永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「はい」
「すみません、あたし、日本性転換症候群協会の石山と申します。はい、山科歩美さんについて――」
「申し訳ありません、今担任の方がですね、席をはずしておりまして」
「いえ、いるのは分かっています。私たちには蓬莱教授がいますからね。あたしたちに嘘は通じませんよ。とにかく、裁判沙汰にしたくないなら、つないでもらえますか?」
根拠は無いけど、はったりをかましてみる。
あまり使いたくないけど、とにかく電話に出てくれないことには仕方がない。
「は、はい分かりました」
どうやら、うまく行ったみたいね。あたしたちが盗聴しているとも思ったのかな?
「はい、その……」
さっきの担任と思われる人が電話に出る。
「もしもし、あたし、日本性転換症候群協会の石山優子といいます」
「お前んところの会長、失礼な奴だな!」
やはり、怒っていた。
「あたしに怒っても、どうにもなりませんよ。あたしたちの会長は、とても純粋な方ですから、あれでも本気で心配になって、ああ言ったんですよ」
我ながら、とんでもない嘘つきだと思う。
「んなわけがあるか! あんな、400歳だか500歳だか知らねえが、人を馬鹿にしやがって!」
「ふう、ともかく会長のことはいいです。私は、協会の正会員として、山科歩美さんの担当カウンセラーをしています。私たちTS病患者は、女として生きていかなければ、やがてその歪みで、例外なく精神がやられて、自殺へと追い詰められていくんです」
「っ! その前提がおかしい!」
使い古された反論を、やはりしてくる。
「おかしくありません。何故なら、それ以外の道をたどった患者は、たった1人の例外もなく、全員が自殺しているんです。ええ、1か月半前にもありましたよ。関西の方で、あなたが扱ったみたいに、男とも女ともつかないような生き方をして、最終的に遺体となって発見された。飛び降り自殺だったそうです、あなたは自分の生徒を、自殺させたいんですか?」
「そ、そんなわけがあるか!」
電話の先生は、永原先生に煽られたためか、かなり興奮している。
あたしは「優子」らしく、冷静に優しい口調を心がける。
「でしたら、あたしからもお願いします。歩美さんは、女性としての扱いを望んでいます。歩美さんは、心も体も……赤ちゃんが産めることも含めて、女性なんですよ。赤ちゃんが産める男性なんて、この世にいないですよね?」
「うっ! だが、しかし!」
「昔男性だったから……ですか? 永原会長は、480年間女性をしていて、男性だったのは人生最初の20年、まだ織田信長が4歳だったような時代の話ですよ? あなたは、そんな永原会長も、女扱いできないんですか? 永原会長が女性になったのは、あなたの遠い祖先が生きていたような時代ですよ?」
「だが、山科は1か月くらいだ!」
やはり、反論は使い古されていた。論破するのは造作もないこと。
「TS病患者への治療法として、このことは早ければ早いほどいいのです。初期対応を間違えれば自殺なんですよ、いいですか? もし貴校がきちんと女性として扱えば、世間的にもアピールになります。それに、わざわざ歩美さんの更衣室を準備する手間やコストも考えてください」
「っ!」
そう、これは小野先生にも使った論法。
あの時は通じなかったが、ここでは通じるはず。
「歩美さんも嫌な思いをして、あたしたちも抗議文を出さざるを得なくて、学校側もコストが高まって、みんなが嫌な思いするだけですよ。それとも、あなたが嫌な思いしてないから関係ないと?」
「っ! ええい! もう話は聞かん! 問答無用だ!」
ぶちっ、プープープープー……
あたしの説得は及ばなかった。
「石山さん、ダメみたいね」
「はい」
最終的に、利益論に立って説明したが、無理だった。永原先生の罵倒が、よっぽど効いたんだと思う。
もはや説得は無意味、腕ずくで解決するしかない。
「仕方ありません、全面戦争と行きましょう」
「……はい」
永原先生は、おそらく最初からこれを予見していたようにも見える。
「高島さんと山科さんにも、同席してもらいますので、2人の予定次第ですが……ともあれ、また会合にかけます」
永原先生が淡々と言う。
「分かりました。あたしは歩美さんと連絡を取ります」
「ええ、私は高島さんに、あ、石山さん、これはもうしばらく後でいいから天文部に行ってもいいわよ」
「……はい」
突然天文部のことを言われあたしは天文部に向かう。
ともあれ、ここからは永原先生に任せるとしよう。
「優子ちゃん、どうだった?」
「……」
天文部に入って、最初に桂子ちゃんがあたしを問いただしてきた。
あたしは静かに首を横に振る。
「ちっ……やっぱり、うまくはいかねえか」
浩介くんが歯痒そうに言う。
「ええ、永原会長が、全面戦争だって言ってました」
「全面戦争ねえ……大きく出たわね」
桂子ちゃんがやれやれという感じで言う。
「手始めに、マスコミを使って、それから山科さんには、できればだけど、体育の授業をボイコットしてもらうわ」
成績に影響しちゃうからもちろん強制はできないけど。
「何だか大ごとになってきたなあ」
「それだけ、頑固な人間を、暴力なしで従わせるのは難しいのよ」
あたしは、投げやり気味に言う。
この話題もここで終わり、あたしたちは、天文部の活動を再開した。
永原先生の全面戦争宣言から数日後、歩美さんは相変わらず体育の授業の着替えを隔離されたままで、クラス内でも孤立気味になっているという。
そして今日は、高島さんと歩美さんとの調整が終了し、全体会合が開かれることになった。
また、時期的にまだ早いものの、歩美さんの要望もあって、彼女を協会の普通会員に迎え入れることになった。あたしがカウンセラーを担当した普通会員としては早くも2人目になった。
そして今日はその会合の日、あたしは歩美さんをエスコートしながら協会の本部に入る。
「前来た時も思ったんですけど、ここは結構広いですね」
歩美さんは、幸子さんとはまた違う感想を抱いている。
「ええ、さ、行くわよ」
あたしが、扉を開けて中へと案内する。
「あ、いらっしゃーい」
「あ、会長さん……」
永原先生に、歩美さんが反応する。
「さ、座って。歩美さんの席はここよ」
「は、はい」
今日は急な会議なので、正会員さんも、全員の参加ではない。
だけど、議決には影響はない。
「山科さん、よろしく。私は協会の副会長の比良道子よ」
「はい、よろしくお願いします」
歩美さんは、比良さんと会話を交わす。
その後も続々と人が入ってくる。
ガチャッ……
「待たせたな」
入ってきたのはなんと蓬莱教授と高島さんだった。
高島さんはともかく、蓬莱教授まで会合に参加してくるなんて思わなかった。
「蓬莱教授、どうしてここに?」
あたしは驚きのあまり、言葉に出してしまう。
「ああ、俺の研究所の宣伝部も、出来立てだけど、協力したいんだ」
「おー!」
歩美さんの表情が、パッと明るくなる。
蓬莱教授が味方してくれることになった。
蓬莱教授は遺伝学の専門家だけど、ネームバリューのある人が味方になるのはそれだけで心強いのだと思う。
「さ、蓬莱先生も来たことだし、時間も押してるから、そろそろ始めるわね」
永原先生の号令で、会合が始まる。
「皆さん、本日はお忙しい中、会合に参加くださいましてありがとうございます。さて、今回の会合は、とても大切な会合になります。何故なら、学校側がここまでかたくなになった事例は初めてで、今回大事にすることで、今後患者が発生した際の学校全体への圧力になります」
永原先生が会合の概要を説明する。
「一つ質問いいですか?」
「はいどうぞ」
高島さんが声をかける。
「その、どうしてそこまでして、山科さんに女子更衣室を使わせたいのでしょうか? 他にもっと穏便な方法があると思うんですが?」
やはり、この質問は出た。
「はい、いい質問です。確かに、もっと穏便な方法はありますが、それはその場しのぎの短期的なもので、将来の患者さんのためになりません」
永原先生がすぐに応対する。
「と言いますと?」
「例えば、学校の要求に屈して女子更衣室を使わずに、男女から隔離されれば、歩美さんは精神的にもアイデンティティが打ちのめされて、自殺のリスクが高まります。転校する場合、本人は理解ある学校に転校できたとしても、前例になりかねませんから将来の患者さんのためにもなりません。これはテロに屈するのと同じです」
「……ありがとうございます」
永原先生の言う通り。ここで屈したら将来の患者さんに大きな不幸を呼ぶことになる。
ともあれ、簡潔なまとめになってよかったわ。
とにかく、これで高島さんの報道につながるというわけね。
「高島さんの報道は、必ず大きな騒動になる。その際に、インターネットの報道から、必ず掲示板などで話題にはなる。その時に、必要になるのがネット工作だ」
「ネット工作で、世論を誘導するのよ」
そして永原先生と蓬莱教授の説明がある。
「ネット工作ですか?」
あたしが質問をする。
「同じ人間で、別人になりすますんだ。プロキシを通したりしてな」
「え!? そんなこともできるの?」
蓬莱教授が驚きの事実を述べる。
同一人物がなりすますと言っても、せいぜい、パソコンと携帯やスマホで使い分ける程度だと思っていたわ。
「ええ、代表的なのは『tor』と呼ばれるソフトよ」
「???」
永原先生から、聞きなれない単語が出てきた。
トーア? って何だろう?
「石山さん、PCからインターネットにつなぐ時にはねそのまま直接プロバイダーのサーバーに行くのよ。だからね、プロバイダーに問い合わせて、そのおかげで悪いことを書き込んだらバレるわけ」
うん、ここまでは知っている。インターネットリテラシーのことは以前学校でもやったし。
「だけどこの『tor』はね、世界中のサーバーを数か所経由してからインターネットに書き込むのよ。だから、もし犯罪予告を『tor』を使って行えば、そのサーバーからの記録しか残らないのよ。もちろん、海外のサーバーだから捜査が及ぶのは困難よ」
「あー、もちろん、犯罪のような悪事にも使われるし、ダウンロードしただけで手軽に使えるのは事実だ。だが今回は、山科さんの精神状態や命にも関わることだ。だから、これを使って工作に使おうという算段だ」
「もちろん、torを使って犯行予告とか名誉毀損は、確かにほぼほぼバレないけど犯罪よ。でも、今回書くのはそれに当たらない程度の学校への批判と、山科さんに対する同情の声を書き込むわ」
何か心に引っかかるような言い方だけど気にしないでおくわ。
「被害者に同情して、憐れんではいけないという法律はねえしな、仮に追及されたとしても、同じように言えばいいさ。山科さんを何とか助けたかったってな」
蓬莱教授が半笑いをしながら言う。
そう、「かわいそうな女の子に同情しているだけ」、いわば善意で行う悪事を装った、間違った意味での確信犯ということ。
本当にいいのかな?
「うーん」
やっぱりまだなんか引っかかるわね。
「石山さん? 石山さんが罪に思う必要は無いわよ。それに、山科さんや、今後同じように発病する患者さんたちの命には代えられないわ」
「善意の悪に陥らないためには、それが本当に当人のためになっているのかが大事になる。今回は山科さんも女性としての扱いを望んでいるし、今回の事については理解している。これが『別にいい』って言うなら、確かに俺たちのしていることは悪になるがな」
永原先生と蓬莱教授が、あたしの抱いていた疑問に分かりやすく答えてくれる。
「それでだ、俺たちが考えているのは、このtorや、他にはVPNと呼ばれるツールも使って、1人の人が数人になりすます。それを使えば、容易に多数派を装える、そして、反論者に対しては『火消し』の方法も使う」
「『火消し』? ですか?」
またあたしが質問する。
もちろん火消しの意味が分かるけど、どうやって?
「研究的な意味では禁じ手だが、プロパガンダ的な意味では、反対者に対しては論理的な攻撃よりも人格攻撃が大事になってくるんだ。つまり、議論に持ち込むのではなく、相手の人間性のなさを問題視するものだな。本来の学問では使ってはいけない論法だけど、致し方無いな。もちろん、具体的な反論も随時使ってはいくがね」
蓬莱教授がとてもドライな感じに言う。
本当、この人って割り切り力がすごいと思うわ。
「そしてもう一つ、懸念があるとすれば、クラスの女子の他の子です。山科さん、その辺は大丈夫とのことでしたよね?」
「はい、女子トイレにも入れてもらいましたし、初めてその……女の子の日になった時に、みんな理解してくれました」
山科さんも、やはりあたしと同じ。
女子のみんなからは、生理が来たことで、正真正銘の女の子だと理解してもらえた。
あたしもやっぱり、同じだった。
女の子の日が来ることで、他の女の子からは、中身も女の子で、決して性転換手術でもないという強いメッセージになり得るのよね。
幸子さんみたいに、大学生ならともかく、高校生以下の場合は体育の着替え問題は常に付きまとう。
クラス単位で行動するから、女の子の日になった時に分かりやすいのかもしれない。
「表向きは、多分それで大丈夫ですが、本音は違うかもしれません。もしかしたら、誰かが山科さんを女子更衣室に入れるのに対して強硬に反対している恐れもあります」
永原先生が神妙な面持ちで言う。
「そんな! だって女子のみんなは――」
「本音は分からないわよ。女子というのは、演技力の高い生き物ですから、裏ではどんな陰口があるか分かりません」
余呉さんがやや恐ろしい口調で言う。
「うっ……じゃあもしかして――」
歩美さんがあたしたちにも恐怖の目を向けてくる。
「私たちは心配しなくてもいいですよ。私達は元々はみんな男ですから、そういう女性の性質は、『知識』として知っていますし、そういう女の良くないところは直そうという気概もあります」
「そ、そうですか……よかった……」
比良さんが山科さんを安心させてくれた。
山科さんも安心してくれたようで何よりね。
「とは言え、クラスの女子は、誰も嫌な思いをしていない。山科さんも女の子の振る舞いをして、しかも女の子の日も目撃すれば、まず問題は無いと思います」
「ええ、私も会長に賛成です」
「はい、あたしも」
あたしと余呉さんが続く。
特に、女の子の日のことを知っているなら、まず問題はない。
「ではこれはここでいいでしょう。では蓬莱教授、具体的に何人人員を割けますか?」
「あー、今うちの宣伝部は3人体制だ。全員がそれなりの知識は持っているが、いかんせん人は少ない」
蓬莱教授もまだまだ体制は完成していない。
「協会の方ではどうですか?」
高島さんが今度は質問してくる。
「うーん、本業が多忙な人もいますから……今は……」
比良さんが残念そうな顔をする。
「とは言え、やらんよりはましだ。俺の宣伝部も、試験運用があるからな。協力は惜しまん」
蓬莱教授が力強く言う。
「ありがとうございます、皆さん、私のために――」
「ううん」
歩美さんのお礼に対して、あたしが首を横に振る。
「え!?」
歩美さんは案の定あたしの反応に驚いている。
「歩美さん、さっきも言ったけど、これはあなたのためだけのものじゃないわ。これはみんなのためよ。あなただけじゃない、将来同じようにTS病になった患者たちのためにね」
「いい? TS病はマイノリティーでも、障害でもないわ。もちろん、TS病の苦痛から精神的な二次障害に陥ることもあるわ。でもそうじゃないなら、私たちは単なる一人の女の子よ。でもそれが、障害だとか、マイノリティーに位置付けられたら、それは悲劇だわ」
あたしと永原先生が力強く言う。
そう、これは一人の女の子が、TS病という理由だけで、女の子として扱われないことが問題なのだ。
「うん、分かったよ」
歩美さんが言う。
「よし、じゃあ次は具体的な日程と記事の内容だな」
「えっと、記事についてはこちらの方針で行きます」
高島さんがノートPCを取り出して、記事の原稿を見せてくれる。
具体的には、「高校で、TS病の女の子が女子更衣室の使用を拒まれており、協会の抗議も黙殺している」というもの。
「ここにさっき出てきた、女の子の日をきっかけに受け入れられるようになったことを入れたいと思います。山科さん、よろしいですか?」
「はいもちろんです」
歩美さんが頷く。もちろん、あたしたちが有利になるためには、「クラスの女子は嫌な思いしていない」ことが大事になる。
歩美さんの反応を見た高島さんが、記事を加筆していく。
あたしたちは一言も発さずにその様子を固唾をのんで見守るだけ。
「できました」
数分後、高島さんが記事を見せてくれた。
「随分とストレートなニュースだな」
蓬莱教授が「ストレート」と言った。
「「ストレート?」」
あたしと山科さんがほぼ同時に聞き返す。
「ああつまり、起こった事実だけを淡々と書くニュースってことだ、見出しも『日本性転換症候群協会が高校に抗議文』とだけあるだろ? 記事本文も、『協会によればー』というものと、学校側も『ただいま職員会議中』としか書いてないだろ? つまり記者の意見が全くないんだ」
ちなみに、抗議文を無視されてしまい、歩美さんの人権が侵害されているため、今回告発に至ったとだけ書かれている。
「もちろん、それは悪いことばかりではありませんよ。事実だけを淡々と報道すれば、『世論誘導』や『偏向報道』という批判も避けられます。何かの第一報だって、大体そんなものですから」
高島さんと蓬莱教授の説明に、あたしたちも納得する。
「それで、その後はどうするんですか?」
歩美さんが不安そうに聞いてくる。
「もちろん、他マスコミの動向を、協会は注視します」
「うむ、俺たちも世論工作は続ける。高島さんのところも、また何かあれば頼りにする」
「……はい」
ともあれ、大体の動向はまとまったので、今日が解散となった。
高島さんの記事は、今夜、アップロードされることになっている。
この物語はフィクションです。
torやVPNは本来、いわゆるネット検閲やアクセス制限に対する対抗措置として使われるべきものです。本小説における蓬莱教授の宣伝部のような世論操作に利用するような行為は絶対にしないでください。