永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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永原先生の拠り所

「では、私たちは記者クラブで今回の情報をまとめます」

 

 日没後の首相官邸の門の外、あたしたちの中でまず言葉を発したのは、記者という立場のためか会議にはあまり参加してこなかった高島さんだった。

 

「ああ、我々としても、総理大臣が味方になってくれたことは積極的に宣伝したいところだ。他のマスコミにも、情報を流しても構わないぞ」

 

「ええ、ではそのようにいたします」

 

 高島さんたちは、この近くにある記者クラブに急いで去っていく。

 ふふ、総理大臣が味方になると知られれば、反蓬莱教授の勢力にとっては大打撃を受けるわね。

 

「……」

 

 一方で、永原先生はあたしたちとは違いどこか遠い場所を見つめている。

 

「永原先生、どうしたんですか?」

 

「この奧は……私がかつて住んでいた場所よ。でもあの日から……一般参賀に参内した時以外はここに入ってないわ」

 

 永原先生の言葉には昔の日々を思い出している。

 永原先生はあの時代、江戸城での生活がずっと続くと思っていた。

 

「ああ、そうか。皇居だものな」

 

 永原先生が、これまでの人生で最も長く過ごした場所、それが江戸城だった。

 永原先生の日記の最終日の翌日、江戸城は明治新政府に引き渡され、皇居となって今日に至る。

 

「私にとって、この町は第2の故郷よ。この町が、どこよりも好きだわ」

 

 今年で503歳になった永原先生の人生のうち、江戸での人生が半分を占めるし、東京在住の時代を合わせれば、まさに第2の故郷と言ってもいいと思う。

 あたしたちは駅には向かわず、三宅坂の方を目指した。途中「ここら辺に上杉殿の屋敷があった。今の上杉家は吉良上野介殿の子孫ということで私もお世話になった」とも言っていた。もちろん、今は影も形もないけどね。

 

「ここが三宅坂……」

 

「ええ、江戸城も、江戸も、変わったわね。私はそう……あのあたりに住んでいたこともあるし、別のところに住んでいた時もあったわ」

 

 永原先生の首は、常に皇居の方を向いている。指で住んでいた場所の建物があった所の方角を示すけど、それが正確かどうかはあたしたちにはわからない。何せ、江戸時代の記憶だもの。

 

「だろうなあ、永原先生が初めて江戸に来てから400年近く、明治維新からでも160年近く経っているんだから」

 

 永原先生は、小さく息を吐き、蓬莱教授が諸行無常のような言葉を話す。

 それを聞いた永原先生は、更に皇居に近づいて、今も流れる壕と、そしてかつて自分が住んでいたその向こうを見つめ始めた。

 そこには生い茂った森が見えるだけだった。

 

「私は、あの時以来ずっと政治の中枢にいたわ。でも今は、天子様は元より総理大臣に会うだけでも、一苦労だわ」

 

「そりゃあそうでしょう」

 

 永原先生は一介の庶民になることを、選んだんだから。

 もちろん、やろうと思えば明治政府の中に入り込むことだって、永原先生の実績からすれば可能だったけど、しなかった。

 いかに戦国生まれの元男といえど、か弱い少女のような女の子では、あの時代の政争を生き残るのは難しかったのかもしれないわね。

 

「私ね、時折自分の帰属が分からなくなるのよ」

 

 永原先生が皇居を見つめながら、重そうな口調で答える。

 

「無理もないだろう」

 

 蓬莱教授が淡白そうに答える。

 このあたりは、蓬莱教授らしいわね。

 

「時折ね、かつて私があの壕、あの門、あの石垣の向こうにずっと、4代様に呼ばれてから214年間も住んでいたことが、夢のことのように思えるのよ」

 

 江戸時代の永原先生の日々、あの時永原先生がどういう生活をしていたかは分からないが、それでも懐かしむことができるくらいにはいい時代だったのよね。

 

「だって私は北信濃の真田家のその一介の足軽、あるいは農民でしかなかったのよ。それなのに私はただ長生きだからという理由で、私はあの神聖な城にずっとずっと住むことを許されていたわ。でも、本来ならそれはあまり好ましいことじゃないと思っていたわ」

 

 その通り、実際に永原先生は江戸時代に何度も何度も真田家への再仕官を申し出ている。

 

「私は、今でも自分は真田家の家臣だと思っているわ。どれだけ時代が変わっても、私が真田源太左衛門様にお仕えしていた事実は消えないもの」

 

 その話は、以前にも聞いたわ。

 4年前のあの時見せた「真田幸村」と「真田十勇士」に対する憎悪も、それが理由だと思う。

 

「でもね、250年以上もこの町に住み続けて、私は江戸を一番に……真田の村以上に愛するようになったわ。戦乱の時代の真田の村では到底考えられない位にこの町は文明も文化も発達したわ。だから私は、江戸っ子だと思うの」

 

 そりゃあそうだろう。それこそ東京が江戸と呼ばれていた時代でまだ生きているのは、永原先生と江戸時代生まれの正会員しかいない。

 その中でも永原先生は江戸城という江戸の中心に住んで様々な文化を受けてきた。本当の意味でも江戸っ子だ。

 

「それにね、鉄道を目にしてからは、私は新しい時代を愛し、天皇陛下への尊皇心が強く芽生えるようにもなったわ。天子様への敬意は、それこそ戦乱の時代、後奈良天皇や私より1歳年上の正親町天皇の時代から持っていたし、5代様や吉良家や水戸中納言殿といった勤皇家の影響も私は強く受けていたわ。でも明治以降のそれは、完全に違ったわ」

 

 かつて江戸城と呼ばれていた場所の森を見つめていた永原先生がこちらに向き直る。

 そう、永原先生が盛っているアイデンティティは真田と江戸だけではない。

 明治時代以降は天皇陛下への忠義を深めていった。

 

「それ以降は、ずっとその価値観でやって来たわ。でも時折分からなくなるのよ。私の本質は生まれた時の真田の家臣なのか、人生で最も長い時を過ごした徳川の家臣なのか、それとも明治以降今も持ち続けている天皇陛下の臣民なのか? ってね」

 

「永原先生、徳川将軍だって天皇から信認を得て征夷大将軍に任命されている訳だから、ずっと天皇陛下でいいんじゃないの?」

 

 浩介くんの言葉に対して、永原先生は柔らかい表情でゆっくりと首を横に2回振る。

 どうやら、それではダメらしいわね。

 

「ううん、篠原君、それは現代の人間がよくする間違いよ。それではダメだわ」

 

「え!? どうして?」

 

 浩介くんがとても驚いた評定をする。

 あたしと瀬田助教も、驚きに包まれる。蓬莱教授は、あまり驚いていないようだけど。

 

「武士は二君には仕えないのよ。例えば私がもし真田の家臣とするなら、真田家が徳川家の家臣だったとしても関係ないのよ。あくまで私は徳川から見たら陪臣であって、もし命令が相反したら、真田家の言うことを聞かなきゃいけないのよ」

 

 うーん、武士って難しいわね。

 

「会社の課長と部長で言ってることが違ったら、課長に対して『しかし部長がこう言っていますのでこうします』と言えば、課長も納得するしかない。だが武士の主従関係はそういうものではなかったんだ」

 

 蓬莱教授が、現代っ子のあたしたちにも分かるように説明してくれる。

 つまり、大名に仕える以上は、主人が更に上の主人である幕府に反旗を翻すなら、それに従わないといけないと言うこと。

 

「もちろん、主君についていけないと思ったら見限るのもありよ。私が最初に生きていた戦乱の時代は、そんな時代だったわ。安房守殿は武田、織田、上杉、北条、徳川、上杉、豊臣と主君を変えていったわ。でも、江戸時代になると、そういうのが見苦しいとなったのよ……そのせいで、吉良殿は……」

 

 永原先生が、またうっすらと涙を流している。

 あたしとしては、この吉良家への恩義が、また永原先生のアイデンティティー意識を難しくしているのだと思う。

 

「私ね、本当は誰かに仕えているという意識がないとやっていけないのよ。でも今の私は? 主従関係なんて関係、結びたくても結べなくなってるわ。私は、誰なのよ?」

 

 永原先生は、長い人生故に多くの呪縛を抱えていた。

 永原先生の人生、それは足軽の家に生まれ、終戦時までの400年以上、誰かに仕えながら生きてきた。

 80年弱の時はあたしたちにとっては途方もなく長い時でも、永原先生にとっては400年以上も染み付いた癖を治すのには足りないのだという。

 

「永原会長」

 

「篠原さん?」

 

「会長は、日本人ですよ」

 

 あたしは、務めて明るい口調で言う。

 

「日本人? ええ、確かにそうだけど」

 

「永原先生、さっき言ってたじゃないですか。主君を変えるのもありだって。だったら、本質なんてどうでもいいんですよ」

 

「……そうかもしれないわね。ええ、その可能性も含めて、悩んでいたわ」

 

 永原先生も、やはりそう考えたことがあったらしく、すんなりと頷いてくれる。

 

「それに、真田家の人だって、永原会長を武士の身分にした上で、徳川家の直接の家臣に取り立てることには、悪い顔をしたかしら?」

 

「……覚えてないわ」

 

 永原先生が少しだけ考えて「覚えてない」と答える。

 

「でも、真田家が断り続けたって言うのは、きっと幕府に遠慮したってだけではないと思うわ。永原会長の江戸城での生活が、充実していたのを見ていたからよ」

 

 だって、あんなにたくさんの家宝を贈られたんですもの。

 それだけじゃなくて、比較的自由な生活を許されていたし。

 

「うん」

 

 永原先生が小さく静かに1回、首を縦に振る。

 

「だったら、本質は日本人でいいんですよ。明治維新からは、天皇陛下のご意向で、あの時と同じように、天子様の家臣になったんだって」

 

「ええ、そうね。そう思うことにするわ。ふふ、考えてみれば、私ずっと日本人だものね」

 

 永原先生が、付き物がとれたような笑顔を見せる。

 

「さ、時間取らせて悪かったわ。行きましょう」

 

 あたしたちは、今度は霞ヶ関駅ではなく、永田町駅から、帰りの電車に乗り込んだ。

 帰りの電車は、既に帰宅ラッシュということもあって、それなりに混雑していて、浩介くんが「俺が痴漢から守る」と息巻いてあたしを守ってくれたんだけど──

 

  すりすり

 

「もうっ! 肝心の浩介くんが痴漢しちゃったら元も子もないじゃないの!」

 

「ごめんごめん、優子ちゃんと密着してたら、つい」

 

 家に帰ってあたしの部屋で浩介くんと2人きりになった途端、浩介くんにスカートの中へ手を入れられて、パンツの上からお尻を触られてしまった。

 

「本当にもう!」

 

 あたしが浩介くんの腕を掴みながら言う。

 

「ごめんなさい。でも満員電車で痴漢したくなる衝動を抑えて家の中までは我慢したぞ!」

 

「うー」

 

 浩介くん、そこ自慢するところじゃないわよ!

 

「でもさ」

 

「え!?」

 

 浩介くんが急に真顔になる。

 

「優子ちゃん、時間はもうとっくに夜だよ? 優子ちゃんって、夜はどうなるんだっけ?」

 

「うぐぅー! あーん浩介くん、もっと触ってー!」

 

 浩介くんに3秒で論破されてしまい、あたしは急速に身体が火照るのを感じながら、浩介くんと夜を共にした。

 

 

 

「ねえ浩介くん」

 

「ん?」

 

 浩介くんに身体をほぐしてもらった後、あたしは浩介くんと一緒にベッドに入りながら、声をかける。

 

「さっきの話、永原先生のこと、覚えてる?」

 

「ああ、覚えてる」

 

 浩介くんも覚えていた。

 

「あたしね、ちょっと詭弁を使っちゃった」

 

 そう、あれはあの場を抑えるための、口から出たでまかせでしか無い。

 だって、永原先生が揺れていた帰属意識は、故郷や主君に対するもので、国に対するものじゃないもの。

 

「……やっぱり優子ちゃんはそう思うか」

 

「うん、永原先生の主君のこと。戦国時代と江戸時代での価値観の変化、それに付いていくのが難しいと思えてならないわ」

 

 戦国時代の価値観では、主君を変えるということは珍しいものではなかった。

 むしろ、自分たちの妻子を守るために、落ち目の主君からは離れていくというのは普通のことだった。

 でも、平和な江戸時代になると、1人の主君に忠実に仕え続けるのが良しとされた。

 赤穂浪士の討ち入りだってそうだ。

 世論が浅野家に味方してしまったのも、戦国時代なら全く持ってあり得ないことだった。

 だからこそ、永原先生は苦しんでいるんだ。

 

「そうか、永原先生のような長い人生を歩んでいると、時折自分はどこの時代の人間なのか分からなくなるんだな」

 

「ええ、今のあたしや浩介くんは平成の人間だし、義両親やあたしの両親は昭和の人間でしょ? 比良さんや余呉さんは、多分江戸時代の人間だと思う。じゃあ永原先生は? やぱりあたしにも、永原先生を戦国時代の人間と言い切って良いのかわからないわ」

 

 そしてそれは、「長い時代を生きてきたんだから、『甲時代の人間でもあり、同時に乙時代の人間でもある』でいいじゃないか?」ではすまない。

 これだといわゆる「ハーフ」だの「クォーター」だの言われている人は、何も悩まなくていいことになってしまう。

 

「……だろうな。だからこそ、永原先生は、自分の本質は真田家の人間なのか、徳川家の人間なのか、はたまた臣民なのかで悩むのだろうな」

 

 もしかしたら、今頃永原先生はあたしの言っていることの間違いに気づいてまた悩んでしまっているかもしれないわ。

 今度会ったら、また話さないといけないわね。

 

 

「あら? そのこと? ええ、心配しなくていいわよ。もう私の中でも整理できたわ」

 

 会合の日に永原先生に永田町でのことについて話そうとしたら、既に心の中で整理できていたという。

 

「どういうことです?」

 

「もちろん、『私は私だ』みたいな、小説とかにありがちな曖昧な結論じゃないわ。結局、『私が不老』だった故のことだったのよ。つまり、就職先を変えたのと同じってこと。ことさらにアイデンティティにしなくてもよかったってことよ」

 

 要するに、永原先生は戦国時代の価値観を選んだことになる。

 でも確かに、それが一番いいのかもしれないわね。

 

「もちろん、だからといって忠義や想いをないがしろにするつもりはないわ。戦乱の時代だって、忠義に殉じた武士はたくさんいたもの。いやむしろ、あのような時代だったからこそ、忠義の2文字を貫いた家臣は、輝いて見えたものよ」

 

 永原先生がしみじみと話す。

 遠い昔のことは分からない。だからそう、永原先生が答えを出したなら、もういいと思う。

 多分あたしがこの気持ちを理解するには、後数百年は必要なことだと思うから。

 今は、そっとしておくのが、一番賢い。

 あたしはそう思うことにした。


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