まるゆリム   作:長串望

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まるゆリム ぶたいうら!

 

 轟音が響き、まるゆは全身の力を抜いて水面に倒れ込みました。

 沈みながら、まるゆは大和さんを見ました。

 沈んでいく夕日の、その滲む橙に、大和さんの眦から何滴か、ほんの僅か海水が落ちて増やされました。夏の夕暮れにその何滴かの海水が溶け込んでいきます。

 暖かな海に抱かれて、ゆっくりと沈んでいきながら、まるゆは、ああ、これで終わりなんだなとぼんやりと思っていました。まるゆの体は静かに海中へと沈んでいきます。橙色のぬくもりに包まれて、下へ、下へ、下へ。やがてその橙さえ届かなくなって、深い青色がまるゆの体を受け止めてくれます。

 なんだか眠くなりそうな柔らかな海の抱擁に、まるゆが欠伸をかみ殺していると、そんな余韻をぶち壊すみたいに「カァーット!」という監督さんの酒焼けした声が無線越しに届きました。

 どうやら本当にこれで終わりみたいです。体を起こして水を蹴り、まるゆはぐんぐん水上に向かいます。最初は潜るのでさえ必死でしたけれど、最近ではちゃんと他の潜水艦娘さんにもついていけるんです。

 ぷは、とまだ橙に染まる水面に顔を出すと、大きな影がのしかかるようにして現れて、その長い腕を下ろしてきたかと思うと、ものすごい勢いでまるゆの事を水中から引きずりあげてしまいました。そしてまるゆが何を言うのを待つでもなく、ぎゅうぎゅうと押しつぶすように抱きしめてきやがるのです。

「まるゆさぁぁあああんッ!」

「やまとさ」

「沈んじゃ駄目ですからねまるゆさぁああんッ!」

「いた、いたい、やまとさんいたい」

「大和さーん、移動あるから早くしてねー」

「もう離さないですからねまるゆさぁああんッ!」

「く、くるし、ぎぶ、ぎぶあっぷ」

「監督バケツー」

「またかよ予算どんだけ持ってくんだよ。数分なんだからドックでいいだろ」

「待ってる間の大和さん被害の方が大きいんで」

「うぅうぅうううえええっまるゆさんまるゆさぁああんッ」

「やまとさ、耐圧殻にヒビ、ひび入ってますからっ」

「保険は?」

「三回目以降保険会社が拒否ってる」

「興行こけたらどーすんだよこれ」

「もうぜったい、ぜったい撃ったりしませんからねぇえええッ」

「あれ空砲だしそもそもカットの関係でこっちにはああああ折れる折れる折れるゥッ」

「記念映画だし大丈夫だとは思いますけど」

「円盤は絶対NG集つけろよ。こうなったら特典で回収するしかねえ」

「コメンタリーは?」

「真面目なの? 不真面目なの?」

「陸軍は教育的な物をと」

「海軍は?」

「海に国境も神もないと」

「よーし大和ぶっこめ。カオスだぞきっと」

「まるゆさぁああああんッ」

「あけフっ」

「あ、やべ。コキャった」

「麻酔銃持ってこい鯨用の奴」

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、まるゆはロケ撮影用のミニバスの一番後ろの定位置に座っていました。正確には一番後ろの広い座席を独占している大和さんにぬいぐるみよろしく抱えられていました。首をさすってもちゃんと真っ直ぐな状態だったので、高速修復剤(バケツ)で直してもらったのでしょう。

「あ、まるゆさん、お眼ざめですか? おはようございます」

「……おあようごあいまふ……」

 まるゆを抱えたまま、頭上から大和さんが優しく声をかけてくれます。落ち着いてる時は本当に人格者なんですけど、たまにああなると、なまじ大戦艦級だけに誰も止めたがらないんですよね。撮影初期に長門さんが止めようとして返り討ちにあって頭骨複雑骨折してから誰も近寄りたがらないですし、修復に相当予算持ってかれた監督さんからも、ああなったら駆逐艦か潜水艦以外は近寄るなと通達が出てしまいました。勿論賢い駆逐艦や潜水艦は我関せずが基本方針です。戦艦の懐に入り込んで魚雷を打ち込む、艦娘の中でも勇気と戦意に満ちた露払い達も、沈むとわかって台風に突っ込んだりはしないのです。

 なので一度捕まったら最後、まるゆは自力で抜け出すか、さもなくば大破時点で監督が諦めて高速修復剤よりは安い捕鯨用の麻酔銃でなんとかしてくれます。できれば大破する前にどうにかして欲しいのですが、こうなったらNG集に盛り込むまるゆ大破集の映像が欲しいとかいうクソみたいな理由で認められていません。お陰様で映画撮影に入ってから、高速修復剤の使用量がレコード更新しっぱなしです。

 もういっそ、まるゆが捕まったら全員で取り押さえにかかって大和対連合艦隊とかそういう映像撮ればいいじゃないですか。ハリウッド版の後釜狙って外しに外して一部層に大人気だったボリウッド版ゴジラ位には売れるんじゃないですか。という提案はしてみたものの、予算と周辺海域への深刻な汚染が予想されることを理由に会議ではねられたらしいです。

「あ、まるゆちゃんおはよー。お疲れちゃん」

「あ、監督さん。お疲れ様です」

「いやー、長かったけど、これでクランクアップだ。あとはCGやら音響やらいろいろ編集して完成って形になるよ」

「はあ、そうなんですね」

 映画の事はよくわからないまるゆに、監督さんがざっくり説明してくれます。例えば今日まるゆが撮影した、戦艦大和に撃たれて沈んでいくシーン。余計な装飾つけるとまるゆが沈みかねないので特殊メイクとかはせず、後からCGでいろいろ付け加えて、沈んでいくところも、深海棲艦の様に泡状分解していく風になるそうです。まあ、まるゆは深海棲艦自体を見たことないんですけど。楽しみです。

「一応この後、無事クランクアップってことで直後取材会あるんだけど、大丈夫?」

「あ、大丈夫です。バケツで直してもらったみたいですし」

「あ、そう。良かった。血の泡吹きながら痙攣して虚ろな目してたからちょっと焦ったぜ」

「もっと焦って!?」

 大和さんに抱き潰された後の自分がどうなっているのかよく知らなかったのですが、結構やば目です。NG集にまとめたらそれこそNGになりそうです。モザイクとかかけられるんでしょうか。

 バスが取材会場に辿り着いて、まるゆ達はおりました。正確に言うとまるゆは大和さんに横抱きにされておりました。自分で歩けますし恥ずかしいですとは言ったのですが、嫌です絶対離しませんと2メートル越えの大戦艦に言われると手が付けられません。監督さんも諦め顔です。

 取材まではまだ時間があるようですので、シャワー室で海水を落として、テレビ映えするようにメイクさんに薄く化粧してもらい、髪も整えて貰います。まるゆは別に普段の水着でもいいんですけれど、今日は艦娘としてではなく役者としての取材ですから、とのことで、ワンピースにお着替えです。大和さんはいつもの格好でいいのに、まるゆは水着では駄目と言うのは不思議です。人間さんにとっては水着はあんまり公の場で相応しい恰好ではないとのことですがよくわかりません。

 でも着替ているときに、助監督の重巡洋艦青葉さんに、要するにああいう目で見る人がいるから駄目ですと大和さんを示されたので納得しました。大和さんは普段は本当に立派な人格者なのですが、たまに性犯罪者の目になるのが瑕です。

 まるゆは髪も短いし早々と済んでしまうのですが、大和さんはいろいろと時間がかかるみたいですので、「まるゆさぁん、待ってぇえええ」、大和さんに笑顔で手を振って先に会場に向かいます。

 会場があるのは地元の公民館で、掲示板には近く催されるお祭りやイベントの予定が書いてあったり、廊下には地元の子供たちの絵なんかが飾ってあったりして、なかなか面白いです。まるゆは普段は潜水母艦住まいで、海の上での生活が長いので、こういう地域性のあるものを見ると、陸での生活をなんとなく想像できて面白いです。映画の撮影にとお呼ばれした時はものすごーく面倒くさかったのですけれど、こういう経験が出来るのは良かったです。

「お、まるゆじゃないか。お疲れ」

「あ、木曾さん! お疲れ様です!」

 重雷装艦の木曾さんです。木曾さんはまるゆとは違って陸でずっと役者さんをやっているそうで、艦娘なのに海より陸での生活の方が長いそうです。でも木曾さんによれば、今日日はずっと陸で生活している艦娘ももう珍しくはないそうです。二本の足で歩いてるんだから、陸での生活が肌に合うのがいてもおかしくはないと木曾さんは言いますが、まるゆにはよくわかりません。まるゆは今でも陸で歩くのはあんまり得意ではなくて、やっぱり浮力のある海の方が楽でいいです。

 そういうと、木曾さんは少し困ったように笑ってこう言いました。

「お前の場合は、いつも大和さんに運ばれてるから、何時まで経っても慣れないんじゃないか?」

 そういえばそうかもしれません。ロケ地への移動も大抵大和さんに抱っこされて、バスに揺られて、そして海中へと言う流れです。全然地に足ついてません。大体この映画、まるゆが陸上にいるシーンってあんまりありません。あるにはあっても、ご飯食べてたり、お菓子貰って食べてたり、座っているシーンが多いです。長いこと立っているのって、提督役の人の前で作戦を聞かされているシーンだけかもしれません。第一この映画の目玉は潜水艦娘が海底一万メートルに挑む海中シーンと、そこに織り込まれる回想シーンばかりです。しかもこの海中シーンも実際にはまるゆ達が水圧で潰れてしまうので、CG合成で作ってます。どうしても必要な海中の映像は深海探査機で撮影してます。あれ、まるゆ艦娘なのに機械に負けてます。

「歩くのに慣れると陸も悪くないもんさ。海じゃできない格好もできるしな。そのワンピースも、海じゃ着れないだろ」

「そうですね。潜ったら台無しですもん」

 確かに、乾いた陸でなければ着れない服は多いです。艦娘の服は防水撥水ですけれど、普段着で着るには高いです。いろんな服をお洒落できるのは陸ならではの楽しみでしょう。まるゆはあんまりお洒落ってよくわからないですけれど、大和さんに付き合ってあれこれいろんな服を着せられたりすると、色々と目新しいですし、自分なのに全然違って見えて楽しいです。

「ちなみにこのワンピースはどうですか? 似合いますか?」

「おお、似合うぜ。そういうの着てると、ちゃんとそこらの子役みたいで、役者みたいだよ」

「それ褒めてるんですか?」

「どうだろうなあ。まだちょっと服に着られてるしな」

「木曾さんと一緒にしないで下さいよぉ」

 木曾さんには大変お世話になりました。全く演技の経験がないまるゆに演技指導して下さったのも木曾さんですし、陸の経験がないことも沢山フォローしてもらいました。割と世間知らずな所のある大和さん共々、木曾さんには頭が上がりません。役者生活が長い古参の芸能艦娘なのに、全然大御所ぶらない気さくな所も素敵です。ご飯奢ってくれるところとか最高です。

「お前それ飯奢ってくれるから好きって事じゃないだろうな」

「まっさかあ。ところで今度の打ち上げ楽しみです。二次会も」

「餌付けされた挙句肥え太りやがって。ちぇっ、いいぜ。芸能人の財布の重みを思い知らせてやる」

「木曾さん素敵です!」

「キソキソは最高なのー!」

「あ、ゴーヤは焼肉がいいでち」

「焼肉いいね、いいと思います!」

「はっちゃん、ハツが食べたいです」

「焼肉ですって! 早速ツイートしますって!」

「奢りいただきましたー!」

「げっ、欠食児童の潜水艦共!」

 タイミングでも見計らっていたのか、ぞろぞろやってきたのは潜水艦娘の皆さんです。まるゆと一緒で潜水母艦での長距離航海任務が多いので、陸の食べ物に飢えた海のハンターたちです。出不精だったまるゆとは違って、寄港する度に休暇をフルに使って陸で遊びに遊んでいたらしく、まるゆも今回の撮影ではいろんなことを教えて貰いました。ただ、保護者(やまとさん)がにこにこ笑顔でついてくるので、悪い遊びはあまり教えて貰えなかったのが残念です。

「なー、まるゆー。焼肉食べたいでち?」

「やきにく! まるゆ焼肉大好きです!」

「ふふふ、悪い子に育っちゃって。あんまり食べたら太っちゃうわよ」

「まるゆ『えーごにく』食べたいです!」

「イクがドン引きするレベルで無自覚な悪なの……」

「はっちゃん、ご褒美にホルモンも食べたいです」

「はっちゃんほんと内臓系好きだよねえ」

「もう100RT超えたって!」

「きっ、きさまらー! ええい、くそっ、わかったよ! 奢るよ! 奢らいでか!」

 本当に木曾さんはちょろ、もといいい人です。木曾さんは似ていないお姉さんが一杯だそうで、ずっと甘やかせる妹分が欲しかったそうです。なのでまるゆのことも面倒見てくれますし、潜水艦娘の皆さんが我儘言っても最終的にはなんだかんだ付き合ってくれるいいお姉さんです。なのでこれはゴーヤさん曰くたかりではなくウィンウィンな関係なのだそうです。

 木曾は芸能人としてのプライドもあるからそこらへんくすぐると面白い位ちょろいでちって言ってました。意味はよくわかりませんが。

 ともあれ打ち上げの焼き肉楽しみです。

「そうですね。焼肉いいですね。一杯食べましょうね、まるゆさん」

「あ、大和さん」

「げ、大和さん」

「奢りで焼き肉なんて、素敵ですね」

 にっこり笑顔の大和さんは大戦艦だけあって燃費は最悪で、馴染の店は大和さんが入店した時点で新たにコメを炊き始め、閉店の札を出すレベルです。まるで燃料補給のために燃料を消費している様な凄まじい燃費の悪さの上に、本人がプロレベルで料理が得意なので舌も肥えていて下手な物は出せないという、いじめのような編成です。

 艦娘としては古参も古参の大和さんも、役者としては今回が初めてのド素人。大先輩にあたる木曾さんとしては当然後輩にご飯を奢るのも務めの内。

 その木曾さんは流れるように膝を折り、掌を綺麗に三角に揃えて額を地面に付けました。

「スミマセン。勘弁してください」

 実際美しいドゲザ・ムーブメントでした。さしもの大御所木曾さんも、ATMから吐き出される身銭を火力発電所に投げ入れ続ける様な地獄を前に心が折れたようでした。木曾さんは撮影初期の頃に調子に乗って大和さんにご飯を奢って、愛車を質に入れかけたことがあるので切実です。大和さんも流石に反省して、もう二度と高級フランス料理店を回転ずしの感覚で利用しませんと誓ってくれました。そして一か月後、そこには陰気に土下座する木曾さんの姿が。

「ふふ、冗談ですよ。私もそれなりのお給金は頂いていますから、自分の分は自分でお出しします」

「大和さんのそれなりって本当悪意のない嫌味ですよね」

「?」

 おしとやかに小首を傾げる様は本当にたおやかな乙女と言った佇まいなんですけれど、まるゆ知ってますからね。まるゆが長期航海から帰ってきて確認した入金額より、大和さんの月給の方が高いってこと。

 ともあれ、まるゆ達は和気あいあいと取材会場である講堂に向かいました。

 といっても、取材内容は事前にある程度纏められていますし、返事も事務所さんの方で決めてくれてますので、まるゆは覚えたことをそのまま言うだけで、これも演技の一環と言っていいでしょうけれど。なのでまるゆが取材会場で気を付けなければならないのは、撮影で積もりに積もった疲労を顔に出さず、眠気を誤魔化し欠伸をしないようにすることくらいでした。

「戦後60周年を記念しての撮影と言う事ですが……」

「使用された艤装の中には当時の物がそのまま使われているものも……」

「監修には海軍から当時作戦を指揮した……」

「最後の戦艦こと大和さんにおかれましては……」

「戦後初となる大規模編隊とのことで各国からも……」

 うう。まるゆ、こういうの苦手です。すごく眠くなります。隣の大和さんが目立たないようにテーブルの下で膝を優しく叩いて起こしてくれるので何とかなっていますが、ライトがあったかいのと疲れとですごく眠くなります。平和な海を巡回してる時もこんな感じで眠いです。静かな海中を、ソナーの単調な音を聞きながら泳いでいる時のあの、意識が単調化されて気付いたら眠りかけている様なあれ。海中なら半分寝ながらでもなんとかなりますけど、おかでは寝たら浮力が働かないので沈みます。

「今回輸送艇まるゆ役を演じられた主演のまるゆさんは、初めての映画出演と言う事ですが、撮影を終えられて如何ですか?」

「…………」

「まるゆさん?」

「……ぅえっ、あ、えと、ええとですねっ」

「ふふふ、慣れない取材ですっかり緊張しているみたいですね」

「え、ええ、すみません」

 落ちかけていた所に質問が来て、危うくとちる所でした。大和さんも映画は初めてですが、慣れた様子でまるゆの事をフォローしてくれるだけの余裕があります。まあ大和さんは当時の作戦も経験した、役だけではなく本当の大和さんなので、人生経験なら木曾さん以上の大ベテランですから、余裕も余裕でしょう。その癖まるゆの事であれだけ荒れに荒れるのですが。

「まるゆは映画どころか、ずっと海でのお仕事ばかりでしたので、お声をかけて貰った時点で凄くびっくりしました。実際撮影に入ってみると、皆さんすごいヒトばかりで、まるゆでいいのかなって不安でしたけれど、沢山の人に助けられて何とかこなせたと思います。ちょっと頼りない輸送艇の活躍は、是非映画の方を見てください」

 なんとかコメントし終えて、まるゆは一息つきました。

 コメント一つするだけで精一杯のまるゆとは違って、大和さんは相も変わらずたおやかな笑顔のまま、そつなくコメントを返しています。それどころか、アドリブで気の利いたことも言っちゃったりして、ベテランの木曾さん顔負けです。もう60年以上も稼働しているわけですから、人間の人だったらもうお婆ちゃんですし、戦後生まれのヒトたちよりずっと経験豊富なのでしょう。深海棲艦を退けて、人間の人たちが社会を復興させていく時代を支えたという事ですから、それは年数以上の物なのだと思います。大切な戦友たちを戦いの中で失い、その後も親しかった人間の人たちは寿命を迎えていき、きっと、沢山傷付いて、沢山失って、でも、沢山抱えたものを大事に大事にして、こうしてここにいるのだと思います。

 最後の戦艦。深海棲艦大戦を終えて生き残った最後の戦艦型艦娘である大和さんは、多くの人からそう呼ばれています。今も戦艦型の多くの艦娘が生まれては、海で陸で生活していますけれど、でも、もうあんな思いをするのは私で最後でいいんですと、大和さんは以前そう言っていました。楽しそうに笑いあう艦娘たちを見つめて呟いた大和さんは、とても満足そうで、でもとても寂しそうで、なんだかすごく切なくなりました。

 だからまるゆは、最後の戦艦っていう呼び方は、あんまり好きじゃありません。ただの戦艦であればいいなあって思うんです。ただの艦娘でいいじゃないかって。沢山の艦娘に埋もれた、一人の艦娘でいいんじゃないかって。

 でも真面目な人だから、そうは出来ないんだろうなあ、とは思います。変に真面目な人なので。だからせめて、戦後の母と言う呼び方の方が好きだなと思います。戦争が終わって、疲弊したこの国の立て直しを、大和さんが旗頭になって支えてくれたそうなのです。大和さんはただの広告塔ですよって謙遜していましたけれど、誰にも頼れず、支えてくれるものもなしに立ち続ける広告塔は、きっと大変だったことでしょうから。

 まるゆ、そんな大和さんの事、実は尊敬しているんです。

「まるゆさぁああああん、もうつかれたぁああああ」

「はいはい。疲れましたね」

 取材会が終わって楽屋に戻るなりまるゆのことを抱っこしてごろごろしてるこんなヒトですけど。

「はいはい、ごろごろしてもいいけど、身支度整えてね。30分ぐらいしたら車出すから、それで送りますよ」

「はい、わかりました。よしなにお願いします」

 返事だけはきりっとして返す大和さんですが、まるゆを抱っこして畳にごろごろ転がってるので威厳も何もあったものではありません。

 青葉さんが楽屋を出て、まるゆ達が荷物をまとめていると、心地よいノックの音がして、隊長さんが顔を出しました。隊長役をしていた俳優の人ではなく、歴史監修をして下さった、当時作戦指揮をしていた提督さんです。

「これは提督。失礼しました」

「いや、構わんよ。楽にしてくれ」

 隊長さんはもう90歳を超えているのにぴんしゃんしていて、杖はついていますが、階段の上り下りも平気でしますし、お酒も煙草も続けているそうです。髪は真っ白ですが豊かなもので、歯は全部自前なのだとか。

「お前さんに折られた前歯は差し歯だがな」

「そ、その節は……」

「気にするな。誰かに当たらなけりゃ、やってられんかったろう。俺だってそうだった」

 隊長さんは当時、最後の決戦を指揮した時は、他の士官が戦死した中で昇級した臨時大佐で、異例の若年で重大な作戦を任され、随分苦労したそうです。今は特別顧問として海軍に出入りしているそうで、どのくらい偉い人なのかはまるゆにはよくわかりませんが、大和さんも頭の上がらない雲の上の人です。楽屋に置かれた電気ポットで手ずから安物のお茶を淹れてうまいうまいと破顔するようなお爺ちゃんですけれど。

「まあ、まずはお疲れさん。何もかも解決したわけじゃないが、60年だ。一区切りついたようで、俺も肩の荷が下りた気分だ」

「提督はもう定年もとっくに過ぎておられますし、以前仰っていたように北海道で隠居なさればよかったのに」

「若造どもがもう少し頼りになりゃあな。それに北海道はダメだ。露助の娘っこが雪祭りに遊びにくるんで目の保養にいいと思ったが、大和、お前知ってるか。あの妖精みたいな娘っこが成長するとトドになるんだ」

「男の子も妖精みたいで可愛いでしょう」

「末はマフィアかサンボ・マスターだ」

 軽口を叩いて笑うこのお爺ちゃんが、総理大臣の首を挿げ替えるのも大したことではない人なのだと聞かされてもいまいちピンときませんが、でも大和さんが気を許せる数少ない人間の人なのだということは、少ない機会からも察せられました。

「まるゆくん」

「は、はいっ」

「ま、楽にし給え。色んな肩書きが邪魔しちゃいるが、ただの爺だよ俺は。お爺ちゃんって呼んでもいいぞ」

「はあ、お爺ちゃん」

「おお、どうだ大和。この素直な事」

「提督」

「わかったわかった。そう睨むな。とりゃせんわ。でだ、まるゆくん」

「はい」

「俺も気にかけちゃやってるがな。なんせ俺も人間で、老い先も短いし、なんもかんもわかってやるっていう訳にもいかん。急な頼みで悪かったが、大和の事、頼むぞ」

「……はい」

「大和、ちょっと外してくれや」

「提督」

「大和」

「…………」

「大丈夫だ。まるゆをとりゃあせん。もう誰もな」

「……まるゆさん。先に行っていますね」

「はい」

 まるゆは生まれてからずっと、潜水母艦に乗って、世界中の海を巡っていました。海底の調査や、商戦の護衛、色んな任務がありましたけれど、ずっと海の上、海の中で過ごしてきたことには変わりがありません。きっと一生海で過ごすことになるだろうと思っていましたし、それに不満もありませんでした。

 しかし、映画の撮影の為に陸に上がって、大和さんと出会って、全ては変わりました。大和さんはまるゆに一目ぼれをしたと言いました。そしてそれ以来ずっとべったりで、放してくれそうにありません。

「大和はな。ありゃあ鋼だ。強く、しなやかで、この国を支えてきた鋼の柱だ」

 隊長さんは安物の煙草をふかして、そう言いました。

「だが、折れない訳じゃあない。折れてなきゃ可笑しいんだ。もっと早く、折れてなきゃいかんかった。だが、この国がそれを許さんかった。弱りに弱った人間がそれを許さんかった。何より大和がそれを許さんかった。たった一隻のちっぽけな輸送艇を爆弾に造り替えて生贄に捧げなければ存続も許されんかった弱い人間が許せんかったし、そうして生き残った癖に無様に弱っていくのでは尚更許せんかった。何としても国を建て直し、人類を再興しなけりゃあ、国を守るため、人類を守るためとまるゆを見送り、そして撃った自分が許せんかった」

 大和さんが戦った敵は、深海棲艦だけではありませんでした。最後の深海棲艦に止めを刺してからも、大和さんの戦いは続きました。不条理に抗い、理不尽と戦い、知った上で全てを為した人々はみな去っていき、何も知らぬ世代が不平不満を口にして、それでも大和さんは戦い続けたのです。たった一人の彼女を可愛そうなものにしないために。

「国が立ち直り、人間がなんとか以前の生活を取り戻し、水平線の向こう側に怯えなくても済むようになって、大和は、そこで力尽きた。折れることはできなかった。だが、もうどこに進むだけの燃料もなく、進む先を示す羅針盤もとっくの昔に壊れちまった。博物館に引きこもって、自分自身で崩してばらして街をつくるために資材にした、色んな過去に埋もれて、あいつは沈もうとしていた」

 だが、そこに君が来た、と隊長さんはまるゆを見据えました。

「君は、まるゆだが、あのまるゆではない。そんなことはわかっている。大和もわかっている。失ったものは二度と戻りはしない。大和自身が、沈めたのだから。だがそれでも、大和は立ち上がったんだ。あの大和が、博物館の展示物に成り果てていたあの大和が、君だと、まるゆだと、息を吹き返したんだ」

 まるゆは大和さんと初めて会った時のことを思い出しました。まるで迷子みたいに泣きそうな顔をした大和さんに抱きすくめられ、涙ながらに確かめるように顔に触れられ、覚えのない謝罪を繰り返されたあの出会いを。もう二度と沈めないからと、もう決して、貴女を傷つけさせはしないからと、胸が痛くなるほどの慟哭を。

「君にはまるで関係のない事だ。だが、頼む。あれを頼む。俺たちは全ての負債をあのまるゆに押し付けて沈めた。そしてその支払いを全て、あの大和が肩代わりしてきたのだ。本来ならば俺たちが背負わなけりゃあならん事だ。俺たちが解放してやらにゃあならんのだ。だがもはや大和にはまるゆしかないのだ。頼む。頼むよ」

 深く頭を下げる隊長さんは、小刻みに震えていました。隊長さんもまた、泣くことを許されない人なのでした。全部を全部艦娘に押し付けてきたのだと、自分を罰し続けて、それでもまだ自分を許せない人なのでした。まるゆがそれを許すというのは簡単な事でした。でも、きっとこの人は、この人たちは、許されないのでしょう。

 だからまるゆはただ、短くはいと答えるしかできませんでした。

 隊長さんと別れて、博物館に向かうミニバスに乗り込んで、一番後ろの座席を独占する大和さんに抱かれて、まるゆはエンジンのとくとくいう小さな揺れに揺られていました。

 まるゆの航海任務はとかれ、今後は大和さんの勤める博物館で働くことになります。お給金はずっと良くなるし、気軽においしいものも食べに行けますし、悪くはない生活になるでしょう。博物館で、まるゆは雑用をすることになるでしょう。お洗濯やお掃除、ご飯を作ったり。専門的な事は分かりませんので、少しずつ勉強していくことになるでしょう。

 でも、まるゆの一番のお仕事は、大和さんの傍にいることです。

 大和さんがもう一人で泣かなくて済むように、傍にいてあげることです。

 大和さんは情緒不安定ですぐに泣くし、すぐにまるゆのことを抱き潰すし、良くわからない理屈で怒ったり泣いたり、時々加減が出来なくて物を壊してしまったり、旧式だから燃費も悪いし排熱量も多いし、老朽化が進んでいるのでしょっちゅうメンテナンスもしないといけないし、本当に面倒臭いヒトですけれど、でもきっと、そんなに悪くない生活だと思うんです。

 まるゆは、大和さんのまるゆではないけれど、代わりに過ぎないかもしれないけれど、でも、大和さんはまるゆの事を大切にしてくれます。誰かに大切にされるのって、悪くないものです。

 それに、初めて大和さんに会った時、変な人だなって、何言っているんだろうって、不思議に思う以上に、何だか見覚えがあるなって思ったんです。この泣きそうな顔は、何時かも見た覚えがあるなって。あの時も、何とかしてあげたいなって、そう思ったなって。

 見覚えがある人。

 見覚えがある表情。

 でも、まるゆは大和さんと会うのは初めてですし、海の水と鋼材と、燃料や弾薬で生み出されたのはつい最近の事です。だからきっと、これは、まるゆが大和さんに何かしてあげたいなって思うのは、ずっとずっと抱きしめてあげたいなって思っていたように感じるのは、ただの勘違いなのでしょう。一目惚れの初恋の、そんな乱れた鼓動が生み出した、勘違いなのでしょう。

 でも、もし、それで大和さんの涙が減らせるなら、それはとてもうれしいなって思います。

 きっとあのまるゆも、ずっとそう思っていたから。

 だからまるゆも、とてもうれしいなって、思います。

 

 

 

 了

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