永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「分かりました……では、次に永原さん自身について教えていただけるでしょうか?」
「……はい」
「まずはその……永原さんの生い立ちについて教えてもらえますか?」
「ええ、分かりました」
永原先生は何やら思慮をしている。
どこまで話すべきか、迷っているのだろうか?
少しの沈黙の後、永原先生が口を開き始めた。
「……大方、私が江戸時代より前の生まれということは知っていると思われますが、どこに仕えていたか、知っていますか?」
「えっと、巷では武田家とか織田家とかあるいは山賊だったとか言われていますが……」
「……なるほど、そこまでですか。私が仕えていたのは『真田家』……それも武田家に属するよりも更に以前です」
「それって、一体何年前なんですか?」
「私が生まれたのは今からちょうど500年前です。これについてはインターネット上でもようやく事実が落ち着いたので知っていらっしゃる方もいらっしゃると思いますが」
「一体いつ頃TS病になったのですか?」
「20歳の時に畑仕事中にです。隣の村に逃げて、数年ほどそこで過ごしました……その後はもう一度真田の村に戻ったのですが、私がいない間に合戦があって、主君が変わってしまい失意の日々でした」
「その後、真田の村にはいつ頃までいたんですか?」
「天正10年までですから……1582年ですから……数えで65歳の時までですね」
永原先生は随分と慎重になっている。
「当時の65歳というと、長寿の部類だと思うんですが村の人には怪しまれなかったんですか?」
「もちろん怪しまれましたわ。天正10年というのはいわゆる明智日向守殿の謀反……本能寺の変が起きたときですして、それをきっかけに天下が再び乱れたのを利用して、私は諸国を放浪していたんです」
「放浪中は何かありましたか?」
「ええ、太閤殿下がすぐに天下を統一したのもあってそこまで波乱ではなかったんですが……そうですねえ、関ヶ原の戦いを見物したくらいですか?」
「それはまた、すごいことだと思いますが」
「当時は戦の見物というのはよくありまして、兵士よりもむしろ見物人のほうが多かったくらいなんですよ」
永原先生が、自慢気に言う。
この前、当時の絵画にも見物人の様子が描かれていることを聞いたし。
「……いつ頃まで、諸国を放浪されていたんですか?」
「大坂夏の陣が終わってから、江戸に住み始めましたのでその頃までです。ですが、1650年代になると、江戸も人口がどんどん増えて……私の不老が噂になりました……もう一回逃亡を考えていたんですが、噂は征夷大将軍の耳に入ったらしくて、江戸幕府が出来て50年目の……1653年です。その時に4代将軍の命で江戸城へ来るように命じられました」
「4代目の将軍というと、徳川家綱ですか?」
永原先生が、一瞬びくっとする。
「え……ええ。確かにそのような諱と聞いております」
そう言えば、永原先生はいつも4代様といった感じで呼んでいたけど、3代目の家光と5代目の綱吉は知ってたけど、家綱のことは全然知らなかったわね。
折角だし今後覚えておこうかな? 佐和山大学に行って日本史が必要になるとは到底思えないけど。
「それで、どうなったんですか?」
「えっとですね……少し話したくないこともあるんですが、かいつまんでご説明しますとですね……当時はまだ、私の主君の孫君で、主君の晩年の姿を知っていらした松代藩主の真田伊豆守……一昨年の真田丸の主人公の兄君がまだ生きていらしたんです」
さて、この後どこまで話すかな?
「その時に、私は何とか120年近く行方不明だった刀根之助と同一人物だと示せました。当時は特に今とは比較にならないくらい年長者を重んじる社会ですから、当時既に130歳を超えていた私は殺されずに済んだばかりか、4代様から江戸城へ常駐するように命じられました……本当は、真田家に再仕官したかったんですが、遂にそれが許されることがなかったです」
随分と、オブラートに包んだわね。
とは言え、仕方ないことかな?
「それで、江戸城にはいつごろまでいらしたんですか?」
「戊辰戦争までです。最後の征夷大将軍が江戸城無血開城を決められたときに……厳重に管理されていた私に関する記録をすべて持ち出した上で、また諸国を流浪しました」
「それはいつごろまで続いたんですか?」
「今から136年前までですから……15年程です。その時に、今の職業の教師を始めました」
「じゃあ、教え子は……」
「そうねえ、もう死んだ人のほうが多いんじゃないかしら?」
「……教師を始めたきっかけは何だったんですか?」
「当時は明治維新真っ只中で、鉄道が全国に張り巡らせる。という噂が流れました」
「鉄道が人生を変えたんですか?」
「鉄道ができる前は東京から京都まで徒歩で2週間程掛かっていたんですが、完成すれば2日程で行けるという事で……今では3時間とかかりませんけど、当時の価値観では2日とは異例のことですから、私は今後は逃亡は難しいと判断して、収入を得るために教師の仕事を始めました、その後はさっきの協会の話へと続きます」
「ありがとうございました、人生の中で一番辛かった時代はいつですか?」
「やっぱり戦乱の時代、それも女性になるより前です。常に死と隣り合わせな上に、それが身近な時代でしたから」
結局、ほぼ全て、あたしが既に知っている内容のみをインタビューで話した。
あたしも、クラスメイトたちが知らないことはあまり話さないようにしようかな?
「ありがとうございます。ではですね、続きまして、石山さんに伺いたいんですが」
高島さんの関心が永原先生からあたしへと移る。
「はい」
あたしの心臓が一気に高鳴る。
やはりどうしても、緊張感はぬぐえないわね。
「それで、石山さんはいつ頃TS病になったんですか?」
「はい、去年の5月9日の午後に倒れて、翌日起きたら女の子でした」
「あ、それじゃあつい最近何ですね。もうすぐ1年というところですか?」
「はい」
高島さんが関心と驚きを見せている。
おそらく、正会員というのもあって、あたしの年齢も100歳は超えていると思っていたのかもしれない。
「その時はどんな感じだったんですか?」
「はい、あたしは学校で午後の授業を受けてまして……昼休みの時にも既に下腹部に違和感はあったんですね。それが急に激痛に変わって……そのまま救急車で病院に運ばれました」
「じゃあ、教室は大変だったでしょう?」
「ええ、あたしはその後、石山優子に名前を変えて、1週間学校を休んで、先程のカリキュラムを受けました」
前の名前のことは、まあいいかな?
話すと長くなるし。
「カリキュラムはどうでしたか?」
「はい、結構厳しかったですが、とても楽しかったです」
ここはうん、イレギュラーだけど正直に答えた方がいいわね。
「それはいったいどういう意味ですか?」
「やっぱり、少しでも男っぽい言動や仕草をすると怒られちゃうんです。その度に『私は女の子』って暗示をかけさせられるんです。そこは厳しかったですが、一方で女の子として、新しい発見もたくさんあって、新しい生活が楽しみでした」
あたしはなるべく、笑顔でかわいくインタビューを受けるように心がける。
今はメディアの情報が枯渇しているから、世間関心も高いはず。
ここでしっかりと、笑顔を見せて好印象を与えさせたい。女の子は見た目が大事だしね。
「学校に復帰してどうでしたか?」
「はい、最初こそ男扱いという事もありましたけど……やっぱりこの見た目、この声の上に、何よりあたし自身が『女の子として扱ってほしい』と言ったので、すぐにそれはなくなりました」
具体的ないじめのことなどは、話さないでおく。
「そうですか」
「あ、私から補足いいですか?」
永原先生から割り込みが入る。
「はいどうぞ」
「男扱いは本当にすぐに止みましたけど、どっちつかずの扱いをする人は夏までいました。しかも、どちらも強引な解決が必要でした」
小野先生と教頭先生のことね。
「と、言いますと?」
「ええ、協会が直々に出ました。女性としての扱いをしないというのは、患者の生死は元より、尊厳にも関わることですから」
永原先生がそう言う。
本当はあたしの学校の先生だったりするんだけど、そのことは言わないでおこうかな?
「ありがとうございます、やはり先ほどの話ですか?」
「ええ、自分の正しさを疑わないですから」
ここで先程の話に繋がる。
「それで、女性として生きていくという事は、彼氏とかも作ったりしますか?」
「はい、あたしにも今、彼氏はいます」
飛び切りの笑顔で言う。パソコンの向こうでは絶望の声が聞こえてそうだけど気にしない。
「もしかして、その……失礼かもしれませんが元々同性愛者とか性同一性障害だったとかですか?」
「いいえ、違います。あたしは元々乱暴な性格で、異性愛者の男でした」
そこはさっきの笑顔とは打って変わって、きりっとした顔を作って否定する。
この病気になっても、男を好きになることも含めて、ちゃんと普通に女の子として生きていけることを示さなければいけない。
「それがどうして、たった半年でですか?」
「……石山さんは特別です。普通は数年かかります」
永原先生が補足してくれる。
「それでも、変われるんですか?」
やはり、高島さんは懐疑的だよね。
「はい、変わるための訓練が、先程のカリキュラムです」
「凄いですよね、人間って」
「はい、石山さんは男だった時は乱暴でよく怒る人でした。今は、何もかも正反対です」
「どんな感じだったんですか?」
高島さんはさらに突っ込んだ話をしてくる。
「はい、あたしは本当によく怒鳴って男子から嫌われていました。身体能力も、男子の中でもトップクラスだったので、力ずくを好んでいました。今では女子でもダントツで運動能力は低いです……でも、そのおかげで、血で血を洗う日々に終止符を打つことが出来ました」
「……それについて戸惑いを感じたことはありますか?」
「やっぱり女の子になってからは、男女の違いにとても戸惑いました。ですが、あたし自身が変わりたかったのもあって、今はこの病気になれてよかったです」
「石山さんのように考える子はとても少ないんです」
「男女の違いに戸惑って思ったことは何ですか?」
高島さんの質問、回答は一瞬躊躇したけど、きっぱりと言った方がよさそうね。
「男女平等という事を、今すぐやめるべきだと思いました」
「やっぱち、両方の性別を体験してみてですか?」
「はい、男性と女性では全く違います。男性が男らしい男になるべきなように、あたしたちも女の子らしい女の子になりたいと思ってます」
あたしが言ったら、世間への説得力は高まると思う。
「永原さんにお聞きします、永原さんも同じ考えなんですか?」
「ええ、それだけじゃないわ。この病気になると、男女の違いに戸惑うことになります。ですから、フェミニストになる人は誰一人としていません。女として生きていくことを拒否して、自殺していった人さえも同じです」
永原先生の断定的な物言いに、高島さんも一瞬だけ怪訝そうな顔をする。
「それでも、有史以来1300人ほどいるのですから、一人くらい例外はいそうなんですが……」
「いえ、ただの一人もいません。日本だけではなく、わずかに海外の患者のことも見てきましたが、全て同じでした」
永原先生は、更に大きな自信をもって言う。
高島さんには理解できないかもしれないけど、TS病になると、本当に嫌というほど男女の違いを思い知らされることになる。
その障害は、とても大きい。
「そもそもこの病気は、男女の違いに戸惑い、女性に適応することが求められます。力も弱くなりますし、背も低くなります。毎月腹痛にさい悩まされますし……肩も凝りました」
肩こりはあたしだけかもしれないけど。
「そこまで女性になるんですね」
「ええ、この病気になると、妊娠出産ができるという能力と引き換えに、男だった時に出来たことの多くができなくなります。あたしたちは……老けないためにいつまでも生き続けるという点を除いて、他の女性と全く同じなんです……何もかも」
とにかく、あたし達は完全な女性だという事を強調する。
「……」
「あたしたちは、女性であることを支えにしなければ、生きていくことは出来ませんから」
「……分かりました。ところで、永原さんにお聞きしますが、石山さんが正会員となったきっかけは何なんでしょうか?」
「石山さんが、成績優秀だったからというのに加えて……協会の風通しを良くするためです」
「それはどういうことですか?」
「やはり普通ならとっくに生きていないような江戸や明治生まれの人もそれなりの人数いる集団ですから、どうしても硬直化しやすいんです。石山さんの次に年下の正会員でも60代ですから……そういうのもあって、思い切って若い石山さんを正会員にしてみました」
永原先生が以前にあたしに説明してくれたのと同じ内容を話す。
「そうですか……ありがとうございます……質問は以上ですが、お二方の方から聞いておきたいことはありますか?」
「じゃあ一つ」
永原先生が手を挙げる。
「はい、永原さん」
「もし……何ですけど……この記事が話題になって、他のマスメディアが追従報道してきたときのことについてです」
「……心配いりません。日本性転換症候群協会の要望で、この動画の編集を絶対にしないこと、カットせずに報道することを、当社記事の引用の絶対条件とさせていただきます」
そこまで考えていたわけね。
本当に、まるで厳戒令のような報道規制よね。
「ありがとうございます」
永原先生も、高島さんのことをすっかり信用したのか初めて笑顔を見せてくれた。
「石山さんの方からは何かありますか?」
「うーん、あたしは特にありません」
「では、これで終了とさせていただきます。本日は本当にありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
そうすると、カメラマンさんが録画をやめるボタンと思われるボタンを押し、高島さんが肩の荷が降りたような仕草をする。
「それじゃあ、記事作りますので、別室をお借りしてもいいですか?」
「どうぞ、こちらにご案内します」
永原先生が別の部屋に、高島さんとカメラマンさんを案内する。
完成した記事は、後で見ることになっている。
「どうなるかなあ?」
「うん、楽しみよね」
永原先生とあたしは、そんなことを話しながら待つ。
最初は取材を受けての感想を交換し、永原先生とあたしで今後のマスコミ対策について話し合った。
永原先生が出した「専属」という条件。
つまり、特定のマスコミのみに情報を提供し、他のマスコミをシャットダウンするという方式だ。
永原先生によれば「私達とて、何から何までマスコミ不信ではない」というのを見せるためにも必要だという。
特に高島さんには恩義はないが、うまく利用できという。
あたしにはまだ、よく分からない。ともあれ、今は記事ができるのを待つしか無い。
「できました」
高島さんとカメラマンさんがこっちへ戻ってくる。
「こんな感じで、動画はこちらです」
高島さんが動画ファイルを見せてくれる。
あたしと、永原先生のさっきのやり取りが写っている。
「こちらを、動画共有サイトとこちらの画面にアップロードして、こんな風に見えます」
高島さんが動画を流しながら説明してくれる。
……どうやらノーカットというのは嘘じゃないみたい。
あたしが動画をチェックしている間に永原先生が記事の文章を見ている。
「うん、大丈夫よ」
「ありがとうございます」
「……ここまでしてくれたのですから、おそらくしないとは思いますが、後で改ざんとかしないでくださいね」
「分かってますよ。あなた方は自分の価値をもっと考えてください」
そう言えば、高島さんが言っていたわね。
例えあたしたちのプロパガンダを無批判に垂れ流してでも報道したいくらいの存在って。
それじゃあ、アップロードしますね。
高島さんが動画共有サイトにまずアップロードする。
題名は「【ノーカット】日本性転換症候群協会、独占取材 会の主張」と書いてある。
どうも、件のニュースサイトの公式アカウントみたいね。
そして次に記事をアップロードし、インターネットでちゃんと正常に見られるか、あたしの携帯と、協会のPCで問題ないのを確認し終わる。
「では、本日は失礼致します」
荷物をまとめた高島さんとカメラマンさんが頭を下げてくる。
「ええ、もし機会がありましたら、またよろしくお願いいたします」
「ありがとうございます。それでは……」
高島さんたちが去っていく。
「この内容なら、きっと大丈夫よ。問題は既存のメディアだけどね」
「でも、引用条件も記事に入れてありますから大丈夫でしょう」
あたしが、少し楽観的に言う。
「だといいですけど……まあ、終わってしまったことですから考えても仕方ないでしょう」
永原先生はそう言う。人事を尽くして天命を待つ、ということだろうか?
あたしと協会本部の戸締まりをチェックし、終わったら永原先生と別れる。
「それじゃあ、月曜日、またよろしくお願いいたします」
「はい」
既知の知識が長ったらしいかもしれませんが、ノーカットを売りにするという物語の都合上、本文もノーカットにしました