永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「えー、間もなくこだま号東京行きが参ります。この電車終点東京まで各駅に止まります」
駅員さんの放送とともにやってきたのはこだま号、行きに乗ったのはアヒルが潰れたような電車だったけど、こっちは比較的カルガモの形を保っている。
オレンジ色の文字で「700」とあり、N700よりも旧式だと分かる。
「運が良かったわね。この電車、来年度で廃止なのよ」
「え? そうなんですか?」
「あー、東海道新幹線だけだけどね。山陽新幹線ではまだ使われるわよ」
ともあれ、電車が到着し、あたしたちはさっきの切符にあった通りの指定席に座る。
永原先生も考えてくれたのか3人席のうちあたしが一番左、浩介くんが真ん中、右側には永原先生で、全体から見ると中央やや後ろに陣取ったことになる。
ここの指定席車両はあたしたちが貸し切り。既にクラスの1つは新大阪駅から乗っている。
「こだま号東京行き間もなく発車いたします。閉まるドアにご注意ください」
駅員さんの放送とともに、電車が京都駅を発車する。
新横浜駅までのぞみは途中名古屋駅のみの停車だったが、こちらは全ての駅に停車する。
通過待ちだけでかなりの時間がかかるという。
「本日も、東海道新幹線をご利用いただきましてありがとうございます。この電車は、こだま号東京行きです。停車駅は終点東京までの各駅です。お客様に――」
日本語と英語のアナウンスが流れる。
それにしても、英語ではこだまものぞみも、東北新幹線の系統も、全部「superexpress」なのね。
「こだまで大事なのは、『いかにのぞみの邪魔をしないか』よ。東海道新幹線は山陽新幹線よりも余裕が少ないから、こだまでものぞみと変わらない最高速度が要求されるわ。最も、こだまに使われるのは旧式車両もあるから270だけどね」
永原先生が解説してくれる。
東海道新幹線の方が、車両の入れ替わりが激しいのも、過密ダイヤ故に、新型車両の性能をフルに使わせるためだという。
その間にも電車はぐいぐいスピードを上げていく。
「そう言えば、新幹線の英訳は全部『Super Express』なのね」
「昔は違ったわよ。『こだま』は在来線特急の延長線上という位置付けで、『ひかり』が『超特急』に対してこだまは『普通特急』と言われてたわ。英訳も、在来線特急に使われる『Limited Express』だったのよ」
永原先生によれば、当時のこだまは特急料金も在来線時代から据え置きだったのだが、いつの間にか超特急料金もなくなって、ひかりこだまが同料金になってから、英訳も新幹線は全て同じに「Super Express」になったという。
米原駅までは結構長く、最高速度もかなり維持できている。
あたしたちは、永原先生の鉄道話に耳を傾けつつ、行きと同じ車窓を反対側から眺め続ける。反対側と言うだけで、随分景色の見え方が違うわね。
やがて、新幹線の速度が落ち始めると、例のアナウンスが聞こえた。
「間もなく、米原です。東海道線、北陸線、近江鉄道線は乗り換えです――」
日本語と英語の案内も同じ。
「米原からの乗り換え列車のご案内です。東海道線上り各駅にとまります普通列車の大垣行きは――」
そして、もはや恒例とも言える車掌さんによる乗換案内。
のぞみが止まらない駅といっても、やはり新幹線が止まる駅なので、乗り換え路線も多い。
近江鉄道線のように、私鉄線は特に乗換時刻の案内をしていないみたいね。
「――米原では通過列車を待ちます。発車までしばらくお待ちください」
さっそく、後ろを走っている速達列車を退避する。
浩介くんによればのぞみ号らしい。
こだまは多くののぞみと、何本かのひかりを退避するようにできている。
ひかりもひかりで、途中で数本ののぞみに抜かれるらしい。
ともあれ、旧式の新幹線は、「がったん」という、ポイントで転線した特徴的な音と揺れを見せながら米原駅のホームに立つ。
ドアが開き、数人のお客さんが降りていく。
もちろん、16両編成だから、別の車両にはもっと降りたお客さんもいると思うけど。
よく見ると、クラスの知った顔の人も、自販機で何かを買っている。
「こだまには車内販売が無いから、駅のホームを使うしかないわね」
「え!? 車内販売が無いんですか?」
あたしは驚いて聞いてみる。まさか新幹線なのに……!
「ふふっ、理由は3つあるわ。1つ目は、こだまを使う人は乗る時間が短い人が多いこと。長距離を移動する場合、のぞみやひかりに乗り換えるのが普通だもの。昔と違って速達列車中心のダイヤなのも大きいわね」
確かに、何回も後ろの列車に抜かれるわけだから、速達列車の停車駅で乗り継ぐのが普通になる。
そうすれば、こだまに長く乗るお客さんの数は必然的に小駅同士の利用に限られて、結果的に少なくなる。
そうなれば車内販売の需要だって必然的に少なくなってしまう。
のぞみの場合、特に新横浜から名古屋は1時間半以上も走り続けているため、車内販売は欠かせない。
「2つ目は、こだまが何度も通過待ちをするようになったことよ。今みたいに通過待ちの最中に駅構内で買い出しに出ることが出来たのよ。開業当初は浜松駅でしか通過待ちはしなかったから、こだまを通しで乗るお客さんも多かったけど、今ではほとんどの駅で通過待ちしているもの」
「「ふむふむ」」
「そして3つ目は、駅構内での売店……つまり駅ナカの充実よ。通過待ちが多くても、駅に売店がなかったら車内販売が必要になるわ。弁当買い出しのための店そのものの充実も、見過ごせない要素よ」
「なるほどなあ……」
びゅわーん! ひゅんひゅん、ひゅーん!
話していると、米原駅をのぞみ号がすさまじい速度で通過していった。
「今は貸し切りだけど、途中で他のお客さんも乗ってくるわ。その時は静かにね」
「はい」
そう、初日と違って、この電車は団体専用列車ではなく、普通のこだま号だ。
だから、あたしたちは団体割引が適用されるだけで、一般のお客さんと同じ扱いになっている。
「お待たせしましたまもなく発車いたします。ご乗車のままでお待ちください」
車掌さんの声がすると、新幹線の車内に次々とクラスメイト達が帰還し、全員が戻った。
やがて遠くで扉が閉まる音がして新幹線が発車する。
関ヶ原古戦場を途中通るが、永原先生は無言のままだ。
「この辺が?」
「ええ、関ヶ原よ。418年経った今でも、あの日のことを思い出すことは多いわ」
永原先生の言葉、やがて岐阜の街に入る。
そして、電車はやがて岐阜羽島駅に到着する。
乗り換え路線は名鉄線のみで、周囲も閑散としているのに、駅は広い。
「ここは、関ヶ原の雪で不通になった時なんかに使われているわ。岐阜県の代表駅だけど、岐阜駅や大垣駅だと大きく遠回りになっちゃうのでここに駅が作られたわ……政治駅、もっと言えば『大野伴睦駅』なんて言われることもあるけど、実は大野さんは一芝居打っただけなのよ」
永原先生によると、開業当初は今よりいくらか駅が少なかった。品川、三島、新富士、掛川、三河安城の各駅は開業当初には存在せず、三島駅は国鉄時代、残りはJRになってからの新規開業駅だという。
岐阜羽島駅は、今でこそ名鉄羽島線があるけど、長らく他の路線との乗り換えがない単独駅で、新富士駅が出来るまでは東海道新幹線で唯一だった。
当初は岐阜県に一切作らないと言う予定をあえて国鉄が立て、妥協したかのように岐阜羽島駅が作られたという。
「面白い駆け引きだなあ」
「うんうん」
そんな話をしている間にも、岐阜羽島駅を1本ののぞみが通過する。これで2列車を退避した。
とにかく、次の名古屋駅では退避はないわね。その代わり、かなりまとまった乗降があると思うわ。
「間もなく、名古屋です――」
岐阜羽島駅を出発した新幹線はやがて、三大都市圏の名古屋の中心駅、名古屋駅に到着する。
ここでは車掌さんが、同じ東海道新幹線でも、途中で抜かれると思われる、後続ののぞみとひかりの乗り換え案内もしている。
さて、名古屋駅では、スーツ姿のおじさんなどが乗って来た。
すると、大騒ぎしていた車内が徐々に静かになっていく。
おじさんはとても関心した表情になっていた。
「やっぱり、秩序がいいわねこのクラス」
永原先生にも、思うところがあるらしい。
そう言えば、優一の乱暴さがこうさせた一面もあったんだっけ?
でも、そのことはもう、あまり考えないようにしよう。
名古屋駅の次の駅は三河安城駅で、国鉄がJRになってから出来た駅ね。
「在来線の快速は停車しないけど、新幹線は止まるのよね」
どういう理由なのかは分からないけど、説明するとまた長くなりそうなので、あえて聞かないことにしよう。
ちなみに、新横浜までの各駅からここに行く場合、名古屋までのぞみを使って引き返したほうが早く着くことが多いとか。
「三河安城駅では6分ほど停車します。発車までしばらくお待ちください」
「あれ? 通過電車とは言わないのね?」
車掌さんの微妙な物言いにあたしがちょっと違和感を感じる。
「まあ、待ってれば分かるわよ」
「う、うん……」
永原先生に言われるがままに、あたしは浩介くんとぼーっとする。
何もせずにいるのは結構辛い。
周囲も含め、鳥のさえずり声さえ聞こえてこない静寂さだ。
さっきはこの静寂性が突然新幹線の轟音に破られた。
「――お待たせをいたしました。間もなく発車いたします」
「「え!?」」
あたしと浩介くんは目を丸くしながら驚きの表情を隠せない。
新幹線は通過せず、そのままドアが閉まって発車し始めた。
「ね、ねえどうして?」
「実はこの駅の通過待ちは臨時列車の通過待ちだったのよ。今日は運転してない日だから、ただ止まっているだけに見えたのよ」
永原先生の話では、このようなこだまの退避を「空退避」というらしい。
「臨時列車の日だけ、すぐ出発できねえのか?」
「またダイヤ編成が大変になるわ。それに、東海道新幹線の臨時列車はかなり高頻度で、しかも複雑よ。毎日違うダイヤになっちゃうわ。それに、こだまの通過待ちは他にもパターンがあるわよ」
新幹線の駅間が長いのか、どこの駅でも270キロまで加速できていると思える。
「でも、行きに比べると、やっぱゆっくりだな」
「東海道新幹線にはこの車両では255キロ制限カーブが沢山あるわ。行きの新型車両は、車体傾斜装置を付けることでその制限でも270キロで走行できるようになったのよ」
永原先生によれば、これ以外にも制限速度緩和と、新幹線車両ながら通勤電車並みの高加速力の実現によってこれによって東京新大阪を5分短縮、最高速度285キロ化で、更に3分の短縮を実現し、運転本数を増やせたらしい。
「にしても、何で車体傾斜装置でカーブの制限速度が緩和できんだ? 行きに乗った時はそんなん全然感じなかったけど」
浩介くんが疑問の声を挟む。
この理屈はあたしにも分かる。
「浩介くん、自転車の競輪とかバイクのレースでも体を傾けながら曲がってない?」
「あっ! そう言えば! 物理の授業でやったな!」
「うん、傾斜に気付かなかったのはそれだけN700系の性能が優れているからよ」
新幹線、奥が深いわね。
次は豊橋駅。ここでも5分停車し、通過電車を待つという。
明らかに5分も経ってないうちに、電車が一本通過する。
慌てて、車内に戻る生徒たちも見える。
でも、車掌さんの放送は一切ない。
「あれ?」
「まあ待ってみてよ」
永原先生はあくまで冷静だ。
「――お待たせしました間もなく発車いたします」
そう、2本目は「空退避」だったのだ。
同じ駅で、複数の列車を退避することもあり得る。
次の浜松駅がそうで、実際に走っている臨時の「のぞみ」と、更に「ひかり」の通過待ちも行った。2本通過するのをずっと待つというのも中々のんびりしていると思う。
次の掛川駅では2分停車、ここでものぞみを1本退避した。ちなみに、何故か「天竜浜名湖鉄道」の乗換案内は時刻まで詳細だった。永原先生曰く、「旧国鉄線を移管した路線は詳細な案内が多い」とのこと。
それにしても、転線から停車まで随分長かった気がする。
「次の静岡駅は1分停車ね。おそらく通過待ちはないわ」
永原先生が時刻表を見ながら答える。
いかにこだま号と言っても、退避しない駅もあるらしい。後ろの電車との間隔の問題だろう。
果たして、静岡駅は、車掌さんの「通過電車待ち合わせのため停車します」の案内もなく、確かに退避することなく直ぐに発車した。
それにしても、これだけ停車続きで、しかも通過待ちだらけなものだから、何か行きに比べて格段に長く感じるわ。車窓はその分、じっくり見られるけど。
富士山の絶景を見ながら、電車は新富士駅に到着。ここでは車掌さんは乗換案内をしていない。
新富士駅では5分停車、かなり時間が経ってからのぞみを通過した気がする。
永原先生によれば、本来2本退避のところ1本目が空退避になったらしい。
「あー、富士山が遠ざかっていくな」
「うん、名残惜しいわね」
またいつか、時間があれば富士山にも旅行してみたい。永原先生から登山は止められているから、遠目から見るか、五合目に行っておしまいだろうけど。
次の三島駅でも5分停車し、ここでものぞみを2本退避した。面白いのは、今までは内側を電車が通過していたのに、こっちに限っては外側を通過したこと。行きはそんなの気付かなかったなあ。
熱海駅までは距離が短い。殆ど丹那トンネルを抜けるだけだからだ。
「あれ? ここ、通過線がないわね」
熱海駅に到着してすぐ、あたしは違和感に気付いた。
「熱海駅は急カーブで作るのがギリギリで通過待ちが出来なくて、ダイヤのネックになっているのよ。制限速度もかかるし」
永原先生によれば、開業当初の東海道新幹線の技術では、急カーブを作らざるを得なかったらしい。かと言って、熱海に駅を設けないのもまずかったとか。
熱海を出て次の小田原まで、トンネルをいくつも抜ける。
「小田原駅では、通過電車を待ちます――」
もうすぐ目的地に着くけど、ここでも通過待ちをする。
最後の最後で、のぞみとひかりをまたもや退避し、総括するとこの列車は空退避も含まれば合計15本もの列車に抜かれたことになる。最後に三島駅で抜かれたのぞみに至っては1時間20分近くも後から出発した列車だ。
何か、一回乗っちゃったらもういいって感じがするわ。次からはのぞみを使いたいわね。
列車がようやく新横浜駅に到着し、通過待ち地獄もこれにて終了。小谷学園の生徒を含め、かなりの人数の乗客が降りていく。
行きと違い、ここでは一般客扱いなので、京都に集合して新幹線に乗りさえすれば、ルール上どこで降りていってもいい。奇特な人は、米原駅で降りて在来線で帰っていく人もいるし、せっかちな人は名古屋駅でのぞみの自由席に乗り換えてしまう。
逆に言えば、京都駅集合の後、新幹線に乗るのが修学旅行最後の規制というわけである。
後は家に帰るまでが修学旅行であるが、別ルートで帰る生徒が殆ど居ないのもあって不思議とトラブルは今まで殆どないという。
別ルートで一番多いのは、「新幹線のどの駅で降りるか?」である。
あたしたちは品川駅で降車することにした。永原先生はこれから協会の本部に顔をだすためここでお別れとなる。
「優子ちゃん、篠原、一緒に帰ろうか」
「うん」
あたしは浩介くんと桂子ちゃんとの3人で一緒に帰る。他の生徒達とは、乗り換えるホームまでは一緒だったけど、いつの間にかバラバラになってしまった。
道中修学旅行の思い出話と、他愛もない雑談をする。
「じゃあ浩介くん、気をつけてね」
「うん、優子ちゃん、また明後日な」
あたしと桂子ちゃんが降りて、浩介くんを見送る。
名残惜しい別れだけど、明後日また会える。
「桂子ちゃん、あたしね――」
「そう、いいわねえ優子ちゃん!」
そして、ここからは桂子ちゃんと女の子同士で他愛もない話をする。優一時代から唯一あたしと話に付き合ってくれた女の子との空間は、浩介くんとの空間とは違った安心感がある。
「それじゃあ優子ちゃん、よい夏休みを」
「うん、機会があったら会おうね」
そして、いつもの分かれ道で分かれ、担任の先生も含めて33人居たあたしの周りも、ついに1人になり、あたしは自宅の呼び鈴を鳴らして、母さんの歓迎を受けたのだった。