永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「ふー休んだ休んだ」
幸子さんが腕を上に伸ばしてストレッチする。
「じゃあ今度こそ、温泉行こうよ」
「う、うん……」
「緊張してる? 実はね、あたしもなんだ」
素直に伝えることで、緊張も和らぐはずだ。
「え!? どうして?」
「実はね、あたしも学校の林間学校ではクラスの人ともお風呂に入ったけど、こういう知らない人が居る公共の場では初めてなのよ」
「え!? そうだったの?」
「なにせまだ半年だからね。こんな風にすっかり女の子でも未経験のことも多いのよ」
だからこそ、あたしにも改善の余地もあると言えるんだけど。
「そうなんだ……」
「あたしだって初めてのことは緊張するわよ。さっきの女子更衣室だって、女の子になったばかりの時は緊張したわよ」
「うーん……」
それでもまだ、躊躇しているという。とは言え温泉施設で温泉に入らないわけに行かない。
「さ、行きますよ」
あたしがさっきと同じように幸子さんの腕を引っ張ると、幸子さんも観念したようについてくる。
うん、抵抗しないだけでも大きな進歩よ。
一方で、「男の湯」の所には多くの男性が入っている。それを幸子さんが名残惜しそうに見つめている。
「……幸子さん、あなたはもう、あそこに入ることはないわよ」
「う、うん……」
女性が男湯をじっと見ているのは、中々に変な風景だ。ともあれ、万が一不審者と間違われないように、幸子さんをすぐに女湯の中に入れることにする。
あたしたちはスリッパを脱ぎ、脱衣所へと入った。
もちろん、裸の女性もたくさん歩いている。タオルで隠している人もいれば、堂々としている女性もいる。
「さ、温泉入ろうか!」
幸子さんの緊張を少しでもほぐすために、あたしがなるべく明るく言う。
「う、うん……」
隣り合った適当な場所のロッカーを見つけ、あたしが鞄を入れて、タオルを出す。
「はいこれ。これを使って、うまく隠しなさい」
「は、はい……」
幸子さんはぎこちないながらも、タオルを取ってくれる。
あたしは自分のことに注意を向け、館内着の浴衣を緩めて重力に任せて床にすとんと落としてから、拾い上げてロッカーの中へ入れる。
そして襦袢を脱ぎ、胸の晒しを取ってぼよんと胸がはじけると、ノーパンノーブラだからもう全裸になれた。洋服より断然脱ぎやすい。
タオルを持ってうまく前を隠し、ロッカーの鍵を腕に巻き付ける。
幸子さんの方を見ると、挙動不審ながらも少しずつ脱いでいる。
しかし、幸子さんもノーパンノーブラだからか中々襦袢を脱ぐ決心がつかない様子。
「あ、あんまり見んなよ!!!」
幸子さんが顔を赤くして言う。うーん、やっぱりあたしと違って「男」が強く残っている。
「あら、女の子同士でしょ? それに、あたしがもっといい脱ぎ方をアドバイスできるかもしれないのに」
「うー」
「どうしたのかなあの二人?」
「なんか様子おかしいよね」
「もしかして片方ガチなんじゃない?」
「えーうっそーあり得ないでしょ」
「でもさ、ああやってじろじろ見てるってやっぱりさ」
「あり得るのかなあ……」
「近づかないようにしようよ。まあ、多分違うんだろうけど念のためにさ」
「う、うん……」
「美人でスタイル抜群なのにもったいないわよねえ……」
ってまずいまずい。あんまりじろじろ見すぎて彼氏持ちなのに誤解を与えちゃってるよ。
会話に気を取られている間に、幸子さんが既にすっぽんぽんになっていた。
「じゃあ行こうか」
「う、うん……」
幸子さんは、やはり緊張がほぐれないようで、足がちょっと震えていて、体制もかなりの猫背になってしまっている。
「大丈夫よ、いったん入っちゃえばどうってこと無いわよ」
あたしがそう言って脱衣所の扉を開き、お風呂場の中に向かう。
よかった、ぎこちないけど幸子さんもついてくる。
まずはかけ湯で体を流す。
今日は協会本部から始まって、漫画喫茶、乙女ロード、そしてこの温泉施設と、結構遊び倒している。
いくら冬間近とは言え、汗だって流れているはずだ。
「どうしたの? 幸子さんも流しなよ」
もう一つ桶があるのに、ぼーっとしている幸子さんを見て、あたしは催促する。
「う、うん……」
あたしの言葉を聞いて、幸子さんも初めて体を流し始めた。
どうも緊張がほぐれないのか、自ら進んで行動しようとしていない。これではダメね。
「幸子さん、基本的に入浴マナーは男女で変わらないわよ。強いて言えば髪が長い人は湯船につかないように気を付けるくらいかな?」
「……うん」
「さあ、幸子さんと違って、あたしはこの長い髪の手入れに時間がかかるから、体を流し終わったら自由時間にするわよ。もちろん、すぐ風呂場から出たら絶対ダメよ。十分に湯船を楽しむこと。いいね?」
「……は、はい」
こんな会話をしている間にも、大浴場の女湯には老若問わず裸の女性が何人も視界に入ってくる。
やっぱり同性でもつい見てしまう。
それは他の女性でも同じ。特にあたしは胸がとても大きいために、主に胸の小さい女性の方々からすさまじい殺意にも似た視線を感じている。それを感じる度に、女の子としての自信がが深まると同時に、肩こりの悩みを知らしめてやりたいと思ってしまう。
あたしは、幸子さんと別の方向に進み、体を洗う。
幸子さんは、観念して違う場所で、一人で体を洗っている。
体を洗い、髪を洗い、顔を洗う。そして髪が湯船に入らないように、髪を縛り上げる。
最近母さんに「お団子ヘアー」の縛り方を学んだので、最近はそれにしている。
ストレートなロングヘアー程じゃないけど、童顔のあたしにはとっても似合っている髪型だと思いたい。
シャンプーとリンスは、いつもと違う温泉施設のもの。どう出るか楽しみだわ。
一通り洗い終わったらタオルの泡をよく洗い流して、あたしは風呂場へと行く。
ここは一応旅館としての機能もあるが、メインは日帰り温泉というだけあって、林間学校の温泉よりもずっと広い。
あのホテルは最上階と最下階にそれぞれ浴場があったが、ここはその二つを合わせた面積よりも明らかに広い。
中はそれなりの人がいるけど、面積が広いため意外に空いて見える。
数多くある湯船のうち、あたしはまず「月替わり薬の湯」と称する薄茶色の怪しい温泉に入るため、足を湯船に入れていく。
「んー! あちち……」
やっぱり足元は冷えるから慎重に入らないと。
中に既に入っている女性はあたしのこと気にも留めてないし。
ゆっくりゆっくり……よし!
壁の説明文を読みながら湯につかる。
なんかよく分からないけど、どうやらこの温泉は漢方薬のお湯らしい。
って、それって温泉っていうのかな?
少なくとも天然温泉ではないよね……
まあいっか、こんなに沢山あるんだし。
それにしてもこの漢方、肩こりに効いてくれるといいけど。
しばらくすると、体も温まったのでのぼせないうちの出る。
タオルは湯船につけられないから、この湯船から出る瞬間はどうしてもまるごと見えてしまう。幸子さん、大丈夫だといいけど。
あたしは次に近くの炭酸風呂に入る。
しゅわしゅわと程よい泡立ち。
炭酸風呂に入っていると、前を隠した幸子さんとすれ違う。入ったばかりと違い、大分落ち着いている。
まだぎこちないけど、気にはならない程度。少なくとも不審者のような感じではない。
考えてみればあたしも、女の子になったばかりの女子更衣室も、林間学校の女湯も、緊張してたのは入る直前から入った直後くらいだしそういうものなのかもしれない。
だから、その壁を越えれば、案外大したことない課題なのかも。
炭酸風呂の後は、某名湯を幾つか掛け合わせたと称する「スペシャルブレンド温泉」や、常に泡が立っている「泡立ちの湯」、お馴染みの「ヒノキの湯」や肩こりに効く「打たせ湯」や「ジェット風呂」、更に単なる「ぬるま湯」なんて言うのにも浸かった。
さすがに「巨大温泉施設」と称するだけあって、バリエーションはとっても豊富だ。
幸子さんの姿も見えないけど、このボリュームにさっきの様子なら、勝手に一人で出るということはなさそうだ。
一方で、あたしは一番奥の「天然温泉」を目指す。
ここが一番大きな湯船で、それなりの人で賑わっている。
温泉は濃い茶色で、地下数千メートルから組み上げているらしい。
「あ、石山さん……!」
よく見ると声をかけてきたのは幸子さんだった。
さっきよりもはるかに落ち着いた表情だけど、まだ緊張の色が抜けていない。
「あら、幸子さん。どう? 女湯にも大分慣れたでしょ?」
「うん、でももう一度入るときには緊張しそう」
「あはは。ま、少しずつ回数増やすしかないでしょ?」
あたしが優しく言う。
「う、うん……」
「幸子さん、いい湯だよね」
今は女湯のことではなく、温泉そのものの話をしてあげる。
意識させすぎると良くない。
「う、うん……」
「一通り温まったら露天風呂行こうか」
お台場の海がきれいとか何とか。
「うん、そうする」
あたしと幸子さんはタイミングを見計らって湯船を出て、露天風呂を目指す。
「このドアだね」
「うん、開けるわよ」
あたしがドアを開けると、一気に寒気がなだれ込む。
「きゃー寒い!」
あたしが思わず声を上げるが、幸子さんは平気らしい。さすが北の出身。
あたしは外気温と海風の寒さで震えながら、幸子さんは冷静に露天風呂に入る。
この時だけ、ちょっとした立場逆転を味わう。
お風呂に入って温まり、冷静になってみると目の前に広がる東京湾が美しく、しかも右の方には夕日が落ちる。
「きれい……」
幸子さんが感慨にふけっている。
やっぱり連れてきてよかった。幸子さん、自分で気づいているかはわからないけど、少しずつ、女の子を身に着けてくれている。
いつかまた、女の子として生きる喜びを味わってほしい。
特にTS病は、若く、きれいなままで生きていけるのだから。
「夕日、眩しいね」
「うん、今日ももうすぐ終わるんだなって」
幸子さんが名残惜しそうに言う。
「そうだね。でも帰りの新幹線はまだあるでしょ?」
「う、うん……」
「夕食がまだ残っているわよ。それにまだまだここで遊べるわよ」
あたしが言う。まだ遊びは残っている。
「ふう……」
あたしは肩を自分で揉む。
ちょっと遊び疲れて肩もこっている。
「石山さん、肩こりなの?」
「あ、うん。かなりのね」
あたしがそう言うと、幸子さんが後ろに回り込んでくれる。
「あーそこ、気持ちいい……!」
夕日を眺める絶景の温泉につかりながらの肩マッサージは至福の一言。
文字通り、極楽浄土の気分。
「石山さん、肩こりすごい」
「あはは、やっぱりどうしてもこう大きいと、ね」
TS病の子はみんな多かれ少なかれ胸があるけど、あたしの大きさは文字通り「規格外」、探せばもっと大きい人もいるだろうし、実際いるんだけど。
「やっぱりそう、お……あ、あたしも他人事ではないかも」
幸子さんも、男時代には無かった胸のふくらみが結構ある。
今なってなくても、今後肩こりになる事だってあるだろう。あたしだって女の子になったばかりはこってなかったし。
「さ、そろそろ出る?」
「うん、そうしようか」
あたしたちは湯船から出て大浴場に戻るまでに冷えた体をもう一度温めなおしてから体を拭いて脱衣所へ戻る。
ロッカーの番号を確認し、鍵を開けてバスタオルを取り出しもう一度体をよく拭く。
そして、襦袢を取り出す。
幸子さんが少し動揺していたが、「浴衣だからパンツブラジャーはないでしょ」と言って思い出させてあげる。
……おっと、あたしはあたしで晒し巻かないと。
晒しの分の作業工程が一回多いので、あたしの方が着替えに時間がかかり、さっきとは逆に幸子さんをまたせた。
「もう一回休む?」
「うん……わっ、私も……ちょっとのぼせちゃったよ」
そしてあたしたちは今度は「和室」の休憩所で休むことにした。
時間帯も時間帯なのか、さっきよりもかなり混んできた。
「温泉、よかったね」
「うん!」
「さて幸子さん、女湯に入っちゃったし、これでもう完全に男には戻れないわね」
あたしが、幸子さんはもう戻れないことを言う。今日はその前にも漫画喫茶で男子禁制に足を踏み入れている。
1日に2度も男子禁制に入り込んでおいて、もはや「俺は男だ」の言い訳は通用しない。
「ああうん、そうだね。そのことで、石山さんに話があるんだ」
「ん?」
幸子さんがすぅーっと深呼吸をする。そしてこっちに向き直る。
「わたし、カリキュラム受けたい。それで、女の子として生きて行きたい!」
幸子さんから出たのは、あたしが一番彼女に言って欲しかった言葉。
「幸子さん、うん。あたし、その言葉をずっと待ってたわ。ようこそ、女の子の世界へ」
あたしも、嬉しさに満ちた表情で、幸子さんを迎えるように言う。
「うん」
「でもその前に聞いてもいいかな? どうして幸子さんはそう決意したの? 今日会った時はまだぶっきらぼうだったのに」
一応想定はしていたが、今日決断する確率的には低いと考えていた。
「お風呂でずっと考えてた。自分が今何者なのかって。普通男が女湯に入ったら、女性の叫び声と共に警察に捕まるはず。なのに、自分が裸になっていても、女湯の女性たちは何も違和感を感じていなかった」
「うん、うん……」
普通ならここで「当たり前でしょ女の子なんだから」と言うべきところだが、今回は我慢する。素直に、幸子さんが言いたいだけ言わせてあげるべき場面。
「改めて、自分の体を見て、周囲の反応を見て、女の子なんだって思った。そう思ったら、通りすがりの人に『石山さんよりも服装のセンスがない』って言われたのが急に悔しくなった。自分だって、その気になればもっとかわいくなれるんじゃないかって」
「悔しくなった」、その言葉を聞いて、「ああ、この子にももう、女の子としての人格が芽生えたんだ」とあたしは確信した。
「うんうん、それで?」
「どうせもう、男には戻れないなら、せっかく生まれ変わったんなら、石山さんみたいに、輝く女性になりたいから!」
幸子さんが真剣な真顔で言う。
これは、嘘偽りのない、信用してもいいという顔。
「うん、幸子さん、その気持ち。絶対に失わないでね」
「もう戻れないからしょうがない」、あたしと比べると後ろ向きな内容の決意だけど、それでも大きな一歩。
うん、招待してよかったわ。
「分かってる。生理が来た時も、今の気持ちで乗り越えていきたい」
「うん、是非頑張ってね」
幸子さんは、もう次の関門についても考えている。とてもいい兆候。永原先生が聞いたらとても喜びそうだわ。
「うん、頑張る」
幸子さんの固い決意をもう一度確認し、あたしは安心してもいいと思った。
そしてもう一つ、あたしから幸子さんに送りたい言葉がある。
「多分これから、幸子さんの永い人生において、何度も男女の違いで困難は来ると思う。でも、今の心を忘れなければ、きっと最後に、あなたは救われるわ」
いつぞや、あたしの心に残っていた永原先生の言葉を思い出し、投げかける。
「……はい」
「いい? カリキュラムは、決して途中で投げ出しちゃダメよ。あたしはカウンセラーだけど、あなたの心の底までは分からないわ。だから、あなたを信じるしか無いのよ」
「必ず、やり遂げます」
あたしも半ば脅すように、退路を断たせる感じだったけど、仕方ない。
正しい道は一つ、それのみが長く果てしない、しかし安定した平和な道へと続く。
そして、間違えた道は全てが死への入り口。
正しい道は険しく見え、間違えた道は平穏に見える。
そう、だからあたしたちは、正しい道を選ぶことの出来たあたしたちは、新しくこの別れ道に迷い込んだ人に、正しい道を教えなければいけないのだ。
「ええ。成功を祈っているわ。ところで幸子さんは大学にも行っているんだっけ?」
「あ、ああ……」
「じゃあ少しカリキュラムの日数が増えるわね。あたしの場合はカリキュラム中は学校を休んでいたけど……そうよねえ、いつまでも休んでいるわけにも行かないもんね」
高校ならともかく、大学なら自由度も高いし確かに通いながらというのも可能かもしれない。
「うん、単位の出席点とかもあるから、留年しないためにも、休む訳には行かないんだ」
確かにその通り。
あたしの場合は永原先生が融通してくれたけど。
「大学の友人とかはどうなの?」
「ああうん、やっぱりみんな困惑しているよ。男として扱うべきなのか女として扱うべきなのか、自分自身も含めてみんな決め兼ねている」
幸子さんは冷静に話す。
「そう……とにかく、大学に行ってからみんなの前で今の決意を話すといいわよ。もちろんあなたのお母さんとお父さんと……それから徹さんにもね」
「……言われなくてもそうするつもり」
「そう、それはよかった」
あたしたちは、しばしの休息をもって、食事とすることにする。