ、安定性に欠け、一度こうして起動したが最後、あとは臓器に設定された短い代謝サイクルを終えると同時に反物質が物質と対消滅反応を引き起こし、瞬く間に一帯を破壊してしまうのだそうです。
まるゆも当然使うのは初めてでしたが、お腹の奥で急速に熱を放ち、そして死を迎えていく臓器の感覚に、その終わりを感じていました。そして自分の命の終わりも。
出発する前に聞いた、大和さんの声が思い出されました。
大和さんは、私たちに酷い事をすると言っておきながら、最後まで謝ってはくれませんでした。謝ることは、出来なかったんですね。謝ってしまえば、この作戦が間違いだったと言ってしまうことになるから。まるゆたちが酷い事をされた娘たちだということになってしまうから。謝罪を受けて当然の残酷な目に遭うと言ってしまうから。でもそれは、潜水艦娘たちのプライドが許さない。まるゆたちを、可愛そうなもの扱いしないように、大和さん、一言も謝れなかったんですね。
きっと誰より、謝りたかったのに。
でも、それでも、大和さん。
まるゆは全然恨めしくないんです。憎くもない。責めることもない。本当です。
大和さんはずっとまるゆの事を避けていましたね。まるゆが爆弾に改造されてしまったから。大和さんがどうしても攻略できない、深海の巣をまるゆに任せてしまうことになるから。申し訳なくて、自分が許せなくて、まるゆの事を真っ直ぐ見れなかったんですね。それでも最後に、まるゆの事を真っ直ぐ見てくれて、うれしかったです。可愛そうなものとして見ないでくれて、嬉しかったです。
まるゆのこと、ちゃんとまるゆとして見てくれて、嬉しかったです。
いつか、まるゆの塵が、千年の潮流に乗って、また鎮守府についたら、それはとてもうれしいなって思います。
それから。
それから。
それから。
あれ、変ですね。もうすっかり言いたいことは全部言ってからやってきたと思ったのに。
こんなにも言いたいことがたくさ
どれだけ時間がたったのでしょうか。
まるゆは自分がふわふわと海底を漂っていることに気づきました。
まるで夢を見ているかのように、頭の中もふらふらして、纏まりません。爆弾は無事爆発したのでしょうか、ゴーヤさんとハチさんはどうなったのでしょうか、大和さんたちは無事なのでしょうか。
深い深い海の底からは、もうあの不思議な光は漏れてきていません。崩れた岩や土砂で全ては埋もれていました。降り積もったマリンスノーが舞い上げられて、不思議に幻想的な光景でした。
まるゆはゆっくりと浮上していきました。すっかり体は重くなって、あちこちひどく傷みましたが、まだ動けるようでした。大和さんたちの安否が気になりました。鎮守府の皆さんの無事が気になりました。人間の人たちがどうなっているのか不安でした。深海棲艦たちは無事殲滅されたのでしょうか。
まるゆは出来る限り急いで、水面に向かいました。
光の差さない深海層を超え、漸深層を突っ切り、中深層の光を感じ、そしてあの暖かな表層へと至り、ついにまるゆは海上に顔を出しました。
ぷはあ、と大きく息を吸い込んで、まるゆは何度も深呼吸しました。空気がこんなにおいしいとは思いませんでした。潮の香りがどこまでもいとおしく感じられます。
見渡す限りの海は、波の音、風の音、海鳥の鳴く音、様々な音で溢れ返っていました。光に音、頬を撫でる風、深海にはない様々な刺激が、まるゆを喜ばせてくれました。日は沈みかけ、橙色が滲むように水面に広がっていました。
羅針盤を確かめ、鎮守府へと航路を取ると、やがて辿り着いたその先には大和さんがいました。傷付き、煤で汚れ、髪は乱れ、すっかりぼろぼろでしたが、しかしきちんと両の足で海に立ち、砲塔はいまも健在でした。
大和さん。大和さん。大和さん。
まるゆの中で沢山のものが溢れて、叫びだしそうなほどになりました。まるゆはずっと大和さんの事を尊敬していました。まるゆを直視できないそんな心の弱さと、自分を許せない潔癖さとを知って、もっとずっと大好きになりました。あの日、まるゆに最大限の敬意を表して敬礼してくれた大和さんの事が、まるゆは大好きでした。
ぼろぼろになって、疲れ果て、もう一歩も動けないと思っていましたが、大和さんを見た途端、まるゆは現金にも元気になって、ずんずん進んでいきました。
大和さん!
けれど声をかけようとして、まるゆは違和感に気づき、立ち止まりました。
大和さんの表情は険しく、その砲塔はこちらに向けられているのです。いまにも撃ってきそうな、そんな緊張がありました。
「砲雷撃戦、用意!」
大和さんの声が高らかに、響きがちんがちんと砲に弾が装弾されました。
まるゆは呆然とその姿を見つめ、そして、そうして、泣きそうなほど険しい大和さんの表情に気づいたのでした。震えを誤魔化すように腕を組み、唇をきつく噛むその姿に。まるゆは自分を見下ろし、それから、震えないように大きく深呼吸しました。まだ、最後のひと仕事が残っているようです。
深海棲艦の最後の一隻を鎮めるまで、まるゆの、まるゆ達の、まるゆと大和さんの作戦は、終わらないのですから。
ゴーヤさんたちとの会話を思い出して、まるゆは両手を大きく振り上げて、精一杯声を張り上げて、気迫と言うものがあるなら最大限詰め込んで、咆えたのでした。大和さんがあと少しだけ、頑張れるように。
「がおーッ!!」
「……ッ、う、てェッ!」
轟音が響き、まるゆは今度こそ本当に、すっかり全身の力が抜けていくのを感じながら、水面に倒れ込みました。
沈みながら、まるゆは大和さんを見ました。
沈んでいく夕日の、その滲む橙に、大和さんの眦から何滴か、ほんの僅か海水が落ちて増やされました。夏の夕暮れ。その何滴かの海水が、まるゆを優しく迎えてくれました。
ねえ、大和さん。まるゆは、ちゃんと任務を終えられたでしょうか。ちゃんと、できたでしょうか。
まるゆはこれでお休みしますけれど、いつか、まるゆの塵が、千年の潮流に乗って、また鎮守府についたら、それはとてもうれしいなって思います。
見覚えのある場所。
見覚えのある仲間達。
いつか、そこに帰りつけたなら、とてもうれしいなって、思います。
了