ウルトラ川内 作:かわうち
時刻0400、朝日も瞼を擦り合わせる時間帯に曙はせっせと出発の用意を行なっていた。
玄関で長靴を履いている彼女の横には肩掛けタイプのクーラーボックスが置かれており、傍には長細い筒が壁に立てかけられている。つま先をトントンと地面に打ち付け、小さなウサギさんのワッペンを貼り付けた帽子を被りなおしながら後ろを振り向く。
「行ってらっしゃいぼのちゃん。世話かも知れないけど、高波には気をつけてね」
「はい。翔鶴さんも朝早くからお見送りありがとうございます! 特型駆逐艦曙、行って参ります!」
左肘を真っ直ぐに下へ伸ばし、右肘を水平に五指を綺麗に揃えた見事な敬礼だ。口は悪いが根は素直で良い艦娘と評判の曙だが、今日の彼女は特にやる気が満ちていた。
翔鶴も彼女へ答礼しニコリと微笑む。曙は「ふんっ」と気合を入れるよう小さく唸りクーラーボックスと筒を背負いカラカラと音を立てて出撃した。
「すぅ~……はぁ~……。んっ、清々しい朝ね!」
鎮守府の玄関を出てすぐ、彼女は朝靄を目一杯吸い込むように深呼吸をした。ひんやりと涼しげな空気はすぐに眠気を吹き飛ばしてくれるだろう。最も、今日と言う日を以前から楽しみにしていた彼女には眠気など何処吹く風と言いたげだ。
曙が本日任されている任務は「夕飯の食材となる魚介類を入手し帰還せよ!」。海を理とする艦娘たちではあるが意外にも釣りをしない者は多い。そのためか彼女は一部の界隈で名うての釣り師として知られていたりする。
彼女も非番の日には朝から釣りに出かける事も少なくない。しかし最近は業務が忙しかった事もあり、休日は専ら疲労を癒すための期間に当てられてしまっていた。
(最近は疲れて準備も行く気もする気が起きなかったけど、今日は久しぶりにたっぷり釣りが出来る。こんな機会を用意してくれた翔鶴さんには感謝の念が尽きないわね!)
この任務を命じたのは現在鎮守府を取りまとめる翔鶴だ。もちろん彼女も曙が釣りを得意なのを承知の上で任せている。これは日ごろから頑張ってくれている曙への恩赦も兼ねているのだろう。
「それで、どうしてアンタがいるわけ?」
「然るべきところに魂は宿る」
曙の視線の先にはサツマイモの様な足を組み待ちわびたかのようなせんだいが居た。彼女も横にクーラーボックスと筒を持っており、曙と目的を同じくしているだろう事は間違いなかった。
「万が一を考えて駆逐艦を一人で行かせる訳にはいかないって事かしら。はぁ、仕方ないか……」
しかし相棒がせんだいでは頼るどころかお荷物にしかならないだろう。これでは守られているのかお守りを任されているのか分からない。駆逐艦の本分を顧みればあながち間違いとも言い切れないが……。
先が思いやられる気がして曙は大きなため息を吐いた。せんだいはぐにゃりと顔を歪めてゲッゲッと笑っていた。
軍用車に乗り込んだせんだいたちは海沿いをひた走る。東の空からは次第に陽光が差し込み始め、橙色の光の先に暁の水平線が映し出されていた。
「夜が開け始めたわ。いつ見ても良い景色ね……!」
「夜戦とはいったい……うごごご!!」
「何よ、お腹が空いたの? アンタって本当に風情が無いんだから」
曙が片手でハンドルを操作しながら後ろに手を伸ばす。クーラーボックスのフタを開き中から包みを掴むと左に座るせんだいへと渡した。
せんだいが包み開けてみると中にはおにぎりが入っていた。翔鶴が握ってくれたのだろうか。
「どーせアンタも朝ごはん食べてないんでしょ。一つ残しておいてよね」
「グズグズしてると置いていくぜぇー!」
「それにしても、この子ももう少し座高が高いと助かるんだけど」
曙の身長からではやや視界に難があるようで首を上げるように運転を続ける。
不満を口にしつつぽんぽんと車のドアを軽く叩く彼女だが、この車――くろがね四起はちょっとした外出の際にも頻繁に利用している。よく釣りに出かける曙も随分と運転には慣れたものであった。
「そうだ、今度翔鶴さんにトヨダを支給してもらえるよう頼んでみない!?」
「ほう、そなたこそ我か……」
「あーっ! アンタおにぎり全部食べたの!? 残してって言ったじゃないのよ、このクソせんだい!!」
曙はせんだいを叱責するもその表情はいつもの不機嫌そうな表情ではない。
彼女らが向かっているのはいつも見慣れている海とは別の岬である。実はそこは曙も初めて行く場所であり、どんな魚が釣れるのかを彼女は楽しみにしていた。
ギャーギャーと騒ぎ立つ車内にパルパルパル……とマイペースに走り続けるくろがね四起を、東の太陽は優しく照らしていた。
▼
「海ニキター!!」
『海ニ、キター!』
「我ラノ海ダー!!」
『我ラノ、海ダー!』
朝っぱらから鬨の声を上げるのは、例に漏れず深海棲艦たち、もとい空母ヲ級である。
夜戦で痛い目に遭い続けてきた彼女であったが、今だけは自分の時代が訪れたかのようなハイテンションだ。しかし彼女自身はいつもより装備が軽装である。
「キュイイン(ヲーちゃん何時に無くご機嫌ね)」
「ギュオオオ(ですねぇ。久しぶりのお休みですからねぇ)」
雷巡チ級と軽巡ホ級がコソコソと話しているのにも気付かずヲ級は笑顔で叫び続ける。調子合わせする駆逐イ級は思わず苦笑いを零していた。
「ムフフ、久シブリノ非番ヨ……! 最近ハ本当ニ辛イ事ばバカリダッタケド、今日ハソンナ事ハ全テ忘レテ目一杯休暇ヲ楽シムワ!」
「ヲーチャンガ楽シソウデ何ヨリデス」
「シカシ……何ダカ数ガ少ナイワネ。アト二隻ハドウシタノ?」
「彼ラハ非番デハアリマセンノデ……。確カ今日ハ、敵国ノ言語ヲ学習スル座学ノ日ダッタカト」
「ソウ……。ミンナ一緒ダッタラモット良カッタンダケドネ」
深海棲艦たちにも普段組んでいる編成というものが存在する。特にこの空母ヲ級の場合は自身を旗艦に雷巡チ級、軽巡ホ級、駆逐ロ級、駆逐イ級二隻の六隻艦隊を組む事が多い。
ヲ級はロ級ともう一隻のイ級がいない事を残念がっていた。いつも一緒の彼女たちは上司と部下の関係性を感じさせないほど仲が良いのだろう。
「トニカク! 今日ハ
『ハァーイ』
そしてゆるふわザブンな彼女たちの休暇が始まった。
この時の彼女たちは自分たちが再び悲劇に遭おう事など、全く持って予想していなかったのである。
▼
「ここが噂の穴場スポットね!」
「穴ッ!?」
「なんでそこに反応するのよ」
岬へとやってきた二人は高台から風景を見下ろしていた。崖となっている場所では波が激しく打ち付け白い飛沫が舞っている。曙は翔鶴が高波に気をつけろと言っていたのをふと思い出した。
「なんだか少し波が強いみたいね。せんだい、アンタも気をつけなさいよ」
「カジュアル指向で行くぜ」
くろがね四起から降りた二人は堤防へと向かった。押し寄せる波もテトラポッドに打ち付けられると飛沫を上げて消えていく。実際に近くで見ると波は大したことも無く釣りに影響は無さそうだ。
「そう言えばせんだい、アンタ釣り出来るの? 自分で言うのもなんだけど、艦娘で釣りができる娘なんてそういないはずだけど」
「諸行無常ここに極まれり」
「それなら良いけど……。まっ、もしわかんなかったらいつでも聞きにきなさい、ちゃんと教えてあげるわ」
曙は普段から邪険に扱っているせんだいにもちゃんとフォローをする姿勢を見せていた。彼女自身の機嫌が良いこともあるだろうが、元々曙は心根が優しい娘である。厳しさは優しさの裏返しと言う事だろう。
「それより、くれぐれも安全に気を使いなさいよ! 艦娘が海で溺れたなんて笑い話にもならないんだから」
曙の言葉にいつになく素直に頷くせんだい。曙はその素直さにどうも疑念を抱かずにはいられない。
(なーんか信用できないのよねぇ……。まぁ、私の邪魔をしないのならば何も言わないけど)
雑談もそこそこに二人は釣りを始める。魚は物音に敏感であり繊細な生き物である。しばらくの間、二人ともじっと黙って獲物がかかるのを待ち続ける事にした。
「ミンナ準備出来ター?」
曙たちが釣りを始めたその頃、深海棲艦たちも本格的に行動を開始し始めていた。全員が一度物陰の方へと身を隠していたが、空母の呼びかけに返事をし姿を見せ始める。
「ワァ、可愛イジャナイ!」
「キュイイイン……(な、なんだか恥ずかしいわね……)」
「ムンムンッ」
岩陰から恥ずかしそうに顔を見せる雷巡チ級。マスクを外し、服装はいつものスポーツブラのような姿ではなくフリルの付いた薄いピンク色の水着を着用している。
続いて軽巡ホ級がやってくる。彼女は首と手足首を除いた全身が縞模様のタイツに覆われていた。たくましい二の腕のせいかはっきり言って囚人にしか見えなかったが、本人は結構気に入っているようだ。
「私モ用意ガ出来マシタヨ。ドウデス? 似合ッテマスカ?」
「アンタソレ
イ級は頭に白い三角ビキニをかぶってやってきた。イ級のような姿では水着を着る事が出来ないため仕方がないだろう。
しかし何故か頭にビキニの片胸しかつけていないうえに、ヒモを後頭部で結んでいるせいで死装束にしか見えない。
「ヲーチャンモ着替エタノデスカ?」
「フッフ~ン、モチロンヨ。コレヲミナサイ!」
「ジャジャ~ン!」と言いいながらヲ級が勢いよくマントを翻す。その姿を見た三隻はおお、と感嘆の声を上げる。
彼女もまたいつもの服装では無く水着に着替えていた。ボディラインを強調する黒のマイクロビキニは彼女の白い肌がコントラストとなりより美しさを際立たせている。
「ヲーチャンスタイルイイナァ」
「キュイイン!(セメテルネー!)」
「ンフフ! 今日ノタメニ新調シタノヨ!」
「ギュオオ……(私の方が胸が大きいな……)」
「オイテメー何カ言ッタカ」
「ムンムンッ。何モ言ッテナイムキッ。気ノセイダムキッ」
各々の水着を披露し合いキャッキャとはしゃぐ彼女たちは普通の女の子たちのように思えた。
今日だけは彼女たちも生き死にを掛けた戦いとは無縁の、彼らなりの平和を過ごすのだ。この姿を艦娘たちが見ていたらどう思うだろう。きっと彼女たちも、深海棲艦たちと手を取り合い、一緒に笑いあう事が出来る日を夢見るのでは無いだろうか。
▼
日差しがサンサンと降り注ぐ中、曙の頬に一筋の汗が流れ落ちる。かれこれ釣りを開始から数時間経つが未だに獲物がかかる気配がしない。
隣で釣りをしていたせんだいも飽き始めてしまいテトラポッドに張り付いたヒトデを突っついて遊んでいた。
(むぅ~……何でこんなにシケてんのよ! 見たところそんなに波は高くないのに。うぅ、いかんいかん。我慢よ曙、我慢我慢! 釣りは忍耐。敵は己にあり!)
「シケてるな」
「うっさいわね!!」
「えっ」
せんだいがポツリと呟いた言葉に曙が噛み付く。どうやら相当イライラしているのだろう。せんだいも今だけはそっとしてやる事にした。
……と言うよりも、素人のせんだいからすると全く釣れないこの状況は面白みに欠けるのだろう。彼女は静かに立ち上がり垂らしていた釣り糸を回収する。
曙はせんだいには全く気付く様子もなく、眉間に皺を寄せてじぃっと浮きを睨み続けている。彼女は曙を残しより良い場所を求めて移動を開始した。
せんだいはふと昔読んだ釣り漫画のワンシーンを思い浮かべた。筋肉を隆々とさせたふんどし一丁の男性が、竹の釣竿一本で川の主である大マグロを釣る物語である。
色々とツッコミ所があるが、せんだいはその主人公のように自分も大物を釣ってみたい衝動に駆られた。丁度少し先に行った場所におあつらえ向きの岩場があるではないか。興奮に鼻息を荒くしながら大手を振ってその場所へと歩いて行く。
「やるじゃない。この感じ……
岩の上で仁王立ちをし、荒潮を眼下に意味深な言葉を呟く。もちろん何も感じ取れているはずも無く、一人悦に入っているだけなのだが。
そのまま岩の上に座り込み、まだ大海の主を釣る夢想をしながら勢い良く釣り糸をキャストする。何かを強く引っ張る感覚と一緒に、せんだいの目の前に黒い物体が降って来た。
▼
「ヲ級サン、行キマシタヨ!」
「オッケー! 任セナサイ!」
深海棲艦たちはビーチバレーならぬ水上バレーで盛り上がっていた。ビーチボールの代わりに浮遊要塞を飛ばしている。装甲空母姫に怒られないのだろうか。
「オッシャーモラッタ! スパァイ――フゴォ!?」
勢いよくジャンプしボールを相手コートへ叩き込もうとした空母ヲ級が突然のけぞり返り落下した。その様子に一同も慌てふためく。
どうやら、スパイクを決めようとした彼女の顔面に突然浮遊要塞が軌道を変えてぶつかって来たらしい。
「ウッグゥ……」
「ダ、大丈夫デスカ?」
「アッウン、チョット鼻血デタケド……」
「キュイイン(少し休んでいたらどうかしら)」
「ウン、ソウサセテモラウワネ……」
顔を抑えトボトボと岩場へ向かうヲ級に一同が苦笑する。ハイテンションだった彼女が怪我をして急に冷める様子は人間味に溢れていた。そして残された者たちも微妙な空気になったりするのも、また。
「アレ、浮遊要塞ドコイッタ?」
「ムホッ。ムンムンッ(それより見てくださいよこの筋肉。カッチカチでしょう?)」
「ウルセエナ。テ言ウカアナタ普通ニ喋レルデショ」
岩場にやってきた空母ヲ級はふぅとため息を吐き静かに座った。ツゥと鼻血が垂れているがしばらく抑えていればすぐに収まるだろう。やはり浮遊要塞は姫級の盾を務めるだけあって硬かった。
(あー恥ずかし。見っとも無い姿晒しちゃったなぁ)
はしゃいでいた先ほどの自分と今の自分の落差を思い浮かべ恥ずかしくなった。とは言え彼女は高慢な態度とは裏腹にかなりのドジっ子ぶりを披露するため部下たちはとっくに慣れていたりする。
「ハァ……マァイイワ。太陽モ随分昇リ始メテキタシ日光浴デモシヨウカシラ」
仰向けにごろんと寝転び真上の太陽に眩しそうに目を細める。深海で生まれたと言われる深海棲艦だが、彼らの生態は未だ闇に包まれている。白い肌を持つ者が多いのは日の光を浴びないためと言う説もある。
少なくとも太陽の光を全身で浴びるヲ級の表情はにこやかだ。彼女たちも暗く寂しい海の底よりも、大空の日の光の下で伸び伸びと暮らしたいと思っているのかもしれない。
ポカポカの陽気の中、空母はうつらうつらと細めた目の開閉を繰り返していた。部下たちがはしゃぐ声と海鳥の声がほど良い雑音となり一層眠気を誘う。次第に意識が薄れていき、空母は「すぅすぅ」と寝息を立て始めた。
その時ヲ級の寝そべるすぐ傍にある彼女たちの荷物置き場からぶわりと何かが空へ飛び去った。その動きには規則性が見られ、壁のような岬の大岩の向こう側へと消えていく。
その正体は、なんと深海棲艦たちの衣服であった。
一枚の衣服が消え、一瞬の間が空き次の衣服が飛び去っていく。奇妙な現象が立て続けに発生しているにも関わらず、傍にいるヲ級は寝入っており、他の艦たちも何か別の物を探すのに夢中で誰一人として気付くものがいない。
「世界は謎に満ちている……そうは思わんかねワトソン?」
大岩を隔てた彼らの反対側にせんだいは居た。手に握るのは釣竿であり、たった今引っ掛かった
せんだいの目の前には大量の衣服が散らばっていた。そう、全て彼女が釣り上げたのだ。
しかし今回ばかりは彼女も首を傾げている。釣り糸を投げ込もうと勢い良く振りかぶるともれなく何かしらが釣られてくる。
最初に釣れたのは黒くてでかいたこ焼き。その次はマント、黒のスキニーパンツ、片目だけ開いたマスク。その他にも様々な物が釣られていき、そして釣り針はすやすやと眠るヲ級の帽子へ引っ掛かるとひょいと壁の向こう側へと持ち去ってしまう。
「スヤスヤ……クシュンッ! ン~……? ナンダカ頭ガ軽イワネ……」
違和感を感じた空母は流石に目を覚ましたようだ。上半身を起こし頭上をまさぐってみる。まだ寝ぼけているのか、水平線の一点をぼけっと見つめながら何か物足りない理由を熟考する。
「アアアア!? ワタシノ帽子ガナイ!?」
帽子が無い事に気づきヲ級は取り乱し始めた。彼女の帽子は艦載機を積む格納庫にもなっているため万が一敵襲があろう物ならば彼女は何も打つ手が無い。
特に現在の彼女はいつもより軽装な事もあり、知らない者からすれば水着を着た色白の女の子にしか見えない。
「アレェ、ドウシタンデスカトレードマークノ帽子マデ脱イデ」
「キュイイン?(幾らなんでも無用心過ぎるわよ?)」
「チチ、チガウノヨォ!! 目ヲ覚マシタラ無クナッテタノヨ!!」
「またヲ級のドジっ子が発動したか」と一同は笑う。深海棲艦の装備は生物型になっている事が多く、物によっては独りでに活動する事もある。空母ヲ級の被るそれも生物型のため、大方彼女が寝ている間に一人で遊んでいるのだろうと一同は推測していた。
「ヲーチャンハ大袈裟デスヨ。キット近クデブラブラシテルンデスッテ」
「キュイイイ(ご主人様が一人で寝ちゃうんだもんなぁ)」
「アノ子ハワタシノ許可無ク勝手ニ何処カニ行ッタリシナイモン! ……多分」
部下たちの意見を否定しようとしたが、確かにその考えもあり得なくは無い。
自分は今起きたばっかりだし、生物型である帽子にも意思がある。確かに彼女の言う事に従順な帽子ではあるがヲ級の自分勝手な行動に呆れる事もあるだろう。
ひょっとしたら駆逐イ級の言うとおり近くで遊んでいるだけかも知れない。ヲ級は取り乱した事が恥ずかしくなり顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
とにかく帽子を探さなければ。そう思い彼女が顔を上げた瞬間、何かが下の水着を思い切り引っ張った。
「フギャッ!」
「ウワッ!? ド、ドウシマシタ!?」
突然顔面から前のめりに倒れこむ空母に一同はうろたえる。空母が苦痛に顔を歪めていると、なんと彼女の体が上空へと浮き上がり始めた。
一体何が起きているのか? 部下たちはおろか浮かび上がる当の本人も硬直したままあんぐりと口を開けていた。
「ナ……ナ、ナ…………ッ!」
「何ガ起コッテ――」
「ワッ、ワワワッ!? マタ浮カビ上ガッテ……!!」
「エ? ウワッ!?」
空母ヲ級の体が一層勢い良く上空へ浮かびあがろうとする。
抵抗を試みようとヲ級は必死に空中もがいた。履いていた下の水着が脱げ、同時に彼女の体が部下たちの元へと落ちてくる。
「キャアアアアアアアア!!」
『ワアアアアア!?』
深海棲艦たちは岩場から海に転落した。空母を振り落とした黒いパンツは、青い空を背景にヒラヒラと舞いながら壁の向こうへと消えて行った。
誰もが放心する中ポツリとヲ級が呟く。
「……ドウナッテルノ」
「……エット」
何か言うべきだろうか……。動揺しながらも駆逐イ級が言葉を発しようとした時、今度はイ級の全身が勢い良く空へと浮かび上がった。
「ウオオオオオオオオオオ!?」
「イ級ウゥゥ――――――!?」
イ級は暴れたが、抵抗むなしく再び壁の向こう側へと連れ去られていく。
イ級の叫び声に混じり、誰かの声が聞こえてきた。
「ヒィェーヒャッヒャッ!! 大物ゲットゥーン!!」
「マ、マサカアノ声……」ヲ級はガタガタと身を震わせた。一体どうしたらその声を忘れられようか。ヲ級にトラウマを植え付けるだけでなく、以前ヤツと邂逅した潜水艦たちは精神を病み未だ入渠施設に入り浸っている。あの『化物』艦娘が何故こんな所までやってきているのか。
「ギュオオ(なんてこった)」
「キュイイン……(アイツがここに来てるなんて……)」
「ドドド、ドウシヨ……」
三人は顔を見合わせる。最早疑う余地もないだろう。彼女たちの衣服が消えた事、空母の帽子、そしてイ級までが攫われたのは全てあの夜戦オバケ『せんだい』の仕業だ。
今の自分たちは休暇中の身でありろくな装備を持って来ていない。挙句空母にいたっては主力の艦載機を奪われてしまった。敵前逃亡は本来許されない事だがやむをえない事情による戦略的撤退であればまだ体裁は保てる。
しかし……。
「……イ級――ドウスル?」
旗艦らしからぬ、情けない声で部下たちに意見を求めるヲ級。雷巡チ級も軽巡ホ級も黙り込んでしまう。彼女たちが「逃げましょう」と言ってくれさえすれば空母ヲ級は喜んで賛成しただろう。
「キュイイイン!!(助けに行きましょう!!)」
「ムホッムンムン!(それが定めとあらば!)」
「アッウン、ソウダヨネ。仲間ダモンネ」
しかし二人は逃げようとはしなかった。仲間のピンチには必ず力になる。彼女たちの美しい友情が垣間見えた瞬間だ。
ノーパンで何が出来るってんだよ、と毒づきたかったヲ級であったが、仲間を見捨てて逃げよう物ならばそれこそ何を言われたか判ったものでは無い。彼女は腹を括るしかなかった。
▼
「アーッハッハッハ!! 爆釣れよ、爆釣れぇ!!」
喜びが込み上げるのか大笑いをする曙。辛抱強く待ち続けた結果、幸運の女神は微笑んだらしい。
既にクーラーボックスにはクロダイ、ボラ、コハダなどでいっぱいだ。これほどの大漁は彼女も珍しいのだろう、もう入れるところが無いのに夢中になってリールを巻いていた。
「ふふふ、見なさいせんだい。これがプロの技ってやつなのよ! どーせアンタは一匹も釣れてないんでしょ? 私が
また一尾釣り上げた曙が横を向くとせんだいの姿は見当たらなかった。釣りに夢中になりすぎていたせいか、随分前にせんだいが姿を眩ましたのにも気付かずにいたらしい。
「もう、これだから素人は……。釣りは待ち続けることが楽しいって事がわからないのかしら」
「ふんっ」と威張るようにせんだいを小ばかにし彼女を探そうと辺りを見回してみる。すると入り組んだ岩礁の方から手を振って近づいてくるせんだいを見つけた。
(もう、あんな所まで行ってたの? 気をつけろって言ったはずなのに全く聞いていないわね!)
いくら軽巡洋艦と言えど勝手な行動は控えるべきだ。曙は不安定な岩礁をケンケンパで歩いてくるせんだいを見ながら一言物申してやろうと考えていた。
「ちょっとアンタ! また勝手にフラフラと……って、あら? も、もしかしてアンタも何か釣れたの?」
「バックトゥザフューチャー」
せんだいが肩から下げるクーラーボックスには何かを入れた形跡があった。フタから僅かに飛び出している海苔らしき黒い物が非常に気になるところだ。
「凄いわね……ビギナーズラックってやつなのかしら。ねぇ、何釣れたのか見せてよ!」
叱る事も忘れて中を開けてみるよう願い出る。せんだいは肩から箱を降ろしもったいぶるように開いてみせる。まるで宝箱の財宝を確かめるように二人は笑顔で覗き込んだ。
「……な、何よこれ。たこ焼き??」
曙の笑顔が一瞬で曇る。せんだいが両手で取り出したのは、サッカーボールよりはあるであろう真っ黒なたこ焼きだった。歯のように白い部分から赤い湯気のような物が漏れ出している。
「な、なんか気持ち悪いわね。食べられるのこれ?」
「ナイスバルク! ナイスバルク!」
たこ焼きの真似なのか満面の笑みで歯をむき出して笑うせんだい。曙は昔漫画で読んだドーン!なおじさんの喪黒なんとかと言うキャラクターを思い出す。
続いてせんだいが取り出したのは真っ黒なマントだった。先ほどはみ出して見えていたのはこれだろう。続いて妙な白いマスク、黒くスリムなスキニーパンツなど、どれもこれもガラクタもとい衣類ばかりが収められていた。
「ちょっとぉ、アンタ何やってたの!? こんなガラクタばっかり拾ってきて! 何よこの怪しいマントにマスクは。オペラ座の怪人じゃあるまいし!」
「ギィッギィッギィ!」
「何ツボってんのよ! 大体魚なんて一匹もいないじゃない!」
するとせんだいは人差し指を立てて「チッチッチッ」と左右に振る。ちゃーんと魚も釣ってるぜ、とでも言いたいのであろうか。曙はブチ切れコンゴウ五秒前だ。
せんだいは最後に『取っておき』を用意しているらしかった。しかしクーラーボックスのキャパシティは既に吐き出されたガラクタが9割を締めている。
今更何も出されようと驚きはしない。ただ一つだけ彼女が心に決めたのは、せめて魚ですらなかったら顔面を思い切り丸太でどついてやろうと言う事だけだ。
「濡らすんじゃねぇぜお嬢ちゃん……この張り詰めたセッション、君に送るアツいパトスさ」
「ゴオオオオオオオオオオオ!!!」
「おわぎゃああああああ!?」
驚かないと決めた曙だが思わず叫びを上げて尻餅をついてしまった。最後にせんだいが取り出したのは明らかにクーラーボックスに収まるサイズではない、本マグロ並の巨大な黒い魚であった。オマケにまだ生きているらしくせんだいの小さな腕の中でビチビチと跳ね回っている。叫びまで上げている。
こんな物をどこに隠していたのか。どうやってこの箱の中に入れていたのか。色々と問いただしたい曙であったが、何よりも気になったのはその黒い魚であった。
と言うか、魚ですらない。
「アンタそれ深海棲艦じゃないのよ!?」
「オイチイヨ!」
「ンな訳あるかぁ!! ドコで拾ってきやがったのよ!」
曙が怒鳴り散らしているとせんだいがやってきた方向の海から大きな音が聞こえ始めた。二人は揃って音の方向へと目をやる。真っ白な航跡を荒々しく巻き上げ、怒りの形相の深海棲艦たちが二人の元へと向かって来ていた。
「キュイイイン!(居たわ、あそこよ!)」
「マッスルマッスル、ミンナマッスルゥ!!(殺されたイ級の恨み、晴らさでおくべきか!!)」
「キュイン(いやまだ死んでない)」
「ワタシノパンツ返セエエエエ!!」
「げえええ!? 深海棲艦だわ! 逃げるわよせんだい!!」
「ギュルジュポォ、ギュルジュポォ」
曙は急いで荷物を手に取りくろがね四起の元へと駆け込んだ。深海棲艦たちもくろがね四起の背を水上から追いかける。陸地に上がれば車に巻かれてしまうが水面を走れば彼らに分があるだろう。
「キュイイイ!(よし、この調子ならすぐに追いつくわ!)」
「ムキムキマッソォー(ククク。この筋肉とくと味あわせてやる)」
「ワタシノパンツウゥー!!」
「ま、不味いわ、このままじゃ追いつかれる……!」
「実に不思議ぞい。何故やつらは追ってくるぞい?」
「アンタがそれを持ってるからよ!! さっさと捨てるんだよこのドグサレがぁーッ!!」
曙が般若の面でせんだいを怒鳴りつける。曙の言うとおり深海棲艦たちの狙いは攫われた仲間だ。
敵の兵器を鹵獲できれば艦娘たちの戦いに大いに役立つ情報が得られるだろう。それは同時に、敵からすれば絶対的に不利な状況に陥ってしまう。なんとしても取り返そうとするのは至極最もだと曙は考えた。
せんだいは曙の言うとおりに駆逐イ級を投げ捨てようとした。しかし何を思ったのか、イ級はせんだいが肩に掛けるクーラーボックスの紐に齧りつく。これではせんだいが手を離そうとも無駄である。
「なに、どうしたの!? 早く捨てちゃいなさい!」
「もひもひ。もひも紐にひもついちゃったらどうする?」
「何よ、離れないの?」
車を運転しながらちらりとせんだいを見る。曙も状況を確認し思わず舌打ちをした。何故だか知らないがこの深海棲艦は逃げれるチャンスにも関わらず離れようとしていないようだ。
「追イツイタワヨ! サァ、ワタシノパンツ返シナサアアアアイ!!」
「キュイイイイイ!(ワタシのマスクと服も!)」
「ギュオオオ!(見よこの筋肉!)」
「ボックスごと捨てなさい!」
「えぇ~?」
「うっさいわね! どうせガラクタしか入ってないじゃないの! 早くしなさい!」
既に敵は飛びかかる勢いだった。曙は咄嗟の判断でボックスごと捨てさせる事にした。
せんだいはかけていた肩紐を外し、齧りついたままのイ級を片手で投げ飛ばす。投げ飛ばされたイ級は、一直線に空母たちの元へ――。
「エッ、チョ」
「キュ――(まっ――)」
『ヘブゥアァ!?』
間の抜けた音を発しながら深海棲艦たちは海に沈みこんだ。その隙にせんだいたちを乗せたくろがね四起が軽快な音を鳴らしながら駆け抜けていく。
こうして、彼女たちの危機は去った。
▼
翔鶴は曙たちが持ち帰った魚を見て大層喜んでいた。ぐったりした顔をして戻ってきた曙を見たときは何事かと思ったが、どうやら無事に任務を果たしてくれたらしい。
「ぼのちゃんご苦労様。これで今日のお夕飯の心配はなくなるわね。ありがとう!」
「い、いえ。任務ですから」
あくまで任務である事を強調し翔鶴に敬礼をする。だが目の前の彼女の笑顔を見て、曙は釣られるように笑顔を見せた。翔鶴も「ふふふっ」と笑い、そんな真面目な曙へと答礼を返すのであった。
「ところでせんだいさんも一緒だったわよね? 突然押し付けるようで申し訳ないと思ったんだけど……ちゃんとお守りもこなしてくれた?」
「ああ、せんだいなら――噂をすればみたいですね」
やはり自分がお守りを任されていたのか、と苦笑する曙。せんだいは釣竿を車から降ろしゆっくりとした歩調で二人の下へやってきた。
何故か、頭には黒いパンツを被っていた。
「あ、アンタ何よそれ」
「魅惑のパンティー」
「ぼのちゃん、あなた一体どこへ……」
「ごごご、誤解です翔鶴さん!!」
翔鶴は笑顔だったが目は笑っていなかった。曙自身釣りに夢中になっていた事もありせんだいが何をしていたのかは全く知らない。弁明は難しかろう。
せんだいは慌てふためく曙を放って、一人でパンツ――水着の匂いを嗅ぐのに勤しんでいた。
「キュイーン(いやー、イ級が無事で良かったわ)」
「ギュオオ(私たちの服も取り返してくれて、感謝ですねぇ)」
「イエイエ、コチラコソミンナガ助ケニ着テクレナケレバドウナッテイタ事カ」
夕暮時となり太陽が海へと帰り往く中、深海棲艦たちも自分たちの基地への帰り支度を済ませていた。
所々傷を負いながらも彼らは皆一様にやりきった良い顔をしていた。激しい戦いを生き抜いた彼らはより仲間意識が高まったのだろう。夕日に照らされた笑顔はとても生き生きとしている。
「ワタシノパンツ……」
「アッ……」
いや。たった一人、哀愁を漂わせ沈み往く太陽を見届ける者が居た。
彼女も奪われた衣服を取り戻す事が出来たようだがどうもその表情は浮かない。被害を最小限にとどめはしたものの彼女自身が失った物は大きかった。
「オニューノパンツ……」
「ヲーチャン、ソノ――」
駆逐イ級が言いかけたとき、雷巡チ級と軽巡ホ級は彼の肩――もとい背に手を置く。イ級が顔を上げると、二人は静かに首を横へ振っていた。
「声を掛けないこともまた、優しさだ」。イ級には二人がそう言っているような気がした。
「ワタシノ、パンツウウウゥゥー……!!」
空母ヲ級は涙が出るほど美しい夕日に慟哭する。
儚く沈む夕日は、もう履く事ができない水着のように黒い海へと消えていく。彼女のセンチメンタルな思いは遠くの海へと寂しく響き渡った。