【完結】Why will the hardship take me?   作:雷電p

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―――一度刻まれたキズは、二度と消えることはない―――





expiación~贖罪~

[ 病院 ]

 

 

 

ピッ―――ピッ――――ピッ―――――

 

 

 

 バイタルメーターが一定のリズムを刻む。その機械に取り付けられた管の先に、白のベッドに横たわる少女の腕に繋がっていた。

 その少女は眠る――深く、深く――まるで、死んでしまっているみたいに。一向に開こうとしない重い目蓋。衰弱しきったようなやつれた顔。微動だにしない姿がそのように見せているのだ。

 

 だが、彼女は生きている。辛うじて、ではあるものの、こうして胸の音を立てていた。

 

 

 それに―――

 

 

 

 

 

「蓮花ちゃん………」

 

 

 その様子を親身になって手を握る親友が傍らにいるのだった。

 

 

 

 

 

―― 

――― 

―――― 

 

 

 数時間前――――

 

 

 私は、あの場で親友が犯されているのを目撃してしまった。男たちの暴力的性欲によって蓮花ちゃんの身体は嬲られ、弄ばれ、貪られ尽くされた姿を一刻一刻と針が進むごとに脳に焼き付けられた。物静かで可愛げのある少女が、身体中を穢され尽くされた哀れ極まりない容貌へと変えられてしまった。それを思い出すだけで胸が張り裂けそうになる……。

 

 

 そして、その魔の手が私の方にも………

 

 

 

 

 

 

「―――洋子?」

 

 

ビクッ―――――

 

 

 いきなり声を変えられ瞬時に振り返ると、明弘さんが立っていました。

 

「ど、どうしたよ? 今、すごく恐い顔をしているぞ……」

「そ、そう……でしたか……すみません………」

 

 気にすることはない、と明弘さんはそう告げて私の横に腰掛けました。

 

「命には問題ない、とは言っていたが……何と言えばいいか………」

「もういいのですよ。それだけで十分だと思います……そう思いたいです………」

 

 どう答えればいいかと思い悩む様子に、大丈夫だと言いたかった。でも、それは単なる私の身勝手な話。当の本人の気持ちなど1ミリも含まれてなどいない。私の境遇と比べてもその悲嘆の深刻さには大きな溝があるのだから。

 

 

 

「―――失礼」

 

 病室の扉を2度ノックしてから渋い声をした白髪の男性が入ってきました。その姿は見るに年老いて、額から首元に至るまでシワをつくってひ弱そうに思える。ですが、ガッシリとした肩と腕、今でも鍛えているであろう全身の筋肉が服を着た上でもよくわかる。おまけに、鋭く光る瞳は、数多くの苦難を乗り越えてきたことを表しており、いぶし銀あふれる勇ましい姿を私に現していた。

 

「あ、あなたは……?」

「ん、そうだったね。キミとこうして合うのは初めてだったね」

 

 そう言いますと、懐から1枚の紙を取り出しまして私に手渡したのです。それを受け取りまして、よく見ますとこの人の名前らしいモノが。それにこの人、どこかで見たことがあるような………。

 

「あかさか……えい……?」

「あぁ、それは『まもる』って読むんだよ、島田洋子ちゃん」

「―――! ど、どうして私の名前を?!」

「僕の職務…いや、明弘くんたちから聞いたのさ。この前の一件でね」

「この前の……? はっ! もしや、あの時の警察の人!」

 

 その時私は、ついこの間のヒデコちゃんの一件に関わってくれた警察の人の名前を思い出したのです。そして彼は、懐からもう1つモノを取り出すと私の前にそれを提示して言うのでした。

 

 

「警視庁公安部特別捜査班捜査主任、赤坂衛(あかさかまもる)です。以後、お見知りおきを」

 

 彼、赤坂さんは取り出した警察手帳を広げて言いますので、私は思わず背筋がピンッと伸びてしまいます。警察という名前もそうですが、公安でその一部署の主任となると強張ってしまう。つまりそれは、赤坂さんがエリートクラスの人間であることを示しているということなのです。

 

「し、しかし、どうして赤坂さんのような方がこのような場所に? 今回の一件では公安は動かないはずじゃ……」

「まあ、一般的にはそうかもしれないな。けど、僕の部署はそうした事件にまで関わることのできるところ、とだけ話しておくよ。これ以上は禁則事項だからね。それと、蒼一くんたちとは知り合いだったからというのもあるのだけど」

「蒼一さんたちと赤坂さんが? 一体どういう関係性が……?」

「そこを話すとややこしくなるが、まとめて言わせれば、俺の母親といろいろ関わりがあった、ということだ。特に、母親の故郷である興宮という場所で、だな」

 

 扉の向こうから声が聞こえると思うと、赤坂さんの後ろから蒼一さんがやってきたのです。蒼一さんも今回の一件で明弘さんとは別行動をしていたとか、詳細は聞かされておりませんが大方派手なことをしたに違いありません。

 

「とりあえず、今回の件について僕から話をさせてもらうとしよう」

 

 そう言いますと、赤坂さんは私たちを病室から連れ出し、隣の個室に入り私たちに向かって話を始めるのでした。

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

「―――事の発端というのは、僕の捜査から始まったんだ。僕の部署ではね、最近横行し続けている少女誘拐、監禁、強姦などの事件を担当することになってね、普段なら別のところがやる話だったんだ。けど、実際中を覗いてみると酷いモノだった。どこからの組織がそうしたことを強要、実行させているということを嗅ぎつけたんだ。多分、それも含めてこっちに回ったんだろうけど……。それで、その組織の正体を掴めために捜査が敷かれるようになった。それも、ここアキバを中心に、ね」

「もしかして……その組織というのがアキバにあるから、と推測したのですか?」

「そうだね。ここ周辺での事件が多発しているからというのが理由なんだけど、ここで捜査線を張っていればネズミの一匹、二匹がかかってもおかしくないだろうと推測したからだ。案の定、その組織の実態についてある程度まで知ることができた。―――が、肝心の本丸には辿り着けてない状況なわけさ」

「実態……それは大まかにどういうモノなのでしょう?」

「う~ん……ここから先は……話しても大丈夫なのかい? いくらキミたちの協力者だとはいえ、被害者なのだからあまり深入りしない方が……」

「構いません。覚悟は、もうできていますから……!」

 

 そうです、私はすでにそうした覚悟は決めていますから。蒼一さんたちと協力することを決めた時からずっと………

 赤坂さんは少し出し渋る様子を見せるも、納得して下さったみたいで話を続けてくださいました。

 

「その組織は特定の人物、主に女子高生ばかりをターゲットにした闇ビジネスを展開しているんだ。警察に掛かってくる被害届の多くもその女子高生からのもので、それも性的なモノが大半なんだ。しかも、その内容を聞いてみると、組織に目を付けられた人それぞれに値が付けられて、支払った分何でもしてもいいという風俗じみたことをしている。けど、それは合法的ではない。脅しなどを利用した半強制的にそうした道へと進ませようとしている悪行なのだ。

今回被害にあったキミの親友を例に挙げると、初めにその子を誘拐して強姦し、その様子を写真などの媒体にして手元に置き、それで脅迫させる。バラされたくなければ……といった文言を並び立てて拘束させ、男たちのいいなりにさせる、といったようにね。言うなれば―――人身売買というものだ」

「ッ――――!!!」

 

 そ、そんな……そんなことが……!

 赤坂さんの口から初めて聞かされた蓮花ちゃんについて。もう初めから蓮花ちゃんの自由と尊厳を奪い、プライドをズタズタに切り裂くまでし続けたというのが腹立たしくってなりません。私の…私の親友をそんな人形のように弄ばされたことが悔しくって、悲しくってならないのです……!

 

「これまでに被害にあった子は、もう数百件と多い。だが、それはあくまで把握できている範囲、実態はもっと多いモノかもしれないと踏んでいる」

「そ、その……被害にあった人たちは、その後どうなったのですか……?」

「……悲しいかもしれないが、普段の日常が戻ったケースは極めて少ない……。これまで保護してきた子たちの多くは、今までの環境にいられなくなって学校を中退、家族もろとも地方に転居することがある。精神病棟に映されることあった。ただもっと悲しいのは、弄ばれたことが辞められずに自ら闇に染まってしまうケース。憎んできたはずの組織に戻り、使い果たされるまでそのロジックとなり身体を捧げる子も少なくないという事実だ」

「そ、そんな………!」

 

 やはりそうなのですか……私が思っていた通り、被害にあった子たちはまともな人生を取り戻すことができない、そう断言させられたように聞こえました。自分を穢すようなことを再び、しかも、それを自らの意思で進んで行うだなんて私には考えられないモノでした。

 どちらにせよ、人の人生を狂わせることに変わりはないというものです。

 

「この子も酷いモノだ。多くの人の相手にされただけじゃなく、その姿はネットを通じて晒されてしまっている。実名は伏せられてはいるものの、その記録を完全に抹消させることは不可能に近い。社会的立場は極めて危ぶまれるだろう……それと、肉体的にも、ね……」

 

 言葉が途切れ掛かる。赤坂さんは淡々と話を進めてはいますが、その口は重く、苦痛を滲ませる表情で語っています。真っ直ぐな視線、それからわかりますのは、この人が誠実で正義感のある人なのだということ。蒼一さんや明弘さんと同じ眼をしているのです。

 そうした現場を幾度も見てきたからなのでしょう、居た堪れない気持ちが見えるのです。未然に防ぐことができないこと、助けようにも助けられないもどかしさ、そうした悲しい気持ちというのは老けた表情から強く感じるのです。もう定年を通り越して引退なさってもおかしくないのに、この道に居続けるというのは、それほどの覚悟と使命感に駆られているからなのでしょう。眉間によせる多くのシワがそう伝えているようでした。

 

「この子を見ていると、自分の孫娘のことを思ってしまう……。まだ10にもならないが、将来、こうした形で対面してしまうことを考えるだけで胸が痛くなる。僕はね、孫娘のためにも、こんな惨い世の中を変えたいと心に決めながら職務に当たっているんだ。単なる老人の我儘かもしれないが、これは意地なのだ。男として生まれたからには女を護り切ることこそ本懐なのだと、僕は思うんだ」

 

 一瞬、その表情が緩み穏やかな様子が垣間見えた。決意に満ちたその顔は、老人のひ弱そうな姿ではなく、誰かのために闘おうとする青年のような力強さを感じたのでした。

 

 すると、赤坂さんは私の方を向き、何かを訴えかけるような視線を送ってきます。それはまさに真剣そのもので、目を背くことなどできないくらいでした。

 

 

「洋子ちゃん、キミにはよく言っておくよ―――あの子から眼を離さないでやってくれ」

「えっ……?」

「キミは、蒼一くんたちから話は聞いているだろう、以前保護した少女がどんな末路にあったのかを……」

「以前……? ……も、もしかして、あの……!」

 

 その刹那、私の脳裏に過ったのは、蒼一さんたちが助けた少女が自ら命を絶った話でした。それを思い出すだけで胸が痛くなり、吐き気すら催してしまうほどの酷いモノ。それをここで取り上げたというのは、つまり――――

 

 

「言わなくても察してくれたようだね―――」

 

 小さく頷きながら赤坂さんは話す。

 

「多分だが、今のあの子は誰とも会おうとしないはずだ。意識が戻っても面会遮断を理由にして1人塞ぎ込んでしまうだろう。そうなったらマズイ。1人同道廻りを繰り返して負の連鎖を蓄積し死を呼びよせる。典型的だが、心を深く抉られたんだ、そうなってもおかしくない……」

「じゃ、じゃあ、私たち全員で見守っておけばいいのでは? 幸いにも、ここは病院ですし、看護婦の協力も得られればきっと―――」

「―――いや、それじゃあダメなんだ」

「ど、どうしてですか―――?!」

 

 私の意見は真っ二つに切り落とされてしまう。私はただ、普通のことを言っているだけなのに……どうして………

 

 

「彼女の精神状態は極めて不安定。しかも、見ず知らずの人間に嬲られ尽くされたのだ、人間不信にあっているはず……。だとしたら、僕らのような第三者が立ち合ったとしても心を開いてくれやしない。ましてや、男である僕らには特に、ね……」

「……だから、私、と言いたいのですね………」

「ハッキリ言わせれば、そう言うことだ。酷い言い方かもしれないが、キミは彼女の親友で、同じ被害者同士でもある。僕らよりも遥かに彼女と心を通わせることができると僕は思うんだ」

「――――ッ」

 

 無性に胸が痛くなった。突き刺さるようで、抉られるようなその言葉がとても痛かった。

 赤坂さんの言いたいことはよくわかります。同じ被害者として、そう言う考えはもっともかもしれないと思います……思いますが……

 

 

 

……私も辛いのですっ……!

 いくら蓮花ちゃんと同じ目に遭わなかったと言っても、私も被害者なのです! 痛いのですよ、張り裂けそうになるくらい痛いのですよッ!! 今はとても涼しい顔をしていますが、この気持ちがいつ爆発するのだろうかと我慢しているのです。心の中はもうめちゃくちゃで、ドロドロで、何が何なのかわからないくらいに気が変になりそうなのです……!

 

 できることならば、私は……わたしは……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――洋子」

「―――――っ!!」

 

 苦悶する私にやさしい声が降りてきた。同時に、この背中に小さな温もりを感じたのです。

 ふと、首を回しますと、そこにはやさしく微笑む明弘さんの姿が――――

 

 その姿が目の中に入り込むような、そのまま私の身体の中に取り込まれていくみたいで気持ちが和らいでいく。気が動転しそうになってた私は、その行為によりなんとか自分を制することが辛うじてできたのでした。

 

 明弘さんは続けて、

 

「洋子だけにそんな難しいことをやらせるわけにはいかねぇ。俺だって何かの役に立ちたいさ。あの子のためにできなくてもよ、あの子を支える洋子を支えてあげることならできるさ」

「明弘さん……」

「まあ、なんだっていい。俺はいつでも洋子の相談に乗ってやるよ。なんなら今からでも大丈夫だぜ?」

 

 そう微笑みながら話すその姿に心が洗われるようで、焦燥感に駆られることなく平常心を取り戻せた。まったく、あなたという人は、どうして………

 

 

「ありがとうございます。そう言ってくださるだけで十分です」

 

 取り戻した余裕をもって私も微笑み返しますと、それを聞いてなのでしょうか、明弘さんは、うんと大きく頷いてみせました。納得して下さったのか、それとも安心して下さったのか……どちらにせよ、感謝の気持ちを受け止めてくれたことに感謝するのです。

 

 

 

「―――ん、それじゃあ、僕はこの辺で……まだ、山積している仕事があるからね、ここは若い子たちに任せるよ」

「無理はしないでくださいよ。御老体なんですから少しは自身を気遣った方がいいですよ?」

「なぁ~に、このくらい。それに、僕の師匠みたいな人は僕みたいな歳でも頑張ってたんだ。まだ、泣き言は言えないよ」

 

 赤坂さんはゆっくりと腰を上げますと、そのままドアノブを捻って外に出た。流暢な足取りで進む姿に老いを感じさせず、逆に男らしさを感じさせられました。これが志を抱き続けた人の生きざまなのだと、まじまじと感じさせられるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

[ 病院内 ]

 

 

 深夜――――

 

 

「……んっ……ぅん……ぁっ、もうこんな時間でしたか………」

 

 

 青白い月光に触れられたような心地の中、ふと目が覚めた。暗く沈んだ病室にカチカチと小刻みに音を立てる時計――その針が真夜中を告げていた。

 どうやらイスに腰掛け、壁にもたれ掛かりながら寝てしまっていたようです。

 

 あの後、蓮花ちゃんのことが気になって家に帰ることをせずに留まりました。もし眠りから覚めた時には、どうしても彼女の傍にいてあげたいと願ったのです。それに応えてくださるように、蒼一さんも明弘さんも共にここに残ることを決めてくれたようで、今は別室にて休んでいるところだと思います。

 

 白のカーテン―――。

 囲むこの布の向こう側に蓮花ちゃんが眠っている。深い眠りが傷付いた彼女を癒してくれるだろうと信じて……。

 

 

 ちょっと、腰を浮かせて蓮花ちゃんの様子を見ようと立った。

 

 

 

 

 

「えっ―――――?」

 

 白のカーテンをめくったその刹那、私の時間が止まったような気がした。息が止まってしまったかのようだ。

 

 何故なら……ベッドが空なのだからです! そこに寝ているはずだった蓮花ちゃんの姿がどこにもないのです!

 

 そんなバカなっ……!

 私は驚愕した表情でその光景を目の当たりにして映っていることでしょう。なんで……いや、どうして忽然と消えてしまったのでしょうか!? 動悸が激しくなってきている。嫌な予感がします………

 

 

 

『―――あの子から眼を離さないでやってくれ』

 

 一瞬、私の脳裏に赤坂さんの言葉が過った。

 

「あれほど注意しようとしたというのに、こんな……こんなっ………くっ!! 」

 

 不甲斐無い自分に苛立ちを抱き、勢いに任せ憤慨しそうになる。けど、ここで怒りを露わにしても何も始まりません。無駄に時間が擦り減るばかり……。

 なら、私がやることはただ一つでしかありません………

 

 

「探さなければ……私が何とかしなければ……!」

 

 使命感――これに駆られるように膝に力を入れる。今の蓮花ちゃんに出来ること、してあげることができるのは、私しかいないのだと自分に言い聞かせる。

 覚悟を決めると、踵を返して部屋を出る。案の定、通路は真っ暗――非常口標識の緑や消火栓の赤しか光はない。そんな中で私が行くべき場所はどこなのか、それを語りかける者などどこにもいない。自分の勘と、自分を信じて進んでいくことしか道はなかったのだ。

 

 

 冷たい廊下に、氷のような靴音が残響する―――

 

 

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 息が荒れる。不穏に迫る焦燥感と忍び寄る恐怖とが私の動悸を激しく揺らす。

 雨のように汗が滴り落ちるも一向に蓮花ちゃんの姿を捉えることができずにいました。どうして……この病院の下層上層と何度も駆け回ってみたもののどこにも見当たらず終い。いったいどこへ行ったというのでしょうか……?

 

 念のため、蒼一さんと明弘さんに声をかけようとしましたが、部屋にはおらず仕方なくメールにて連絡を。その返信がないのを見ると、どこか違う場所で寝過ごしているのでしょうか?

 

 

 いや、ここは御二人の協力がなくても探し出さなくては……

 

 焦りと息切れでふらつく頭を抱えながら最後に思い当たる場所に足を赴かせるのでした。

 

 

 

 

 

 

[ 屋上 ]

 

 長い階段を昇ると、わずかばかりに開いた扉から風が音を立て吹き荒れる。それが私の顔にピンポイントに当たり熱くなった汗を冷やし始める。

 

 ぶるっ、と身が震えた。

 汗で身体が冷えたからでしょうか……いや、これは外から来たものではありません。身体の内側から出てきたもの、すなわち内心で震え上がるような悪寒が私の身体に襲いかかったのです。

 

 氷水のように冷え切った汗が床に落ちる。

 これが何を意味するモノなのか、言わなくてもわかってしまう。私は足早に駆けると扉を開けて広がる空間に立つ。

 

 

 黒い雲が覆う夜。その切れ間からわずかに地上に注がれる青白い月光――まるで、悪魔の眼差しのような冷え切った光がそこに佇む1人の人物に降り注がれていた。

 

 

 

 

 

「蓮花……ちゃん………」

 

 

 真っ白な病院服に身を纏わせた少女、私の親友・蓮花ちゃんは荒れ吹く風に長く伸びた髪をたなびかせ、おもむろに踵を返した。

 それを見た瞬間、あまりの姿に身体を固まらせ目を見開いた。雪のように白い肌、(すみれ)のように青紫色となる唇、今に崩れ落ち仕舞いそうな瞳が私を捉えているかのように見えた。ですが、本当に私を見ているのかさえ不安で仕方なかった。何故なら、彼女の身体全体がまるで幽霊のようにその実態が薄らいで見えていたからだ。

 

 

「……よ……うこ………」

 

 目に力はない。光も失った瞳を覗かせて言葉を発した。霞のような風に吹き飛ばされてしまいそうなその声に直感たちが騒ぐ。

 

 

「蓮花ちゃん、何やってるんですか……さあ、早く中へ………」

 

 

 当たり前のように彼女を誘おうとする。来てくれるだろうと確信していたからそうしたのだ。だが―――

 

 

 

「――ううん。いかない……もう……そっちには、戻れない………」

「えっ………――――」

 

 

 それを耳にした瞬間、身体から魂だけが抜けていくような心地になる。どうしてこちらに来れないというのか、難しいのであれば私がそちらに行きますよ、と声をかけたかった。けど、何も言えなかった。何も…………

 

 

「わ、わたしのからだ……ここには、たくさんの人からの傷がたくさんある……それを直すことなんてできない………」

 

 

 霞みのような今にも消えてしまいそうな声。いえ、声ではありません、彼女自身が消えかかっているように聞こえるのです……!

 

 

「だ、大丈夫ですよ……。ここの病院なら蓮花ちゃんの傷だってすぐに治りますよ……」

「……ちがう……違うの、洋子ちゃん………ココなの………」

「…………ッ!!」

 

 

 私の言葉に小さく首を横に振りますと、薄弱な手を自分の胸に添えて悲愴な声をあげるのです。それでようやく気が付いたのです、蓮花ちゃんの言う傷というモノは、心に刺さっているモノなのだということに………

 

 蓮花ちゃんは続けて話す―――

 

 

 

「私の身体は……もう私の身体じゃない……。たくさんの男の人に見られて、触られて……叩かれて……いろいろなモノを入れられて、とっても痛い思いをした……。私が“痛い”って言えばもっと痛くされて、私が“気持ちいい”って言うまで何度も……何度も何度も何度も何度も何度もッ!!! あの、恐いモノで私の心を傷つけた………なのに、身体が喜んじゃってるの……あれだけ、口から泡が出て気絶するくらいの苦痛を味わっているはずなのに……身体が喜んでいるの……。へん……だよね……? あんなに嫌っていたことなのに、いつの間にかそれを楽しんじゃって“気持ちいい”って言っている私がいたの……だからもう、この身体は私のじゃないの………」

 

 

 淡々と、合間には気が狂ったような声で自責の念を唱える。口から出る1つひとつの言葉が息苦しく、そのまま倒れてしまいそうな様相をして語るのです。

 カタカタと何かが壊れかかるような音が聞こえたような気がした。歯車が抜け落ちて内側から壊れていく機械のように―――

 

 まさにそれは、目の前に佇む彼女そのものを指しているようでした。

 

 

 その瞳から融け流れる涙が血のように赤く流れているみたいだった――――

 

 

「れ、れんか……ちゃ………」

 

 

 私は引き留めようと手を伸ばし言葉で制止させようとした。が、行き詰ってしまう。何度も―――

 いつもならば何も考えずとも自然と口から言葉が出てくる――なのに、いま、この大事な時に限って何も口にすることができない。言葉が頭から出てこようとしないのです……。

 あるのです! 私の頭の中には確かに、言葉が雨あられのように飛び交っている――なのに、そこから選取し吐き出すことができないでいるのです……!

 

 

 

 すると、そんな私を見てか蓮花ちゃんはわずかに頬を引き上げ、

 

「いいよ……洋子ちゃん、ありがと……」

 

 とだけ口にして、大きく後退していく。

 

 

「あっ……あっ………!」

 

 もはや言葉すら話せない口となり、私から離れていこうとする彼女を追いかけた。なのに、今度は足が鈍くなる。身体が私を拒絶している――身体が自分のモノじゃなくなっているのは、むしろ私の方だったのだ。無理に、力づくで大きく踏み出すと、膝が崩れて手を床に付け倒れてしまった。

 

 対して、私の親友は、私の手の届かない所へと離れていこうとしていた………

 

 

 

 

「ごめんね……洋子ちゃん……。わたし、もう……生きていく自信、なくなっちゃった………」

 

 後退しきった彼女の身体に触れる屋上の手摺り。落ちないようにと設置されたその手摺りを蓮花ちゃんは、ゆっくりと乗り越えていく。

 

 

「あぁ……れんっ……かちゃ……ぅああっ……!!」

 

 震える唇を動かして辛うじてやっと出た声は、ただの叫びでしかなかった。それが、私の気持ちが届くはずもなく、その返答はなかった……。冷たい、私を嘲笑うかのような風だけが、顔に当たるだけだった……

 

 どうして……どうしていつもこんな時に何もできないのですっ!! 私の親友に危機が迫ってるというのに、どうして何もできないのです!! 見てるだけ……事の次第を見届けるだけのただの傍観者でしかない……。何も守れない……守ることさえできない。私の、大切な親友さえも……!!

 

 

 

 こんな……こんな臆病で、卑怯な私なんて………大っきらいです!!!!!

 

 

 身体が張り裂けてしまいそうな言葉でも、心の中で叫んでは何の意味がありませんでした。彼女にも、他の誰かにも、この気持ちを伝えられない……ただの自己満足でしかない。なんて愚かなのでしょう……わたしは………

 

 

 涙を滂沱に流しても、止めるように顔で訴えても、彼女は止まらないでしょう―――だって、私の気持ちを伝えられてないのですから、止めるべき人が何もできないのですから………

 

 私には……彼女を――――

 

 

 親友を――――

 

 

 

 蓮花ちゃんを―――――

 

 

 

 

 止めることができ―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――バイバイ、洋子ちゃ――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の視界から、親友が消えた――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわああああああああああああ!!!!!!!!! いやあああああああああああああああ!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 夢なら醒めて!!

 

 そんなのありえない!!

 

 

 だ、だって、れ、れんかちゃんは……わ、わたっ……

 

 

 

 わたしのっ………し、しんゆ………

 

 

 

 

 だい……じな………わたし……

 

 

 

 

 

…………の……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――ぅぅぅぅぅううううううおおおおおおおおおお!!! まだだああああああああああ!!!」

 

「―――――っ?!!」

 

 

 崩れ落ちた私の上を光の速さで飛んでいく影が過る――――

 

 それは、とても大きく

 

 力強く

 

 そして、穏やかな

 

 

 そのすべてが詰まったような彼が、目にも留まらぬ速さで駆け抜けていったのです――――

 

 

 

 

「あき……ひろ………さ………」

 

 

 

 

―――あぁ、どうしてこうもあなたは―――

 

 

―――ねぇ、明弘さん―――

 

 

 

 

 

 

「そこおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 床を蹴り飛ばした彼は手摺りを軽々と飛び越える。それも一瞬で! そしてそのまま、落ちていく蓮花ちゃんを助けようと跳び下りていったのです!

 

 

「だ、だめええええ!!!」

 

 

 私の制止も聞かないまま跳び下りてしまった明弘さんを追いかけようと、伸びない足を引き摺って手摺りに向かう。

 風が轟音を立て耳に届く。

 手摺りを掴み、それを支えに立ち上がる。

 

 ここは屋上。それなりの高さがあるのだ。なのに、明弘さんは躊躇なく跳び込んで落ちていった……。助からない……どう考えても助かるはずもないのだ……。

 それが分からない明弘さんじゃない……だとしたら、まさか………!

 

 私はぐっと身を乗り出して下を覗いた―――

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ―――――!!」

 

 

 建物の壁に沿って真下を覗いてみると、数階下ったところの壁の窪んだところに手を入れてぶら下がる明弘さんと、その手を握っている蓮花ちゃんの姿が……!

 

 

……た、たすかっ……てた……?

 

 2人の姿を見た瞬間、安心したのか膝の力が抜けてへたり込んでしまいました。助からないだろうと絶望の淵に追いやられていた私を覆すように希望が光さした、そんな気分です。

 よかった……よかった……、と何度も口に出しては、逼迫していた気持ちをゆっくりと緩ませていくのでした。

 

 

「……はっ! い、いけません! 早く明弘さんたちを引き上げないと!」

 

 瞬時に我に返り、2人の様子を確認すると、すぐさま2人がぶら下がる窓のある階に向けて駆け出しました。明弘さんの腕がどのくらいまで保つかは分かりません。それまでに助け出さないと……!

 

 

 いまある力をすべて振り絞って――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 身体に打ち付ける冷たい風が轟音を鳴らす。

 その度にぶら下がる身体が揺れ、腕の負担が大きくなる。次第に、その力も弱まってくるのだ。

 それを身体で実感しながらも、彼はこの手で掴んだ命を手放そうとはしなかった。

 

 

「……して……はな、して………」

 

 腕を掴まれた少女は、か細い声で訴える。だが――、

 

 

「おっと、そいつは聞けねぇ相談だわな」

 

 彼は何事もないかのように彼女の言葉を退けた。

 

 

「どうして……どうして私を助けるの……? 私は、生きたくない……生きていても辛いだけ……。それなら、死んだ方がマシなのに……どうして死なせてくれないの……?」

 

 霞み掛かったような、今にも消えて無くなってしまいそうな声で彼女は言う。

 彼女は十分に絶望を味わった。望んでもいない恥辱・屈辱を受け、尚もその汚名を身に背負い続けている。それどころか、見られてほしくないこの醜い姿をあろうことか親友に晒してしまう。これほどまでの侮辱はありえないだろう。

 

 身も心もズタズタに切り裂かれ、穢された姿を見てほしいと思う人などいるだろうか? いや、いるはずもない。それを本心から臨むなどあるはずもない。

 これまでの彼女の苦難の日々は耐えがたいものであったが、それでも蜘蛛の糸のような生命線が彼女を支えていた。が、彼女のずべてを晒されたその瞬間――途切れた。支えを失った彼女は真っ逆さまに落ちていくように心が死に向かっていた。手招き誘う死神に手を引かれるように、死の晩餐会へ誘われる。

 そこで目にする魅力的な品々。どれも彼女を悦ばせるモノに目に映る。そこで酌まれる死神のワイン。墨汁のようにドス黒い血のワインが彼女の器を満たす。彼女はそれを一気に身体に含み、酔いしれる。

 死の酔いだ。一瞬の快楽に身をヨガらせ、感性を完全に断ち切らせた。もはや、彼女を止めるモノはない。死神の囁きが聞こえる――身を投げ出せ、と。

 更なる快楽を得ようと彼女はその囁きに耳を貸す。もう苦しいのは嫌だ、解放してと叫ぶ今の彼女にとってこの誘いは渡りに船。もはや、止めることなど出来なかった。

 

 

 だから投げだしたのだ。その身(いのち)を――――

 

 

 あぁ、これで解放される――――

 

 確信的な喜びを持っていたこの時の彼女に後悔はなかった。

 

 

 

 

 だが―――、

 

 

 それを赦そうとしない使者――死神をも抹殺してしまうほどの覇気に満ちた男が1人、彼女を引き留めたのだ。

 

 

 

「どうして……か……。ならば聞こう、キミはどうして死にたいんだ?」

「えっ、そ、それは………」

 

 彼女は戸惑った。この状況において咄嗟に出てくるような言葉ではないからだ。

 それでも、彼女はその問いにすぐに答えようと口を開こうとする――――が、出ない。言葉がいき詰まったのだ。すぐに出てくるはずなのに、あらためて考えてみて、何故自分は死のうとしていたのかを見出せなかった。

 

 

「……も、もう……苦しいのは嫌……自由になりたいから………」

 

 咄嗟に、彼女は見繕うかのような言葉で投げ返す。すると彼は―――、

 

 

「そうか……それは辛かっただろうな……」

 

―――と、やさしげな声で応えたのだ。

 同情の言葉――それを受け取ってもこれっぽっちも嬉しくない。荒む心で彼女は言葉を浮かばせた。

 

 

 そんな時だ――――

 

 

 

 

「―――だが、俺は死ぬ方がもっと辛い。死んじまったら、嬉しいことや悲しいことさえも感じられなくなっちまう。そんな寂しいとこにキミを連れていくわけにはいかねぇよ」

 

 彼が口にした言葉が彼女に届く。それを聞いた彼女はやや驚きの表情を見せながらも冷たい眼差しで彼を見つめていた。

 

「わ、私がどうしようと勝手よ……そ、それに……今更寂しいとか言っていられないもの……」

「おや、本当にそうかい? そう言う割には震えてるぞ、キミ――いや、蓮花ちゃん、だったな」

「―――――ッ!!」

 

 明弘のその問いに彼女は震えた。何故なら、彼女は本気で死のうとしていたのに、それを本心ではないと言い放ったからだ。それに、不意に彼女の名前を呼ばれたことも動揺の理由となった。

 

 

「蓮花ちゃん、理由は聞かない。ただ俺は、キミに死んでもらいたくない――いや、生きてもらいたい。俺のためにも……」

「あなたのため……? ま、まさか……あなたも私をいたぶる気なの……? そ、そんな……そんなことのために私は生きたくなんかない……!」

「バカ、違うっての。心傷付いたキミにそんなことをするなんざ、俺の矜持が赦さなねぇ。というか、これは俺の願いって言うか、アイツの願いなんだけどな……」

「アイツ……?」

「あぁ、キミがよく知る親友のことさ。アイツの泣いた姿なんざ見たくないんでな……」

 

 親友――彼女は瞬時に、それが洋子のことなのだと察した。自分のせいで酷い目に合わせてしまった彼女のためだと語る彼に目を丸くさせて見つめるのだった。

 

 

「そ、それだけのため……? あなたは、洋子ちゃんのためにこんな危険なことを……?」

「ん~~~……いや、それだけじゃないんだよね。俺はただ、キミがかわいいからこうして助けているのかもしれない」

「えっ……?! か、かっ、かわいい……!?」

「そうそう、キミを一目見た瞬間から思ってたんだ、なんてかわいらしい子なんだろうってさ」

「そ、それだけ……? 本当にそれだけなの……?」

「なんだ、疑うか? まあ、当然だろうな。あれ程までに酷い目に合いながら、見ず知らずの男からそう言われても信じる方がおかしい。けどな、俺は本心でこう言ってるんだ。隠すことはしないさ、こんなにかわいい子を見殺しにするほど俺は腐っちゃいないさ」

 

 ニカッと微笑む彼の表情。そして言われ続ける愛でる言葉。それを身体で感じると、彼女は無意識に頬を赤らめた。青白な死人に近かったその顔が、乙女の顔に戻ったのだ。

 

 

「ば、バカじゃないの……も、もし、それであなたも死んだらどうするの……? 見ず知らずの私と死ぬなんて……無駄死によ……!」

「ふっ……その時はその時だ。潔く死を受け入れて、キミと一緒にあの世に下るさ。そして、蓮花ちゃんが苦しむことがこの先ずっと無いようにと、閻魔様に直談判してやるさ」

「――――ッ?!」

 

 一瞬の迷いもなく、ただ死を受け入れようとしていた彼に彼女は心の奥底から震撼した。しかも、死んでも尚彼女のために動こうとしていたのだから余計にだった。

 何故ここまでしようと思うのだろう、彼女には彼が分からなかった。自分勝手、利己的な人々に囲まれ続けてきた彼女には考えつかないことだった。それを彼は、彼女のために動いてくれる。初めてだ……彼女にとって、こんなにも自分のためにしてくれる人を見たのは、初めてだった……。

 

 彼の言葉が心に触れた途端、涙が零れ出てきた。

 諦めきっていたはずの彼女の顔に明るい色が戻ってくる。まだ諦めるには早いのだと、掴むその手から熱と共に伝わってくる。それが彼女の凍った感情を解かすきっかけとなるのだった。

 

 

「……ね、ねぇ……も、もし、私が……お願いをしたら聞いてくれる……?」

「むっ、そうだなぁ~……聞いてやるけどよ、その代わり、もう二度とこんな真似をしないって誓うのならな?」

「う、うん……誓う……誓うよ……!」

「よっし、交渉成立だ。そんじゃあ、聞かせてもらえないかな、蓮花ちゃんの願いってヤツをよ」

「あ、あの……あのね……私――――」

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 

 あれからまた数日が経ちました―――

 

 あの夜、私が素早く行動していたこと、2人が窓際近くにぶら下がっていたことが幸いし、2人が落下することはありませんでした。窓を開き、そのまま2人を中に入れることができたので大事に至りませんでした。

 

 

 その後、蓮花ちゃんは精密検査を受けることになりましたが、そこでも以上は見つからずそのまま入院し続けることに。けど、もう昔のような生活は送れない。身体に刻まれた穢れた部分は一生残ることになる。蓮花ちゃんはそれとどう向き合っていこうとするのか、心配でなりませんでした。

 

 

 ですが、私は会えませんでした……

 あれから数日もの間ずっと、私は彼女の病室に訪れていない。

 

 単に足が運ばなかったからじゃなく、正直恐かったのです。彼女を止めることができなかった私が会おうだなんて都合のよすぎるような気がするのです。あれだけ自分に言い聞かせておきながら何もできずにいた。彼女を助けようにも駆け付けることさえもできなかった。

 

 ただ、その場に膝をついて泣き崩れるだけ………

 こんなにも自分が非力であることを嘆かずにはいられたでしょうか……いえ、嘆くよりも苦しみ悶えてしまいたい。誰1人として助けることができない自分が嫌で仕方ありませんでした……。

 

 

 

「ここ……ですね………」

 

 蓮花ちゃんの病室。

 ここに彼女がいる。

 

 わかっています……わかっています………

 震える指先を折り曲げて、ギュッと小さな拳をつくって気持ちを抑える。よし、大丈夫……そう自分に言い聞かせて、ドアノブをゆっくりと捻った。

 

 

 

 

「―――あっ、洋子ちゃん」

「おう、洋子。来るのが遅いぞ」

 

 扉を開けて中に入ってみると、ベッドに腰掛ける蓮花ちゃんとその横のイスに座る明弘さんの姿が。明弘さんがここにいることに一瞬驚きましたが、それより何よりも。2人して嬉しそうな表情を見せていることが衝撃的だったのです。

 

 あんなに嬉しそうな蓮花ちゃんを見たのは、初めてでしたから………

 

 

「明弘さん、どうしてここに?」

「いやぁね、せっかく助けた子が、またとんでもないことを仕出かさないか心配して来たわけ。案の定、そんな様子も見れなかったから安心してるんだけどな」

「フフッ……だから大丈夫ですって。私はもう、あんなことはしませんから……」

「本当かぁ~? なぁ~んか心配になっちまうなぁ~」

 

 クスリと微笑む2人の様子に目を丸めて見つめてしまう。見るに微笑ましく仲睦ましそうな雰囲気に呑まれてしまいそう。

 

 けれど、どうしてもここから先へと踏み入ることができない気がした。決定的に欠けている何かに気が付いてしまうみたいに………

 

 

 

 

「―――洋子?」

「―――ッ! は、はい、なんでしょう?!」

「うぉっ、と! どうしたんだぁ、急にぼぉっとしちゃってよ。具合でも悪いのか?」

「い、いえっ、そんなことはありませんよ。御覧の通り元気あり余ってますから」

 

 心配そうに顔を寄せる明弘さんに私は平気そうな振りをして彼の言葉を退けた。けど、それは見て呉れだけの装い。今の私を見てほしいとは思えなかったから……。

 

 

 

「そんじゃぁ、俺、なんか飲みもん買ってくるからさ。何が飲みたいか言ってくれよ」

「わ、私……グレープジュース……」

「そ、そうですね……それじゃあ、ミルクティーで」

「おっし、任されたよ」

 

 そう言いますと、明弘さんはすぐさま立ち上がって飲み物を買いに外に出て行きました。

 

 

 

「―――不思議な人」

 

 2人っきりになった時、蓮花ちゃんはポツンと囁くように小さく呟いた。

 

「私……男の人からあんなにやさしくしてもらったの初めて。だからなのかな……あの人が毎日ここに来て、お話してくれるのがとても楽しく感じるの……」

「えっ、ま、毎日?」

「うん……いつも決まってこの時間帯に……3回ノックして陽気な声で私の名前を呼んでくるの。だから私も、嬉しくなっちゃって返事をしてあげて中に入れてあげちゃうの。多分ね……私、いまがとっても好きな時間なのかも……」

 

 隠れる前髪の隙間からやんわりとした落ち着きのある表情が浮かび上がっていて、それは声だけを聞いてもわかるものだった。こんなにも嬉しそうに、そんな彼女の姿を見て、ホッと落ち着きを抱くのでした。

 

 

 チクッ――――

 

 

 

「ねぇ、洋子ちゃん……」

「はい、なんでしょう?」

「私ね……あの人を、明弘さんのことを見ていると嬉しくなるの。どうしようもないくらい嬉しくって、胸が激しく波打つの。どうしてなんだろう……?」

 

 

 チクッ――――

 

 

「……ぁ……あぁ、そ、それは多分……蓮花ちゃんが明弘さんのことが、好き、なんじゃないんですか……?」

 

 

 

 チクッ――――

 

 

「あっ、そう、なんだ……。私、あの人のことが好きなんだ……」

 

 恥ずかしげに頬を赤らめていく様子は、満更とは言えないような姿も垣間見えてしまう。それが彼女の幸せというのであれば、私にとっても嬉しいことです………

 

 

 

 チクッ――――

 

 

 痛い……ですね………

 

 胸に……何か刺さったんでしょうかねぇ………

 

 

 

……変、ですよ……ね……?

 

 

 

 

 

 

―――胸に刺される針のようなモノから、赤黒い液体が零れ出てくるような、そんな気がした――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

...Hope is there for...?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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