永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
大学3年生の前期も終わり夏休み、あれから反蓬莱勢力は、不気味なほどに静まり返っていた。
公安調査庁からも定期的に問題のない範囲で蓬莱教授に情報が送られてくるみたいだけど、蓬莱教授には「動きがない」との情報しか伝えておらず、あたしたちは喉元過ぎてしまったのか、すっかり熱さを忘れて勉強と夫婦生活のことばかりを考えていた。
「最近出た新しい患者さんですが、篠原さん、もう1人お願いしてもいいですか?」
永原先生から、このような依頼をまた受けた。
幸い、高校期間も夏休みでよかったわ。
「……分かりました」
とはいえ、この時期に新しい患者さんが来てくれるのは一番ありがたい。
とにかく大学生は宿題もほぼ無いに等しいので、夏休みにしても春休みにしても、とにかく暇で暇で仕方がないのよね。
えっと、ここかしら?
うん、患者さんはもう家に帰っているらしいのでここでいいはずだわ。
ピンポーン!
「ごめんくださーい」
「はーい、あ、協会の方ですか?」
あたしが呼び鈴を押すと呼び鈴越しに声が聞こえてくる。
「ええ。篠原優子と申します」
「それじゃあ話を聞かせてもらうわね」
今度の患者さんは中学3年生であたしの家からもかなり近くて、しかも志望校の1つに小谷学園があった。
その患者さんも、「会長さんが先生をしている小谷学園に行きたい」とも言っていたので、この受験の時期にTS病になったのは不幸だったけど、それでも小谷学園に合格することが出来れば不幸中の幸いとも言えるわね。
場合によっては、小谷学園に入学と同時に、相談相手を永原先生に変えてみるのもいいかもしれないわね。
そのあたり、永原先生ともよく相談しておこうかしら?
「――というわけなんです」
協会本部に帰還したあたしが患者さんの状況をまとめたメモを片手に永原先生と話す。
「……なるほど、小谷学園に合格できるといいわね」
「ええ。それでもし合格できたら何ですけど――」
「カウンセラー変わってくれって? 別にいいわよ。都合いいことに来年度は1年生の担任になる予定ですから」
永原先生が「もちろん」という感じで胸を張ってくれる。
「ありがとうございます。小谷学園はTS病患者には過ごしやすくなれますね」
「ええ、『石山さん』のおかげだわ」
確かに、高校生の時は未婚で旧姓だったので問題ない。
「あはは……」
とはいえ、中学生だったから良かったけど、もし患者さんが高校生だったとして永原先生がいるというメリットを差し引いても、やはり転校というのはおすすめできない。
あたしが女の子になった時代と比べれば、世間一般にはTS病の知名度はかなり広がっているとは言え、今でも更衣室問題が起きることがあることは知られている。
まあ、大抵は歩美さんの時のことを引き合いに出せば、学校側も素直に従ってくれるんだけど、それでも一手間かかってしまうのは事実なのよね。
ちなみに、当の生徒たちについては、意外とすんなり受け入れてくれるらしい。
まあ、仮に無理解な女子生徒がいたとしても、学校生活を続けていればかならず訪れる「女の子の日」が来るとみんな理解してくれるので、「最初の生理の日は、無理してでも学校に行き、女の子アピールすること」というのが、以前からの経験則になっていたりもするんだけどね。
それに、あたしはあたしで、更衣室問題で少し嫌な思い出がある。
今の小谷学園なら、そう言う心配がないというのが実際のところでもあるけどね。
「それじゃあ、私はこれで失礼します」
「お疲れ様でした」
あたしは永原先生やその場にいた正会員さんに挨拶して協会の本部を出る。
入会からもうすぐ4年、あたしも大分この協会に馴染んできたという自覚がある。
東京オリンピックから1年が過ぎ、蓬莱教授に対する騒動も、完全に風化してしまった。
蓬莱教授は「700歳の薬」の開発には成功したけれど、これについては浩介くんを含む被験者たちに飲ませるだけで、記者会見は1000歳まで行わない予定になっている。
そのため、世間でも蓬莱教授の研究が苦境に立たされているのではないかという推測が飛び込んでいる。
最も、その推測は当たってないこともないのよね。
蓬莱教授曰く、「もう1つ、決定的な何かを見落としている」と話していたし。
夏休み中にあった他の出来事と言えば、あたしと浩介くんの成績が返ってきたこと。
あたしはまだ何とかなったけど、浩介くんの方はギリギリで単位を取れた科目もあって、結構ヒヤヒヤものだった。
それでも、蓬莱教授によればお互いかなり成績は良いほうなので、コネがなくても「蓬莱の研究棟に入れてもいいレベル」とのことだった。
佐和山大学では、3年次の後半から各教授の研究室への配属が決まる。
なので講義する教室でも、「どこを志望する?」とか「蓬莱教授がもちろん本心では第一だけど、まあ無理だよなあ」と言った声が聞こえて来ていた。
一番定員が多いのが蓬莱教授の研究室だが、人気はもちろん毎年ダントツの1位、なので成績はトップクラスに良くないと配属されないわけで、この研究室目的にわざわざこの大学に入る学生でほぼ全員が占めている。
まあ、あたしたちの場合、仮に留年したとしても入れてもらえるわけだけど、とりあえずそういうことがなくてよかったわ。
とはいえ、色々な研究室を見学しているのに、あたしたちは蓬莱教授の研究棟ばかりにいつも1年次から入り浸っていたから、殆ど研究棟の見学もしていない。
蓬莱教授からは、「アリバイ作り程度に他の教授たちの研究室も見学してくれ」と言われていたけど、モチベーションは上がらないのは否めないわ。
あたしはまだいいんだけど、演技が苦手な浩介くんは大変よね。
浩介くんからは、「優子ちゃんって演技力がすごい」と言われてしまった。
優一の頃は、もちろん感情的だったから「演技力がうまい」なんてことは全くなかった。
あたしは、女の子になってから、無意識に演技力が高くなっていた。このことは以前から気付いていたけど、最近また言われるようになって、思い出す。
そう言えば、「女はみんな女優」何て言葉さえあるものね。あたしだって女だから、例外ではないわね。
それでも浩介くんは、「でもやっぱ、他の研究室を見て回るのも、知見を増やす上で重要だよな」とも言っていた。
他の大学がどうかは知らないけど、やはり「蓬莱の研究棟」で行っている研究とは、規模もスケールも全く違う。かなりお金のやりくり苦しんでいて、蓬莱教授とは全く対照的だった。
蓬莱教授の発見した万能細胞を研究している研究室の先生の話によれば、「うちはまだ国や蓬莱先生から微々たる補助金が出てるからマシ」とも言っていた。
蓬莱教授は、実は国からの補助金は殆どもらっていない。
何故なら、研究内容は世界から注目されていて、寄付金だけでビリオネアになってしまうレベルで、世界各地から寄付が集まっているからだもの。
最近では、反対派の活動が動画共有サイトに上げられた際にも、寄付金はかなり集まっていて、宣伝部の存在が、かなりの黒字を生み出しているとも言っていた。
一方で、研究資金も有り余っているために、予算を使い果たす事ができずに、内部留保の形でたまり始めているのが問題になっている。
あたしたちの旅行代にも色々と押し付けてくるけど、それでも使い切れなくなってきているのよね。
まあ、研究が苦戦した時に寄付金が少なくなったときのことも考えないといけないけどね。
「優子ちゃん、それで、夏休みはどこに行く?」
もう夏休み中だけど、人が少なくなってくる9月に、どこかへ旅行しようという話になった。
「うーん、あたし、新しい患者さんの面倒も見ないといけないからねえ」
「あーそういえば近所なんだっけ?」
浩介くんが思い出すように言う。
「うん」
「じゃあ、近場で探さなきゃな」
患者さんが倒れたのは8月下旬で、カリキュラムが終了したばかりでまだまだ精神的に不安定な時期にある。
あちらの親御さんの報告でも、「荒れている時もある」とのことだったので、注視する必要がありそうなのよね。
とは言っても、あたしが脅したのもあるけど、「男に戻りたいとはもう思わない」と言ってはいるし、そこまで心配はしてないけど。
ともあれ、今年の夏休みは患者さんの新しい世話を除けばゆっくりと過ごせそうだわ。
幸子さんは地理的に難しいけど、歩美さんなら、あたしが今年から世話している患者さんに会わせておいてもいいかもしれないわね。
「それで、ここがいいかな?」
「うん、そうしよう」
結局、以前にも行ったことのあるデートスポットを再訪問するということに鳴った。
「ところで優子ちゃん、旅行もいいけど9月からは研究室への配属だけど」
「うん、第2志望はどうしようかしら?」
「そこだよなあ」
もちろん、第1志望に通ることが決まっているとは言え、第3志望まで埋めなきゃいけない。いわば、あたしたちにとっては唯一の「夏休みの宿題」と言ってもいい。
小中高の時に出たような夏休みの宿題に比べれば遥かに分量が少ないし、人によっては夏休み前に終わってることもあるだろうし、あたしたちに至っては第一志望が終わっているから労力が3分の2で済むはずなのに、何かとても大変だわ。
多分、第一志望に最初から決まっているというのが、モチベーションを下げさせている原因なんだと思う。
実際、第一志望だけ書いたとしても多分通ると思うし。
蓬莱教授と親しい河毛教授は専門が応用数学だし、一応あたしたちの学科にある程度合った人にしなければならない。
「とすると――」
浩介くんが、第2、第3志望を埋めていく。
よし、あたしもそれにしようかしら?
「なあ、どうせ蓬莱教授の所に決まってるわけだし、優子ちゃんは別の志望を書けばいいんじゃないか?」
浩介くんがそう提案してくる。
「え? どうして?」
「まあほら何だ? アリバイ作りだよアリバイ作り」
浩介くんがボールペンを振りながら気楽に話してくる。
「うーん、そういうものかなあ……」
確かに、あたしたちは夫婦で同居してて、しかも大学でもずっとベッタリしているから、「実験のレポートを写し合っている」という疑いが、本来なら真っ先にかかってもおかしくないのよね。
幸いにして、そのようなことはなかったけど、いずれにしても気をつけなきゃいけない。
「ま、何にしても、来期で実験も終わるな」
「うん」
あたしたちはそれが一番嬉しい。次を乗り越えさえすれば、来年はほぼ卒業論文に専念できそうでよかったわ。
でも、他に何を履修しようかしら?
まあ、それも含めて、この夏休みに考えておくのもいいかもしれないわね。
ジリリリリ……ジリリリリ……
「あ、ごめん浩介くんテレビ電話」
浩介くんと話していると、テレビ電話が鳴った。
かけてきたのは、新しい患者さんではなく、もう1人成人式の時から面倒を見ている患者さんからだった。
「おっと、じゃあどいてるよ」
「うん」
まあ、浩介くんがいてもいいんだけどね。
ある程度女の子が定着したら、「あなたもこういう風に旦那さんの家に嫁入するのよ」って言えるわけだし。
「もしもし」
「あ、篠原さん実は――」
女の子になって最初の1年は、色々と戸惑いがある。
あたしだってそうだった。
4人の患者と接して改めて分かったことがある。あたしは、この4人から、自分があまりにも優秀過ぎたことを思い知らされている。
「うん、どうしたの?」
「俺の親が――」
「こーら! また言葉遣いが乱れているわよ!」
それは言葉遣いの矯正は比較的楽と言っても、やはり絶対評価としてはそれなりに難しいということ。だからこうして、優しい口調で叱りつけてあげないといけない。
「うっ……すみません。その、私の親が、転校させようとしてきて――」
もちろん、カリキュラムが終わった上に、テレビ電話越しだから、スカートめくりのおしおきはないけどね。
でもきちんと言い直させなきゃいけないのよね。
「うん、いいわよ。さ、女の子が男の言葉を使っちゃった時はどうするんだっけ?」
「えっと……私は女の子……私は女の子……女の子なんだから女の子らしくならなきゃいけない……」
そして、カリキュラム終了後も暗示をかけさせることは重要になってくる。
あたしはカリキュラムが終わった時には言葉遣いはほぼ完成していたのでこういうことをすることがなかった。
「そうよ、それでいいわ。でもどうして急にそんな話になったの?」
TS病患者を普通の女の子よりも女の子らしく生きるように教育するのは、男の子から変わったという事情から。でもそれは、当然ながら女の子が女の子らしくするよりも苦労を伴う。
こうやって悩みを聞いてあげて、適切なアドバイスが出来るようになりたい。
他の正会員さんは年齢も離れているけど、あたしならうん、そう言う意味では有利かもしれないわね。
まあそうは言っても、その有利さだって今だけだし。
それに、今の所はあたしが大学生になってからは明日の会になびいた患者1名を除いて自殺者は出ていないけど、あたしのやり方でもうまくいかない例は出てくるとは思うし、今後あたしが担当した患者にも自殺者は出ると思う。
もしそういう患者が出てきた時のための心の準備も、必要かもしれないわね。挫折を知らないのも、それはかなり問題だもの。
失敗を予測して、想定していた上の挫折なら、ある程度ショックも緩和できるはずだものね。
「えっとあの、篠原さん、今日はありがとうございました」
「うん、また元気な姿を見せてね」
今回は、「学校でクラスメイトが戸惑っているから親が転校を検討し始めた」という話だった。
もちろん、それらの「戸惑いは必要経費だから、あなたにとっても学びになるわ」と、言っておいた。
親御さんもあたしには全幅の信頼を寄せている。
あたしの年齢はまだ21で女の子歴は4年だけど、既に旦那がいる身。
もちろん、高卒と同時に結婚したのも、TS病患者の結婚としては最年少記録だ。
不老の身であるから行き遅れという概念がないと同時に、女の子を身につけるまでに時間がかかるからって言う側面が強いんだけどね。
「浩介くん、終わったわよ」
あたしはテレビ電話を切り、そう伝える。
「お、そうか」
浩介くんがまた、あたしの近くに来てくれる。
「ねえ浩介くん、おままごとしよ?」
「うん、分かった」
浩介くんが、すっかり慣れた顔であたしを見つめてくる。
夏休みの暇な日々、あたしは浩介くんとおままごとやお人形さん遊びに講じることが多い。
もちろん、優一時代から持っていたゲームで遊ぶこともあるけどね。
「ふふ、あなた」
「優子ちゃん」
あたしが、部屋からおままごとセットを出す。
「それにしてもこのキッチン、よく出来ているよな。今のおもちゃってすげえな」
「うん」
野菜やウインナーのおもちゃ何て似て過ぎ思わず口に入れてしまいそうになりそうだわ。
実際、「口に入れない」という注意書きもかなり強調されているし。
「はーい、じゃあ完成ね! ご飯できたわよあなたー!」
こうして、反蓬莱連合の動向がわからない夏休みは、裏は分からないけど、表向きは平穏に過ぎていった。
政府から一度だけ、あたしだけが内閣官房に呼ばれたことがあった。
その時は官房副長官と超党派議連の代表の人、蓬莱教授、そして永原先生の5者面談だった。
今後もこの5者でちょくちょく面談を行うことになっている。
ただ、更に不老の薬が現実味を帯びてきたら、総理大臣が出てくることになるとも言っていた。
もちろんその時の総理大臣が同じ人とは限らないけど、蓬莱教授の影響力を考えれば、大丈夫かな?
政治的パイプも、とにかく自然消滅だけは避けたいから、ある程度の交流を図らないといけないわね。