永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「お、車両が2つあるな」
浩介くんが指さす。
さっきの特急型電車に似た形の電車が屋外にも展示されていた。
これはどうも「ランチトレイン」と称して、中で飲食ができるようになっているらしい。
あたしたちは、何も持ってきてないけど。
他の部分は緑の多い公園になっていて、デフォルメされた新幹線車両の遊具もあり、子供たちがワイワイと大きな声で元気よく遊んでいた。
男の子が多いわね。
「子供の声が大きな」
「うん、でもなんだかかわいいわね」
あたしが、子供たちを見ながら言う。
近くには、親御さんたちが見守っている。
「優子ちゃんはそう思うの?」
「うん、何だか昔よりも子供のこと、赤ちゃんのことがかわいくてたまらなくなってる気がするの」
あたしと浩介くんがいて、2人の間に生まれた小さな子供と3人で、あの遊具で遊んでいる光景が思い浮かぶ。
今までは、大好きな浩介くんとの子供を産みたいというのは、どちらかといえば煩悩に近い欲望があったけど、今はちょっと違う。
「優子ちゃん、やっぱり、女性の本能が強くなってるんじゃねえか?」
「うん、あたしもそう思うわ」
実際、浩介くんの言う通りだと思う。
今までも、小さな赤ちゃんに対する愛しい気持ちはあったけど、今は違う。
子供を持つ家庭、父親と母親にかわいがられている子供、その全てが愛おしかった。
「俺も、何だか昔よりも優子ちゃんのこと、守りたい気分なんだ」
「浩介くんも?」
「ああ、やっぱり、男も恋すると、オスらしくなるんだなって」
浩介くんがかっこよく言う。やっぱり浩介くんも変わっていた。
そう、いつかあたしたちもあんな風に、家庭を作っていきたいと思う。
「ねえ浩介くん」
「うん?」
「あたしたち、赤ちゃん産んだら、最初に生まれるのは男の子かな? 女の子かな?」
ふと、気になったので聞いてみる。
「うーん、優子ちゃんに似て、かわいい女の子かなあ?」
浩介くんが笑いながら言う。
「そう? あたしは、浩介くんに似て、かっこいい男の子だと思うわ」
意見が、食い違う。
「あはは、割れちゃったな」
浩介くんが小さく笑う。
「ふふっ」
あたしも、それに釣られて小さく笑う。
どっちが生まれるかなんて、分からないものね。
「優子ちゃん、異性の赤ちゃんが好き?」
「うーん、分からないわ」
もしかしたら、優一がちょっとだけ影響しているのかもしれない。
でも、女の子を産んだとしても、男の子と同じくらい愛せる自信があるのは確かね。
ヒューガタンゴトンガタンゴトン……
あたしたちが話していると、博物館のすぐ横の線路を電車がさーっと通り抜けた。
電車の形はそう、あたしたちが大宮駅まで乗ってきたのと同じものだった。
「あれもいつか、ここに入るのかな?」
浩介くんが何の気なしに呟く。
「もしかしたら、ね。ほら、全部の車両が入るわけじゃないじゃない」
あたしが少し話す。
「ああ、でもよ。俺たちが乗ってきたグリーン車とか、あのE233系とかは、入れてもいいんじゃないかな?」
「そうかもね。でも、その頃の博物館はどうなってるかしら?」
もちろん、30年という車両寿命を考えると、もし蓬莱教授の研究が失敗したとしても、今ある車両が全滅する頃でも、まだ浩介くんはピンピンしていると思うけど。
「さ、取りあえず、次に進んでみようぜ」
「うん」
あたしたちは、浩介くんの誘導で、2階へと進む。
まず2階から1階の展示を見ることができる。
「すげえなあこの博物館も」
「うん」
実際、かなり広い上に、ここからなら車両の上部を見ることもできる。
そして、2階の部分にあったのは、古い資料、鉄道の歴史などだ。
「永原先生は、これを見てきたんだな」
浩介くんが感慨深く言う。
「うん」
永原先生の時代、鉄道は敷かれるだけで大革命だった。
小さな小さなあの1号機関車が、今の電車の半分にも満たない速度でゆっくりのんびりと走っていた明治時代、それでも、永原先生にとっては大変な革命だった。
「鉄道唱歌っていう明治の歌にさ、上野から青森までの歌があるのよ」
浩介くんがまたメモ帳を開いて言う。
「そこの最後にさ、『昔は陸路廿日道、今は鉄道一昼夜』ってあるんだ」
「あはは、青森まで一昼夜かあ……」
気の遠くなる話だと思う。
「永原先生はさ、『昔は蒸気一昼夜、今ははやぶさ3時間』何だってさ」
青森まで3時間、昔の昔は1か月以上かかった道のりに対して、簡単に日帰りが可能になっている。
いや、今なら北海道でもその気になれば日帰りできる。新千歳空港と羽田空港の間に、飛行機が大量に飛んでいるから。
「時代は変わるのよね」
「でもよ、青森はともかく、大阪はこれからもっと変わるよな」
浩介くんが言う。
「ええ、リニア、楽しみよね」
「所要時間半分以下だもんな」
リニアの開業まであと数年、実現すれば名古屋まで1時間とかからなくなる。
大阪までだって今は2時間半かかっているのが1時間ちょっとになる。
リニア新幹線は500キロと言うこれまでにない速度で走ることになるのよね。
「ええ」
交通機関の発展は、とても偉大なこと。
この博物館にある車両たちも、そんな時代の中で生まれ、やがて新型車が登場し、博物館で余生を送っている。
「乗り心地、所要時間、車両性能、どれを取っても、すげえよなあ、技術の進歩は」
「うん」
しかも、進歩の仕方にも種類があることも知っている。
鉄道の歴史、例えば超特急燕についての記録。浩介くんがメモ帳を開く。
「熱海からのトンネルができる前は、東海道本線は御殿場に迂回してたんだってさ。で、その時代の最速列車超特急燕は、今は在来線の普通列車を乗り継いだ最速の所要時間と同じくらいらしい」
「昔は超特急でも今の鈍行くらいかかったってこと?」
「ああ。丹那トンネル開通で所要時間8時間で今の在来線乗り継ぎよりは早くなったんだが、それでも乗り換え待ちの時間を除けば、今の在来線の普通列車での所要時間は、当時の超特急燕と同じくらいになるらしいんだ」
「でも、在来線って何駅にも止まるんでしょ? いくら戦前のSL相手とは言え、それで勝っちゃうってすごいわね」
もちろん、関西で乗った新快速を含め、快速電車のある区間もあるんだと思うんだけど。
「最高速度と加速減速性能が格段に違うのが理由だって書いてあるな」
浩介くんがメモ帳を見ながら言う。
永原先生によると、「超特急燕」は蒸気機関車の減速性能の悪さと、いわゆる「600メートル条項」のために、最高速度は95キロだったのに対して、現代の東海道本線の電車たちは戸塚駅まで110キロ、小田原駅まで120キロ、小田原駅から豊橋駅までが110キロ、そこから米原駅まで120キロ、そしてそこから先の区間は130キロとなっている。
つまり、停車駅が多くても、高い最高速度に加減速性能と、カーブや勾配への耐性が強ければいいということになる。
超特急燕はカーブや勾配でも減速しないといけないし、そうなってまたトップスピードに戻すまでにも時間がかかってしまう。
「電車はそのあたりが強いんだな」
「そうみたいね。だから停車駅の少ない蒸気機関車の特急より速いのね」
そして、戦前の蒸気機関車による超特急燕は、戦後には電気機関車の「つばめ・はと」が7時間、更に新幹線のプロトタイプとも言えるビジネス特急「こだま」によって、95キロが110キロとなって、所要時間は6時間半を切り、この時東京と大阪で日帰りの出張が出来ると国鉄が大々的に宣伝した。
「永原先生によれば、それは新幹線程ではないけど、あまりにも大きな衝撃だったみたいね」
「でも、6時間半もかかっちゃうんでしょ? 往復に13時間、8時間寝るとしたら3時間くらいしか無いわよね」
実際、その所要時間で日帰りで出張ってかなり無茶な気がするわ。
「実際には自宅から乗る駅までの移動時間とか、電車のダイヤもあるから、滞在できるのは2時間程度だったらしい。それでも、日帰り可能は大きかったみたいで、永原先生も一回それで出張したことがあったらしいぞ」
浩介くんが当時のメモ帳を見ながら言う。
2時間の滞在時間で何ができるのか?
会議室まで移動して、会議に参加しと考えると、かなりハードな日程だと思うわ。
今の新幹線は2時間半だから、かなり余裕を持った日帰り出張が可能だけど。
鉄道の歴史年表も徐々に終わりに近付く。
JR化後には、様々な新型車両が入っていて、新幹線技術が進歩したように見える。
「国鉄時代は技術が停滞していたのかな?」
「昔はそう言われていたんだけど、今ではそれは一面的な見方だって言われているな」
あたしの感想に対して、浩介くんが否定的な意見を述べる。
「どういうこと?」
「例えば、黎明期の東海道新幹線は1時間に2本しか本数がない単純なものだったけど、翌年に倍に、そして国鉄末期には1時間に10本、つまり5倍の本数を走らせていたり、さっきの200系みたいに耐寒設備や運転台の技術向上、アルミニウム合金車体の開発といった新技術の採用が行われていただろ?」
「うん」
「他にも、通勤電車の本数が増えて混雑緩和に貢献したり、短編成・高頻度運転による地域輸送の利便性の向上なんかも、この国鉄後期時代に行われたものなんだ。技術停滞の象徴とされている0系や103系の大量生産も、こうした大量生産による仕様の統一が、コストダウンと安全性、利便性の向上に寄与するというノウハウにもつながったわけだしな」
浩介くんが思いっきりメモ帳を見ながら言う。
大量生産能力、最近のJRも、同じような感じの車両が多いものね。
現在主力になっていて、あたしたちも乗った、様々な場所で見かけるE233系もまた、ユーザーからの評価が高いっていうし。
言うなれば103系が祖先なのね。
「色々な考え方があるのね」
「ああ、このノートにも『技術進歩といっても、最高速度の向上だけじゃない』って書いてあるな」
「あー、分かる気がするわ」
実際、この博物館に来て分かったけど、昔の不便さや乗り心地の悪さは、思った以上にひどそうな感じだし、そのあたりを見て、現代の鉄道の素晴らしさを知ることも出来る。
「例えば、12年前にできた東海道新幹線の新型車両で、カーブでの減速が減ったおかげで、最高速度そのままに東京新大阪が5分短縮されたけど、最高速度が270キロから285キロになった時は、285キロ出せる区間の少なさもあって、3分しか短縮できなかったみたいだしな」
こだまが退避する列車も、当初は浜松駅で1本だけ、所要時間が短縮された時も静岡駅のみ退避で、今は10以上の列車を毎駅のように退避しておきながら、所要時間が変わってない。
これも、こだまの性能向上の影響だという。
「へー、つまり大事なのは曲線の通過速度なのね」
「ああ、曲線と勾配、今の在来線普通列車が超特急燕並なのも、それに対する耐性という面で決定的に有利だからだ。しかも、速度を下げてから再び上がるまでの速度も速いというわけだろうな」
今度は、メモ帳を見ずに自分の言葉で話す浩介くん。
「さ、隣に行ってみようぜ」
「うん」
浩介くんの誘導で、一気にさっきの展示を横断し、2階側に進む。
「わー、ジオラマだわ」
それは京都でも見た鉄道模型によるジオラマで、大きさは多分同じくらい。
多分だけど、京都で見たのは西日本の車両が多かったから、こっちは東日本の車両なのかな?
「お、これ、俺たちが乗ってきたのじゃね?」
「あ、本当だわ」
ジオラマの中に、E233系を見かける。
ご丁寧にグリーン車も連結されてあった。
他にも、最近は見なくなったけど、博物館にあるほどでもないちょっと古い車両もたくさんある。
「で、こっちが新幹線だな」
「うん」
在来線の電車たちが動いている場所よりも一段高い所に、新幹線が動いていた。
「あれ? この新幹線、さっきのグリーン車に似ていない?」
似ているのは、窓が2階になってる所だけだから、鉄道好きには怒られると思うけど。
「あ、本当だ……えっとこれは……」
浩介くんがメモ帳を確認するが、中々見つからない。
「うーん、このメモ帳にはジオラマの車両のことが書いてないなあ……」
浩介くんが唸っている。
「浩介くん、スマホで検索してみたら?」
幸い今は、電気ついてて明るいし。
「ああそうか! そうだった!」
あたしが助け舟を出すと、浩介くんはメモ帳を一旦ポケットにしまい、別のポケットからスマホを取り出す。
「ええっと……新幹線……2階建て……あ、MAXって言うんだ!」
「うーん、MAX……」
何か以前新幹線に乗った時に同じ表示を見たような?
うっすらとしか覚えてないし、虚偽記憶かもしれないけど。
「あ、このMAX、来年で引退じゃんか」
浩介くんがスマホを見ながら言う。
「え、本当に?」
「ああ、どうやら2階建てにしたために、大量輸送には貢献したけど、それと同時に色々と問題もあったらしいんだ。後継車両は普通の車両になって、この車両は引退になるみたいだな」
「なるほどねえ……」
他にも、見たことのある新幹線車両がたくさんある。
「これは、優子ちゃんと塩津さんの所に行ったときに乗った車両だな」
「うん、こっちはあの夏の林間学校の時に」
「で、この緑色のは、今日これから乗るやつだよな?」
「うん」
ほぼ緑一色に塗られた、先頭がとても丸い新幹線、この新幹線は、幸子さんのところに行く時に、抜かれていた新幹線でもある。
東北の中では、後ろにある赤いのと並んでの最新型で、最高速度も日本最速の320キロとなっている。
「お、これ特急じゃん」
「うん」
あたしたちはその後も次々と車両を見ていく。
やはり、住んでいる地域が近いので、見たことのある車両がたくさんあった。
「考えてみれば、今のこの地域のJRやその前身の所を走ってない車両で展示されているのは0系だけだったわね」
例えば、1号機関車は、新橋ー横浜で、今の東海道と横浜ー桜木町に匹敵しているし。
「それだけ、0系ってのは偉大なんだろ?」
「うん、そういうことよね」
あたしたちは、まだ名古屋にある「リニア鉄道館」には訪れていないが、訪れずともそこに0系があるのは明らかだった。
「さ、次に行こうか」
「うん」
あたしたちはその隣の部屋へと訪れる。
そこには、鉄道に関する絵画や写真が所狭しと並べられていた。
「物凄い迫力ね」
「うん」
どうやら、ここでは鉄道文化に関する資料なんかを収めていて、申請すれば本なども読むことができるらしい。
他にも、ヘッドフォンでCDの貸し出しもあっているさっき出てきた鉄道唱歌のサービスもあるらしい。
あたしたちは、昔の蒸気機関車や、新幹線などの絵画や写真に混ざって、何気ない通勤電車の絵画に目をやる。
これはそう、首都圏を走っている、件のE233系の絵画だった。
駅のホームからおびただしい人が降りていき、列にも行列が出来ている光景が描かれていて、隣には戦前のものと思われる茶色い電車から、やはり大勢の人が降りていく絵画になっている。
ただし、現代の絵画と比べると、編成は短く、また駅の手入れも行き届いていない。
乗る人の列も乱れ気味で、中には横入りしている人までいる。
「ねえ浩介くん」
「うん?」
「これって、鉄道の進化を表現したかったのかな?」
あたしが、2つの絵画を見比べて言う。
しかも現代の駅の方は、マナー向上のポスターまで張られている。
「ああ、そうかもしれねえな」
浩介くんが静かに頷いてくれる。
そしてあたしたちは隣の部屋に行く。
そこは特別区画展示室で、3月はダイヤ改正の季節なので、今回のダイヤ改正でなくなった列車や車両などの特集になっていた。
「色々なものが、変わっていくんだな」
「うん、そうよね」
永原先生は、変わりゆく鉄道の歴史の生き証人だった。
いや、比良さんや余呉さんだってきっと同じ。
壁のある一面には、惜しむ声と、ありがとうの声が貼られた張り紙が大量に貼ってあった。
時代は変わっていく、この惜しむ声も、いつか消えてしまうのかもしれない。
そう想いつつ、あたしたちはこのコーナーを後にした。
鉄道唱歌の作詞者は1910年に亡くなっています。念のために。
ちなみに、1934年12月1日の丹那トンネル開通時の超特急燕は東京大阪の所要時間は8時間でした。
現在、(2017年3月改正ダイヤ)例えば東京8時18分発快速アクティーから普通列車を乗り継いで大阪には17時15分で所要時間は8時間57分になります。
しかし、ここから熱海駅での6分、興津駅での6分、掛川駅での10分、豊橋駅での4分、大垣駅での23分、米原駅での3分の52分を除くと8時間5分とほぼ互角になります。
当時の超特急燕の停車駅は横浜、沼津、静岡、名古屋、大垣、京都、大阪の7駅でしたが、上記のパターンでは89駅にも停車しています。
また、東京大阪6時間50分最高速度110キロだった151系こだまは横浜、名古屋、京都、大阪の4駅のみ停車でした。逆に言えばSLよりも格段に進化した当時の電車相手で、しかも80駅以上停車しても1時間程度のロスにしかならないということです。
また東京-横浜に限れば当時は途中駅無停車、現代は新橋、品川、川崎に停車するも超特急燕の27分はこれより速いパターンが多く、ビジネス特急こだまの24分も品川や川崎に止まる特急踊り子が同程度、また普通列車でも25分というパターンはあります。
京都大阪は第1こだまで31分、超特急燕で34分を要しましたが、高槻駅、新大阪駅と停車駅が2駅多い現代の新快速ではこの間28分で済んでしまいます。
現代の電車とはかくも恐ろしい高性能を誇るのです。普通列車と言っても決してバカには出来ません。