永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「それじゃあ2つ目の議題、先週日曜日、石山さんが正会員になった日でもあるのですが、日本でまた1人、TS病で倒れた人が出ました」
永原先生の定例発表、TS病で倒れる人は日本人に多いとは言え珍しい。年に1人から2人のペースだという。
おそらく、それで今回の会合が開かれたのだと思う。そういう意味では、ここからが本題と言っていいかもしれない。
「担当カウンセラーとして管轄支部長の余呉さんを充てました。余呉さん、進展はどうですか?」
「はい、芳しくありません。カリキュラム受けるということさえ嫌がっているようでして。女らしくするなんて無理と口走っております」
正会員たちを含め周囲は「またか……」という顔をしている。
どこからか「これはもうダメかもわからんね」「どーんといこうや」「はいじゃないが」と言う会話が聞こえてくる。何のことだろう?
確かにこの病気だと自殺の道に進むパターンのほうが多い。
「それで、口調言動とかはどうですか?」
永原先生が聞く。
「……全く駄目です。昨日も来てみたんですが、服装は男時代のぶかぶかなパジャマに一人称も『俺』のままで……このままでは余命は1年半でしょう」
「い、いちねんはん……」
あたしが思わず声を上げる。何もしなければ半永久的に生きられるはずの病気に似つかわしくない余呉さんの宣告。
「ええ、これは過去の『統計』からの推測よ」
比良さんがあたしに説明してくれる。
「そうですねえ、特に一人称俺のままというのは……女の子の声に似つかわしくないので成績不良な人でも反射的に使うのをやめることが多いのですが」
そういえばあたしも今でこそ一人称あたしだけど、最初は俺を使ってたっけ?
口で言うと最初の最初から詰まっちゃった記憶があるけどこの患者は1週間経っても俺をそのまま使っているのか。
あたしは1週間と言えばカリキュラムを終えた頃で、少なくとも俺を使うことはなくなった記憶がある。
「余呉さん、マニュアルは守りましたか?」
「ええ、カリキュラムを受けるのが最善だとも言いましたし、男っぽく振る舞ったままでは将来必ず悲惨な目に遭うとも告げました。ですが、聞く耳を持ってくれません」
「そうですか……今回もダメそうですね……」
永原先生が半ば諦めたように言う。
「おそらく強制的にカリキュラムを受けさせても駄目でしょう。それどころか、既に『男として』というようなことも口走ってます。間違いなく性同一性障害に陥ったものかと」
余呉さんが淡々と報告する。既にあきらめモードに入った感じだ。
「はぁ……今回もなかなかうまく行きませんねえ……」
永原先生がため息混じりに言う。
「その……どうしてうまくいかないんでしょう?」
あたしが質問する。
「突然女の子にされたら大抵は対応するのが難しいですよ」
「そうねえ、今回の患者は大学でサッカーをしていたみたいですから」
そのことを言った途端、「あー」と言う声が随所で聞こえる。
どうもそういう人は特に成績不良になりやすいのだろうか?
「石山さん、女の子になって一番戸惑ったのって何?」
永原先生が問う。
「えっと……体が弱くなったこと?」
「うん、究極的にはそうだよね」
「今回の患者さんはサッカーが大好きだったのよ。女子サッカーもあるにはあるけど、男子の時みたいにプレーできないのがとても不満なのよ」
「もし、性別適合手術に踏み切ったら、いよいよカウントダウンよ」
余呉さんが言う。
「そうだね、一応全力で止めてみて? 駄目ならしょうがないけど」
「……はい。一応やってみます」
このままじゃ、この人は見捨てられて死んじゃう!
まるでいつものことのように永原先生たちは事務処理のように対応している。
あたしにとっては、年上だけど、TS病患者としては、おそらくはじめての後輩……そうだわ!
「あ、あの!」
「ん? 石山さんどうしたの?」
「カウンセラーって変わることあるんですか?」
「ええ、正会員なら誰を充ててもいいことになっているわ」
「じゃ、じゃああたしが、あたしが担当を代わってみます!」
勇気を出して言う。あたしがみんなの模範なら、何か他の人にできないことができるかもしれない!
「え!?」
余呉さんはかなり驚いている。
いや、あたしの申し出に、会合全体で明らかに動揺している。
「い、石山さん……確かに規則上では、石山さんがカウンセラーを担当することはできますが……」
「といっても高校生だよね?」
余呉さんが言う。
「はい。ですが、このままでは、その人は確実に自殺で死んじゃうと思うんです。それなら、年齢の近いあたしが、説得してみます」
「どうします? 永原会長」
比良さんが言う。
「うーん、私としては、『会の規則では石山さんにも資格があるから問題ない』としか言えないわ」
「じゃあ、投票にかけますか?」
「そうね……それがいいと思います」
比良さんの提案に同意した永原先生は、棚の奥から青の札を取り出す。
「えっと、今日は正会員と普通会員だけかな?」
「あ、はい。今日は維持会員、家族会員、一般会員の人はいません」
「じゃあ10の束と3の束だけでいいわね」
永原先生がいくつかの束になった札を出す。
まず永原先生からあたしまで、10個1束の正会員のものと思われる札束を11束配る。
改めて、あたしは自らの重責を自覚させられる。
そして、数多くの3個1束の札を配っていく。
「今日出席している普通会員は、41人だね」
つまり普通会員が123票、正会員が110票で合計233票になる。
続いて、永原先生は○と×の張り紙をした2個の段ボール箱を取り出してきた。
「じゃあ、このカーテンの中に入れるから一人一人でお願いね。じゃあ普通会員の人からどうぞ」
永原先生がそう言うと、11人の正会員を除く全員が席を立ち、カーテンの前に並び始める。
「石山さん、思い切ったわね」
永原先生が話しかける。
「えへへ、少し経験積みたいかなって」
「うん、でもいきなりカウンセラーを申し出てくるなんて思わなかったよ」
「他に仕事はあるんですか?」
「うん、正会員の人だと講演会に出たりとか、ごくまれにテレビやマスコミの取材を受けることもあるわよ」
「って、そっちのほうが重荷のような……」
あたしが思わず突っ込む。
「あはは、そうかもね。後は他の患者と交流してもらって、調整役になってもらうこともあるわよ」
ふむふむ。
「石山さんにもいずれ会長副会長以外のポストに就いてもらう予定だから覚悟しといてね」
「う、うん……例えば?」
「地方支部長とかね。10年くらい先の話だけど」
「う、うん……」
正直17歳でまだ女の子歴半年のあたしにとって、10年後と言われてもまるで実感がわかない。
そういう意味では、あたしにとって、10年後も100年後もまだ大差ないことかもしれない。
「でも、石山さんが女の子になってから、まだ半年しか経ってないのよね」
「うん、5月のゴールデンウイーク終わったばかりの時だったもんね」
「なんだろう、石山さんがまるで昔からの同志に見えるわね」
永原先生がしみじみ言う。
500年も生きてきた永原先生にとって、半年が長く感じるのは大きな意味を持つ。
50年60年生きてきた人が「10年なんてあっという間」と言う人はいる、それを考えれば、永原先生は「100年なんてあっという間」と言ってもおかしくない人間ということになる。
「最近、時間の流れが今までにも増して遅く感じるのよ。多分、石山さんのおかげだと思うの。以前から、私の教師生活の中で教え子が同じ病気になったの初めてって言ったでしょ?」
「う、うん……」
確かにそんなことを言っていた。
「実は私の他にも教師を仕事にしているTS病の人はいるんだけど、元教え子は分からないけど少なくとも現在進行形での教え子がこの病気になった前例は石山さん以外にいないわ」
「やっぱり?」
確率的にはそうだろう。
「以前先生をやってる人で集まってアンケートを取ったことがあるのよ。もし教え子にTS病患者が出たらどうしますかって」
「うん、それで?」
「みんな、『普通の女性のふりをするかもしれない』って言ってたわね」
「無理もない……のかな?」
投票が続く中、あたしは永原先生と話し込む。
「実はね、私もそう思ってたわ。でも、現実に遭遇してみたら、真逆の結果だったわね」
「永原先生、救急車に乗り込んでいたよね?」
「ええ、私はその時別のクラスで授業していたわ。しばらくして、別の先生から連絡が入ったわ『石山さんが倒れた』ってね」
「うん」
「私は症状を聞いたわ。そしたら『何の前触れもなく、急に腹痛を訴えて倒れて、そのまま血を吐いて数秒動いたらそのまま倒れて微動だにしなくなった』って」
「……はい」
「私はすぐにTS病だって気付いたわ。そしてすぐに自習の旨を生徒に告げて教室を飛び出したわ。あの時は……無我夢中だったわ。会長としての責務が、教師としての責務に勝ったのよ。そして、石山さんに即時入院と一人個室を病院に要望したわ」
「それからはあたしが女の子に成りきるまで誰もいなかったの?」
「あ、私がいたよ。えーっと確か……手紙を書いていたわね」
手紙? んーあったようななかったような……まあいっか。
「さ、そろそろ正会員の番になるわよ」
「う、うん……」
あたしは列の最後尾に並ぶ。
一人、また一人と投票を終えていく。束が大きい人も投票していく。
永原先生がカーテンの中に入る。
そしてすぐに永原先生が出て来る。最後の最後があたし。
中に入ると○と×の紙の箱がある。
あたしはよく確認してから○の方に入れてから出る。
「はーい、全員が投票し終わったね? じゃあ締め切るわよ」
永原先生がまず×の箱を持ってひっくり返す。
大きな束は3個、小さな束も幾つかあるけど明らかに少ない。
「あら、これは決定かしら?」
永原先生が言う。
「念のため、○の方も開けてみましょう。棄権している人もいるかもしれませんから」
比良さんが言う。まあそんなことするまでもないと思うけど。
「うんそうだね……ってうわっ、重い……!」
永原先生が少しだけよろけながら箱をひっくり返す。
出てきたのは大量の投票札。正会員の大きな10個の束も明らかに×に入っていた3個より多い。
「……これはもう数えるまでもないよね。余呉さんが担当していた子のカウンセラーを、石山さんに引き継ぐ議決について、賛成多数で可決とします」
「分かりました。石山さん、あなたの初仕事になると思いますが、よろしくお願いします。後で私のところに来てください。資料をお渡しします」
余呉さんが言う。
「ありがとうございます」
余呉さんも、肩の荷が下りたような顔をする。やっぱり、敗戦処理はやりたくないものなのだろう。
「それじゃあ、今日の会合はこれを持って解散します。各自自由に2次会等を開いてください。以上!」
永原先生がそう言うと、各自挨拶をしながら解散する。
あたしは余呉さんの元へと寄る。
「あ、石山さん、ちょっと待ってて……はい、これが資料」
余呉さんが資料を渡してくる。
氏名は「
居住地はかなりここから遠いけど新幹線を使えれば日帰りで行けないことはない場所。
「でも新幹線代どうしよう……?」
「あ、出張費出すわよ」
思わず声に出してしまったら、永原先生がすかさずフォローしてくれる。
それなら安心だ。
「早速で悪いけど、明日空いてるかな?」
余呉さんが言う。かなり急な話だ。
「ええ、特に予定はないけど」
「じゃあ一刻も早く、この人の元に行ってあげて。今この瞬間にも、状況は悪化しているわ」
やはり、よほど事態は逼迫しているようね。
「……分かりました」
次のページに状況が書いてある。そこには「極めて成績不良」「挽回の可能性はほぼ絶望的」とあった。
会合であったように、ロングでもスカートを穿こうとしないとか下着さえ男物を身に着けたままと書いてある。
両親の対応も悪く、「自主性に任せたい」と言って余呉さんの指示した適切な処置を取っていないっかあ……
「うーん、親の問題もあると思うなあ」
あたしはそう分析する。
「……それがあるんですか?」
余呉さんが言う。
「男物の服を捨てるのはカリキュラムにあるからダメですけど、どこかに隠すことは出来ると思うんですよ。そうやって女物にせざるを得ない状況を作り出すんです。もし一回女物の下着を穿かせれば、もう戻れないと思うんです」
これは意外に重要なことだと思う。
考えてみると、あたしが女の子に抵抗をなくした最初のきっかけでもあると思う。そのフィット感に感心して、あたしは最初のプライドを捨てられたと思うから。
「うーん、ですが親御さんのことまで考えるのは……」
「ですが、子供に先立たれるよりマシでしょう」
あたしが言う。
「石山さんのように計算高く割り切れる人ばかりじゃないわ。私たちはほら、人生永いからそういうのも出来るけどさ」
うーんそういうことよね。
「ともあれ、書類は長いから、残りは家でゆっくり見てね。石山さんも、そろそろ帰っていいわよ。一人で作戦を練ることも今後のために必要よ」
「……はい。じゃあ、お先に失礼します」
「うん、お疲れ様でした」
あたしは何人かの会員とともに、エレベーターを待つ。
やはりあたしの噂が聞こえてくるが、一部では今夜の食事とか、最近のアイドルとか、別の会員の恋バナらしき会話も聞こえてきた。
あたしはビルの1階に降り、他の知らない会員さんと挨拶をした後、地下鉄の駅へ進む。
もちろん、何人かは会話こそ無いが、会合に参加した女の子。
それも、駅が過ぎ、乗り換える頃には、誰も見えなくなっていた。
「ただいまー」
「あら優子、おかえりなさい。どうだった?」
「うん早速明日仕事だよ」
「へえーどうしてまた?」
「新しくTS病になった人のカウンセラーになったのよ」
「ええ!? いきなり大抜擢じゃない、どうしたの?」
母さんがやっぱり驚いている。
「母さんたちと入会手続した日に新しくTS病になった人が出たじゃない? どうもその人、男に戻りたいと思い始めてるみたいで」
「あら、それはまずいわね」
「うん、前のカウンセラーさんは永原先生についで2番目に年上の人なんだけど、もうあきらめモードで。あたしが引き受けることになったわ」
「……ある意味敗戦処理よね」
母さんが言う。
「うん、悪く言えば。ね。じゃあたし、部屋で休むから」
「はーい、疲れたでしょ? 今日はご飯手伝わなくていいわよ」
「ありがとう……」
あたしは自室に戻り、浩介くんにメールをする。
内容はもちろん今日の会合のこと。
浩介くんはカウンセラーになったことを伝える。
やっぱり驚いている。
状況を考えれば、殆ど最後のあがきとしての大博打ということに近い。それでも「大仕事」だという。
うまく行けば、一人の命を救うことになるかもしれないからと言っていた。
浩介くんは、一緒についていきたいと言ってきた。
これについてはあたしの一存では決められないから、浩介くんの方で永原先生に相談するようにメールを送る。
夕食と風呂が終わった後、「浩介くんが維持会員として入会する」という条件の元、同行を許された。
まあ、どっちでもいい。
ともあれ、あたしは明日、人に教える立場になるのだ。例え敗戦処理としての起用だとしても気を引き締めないと。