永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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幕間 ここまでの時系列整理

 今回は永原先生の人生と本編での時系列のまとめです。

 読まなくても支障はありませんが、章の合間ですので時系列の整理をしてみるのもいいでしょう。

 

本編前

 

永正10年/1513年(-) 真田幸綱(真田幸隆)が生まれる

永正15年/1518年(0歳) 鳩原刀根之助が生まれる、この歳は真田幸隆の弟矢沢頼綱も生まれている

大永元年/1521年(3歳) 武田信玄が生まれる

天文2年/1533年(15歳) 刀根之助、真田家に伝令役の足軽として奉公するようになる

天文3年/1534年(16歳) 織田信長が生まれる

天文6年/1537年(19歳) 豊臣秀吉が生まれる。またこの歳真田幸隆の長男真田信綱も生まれている

天文7年/1538年(20歳) 刀根之助、畑仕事中に倒れTS病となり不老の女の子へ。この頃には既に両親は死去していたが、殺害を恐れ隣村に逃亡。名を「柳ヶ瀬まつ」と改める。事実上の真田家出奔

天文10年/1541年(23歳) 信濃進出を図っていた武田信玄の父武田信虎が諏訪頼重・村上義清と同盟し真田家とその本家筋にあたる海野家を攻める海野平の戦いが勃発。真田幸隆は箕輪城主の長野業正のもとに逃亡し、真田の村は村上義清の領地となる。その直後、武田信虎は武田晴信に追放される

天文11年/1542年(24歳) 徳川家康が生まれる。柳ヶ瀬まつが真田領に帰還、空き家となっていた刀根之助の家に戻る

天文16年/1546年(28歳) 真田昌幸が生まれる

天文17年/1547年(29歳) 遅くともこの頃までに真田幸隆は武田家臣となる

天文20年/1550年(32歳) 真田幸隆が砥石城を攻略し旧領に復帰する、まつ、恐怖心から帰参できず別人を装って過ごす

永禄9年/1566年(48歳) 真田昌幸の長男、真田信之が生まれる

永禄10年/1567年(49歳) 真田幸隆は真田信綱に家督を譲って隠居する。真田信繁が生まれる

元亀4年/1573年(55歳) 武田信玄病死、武田勝頼が家督を継ぐ

天正2年/1574年(56歳) 砥石城で真田幸隆病死。まつ、自らが不老ではないかと疑い始める

天正3年/1575年(57歳) 長篠の戦いで武田軍は織田徳川連合軍に大敗、真田信綱は弟真田昌輝共々討ち死にし、三男の真田昌幸が家督を継ぐ

天正10年/1582年(64歳) 織田徳川連合軍が武田征伐を行い、武田勝頼は自害。真田家は独立し、織田信長に臣従するも、織田信長は同年本能寺の変で明智光秀の謀反に遭い自害。明智光秀もまた羽柴秀吉に山崎の戦いで討たれる。まつは村の者にも不老を疑われ始め、命の危険を感じて逃走する。ほどなくして天正壬午の乱で徳川家康が甲斐信濃を平定。そんな中真田昌幸は必死の謀略を駆使し、表裏比興と言われながらも生き残る。この乱の様子をまつは見物している。

天正18年/1590年(72歳) 関白秀吉が小田原征伐で後北条氏を降伏させ、天下を統一。関東には徳川家康が入った

慶長3年/1598年(80歳) 豊臣秀吉が病死、徳川家康による専横が開始

慶長5年/1600年(82歳) 上杉景勝討伐を名目に石田三成と徳川家康との間で関ヶ原の合戦が勃発。真田信之は東軍に付き、真田昌幸と真田信繁は西軍につき分裂。真田昌幸・信繁親子は上田城において後の2代将軍である徳川秀忠の軍を足止めさせ、遅参に追い込んだ。まつ、京の公家と共に関ヶ原の戦いを見物、真田昌幸の援護射撃も虚しく、小早川秀秋の裏切りによって西軍は壊滅し、真田昌幸・信繁親子は本多忠勝や真田信之の助命懇願もあって高野山から次いで九度山へと配流される

慶長8年/1603年(85歳) 徳川家康が江戸幕府を開く。まつ、江戸在住を目指し貯金を開始。

慶長16年/1611年(93歳) 真田昌幸が配流先で病死

慶長19年/1614年(96歳) 方広寺鐘銘事件が勃発。徳川家康の諱を犯したとして豊臣方が非難され、これを大義名分に大坂冬の陣が勃発。真田信繁が大坂城に入り真田丸を作る

慶長20年/1615年(97歳) 大坂夏の陣、裸同然の大坂城に殺到する徳川軍に為す術もなく壊滅。真田信繁が奮戦するも戦死。柳ヶ瀬まつ、江戸へ移り住みここを定住地とする。

寛永7年/1630年(112歳) 真田幸隆と同い年とされている永田徳本が117歳で死去したことにより、以降現在まで「この世で最も長生きの人」となる。男余りの江戸において非常にモテたものの、不老のこともあって拒否し続けていた。

承応2年/1653年(135歳) 江戸の街でも不老の噂が流れ、再逃亡を考えていた矢先、当時の4代将軍徳川家綱により江戸城に呼び出される。真田信之がまだ存命であったため、事情を話し、かつて真田に仕えていた鳩原刀根之助と同一人物であると示す。出奔者のまつを許し、「よく戻ってきた」と労うと、感極まって大泣きしてしまう。家老の叱責に対しても徳川家綱が「よい、泣かせてやれ」と言ったため、お咎めなしとなった。その後、徳川家綱もまた労いの言葉を投げかけ「今日は存分に泣け」と言われ、江戸城の一室で泣き続けた。翌日、この二人に恋心を感じてしまい、これが現在まで永原先生を苦しめている

明暦3年/1657年(139歳) 明暦の大火、江戸城も天守閣などが焼失するが、徳川家綱に誘導され難を逃れる。眼下に広がる大火により、逃げ遅れた人々が次々火に飲み込まれるのを見る。命の危険を感じた最後の時。

万治元年/1658年(140歳) 真田信之が92歳で死去

延宝8年/1680年(162歳) 徳川家綱が39歳で死去、まつ、初恋の秘密を隠し通す。弟の徳川綱吉が後継者となった。

元禄12年/1700年頃(182歳頃) まつ、町娘の服を着ていたため、江戸城で陰口を叩かれ続けていたのを、吉良義央の進言を受けたと徳川綱吉のとりなしによって止めてもらう。以降も吉良には上方の作法を教わったり、江戸城に相応しい服を与えられるなどし、深い恩義を感じるようになる。また同時期には、水戸黄門こと徳川光圀から、大日本史のためにいくつかの証言を依頼された。

元禄14年/1701年(183歳) 朝廷の勅使を迎える宮中行事の最中、江戸城内で吉良義央が浅野長矩から突如刀傷を受ける。吉良側は江戸城で手当てを受け命に別状はなく、浅野長矩の「恨み」に対しても「身に覚えがない。乱心したとしか思えない」と発言、これは、乱心ならば罪が軽くなるための配慮だったが、浅野長矩はそれをもふいにし、朝廷との大事な儀式を台無しにされた徳川綱吉は、永原先生が「今でもあの時の形相は忘れられない」と称するほどに激怒し、浅野長矩に即日切腹と改易を命じ、一方で吉良側には「刀を抜いておらず無抵抗なのはよく堪忍し、殊勝だった」として、おとがめなしだった

元禄15年/1702年(184歳) 前年の措置を不服とした大石良雄率いる47人の「赤穂浪人」が吉良邸を襲撃、結果的に吉良義央は討ち死にし、首級は浅野の墓の前に添えられた。世論が一気に浅野側に傾き、徳川綱吉は吉良家の取りつぶしと赤穂浪士全員切腹のいわゆる「喧嘩両成敗」を決断。まつはこれに猛反対し、「喧嘩両成敗は戦乱の世のごとし、かような取り決めは上様御自身がお定めになった生類憐みの令にも反する」と進言した。これに対して徳川綱吉は「柳ヶ瀬殿の申されること誠にごもっともであるが、いかに天下の将軍とは言え、世論に逆らうことはできない」として、最終的には却下されてしまう。永原先生はこの対応に理解しつつも、浅野長矩と赤穂浪士に対する強い憎悪が募り、吉良家に対しては、「恩義を何も返せなかった」という後悔の念が募り、「上野介殿は私を恨んでいるに違いない」と思い込むに至ってしまっている

 

この間江戸城で比較的平穏無事に過ごす。歴代将軍に戦話などを聞かせつつも、江戸の街も比較的自由に歩けたようである。

現在の価値で数百円程の値段で買った浮世絵を多数所持し、また銭湯にもよく入り、混浴故にしょっちゅう痴漢されていたが、当時は「魅力的な女性の証拠」として、そこまで気にしていなかった

 

天保3年/1833年(315歳) 後に地球上で2番目に年上となる余呉さんが農村で生まれる

天保11年/1840年(322歳) 地球上で3盤目に年上で、後に協会の副会長でもある「比良道子」となる男性が水戸藩で生まれる。TS病になるまでは尊王攘夷運動に参加

慶応4年/1868年(350歳) 戊辰戦争により再び諸国流浪。自らに関する記録を持ち出した後、数個の偽名を使い分けて生活する

明治15年/1882年(364歳) 全国に鉄道が張り巡らされるという情報を入手、逃走は難しいと判断し教師の職業を始める。また、逃亡先の鶴見で1号機関車を目撃し、その走りに衝撃を受ける。以降、鉄道の魅力にとりつかれるようになる。

明治27年/1894年(376歳) 日清戦争が始まる。この頃、TS病は迷信で殺されることはなくなり、大手を振って活動できるようになる

大正元年/1912年(394歳) 偽名などを整理し、名前を北小松貴子と改める

大正6年/1917年(399歳) TS病患者の人口も増え始めたため、日本性転換症候群協会が設立される。「長老」であった貴子が会長に、また武士身分であったことや余呉さんの当時の教育水準から、副会長は比良道子が務める。以降現在までこの体制は変わらず

大正12年/1923年(405歳) 関東大震災、山口に赴任しており難を逃れる

昭和20年/1945年(427歳) 戦争による空襲が激しくなり、女学校生とともに地方に疎開、いざという時は単独で山に逃れる手立ても考えていたが、結局爆撃などは来なかった。なお、永原先生自身は「久々の大戦争に血沸き肉躍る思いだった」としているものの、命惜しさの逃亡計画は「まだ真田家と吉良家に恩返しできてないと焦るあまり、よりにもよって最も裏切ってはならない天皇陛下を裏切る行為」だと考えており、後年には「私は最低の女」と思うに至ってしまっている

昭和40年代/1965-1975年(447-457歳) 当時小学生だった小谷学園の校長先生を教える。永原先生は覚えておらず

昭和45年/1970年(452歳) 大阪万博で永原先生が新幹線に乗車、その感動は鉄道開業時に匹敵した

昭和51年/1976年(458歳) 小野先生の学校で当時小学6年生だった小野先生の担任として務める。悪ガキだった小野先生に手を焼く

昭和62年/1987年(469歳) 大正より使っていた北小松貴子の名前を改め、永原マキノと名乗るようになる。TS病患者の改名は珍しくなかったが、この頃には珍しくなっており、最後の改名である

平成12年/2000年(482歳) 石山優一、木ノ本桂子といった主要人物が生まれた年

平成29年/2017年(499歳) 本編開始

 

本編

2017年

 

5月8日 石山優一が倒れる

5月9日 石山優一、TS病で黒髪ロングの爆乳美少女になってしまったことに気付く。男女の違いに戸惑いつつ最終的に優子と名前を変えて女の子として行きていくことを決意

5月10日 優子、自身の決意を両親と永原先生に伝える

5月11日 カリキュラム1日目

5月12日 カリキュラム2日目

5月13日 カリキュラム3日目

5月14日 カリキュラム4日目

5月15日 復学初日

5月16日 体育の授業で孤独感を感じる、優子の運動能力のなさが露呈

5月18日 混んだ電車でスカートの上から痴漢される

5月20日 はじめてハイヒールを履いて外出

5月22日 初めての生理、永原先生に決意を伝える

5月23日 木ノ本桂子、田村恵美が生理に伴う優子の決意を永原先生から聞く。女の子扱いしきれてなかった田村恵美は自らの行いを激しく後悔する

5月24日 田村恵美の謝罪、優子に関しては両グループで協力関係ができ始める

5月26日 男子扱いのいじめに耐え切れず、優子が大泣きしてしまう。木ノ本と田村のかばいもあって高月と篠原がしぶしぶ矛を収める。女子から受け入れられて、体育を一緒に着替えることになった

5月28日 優子が木ノ本桂子、河瀨龍香とともに休日を楽しむ

5月29日 いじめに加担してなかった男子も含め、男子たちから謝罪を受ける。木ノ本桂子に天文部に誘われ、坂田舞子とも出会う

6月 梅雨。2回目の生理。誕生日プレゼントも貰う。球技大会に向けての体育の授業。着替えの方針を変えない小野先生に永原先生が脅迫じみたことを行う

6月末 球技大会

7月上旬 林間学校の実行委員に優子と篠原浩介が選ばれる。プールの授業。最後まで優子の女子扱いに抵抗した教頭先生を蓬莱教授の手も借りて撃退

7月19日 林間学校1日目

7月20日 林間学校2日目、登山で無意識に篠原浩介に思いを寄せ始める

7月21日 林間学校3日目

7月22日 林間学校4日目、優子が自分を守ってくれた篠原浩介と恋に落ちる。家に帰ってお人形さん遊び

夏休み 体育の補講、木ノ本桂子、田村恵美、志賀さくらを連れての女子お泊り会。優子の部屋がより女の子らしい部屋に模様替えされる。優子、女の子として幼い頃の自分が無いことにコンプレックスを抱き始める。海と夏祭り、海では心も体も女の子なのに、本能として男が残っていることに嫌気が差す。篠原と友達として公園と水族館でデート

9月1日 夏休み明けの初日で生理

9月末 期末試験

10月 文化祭の準備、ミスコン出場

10月28日 文化祭1日目

10月29日 文化祭2日目、後夜祭で篠原浩介から正式に告白を受け、彼氏彼女の関係に。その後最終試験に合格する

10月末 恋人としての初デート

11月1日 永原先生から、日本性転換症候群協会の正会員に推薦される

11月4日 協会本部を訪れ、入会手続きをする

11月 会合に参加し、受け入れられると共に「みんなの模範」「救世主」と言われる。後輩の患者、後の塩津幸子の危機を知りカウンセラーに志願、危機的状況から脱出させた。体育祭、篠原浩介に深く惚れ込む。塩津幸子に女の子の手ほどきを施し、結果的に教材を書き換える。篠原浩介が天文部に。

12月24日-25日 クリスマスデート、後の義両親と初対面。天体観測。電気屋デート、蓬莱教授の記者会見。討論番組。お泊りデート

 

2018年

 

1月1日 元旦、初詣、永原先生500歳の誕生日

1月 スキー合宿の準備。蓬莱教授から、研究成功のための佐和山大学への進学要請と受諾。

2月 永原先生が優子によって吉良の呪縛から解放される。永原先生は優子にさらなる恩を感じる。スキー合宿、家族風呂で一緒にお風呂に入る。子供たちと永原先生と一緒の初心者プログラム。優子、更に篠原浩介に惚れ込む

2月14日 バレンタインデー、イチャイチャ

3月 期末試験。卒業式、坂田舞子卒業

春休み 篠原浩介と遊園地デート、最後の観覧車でプロポーズ同然の言葉を交わす、恋人から婚約者に

4月 始業式。去年と同じクラスになる。受験ムードに疎外感。天文部の新入生。マスコミの取材

ゴールデンウィーク 篠原浩介の家で、2拍3日の花嫁修業

5月10日 優子の女の子1周年記念パーティ

6月末まで 篠原浩介、田村恵美とのテニス対決のためテニス部へ一時出向

6月末 球技大会、篠原浩介が田村恵美に5セットマッチで勝利

7月上旬 篠原浩介に対するスポーツアカデミースカウト騒動。修学旅行準備

7月中旬 修学旅行。女子校カルチャーショック。夜の京都巡り、永原先生たちと京都鉄道博物館。新しいTS病患者と面会。篠原浩介と大阪・神戸巡り。京都の寺社仏閣巡り

夏休み 佐和山大学のAO入試、蓬莱教授の演説。プールデートと両家合同のキャンプ場デート

9月 メディア対策や新患者の対応学校生活などでやや多忙に

10月末 文化祭。最後の後夜祭で、篠原浩介から全校生徒が見ている目の前で正式にプロポーズされる。婚約指輪をはめるようになる

11月 新患者の女子更衣室を巡って患者の通う学校と争う。最後の体育祭

12月24日 クリスマスイブのデート。模型屋デート、おもちゃ屋デート。帰省の練習

12月25日 クリスマスを篠原浩介と一緒に優子の家で過ごす

 

2019年

1月1日 元旦、木ノ本桂子、木ノ本母、優子、優子母、篠原浩介、浩介母の6人で行う。501歳になった永原先生とも出会う

2月14日 生理のバレンタインデー

2月25日 永原先生が2週間限定で生徒になる

2月ー3月 結婚準備

3月15日 結婚式、卒業式リハーサル

3月16日 石山優子最後の日、卒業式が終わり、婚姻届を提出

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