左遷の原因となった件で無責任な噂が流れ、肩身も狭く独り飯を食う彼女の前に、戦艦長門は現れるのだった。
私が日本の鎮守府に遥々やってきたのは、確かに独逸で色々と揉め事があって、この国で言う所の所謂厄介払いにあって放り出されたのは事実だ。左遷という奴だ。些か思う所がない訳でもないが、しかし私にも悪い所はあったと反省しているし、ミステリアスな東洋の、そして食事がおいしいという同盟国への転勤は、幾らか俸給が下がるとはいえ悪くはないと思っている。
だからこの鎮守府への配属自体は私の中で概ねに於いて好評価なので、問題は私というより私を受け入れる鎮守府の側にあった。
先に配属されていた独逸出身の艦娘、特に向こうで直接の知り合いだったビスマルク辺りから妙な噂が広まっているらしく、口さがない巡洋艦連中を中心に、無邪気な駆逐艦達の間でも私に対して妙な印象が抱かれているらしい。
幸い寮の棟を同じくする空母連中はマイペースで気にした風もないが、愛らしい駆逐艦達が私の姿を見るなり無邪気な笑顔を曇らせるのは見ていて辛いものがある。生まれつき目つきが鋭いので顔つきを怖がられるは致し方がないのだが、しかしこう見えて私は良く喋る方だし、喋ればジョークの一つや二つだって言う位には剽軽な性分だと自負している。だが口を開く暇さえ与えてくれないとなれば、さしもの独逸生まれのヴンダーカンマーと言えど駆逐艦一人口説けやしない。どうして私の外装はイタリア艦娘のあの柔らかく人の心を解きほぐす顔つきではないのだろうか。
ともあれ、私は明確な形を持たない悪意という口さがない噂にほとほと困り果てていた。お喋り屋の私としては噂のせいで友達一人できない現状は地獄に等しかった。日本の連中は独逸人はむっつりしてジョークの一つも言わない、目の前の現実よりカーナビの指示を信じる歯車人間なのだと思っているのかもしれないが、既に着任しているビスマルクやUボートを見ればそんなものは嘘っぱちだとわかるだろうに。
ビスマルクは最近ビール呑んでばかりとかいう話どころか、酒饅頭を肴に焼酎呑んでるとかいう話を時差も考えずに深夜にぐっすり寝こけている時にかけてくるし……いや待て、ドイツが深夜って日本では朝じゃないのか。朝から呑んでたのか朝まで呑んでたのか。面倒臭かったのでよく覚えていないが。
Uボートはもっとショックだった。信じて送り出したゆーちゃんが日焼けして口調まで変わって、死体とネクロマンサーのあいのこみたいな無表情だったナチュラルボーンキリングマシーンが、頭の中にスポンジ詰まってそうな軽そうな笑顔で日焼けラインを晒した写真を送ってきた時など、技術者連中は狂ったようにBansaiを叫んでいた。駄目だこの国。
こういう独逸艦と交遊を育むという逃げ道もあるにはあるのだが、折角外国に来たのに自国の連中とばかりつるむのもなんだかもったいないし、第一ビスマルクの所に遊びに行けば強制的に呑みが発生するし、ろーちゃんは眩しすぎて辛い。あと絵面が犯罪的。
レーベレヒトやマックス、プリンツ・オイゲンと言った面子は噂を頭から信じているので私に近づいてくれないし、困ったものだ。
そういう次第で私が一人食堂の隅で、ひそひそと噂する声を聞きながら秋刀魚定食をつついていた時の事だった。私が配属されてからまあ一月くらいの頃だったか。電脳にインストールされた日本語ソフトもうまく馴染み、箸の扱いにも慣れて味噌汁の出汁の違いも楽しめる様になってきた頃だ。
醤油の甘みと大根おろしのさっぱりした辛味、そして秋刀魚の微かな苦みと脂の旨味を楽しんでいる所に、長門はやってきたのだった。
「お前がマンショニッガーとか呼ばれている空母か」
「…………そうだが」
図太くも平然と、遠近感がおかしくなりそうな盛りの飯のせいでメザシか何かに見える秋刀魚定食の盆を置いて私の向かいに腰を下ろしたこの大戦艦は、空気を読むというこの国の美徳を知らぬように思われた。
誰もが腫物でも触るかのように扱っている私に、こいつは平然と押しかけてきて、そしてその悍ましい綽名で呼びつけたのだった。
「正しくはメンシェンイェーガーという」
「そうか。そうか」
名乗るまでもなく異国からやってきた私でもその名を知っている大戦艦モデルの艦娘は、うむうむと頷いて、卓に置かれた薬缶から無造作にぬる茶をついで、それからずいと私に顔を寄せてきた。
なにしろ力強さを伴う美しい顔立ちだったから、これはともすれば顎の骨が折れる位にはぶん殴られるかもしれないなとなんだか却って冷静に思えた。正しさというものを信奉している様な真っ直ぐで力強い目付きだったから、噂を信じたならそうしかねないと思えた。ギリシャ彫刻の様な、ある種の芸術品の様な顔面の暴力だった。顔面偏差値が私を殴りつけていた。
しかし石膏と違って、この生きた暴力装置は柳の眉をへにゃりと情けなく下げたのだった。
「それでその何とかいう格好いいのは、どういう意味なんだ?」
「は」
「いやな。出先から帰ってきてみれば新しい娘が遥々独逸から来ているという。それは挨拶しなければならんなと思っていたのだが、みんなが何やら訳知り顔でマンショニッガーマンショニッガーと言っている。しかしなんのことだかさっぱりわからない。独逸語なのだろうとは思うのだが、何しろ私は弾道計算は出来ても他の方はさっぱり出来がよろしくない。しかし駆逐艦のチビ達もなんだかわかった風にマンショニッガーがどうのと言っているのに、仮にもビッグセブンである私が今更聞きに行くのもなんだか恥ずかしいだろう」
恥じらうように微笑んで眉尻を下げる様は、この国に来て初めて大和撫子というものを直に見たような気持ちにさせられた。よりにもよって二メートル近い大戦艦相手に淑やかさというものを見せつけられるとは思わなかった。
なんだか不思議なものを見るような心地でいると、黙っているのを不審に思ったのか、それでどうなのだとせっついてくる。
「皆に聞きに行くのが恥ずかしいというのならば、私本人に聞きに来るのは恥ずかしくなかったのか」
「恥ずかしいは恥ずかしい。しかしお前が独逸艦で独逸語が分かるのは当然だし、私が日本の艦で独逸語が分からないのもまた当然だ。何だか当然みたいな顔をしてわかっているらしい連中に聞くより、まだ恥ずかしくはない」
よくわからない理屈ではある。だが私はこの会話だけで、この大きな淑女が随分好きになっていた。
「わかった。わかった。教えてやるから、まず、下がれ」
「うむ。すまない。それで、どうなのだ」
大型犬みたいだなと私は思った。素直に言う事を聞いて身体を戻すのもそうだし、答えてやると知ったとたん尻尾でも振るみたいにぱあっと笑顔になるのもそうだった。何とも屈託のない事である。
「メンシェンイェーガーというのはな、人間を狩るものという意味だ」
「フムン?」
「私は人を殺したから左遷されてきたと噂されているんだよ」
私の説明を受けて、長門はぬるい茶を啜り、考え込むように黙り込んだ。
まあ、それはそうだろう。
人殺しで流れてきたという艦娘を前にして、さしもの大型犬もとい大戦艦も屈託なくは笑えまい。
私はもう少し冗談めかして言うべきだったかなと思ったが、何しろ私の表情筋は、剽軽な精神と裏腹に運動不足で死にかけているのだ。ビスマルクにもよくいつも真顔だから本気か冗談かわからないと言われたものだ。
秋刀魚の身をむしり、大根おろしをちょいと乗せ、如何にも体に悪そうな真っ黒い醤油をたらりと垂らし、おもむろに口に放る。この箸という道具は恐ろしく繊細だ。よくまあこんな二本の棒切れを片手で使って飯を食おうなどと言う頓狂な事を考え付いたものだと最初は思っていたものだった。しかし慣れてくればこのような精密作業じみたこともたいして意識せずにできる様になるし、寧ろ便利に思えてくる。なにしろ摘まんだり切ったり刺したり、一通りの事はこれだけで出来るのだ。寧ろ刺すか掬うかくらいしか出来ないフォークでよく私は遣ってこれたなと思う位だ。
そして白飯。これは全く、素晴らしい食べ物だ。最初こそこの粘ついた味も何もないようなべたついた漂白したみたいに真っ白いものを主食にしてるなんて頭がおかしいんじゃないかと思っていたものだが、一度白飯の良さがわかるともはや芋を主食として肉を食ってビールで水分を補給するような蛮族の生活には戻れそうになかった。米を噛んでいる内に感じられるほのかな甘みは、労働者向けの濃い味付けに慣れた舌には物足りなかったが、しかし日本食の繊細な味付けにゆっくりと塩抜きされていく内に、いまではまず一口目はじっくりと白飯を噛みしめるという楽しみさえ知った。
日本にはそれだけで白飯が三杯は食えるといったような表現があるのだが、これはなかなか言い得て妙だった。それ自体は激しい主張のない表現し難いほのかな味しか持たない、しかしそれ故にどんなおかずでも受け入れる懐の深さを持つ白飯ならではの言葉だ。私はこの言葉を独逸語に意訳できないものかと四苦八苦したが、どうにも難しかった。じゃが芋をバケツで行けると言おうが、ライ麦パンを三本は食えると言った所で、やっぱり何か違うのだ。
成程あのビスマルクが、着任の挨拶にと独逸語で話しかけたら私外国語わからないわと言わんばかりに咄嗟に言葉が出て来なくなるほど日本文化に染まりきるわけだった。
そのようにして私が秋刀魚と白飯の味覚的暴力を楽しんでいると、長門はようやく再起動した。
「それで実際、どうなんだ?」
「どうとは」
「人を殺したのか」
大真面目に尋ねてくるものだから、私は咄嗟に笑うべきかどうか判断に迷って、中途半端にふへっと笑う形になった。それが鼻で笑われたように感じたのか長門はすこしむっとしたようだったので、私は慌てて軽く手を振った。
「いや、まさか。第一艦娘は、人を殺せないように造られているだろう」
「そうなのか」
これもまた真顔で聞いてくるものだから却って私の方が驚いた。
「それはそうだ。艦娘も兵器だからな。人を害さないように、電脳に条件付けがされている」
「そうなのか。それは知らなかった」
これには私の方が魂消た。
独逸であればどの艦娘でも当たり前のように教えられることだ。電脳に雁字搦めに条件付けがなされているだけでなく、そうしようという気も起きない位に徹底して教育される。私が人間でもそうしただろう。姿は同じでも、素手で鉄パイプを飴細工みたいに曲げられる奴を、何の対策もせずに子供の横に置けるだろうか?
「フムン。いや、そうか。私達も、確かに人間を害さないようにできているとは聞いたことがある。だが意識したことはなかったものでな」
「人間を殴りたいと思った事もないのか?」
「どうしてそんなことを?」
本心から不思議そうに尋ねられたもので、私は何と答えたものかわからなかった。日本では、機械人形に疑心しか持っていない偏執狂の教官に、電磁バトンで家畜の様に痛めつけられながら指導をされて、殴りかかろうとする憎しみを条件付けで戒められる苦痛を覚え込まされたりはしないのだろうか。
そう尋ねてみると、苦い虫でも噛み潰したような顔で、酷い話もあったものだなと長門は呟いた。私としては当然のようにそんな教育を受けてきたし、艦娘が準人間というより準兵器として扱われるのが普通だと思っていたから、長門の反応の方が不思議でならなかった。
聞けば日本では艦娘は最低でも準人間として扱われるし、許可を取れば街に遊びに行くことだってできるらしかった。人間の友達を作る事だって、出来るらしい。
何だか異世界の言葉でも聞くみたいに不思議そうな私を見て、長門は飲み下せないものを無理くりに飲み下す様にぬる茶を呑み干した。
「なあ、グラーフ」
「なんだ」
「お前がむかっ腹に来て、こいつ殴ってやろうかと思うようなことがあったら、人間を殴る代わりに私を殴っていいからな」
「貴女はマゾヒストなのか」
「被虐趣味はない。だが私は頑丈だからな。仲間がストレスを抱えていたら、その発散を手伝ってやるくらいの度量はあるつもりだ」
「フムン。貴女はいい奴だな」
「そうありたいと思っている」
私はこの朴訥な娘がぐっと好きになった。愚かなほどに真っ直ぐな娘だ。
私はこの件で一方的に長門を日本での友達第一号に認定したし、私の思い上がりでなければ、長門の方も私をいろいろ気にかけてやろうと思う位にはなってくれたように思う。
私はそれからというもの、今日の分だと言って長門の肩や腹を軽く小突いて挨拶するようになったし、長門の方でもやったなマンショニッガーと笑いながら私の頬をむにむにと摘まむような、そんな気やすい関係になった。
そうして何かと目立つ長門と仲が良くなったためか、私の姿を見てはひそひそと口にされていたマンショニッガーの響きは、少なくとも私の聞える範囲でははっきりと少なくなっていた。
だから私がその現場を目撃したのは偶然と、そして何かと気遣いのできる長門のちょっとした油断だったのだった。
長門の特徴的な美しい黒髪を見かけて、いつもの挨拶をしようと近づきかけて、私は咄嗟に廊下の角に隠れた。というのも、その時長門は一人ではなく、何隻かの艦娘と一緒にいたからだった。別に気にすることもなく普通に挨拶してしまえばよかったのだろうが、なんだか剣呑とした雰囲気に気後れしてしまったのだった。
伺い見た所、困ったように笑う長門に詰め寄るようにしているのは、名前は覚えていないが髪の長い巡洋艦と、小生意気そうな駆逐艦、それに戦艦だった。
「長門、あなたも自分の立場が分かっているなら、もう辞めなさい」
「立場という程の立場でもない」
「大戦艦モデルはそれだけでも鎮守府の顔なのよ。あなたはそれだけでなく武勲艦」
「ただ腕っぷしが強いというだけだろう」
「あんたが思ってるよりあんたは影響力があるんだ。そのあんたがあんなやつを庇ったら、」
「庇っているつもりはない。普通の付き合いだろう」
「それが庇ってるのよ。あいつが何て呼ばれてるか知ってるでしょう」
「私は噂で判断したりはしないよ」
詰め寄る三隻と、宥めるように穏やかな口調の長門。少し立ち聞きして、私はすぐに分かった。あれは私の事だ。爪弾きにされていた私に、何かと目立つ長門があれこれと良くしてくれているから、それを止める様にと言っているのだろう。確かに私はあまりいい評価を受けていない。その私が、顔も広く信頼もある長門と親しくしていたら、長門の評価に傷をつけるかもしれない。そうならないようにと言っている訳だ。
しかし私も折角できた気やすい友達だ。身を引けるほど物分りのいい女ではないのだ。
困ったものだ。私は溜息を吐いてその場を後にした。
翌日、食堂で朝餉の焼き鮭をつついていると、疲れたような顔の長門が相変わらず山のように飯を盛った朝食の盆を手に、私の向かいに座った。いつもの事だが、しかしいつもと違い気落ちしたようにもごもごとした挨拶をしてくるものだから、私もなんだか気になって、手ずから卓の薬缶のぬる茶を注いでやって、どうしたと聞いてみた。
しばらくは何でもないと言っていたが、悩みも人に話せば楽になるかもしれないと何度か言ってやると、そうかもしれないとようやくちびりちびりぬる茶をやりながら口を開いてくれた。
「昨日、少し口論をしてしまってな。その時はなんだか頭に来てしまって、喧嘩別れしてしまったんだが、一晩ゆっくり考えてみると、なんだか私も言い過ぎてしまったように思えてな。先程部屋に謝りに行ったんだが、開けてもくれないし返事もしてくれないんだ。随分怒らせてしまったらしい」
「貴女はその口論で、何か間違ったことを言ったのか」
「うむ、いや。言い過ぎたとは思うが、しかし、間違ったことは言っていないと思う」
「それではそんなに気にしないがいい。貴女が言い過ぎたかもと反省しているように、相手の方でも悩んでもやもやしているのかもしれない。少し時間を置いた方が、お互い整理も付くだろう」
「フムン。そういうものだろうか」
「口論の後は自分では冷静のつもりでもこんがらがっているものだ。いっそ何日か距離を置いて、しっかり整理をつけた方がいいと思う」
「フーム」
「なんだ、その目は」
「いやなに。ぼっちのお前にもそういう事がわかるのだなと、あいたっ」
失礼な奴め。もともと私はお喋りで社交的な方なのだ。
しかし長門の方でも一応は落ち着いたようで、先程まで落ち込んでいたとは思えない健啖家ぶりを発揮して、どんぶり飯を三杯お代わりした。
「そういえば、マンショニッガーというあだ名だが」
「うむ、それがどうした。まだ陰口をいう奴がいるか」
「いや、そうじゃないんだがな。あれを正しくはメンシェンイェーガ―だと言ったが、あれもやっぱり正しくないなと思ってな」
「まあ、人殺しではないのだしな」
「うん。だから正しくはクリーグシッフイェーガーだ」
「格好いい響きだが」
「だが、なんだ」
「舌を噛みそうだ」
「私には日本語の方が難しいよ」
「お前の日本語は綺麗で、聞いていて心地いいが」
「その様に努力はしている」
好いた相手にはできれば綺麗なものだけ見せて聞かせたいからな。
結局四杯目のどんぶり飯をぺろりと平らげる様を眺めながら食後のお茶を楽しみ、我々は食堂を後にした。
戦艦陸奥、巡洋艦摩耶、駆逐艦叢雲の三隻の行方が知れなくなったという噂が鎮守府に広まるのは、数日後の事だった。