永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「ふう……」
あたしはまた、ホテルのベッドの上で起きた。
昨日は色々なことがたくさん起きて、疲れていてあれからお風呂に入ってすぐに寝てしまった。
恵美ちゃんと龍香ちゃんも随時起きてくれる。
今日は修学旅行の最終日で今日はクラスごとに違うコースを廻ることになっていて、あたしたちはこの京都の史跡を回ることになっている。
他のクラスは奈良とか大阪って人も居てこの予定に合わせる形でみんな京都は避けていた。
あたしたちは「北大路駅」から「大徳寺」、「鹿苑寺」、「龍安寺」、「仁和寺」を徒歩で巡って「御室仁和寺駅」に抜けるルートが計画されている。
特に、鹿苑寺と龍安寺はあまりにも有名なお寺だろう。鹿苑寺金閣といえば、教科書にも出てくるし。大徳寺と仁和寺は初めて聞いたけど、残る2つのお寺は以前から名前を知っていたお寺だ。
ちなみに、これらの拝観料もきちんと予算でやりくりしなければいけないから。何気に厳しい。
まあ、あたしは蓬莱教授の支援もあるから何とでもなるんだけど。
今日の服は、寺院に行くということで、ミニは辞めて膝丈の落ち着いた茶色のスカートを選ぶことにした。
頭の白いリボンはそのままだけど、それでも普段より落ち着いていると思う。
さて、あたしたちは奈良や大阪、更に京都でも別のコースの2組から4組とホテルで分かれ、永原先生の引率になる。
「これから行くお寺、みんな私が生まれるよりも更に前からあるお寺ばかりです」
永原先生が生まれたのは戦国時代で、応仁の乱以降京都が荒廃してしまった。
それを逃れたお寺などは、当然それ以前に建てられたものが多い。
そうなると、それらの文化財も当然永原先生が生まれる前に作られたということになる。
引率中、永原先生が昔話をしてくれた。
永原先生は、本能寺の変の後に京都に初めて訪れたという。
それ以来、明治などにも来たことはあるが、実際の所、江戸時代はほぼずっと江戸か江戸城に居たために、徳川の世となって以降は、学校の修学旅行以外ではあまり訪れたことはないという。
「あの頃から、変わってないといいわね」
永原先生が移動中、あたしにそんなことを話しかける。永原先生は、「長く続くのは難しいけど、壊れるのは一瞬」だとも言っていた。戦国時代の人らしい物言いだと思う。
あたしは、そんな永原先生を見て、一つ疑問がある。
「あたし、何だか分からないわ」
「ん? 何が?」
「永原先生が生まれる前からあるお寺がすごいのか、それとも京都の文化財と張り合えるくらい長生きな永原先生がすごいのかよ」
あたしが感じた疑問を永原先生に投げかけて見る。
「あはは、さすがの私でも京都の文化財には勝てないわよ。老舗企業なら江戸時代の創業が多いから結構勝てるけど、文化財ともなると、私の時代は新しいわよ」
永原先生は軽く笑い飛ばしたように言う。
確かに、これから巡るお寺も、永原先生以前に創建されたお寺ばかりだ。
「次は北大路、北大路です」
「さ、降りるわよ!」
列車の案内放送を聞いた永原先生の声かけと共に、クラスが一斉について行く。
まずは駅の西側に出て、通りをまっすぐに行けば「大徳寺」に到着する。
さて、永原先生が窓口で「小谷学園の団体客」である旨を告げ、境内に入って広い所で拝観料を回収する。
みんな修学旅行代に余裕を持っているため、払えないというトラブルはない模様だ。
ちなみに、払えない場合は外で待ちぼうけを食らってしまうことになる。殆ど前例はないみたいだけど。
「さ、行くわよ」
永原先生が、まず案内役のお坊さんの紹介をして、このお寺の境内を案内してくれるという。
「こちらの道に続いているのは非公開ですが、黄梅院と言いまして信長が父の織田信秀の菩提を供養するために建てたのが始まりです」
境内を歩いていると、お坊さんが早速説明してくれる。
あれ? 信長って無宗教じゃなかったけ?
「はーい!」
「どうぞ」
気になったのであたしが質問してみる。
「信長って仏教嫌い何じゃないですか? 比叡山燃やしたり」
ちなみにこのお坊さん、あたしの胸に一切視線を寄せない。さすが修行を積んでる人は違うなあと思う。
「実はですね、信長が嫌ったのは仏教の修行僧が政治に口を出したり、武装したりすることだったんです。本願寺とか同じもですね。純粋な仏教に関しては、むしろ尊重していたくらいでして、愛知県には織田信長が家臣の平手正秀の菩提を弔った『正秀寺』というお寺もあります」
お坊さんが懇切丁寧に説明してくれる。
結構意外な一面よね。
「ありがとうございます」
ちなみに、観光客やクラスの男子の方は、相変わらず煩悩丸出しであたしの胸をじろじろ見てるけど。とにかく、これじゃ何のためのお寺なのかわからないわね。
「私からも補足しておくね。当時の比叡山延暦寺の堕落ぶりはすさまじくて、女人禁制のはずなのに女が大量にいて、修行をさぼって賭事や足軽のように武装していたりしたわ。そして政治に手を出すのだから、仏教的ではないわ。織田殿の仏教との交流では、他にも本能寺では僧侶と碁を打っていたり、『岐阜』の地名も、懇意にしていた僧侶の提案によるものです」
お坊さんの丁寧な説明を更に分かりやすく、永原先生も補足をしてくれる。
どちらにしても、戦国時代の延暦寺はひどかったらしい。今は修行が厳しいお寺で有名だけど。
また、最近では以前に言われていたように全山丸焼けで文化財をことごとく燃やしたというのはやや誇張だと言う。また、永原先生が生まれる20年ほど前にも、比叡山は焼き討ちにされたことがあったらしい。
永原先生も、当時は真田の村にいたために、直接焼き討ちを見たわけじゃないから、実は最近までは徹底的に焼き討ちを受けたというのを信じていたらしいけど。
さて、ここ大徳寺には、永原先生と同年代や一世代後の人、あるいは永原先生以前の時代の人の建てた建造物も多く、その度にお坊さんや永原先生が説明してくれた。
ちなみに、インターネットで永原先生の素性を知ったお坊さんも多いらしく、この大徳寺も、そんなお寺の一つだという。
「懐かしいわね、ここ。あの時のままだわ」
永原先生は、本能寺の変から大坂の陣までの放浪生活中に何度も京都を訪れていて、この寺にも立ち寄ったことがあったという。
「ああ、まるで同じだわ。この庭、この風景、違うのはお寺の外かしら?」
永原先生が一人感慨にふけっている。このお坊さんも永原先生の正体を知っているのか、お坊さんは昔話を永原先生に聞いていた。
寺がずっと残っていること、遠い昔の記憶が甦るその思いは、永原先生にしか分からない感動だと思う。
そして、そのうちの一つの建物に入らせてもらった。
永原先生も、中に入るのは初めてだという。
永原先生の放浪中は、特に山奥にある寺は女人禁制が多かったが、平地の場合はある程度緩和されていたという。
また、明治以降様々な場所で女人禁制が解かれたけれども、永原先生にとって、それらに踏み入るのはどうしても憚られるという。
「解除されたんだし、気にすることねえだろ」
恵美ちゃんが不思議そうに言う。
「ここはまだいいですけど、高野山とか比叡山には、これまでも、そしてこれからも登るつもりはないわ。私が行ったら、修行の邪魔になるわ」
「信心深い方ですね。やはり当時というのはそんなものだったんですか?」
「ええ、当時は仏教も、今とは大違いでしたね……それにしても、落ち着くわ」
永原先生が印象深い言葉を言う。
そんなこんなで、最初の寺院の見学が終わり、あたしたちは次のお寺に行く。
次の目的地は足利義満の鹿苑寺……いわゆる「金閣寺」で、歴史の教科書にも出てくる金ぴかのお寺だ。
あたしたちは2列で京都の道を歩く。鹿苑寺が近付くにつれ、人口密度が高まり、外国語も増えていく。
「私が訪れた京都は、もっと静かだったんだけどねえ……」
隣を歩く永原先生がため息交じりに言う。
「昔は人口も少なかったですから」
あたしが言う。
「観光地だったのは昔からですけど、最近のうるささは困ってるわね」
「やっぱり外国語の声が大きい気がするな。俺も子供の頃に来たことあるけど、人が多くても雰囲気は静かだったし」
後ろを歩いていた浩介くんが気付いたように言う。
「そうねえ……うちの生徒たちは本当にまじめな人ばかりよ」
それはやっぱり、たった一つの校則のおかげなんだと思う。
ともあれ、大徳寺の時と同じく、金閣寺も有料で入る。
今回はガイドのお坊さんはいなくて、永原先生がそのままガイドをしてくれるという。
「お、教科書のままだな」
「うん、近くで見ると凄いわね」
しばらく歩くと、池の向こうに、金がふんだんに使われたあまりにも有名なお寺が目に入る。
ちなみに、これは舎利殿で、本殿とはまた別で、見るためには少し歩く必要がある。
「今のこれは3代目よ。応仁の乱の時と、戦後とで2回焼失しちゃったわ。私は2代目も知っているけど、今とはちょっと趣が違うわね」
永原先生が趣が違うと言って来た。
「え? どこが違うの?」
あたしが聞いてみる。
「うん、あそこの2階部分がちょっと違うのよ」
永原先生が、金閣寺の2階部分を指さして、当時との違いを語る。
永原先生曰く、戦後に焼失した原因は放火らしい。
「ちょ、ちょっとやめて!」
「!?」
突然、桂子ちゃんの大きな声が聞こえてきた。
「おいやめろよ!」
「何してんだ!」
それに呼応するかのように、男子たちの声が聞こえる。
「どうしました木ノ本さん!」
「!!!」
180センチは優に超えてそうな白人男性が、慌てて逃げるのが見えた。
「あ、先生すみません。ちょっと離れたところから見てたら、ナンパされまして」
桂子ちゃんがナンパされたと言う。確かに、状況を考えるとそんな感じだと思う。
今回は、すかさず近くにいた男子が声を聞いて駆けつけてくれたので、事なきを得た。
「最近、京都でもナンパが多いみたいよ」
「まさか寺でナンパしてくるなんて思わなかったわ」
永原先生の言葉に、桂子ちゃんがやや呆れた顔で言う。
今の時代、「罰が当たる」という概念も薄いみたいで、仏教と接点がないからそうなっているのかは分からないけど、ともあれ桂子ちゃんは災難だった。
まあ、あたしもナンパで結構痛い目に遭ってるけど、浩介くんと一緒に歩くようになってからはピタッとナンパが止んでしまった。
ともあれ、あたしたちは思い思いに金閣寺を写真に収める。
あたしも数枚、携帯のカメラで撮っておく。
金閣寺には休憩所があって、そこで支給のお弁当を食べることになっている。
「ふー疲れたー!」
お昼時とあって休憩所はかなり混んでいて、何回かに分けて入ることを余儀なくされた。
あたしは浩介くんの隣に座る。
「やっぱ、有名なのは人気だよな」
「うん、間違いなく次の『龍安寺』も人でいっぱいっぽいね」
特に今日は夏休み初めの土日だし。
さて、お弁当はというと、平凡なコンビニのから揚げ弁当で、あたしたちは昨日肉をたっぷり食べた後で、ちょっと食傷気味な気もしていて、浩介くんもちょっと不満気だ。
「うーん、でも鶏肉だし」
「うん、そうだな」
ともあれ、全員が座り終わって「いただきます」をする。
パンフレットで予定時間を見ると、桂子ちゃんのトラブルがあったものの、かなり余裕を持っていたのか、予定よりも早く進んでいる。奈良・大阪組は廻れる名所も少ない。一応大阪組だけは、新大阪駅から新幹線に乗れるけど。
「そう言えば、帰りはこだまなんだよね」
「そうだな」
あたしは、帰りの新幹線について考える。
「各駅停車、どんな感じなんだろうね」
遅いことで有名だが、実際どんな感じなのかは、体験してみたいところでもある。
そんなことを考えながら、あたしはお弁当を完食、朝食を食べそびれた人もいて、何人かは物足りなさそうな表情をしている。
「食べ終わった人は席を立ってください」
既に食べ終わった永原先生が、席を立ちながら生徒たちに声をかけ、生徒たちも混雑を悟ってさっと席を立つ。
通行の邪魔にならないところに集まり、鹿苑寺を後にする。
さて、修学旅行最終日は、龍安寺がメインといってもいいかもしれない。
石庭と、更に写真撮影は不可ながらも、特別に普段非公開のものを見せてくれるという。
「それにしても人だらけだわ」
「うん、そうだな……」
龍安寺に入ってみたものの、とにかく人が多すぎる。
京都は観光都市であり、観光は重要な資源とは言うものの、急激な人の増加はやっぱり良くない。
少しずつ増えていくならともかく、急な増加はパニックを引き起こしかねない。
寺の境内にも、数か国語でマナーを呼びかける張り紙がたくさんあった。
おそらく、各寺院も対応に追われているんだと思う。
そんなこんなで、あたしたちは「龍安寺」へと到着した。
ここでも拝観料を徴収し、寺の境内へと入る。
ちなみに、龍安寺では再び案内のお坊さんが付いてきてくれる。
何と、この龍安寺の住職さんだとか。
「この龍安寺は宝徳二年……1450年に細川勝元が建立した由緒あるお寺です……なんですがその細川勝元は応仁の乱の東軍総大将で、自ら建立した寺が焼かれてしまう原因も作ってしまいました」
住職さんの話は皮肉に始まったものの、まずはあまりにも有名な石庭に案内してくれるという。
途中大きな池が目に入って、この龍安寺の境内のうち、かなりの割合を占めているという。
「この石庭は、不完全の美、そして宇宙を表しています」
「「「え!? 宇宙!?」」」
住職さんの突拍子もないセリフにあたしたちは一様に驚く。
「この石庭は、どの角度から見ても全ての石が見えるようにはなっていません」
「え、どれ?」
あたしたちは互いにぶつからないように注意しつつ、石庭を360度の角度から見てみる。
「本当だわ」
「うんうん」
桂子ちゃんの驚きの言葉と共に、皆もうなずく。
確かに、とても神秘的だと思う。これは静かなら最高なんだけど、やっぱり観光客のざわつきは仕方ないのかもしれない。
「っと言われているんですが、実は一箇所、ここから見ると全ての石を見ることが出来ます」
「「「え!?」」」
住職さんの突然のネタばらしに、あたしたちは一同に驚いてしまう。
「ほら見てください、この奥から8枚目の板……ここから見ますと、ほら、この石とこの石が僅かに見えるんですよ」
住職さんが部屋の少し奥の所に立っている。
確かに、かなりの視力が要求されそうだが、ここからだと全部見える。どうも、「全て見られないように出来ている」というわけでもなく、単に「部屋から見ることが出来る」のみでどれか一つが隠れるように見えるのは偶然だとかで、龍安寺の観光案内パンフレットには、そのことは一切書いていないという。
「私の感覚だと、この石庭より、あの池のほうが好きなんだけどね」
永原先生は、そんなことを一人でつぶやいていた。確かに、あの池も広いよね。
「さて、本日は皆様に特別に、非公開となっておりますお墓をご紹介します」
住職さんがそう言うと、池のほうにあたしたちを案内してくれる。
施錠されていて、「立ち入り禁止」ともあるけど、特別な許可を得てその中へと進む。
「こちらは、真田信繁夫妻のお墓でございます」
住職さんの案内とともに、あたしたちは気持ち忍び足で、そこへ向かうことになった。
作者はこれらの寺に行ったことないです。いつか行ってみたいものですが。