永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「でですね、このマクローリン展開というのを使いますと――」
6月も半ばになると、大学の講義も徐々に終盤になり、河毛教授が担当している数学の微積分法と線形台数も、最初は色濃かった高校までの数学の面影は殆んど無くなっていた。
それにしても、「ロピタルの定理」って絶対高校過程でやった方がいいわよね? 知ってたら極限計算が格段に楽になるし。
ふう、最近はやっぱり少しついていくのに大変だわ。頑張らないと。
隣の浩介くんも、必死になって黒板を写しているわね。
大学の数学を受けてみてわかったけど、大学は高校までの数学と比べてレベルが段違いに高いと思う。
いや、高校の数学だってかなりのものだったけど、大学の場合どうしても抽象的な説明になりがちになる。
大学は夏休みが長いので、期末試験は7月に行われることになっている。
そしてもう1つ、6月という梅雨の季節は教室の移動が大変で、いかにして濡れずに傘を指さずに移動するかが課題になる。建物がたくさんあって、学校の複雑さも高校までとは訳が違う。
小谷学園では校舎や部活棟、体育館などがある程度だったけど、大学はとにかく教室の数が多いのが気になった。
空き教室になっている部屋も多くて、持て余し気味なのが気になるところだわ。
「よし、じゃあ行こうか」
「うん」
さて、大学の勉強と復習を終えたら、天文部へと向かう。
「こんにちはー桂子ちゃん」
「お、2人ともいらっしゃい」
教室の数が多いおかげで、出来たばかりの天文部にも、こうやって簡単に小さな空き教室を持つことが出来た。
「そう言えば、今日が声明なんだっけ?」
「うん」
浩介くんも、あのことは少し気がかりみたいね。
「しっかし驚いたな。優子ちゃんがあんな賭けに出るなんてさ」
確かに、あたしにしては珍しいと言えると思う。
「まあ、最終的にみんなで決めたことだし」
「そうか」
あたしたちは協会について考える。
今日は、協会が例の声明を出す日、会員からの異議は特になかったんだけど、「もう少し明日の会側の動向を見た方がいい」という余呉さんの意見が採用され、今日まで遅れることになった。
ちなみに、明日の会側は、無反応だった。
「それにしても、気持ち悪いくらい静かよね」
「まあ、仕方ねえんじゃない? 鳴り物入りで受け入れた患者がすぐに自殺だもんな」
あれから、「明日の会」は開店休業状態に追い込まれている。インターネット上では、責任を問う声が、今も散発的に書き込まれている。
一方で、既存のメディアは、関心を失ってしまったみたいで、報道そのものが少なくなってしまった。
今では宣伝部がたまに書き込まれる「どっちもどっち論」に反論を書き込んでいる程度になっている。
いずれにしても、明日の会が今後新しい患者を手に入れられるとは思えないわ。
いや、そもそもTS病患者そのものが、あれからまだいないんだけどね。
今現在、あたしの後輩の中で、自殺した2人を除くと、幸子さんと歩美さんを含めて全員が協会のカウンセリングを受けている。
また、「最終試験」にまだ合格していないあたしの先輩患者も何人かいる。
結果的には彼女たちも、そして協会の既存の会員も、誰一人として明日の会側に寝返る人はいなかった。まあ、当たり前と言えば当たり前だけどね。
あたしの後輩たちも、全員経過は良好で、幸子さんは近いうちに、振られた相手にもう一度アタックするといっていた。
幸子さんのリベンジ作戦では、今度は色仕掛けを交えながら、「過去のことは忘れてほしい。今はもう、1人の女の子としてあなたのことが好き」と必死に告白するとのこと。
幸子さんは、もし告白とその後のデートがうまくいけば、最終試験を受けたいと言っていた。その時にはまた、カウンセラーのあたしが受けさせていいか判断を下さないといけなくなる。もし判断を謝れば、心の傷になりかねないものね。
「餅は餅屋、本当にいい言葉よ」
桂子ちゃんがしみじみという。
「お、優子ちゃん始まったぞ」
「うん」
浩介くんが、大手サイトのトップページのニュースを見せてくれる。
そこには、「日本性転換症候群協会が声明発表」と書かれている。
以前、ブライト桜はこの総合ニュースサイトには掲載されなかったが、事業の拡大と影響力の増大に伴い、この大手サイトにもブライト桜の報道したニュースが載るようになった。もっとも、殆んどは協会と蓬莱教授がらみのニュースだけどね。
中に入ると、「日本性転換症候群協会がフェミニズムに反対する声明を発表」と題されており、本文では予定通り、男女の性差の大きさと、女性が女性らしく生きていくことの重要性を説いていた。
まだ、掲載が始まったばかりなのでコメントはない。
しかし、ここにまず浩介くんがこう書き込む。
「やっぱり両方の性別を経験してきた人がこう言うと重みがまるで違うよな。考えてみれば男が子供を産めない時点でこれは至極当然だと思うけど」
この書き込みに、蓬莱教授の宣伝部が、IPを偽装した複数のアカウントで、次々と「そう思う」に入れていく。このサイトには、書き込みに対して「そう思う」と「そう思わない」で投票するシステムがあって、そのような意見が支持されているかが分かりやすいようになっている。
また、早いうちからこうすることで、トップに出やすくなるのでより多くの人の目に触れやすくなる。
「よし第二段階だ」
浩介くんが最初のアカウントをログアウトし、別のアカウントでログインする。
そして今度は「あったり前のこと。フェミババアが現実見えてねえだけ。自分が行き遅れてるのを男のせいにしてるだけ」と掲示板に書き込む。
これも、他の宣伝部が複数アカウントを駆使しつつ「そう思う」に一斉に入れていく。
暴言調の書き込みと、温厚な書き込みを一斉にあげて注目させることで、幅広い性格の人から賛成されていると錯覚させ、より多数派に見せかけることができるのだという。
元々、この大手サイトのコメント欄に書き込む住人たちは、フェミニズムに対していい感情を持っていない。火がつくのは時間の問題ね。
何だかえげつないけど、やり過ぎに注意しないといけないわね。
「ふう」
あたしたちの様子を傍観していた桂子ちゃんが一息つく。
「どうしたの桂子ちゃん?」
「ああうん、私ちょっと最近調子がいいのよ」
桂子ちゃんも桂子ちゃんで、前途洋々という感じがにじみ出ているわね。
「へー、そう言えば桂子ちゃん最近かわいいよね」
「うん、やっぱり彼氏できると違うわ」
元々桂子ちゃんはあたしほどじゃないけど、超がつくくらいのかわいくて美人な女の子。
彼氏ができてからは、ますますそれに磨きがかかっている。
「なるほどなあ……恋すると変わるのか」
浩介くんがそんなことを言う。
あたしも、もしかして浩介くんに恋をしてからは、それ以前よりもかわいくなったのかな?
「ええ」
桂子ちゃんは、共通の趣味を持つ彼氏とうまくいっているみたいで、大抵はプラネタリウムとか、小谷学園や佐和山大学で天体観測デートもしているという。
同じ趣味でわかり会えるカップルって、長続きしやすいイメージがあたしにはある。
あーでもあたしと浩介くんは……あまり趣味重なってないわね。
「あ、2人ともいいかな?」
「うん?」
桂子ちゃんが、慌てた感じではないが、ちょっとだけ真剣な表情をして言う。
「10月半ばに佐和山大学で文化祭があるでしょ? 天文部、何を出そうかしら?」
「あ、そう言えばもうそんな季節なのか」
桂子ちゃんが文化祭の話をする。
やはりサークルとして活動するからには、出し物を何か出す必要性があるという。
「でも何を出すの?」
「そこが問題なのよねえ……」
桂子ちゃんが、腕を組みながら考えている。
出し物といっても、小谷学園時代のこともあるから、ネタが切れかけてしまっている。
「ねえ、太陽系に、近傍恒星と来たから、『局部銀河郡』とかどうかしら?」
局部銀河郡とは、あたしたちの天の川銀河やアンドロメダ銀河を含んだ銀河の集まりのことを言う。
「あー、それはだめ」
あたしの提案は、桂子ちゃんによってすぐに否定されてしまう。
「どうして?」
「小谷学園の天文部で、そのネタをやるんだって」
「あー、それじゃあダメよね」
小谷学園と佐和山大学は地理的にも近くパイプが太い。
なので、小谷学園出身者が多い佐和山大学では、分かる範囲でなるべく文化祭のネタが小谷学園と重ならないように配慮するのが慣例だと聞いている。
特に天文部は、それぞれの部長が彼氏彼女の関係だから、なおのこと重ならないようにしないといけない。
「「うーん……」」
ということで、再びあたしたちが考え込む。
「なあ木ノ本」
「うん?」
すると、浩介くんが何かを思い付いたように言う。
「天体観測デートって、写真とか撮るのか?」
「ええもちろんよ」
桂子ちゃんが当然と言う感じで言う。
「だったら、写真展にしようぜ。難しく考える必要ねえじゃん」
浩介くんが提案してきたのは、やや安直な提案だった。
「うーん、なるほど」
桂子ちゃんが納得したように言う。
「俺たち結構忙しいしさ、準備が楽な方がいいだろ?」
「そうね、優子ちゃんたちには、サークルだけじゃなくて協会や蓬莱教授のこともあるものね」
桂子ちゃんがあたしたちに配慮したように言う。
天文部の活動は、基本的にあたしたち3人で予定を確認しながら行われている。
あたしたちが忙しかったり、桂子ちゃんがデートの予定があったりすると、なかなか集まれないことも多い。
まあ、あたしたちの場合天文部の場所で蓬莱教授の宣伝部や協会の広報部と似たようなことが出来るので大抵は桂子ちゃんの都合が多いけれどね。
どちらにしても、あたしたちは多忙だけど、高校の頃と同じく、不思議と講義についていけてもいた。
小谷学園でも、あたしは優子になって忙しくなったのに、成績が落ちなかったこともあった。
「とりあえず、写真を集めるから、次回から選別作業に入るわよ」
「おう」
「はい」
あたしと浩介くんと桂子ちゃんの天文部は、とりあえず出し物の概要が決まったのであった。
家に帰ると、インターネットでの反応が出揃ってきた。
やはり、あたしの見立て通りだった。
TS病は、通常体験できない両方の性別を経験してきた人々の集まりで、また以前の高島さんの記事でも、TS病患者はその男女差を思い知らされる病気で、誰一人としてフェミニズムを支持しなくなることが書かれてはいたが、それでも、当時はあたしたちが取材を受けたことや、あたしと永原先生の容姿に注目が集中し、アピール不足と言う一面は否定できなかった。
大勢としては、やはりあたしたちの声明を指示する声が圧倒的に多数みたいで、ひとまずあたしは安堵の気分になった。
もしこれで協会が叩かれていたら、あたしの責任問題にもなりかねないものね。
「うーん、でも一筋縄ではいかないわね……」
一方先程の掲示板では、あたしたちを支持する声に混ざって、ある反対意見が支持を集めていた。
要約すれば、「TS病とされる患者たちはみんな例外なく飛び抜けた美人で、しかも男の気持ちが手に取るように分かる人ばかりだから、男からちやほやされて育った人に偏っている。つまり、たいした主張をしなくても、『女の特権』を十二分にフル活用できる。こう言う人の集団に、『女の特権』を活かせないブスの気持ちは理解できないだろう」というものだった。
それに対しては、正直に言えば、あたしたちの泣き所でもある。実際、TS病患者が美少女の集まりというのは事実で、「ブスの苦悩」はどうしても知ることが出来ないのは認めざるを得ない。
だけど、この風潮を許しておくわけにもいかないのよね。
あたしは、即座にこの論法への反論を書き込んだ。
内容は、「要するにフェミはブスと行き遅れの嫉妬ってことでいいんだな。他人の足を引っ張ってみんなで不幸になろうといういつものあれ」というものだった。
完全に人格攻撃になっていて、反論にもなっていなくて、議論としてはふさわしくないものだけど、まあ今は致し方ないわね。
それに、人は見た目が大事というし、美少女のTS病集団がフェミニズムに反対し、逆にブスや行き遅れがそれを支持するという構図は、中身の正当性はともかく、周囲に与える第一印象の上で、決定的に優位だった。
どれだけ綺麗事を言っても、結局世間は美人の味方になるようにできているのよね。うふふ。
「さて、明日以降どうなるかしら?」
あたしは、しばらく様子を見るといった感じで、寝床についた。
翌日、フェミニズム団体の反応は早かった。
彼女たちはこぞってあたしたちの声明に対して、ヒステリーを起こしたように抗議声明を出し続けた。
昼休みには、浩介くんと更に桂子ちゃんまで加わって、パソコンを開きながら情報収集をする。
「桂子ちゃんありがとう」
「いいのよ。優子ちゃんたちの大事だもの。強力は惜しまないわ」
桂子ちゃんは、快くあたしたちに協力を申し出てくれた。
更に、「足を引っ張らないように、情報収集に専念し、書き込みなども言われたことだけをする」と言ってきてくれた。
一方で、フェミニズム団体の抗議声明の中身については凄まじいものも多く、中には、「男性におもねって、男性の顔色を伺うような風潮は、男尊女卑を加速させる」という声明を出した団体もあった。
ちなみに、その団体の会長は50歳にして一切の結婚歴なしという、この団体を作ったいきさつを考えると、あまりにもかわいそうな女性だった。
「しっかし、これは変な話だよなー」
浩介くんが、その団体のホームページの声明を訝しんでいる。
「うん、女の子が男に好かれたいって努力するの当たり前のことじゃないの」
桂子ちゃんが至極当然な意見を言う。
そもそも、男女を逆にすれば、それはごく普通の本能に基づいた行動だということが分かるわよね? あたしだって、桂子ちゃんだって、男の子が好きだし。
「そもそも、いったい全体何がどうして、男が好きという女の子の本能的な欲求のままに男性受けを狙ったら男尊女卑になるのよ? 全くもって理解できないわよ」
「なあ、もしかして俺の流した噂、割りとマジな話なんじゃね?」
インターネットでは、この声明を出した団体はレズビアン団体ではないかという噂が流れていて、もちろん流したのは浩介くんだ。
「うん、もしかしたら洒落になってなかったかも」
あたしは、協会の声明に抗議したフェミ団体のWebサイトから、なるべくブスやおばさんの写真が集まっている活動報告の写真を収集し、次いであたしや永原先生、幸子さんといったこれまでに取材を受けた時に使われている写真とで比較するプロパガンダ画像を大量に作成し、インターネットにアップロードしたところ、これらが呟きサイトを通じて大量拡散された。
もちろん、これを見たネットの反応はあたしたちを全面的に支持する内容で埋まり、フェミ団体には、ネットユーザーからこの世の限りを尽くした罵倒と暴言が浴びせられていた。
おそらく、あたしたちが美少女だから、「行き遅れおばさんの陰湿ないじめからから、かわいい子たちを守ろう」という気持ちが出ているんだと思う。
……ふふ、今頃顔を真っ赤にしているわね。
「優子ちゃん、思いきったわね」
桂子ちゃんが更に口を開く。
「うん、それにしても、世の中にはとんでもない被害妄想がいるのね」
「あー、ああいうモテないおばさんの言うことなんて信じちゃダメよ」
「あはは……」
桂子ちゃんの直球発言に、あたしも思わず苦笑いしてしまう。
桂子ちゃんは、過去に「同性受けを狙うのはレズのすること」と言ったことがある。
それは多少の極論にしても、少なくとも恋愛対象が男性である女として生きている人が、男性受けを狙う女性の足を引っ張るなんて、全く理解できない行動なのは確かだと思う。何故自分も同じように努力しないのか、あたしには理解できないし、桂子ちゃんも同じだという。
「さて、そろそろ次の教室に移動するわね」
「ああうん、俺たちも途中までついていくよ」
昼休みも後半になり、そろそろ教室の移動を開始したい。
次の教室までの道のりはほぼ同じなので、あたしたちはそちらへ向かって歩いていく。