永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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修学旅行3日目 分かっている人の苦悩

「けんー! 協会の人が来たわよー!」

 

「はーい!」

 

 母親から「けん」と呼ばれた女の子が返事をすると、静かに足音が聞こえてきた。

 少女の輪郭が、徐々にはっきりして来る。

 少女は飾りっ気のない、でもサイズなどから女物と分かる、かなり地味な服を着ていた。

 

「息子……ああいえ、今は娘の健太です」

 

「永原マキノです。日本性転換症候群協会の会長よ」

 

「同じく正会員の石山優子です」

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

 あたしたちの丁寧な挨拶とは対象的に、「健太」と呼ばれた可愛らしい少女はぎこちなく挨拶をする。

 どうも、まだ女の子の体に慣れていないという感じで、かなり慎重に歩いている。

 

 あたしたちは、一旦リビングに通されてそこで話を聞くことになった。

 

「それで、お父さんお母さん、あるいはご本人は、健太さんの新しい名前を考えてますか?」

 

 あたしはまず、そこを質問する。

 

「えっとその……まだです」

 

「あの、すぐに決めてあげてください。あるいは健太さん、あなたも女の子として過ごすなら、『健太』じゃあいじめられるわよ。両親が決めきれないなら、あなた自身が決めた方がいいわよ」

 

「う、うん……」

 

 あたしはあたし自身が、永原先生も本人が決め、幸子さんは母親が決めた。

 誰が決めてもいい。ただ女の子らしい新しい名前が必要だ。それが男女どちらにも使えそうな名前であっても。

 

「ともあれ、まずは健太さんや親御さんの考えを話してくれますか?」

 

「……分かりました」

 

 まず、前提の確認をする。

 その少女の話によれば、TS病という病気は知っていて、精神を病んで自殺しないためには女として生きるしかないということも知っていて、それは納得している。

 これまでの事例を鑑みて、自分は今後女として生きるしか道がないことも分かっているため、それ以外の道を模索するつもりはないことは大前提。

 でも、そのことは知識として知っていただけだったので、自分がまさか当事者になるとは思ってもおらず、どうやってやっていけばいいのか、カリキュラムもどんな覚悟をすればいいのかわからないという。

 

「なるほど、いわゆる『理屈先行型』ですね」

 

 永原先生がそんなことを話す。

 つまり、TS病で倒れ、その後に告げられた医師や協会の人の話を、理屈では納得できるのだが、具体的な方法論や、気持ちの持ち方が全く分からなくて右往左往する状態を「理屈先行型」という。

 

「この理屈先行型には、いいニュースと悪いニュースがそれぞれあるわ」

 

 永原先生が興味深いことを言う。

 そう、それは――

 

「いいニュースは、理屈先行型の患者さんは感情に囚われにくく、自殺率が最も低いタイプです。もちろん、0では無いですし、普通の人に比べれば高いですよ。あくまで同じ患者の他のパターンと比べて相対的にですが」

 

 そう、まずこれが不幸中の幸い。

 

「そ、そうですか」

 

 少女とお母さんに、心なしか少しホッとしている表情が見える。

 そう、最初のうちは、この「理屈先行型」の方が都合がいい。

 だけど、もう一つ悪いニュースがある。

 

「悪いニュースとしては、これがいつまでも続くと、女の子になるのが難しくなることです」

 

「え!?」

 

 永原先生の言葉に、少女が驚いた顔をする。

 

「やはりどこかで積極性を持ってくれないと、気持ちが弱く、後ろ向きなままでは心から女の子になるのは難しいです。自殺こそしなくても、精神を病みながら女の子になるケースも多いです」

 

「特にカリキュラムでは、『成績不良者』の行動に陥りやすくもあります」

 

 永原先生の説明に、あたしもすかさず補足する。

 つまり理屈先行型の患者さんには、どこかで前向きな気持ちで女の子になろうとする心が必要になってくる。

 

「えっとその……僕はどうすれば?」

 

 健太さんが不安そうに聞いてくる。

 

「まず、女の子としての新しい名前を考えて、それから『僕』を使うのをやめなさい。形から入るのよ」

 

 あたしもそう、まず最初にしたことは一人称の矯正。これは優一時代に使っていた「俺」が、あまりにも似合わなかったので苦労はしなかった。

 最初に目覚めた時に「俺」を使って、すごく違和感を感じたのを、今でも思い出す。

 でも、普段使っていた一人称が「僕」と来たから結構難しいかもしれない。

 それでも、矯正しないといけない。言葉遣いにしても、まず一人称を変えさせるのが先決になってくる。

 そして次にしたことは名前を変えたことだった。

 あたしの場合は、結構すんなり決まったけど、健太さんは難しいかもしれない。

 

「でも、新しい名前って言われても……健太やから『健子』?」

 

「うーん……その、石山さんと永原さんはどうだったんですか?」

 

 お母さんが心配そうに聞く。

 

「永原会長はもう何度も名前変えてますし……あたしは今は優子ですけど男だった時は『優一』と名乗ってました」

 

「うちの協会は、古い人が多いのを差し引いても、『子』の付く名前の女の子が多いわよ」

 

「確かに、女性名で、女の子としての自覚を持たせるという意味では、『子』を付けるのはいいと思います」

 

 永原会長の言葉に、あたしが思いついたことを言う。

 もちろん必須ではないと思うけど、やっぱり男から女に変わったTS病ということを考えると、その辺りははっきりさせたほうがいいと思う。

 特に理屈先行型の患者にはそれは有効だと思う。

 

「でも、『健子』というのもおかしいし、『太子』も何だかなあって思うんや」

 

 関西弁の少女が悩みを口にする。

 

「ふふっ、あたしはたまたまだけど、何も男時代の名前を無理に使わなくてもいいのよ。あたしが以前指導していた患者さんにも、『悟』って名前を『幸子』に変えた人がいたわ。彼女は『さ』しか合ってないわよ」

 

 あたしが、幸子さんの名前を出して、安心するように言う。

 そう言えば、幸子さんも結局、あの時お母さんがとっさに思い付いた名前をずっと使ってるわよね。

 あたしみたいに、自分なりに熟考するのは少数派だし、ましてやその結果が第三者目には最もありきたりな改名というのも難しい。

 

「うーんでも……あー、アカン! 思いつかへんで!」

 

 健太さんが頭をかきながら言う。

 理屈先行型なので、気持ちを奮い立たせることが肝心、そこで――

 

「でも、思いつかないとダメよ。あなたはこれから、TS病患者として、役所に『性別変更届』と『名の変更届』を出すのよ。その時に新しい名前を書かないといけないわよ」

 

「ほら、元の名前なんて気にしないで考えてみてよ」

 

 あたしと永原先生が更に催促する。

 

「うーん、じゃあ京子とか?」

 

 健太さんが、一つの名前を口にする。

 

「うん、いいわね京子!」

 

「いいのかなあ……これから下手したら100年1000年単位で使っていくんでしょ?」

 

 京子さんはまだ浮かない表情をしている。

 

「いいのよ、名前は生活において必要なのだけど、変に凝り固まると余計にまずいわ。むしろ変な名前が横行しているからこそ、『京子』はひときわ凛然と輝いているわ」

 

 最も、小谷学園は変な名前の人少ない。それこそ下手したら永原先生の下の名前、「マキノ」が一番かもしれない。そう言えば、マキノの由来って何だろう?

 

「そ、そうか……うん、せやな! 今日から僕の名前は京子や!」

 

「ふふっ、京子さん」

 

「ん?」

 

 京子さんは、もうその名前で返事をする。

 

「言葉遣い、気を付けるのよ」

 

「え!?」

 

 新しい名前も決まったので、早速必要な指導を始める。

 

「さっきの『今日から』の先、女の子らしい言い方に言い直してみて?」

 

「え、えっと……今日からう、うちの名前は京子や!」

 

 京子さんが関西風の一人称で言う。

 

「あら? まあ、それでもいいかしら?」

 

 うん、あたしも永原先生に賛成。

 ここは大阪だし、むしろあたしたちの喋り方がおかしいかも。

 

「いい? もし言葉遣いが男のままになってたら『私は女の子……私は女の子……』って暗示をかけるのよ。お母さん、それについてはちゃんと徹底してくださいね」

 

「――分かりました」

 

 京子さんのお母さんは、多分心配いらない。

 理屈先行型の人は、「とりあえず女の子にならなきゃいけない」ことは分かっているから、幸子さんのお母さんのように変な善意で取り繕うことはない。

 

 ただ、気持ちが入らない人も多いので、矯正などの教育に時間がかかるのも事実。注視しなければならないのには変わりはない。

 

「さて京子さん」

 

 さて、ここからが問題、カリキュラムの話に入る。

 

「はい」

 

「女の子として生きていく上で、あたしたち協会の方でカリキュラムを用意していることは、既に担当カウンセラーから聞いていると思います」

 

「うん、聞いてる」

 

「いい? 厳密にはカリキュラムを受けなくて女の子になることも可能よ。だけど、それは長い道のりよ。カリキュラムは女の子としてのの最低限の日常生活や感性の理解に役立つわ」

 

 カリキュラムの具体的な内容まで知っているかは分からない。

 

「はい、それで何をするんですか? 私が指導すると言われまして」

 

 京子さんのお母さんが心配そうに言う。

 

「家事の仕方とか、スカートを穿いて出かけたり、女子の制服や体操着への着替え方、さらに生理用品の使い方も学ぶわよ」

 

「せ、生理用品!?」

 

 京子さんが驚愕の表情で言う。

 

「そうよ。いい、京子さん? あなたも女の子何だから他人事じゃ無いわよ!」

 

「は、はい……」

 

 あたしがちょっと強めに言うと、京子さんも納得して返事をしてくれる。

 生理用品使えないと、女の子として致命的だから、きっちり覚えてほしいわね。

 

「ところで、京子さんの方から何か質問ある?」

 

 今度はあたしから聞いてみる。

 

「あの……転校についてなんやけど、その……やっぱり元のクラスの人には言い辛いっていうか――」

 

 京子さんが「転校」という単語のついて話す。

 

「協会としては、転校はあまりお勧めしてないわ。男子校で仕方ないならともかく、別の学校に転校して、いきなり他の女子のようにはいかないわよ。TS病のことをオープンにしたとしても、以前のことを知らない人だと難しいわ。クローズにするにしても、どこかでボロを出しかねないわ」

 

 あたしの場合は、女の子としての人生に適応するのに手いっぱいで、転校について考えにも及ばなかった。

 いずれにしても、あたしでさえも復学後は女子力低いとよく説教されたし、以前の姿を含め、事情を知らない人に囲まれることになる転校は悪手だと思う。

 

「あーうん、何かせっかく女の子になったから、女子校を体験してみたいって思って――」

 

「京子さん! 女子校だけは絶対に駄目よ!」

 

 あたしが、少し強い口調で言う。

 これは協会としての方針だからだ。

 

「え? どうして!? 女子だけの空間って、何か甘くていい雰囲気で、お嬢様がたくさんいるんじゃないの?」

 

 京子さんが中学生らしい妄想を言う。

 あたしも、一昨日の新幹線で下品な「女子校生」を見たばかりでタイムリーな話題でもある。

 

「いい? 女子校に入るのはダメよ。男子の目が無いと、女の子はどんどんがさつに、だらしなくなっていくわ」

 

「協会としても、転校そのものが非推奨ですし、女子校への転校は絶対に阻止させることになっています」

 

 あたしと永原先生が、連携して女子校への誘惑を破壊していく。

 

「そ、そうなのか?」

 

「ええ、お母さんも女子校だったから、よく分かるわ」

 

「いい京子さん? 女子校に行くと、汚い言葉遣いを覚えて、恥じらいもなく下ネタを連発して、人前で平気でおならして、スカートを気にしなくなって足を開いて、それどころか夏場は平気でめくり上げるようになって、教室でナプキンが飛び交って、教室も部屋も男の目を気にすることなく散らかり放題……そんな風に歯止めが効かずにどんどん下品になっていって、男がいない環境でどんどんと堕落していく女の子のかけらもない生き物になっちゃうわよ」

 

 はっきり言えば、これは誇張の極み。

 もちろん、これらはそういう傾向にあるって話だけど。さすがにお嬢様学校とかならそういうこともないと思いたい。まあ、あたしは共学だからわからないけど。

 だけど、精神が不安定なTS病患者には、あえて脅すような文言は効果的だ。

 

「ちょ、ちょっと言いすぎですよさすがに……否定はできませんけど……」

 

 女子校出身の京子さんのお母さんも抗議してきたが、その後「否定はできませんけど」と付け加える当たり、あたしの偏見丸出しの言葉を追認しているに等しい状況になる。

 

「とにかく、そういうわけですから、協会として、元の学校が男子校の時以外の転校はおすすめしないわ。男の子だった頃を知っているクラスメイトの方が理解を得られやすいですから」

 

 理解というのは、あたしが女の子になって間もない頃の話。

 女の子として扱うことと元男として扱うことに矛盾がないということを指している。

 

「ええ、そうですよね」

 

「うん、ぼ……うち、転校は辞めます」

 

 京子さんも、お母さんも納得してくれる。

 さてこの次、次は協会としての立場と学校の人達に知ってほしいことを話す。

 つまり「TS病に求められるのは1人の女性としての扱い」ということ。これは女の子になったばかりの「成長途中」の患者でも同じ。ただし、その患者はあたしの時がそうだったように女の子であることを大前提に、「女の子初心者」「元男」としての扱いも必要になるということ。

 

「担当カウンセラーの方と調整してください」

 

「……分かりました」

 

「さて、京子さん、私達は修学旅行の途中ですので、これで失礼いたします」

 

「え!? 修学旅行中だったん!?」

 

 京子さんが驚いている。

 つい口を滑らせちゃったけど、まずかったかな?

 

「はい。永原会長はあたしの学校の先生でもありますから」

 

「それは驚きやわ。関西支部長の方、江戸生まれで戊辰戦争を知っていると言ってましたけど」

 

 京子さんのお母さんも、ちょっと関西訛りが強くなって驚いている。

 

「ふふっ、会長は私達の長老ですから」

 

「あ! 思い出した! この2人、例の『ブライト桜』の動画に出てきた2人や!」

 

 京子さんがいかにも「思い出した」という感じで指を指しながら言う。

 

「あら? 気付かれちゃいましたか。じゃあ知っていると思うけど、私が本当は戦国時代の生まれということも知っているわね」

 

「ああ」

 

 京子さんが頷く。

 

「まあいいわ。行きましょう、永原会長」

 

「ええそうね。失礼致します」

 

「今日は本当に、貴重なお時間をありがとうございます」

 

「いえいえ」

 

 京子さんのお母さんが玄関まで送ってくれた。

 あたしたちは家を出る。

 

「あの様子なら、大丈夫だわ」

 

 あたしも、楽観的な感じで言う。

 京子さんは、時間はかかるかもしれないけど、幸いこの病気、時間だけはたっぷりある。だからゆっくりと、女の子を身に着けさせよう。

 

 あたしたちは、ともあれ修学旅行の続きをすることになった。


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