永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「石山さん、次よ」
「うん」
永原先生に言われるまでもなく、あたしは次の競技が参加競技だということは知っている。この時だけは競技に集中し、歩美さんのことを忘れることが出来る。
まずは3人4脚対決、あたしだけは、単独で走ってもいいことになっている。
「今回の競技は、石山優子さんのみ単独で走ってもらいます」
生徒会長がそう宣言しただけだった。一般席からはちょっとだけざわつきの声があったけど、多分あたしの足の遅さを見れば、それも仕方ないと思えてくるはず。
「それでは位置について」
あたしたちの体育の草津先生がおもちゃの銃を上に構えて合図する。
「よーい!」
パンッ!
乾いた空気音がしてあたしを含めて走者が一気にスタートする。
最初はスタートに戸惑う他チームを尻目にあたしがリードを奪う。
「はぁ……はぁ……」
とにかくスタートの段階でリードを広げて先行逃げ切りを図らないと、折り返してからはあたしも疲れが出てガンガン差を詰められ、追い越される事はわかっていた。
あたしを追い上げる他チームの様子に、周囲の歓声も盛り上がっていたのを聞いた。
もうすぐ、もうすぐ、まだ横に誰も見えない。
ちょっとだけ後ろを振り返る。まずい、もう少し頑張らないと抜かれるわ!
「うー!」
とりあえず、テープを切ってゴールに着いた。
すると間もなく、あたしは僅かな差で1着だということが分かった。
「はぁ……はぁ……」
パチパチパチパチパチ!!!
あたしが退場すると、観客たちから惜しみない拍手が送られていた。
「ふう……」
持ち場に戻り腰掛けると、あたしは少し、笑顔になる。
ともあれ、これで午前中のあたしの出番は終わり。
あたしは永原先生の隣に戻る。
「石山さん、すごいわね」
永原先生があたしをねぎらうように言う。
「はい、何とか逃げ切れました」
おそらく、後数メートル長ければ負けていたと思う。
そして、あたしの次に開かれる競技は1000メートル走、ここで浩介くんが登場する。
「浩介くん、頑張ってね」
「おう、分かってるさ」
立ち上がった浩介くんの左手には、婚約指輪がはめられていた。
それを見ると、あたしはとても頼もしい気分になる。この指輪があれば、大丈夫って。
浩介くんと、その他の走者が入ってくる。
浩介くんを除けば、陸上部ばかり。
「浩介くん、頑張って!」
浩介くんも、あたしにかっこいいところを見せたいと言っていたし、頑張ってくれるよね?
「位置について……よーい!」
パアンッ!
永原先生の合図で一斉にスタートする。
1000メートルなので、全力疾走ではない。ペース配分を考えなければならないから。
まだ、集団は離れない。
「浩介くん! 頑張ってー!」
あたしも、精一杯応援する。
校庭のトラックは、1週が400メートルになっているので、2週半する必要がある。
浩介くんは1週目が終了した時点で先頭集団のまま流している。既に数名が後ろに引き離され始めた。
もう1週、更に脱落者が出て、浩介くんを含め3人に絞られる。
「キャー! 浩介くん、頑張ってー!」
あたしがもう一度、黄色い声援を送る。
すると、それに反応するかのように、浩介くんが一気にスピードを上げ、残りの200メートルで残りの2名を引き離して優勝した。
「あーん! 浩介くん素敵! 大好き!」
あたしは目がハートマークになりながら、息を上げている浩介くんに見とれてしまう。
「ぜぇ……ぜぇ……ふぅ……はぁ……」
浩介くんは、陸上部の部員たちを押しのけての優勝だった。
去年は短距離だったけど、陸上部員達には負けていたし、浩介くんの体力の強さがより強くなっているんだと思う。
「浩介くん、これ」
「ああ、ありがとう」
あたしは、足元からスポーツドリンクを拾って、浩介くんに渡してあげる。
これはあたしが作ったんじゃなくて、浩介くんが持ってきたものだけど、あたしが渡すことに意味があるんだと思いたい。
浩介くんも、あたしがはめている婚約指輪をじっと見ていたし。
「ふう、これで午前はおしまいだな」
「うん」
あたしと浩介くんで隣同士に座る。
そしてあたしのもう一つの隣には、永原先生が陣取っている。
とりあえず、体育祭の競技を眺めつつ、永原先生に歩美さんのことについて聞いてみる。
「永原会長、あの後歩美さんからは何かありました?」
「いえ、まだありません、学校の方からも、何も連絡はないです」
やはり、まだ動いていないみたいね。
「……分かりました」
ともあれ、様子を見ても反応がないなら、電話で急かすしかない。
内容証明郵便だから、「受け取っていない」は通用しない。
「優子ちゃん、また新しい人?」
今度は浩介くんが聞いてくる。
うん、浩介くんには知っておいたほうがいいよね。
「うん、『歩美さん』って人で文化祭の少し前に東京で発病した子よ。あたしたちのちょうど1個下でね、カウンセラーはあたしが務めているわ」
浩介くんに、歩美さんのことを話す。
「へえ、優子ちゃん頑張ってるんだな」
浩介くんも、あたしが協会で活躍しているのは嬉しいと思う。
「えへへ、永原会長も、比良副会長も、関東支部長さんも忙しかったからね」
「で、ちょろっと話を聞く限り、その『歩美さん』ってのは、学校とトラブってんのか?」
浩介くんが心配そうに言う。
「うん、学校の方がね……更衣室を隔離しちゃったのよ」
「あー、優子ちゃんにもあったなあ……」
浩介くんが懐かしそうな顔で言う。
あの思い出も、既にこうやって振り替えれるなら、もう心配はないわね。
「私はまだ、恵まれていたわよ。永原先生がいたんだもの」
「ええ。それに、昔なら患者さんは、『患者さんはもう完全な女性だから』と言って、女子更衣室を使わせるように言えば学校側も、患者さんも素直にそうしてくれることが多かったわ。話がこじれるようになったのはここ最近、21世紀になってからよ」
あたしたちの会話を聞いていた永原先生が、遠い目をして言う。
それでも、今回みたいに抗議文にまで発展したのは初めてだった。
協会にとっても、完全に未知の領域を進んでいる。前例のないことをするのは、何だかんだで大変なことでもある。
「今後、そのケースは増えそうですね」
「ええ、注視しないといけないわ。私たちは心も体も女の子にならないといけないから。そのために、他の女性と同じように女子更衣室や女湯を使うのは、患者のアイデンティティのためにもとても重要なことよ」
「ええ」
あたしだってそうだった。
まだ浩介くんや他の男子に受け入れてもらえなかった時、初めて女子のみんなからあたしが受け入れられたと感じたのも、クラスの女子たちから「一緒に着替えよう」と言われたことからだった。
あの時の嬉しさは、今でも脳裏に焼き付いている。小谷学園で生活するために、女の子としての、本格的な第一歩だったから。
そしてそんなあたしの扱いに最後まで抵抗したのも、小野先生と教頭先生だった。
その2人だって、後夜祭の時にプロポーズを受けた時に、正式に謝罪してくれた。
先生の側から、生徒のあたしの頭を下げるのは、相当勇気が要ったことだと思う。
あたしたちは体育祭の種目を見る。去年や一昨年に参加した競技も多い。
綱引き合戦もあってなかなか面白い。
一方で、得点模様は、早い段階で白組が大差を付けてしまい、現在は得点がハンデ戦になっている。
「えーただいまを持ちまして、2018年度小谷学園体育祭、午前の部を終了いたします。これより昼食休憩に入ります午後の部は――」
「ふう、浩介くん行こうか」
「おう」
生徒会長さんの放送とともに、午前の競技が終了し、各々解散する。それに従い、あたしたちも食堂へと行く。
浩介くんの午後は長距離リレーで、アンカーで出場する予定になっている。
「浩介くん、リレーも頑張ってね」
「分かってるぜ。優子ちゃんにかっこ悪いところ見せられねえしな」
浩介くんが、頼もしい声で言う。
お昼ご飯は、あたしがカレーで浩介くんはカレー大盛り。
浩介くんの方が量が多いけど、食べ終わるのは浩介くんが先、そしてあたしたちがこの体育祭ですることと言えば――
「うんっ……ちゅっ……じゅぱっ……」
「れろっ……はむっ……べろっ……」
屋上で、婚約指輪をはめた体操服の男女がディープキスをしている。
浩介くんとあたしが、どんどんとのめり込んでいく。
あたしは、浩介くんの手で、優しく胸を触られ、お尻を触られる。
「はぁ……はぁ……やっぱり、優子ちゃんエロいよ」
「あはは、もしかして?」
「さっきの競走で、優子ちゃんゆっさゆっさとこの胸揺らしてて、学校中の男子が見てたぞ」
確かに、胸が揺れているのは分かっていたけど、あたしの体格じゃあしょうがない一面もある。
「あうー、でもしょうがないし――」
「むー! このスケベなおっぱいめ!」
むにっ……むにんっ!
「いやあん! 浩介くんえっちー」
浩介くんは、全校生徒の前であたしが胸を揺らして走って注目を浴びたのに嫉妬しているみたい。
でも、こうやって胸を揉ませてあげれば、浩介くんはたちまち上機嫌になってくれる。
もみっ……むにっ……
「はぁ……はぁ……浩介くん……」
あたしの中で、更に興奮度が高まっていく。
屋上には、誰も来なかった。
「ふう、優子ちゃん、その、俺……ちょっとトイレに行ってくるね。先に戻ってていいよ」
「うん、行ってらっしゃい。先に戻ってるね」
しばらく触られていると、浩介くんがふと我に返ったように言う。
最も、トイレの中でまた我を忘れると思うけどね。
あたしは、「先に戻ってる」とのことで、校庭の方へと走っていく。
その間、浩介くんがしている所を想像すると、あたしまで興奮しちゃうので、何とか冷静にを心がけた。
「ふうただいま」
「あら? 石山さん1人なんだ」
永原先生が不思議そうな目で見る。
「あーうん、浩介くんはその……おトイレに用事があるって……」
って、ごまかしちゃってもよかったかな?
「あーうん、そうだよね。篠原君も押さえるの大変よね。石山さんみたいな女の子と婚約者になっちゃったんだから」
「あ、あはは……」
あたしは思わず苦笑いしてしまう。
永原先生も、遠い昔とは言え、男だった時代もある。
だからこうして、男の気持ちも分かってくれるのだ。
ピピピッ……ピピピッ……
「あ、石山さんごめん」
突然、永原先生の方から、携帯電話の音が聞こえてきた。
永原先生がガラケーを取り出して、通話をし始めた。永原先生、あたしと同じくガラケーなのね。
「はい、はい……あ、山科さん? はい、今は隣にいますから、代わってもいいですか?」
永原先生が電話を切らずに顔を外す。
「歩美さん?」
「ええ」
電話の相手はそうみたいなので、あたしは電話を代わる。
「もしもし、石山ですけど」
「あ、石山さん、山科歩美です」
電話越しで、歩美さんの声が聞こえてきた。
「それで、どうしたの?」
「はい、その……さっき先生から呼び出されて……その……」
歩美さんはいかにも言いにくそうな口調で話している。
「うん」
「抗議文を出すように仕向けたのは私なのかと言われて……」
「そんなわけ無いじゃないの。最終的に決めたのはあたしたちよ」
あたしが、混乱している歩美さんを安心させるように言う。
「はい、違うと言ったんですが、信じてもらえなくて」
「で、先生は何て?」
「学校の評判を落としかねないから、やめなさいって」
「はぁー」
あたしは、思わずため息をつく。
本当に、どうしようもない大人たちね。
「石山さん?」
歩美さんのキョトンとした声が聞こえる。
おっといけないわ。
「いい歩美さん、もはやあなたの意思とは関係ないわ。協会として、また同じ学校でもし次のTS病患者が出た時のためにも、そこの学校には何が何でも意思を曲げてもらいます」
あたしが力強く言う。
そう、もはや歩美さん個人の問題にとどまらない。もし次に、そこの学校でTS病患者が出たら、それだけで転校を余儀なくされる事態になりかねない。
「あの、もしかして」
「ええ、私の方と、永原会長の方で抗議電話を入れるわ。それで次の体育までに考えが改まらないなら、次の手を考えるわ」
「はい」
「安心して? いざとなったら裁判の費用はこっちで出すわよ」
「ありがとうございます」
歩美さんが、電話越しでお礼を言ってくれる。
この戦い、負けるわけにはいかないわね。
「それじゃあ、永原会長に代わるわね」
「はい」
あたしは、もう一度電話を引き離し、永原先生に電話を代わる。
「もしもし山科さん? うん、私たちは絶対味方だからね。転校するのも手だけどそれは裁判所の強制執行さえもはねつけた時の最終手段よ……ええ、次に同じ患者が出てきた時のためにも、負けちゃだめよ……ええ、あなたがここで引いたら、前例を作っちゃうわ」
永原先生が、電話越しで歩美さんと話している。
そう、前例のない事に、前例が出来るというのはとても大きいこと。
「優子ちゃん、戻ったぞ……ってどうしたんだ?」
永原先生が歩美さんと電話していると、浩介くんが戻ってきた。
浩介くんの目からは、永原先生が話しているように見える。
「ああうん、歩美さんから電話よ」
「おう、そうか……」
「ええ……うん、じゃあ、切るわね……失礼します……」
永原先生が電話をし終わり、あたしたちの方を向く。
さて、永原先生はどう出るかな?
「あ、篠原君、帰ったんだ」
「ああ」
浩介くんはすっきりした表情で言う。
「浩介くん、大丈夫?」
「ああ、おかげですっきりしたよ」
「それは良かったわ」
浩介くんは、どうやら煩悩を退散したらしい。
それよりも、今は歩美さんのことだ。
「永原会長、歩美さん、どうしますか?」
「ええ、あまり使いたくはないけど、プランBに移行ね」
永原先生が聞き慣れない言葉を話す。
「プランB?」
浩介くんがその聞きなれない言葉に首をかしげる。
「ええ、半年前、あたしたちを取材した『ニュースブライト桜』ってあったでしょ?」
「あ、ああ……確か今は専属なんだっけ?」
浩介くんにも、時折協会の情報は入っている。彼は維持会員だから正会員のあたしほどじゃないけど。
「ええ」
「じゃあつまり、そこを使って」
「そこの学校を批判するというわけよ」
「えげつねえなあ……」
浩介くんはやや驚いた風に言う。
でもこうした謀略は、永原先生のお手の物だ。
「でも、いきなりじゃないわ。まずはあたしと永原先生で、体育祭が終わったらそれぞれ抗議電話を入れるわよ」
幸い、その学校は私立だ。
おそらく、プランCである裁判までは進まない。
マスコミに批判を受ければ、案外あっさりと引き下がってくれるはずだ。
「なるほどねえ……」
「抗議電話は、あたしがスマートに、永原先生が強硬に抗議するわ。もちろん永原先生からかけるわよ」
「だけどよ、抗議電話では、おそらく学校は態度を硬化させる可能性が高いんじゃねえか?」
浩介くんが疑問を呈する。
「うん、だけど、いきなりメディアに訴えるなんて強硬手段を使うのは下策よ、まずは段階を踏むことで説得性を持たせないといけないというわけ」
永原先生が、今回の作戦の趣旨を軽く説明する。
そう、とにかく第三者目に見て、やむに已まれずという感じのある話にしないといけない。
「うーむ、それで、マスコミを使うというわけか。でもほかのメディアはどうするんだ?」
「大丈夫よ。既に考えてあるわ。その方法も含めて、高島さんには指示を出しておくわね」
永原先生が、さらりと「指示」と言う。まあ、実際には「助言」という形はとっているんだけど、間違ってはいないと思う。
「で、どういう指示を出すんですか?」
「ええ、まずは『こういうことがあったので、注視してください』と言うわ。つまり準備期間みたいなものよ」
「ふむ、取材の準備かあ……」
とにかく、これから大変なことになりそうね。