永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
土曜日、あたしは1人で、協会の定例会合に出席した。
実は浩介くんと結婚してから、1人での外出はめっきり減っていたのよね。
蓬莱教授と高島さんも同席していた。男性2人は居心地悪いと思うけど、TS病だからかあんまりそんな感じではないのかな?
「みんな集まってるわね。それじゃあ定例会合を始めるわね」
幸子さんは地理的な都合で不参加だけど、歩美さんは普通会員として参加している。
今回の会合は関心が高いのか、インターネットを利用して会員たちが多く視聴していて、また正会員も全員参加している。
「まず明日の会ですが、既にニュースでもありましたが不適切な治療法を受け、患者が自殺してしまいました」
この顛末に対して、あたしたちが糸を引いていることを知っているのは、正会員と幸子さん、歩美さんだけだったりする。まあ、知っている人は少ないほうがいいのは確かではある。
「それに伴い、明日の会が協会に対して言いがかりをつけていることについては、正式に抗議をしておきました」
永原先生が淡々と報告する。明日の会そのものに対しては、既に「勝戦処理」の段階といっていい。
「ただ、最近のテレビメディアの『どっちもどっち』のような主張については、私としては懸念を持っています。皆さんはどう思われますか?」
「私は、ある程度喧嘩両成敗のような話が出てくるのは致し方ないと思っています」
比良さんが、仕方ないという表情で言う。
「私も、やはりどっちもどっちというのは必要経費だと思います」
余呉さんも、半ば諦めた表情で言う。
諍いになっているように見える以上、喧嘩両成敗という意見はどうしても出てしまうのだという。
「私は、この風潮が世間に出回るのは絶対に反対です」
2人の意見に対して、永原先生が重い口調で話す。やはり、赤穂事件のことがあるのだろう。
「会長、あの事件のことは――」
「ええ、吉良殿への罪はもうないわ。それでも、私にとってかけがえのない恩をくださった人が、理不尽に扱われたのも、全てはこの乱暴な風潮のせいなの。私は、全く悪くないのに喧嘩両成敗と扱われることは、どうしても我慢できないわ」
永原先生が、会議の場では珍しく、感情的な口調で言う。
永原先生にとっては、確かにかけがえのない恩人を理不尽に奪われた原因だから、無理もない。
「しかし気持ちは分かりますが、現実問題として難しいですよ」
口を開いたのは高島さんだった。
「ああ、人間は簡単な風潮に飛びかかりやすいものだ。確かに、喧嘩両成敗は江戸時代には既に破綻していた。いや、あの事件はそもそも江戸どころか戦国時代の価値観でも『喧嘩』とは言いがたい出来事だ。何せ『喧嘩を仕掛けられてもとりあえず穏便に済まし我慢したものは罰さない』というのが喧嘩両成敗の考え方だからな」
今度は蓬莱教授が口を開く。
「ええ分かっているわ。それでもやっぱり、私たちは悪くないと、主張していきたいわ」
永原先生が、なおも強く訴える。
「会長が強くそう言ってるんやから、それでええんやない?」
会員の一人が、気だるそうに賛意を示す。
「あたしも、永原会長に賛成です」
あたしが、永原先生に同調する。
「篠原さん、理由を聞いてもいいかしら?」
比良さんが追及気味に言う。
「はい、やはり沈黙は金は通用しない。あたしはそう思います」
「そうねえ……」
比良さんと余呉さんは、何かを考えるような仕草をしている。
「会長がそこまでおっしゃるなら……ただ、あまり執拗に主張しすぎるのもよくないと思います」
余呉さんが、条件付き賛成となる。
「ああ、その方がいいだろう。連中はプライドだけは高いからな」
高島さん、なかなかブラックなこと言うわね。確かに高島さんは物腰柔らかい人だけどね。
「それで、次の議題なんだけど、いいかな?」
永原先生が、次の議題に移る。
「今までの協会の方針、『私たちは1人の女性』というのがあったでしょ?」
「え? 今更そのこと?」
「まさか変えるの?」
「心変わりなんて困るわよ」
永原先生がそう話すと、みんな一様に、動揺を見せている。無理もない。
パンパン
「話を最後まで聞いてくれるかしら? 私が言いたいのはこの主張の他にもう1つ、新しい主張を加えるのよ」
永原先生が手を叩き、この場を沈めると、ゆっくりと話を再開する。
「そもそも今回の悲劇は、TS病で味わうことになる男女の違いと、それに伴う精神的負担への無理解から来るものだと思うのよ」
「確かにそう言う考えもあるわね」
それについては、みんな思うところがあるらしく、ウンウンと頷いている。
「そこで篠原さんから提案があったわ。従来は『私たちは1人の女性だから、女性として扱ってほしい』ということだけだったけど、これに『TS病だから分かる。男女の性差は大きく、これを無くそうとすることはできない。性差を受け入れて男女がそれぞれ男らしさ女らしさを考えるべき』というのを加えるべきというものよ。私もこれには、賛成したいわ」
周囲はざわついている。
そう、TS病患者になった人は、たったの1人も例外なく、フェミニストにはならない。世間で言われている男女平等や性差の穴埋めがいかに空虚であるか、女の子になって1週間もすれば、男女の様々な違いに戸惑うことで、嫌と言うほどに思い知らされるからだ。
もちろん、この場にいる人もみんな同じ。
だから主張そのものにはみんな賛成ではある。
「永原会長、言うまでもなくここの会員は、いえ、自殺した患者たちも全員、その意見には賛成すると思います。ですが、会として公的に打ち出すともなると、危険だと思います」
まず余呉さんが反対意見を出す。
そう、問題はそれを公の場に発信していいのかということ。
「ああ、この手の連中は宗教だからな。普通なら、両方の性別を経験してきた人間の言葉を信じるものだ。だが連中は、真実や現実よりもイデオロギーを優先させるものだ。ちょうど『明日の会』みたいにな」
余呉さんに続いて、蓬莱教授も反対する。
「ですが、このまま無意味な性差否定を放置すれば、将来また明日の会みたいなのが出てくる可能性があると思うんです。なので、あたしたちが声をあげて、社会に待ったをかけるべきだと思うんです」
そもそも、男性に子供が産めないという、そのただ一点だけでも、性役割は肯定されてしかるべきものだし、なくすことは不可能だと証明できる。
でも、TS病になって分かることはそれだけではない数多くの男と女の違いに衝突する。
それらを経験するには、TS病になるしかない。
あたしはそれを含めてそう主張する。
「ですが、無闇に敵を作ることになりかねないと思います」
比良さんは、あまりいい顔をしておらず、また他の正会員たちも、反応は芳しくない。
「それでもです。あたしは、同じ悲劇を、未来の患者に味わってほしくないですし、無意味な試みを続ける人々を、止めてあげたいと思うんです。それは、協会が出来得る社会貢献の1つだと、あたしは思っています」
「うーん、確かにそう言う考えも出来るのよねー」
余呉さんは、当初は反対意見を述べたものの、あたしの話を聞いて賛成反対でとても悩んでいる様子。
つまり、リスクを避け安寧を求めるか、これを機にいっそのこと社会に向けて打って出るか? ということになる。
「俺も、賛成も反対もしないと言う立場を表明したい」
「蓬莱教授、どうしてですか?」
さっきとは打って変わっての蓬莱教授の言葉。
「どちらも一長一短だからだ。確かに、性差は大きい。俺の『蓬莱の薬』だって、男性に適応させるのが最大の難関だったくらいだ。多くのTS病患者が男に戻ろうとするにしても、男とも女ともつかない生き方をしようとするのも、性別適合手術で何とかなると安易に考えるのも、全ては性差の大きさを侮っているのが原因だ」
蓬莱教授があたしの案に賛成するかのような口ぶりで話す。
「じゃあどうして?」
「デメリットはやはり、リスクの高さだ」
蓬莱教授の話、リスクが高いという。
「協会は、今までは社会に向けて、最低限のことしか主張して来なかった。それを変えるのは、やはり大きな痛みを伴う可能性があるだろう」
「それでもです。今後間違った価値観が広まれば、自殺率の上昇に繋がりかねません」
性差を否定する環境で育てられれば、いざTS病になった時に精神的負担が大きくなる。
「両方の性別を経験したことのあるあたしたちなら、人数は少なくても、例え何万人の相手よりも説得力を持たせることが出来ると思うんです」
「うーん、しかし……」
やはり、比良さんには躊躇がある。
あたしたちは、ずっと今まで隠れた存在だった。
しかし蓬莱教授の登場で、嫌が応にも変革を余儀なくされた。
正会員の中では、最年少のあたしと、最年長の永原先生が革新派で、比良さんと余呉さんが保守派、残りは流動性が高い存在だった。
「もう、後戻りは出来ないと思います。今までは自殺率が高くても、世間の注目にはならなかったと思いますが、明日の会が出来てしまったこと、そして第2第3の明日の会を阻止するためにも、あたしたちにしか分からない、その性差の大きさをアピールするべきなんです」
あたしが、比良さんと余呉さんを説得するかのように言う。
「そうよねえ、私たちもいつまでも閉じ籠っているわけにもいかないわよね」
「仲間、増やさないといけないものね」
「うんうん」
他の普通会員たちも、あたしになびき始めている。
リスクを恐れてばかりではいられない。それが今の協会がおかれている立場なのよね。
「ですがやはり、たった300人足らずの私たちに何が出来るんでしょう?」
余呉さんは、まだ納得がいっていない。
「余呉さん、戦い、決して数だけではないと思います」
現に、声の大きい少数が、世界を動かしていた事例は枚挙にいとまがない。
「といいますと?」
あたしたちには、他人に決してないことがある。
以前の小谷学園でも、あたしは「どうすれば男性受けするか?」とか、「男性心理の恋愛相談」とか、「女の子は女の子らしくあるべきか?」といった相談で、いつもクラスを牽引してきた。
そして、「優子ちゃんが言うと説得力が半端ない」という言葉もクラスメイトたちからもらった。
「あたしたちには『権威』があります。それを使えば、多くの人を扇動できると私は思っています」
それは、TS病というのが、あの集団の中である種の「権威」として君臨していたということ。
クラスの生徒で唯一、あたしは男子から女子になった。女子たちの中でも、男子として生きてきた経験がある。その事実が、あたしに権威を与えてくれたんだと思う。
そしてこれは、学者といえども持つことはできない。性転換手術では決して埋められない性差のことを、あたしたちはよく宣伝しておく必要がある。
「権威ですか? 私は確かに年齢こそ江戸生まれですが――」
あたしは静かに首を横に大きく振る。今回に関しては、年齢は権威にはならない。
「いいえ、余呉さん。あたしたちが、TS病患者として、かつては純粋な男として生きてきた。そして今は純粋な女の子として生きている。この事実そのものが、権威になるんです」
もしかしたら、女性の人生が長い人には、あまり実感がわかないのかもしれないわね。
「でしょうね、ましてや、協会として発表するともなれば、違うと思います」
以前より、フェミニストからはあたしたちの存在は極めて都合の悪い存在とされてきた。
触れてはいけないパンドラの箱というイメージさえあった。
もし、あたしたちがこの声明を発表すれば、フェミニストは間違いなく窮地にたたされる。本人たちは、おそらく「明日の会」と同じく、信仰のように男女差を否定するだろうけど、いくらかのダメージは与えられると思う。
「なので、長い目で見てあたしたち協会と、未来のTS病患者のためになると思います」
これが、あたしが出した答え。今回の議題にした理由。
「長い目……っかあ……」
永原先生が呟くように言う。
そう、あたしたちが見ている「長い目」というのは、他の人の言う「長い目」と比べ、0が1個多い年月を意識してしまう。
「ええ、やってみる価値、あるわね」
「ええ、私たちも、両方の性別を経験した上で得た知識を、社会に還元しましょう」
「そうすれば、私たちに対する中途半端な扱いも減るわ」
比良さんが「やってみる価値がある」と言うと、周りからも賛意を示す声が沸き上がる。
歩美さんも、納得したような表情をしていた。
あたしの説得で、形勢は完全に賛成側に傾いていった。
やはり、あたしの実績も、大きいのかもしれないわね。
「では、私たち日本性転換症候群協会はフェミニズムに反対し、性差の否定は不可能と宣言し、女性らしい女性を目指すことを世間に向けて公表することをここに決議します。異義はありますか?」
「「「異議なし!!!」」」
割れんばかりの大きな「異議なし」の声と共に、永原先生が満場一致で議決の旨を伝える。
この事は、随時メールでこの会合に参加していない会員たちにも送り込まれる。
数日間異議申し立てを受け付け、なければ予定日に声明を発表することになる。極秘性は低いので別に漏れても構わないとのことだった。
「じゃあ、今日は解散にするわね。お疲れ様でした」
「「「お疲れ様でした!!!」」」
大きな声の挨拶と共に、各自解散となる。
さて、あたしも帰らないと。
「あ、篠原さん」
「はい」
永原先生が、あたしを呼び止める。
「篠原さん、ありがとうね。思いきった提案をしてくれて」
永原先生も、満足そうな表情をしている。
「はい、この辺で打って出るべきかなと思いまして」
「ええ。協会としても、自殺率の低減は永遠の課題ですから。そのためには、世の中に理解を求めることも大切なんです」
永原先生の話はあたしにも分かる。
どんなにあたしのクッションが自殺率の低減になっても、世の中が性差の否定に傾けば、自殺率は上昇してしまう。
「それと同時に、今まで以上にこれまでの主張も繰り返す必要があるわね」
「ええ」
あたしたちは1人の女性ということを強調するためにも、性転換手術やトランスジェンダーと呼ばれる人々とは全く性質を異にすることも、主要していかなければいけない。
「篠原さん、大学の方はうまくいっているかしら?」
「ええ、おかげさまで、レポートは全て一発で通ってます」
「ふふっ、それから夫婦生活はどう?」
「え!?」
永原先生がにやにや笑うように言うので、あたしもビクッとなってしまう。
「恥ずかしがらなくてもいいのよ。熱々なんでしょ? 羨ましいわ」
「あ、あはは……」
以前あたしたちは協会からのテレビ電話を、裸に布団巻いて応対しちゃったことがあった。
明らかに夫婦生活の後だってバレてたわよね。
「ふふっ、篠原さん、学業と夫婦生活も大切にね」
永原先生が怪しい笑みを浮かべて言う。
あたしはどうしても、顔が引きつってしまう。
「はい」
「引き留めて悪かったわね。それじゃあまた会いましょう」
「ええ、お疲れ様でした」
永原先生と挨拶して、あたしは家に帰るための準備をし、協会のテナントを後にする。
「篠原さん、結婚してからますますきれいになったわよねー」
エレベーター前で、普通会員の1人が、あたしに話しかけてくる。
「え!? そうですか?」
確かに恋は女の子をかわいくするとは言うけど。
「ええ、旦那さん、素敵な人なんでしょ?」
「は、はい……」
あたしは、またぶしゅーっと顔が赤くなる。
やっぱり、面と向かって言われると照れ臭いわ。
「あらあら、赤くなっちゃって。篠原さんの方から惚れたって話は本当みたいね」
「は、はい……」
うー、やっぱり惚れた側っていうのは弱いわね。
「夫婦生活、頑張りなさいよ。ただでさえ篠原さんは男を欲情させる天才だから、旦那さんも求めてくるでしょ?」
またこの話題だわ。
「う、うん……」
そういえば、永原先生って経験があるのかな?
さすがにあれだけの美人で、しかも500年以上生きているわけだし、どこかで経験はあると思うけど……例えば、当時の混浴の銭湯の中で……ってダメダメ! 確かめもしようのないことをあれこれ考えても仕方ないわ。
「どうしたの?」
「ああうん、何でもないわ」
あたしは気を取り直しエレベーターを降りて、今度こそ1人で帰宅する。
帰りの電車は、そこまで混んでいなかった。
「間もなく――」
実家の最寄駅が近いアナウンスが聞こえてくる。
そう言えば、まだ実家に帰ったことなかったわね。あの日以来、母さんとも父さんとも会っていない。
どうしているかは、知ろうと思えば知ることはできると思うけど、何の連絡もないことを見るに、大きな問題は起きていないと思う。
実家の最寄り駅、3月までは毎日のように使っていたのに、浩介くんと結婚してから、1度も使わなくなって、急に遠い存在に感じるようになった。
あたしは、振り返らない。それよりも、素敵な浩介くんと心も体も、そして家族も一緒になれることが、何よりも幸せだった。