永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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余波

 放送開始直後、早速インターネットは大反響になっていた。

 タイトルは「501歳女性、とんでもない宝物を湯水の如く鑑定に出す」「日本性転換症候群協会の永原会長のコレクションwww」と言った類のものだった。

 

 更にはこの番組内でも、「葛飾北斎の浮世絵を捨てる」「当時数百円程度の浮世絵が何百万円になる」「歌川広重と面識があって専用の絵をもらった」「これらに隠れて鉄道グッズがすごい」「徳川吉宗から直接もらった茶器を持っている」「本人が200年間書いた日記が1億円になる」「吉良の着物など多数の国宝級を所持している」など、あまりにもネタに溢れた放送だった。

 これだけのインパクトの前に、本物か偽物かなんてどうでも良かった。

 なるほど、これは永原先生だけで鑑定番組が出来てしまうのも当然よね。

 

 ちなみに、あれでもコレクションの一部でしかなく、江戸時代から使っている食器類とか古いおもちゃも数多く残っているらしい。

 

「やはり取っておいて正解だったわ。本当は浮世絵は江戸城を出る時に全部捨てるつもりだったのよ。でも直前で、『いずれ高くなる』と江戸城の人に言われて残しておいたのよ」

 

 というのは永原先生の談話。もしあの時捨てていれば3億円を溝に捨てていたことになるわけだから、恐ろしい話だわ。

 さて、これはあくまで永原先生個人の話なので、各既存のメディアもこの鑑定番組について報道し始めた。

 そして、どのメディアも「永原マキノさん(501)」と報道していて誤植じゃないのが何とも言えないわね。

 

 また、既存のメディアは永原先生の取材もできなかったので、番組にあった「依頼人来歴」をほぼなぞる形で人となりを紹介している。

 元々人類最高齢ということで一部では有名人だったけど今回大々的に夜に出ることになった。

 

 他にも「吉良上野介、すごくいい人だった」「赤穂浪士完全死亡」といった反応もあり、また歴史系のコミュニティでは、「永原先生の日記」の完全公開を望む声が殺到した。

 

 翌日、夕食を食べ終わった後、あたしたちはテレビ電話で永原先生に呼び出された。

 

「いやー、思った以上の反応で驚いたわ」

 

 永原先生が開口一番にそう発言する。

 

「まあ、あれだけの宝の山だもんねえ……」

 

 番組で偽物が全く出ないばかりか、本物としてもどれも一級品ばかり。

 あの番組は長寿番組だけど、「番組史上最大の発見」と言われていて、もちろん偽物だとする話も出ていない。

 

「あはは、私自分でも驚いたわよ。まさか億を越える価値になるとは思ってなくて」

 

 永原先生も苦笑いしている。

 

「それどころか数百万数千万も多かったですからねえ」

 

「本当、錬金術そのものよ。浮世絵って言うのは庶民や下級武士が楽しむ娯楽なのよ。もちろん、それそのものには価値は高いけど、1枚1枚は安価で手軽なのが浮世絵の強みなのよ」

 

 そう言えば、番組内でも400円くらいの価値で買ったって言ってたっけ?

 

「そういうものですか……」

 

「ええ、まあ鉄道系のは高くなりそうではあったけどね」

 

 永原先生は、明治時代の切符や、最初期の鉄道模型を所持していた。

 それらもやはり、鉄道マニアからすれば何十万という高値の価値があるらしい。

 これについては、確かに高い価値は理解はできるけど、やはり浮世絵については、永原先生の価値観ではあまり理解できないものらしい。

 

「私的には、東海道五十三次が全部揃って1億1000万円って言うのが一番の驚きよ。あの番組に出る前だったら2万円でも譲ってあげてたわ」

 

「あはは……」

 

「本当は当時価値のあったものは陶磁器で、日本はそれを輸出してたのよ。で、包装紙が必要になるから、そこにミスプリントや使い古された浮世絵を再利用として使ったのよ。それがまあ、大ウケしちゃって、いつのまにかこんな高いものになっちゃったのねえ……」

 

 とはいえ、永原先生によれば、本当に上質なものはそれなりの値段がしたそうで、歌川広重に会って実際に譲り受けたあの1品は、相応の値段じゃないと譲ってあげないとのことだったけど。

 

「あはは、ところで──」

 

  ピンポーン!

 

 突然、永原先生のテレビ電話から呼び鈴が聞こえた。

 

「あ、篠原さんごめん……はーい!」

 

 永原先生が入り口へと向かっていく。

 

「すみません、永原会長いらっしゃいますか?」

 

 見知らぬ男性の声が聞こえる。

 

「はい、永原マキノは私ですが」

 

「私……美術館の……うしますが」

 

「はい……はい……」

 

「浮世絵の……ええ……企画展示として……お願……はい……」

 

 小声でよく聞こえないわね。

 でも、美術館って言ってたし、多分昨日の番組を聞き付けて企画展示を考えているのかしら?

 

「はい……はい……それは……はい……」

 

 しばらく、2人で何かを協議している。

 

「……はい、ありがとうございました」

 

「……りがとうございました」

 

 どうやら終わったみたいね。

 永原先生が、またこっちに近付いてくる。

 

「ごめん、邪魔が入ったわね」

 

「あーうん、何の話だったんですか?」

 

「実は昨日放送したお宝の他にも、私が持ってるもので、美術館で企画展示をしたいんだって」

 

 やっぱり、予想通り企画展示の話だったのね。

 確かに番組内でも、「美術館開いてください」とか鑑定士に言われちゃってたし、そういう企画が来るのは頷けるわね。

 

「私としても、あれだけの価値があるものを大量に持ってたなら、展示会を開くのはやぶさかではないわ。でも、美術館側は企画展示には私の名前を冠したいんだって」

 

 どうやら、永原先生はそれがちょっと引っ掛かっているみたいね。

 

「永原マキノ展とかです?」

 

 あたしが聞いてみる。

 

「ええ、そんな感じよ。だけど、あたしは美術家ではないわ。確かに色々な宝物を持ってるけど、それらは私が歴史と共に生きていたから当時としては比較的容易に手に入れられたものばかりよ」

 

 確かに、あの番組にはよくある「骨董市場で買った」とか「先祖代々に伝わったもの」とかではなく、「大昔に自分で町の本屋で買ったもの」というものだったものね。

 

「もちろん中には8代様の茶器とか吉良殿の着物とか、歌川殿の浮世絵みたいに、当時としても高価値のものをコネで手にいれたものもあるし、私の日記は私自身が長年書き綴ったものだわ」

 

「ええ、確かにそれらの価値が高いのは納得だと思います」

 

「それでも、これらは私が手に持っているのは、特別の苦労と融通をしたものではないわ。私はね、確かに普通の人の何倍も長生きしてきたし、江戸城に住んでいたから、比較的政治中枢の近くを知っているわ。でも今は、単なる501歳女性なのよ」

 

 確かに永原先生は501歳女性、地球史上最高齢の人間と言っても、私立高校の先生でしかない。

 

「一般人ということよね」

 

「ええ、確かに有名かもしれないけど、あくまで私は『一般女性』よ。展示会に私の名前を出して、宣伝し、アピールする場所ではないわ」

 

 永原先生が謙遜した口ぶりで言う。

 普通なら、2番目に年上の人でも200年生きていない中で、自分だけ501歳ということを考えると、一般人とは違うと思いがちだけど、永原先生はあくまで自分は「一般女性」だと考えている。

 恐らく逃げ惑った戦国時代、赤穂浪士と世論から吉良殿を救えなかった無念、そして戦時中の囮逃亡計画……これらによって、永原先生は自分の無力感を何度も植え付けられているから、こういう発想になるんだと思うわ。

 

「うーん……」

 

 あたしにとっては、あまり納得の行く話ではない。

 

「篠原さん、私は……長生きなだけよ。確かに長生きだからこそ、不老足り得ぬ人ならどんな天才でも分からないことも分かるわ。でも特別な才能がある訳じゃないのよ。もし篠原さんが私と同年代に生きて同じような人生を歩んでいたら、身に付くものよ。展示会の名前については、協会の協議にかけるわ」

 

「そうですか……」

 

 永原先生は、謀略に長けて、あたしたちをまとめるのにふさわしい頭脳をもっていると思っていた。でもそれは、言うなれば人生経験の長さでごり押しをしているだけにすぎないと、永原先生は考えているみたいね。

 

 もちろん、永原先生の次に年上の人が、300歳以上も年下というこの差を考えれば、埋まるのは難しいと思うけどね。

 

「ええ、それに対して、あなたは天才よ」

 

「え!? あたしがですか!?」

 

 永原先生が突然あたしに話を振る。

 あたしが天才?

 

「ええ、だって、TS病にここまで適応して、この歳で新しい指導法まで確立して、自殺を格段に減らしたのよ。あなたはこの年齢で、多くの人の命を救ったのよ」

 

「あっ!」

 

 永原先生の指摘に、あたしははっとする。

 確かに、永原先生の言う通りだった。

 従来のカリキュラムでは、自殺率は50%をオーバーしていた。

 一方で、あたしが新しい指導法を確立してからは自殺者は殆ど出ていない。

 

 女性として生きることの喜びを、感情論ではなく具体的に女性の特権を体験させることで抵抗を減らす方法は、思い付きそうで思い付かないものだった。

 

「あなたと塩津さんの奇跡はあなたたちだけの財産ではないわ」

 

「ええ」

 

 あたしが救ったのは、幸子さんだけじゃなかった。

 それが永原先生の出した答えだった。

 もちろんそれは、理屈の上でも簡単に理解できることだった。

 

「塩津さん、本当に見違えたわね。あの時の彼女と、とても同一人物とは思えないわ」

 

 永原先生は嬉しそうな顔で言う。

 

「うん、あたしも」

 

 幸子さんの彼氏は、一回幸子さんを振っていた。

 それでも諦めずに、色仕掛けも使ってアタックする。

 女の子らしい、健気な恋だった。

 

「やっぱり、意地を張っていた成績不良な子に、彼氏ができたときほど感慨深いものはないわ。もちろん、成績不良な子は結局自殺しちゃうケースが多いけど、男に恋出来るなら、もうほぼ磐石よ」

 

「ええ」

 

 最後の苦労としては、この後に反射神経の苦労はあるけど、ここまでの苦労を乗り越えてきた患者には、必ず越えられる程度の苦労でしかない。

 

「篠原さん、あなたのカリキュラムのお陰で、自殺率が減ったわ。今まで何十年あるいは百年以上、患者への治療法を研究する中で、これは大きなブレイクスルーになったわ。もう、大勢は決したわ」

 

「はい」

 

「さ、長話してごめんなさい、切るわね」

 

「ええ」

 

 永原先生が、テレビ電話を切る。

 永原先生の言葉、感情を圧し殺して客観的に見れば、永原先生の言ってることは正しいと思う。

 

 自殺者の多いこの病気において、人生経験が長いかこそ、中々変えられなかった所もあったと思う。

 いずれにしても、あたしの登場で、世の中は大きく変わったと思う。

 あたしのこの協会での功績は、幸子さんの件や新カリキュラム、あるいはフェミニズムへの反対声明や、明日の会の撃退の他にも、まだ不信感の強かった蓬莱教授への研究に対して、あたしが真っ先に協力を表明したこと。

 あれは一度は否決されたけど、こうして今は良好な関係を築けているし、TS病という存在を、世間に向けて大きく発信し、知名度を上げることにも成功した。

 

 また、持ち前の美貌で、宣伝役もこなすようになってから、あたしの役割は日増しに高まっていった。

 

「ふう……」

 

 ともあれ今は、お風呂に入ろうかしら?

 夏休みももうすぐ終盤、後期の履修科目についても、考えないといけないわね。

 

 

 土曜日、あたしたちは協会本部にいた。

 いつもと違い、正会員と、博物館の関係者が集まっての会議だった。外部の人を協会に迎えるのは珍しいことよね。

 

「やはり、展示品のジャンルに一貫性がないんですよ。共通点は、永原さんが所持しているということだけです」

 

 そう切り出したのが、今回の企画展示を考えた美術館の館長さんだった。

 

「うーん、そう言われてもねえ……」

 

「やはり、私たちとしては、会長も私人ですから」

 

 永原先生と比良さんが渋るように言う。

 ちなみに、日本性転換症候群協会は任意団体と言うことになっている。

 

「うーん、では……協会の名義で出すと言うのはどうでしょう? 日本性転換症候群協会様の会員たちが集めた家宝という体裁をとるのです」

 

「あら、いい案ね」

 

 博物館の人の提案に対して、余呉さんが思わずぽろっと言葉を出す。

 

「うん、あたしもいい案だと思うわ」

 

 あくまで、「協会の会員から良さそうなものを集めたら、たまたま永原先生の所持品に、いいものがたくさんあった」という建前にすればいい。

 

「そうねえ、でもそうなると1個は別の会員の所持品を展示したいわね」

 

「では、私が水戸藩士の時に使っていた日本刀などいかがでしょう?」

 

 比良さんが、そんな提案をする。

 

「ああいいですね、いつ頃のものなんですか?」

 

「江戸末期です、私が179歳ですから刀を持ち始めて、尊皇攘夷運動をしてすぐにTS病になったので……まあそのくらい前のものです」

 

「ほうほう、それは素晴らしいですね。展示品に出せますか?」

 

 美術館の人々が、一気に目を輝かせた。

 

「ええ、もちろん。ただし、くれぐれも大切に扱ってくださいね」

 

「分かっております」

 

 こんな感じで、協会の名義で、東京の美術館で企画展示が行われることになった。

 展示品は、ほぼ全てが永原先生の所持品で、申し訳程度に、比良さんの武士時代の品を展示することになった。

 もちろん、件の鑑定番組に登場していないものも多く展示する。

 また、「永原先生の7大家宝」として「歌川広重の新しい肉筆画」、「徳川吉宗の茶器」、「富嶽三十六景」、「東海道五十三次」、「吉良上野介の着物」、「柳ヶ瀬まつ一代記」、そして「江戸城日記」を特に売り出すという。

 

「9月になってちょうど『芸術の秋』何て言う季節ですからね。お客さんもたくさん入りますよ」

 

 展示方法は、美術館の方から、「全て厳重な防弾ガラス越し」ということが決定した。

 美術館の人曰く、「あの鑑定番組は、偽物を本物だと間違える誤鑑定を除けば、鑑定価格が安くなりやすい」とのことで、つまりあれでも永原先生の資産が過小評価されているということになるのよね。

 

「ですから、これほどの価値のあるものを展示するとなると、細心の注意を払わねばなりません。特にこの『歌川広重の新しい肉筆画』と『徳川吉宗の茶器』、『吉良上野介の着物』、そして『永原様がお書きになった江戸城日記』は特に厳重に扱います。もしかしたら、国の方でこの4点は国宝に指定されるかもしれません」

 

「……分かりました」

 

 鑑定士さんの言うことと同じことを美術館の人が言う。それにしても本当に国宝になりかねないってとんでもない話になっているわね。

 

「あはは、そうなったら私も人間国宝かあ……」

 

 永原先生が上の空で呟く。

 果たして、自分の作ったものが国宝に指定されたのを見たことがある人がいるのだろうか?

 逆に言えば、永原先生というのは、それだけの長い時を生き、200年以上の江戸城生活を同じ人が記録したということは、極めて大きな注目に値するものね。

 

「永原さんは何人もいる人間国宝どころか、唯一無二のお方ですよ。我々には想像もつかないような長い時を生きて……我々はもちろん、我々の祖先でさえ、教科書の中でしか知らないような時代を見てこられたんですから」

 

 美術館の人が、真面目そうな表情でそう言う。つまり人間国宝以上の価値があるということよね。

 

「あはは、私、そんなすごい人じゃないんですよ」

 

「とんでもない。日記が3日と続かない人がいる中で214年も続けることがどれだけ大変か。そして、その資料価値がどれだけ高いものか!」

 

「それは当時単に暇だっただけだわ」

 

 美術館の人の声に対しても、永原先生はあくまで自分は一般の女性だと思いたがっている。

 そう言えば、蓬莱教授と協会が協力する時に、真っ先にあたしに協力してくれたのも、そう言う一面もあるのかもしれないわね。

 

「……永原さん、同じ時代にもTS病の患者はたくさんいたはずです。でも、永原さんを置いて他にこれほど生きている人がいないということは、やはり幸運だけではないと思うんですよ。私は」

 

 美術館の人が静かにそう語る。

 

「そうねえ……確かに、生き延びる才能はあったかもしれないわね」

 

 永原先生が笑顔でそう答えると、美術館の人もそれ以上は追及して来なかった。

 何はともあれ、鑑定番組の出演から、美術展へと繋がっていった。


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