永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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早すぎる決着

 5月9日、あたしは、女の子になって2年が経った。

 早いような遅いようなで、これで今日から女の子としての日々は3年目になる。

 今振り返れば、まだたった2年しか経っていないんだとさえ思えてくる。

 性別が変わる前と後では、あたしの中でも断絶感はとても大きい。

 もちろん、実際には内面が女の子になっていったのも少しずつで、あたし自身完全に女の子になれたと自信を持って言えるのは、浩介くんと結婚してからの話で、それを考えると、まだ2ヶ月も経っていないのよね。

 

「優子ちゃん、今日は確か」

 

 通学中、浩介くんが今日という日について話してくる。

 

「うん、あたしも2周年だよ」

 

「まだ2年しか経ってねえんだよなあ」

 

 浩介くんが、しみじみと言う。

 2年しか……確かに浩介くんにとってはそうかもしれないわね。

 あたしにとっては、とっても長い2年だけど。

 

「そうねえ2年なのよね、まだ」

 

 もとい、大学1年生のあたしたちにとっては、大人たちよりも1年は長い。

 でも時の流れというのは、単純に年を取れば短く感じるというものではないらしい。

 永原先生は、江戸時代の頃は100年さえあっという間に感じたが、世の中が急速に変化していった明治以降、特に平成以降は1年を長く感じるようになっている。

 つまり、永原先生なら500年さえあっという間に感じるかと言えばそうではないということを意味している。

 

 あたしにとっては、最近の2年というよりも、女の子になったばかりの頃の環境の急変があまりにも濃すぎて、その間がとても長く感じている。

 

「うむ」

 

 浩介くんは浩介くんで、この2年は大変だったと思う。

 今こうやって夫婦になっているとは、夢にも思っていなかった。

 でも、それはそれで、障害を乗り越えたカップルというロマンでもあるとあたしは思う。

 

「浩介くん、レポートはできてるよね?」

 

「当たり前だ」

 

 レポートは、他人の物を盗用してはいけないから、これについてはあたしも浩介くんも殆ど一緒に勉強できない。

 なので、あたしと浩介くんは独立してレポートを制作している。

 そうは言っても、夫婦としていつも一緒に暮らしていて、勉強もほとんど2人でしているから、文章がどうしても似てしまいがちにはなってしまう。

 ちなみに、蓬莱教授によれば「このくらいなら、基礎実験レベルならよくあることだから心配しなくていい。大学と言ってもまだまだ奥の浅い分野だからどうしたってレポートの構成のパターンは限られてくる。一卵性双生児の学生とかはもっと似てしまうから心配いらないよ」と、あたしたちを安心させてくれた。

 

「さ、降りるわよ」

 

「おう」

 

 

「ああ、優子さんに浩介さん、今時間いいかな?」

 

「はい」

 

 昼休み、食事の後に「蓬莱の研究棟」の近くを歩いていると、蓬莱教授から声をかけられた。

 実は午前中の段階で、メールとして届いていたのだけどね。

 

「急ぎではないんだが……300歳の薬ができた。浩介さんに是非飲んでもらいたい」

 

「分かった、今でいいですか?」

 

「助かる」

 

 蓬莱教授からの報告は以上だった。元々時間の問題だったので、驚きはない。

 あたしたちも、特に急ぎではないのでその場でついていくことにした。

 

「あ、優子ちゃん、浩介!」

 

 研究室に入ると、既に桂子ちゃんがいて、10個のペットボトルのうち1個が空になっていた。

 それを桂子ちゃんが飲んだことは誰の目にも明らかだった。

 

「よし、揃っているな」

 

 蓬莱教授が口を開く。

 

「えっと、この5本ですか?」

 

「ああ」

 

 浩介くんがペットボトルの蓋を開けて飲む。

 薬の見た目は、これまでと変わらないわね。多分、原理自体はそんな違いはないんだと思う。

 

「……ふう」

 

 浩介くんが、飲み終わる。

 今日からまた5日間、昼食後にこの水を飲まなければならない。

 そうすれば、浩介くんは5日間の面倒と引き換えに、もう100年の寿命を得ることが出来る。

 

 あたしは蓬莱の薬を飲んだ2人を交互に見る。

 老化を遅らせる薬、不完全な薬だが、これらは飲むとすぐに全身に転移する。

 これによって長寿命を得る事ができる。

 しかし蓬莱教授によれば、この薬はあたしたちにとっては「毒薬」になり得るというわけではないらしい。

 その証拠に、300歳の薬を飲んだ後、120歳や200歳の薬を飲んでも何も起こらないことが分かっている。

 あたしの細胞と永原先生の細胞を使って実験したが、どうやらTS病の不老遺伝子は、蓬莱教授の不完全な老化を遅らせるだけの遺伝子を強力に排除してしまうのだという。

 

 つまり、あたしがこの薬を飲んでもただの水になる算段が高い。

 それでも、理論上は大丈夫と言っても、念のために口にしないほうがいいと言われた。

 今のあたしはこの信じられない劇薬である「蓬莱の薬」をも一蹴してしまうほど強力な不老遺伝子を持っている。それをみすみす捨てる危険を犯す理由はどこにもないだろう。

 そうなってくると、比良さんがそうだったように、子孫に受け継がれないのはやや不可解とも思えるが、まあ今はいいわね。

 

「飲み終わったら、また研究所に定期的に来てくれ。データを取りたいからな」

 

「分かった」

 

「はい」

 

 蓬莱の研究棟を出た後、あたしは昼休みの残りの時間を次の授業の教室で過ごす。

 目的としては、「明日の会」勢力の監視だ。あたしには協会の正会員として、するべきことがある。

 

「うーん……」

 

 明日の会側の更新が途絶えている。

 これまでは、ゴールデンウィーク中でもあたしたちのネガティブキャンペーンのためか患者の情報を毎日更新をしていたのに、5月7日以降更新が途絶えていた。

 

 こうなると、情報はSNSに入り込んでいる幸子さんと歩美さん頼りになる。

 敵のプロパガンダを知ることができないというのは痛手だが、着実にダメージを与えているという意味でもある。

 

 幸子さんがチャットに1人で入って情報を提供してくれた。

 それによれば、どうやら当該患者は昨日今日と学校を休んでいるらしい。

 

「これは手詰まりねえ……」

 

「優子ちゃん、どうした?」

 

「それがね――」

 

 あたしは、浩介くんに情報を提供する。

 浩介くんはうーんとうなりながら考えている。

 

「だが、うまく行ってる証拠でもあるんじゃないか?」

 

「うん、あたしもそうは思うんだけどね」

 

 とはいえ、何の情報もないというのは不気味だ。

 例えプロパガンダでも、敵の内情を知るという意味では重要な情報になる。

 それを出す余裕すら、もうないのかもしれない。

 

 しかも、学校を休まれては、あたしが黒幕となり、幸子さんと歩美さんを介しての「善意のいじめ」をクラスメイトにけしかけることは出来ない。

 「明日の会」のホームページには、性別適合手術の話が出ている。実際最後の更新での表題は「性別適合手術の決意」とある。

 

 それは、TS病患者にとって最大のタブーと言ってもいい。

 この手術は、男を取り戻すことは決して出来ないということを知るだけで、金を溝に捨てる行為になる。それどころか、精神を完膚なきまでに破壊し尽くし、例外なく患者を自殺に追いやってきた。

 「男に戻れるわけがない」、それを突きつけられるだけでも、精神は崩壊してしまう。最後の砦が、砂上の楼閣と知り、もろくも崩れ去るから。

 もちろん、SNSを通じて、幸子さんと歩美さんがクラスメイトに対し、「止めさせる」ようにけしかけた。

 彼女は反発していた。学校に男子の制服のまま行くくらいだ。

 以降、クラスメイトたちに対してしつこく性別適合手術の断念を、入れ代わり立ち代わり説得するように仕向けた。

 クラスメイトたちには「そうしなければ、彼女は自殺する、だから必死に頼む」と頼んだ、嘘はついていない。

 しかし、もとより宗教を強固に信仰している連中であるから、それらの言葉を「悪魔の囁き」として、ますます頑なになるのは目に見えていた。

 そして性別適合手術に踏み切れば、彼女の自殺は決まったも同然だった。

 

 

 よしんば、男とも女ともつかない育て方をしたとしても、結局アイデンティティの確立が出来ず、自殺へと追い込まれていく。

 生来の性同一性障害とは、比べ物にならない精神的負荷を、TS病はもたらす。

 男女の性差の大きさを、身を持って知ることになる。

 それを乗り越えるためには、あたしたちのように長年の蓄積が必要であって、それは時代の流れや価値観の変化で、変えていいものではない。

 なぜならそのようなイデオロギーは人間が持つ、生物学的な、ホモ・サピエンス的な一面を無視したものだから。

 

 やがて昼休みも終盤になると、この講義を受ける生徒が殺到する。

 

 

「でですね、一見認めて良さそうな女性の再婚禁止期間の規定ですけれども」

 

 あたしは、一般教養の法学で、またひとつ賢くなった。

 民法に規定されている女性の再婚禁止期間の規定は、子供の権利と個人情報を守るためのものらしい。

 

「安易にですね、『DNA検査すればいい』という人がいます。ですが、遺伝子というのは究極の個人情報ですから、大人の都合で安易に子供、それも物心もつかない子供の個人情報を暴いていいのか? ということになります」

 

 確かに、子供の立場というのは盲点だった。

 特に今は少子化が叫ばれているから、なおのこと大人は子供のために我慢しなければならない。

ということらしい。

 遺伝子が究極の個人情報、それを考えるとあたしの決意も勇気がいることだったわよね。

 

「子供の立場を考えれば、離婚後の再婚禁止規定や、嫡出推定というのは、必要なこと。ということになるわけです」

 

 弁護士さんの講義は、とても分かりやすい。

 

 更に講義は進んでいく。

 この講義で分かったのは、未来のある子供にたいして、老い先短い大人が跋扈するのはいけないということ。

 今は蓬莱教授の不老研究が進んでいるから、そうすれば少子化問題も解決を見るだろう。

 

 

「では、今日の講義はここまで」

 

 ここまでの号令のもと、あたしたちは教科書とノートを片付けて教室を出る。

 まだまだ今日は講義がたくさんある。今はそっちに集中しよう。

 

 

「「ただいまー」」

 

「おかえり、大変なことになってるわよ」

 

 あたしと浩介くんが家に帰ると、お義母さんが少し慌て気味にあたしたちに何かを報告してくれた。

 

「何のことだろう?」

 

「さあ?」

 

 怪訝に思いつつも、あたしたちはリビングのテレビがつけっぱなしなのに気付き、慌ててテレビ画面を見る。

 

「お伝えしておりますように、今日午後1時頃――」

 

「「あ!」」

 

 それは、高校生の自殺の速報だった。

 校舎からの飛び降り自殺、即死だったという。

 

「自殺したのは、TS病患者を支援する『明日のTS病患者を救う会』、通称『明日の会』の、被験者第1号として知られていた患者さんで、遺族の話によりますと、自殺した高校生は、TS病に伴う性同一性障害の治療のため、2日前に性別適合手術を受けたばかりだったとのことです」

 

 テレビのニュースでは、時折学校の生徒の自殺がニュースになるが、こうしてTS 病の患者の自殺がここまで大々的に報じられるのは初めての出来事だった。実際、最近の自殺事例でも、地域ニュースまでは分からないけど全国的には全く話題になっていなかった。

 恐らくは、当初は「報道しない自由」を行使しようとしたが、昼休み中で、大勢の人が見ている中での自殺とあって、隠しきれなかったのだろう。

 思ったよりも、決着は早かったわね。

 

「何でね、私らの忠告、生き残った他の患者さんの言葉を信じなかったのかね? 私たちは本当に残念ですよ。もっと強く忠告していれば、手術を思い止まってくれたと思うと、後悔してもしきれません」

 

 自殺した生徒の同級生が、顔は見せないが涙ながらに語っていた。

 うーむ、幸子さんすごいわね。

 

「優子ちゃん」

 

「ええ」

 

 あたしは、永原先生に電話を掛けた。

 

「あ、篠原さんお疲れ様」

 

 永原先生は、「任務」をやりとげたあたしを労うように言う。

 

「はい、それでは早速」

 

「ええ、これをダシに一気に畳み掛けるわよ」

 

 永原先生が号令をかける。

 そう、「これ以上の犠牲が出ないためにも」、日本性転換症候群協会は、「明日の会」の即時解散を要求するのが、あたしたちの狙いだ。

 

「えー、今ですね、『明日の会』が記者会見を開くようです」

 

 そして、テレビでは、「明日の会」が、敗戦の弁明をするという。

 いよいよ、見過ごせなくなってきたわね。

 

 

 記者会見海上、青ざめた顔で、遺影を持った遺族と例の牧師が姿を表した。

 遺影の中にいたのは、学ランを着た男だった。

 

「えーでは、記者会見を始めたいと思います」

 

「うっ……ひぐっ……」

 

 遺影を抱き抱えながら、母親と思しき女性がハンカチをもって泣き崩れている。

 痛々しい光景に、あたしは罪悪感を覚える。

 もちろん、理屈の上では向こうになびいた以上、本人にとっても、あるいは後に続く患者たちにとっても、これが被害を最小限に食い止めた結果だということは分かっている。でも、幸子さんと歩美さんが心配だわ。

 計画を漏らしたら一巻の終わり、とまではいかないけど、一転守勢に追い込まれちゃうと思うから気をつけないと。

 

「まずはお母様と代表の方、辛いとは思いますがそれぞれ一言お願いします」

 

「今回、息子を亡くしました。さぞ辛かったとは思います。神の元へと行けず、地獄へと落ちねばならないと思うと、なお辛いです」

 

「このような結末になってしまったこと。牧師として、自殺を止められなかったのは、誠に遺憾であります」

 

 死者を出してしまったことに、さすがの牧師も意気消沈しているわね。

 大方、この宗教では自殺を厳重に禁じているから、それでなんとかなるとでも思っていたのかな?

 

「それでですね、今後『明日の会』としましてはどのような方針で進むのでしょうか?」

 

「今回は誠に遺憾ながら、失敗に終わってしまいましたが、皆様にはどうか長い目で見ていただきたいと思います」

 

「うちの子は神に愛されませんでしたが、この先も神の導きがあらんことを」

 

 正直に言って、気持ち悪い。

 あたしに言わせれば、これは不適切な対応が、当然のように招いた必然の悲劇といっていい。

 もっと言えば、この母親と、この牧師の、狂ったような信心と、信じられないような独善性がこれを招いた。

 

「失敗の原因としては何が考えられるでしょうか?」

 

「我々の不徳と致すところは多分にありますが、まず日本性転換症候群協会の非協力姿勢です。我々はかの団体に、『はじめての患者ゆえに、ノウハウを提供してほしい』と申し出ましたが、全て断られました」

 

 あたしと浩介くんは、開いた口が塞がらない。

 そもそもあたしたちのやり方が気に入らないから、わざわざ組織分断を試みたくせに、今更何を言っているのよ。

 仮にノウハウを提供したところで一方的に「時代遅れ」とでも言いがかりをつけて従わなかったことは火を見るよりも明らかだわ。

 

「と言いますと?」

 

「我々は協会に多様性を提供したかった。この患者はその第一号になるはずだったのです。女性を受け入れ、女性として生きる人ばかりの協会に、このような患者が入ってくるのは、きっと長い目で見て協会のためにもなると思いました。ですが、彼ら……彼女らは最初から敵対的な姿勢で一貫していました」

 

 この男は、この期に及んで記者会見の場であたしたちに責任をなすり付けている。

 TS病患者に、性別適合手術を受けさせてはいけないことは、あたしたち協会の人間だけではなく、倒れた患者を搬送する病院の関係者だって知っている。

 

 この牧師は、あたしたちに多様性をもたらすなどという大義名分によって、人を殺したのに!

 あたしたちが後押ししたのは、死亡がほぼ確定した状態からの、言わば敗戦処理だった。

 現に、誰も巻き添えにしなかったことと、「明日の会」が早期に頓挫しそうになったことを考えれば、ほぼ最善に近い内容だと言っていい。

 

「そしてですね、我々のやり方が失敗した原因、患者さんが生前にですね、何度も何度も性別適合手術を止められたとおっしゃっていました。これはですね、私の考えとしましては、平たく言えば協会側の陰謀なんじゃないかと。そう言う風に思っています」

 

「ありがとうございます」

 

 あたしは、一瞬だけビクッとする。

 普通なら、根拠もないただの陰謀論だが、今回に限って言えば、あたしが裏で糸を引いたのは事実だったから。

 とは言え、牧師は何も根拠を示さずにそのまま流してしまっていた。うん、これはほぼあたしたちの勝利が約束されたわね。

 

「哀れな奴らだな」

 

 浩介くんがそう呟く。

 

「ええ、この記者会見で、かえって墓穴を掘っているわね」

 

 この記者会見は、明らかな敵失と言えるわね。

 何故なら、自分達の失敗を、あたしたち協会になすり付け、逆恨みの愚痴をこぼし、更に、本来なら息子を殺された母親さえも、牧師に同調すると言う、異様な空間になっていたから。

 

「浩介くん、あたし、幸子さんたちと連絡取ってくるわ」

 

「ああ。俺はもう少し見ていく」

 

「何か蓬莱教授の方で新しい情報があったらお願い」

 

「分かった」

 

 あたしは、浩介くんがと分かれる。

 テレビをつけ、PCを起動し、チャットを開くと、既に幸子さん、歩美さん、そして永原先生がログインしていた。


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