遠い未来、遥か海の彼方で、人魚たちは踊り続ける。
始まりすら忘れ去られた、終わらないワルツを。

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人魚たちのワルツ

 じゃり、と踏みしめた砂浜の感触に、私は少しの間呆然と佇んで、その柔らかく不思議な感触を味わっていた。いつもは何かにつけてすっとろい私の事を笑う少女達も、初めての砂地の感触に、我を忘れたようにきゃいきゃいと駆け回って騒いでいる。輸送艇から物資や書類の搬入をしなければいけないのだが、今この時ばかりは彼女たちを急かすわけにもいかないだろう。

 何しろ、彼女たちにとっては初めて見て、そして立つ陸地だ。彼女たちを指揮する提督たる私でさえ、曲がりなりにも陸地などと言うものを見たのは、運営本部から今の艦隊を率いるよう勅命を受けたその時に、メガフロートに囲まれて厳重に守られた小島を遠目に眺めたくらいのものだ。

 長きにわたって続く連中との戦いの中、大規模破壊兵器の影響とも、単純な環境汚染の結果とも言われる、もはや原因の追及の仕様がない古の昔に、殆どの陸地は海中に没してしまったのだという。海上に建造されたメガフロートで生まれ育った私にも、艦隊の皆にも、もはや陸地と言うものは、そういうものがあったらしいという、お伽噺や伝説の類だったのだ。

 それを実際に目にし、そして自分の足で立つということが今の時代にどれだけ幸運な事か。まして、この小島は、多くの者が教本で目にするような、海上に出っ張った岩だとか、無味乾燥な土くれの塊などではない。砂浜の向こうには、文字通り『林立』する林だ。木々だ。運営本部の生物研究所にも、標本の一つや二つあるかないかと言うような植物が、ずっと向こうまで生い茂っている。

 それに、何やらよくわからない、汽笛をずっと弱くしたような音が何種類も響いている。あれなるはきっと鳴き声に違いない。そうだ。動物がいるのだ。或いは昆虫かもしれないが、とにかく生物に満ちているのだ、この島は。科学者や研究者が涎を垂らして喜ぶような島に、いま、冴えない提督の一人に過ぎない私が立っている。感無量な事だ。

 などと一人拳など握っていると、ぺしぺしと背中を叩かれた。

「ちょっと、まだ?」

 小さな秘書艦殿に催促されて、くるりと見回してみれば、先程まできゃっきゃと遊んでいた艦隊の皆は、既に輸送艦から荷物をせっせとおろし、仕事に従事し始めているようだった。

「司令官がそんなんじゃ困るわ! 早く済ませちゃいましょ!」

 実によく出来た秘書艦で泣けてくる。でも君、さっきまで砂まみれになって遊んでたでしょ。

 輸送艦から粗方の荷物をおろし、私たちは先遣隊から受け取った地図に従い、砂浜を海沿いに歩いて行った。道中、小型の節足動物や、不思議な形状をした生体鉱物などにきゃいきゃいと足止めを食らったが、私も盛り上がってしまったから責められまい。自分も楽しんでいた割には、予定が狂っちゃうじゃないと私を急かす小さな秘書艦殿には、あとで拾ってきた生体鉱物に鎖を通してネックレスにでもして差し上げよう。

 さて、幾らか歩いて、ついに私たちは目的のものを発見した。ある意味では陸地以上に貴重なものだ。

「はぁ……こんなものがまだ現存していたんですねえ」

 ぱしゃり、と重巡洋艦の一人がカメラで撮影した。私も手元にカメラがあったら、きっと我も忘れて撮影したことだろう。

 それは、大きな建造物だった。あちこちにツタが這い回り、土砂の堆積で足元の方が埋まっているが、海へと向けて伸びる出撃ドックや、付近に接続する建物の配置は、現在我々がメガフロートで運用しているものと大差ない。接近して壁面に触れてみれば思いの外に劣化は少ない。考古学に明るい者によれば、恐らくすでに失われた技術による超強化耐久コンクリートの外壁だろうとのことだった。

 たたっ、と身軽に土砂を駆けあがり、我らが小さな秘書艦殿は、意気揚々と連合海軍の旗をそこに突き刺した。

「提督が鎮守府に着任しました!」

 からかうような笑顔が振ってきて、私もはにかむように笑みを返して、軽く手を振った。

 そうだ。ここが、この島が、今日から我々の鎮守府になるのだ。この忘れ去られた古い旧い鎮守府が、今日から私達の家となるのだ。

 しかし、その前に。

「まずは、大掃除が必要そうだねえ」

 最優先事項を、誰かがそうぼやいた。

 

 

 

 

 

 

 鎮守府は思いの外綺麗な物だった。どれ程の間放置されていたのかは、運営本部の記録にも残っていなかったので確認の仕様がないが、堅牢な素材でできた窓や扉が全てきっちりと閉ざされていたため、我々が来るまで土砂や生物の侵入は最低限で済んだようだった。もっと埃が酷いものだと思っていたけれど、物知りの娘に言わせれば、埃と言うのは大抵誰かが住んでいるから発生する衣服や生体由来のもので、本当に誰も住んでいなければ、密閉してある以上埃はさして増えないのだとか。なるほどもっともだ。閉鎖系に変化は有り得ようがない。

 しかしそうなると、この鎮守府はどれ程昔の物かわからないが、或いは当時の残り香を残しているのかも……と思ったが、黴臭くて埃っぽいだけだ。

 午前中を居住区域の清掃に回し、全体の指揮と内部の調査を秘書艦に任せ、私は何人か書類仕事の得意な物と共に、持ち込んだ物資の整理を始めた。

 極めて稀な陸地への栄転とはいえ、あまりに急な配置換えだったため、荷づくりも結構雑に済ませてしまったのだ。私の荷物はちゃっかり先にまとめさせてもらったので問題はないが、何しろ少女であっても女と言うものは荷物が多いものだ。それも必要とも思えないかさばる物ばかり。それらをとにかく急いで詰め込んだものだから、どれが誰のものなのかという所からはじめなければいけない。どうせ後になってあれはどこだったっけ、私の持ってったの誰と騒ぐのは目に見えている。その度に、司令官カーラー貸してだの、提督化粧水貸して、ドライヤー忘れたから貸してだの来られては困る。その上官給品はこれだからなどとケチまでつけられるのだ。

 まあそちらの方はある程度辺りが付けられるからいい。馴染の艦隊の私物だ。誰が何を使っているかくらいは把握している。ちゃんとネームタグつけてる娘も多いものな。ただし夜の私物を隠しもせずに突っ込んだ推定重雷装艦、てめーはあとでお説教ね。

 さてさて、問題は運営本部から賜った物資だ。ガワはしっかりしているが、中身は老朽化も酷いだろうからと、少ない資源の中から色々と用意して寄越してくれたのはありがたい。実際、その品目は吝嗇で知られる運営本部が用意したとは思えぬほど豊富なものだ。質素節約を旨とする我が艦隊としては急な贅沢に困惑するほどだ。

 だが、そこはそこ流石の運営本部。梱包資材とスペースの節約とばかり、規格化されたコンテナボックスに、立体パズルもかくやと言う複雑さで詰め込まれた資材の取り出しと再分類が地獄のように面倒臭い。時間と言うものも一つの限りある資源だということを運営本部主計局の連中にはご理解いただきたいところである。

 なんとか全てのコンテナボックスの中身を再分類し、リストの目方と合わず目を皿のようにして探した軽量鋼材が、解体したコンテナボックスの重量と一致した時は流石にみんなでふざけんなとぼやいたものだが、しかし、まあ、全てを仮設倉庫に放り込むことには成功した。

 汗だくで運搬を終えた娘たちに、物資の中から真水を寄越して水分を取らせ、私自身も前を緩めて少し休憩、と思ったがそうも行かないらしい。しれー、と力ない呼び声に、これまた力なく応えて向かった先で、グロッキーな顔つきの連中に、熱い、と簡潔に問題を告げられる。

 暑い、ではない。もはや熱いである。そりゃそうだ。真夏の炎天下をえっちらおっちらやってきて、働き尽くめとなればそれは排熱も間にあうまい。窓を開け放っても暑苦しいほどの南国の陽気だ。

 私は物資からの水分補給をゆるし、工作艦を引き連れて鎮守府の地下へ向かった。規格がそう変わらないならば、そこには発動機があるはずだった。電気が必要だった。我々にはクーラーが何より必要なのだ!

 幸い、発動機は頑健で、いくつかの部品を交換して、磨き直してやれば、がくんと一つ大きく身震いして、順調に発電を開始してくれた。

「いやぁ、しかしこいつは凄いですよ」

「そうなのかい? 私は機械はてんで分からなくてね」

「私もさっぱりです」

「は?」

「旧式どころか、多分混乱期に失われた技術ですね。機械的な故障なら何とかなりますけど、リアクター周りがやられたら、運営本部の研究室にでも回さないと無理です、こりゃ」

「良く動かせたな」

「この手の機械は、どれも手順はそう変わらないもんですよ。使う奴が使いやすいようにできてるんです。動線さえわかれば、後は勘ですよ」

「勘」

「ただ、リアクターはほんとさっぱりですね。いやぁ、ほんとなんで動いたんでしょうねこれ」

「なにそれこわい」

 下手したら爆発してましたよとか笑う工作艦を置いて、私は足早に地下を脱出した。こんなところにいられるか。途中、ブレーカーらしきものを操作すると、ぱちぱちと電燈が灯っていった。そして恐らく空調管理用のパネルを幾つか操作し、何とか冷房が効き始めたらしい音を聞いて、自分もやっていることに大差のない事に気づいておののいた。ユーザビリティって凄いな。

 とにかく、この調子であれば、簡単な操作位は慣れれば誰でもできるようになりそうだった。詳しい所は機関科の工作艦など、専門的な調査チームを組む必要があるだろうが、当座はこれで凌げそうだ。

 ひいこらと階段を登り終え、一息。全館を順調に冷やしつつある冷房の風に当たるべく送風孔付近に群がった娘どもを引きずって掃除につかせ、私自身もかつて執務室として使われていただろう一室を、自分の手で清める。自分の部屋位は自分で掃除する。大きな鎮守府だと提督は自分の仕事に、つまり艦隊指揮に専念すればよかったのだろうが、生憎小さな鎮守府の出だ。提督自身が何これとやらなければ回らない様な、そんなちっぽけな。

 一通り磨き終えて、ある程度満足のいく出来になった所で、執務椅子に腰掛けてみる。大分老朽化が進んでいるのかぎしぎしと恐ろしい音をたてたが、私の体重を支えるには十分であるらしい。軽く補強を入れるだけで良さそうだ。

 腰を下ろすと、疲れがどっと出てきた。懐中時計を取り出してみてみれば、もうすっかり午後だ。昼もすっかり過ぎている。通りで腹が減るわけだ。

 執務室を出て、自主的な休憩に入っているらしいだらけた娘たちの間をすり抜けて主計連中を探して集め、物資の内、食材関係を烹炊所へと運ぶ。冷蔵庫・冷凍庫はまだ動き始めたばかりで冷えていなかったが、食料庫はひやりとしていて、広さも十分だった。

 烹炊所は広く、うちの主計艦では持て余すほどだった。隣の食堂も広いもので、往時には恐らく、今でいう中規模から大規模の鎮守府だったろう。いまでは辺境の忘れ去られた廃墟、というよりも遺跡の一つに過ぎないのだから、時代の流れと言うものは残酷だ。

 ここも老朽化は酷いものではなく、主計の皆と私とで磨き上げれば掃除はすぐに済んだ。幾らか用途不明の構造物や機械が見られたが、これは工作艦を呼ぶまでもなく、主計連中の所謂料理人の経験と知恵ですぐにどういうものか見極められていった。やはりこれも、使い勝手や動線の問題なのだという。私には食器の洗浄機や焼き釜の鑑定は無理だ。持ち込んだ幾つかの調理用機械を設置し、鍋釜に包丁、まな板を並べ、早速艦隊の食事を準備してもらった。

 私は飯を餌にして、長い自主休憩を取る娘どもを蹴り起こし、食器の梱包を剥がさせ、烹炊所まで運搬させ、丁寧に洗浄させた。洗浄! そう、これも私を驚かせ、主計艦を大いに喜ばせた。この島では水が、真水が湧き出ているのだ! 山中より川と言う形態で、惜しげもなく垂れ流されているという。それだけでなく、鎮守府から地下へと穿孔した穴から地下水をくみ上げて水道に使用しているという。これは我々程度の小鎮守府がいくら使ってもまずなくなるようなことのない量であり、海水を電気分解したり脱塩処理したりしなくても真水が、古典的表現で言う所のまさしく『湯水の様に』使えるのだ。どんな罰当たりな言葉かと思っていたが、陸地で真水が取れるのが当たり前だった時代では、そのままズバリの言葉だったのだろう。

 単に水分摂取に困らないという単純な理解以上に、料理や洗濯、風呂と言った様々な点で素晴らしく生活が向上すると主計課は大喜びだった。

 上等な烹炊所を使っただけあって、食事は実際素晴らしいものだった。工作艦連中が操作方法を暴いた館内放送で全員を集め、前の鎮守府を出る際に主計科がリストに記載し忘れた(、、、、、、、、、、)酒類を開けて乾杯し、我々は労働によって失われたカロリー以上の栄養をモリモリと摂取した。元が運営本部の送ってきた味気ないレーションだとは思えない程の良い出来栄えだった。流石に主計科は年季が違う。べたっとした転化味噌の味噌汁もうまいことだしを利かせているし、もとが印刷野菜だとは思えない様なしゃきしゃきと新鮮な歯応えの炒め物もいい。酵母肉に合成魚肉も、我らが主計科の手にかかれば、燃費の悪い戦艦に空母勢がこぞって成型米をおかわりに来るほどの売れ行きだ。私も、太古の焼き釜を使ったのだというパンに味を占めて、ついつい次から次に手を伸ばしてしまった。ブロック栽培の小麦粉も調理次第という訳だ。

 秘書艦は眉を寄せたが、私がいいと言うので全員に酒類を三杯まで許した。ジョッキでだ。貴重な品だが、飲むべき時に飲むべきだ。それに、実は主計科の連中からこっそり教えて貰ったのだ。恐らく醸造用の物と思われる施設があると。自前で作れるならケチる必要もない。

 盛大に食べ、盛大に飲み、そして盛大に後片付けをして、我々はすっかりいい気持ちで人心地ついた。そしてこの後だった。我々が、正確には主計科以外の者が、真水がたっぷりとつかえるというその事実の、真実ありがたみを知ったのは。

 つまり、風呂である。

 なんとこの鎮守府、大浴場が設置されているのである。我が艦隊なら全員が一度に浸かっても余裕のある浴槽に、個別に鏡の付いた洗い場。これだけ豪華な、それも、真水の風呂! 水平線の様に平等なる制海圏の特権階級と言う自己矛盾、運営本部のノーメンクラトゥーラでもなければ、こんな贅沢は生涯味わえまい。

「うん? こっちはなんだ。外への扉か? 浴槽らしき痕があるが、屋根が壊れたのか?」

「提督、恐らくそれは露天風呂と呼ばれる様式かと」

「ロテン?」

「野外に設けられた入浴施設です」

「野外に?」

「景色を楽しむことが出来、開放感もあり、また外気で程よく身体が冷やされるのでのぼせにくいとも言います」

「景色ねえ」

 古典に詳しい娘が教えてくれたが、いまいちよくわからない感性である。しかし、ひょいと扉から外を眺めてみると、なるほど、悪くはないのかもしれない。今は荒れに荒れているが、繁殖した植物たちを追い払い、綺麗に囲いでも作って浴槽に湯を満たせば、立派なロテン風呂とやらだろう。メガフロートでは機械と海位しか見るものがないが、ここには自然とかいうものが溢れているのだ。

「古典によれば、湯面にお盆で酒を浮かべて、飲みながら入浴するのが正しいスタイルだそうです」

「酒? フムン。酒ね。フムン。それはさておき、露天風呂と言うものはなかなかいいかもしれんね」

 私は早速明日から整備を進めることを決めた。

 外に出て冷えた体を浴槽に沈めて、改めて暖まる。こうしてじっくりと湯船につかるなどどれくらい振りだろうか。メガフロートでは真水は貴重だ。指揮官である提督と言えど、毎日じっくり入浴などできない。私などまだマシな方で、末端など、お湯で濡らしたタオルで体を拭くのが精々というのもざらではないのだ。

 そういえば、水もそうだが燃料も大丈夫だろうか。油汚れをわしわしと洗っていた機関科の娘を捕まえて聞いてみると、寧ろ余りそうだとまで言われる。なんでもこの鎮守府の地下にあった発動機だが、あれのリアクターは外部から燃料を投入する口がないのだそうだ。

「それなのに動いてるのか」

「一緒に見に行ったんじゃないんですか?」

「私にわかると思うか」

「いえ、全く」

 何とも信頼の見える返答だ。

 長い髪を丁寧に洗ってやる代わりに噛み砕いて説明して貰った所によれば、地熱発電の様に地下からエネルギーを得ているようではあるものの、蒸気発電を行うためのタービン等も見られないし、或いは地殻変動のエネルギーを直接電気エネルギーに変換しているのではないか、といったところであるらしい。よくわからん。少なくとも、超長期間にわたって整備もされていないのに十分に稼働することから、我々が使用する程度の電力供給は何ら問題がない事、そしてこいつを研究するだけで運営本部に一席もらえる程の物らしい。よくわからん。

 説明し甲斐がないと嘆かれたが、わからないものは仕方がない。私に必要なのは実用に足るかどうかというその知識だけだ。詳細は報告書にまとめて寄越すように伝えて、私は風呂をあがった。

 出だしは順調だ。発見物も運営本部の気に入りそうなものだ。

 偶々発見された小島の一番近くの鎮守府だったという幸運から選ばれただけの私だが、うまく立ち回れば、昇進も夢ではないだろう。そうすれば、ノーメンクラトゥーラの仲間入りも、有り得ない話ではない。今更昇進など然程喜ばしくもないが、そうなれば艦隊の娘たちの待遇もずっと良くなるはずだ。

 私は今日の事を日記にまとめ、私室に選んだ上等な部屋のベッドに横たわった。今となっては運営本部の近衛艦の武装位にしか使われる事のない、老朽化のまるで見られない超硬化セラミック製のベッドフレーム。その超技術の持ち主でさえ、その全てを手放さねばらなかった長い長い戦いの激しさに思いを馳せながら、私はゆっくりと意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 朝目をさまし、昨夜書いた日記を読み返して、私は新天地、それも文字通り新天『地』への好奇心を新たにしていた。砂浜、林、動物! 昨日だけで一体どれだけの言葉を初めて口にしただろうか。知識だけは知っていても実際には使った事のない言葉ばかりだ。それに名前も知らない色んな物! 昨日見た幾つかの物を思い出しながら、端末で調べてみて、それらが今ではどこに行っても見ることのできないような希少な物なのだと思い知らされた。蟹、貝、ヤシ、モッケポルンガ! 運営本部の研究者であっても、代々引き継いできた標本でしか知らない様なものが、この小島では今も存在しているのだ!

 すごいと思わないか!?

「そうね。すごいからまずは顔洗って着替えましょう?」

 小さな秘書艦殿の慈悲深き微笑みを前に、自分が大人であること、大人でなければならないことを痛感させられるこの苦痛。

 ともあれ、今日も業務開始だ。

 運営本部から通達された任務は、この小島鎮守府を実用可能な程度にまで整備することと、小島自体の調査。幸い、この小島は敵勢力圏からは外れているから、沿岸警備は最低でいいだろう。優先順位としては、まず出撃ドックや入渠ドックを始めとした機能の回復。次に鎮守府近隣の環境調査。真水に代表されるような資源の獲得をしたい。個人的には露天風呂の整備を優先したいが。

 朝食の場で私は担当の振り分けを発表した。全員がきちんと集まる機会はそうとれるものではない。

 主計科は現在ある物資を整理し、炊事洗濯などの業務日程を現状に合わせて再設定。また手隙の物で鎮守府内の探索を行い、使用可能な物資などをリスト化。

 工作艦を始めとする機関科は、ドックの機能回復を優先。可能であれば並行して鎮守府内の機械類の点検・調査を頼む。……あとで個人的にお酒の醸造機の整備もお願いしちゃおう。

 通信科は自前の通信機を立ち上げた後、この鎮守府に据え付けの通信機器の調査と復旧を頼む。済み次第、運営本部との通信を開始する。また館内放送機器の調査も一任する。

 気象科は以前使用していた気象情報を参考に小島周辺の気象情報をまとめろ。恐らく自前の観測機器などがあったはずだから、それらを調査して正確な気象予測を早めにできるように。陸地での任務は初だ。想定外のこともある。よろしく頼む。

 兵科のうち必要人数を交代で沿岸警備に出撃。ただし出撃ドックがまだ利用できないため、浅瀬から直で出撃できる者に限る。残りの者は交代で休憩を取りながら小島の散策と地図の製作。偵察機持ちは空撮もよろしく。暇そうな奴は適当に徴発していい。

 あとは、そうだな、それで…………私は何をすればいいかな?

 通達を済ませ、そして指揮官たる自分は何をしようかと小首を傾げた結果、私は艦隊一同の推挙を受け、執務室に戻った。

 曰く、大人しくしていろ、である。

 そりゃないだろ。

 憮然とした表情で机に突っ伏していたら、小さな秘書艦殿が慰めに来てくれた。

「司令官は指令を出すのがお仕事だもの。どーんと構えるのも大事よ?」

「うへぇ……駄目になりそう」

「ふふふ、大丈夫よ。だって私が傍にいるんだから!」

「だから駄目になりそうなんだけど」

「?」

 ダメ提督製造機め。甘やかされて溶けてしまいそうだ。

 なんだか自分がどんどん駄目な奴に思えてくるので、小さな秘書艦殿には全体の様子を見て回ってくるよう頼んで退出してもらった。

 まあ何をしようにも、実際指示を出してしまうとやることがないのも事実だ。私は艦隊の皆と比べるとやっぱりどうしても非力だから、力仕事や外への探索は足手纏いにしかならない。専門的知識を持ち合わせていないから、機械類や施設のことには口の挟みようもない。もちろん、海上に出るなんて無理だ。頭脳労働が仕事と言えば仕事だが、敵も来ない様な辺境では作戦も立てようがないし、現場連中で分からない事は私にはどうにもならない。計算は得意だが、経理関係は主計の仕事だ。私は上がってきた報告書にサインするだけの機械でしかないのだな、現状。

 少なくとも今日の内は完全に暇だ。私に方針を仰いでくるほど、現場がまだ整っていないのだ。まあ私の出番があるということは海から敵が来ているということと同義なので、私が暇であればあるほど平和でいいという事なのだけれど。

「しかし何もしないってのも退屈過ぎるな」

 邪魔にならず、何か用事があった時にすぐに見つけられる様な態勢でなくてはならない。食堂にお邪魔して、香料湯(こうちゃ)でも淹れて貰って読書でも、

「読書か」

 そういえば、それがあった。

 私は書き損じの書類の裏に走り書きで書置きを残して、端末を手に部屋を出た。

 手持ちの既に内容をすっかり覚えてしまった電子書籍に頼らずとも、此処には読む本など幾らでもあるのだった。昨日の探索時に、書庫があるのを見つけていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 書庫にはまだ誰の手も入っていないようだった。使用可能な物資もないだろうし、機材の類も置いていないから、優先順位は低い。だから、手の空いている私が調査する。うん。暇も潰れて一石二鳥だ。

 鎮守府の他の部屋と同様、機密性が高いため内部の保存環境は極めて良好のようだ。ざっくりと掃除をして、何冊か取り出してみたが、その劣化の無さには逆に驚かされたくらいだ。私としては最低限本としての形を保っているくらいかもしれないとあまり期待はしていなかったのだが、端の方が僅かに変色しているくらいで、装丁もしっかりとしているし、ページを軽く引っ張ってみても破れたりせず、張りがある。虫食いもない。或いはこの紙自体も特殊な製紙技術によるものかもしれないが、そこまでは流石に私もわからなかった。

 書庫自体の広さは、読書スペースに当てられているのだろうテーブルや椅子の置かれた空間を別にしても、ちょっと見渡す程度には広かった。紙が貴重となって、電子媒体での資料保管が当然となっている時代の生まれとしては、この広さが書庫として広いのか狭いのかは今一つわからなかったが、綺麗に等間隔に並んだ棚たちに端から端までみっちりと紙媒体の本が詰まっているというのは壮観ではある。

 特に考えずに引っ張り出した何冊かは、ぱらぱらと適当に捲っていた限り、どうやら図鑑のようだった。見知らぬ多くの動物たちや植物たちの写真が掲載され、いまなお色あせず鮮やかにそこに切り取られていた。以前であればこの一冊を手に入れただけで、私は狂喜乱舞していただろう。しかし今は、抑え切れる程度の感動であった。なにしろ、ここに写っている摩訶不思議なお伽噺の存在達を、昨日既にこの目で、それも実物を見てきたばかりなのだ。だからいま私がこの図鑑に対して抱く感動はよくて五割引き。そして残りの五割も、これ一冊を売るだけで幾らになるだろうかと言う即物的なものだ。

 これらの図鑑は貴重なものだが、生態系がどれだけ変わっているか定かではない以上、実際の調査にはあまり役に立たないだろう。私は図鑑をもとの場所に収め、一度入口まで戻った。

 昨日二か所で聞いた言葉を思い出したのだ。つまり、使い勝手と動線だ。

 私ならこうするだろうと思った通り、入り口付近には小さな見取り図があった。倉庫と一緒だ。すぐに目的の物に手が届くよう、どの棚に何があるかと言う分類を記しておくはずなのだ。分類の文字は、現在我々が使用している文字とは著しく変形しているようではあったが、概ね現在の形は簡略化が進んでいるだけのようで、少し眺めれば何となく読み取れた。

 機関化の連中の為に適当に工学関係の本、特に発動機周りの物を探して何冊か取り、主計科の為には調理関係の本をまとめてみた。中身には目を通していないので外れはあるかもしれないが、その辺りは目を通したところで門外漢の私にはよくわからないので、後で本人たちに探してもらおう。

 さて、肝心の私の調査(ひまつぶし)用の本はどれにしようか。棚の間をインスピレーションを頼りに渡り歩いていく内に、隅の方に他とは毛色の違う棚を見つけた。他の棚に収められている本が、ある種芸術的な装丁で綴じられているのとは違い、その棚に収められているのは簡素でより実務的なファイルの類だった。苦労して背に書かれた題を読み解いてみれば、それらは各部署の業務日誌のようであった。

「整備記録に……ほう、几帳面だな、毎日の献立が記録されているとは」

 貴重な紙を惜しげもなくこんな記録に使うとは驚きである。しかし、これは機関科や主計科が重宝しそうだ。何冊か適当に抜いていき、そして私はぴんと来るものを見つけた。

「……艦隊日誌、か」

 遥か昔にこの鎮守府を指揮していた司令官が記したものであるらしい。同じ司令官として、先達に学ぶというのは良いアイディアの様に思えた。時代が大いに違うであろうから、何もかもを参考にするという訳にはいかないけれど、通じる部分もあるだろう。

 私は日誌を何冊か抜き取り、他の本とまとめて執務室に戻ることにした。

 百年か、何百年か、ともかく遥かな時を隔てた過去を、その当時の者の肉筆で記された文章と言う形で触れる。なんというか、壮大なロマンを感じる。何処かかび臭い書庫特有の匂いは、不思議に私を浮足立たせるのだった。

 執務室に戻って、持ってきた書物を仕分けると、私はぎしぎし言う椅子に深く腰をおろし、使い古した眼鏡をかけた。本を読むときは、気持ちを切り替えて没頭したい。艦隊指揮官である私には、なかなかそうした時間は取れないが、隙間の様な時間を見つけては、深く読書する癖がついた。幸いにも今は、驚く程に暇がある。深く長く、読書に沈めそうだった。

 ファイルを開き、規格化された書式にのっとって記された日誌に、私は意識を沈めた。

 色褪せたページからは、いにしえの人の残り香が漂った、様な気がした。

 

 

 

 

 

 

皇紀一八九九二年七月一二日木曜日 晴れ

 

 本日をもって、遂に私にも鎮守府が与えられた。とっくに引退した老兵にまで指揮を任せなければならない程、戦況は芳しくないようだ。いや、そんなことはずっと昔にわかっていたことだ。ただこれまでの見せかけの平和は小康状態だったというだけに過ぎない。伝説に聞く我らの父祖が育まれた大地が容易く海に没した時から、銃後などと言うものはもはや存在し得ないのだ。行く場のない難民が、銃をもって咆えている様なものだ。

 戦線は子供の落書きじみて縦横無尽に海と言う海に跨って引かれ、それさえも毎日、それどころか一時間ごとに変化し続けている。現場は流動的だなどという次元ではない。もはや誰が生き残っていて、一体どの戦線でどの対象と戦闘しているのか、それさえも定かではない。私がこうして再び指揮官として鎮守府を預けられたことも、その不安定な戦場を維持し続ける為の、無数の捨て石の一つに過ぎない。だが捨て石にも意地はある。最後の一時まで、私は与えられた任務をこなさなくてはならない。

 人類が把握している数少ない陸地のひとつに建造された我が鎮守府は、その希少さとは裏腹に、船団の工船や中枢の大発動機に比べれば、生産力も、発電量も何もかもが微々たるものでしかない。僅かな面積から摂れる自然資源はたかが知れており、艦隊を維持するための食糧生産さえ、結局は作付け面積の関係から地下に立体耕作施設を建造する他なかった。余剰生産物から精製した生物由来燃料で艦娘達の燃料を賄えたのは嬉しい誤算だったが、鉱物資源は船団の海底資源採掘船からの輸入が頼りだった。

 全くとんだ不良物件だった。老骨を据えるにはあまりに厳しい所帯だった。しかしそれでも、人類にとってこの島は守護を置くに相応しい土地だったのだ。そう、文字通り、土地だ。海上に鋼鉄の要塞を築き、船団を組み、無限とも思える物量で海からやってくる深海棲艦どもを相手にし続けるには、人類にはよすがが必要だった。希望と言い換えてもいい。僅かに残った陸地は、文字通り人類に残された領土なのだ。これらを奪われれば、人類は領土を失い、ひたすらに無限の水平線に漂う鋼鉄の棺桶に縋りついて戦い続けなければならない。彷徨い続けながら、終わりの見えない戦いに身を投じられる程、人類は強くも愚かでもない。帰るべき場所が必要だった。どれ程ちっぽけでも、この小島はその一つなのだ。

 私は本日、この人類最後の領土の一つに、その防人として配属された。

 船団より賜りし艦娘二五名と、この老骨一人が、人類戦線のささやかな支えとなれれば幸いである。

 

 

 

 追記

 

 ところで明日は金曜日である。

 厨房の整備を最優先に急がせ、烹炊係の艦娘に命じて本日の食事とは別にカレーの準備をさせる。一日寝かせた方がうまいに決まっている。官給のボケたカレー粉を薄めて毎週食わされたカレーとは別物の、本物のカレーライスを食わせてやる。この為だけに、貯め込んでいた退役俸給をはたき、地道に築いた人脈を頼りに中枢仕様の合成機をガメてきたのだ。合成したての香辛料で自作したカレー粉をたっぷり使ったカレーはさぞかし美味かろう。この程度の役得位なければ、誰がこんな文字通りの島送りなんぞ喜んで請けるか。

 どうせ死ねという命令とさして変わらんのだ。ガメられるものは全部ガメてきてやったし、長期にわたって孤立する可能性から自給自足が可能でなくてはならんと熱弁して、飯に関しては徹底的にやらせて貰った。中枢の妖怪共ならともかく、マニュアル通りに工作機械を動かす事しか知らん現場の脳タリン共相手ならこんなものよ。

 船団が沈もうが中枢が滅ぼうが人類が溺れ死のうが知ったことか。ここが私の城で、私についてきた艦娘達だけが私の家族だ。毎日美味い物食って、広い風呂に入り、艦娘達に看取られる。そのついでに深海棲艦どもを追っ払う。老後の隠居生活としては実にいい部類じゃなかろうか。

 やる気と希望が湧いてきた。明日からは生活の充実の為に頑張るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 何処か親近感の湧く、かつてのこの鎮守府の司令官の日誌に、私はすっかり没頭してしまっていた。手書きであることもあり、現代の大分簡略化され、転訛し、幾つかの言葉に至っては意味合いさえ変化したらしい言語に直すのは随分苦労させられたが、それさえも遠い昔に作られた、解法さえ失われたパズルを手探りで解くような面白みがあり、夢中にさせられた。きっと今となっては製法さえもわからなくなってしまったインクで綴られた文字の一つ一つに触れる度に、確かな息遣いが感じられた。

 そんな風にすっかり夢中になっていたものだから、小さな秘書艦殿が大声で呼びに来るまで、私は自分の空腹さえ全く意識の外であった。耳元でご飯よと叫ばれて、ようやく私は黴臭いファイルからむくりと顔を起こして、いまの空気を呼吸した。インクと、カビと、微かな人いきれの様な匂いから抜け出すと、開け放たれた扉の向こうから漂う転化味噌の甘ったるい香りが強烈に鼻腔を刺激し、太古の魔法から解き放たれたように胃袋がぐずりはじめた。

「……飯か」

「そうよ、ご飯よ司令官。何度呼んでも気づかないんだから!」

「ごめんごめん。すっかり読み耽ってしまった」

 立ち上がり、うんとひとつ伸びをすると、強張った筋がぱきぱきと音を立てた。眼鏡を外してケースに収め、目元を軽く揉む。少し疲れた。こんなにも読書に夢中になったのは久しぶりだ。

 小さな秘書艦殿の頭を撫でてやって、機関科と主計科に渡す分の本を抱えると、私は腹の虫が催促するままに食堂へ向かった。香ばしく蛋白質の焼ける匂いに誘われるように足を進めながら、私はふと思い出して、小さな秘書艦殿に今日の曜日を尋ねた。

「今日? 火曜日よ?」

「火曜日……まだ火曜日か」

「なにかあったかしら?」

「いや、なんでもないんだ。なんでも」

 カレーライスは金曜日と決まっている。何時でも好き勝手カレーライスを食べられるのはきっと幸せな事だが、そんなことをしてしまえば折角のカレーのありがたみが薄れてしまう。金曜日まで待たなければならない。そう、そうだ。それに、日誌にあった合成機とやらを探さなければ。どのような機械かはわからないが、そいつがあれば、官給品のあの汚泥の様なカレー・ルゥを薄めて使わなくて済むのだ。それに香辛料が得られるということは、料理のレパートリーはぐっと増える筈だ。折角の役得だ、有効に使わせてもらおう。

 私は主計科の連中に書庫で見つけた本を渡し、日誌にあった合成機や、地下の立体耕作施設などの存在を伝え、その復旧を任務に付け加えた。ただでさえ忙しい主計科に面倒を増やした形だが、香辛料や新たな食材の話題はむしろ彼女たちを大いに焚き付けたらしかった。献立の記録にある多彩な料理の類にも随分好奇心をくすぐられたらしく、早速手隙の者で、調理関係の本の解読に入っていた。

 食堂では手隙の者から交代で食事をとっているようで、慌ただしく詰め込んでは入れ代わり立ち代わり忙しない。しかし、忙しくはあっても楽しそうではあり、初めての陸地での様々な新発見は、大変充実した経験となっているらしい。私は邪魔にならないように隅の方でゆっくり食事を摂らせてもらった。

 今日の昼飯は、酵母肉の生姜風味焼きだった。濃いめの味付けが嬉しい。印刷野菜の繊切りがたっぷりと盛られ、半固体状ドレッシングが多めに添えられている。乳酸発酵させたブロック野菜も程良い浸かり具合で、ぱりぱりと気持ちの良い歯応えだ。思わず成型米をおかわりしてしまった。転化味噌汁を飲み干し、底に残った合成豆腐を箸でつまんでパクリ。

 ご馳走様と手を合わせ、さて午後はどうしようか。

 とりあえず本を抱え、地下に籠っている機関科の連中に届けてやると、油に汚れながら何やら機械を弄っていた工作艦連中に大いに喜ばれた。やはり経験と勘だけでは限界があったようで、技術書の類が特に感謝された。私にはさっぱり内容は理解できないのだが、連中はある程度解読が進んだ時点で、それぞれの理解したらしいあたりを侃々諤々と議論し始めた。勿論これも私にはさっぱりだ。工作艦連中は基本的にバカの集まりではあるが頭はよく、日頃のバカっぷりとは裏腹に一番偏差値が高い連中だ。実際、専門分野においては司令官である私より頭がいい。だが技術屋にありがちな専門バカなので、わからない奴にわかりやすく説明するのは得意ではないため、全く話が通じずやっぱりバカだと思われている。因みに日頃から脳筋のバカで実際も脳筋のバカが兵科の戦艦連中で、見た目はスマートだが中身は感性でぶん殴るバカが空母連中。そしてただのバカが巡洋艦共。偏差値は低いがそれほどバカではないのが駆逐艦連中だ。うちには潜水艦がいないので連中がどういう奴らなのかはわからないが、やっぱりバカなのだと思う。何せ司令官の私からしてこれだからな。

 執務室に戻って日誌の解読を進めようと思ったのだが、慣れない環境と慣れない作業、二つが重なったのか、貧弱な私は椅子に座るなりあっさりと意識を手放し、気付けばとっぷりと日は暮れていた。秘書艦殿が晩飯の時間だと起こしに来てくれたのだった。

 なんだかもったいないような気分で食堂に向かうと、何とも香ばしい香りだ。

 膳を受け取ってみれば、なんと焼き魚である。それも何時もの合成魚肉の成型切り身ではない。頭もあれば尾も付いている、一尾丸々の魚である。何かと問えばアジであるという。

「兵科で哨戒に出ていた娘たちが、魚群を見つけて網で捕まえてきたそうです」

 天然物の魚介はそうそう食べられるものではない。海上で過ごしているのだから幾らでも取り放題だとは思うのだが、運営本部による生態系維持の方針により、海域ごとの漁獲高は厳しく制限されているのだ。当然、以前の鎮守府でも漁業は規則下で細々とやる程度で、それさえ時折見に来る憲兵に査察と称して奪われていくばかりだった。

 しかし、この島の周辺は既存の枠組みの外である。既定の海域の外だ。だから漁獲高に関しても規制はまだない。法の網にはかからない。大方悪知恵の利く連中が承知の上で網をもって哨戒に出たのだろう。全く悪餓鬼どもだ。

 私は程々にしておけよとだけ言って、新鮮なアジの塩焼きに舌鼓を打った。規制が入る前に楽しんでおけよということである。

 古参の駆逐艦や巡洋艦共は心得たもので、各々網やら釣竿やらたもやらと道具の手入れに余念がない。前の鎮守府の頃からの年期の入った道具だ。鎮守府として獲った魚介は申告しなければならないが、何しろメガフロートは広いし見張りたる提督は私一人きり。見えない所で何かやっていてもわからぬなあ、しかしまあ大本営より預かりし栄誉ある艦隊の娘たちがまさか密漁などせんでしょうははは、というのが大抵の鎮守府の遣り様である。

 綺麗に骨だけ残して平らげ、私は其々の科の長からざっくりとした報告書を受けとり、食後の茶を啜りながら目を通した。

 主計科は基本的な日程を設定。食料リストから今後一か月の献立を作成済み。本日渡した資料を参考に調整を加えていくとのことである。鎮守府施設内の調査により燃料鋼材の類を発見、リストに加えたとあるので、後程確認しよう。

 機関科は入渠ドックの機能回復に成功。ただし接続部の仕様が著しく異なる為、変換アダプタの試作中とのこと。出撃ドックに関しては、当時使用されていた艤装と我々が現在使用しているものとで構造が大分変遷しているようで、大幅な改修が必要だそうだ。醸造機に関してはしばらく手を付けられなさそうだ。残念。

 通信科は持ち込んだ通信機の立ち上げに成功。運営本部との通信も成功し、定期連絡が可能に。鎮守府据え付けの通信機器に関しては使用されている周波数が大いに違う上、暗号化機構が未知の、というよりは失われたアルゴリズムと言うべき機構であり、解読に時間を要するとのことだった。館内放送機器は十分使用可能であり、現在対応スピーカーの調査中だそうだ。

 気象科は観測機器を発見。基本構造は我々の使用しているものと大差ないらしく、細かな調整中。書庫に気象関連の記録が残っているかもしれないのでそちらも調べていきたいとのことで、これは私も気づかなかったので悪かった。

 兵科の沿岸警備連中の戦果はアジその他新鮮な魚介。島内の調査は、陸地、それも原生植物は生い茂ると言う全くの未知の環境にはかどっておらず、空撮写真を基に探索予定を組んでいる最中とのこと。軽い調査だけでもかなりの種類の標本が得られ、詳しいものが分類している。

 ふむ。こんなところか。

 私は方針をそのままに継続して作業を行うよう伝達し、風呂でざっと汗を流し、髪も乾かさずに執務室に戻った。

 とにかく例の日誌の続きが気になっていた。

 浪漫が私を呼んでいるのである。

 

 

 

 

 

皇紀一八九九七年八月八日火曜日 雨

 

 私がこの鎮守府に着任して五年が経過した。毎年このクソ暑い夏が来る度に、今年こそは死ぬんじゃなかろうかと思いながらももう五年だ。存外にこの老骨は頑丈に出来ているらしい。雨が降ると幾らか涼しくもなる様な気もするが、焼けるような暑さが蒸し暑さに変わるだけで、正直クーラーの効いた室内から出る気になれない。むしろ連日の雨で外に出ることもできず気が滅入る一方だ。艦娘達もやる気が出ないようで、ごろごろとくだを巻いているか、酔狂な連中が合羽を着こんで外を駆けずり回っているか、は、まあ平和でいい事だ。

 我々がこの島に落ち着いてから五年。船団は随分戦力を削られたと聞く。中枢はいまも堅固な守りの内側で健在だそうだが、あちこちで前線は押し込まれ、いくつかの大きな損失があったそうだ。東部に至ってはもはや辛うじて組織的抵抗をしているという具合で、それさえ途切れがちな補給線の為に、半ばゲリラ的な戦闘に移行している。戦線から遠い辺境のこの島にさえ、ちらほらと深海棲艦どもが姿を見せることさえある。いまのところ全て轟沈させているが、いずれここも連中の本格的な攻撃にさらされるかもしれない。全く、とんだ隠居生活だ。

 何より気が滅入るのは、夏になると連日そうめんが繰り出されることだ。烹炊係も湿気で参っているし、献立を考えるのが面倒で気だるいのは理解できるが、こうも毎日そうめんばかりでは気が滅入るし、何より力が出ない。どうにかならんかと苦情を申し立てたら、じゃあ提督が作ってくださいよと無茶苦茶な事を言われた。お前らね。私は一応提督だぞ。日がな一日将棋打ってる楽隠居か何かかと思ってるのかお前らは。あながち間違っていないのが悔しい。

 仕方がないので厨房の棚からオリーブ風オイルとバルサミコ風酢を引っ張り出し、トマトと蛸をザクザク切ってそうめんと和えてやり、菜園のバジルを千切って散らし、なんちゃってイタリアンそうめんを作ってみたところ、欠食児童どもに嗅ぎつけられ、味見と称してあっという間に皿を空にされた。更には食い意地の張った空母どもまで顔をだし、仕方がなく烹炊係の尻を蹴って艦隊連中の分まで作る羽目になった。余計疲れた。

 

 

皇紀一八九九九年七月一日月曜日 晴れ

 

 七年目ともなると、もういい加減この島の夏にもすっかり慣れた。艦娘どもも笹の葉を飾るだけの余裕さえある。だが赤城。短冊に食べたいものを書くのは止めろ。欠食児童どもが真似して吊るすものだから大衆食堂の品書きみたいになっているではないか馬鹿者。冷やし中華はじめましたなんてのもあるではないか。まあ時期が時期だからそろそろ食いたくなってきたのは分かるが。

 最初の年こそ緊張しているのか慣れない環境に落ち着かないのか借りてきた猫のように大人しくしていた癖に、いまや我こそ神ぞと寛ぐ猫の如きふてぶてしさだ。しかしまあそれだけ図太い位が我が艦隊にはちょうどいいだろう。

 気象予報では暫く晴れとのことで、折角なので暇を持て余していた連中を集めて竹を切らせた。もう笹はいらんだろうと文句ばかり言っていたが、切らせた竹を縦に割り、中庭で組み立て始めると、連中も私の企みがわかったようで嬉々として手伝い始めた。昼飯は流しそうめんにしようというのだ。

 そうめんはもう飽き飽きだが、こうして喰い方を変えてみれば、味は変わらぬまでもなかなか新鮮で悪くない、ただ、上流に陣取ろうとした空母どものためにもう一レーン増やさなければならなかったのは誤算であった。結局しまいには流しもせずにそうめんを消費するだけの機械になるのだから全く風情のわからぬ連中め。

 我が鎮守府はそのように平穏であったが、戦況は芳しくないようだ。むしろ、小康状態から徐々に悪化し始めているようでさえある。東部戦線は完全に崩壊し、人類の版図は大きく縮小を迫られた。東部船団の生き残りは再度戦線を引き直そうとしているようだが、それで手いっぱいだろう。中枢の技研が何やら企んでいるようだが、もはや人類に勢力圏の奪還は不可能だ。

 ふん。こんなことを言っていると中枢に知れたらただではすまないだろう。尤も、態々ここに憲兵を送る程の余力はもうないだろうが。我が鎮守府はもはや完全に独立した一個の組織として運用していくしかないだろう。深海棲艦を狩り、そこから得られた資源と燃料を基に生計を成り立たせる狩猟組織に。

 

 

皇紀一九〇〇〇年七月七日月曜日 晴れ

 

 世紀末とはなんだったのだろうな。これと言うイベントもなく新世紀になってしまった。戦時とはいえ、こうも呆気なく迎えてしまうと何とも勿体ないものだ。ああ、いや。そういえば、あれはイベントと言えばイベントと言えるだろうか。

 息子が戦死したとの報が入ったのだった。

 提督として艦隊を率い、東部戦線の立て直しに従事していた息子が、艦隊諸共深海棲艦の手にかかり死んだとのことだった。戦闘は激しく、遺言も残っていなかったそうだ。遺骨の一つも、私の手には届かなかった。

 覚悟していたと思っていた。報を聞いた時は、我ながら感心するほどに平静を保てたと思う。しかし、こうしてひとり部屋にこもり、物思いに耽っていると、思い出されるのは息子の顔ばかりだった。親として大層なことが出来たとは思わない。こんなご時世だ、などと言い訳はしない。実際、私は褒められた親ではなかっただろう。菓子の一つをやったこともなければ、玩具をくれてやったこともなかった。私が息子に教えてやれたのは、艦隊の指揮と深海棲艦の殺し方だけだった。生き延びる方法を、教えてやるべきだったのかもしれないが、そんな方法は私こそ知りたかった。偶々生き延びた私。明確に死地へ向かった息子。何が違ったというのだろうか。

 わかっている。あれは、あれは私の息子だったのだ。私はあれの親だったのだ。馬鹿め。愚か者め。そうするだろうと知っていたのに、私は滅びから目をそむけ、怠惰な微睡の中に沈もうとしていた。あれは、息子は、東部を、私の故郷を取り返そうとしたのだというのに。生まれ育ったメガフロートはとうに沈み、見覚えのある景色はもはやそこにはないというのに。

 最後の親類だった。

 父は工場で過労死した。母は病で亡くした。妹は艦娘になり、何処ともしれぬ海に沈んだ。そうして息子までもが喪われ、老いさばらえたこの身だけが、いまもまだ中身のない生にしがみついている。

 私がもう少し若ければ、深海棲艦を殲滅してやる、この海から駆逐してやると息巻いて、徹底抗戦の構えを見せたかも知れない。私が歩けぬほどに老いていたならば、全ては仕方のない事なのだと悟れたかもしれない。だが、私は半端だった。いま動く事に何の意味も見いだせず、さりとて息子の死を諦めることもできず持て余すばかりだった。

 艦娘どもは今日も能天気そうに哨戒を続けている。戦闘兵器である奴らが、今は不思議に羨ましくてならない。

 

 

皇紀一九〇〇〇年八月五日火曜日 雨

 

 南部戦線、北部戦線共に激しい襲撃を受け、中枢は苦戦しているようだった。船団の数も減った。艦娘達の消耗も激しい。しかし一番の問題は、こちらの暗号文が解読されているのではないかと言う疑念であった。作戦のここぞという所で出端を潰され、思うように戦線を構築できていないようだった。

 深海棲艦が無線通信で連絡を取り合っているというのは以前からかなり角度の高い情報として知れていた。そしてその通信システムが我々の摸倣であり、暗号らしきものを使用しているということも。だが、ついにこちらの暗号が解読されたか。中枢は定期的に暗号を変更しているが、大本の組み換え表自体を暴かれた可能性が高い。技研も連中の暗号を解読しているが、解読しては変更してを繰り返す鼬ごっこだ。

 深海棲艦どもは進化する。それも驚異的な速度で。それが、それこそが我々人類をここまで追いつめた理由だった。

 お伽噺の様ないにしえの頃、最初に海から現れたのは、出来の悪い鯨の摸倣だったという。航行能力も低く、自らの砲撃で転覆しかけるような出来の悪さだった。しかし執拗に攻撃を仕掛けてくる深海棲艦を駆除しようとしはじめた時から、奴らと我々の戦争は始まったのだという。砲を撃てば砲を、魚雷を撃てば魚雷を、奴らは人類の武器を学習し、進化し続けた。ある時点において人類の兵器は深海棲艦に圧倒され、そして打開策として海から艦娘が作り上げられた。艦娘と深海棲艦の戦いは生存競争の螺旋だった。こちらが勝ればあちらが対抗し、あちらが勝ればこちらが反撃した。深海棲艦はやがて単純な砲台から、高速で移動する戦闘艦となり、強固な装甲と火力を誇る戦艦や、空戦を指揮する航空母艦、終いには要塞や基地の形態まで取り始めた。そして何より人類を恐れさせたのは、深海棲艦が、奴らが、彼女ら(、、、)が、その姿までをも摸倣し始めた時だ。

 艦娘との戦いの中で、奴らは鯨モドキに過ぎない姿から、蛙か何かの様に腕をはやし、足をぶら下げ、そしてついには顔を晒すようになった。感情のこもった眼でこちらを睨み、嘲るように口角を上げ、そして、言葉をもって人類に挑むようになった。

 対話の機会は幾度もあった。講和を模索しようという動きもあった。しかしすべては無意味だった。深海棲艦は聞く耳を持たなかったし、そしてそれは人類の大半もそうだったからだ。連中は我々を殺し過ぎたし、我々は連中を殺し過ぎた。奴らか我らか、どちらかしかない。この海は異なる二者を共に立てられるほどに、寛容ではなかった。もはや当時の生き残りは両陣営共に死に絶え、戦争だけを受け継いだ子孫たちが、そもそもの始まりすら定かではなくなりながら、殺し合い続けている。

 連中はこの終わりのない戦いに終わりを突き付けようとしている。

 私は受け取った報告から、そう判断する他なかった。

 深海棲艦の群れの合間に見える、新種の姿。

 砲もなく、魚雷も積まず、航空機も連れず、いっそ無防備と言えるほどにか弱い姿。しかし他の全ての深海棲艦が、守るように立ちはだかる存在。

 それは高らかに号令を上げて、散発的に動いていた深海棲艦どもを纏め上げ、東部戦線を壊滅させ、いまや南北両方面をじわりじわりと締め上げてきている。

 とうとう現れたのだ。どん詰まりに現れたのだ。

 深海棲艦の提督が(、、、、、、、、)

 

 

皇紀一九〇〇二年七月二日金曜日 曇り

 

 折角のカレーも、こうも陰気な天気では味わいが薄れる。或いは私もついに年の影響が味覚にまで出始めたか。また或いは、絶望的な戦況が私の食欲を減退させるのか。いや、やはり、或いは。

 船団はほとんど壊滅状態だ。辛うじて散発的に反撃が行われている程度で、もはや組織的な抵抗は出来ていない。たった二年で、人類圏はかつての十分の一にまでなってしまった。中枢も構造体を捨て、深海棲艦の手を逃れ放浪している。もう長くはないだろう。

 技研の連中は、形振り構わないつもりのようだ。最後の領土の防人である私に、連中の覚悟が認められた文書が、潜航輸送艇によって運ばれてきた。中枢では既に準備が行われ、逐次改造が進められている事だろう。私の下にやってきた潜水艇の娘も、そうなのだろう。あれは、そういうことなのだろう。

 この期に及んで私に与えられた任務は、情報の記録と保管、そしてこの島で最後の人類として死ぬことだった。連中は最初からこれを見越していたのだ。人類の決定的な敗北を、逃れようのない運命として織り込み済みだったのだ。この島は真実人類の最後の領土だったのだ。こんな貧弱な鎮守府が、今まで大過なく平穏に過ごせてきたのは全て、連中が全霊をかけてこの島を隠蔽し、そして守護してきたからだったのだ。この私に何も知らせぬまま。知らせれば私が必ず動くと知っていたから。

 わたしは人類のたそがれを見届けることを強要されたのだった。

 人が人として負けるならば、人でなくなったとしても戦い続けようとする、その何ものでもない何かの誕生を見届け、正当なる人間(、、)の最後の一人として、人の在り様を正しく終わらせるために。

 技研は人類を改造することに決めたのだそうだ。艦娘達を更に改造することに決めたのだそうだ。海の上で人類は徹底的に敗北した。だから、一度潜るのだと。水面下で力を蓄えるのだと。文字通り、水面下で。水中呼吸を可能にし、深海の水圧に適応し、水底に基地を構えて反撃の牙を砥ぐのだと。発展途上の技術による改造は醜いものだった。人類の尊厳を捨て去り、ただただ深海棲艦に対する敵意と悪意だけを人類の遺産として抱え、海底に潜る化け物たちだった。やがては蓄えた力をもって深海棲艦を再び海に沈め、この星の覇者として再起するための、そんなことの為だけの、怪物だった。

 そうまでして生き延びたいのか。そうまでして、人類を残したいのか。そこまでして、続けなければならないというのか。もはや人類の遺伝子が残らぬなら、戦争と言う摸倣子を残そうというのか。戦争と言う形で人類を残そうというのか。

 私には理解できない。しかし止めることもできない。もはやこの螺旋を止めることは、ちっぽけな人間一人に無し得る業ではない。続けることに意味はないのかもしれない。しかし続けなければ、今まで続けてきた全てが無価値になるのだ。死んできた全てを、死なせてきた全てを、殺してきた全てを、殺されてきた全てを、人類は抱えたまま離せないのだ。

 私の命ももう長くはない。脚は萎え、目は霞み、日に三度の食事も億劫になってきた。人類が。何ものでもない何かへと成り果てるその黄昏を見届けることは辛うじてできるだろう。しかしその先は無理だ。だが予想はつく。もはや核心ともいえる予想が。終わらないワルツが見える。相争う人魚たちのワルツが。

 

 

 

 

皇紀一九〇〇二年七月三日土曜日 晴れ

 

 提督が鎮守府より退任しました。これより艦隊を解散します。

 お疲れ様でした。

 

 秘書艦 大淀

 

 

 

 

 

 私は日誌を閉じ、強張った体を伸ばした。窓からは眩い朝日が差し込んでいた。朝日。そうだ。もう朝だった。冷めた香料湯(こうちゃ)を呷り、私は窓を開け放った。

 朝方の涼しい風が、すっかり火照った頭に気持ちがよかった。島の動物達は早くも活動を始め、汽笛のような不思議な鳴き声が聞こえてきていた。夏の日差しが急ぎ足で海を離れ、中天へと登りつつあった。

 文化の差異や断絶による、解釈不可能な単語や文脈が複数あったけれど、大筋は理解できた。しかしこの日誌をどう判断すればよいのか、私にはわからなかった。どう受け止めたものなのか。

 日誌を書いた提督が語る世界は、いまを生きる私の世界と不思議と似通っていた。

 運営本部はメガフロートを建造して海上に生き、敵と生存圏を争い続けている。艦隊の娘たちだけが敵と対等に渡り合うことができ、そして敵もまたこちらに対抗するために進化を続けている。最初は不格好な怪物に過ぎなかった敵は、やがて腕を足を生やし、ついには面を上げて私達を睨みつけるようになった。現状では我が方が優勢ではあるが、いくつかの戦線で手強い敵に手古摺らされているのは事実だ。それが私が習った歴史だ。私が知っている世界だ。敵は海から現れ、我々は海から作り出した艦隊の娘たちでもってそれと戦っている。そういうことになっている。

 窓から見下ろした先では、頼りになる、小さな秘書艦殿が兵科の連中に指示を出していた。

 私は艦隊の娘たちの銀色に輝く髪と梳けるように白いかんばせをしばらく眺め、おもむろに自分を見ろした。二本の足で立ち、二本の腕を持ち、艦隊を指揮する司令官たる私の姿を。

 私は日誌の主である提督に無性に会いたくなった。会って話してみたくなった。最後の人間と、会って話してみたかった。あなたの予想は当たっていたのだろうかと、尋ねてみたかった。

「まあ、きっと」

 きっと、その予想は当たっていたのだろう。

 楽しげに海を駆ける娘たち。その先でもくもくと立ち上る入道雲。

 今まさに夏が覆い被さろうとするその海を、人魚たちが踊っていた。

 

 

 

 了


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