永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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夏の夫婦旅行3日目 雲上の世界で

  ぴゅうううう

 

「うー、風が冷たいわ」

 

 あたしのズボン、コートに容赦なく風が吹き付けられていく。

 9月だと言うのに、標高2450メートルの高所から吹き付ける風はかなり強く、そしてひんやりとしている。

 

「とりあえず、建物に入るぞ」

 

 ともあれ、まずは軽い高所順応も含め浩介くんが空調の効いた建物の中に入るように促してくる。

 

「うん」

 

 事前の打ち合わせでは、ここ室堂の滞在時間は1時間となっている。

 ともあれあたしたちはまず、急いで乗り場のある「室堂駅」という建物の中に入った。

 

「ふー」

 

 心なしか、空気の薄さは不思議とそこまで感じなかった。

 一方で、建物の中はかなり空調が聞いていた。

 あたしたちは、まず建物を散策する。

 まず目についたのが大観峰行きのトロリーバス乗り場、これに乗るのは1時間後ということになる。

 

 更に2階にはレストランとお土産屋さんがあり、レストランでは「立山そば」というのが名物らしい。

 お土産屋さんもちらっと見た限りだけど、先ほど話題に出ていた「さらさら越え」の佐々成政のお酒と称するお土産も売られていた。

 もちろん朝食はさっき食べたばかりだし、何よりいかにも高そうな場所なのでここでは何も買い物はしないことになった。

 佐々成政のお酒も、室堂限定となっているけど、あたしたちはお酒を飲まないので意味はない。

 

「よし、向こう側に名所があるから、そっちに行ってみようぜ」

 

 建物の探索を終えて落ち着いてきたら、浩介くんが外に行きたいと言ってきた。

 うん、ちょうどあたしもそう思ってたところだわ。

 

「うん」

 

 浩介くんの誘導で、建物を出て更に奥側へと進む。

 

 

  ひゅううう……

 

「少し寒いわね」

 

 といっても、やはり9月でもこの寒さというのは恐ろしいことだわ。

 やはり高山という場所の寒さはものが違うのかもしれないわね。

 

「ああ」

 

 さて、あたしたちの正面に見えてきたのは、無造作に置かれ、大きな文字で「立山」と書かれた石碑だった。

 またその石碑には、「中部山岳国立公園」「標高2450メートル」とも書かれている。

 

 それらを写真に収め、そこから更に奥側に進むと、また石碑が見えてきた。

 そこには、昔の富山県知事が書いたと思われる「立山玉殿の湧水」という文字が書かれた石碑。

 更に右側の黒い石には、この水の成り立ちなどが書かれていて、昭和60年という、37年前の文字が見える。

 どうやらこの涌き水は飲むことができるらしく、ひしゃくが置いてある。

 

「飲めるらしいな」

 

 浩介くんが、ひしゃくを手にとって口に水を含む。

 

「んーー! 冷たくて美味しいぞ! 優子ちゃんも飲んでみなよ!」

 

「そう? じゃあ」

 

 浩介くんに勧められて、あたしは同じように水を飲んでみる。

 

「んー!」

 

 飲んで分かるが、この水は氷に近いくらいに冷たい。

 でも、その冷たさに反して飲みやすく、あっという間にひしゃくが空になる。

 いかにも純粋という感じの冷水が、あたしの喉を潤していく。

 乾いた喉がすぐに潤う。

 高山特有の空気の薄さも、更に緩和されたように感じた。

 

 あたしたちの隣にいた老夫婦は、ペットボトルを持って水を汲んでいた。

 

「美味しいわ」

 

「だろう?」

 

 この冷たさと澄んだ水に対して、あたしには月並みな表現しか出てこないわね。

 水を飲み終わり、立ち上がったあたしはふと奥へ進んでいく。

 ここからなら、富山の街が一望できるんじゃないかと思い、左を向いてみた。

 

「わあ!」

 

 目に広がる素晴らしい光景に、あたしは思わず感嘆の声をあげた。

 

「? どうしたの優子ちゃん?」

 

 立ち上がったあたしについて行く浩介くん。

 いつもとはちょっと違うシチュエーションになっている。

 

「見て見て、町が一望できるわよ!」

 

「お、本当だ。すげえや!」

 

 あたしたちの目の前に、高山植物たちが生い茂る草原が広がっていた。

 所々に山肌がむき出しになっていき、遠くに行けば行くほど、高度が低くなればなるほど、植物の密度が高くなっていく。

 視界の左右には山が続いていく。

 一番左側には、さっきバスで来た通り道が見える。

 道路をよく目を凝らしてみてみると、遥か下界からバスが上っていくのが見えた。

 目の前で見ればあんなに巨大なバスが、ここから見るととても小さい。

 

 雲が、あたしの上側だけではなく、前方下側にも見える。雲海が、目の前に迫ってくる。

 あたしたちにとって、雲というのはいつも地上から上を見上げて見えるもので、あたしにとって雲を上から見たのは人生で初めての経験だった。

 

 そして、雲の中から見え隠れする、あたしたちの正面の遥か遠くに見えるのは、青い色をした水のようなものだった。

 そう、これが海。そしてその手前に見える銀色のミニチュアたちが、富山の街だった。

 あたしたちは今日、あの小さな所から出発した。

 ここからでは、もちろん電車が走っている様子は見えないし、人の往来の様子なんて分かりっこない。

 だけれども、そこが文明の営みのある場所だと分かる。

 あたしはこの景色の写真を、撮っていく。

 

「凄いわ。あたしたち、あんなところから来たなんて」

 

「ああ、まるで信じられねえぜ」

 

 もちろん山の上からの景色、高い所からの絶景ならば、今までも経験がある。

 高校2年生の春休みに遊園地に行ったときに、最後に観覧車で浩介くんにセクハラとプロポーズされた時も、外の景色は素晴らしかった。

 でも、ここの景色は「格」が違う。

 これまで体験してきた数多くの絶景のどれとも違う。

 富山という大きな街の全てが、ここから見える。

 それどころか、あたしは文字通り「雲の中の人」、いや「雲の上の人」となった。

 室堂は、「雲上の世界」だった。

 まるであたしたちは地上を下に見下ろす天人のようで、この回りの雄大な絶景も併せて、ここはまるで天国のようだった。

 あたしたちは今、蓬莱教授と共に、世界を変えようとしている。

 でもこの絶景を見たら、それも所詮は「人間世界」を変えているにすぎない。

 永原先生や蓬莱教授でさえ、雄大な地球からすれば何でもないようなこと何だと思い知らされる。

 あたしたちに打ち付けている風も、いつの間にか寒さより心地よさが勝っていた。

 

「浩介くん、ここって、この世なのかな?」

 

「何言ってんだ? 当たり前じゃねえか」

 

 ふとあたしの口から出た疑問に、浩介くんが笑いながら答えてくれる。

 いつの間にか雲海の位置が変わって、富山の街が霧に覆われたような見え方になる。

 

「永原先生も、ここを見た時、どう思ったのかしら?」

 

 永原先生が、この雄大な絶景を見てどう思ったかが知りたい。

 きっと、あの時代の人だ。あたしたちよりも更に感動したと思う。

 

「あー、どうだろうなあ? どれどれ……ほう、『三十三天の住人になったようだ』と書かれているな」

 

「三十三天?」

 

 聞き慣れない単語にあたしは思わず首をかしげた。

 

「仏教には極めて高い角柱のような山が宇宙の中心にあると信じられていて、山の頂上と中腹にそれぞれ天人が住んでるんだってさ。といっても、この立山の頂上はもっと上だけど」

 

 永原先生のメモ帳には、「三十三天」の説明について簡単なことしか書かれていない。

 そもそも、メモ帳の体裁だけど、今回のはほぼ全てがプリントを貼り付けたものだったりする。

 

「それよりも、こっちにはもっと面白いのがあるらしいぜ」

 

 あたしたちと一緒に絶景を眺めている人もいるけど、それ以上に、更に奥に進む人の影が多い。

 どうやら、「みくりが池」という名所池が、そっちにあるらしいわね。

 

「池を一周したいところだが、時間の都合もあるから、さっと見ていくだけにしよう」

 

「うん」

 

 ふと、視界の右側を見る。

 そこからは、山頂が見える。山頂は眼下の優しい雄大さとは違い、近付くことさえ拒まれるような威圧感をもってあたしたちに接してくる。

 立山の山頂は3015メートルあるから、あそこはここ室堂から更に565メートルも高い位置にある。

 浩介くんや、他の老人と外国人と共に、あたしは池のある場所へ向け更に奥へと進んでいく。

 

「ここも凄いわ」

 

 そしてそこにあったのは、まるで宝石のような色をした美しい池だった。

 かつて火山の噴火で窪地が出来、そこに水がたまったのがこの池だという。

 正面の山体が光に反射して、ゆらゆらと池にかすかな虚像を写し出す。

 だけど室堂には風が吹いているので、池の水面が揺れるとその像は簡単に吹き飛んでしまう。

 

「ああ、こんなに澄みきった池があるんだな」

 

 澄みきった池にきれいな湧水、冬はもちろん厳しいんだろうけど、今のここは、まさに永原先生が言うように「天」そのものだ。

 まるでここは天上世界で、あたしたちは天の人。

 そんな虚構の錯覚があたしの心に侵食してきて、徐々に現実との境界線が曖昧になっていく。

 

「おーい優子ちゃん。こっちにすげえもんがあるぞ」

 

 浩介くんが、ややずれた位置から、あたしを呼び止めてくる。

 僅かに、現実と虚構の境界線が修復された。

 

「?」

 

 あたしが浩介くんの場所まで行き、浩介くんが指を指した方向を見る。

 

「え? これ雪?」

 

 9月のこの季節に似ても似つかないその白いもの。

 普通なら、とっくに溶けているはずなのに。

 そこだけ、まるで季節を置き忘れたように根強く残っている。

 

「ああ、立山にある『万年雪』だ。その名の通り1年を通して溶けない雪のことだけど、地熱や太陽光で中身は入れ替わってるらしいぜ」

 

 確かに、近くの観光案内でも「万年雪」と書かれていた。

 9月という時期にも関わらず溶けない雪を、あたしと浩介くんが写真に撮っていく。

 

「この池の近くには『みどりが池』ってのもあるらしい。更にこの池の向かい側の上には、『みくりが池温泉』って言う温泉があって、『日本一高い所にある温泉』ということで、ここに泊まって行く客が多いらしいな。夜は夜で星空が絶景らしいんだ」

 

 なるほど、ここに泊まる人が多いのはそういうことなのね。

 

「さ、名残惜しいが、そろそろ戻った方が良さそうだ。待ちぼうけは食らいたくねえからな」

 

「うん」

 

 あたしたちがここを降りて35分が経っていた。

 さっきの美女平が結構ギリギリだったし、並ぶ時間も考えるとそろそろ引き返した方がいいわね。

 あたしたちはやや急ぎ気味に元来た道を引き返す。

 途中左側に石の塔みたいなのが見えたけど、これは「遭難者たちの慰霊碑」だそうだ。

 

「ふー暖かい」

 

 高所にもある程度慣れたとはいえ、やはり屋内の方が過ごしやすいことには代わりはない。

 トロリーバスの乗り場を案内に従って行くと、既に相応の行列が出来上がっていた。

 最も、トロリーバスの大きさこそわからないけど、普段使っているバスの大きさを鑑みれば、余裕で乗ることができる量でしかない。

 浩介くんによれば、まだまだ午前の早い時間帯で、大観峰や黒部平を悠々観光しながら黒部ダムに抜ける算段は出来ているという。

 さて、トロリーバスってどんな乗り物なんだろう? ワクワクするわね。

 

 さっきのように係員さんに通し切符を見せて通してもらう。

 乗り場につくと、そこは薄暗いトンネルの中で、既にバスが到着していた。

 でも、通常のバスとは違い、車体の中央部分に、電車のパンタグラフのようなものが延びていて、トンネル上部には電気が流れていると思われる架線が引いてあった。

 

 トロリーバスの見物はそこそこに、あたしたちはバスの中に入っていく。

 車内はと言えば、運転台も含めて、殆ど通常のバスと見分けがつかなくなっている。

 さながら、バスをちょっと鉄道にした感じになっている。

 

「ここはもう、日本唯一のトロリーバスなんだ」

 

 席に座ると、浩介くんが早速永原先生のメモ帳で知識を披露してくれる。

 

「日本唯一?」

 

 つまり他にはないってことよね。

 

「昔は、東京にも至るところにトロリーバスがあったらしいんだ。だけど通常のバスと違って、環境には優しくていわゆる『ガス欠』の心配もないけれど、決められた所しか通れない上に架線の整備費用もあって、更に鉄道みたいに大量輸送にも向かないから、今やここにしか残ってないんだ」

 

 確かに、そう聞くと鉄道とバスの悪い所取りと言う印象も受けなくもない。

 

「ここは以前はディーゼルバスだったんだが、立山という土地柄、環境的な問題でトロリーバスになったんだ。ちなみに、扱いは鉄道の扱いで、トロリーバスの免許は鉄道の免許の仲間になっているんだ」

 

 浩介くんの話は、以前にも聞いたことがある。

 確かに、こんな密閉された場所で排気ガスの出るバスは不味いわよね。

 

「4年前までは、黒部ダムから扇沢までもトロリーバスだったんだが、今は電気バスになってるな」

 

 電気バスが出来た今、ここのトロリーバスが残っている理由としては「日本唯一」ということそのものなのだと思う。

 逆に言えばトロリーバスが最後までここに残っているのも、この立山黒部アルペンルートが「様々な交通システムを使う」ということを売りにしている証拠でもある。

 トロリーバスが鉄道扱いになっているため、室堂駅は日本一高い駅ということになっている。

 また、これから向かう大観峰駅までの間にも、登山客向けの駅があったけど、登山道が崩落してそのまま修復できず、廃止になってしまったらしい。

 

「間もなく発車いたします、ご乗車のままでお待ちください」

 

 やがてトロリーバスの運転士さんが現れ、運転台へと腰かける。

 よく見ると、バスは既に立ち客が出るほどに混雑していた。

 車内はそれに伴って話し声が大きくなる。

 老人たちの訛りのある日本語と、外国人観光客の外国語が混じった声の集団は、小谷学園や佐和山大学での集団の話し声とは全く性質が違う。

 いずれにしても、相当な数の人数が乗っているのは確かで、次のロープーウェイはここほど大量輸送はできないはずなので、ちょっと不安だわ。

 

 ともあれ、バスが発車する。

 

「おや、静かだね」

 

「うん」

 

 電気で走っているとあって、トロリーバスはエンジンの音が聞こえてこない。

 トンネルをゆっくり右にカーブし、やがて長い直進に入る。

 

「皆様、本日は、立山トンネルトロリーバスをご利用くださいまして、誠にありがとうございます。トロリーバスは──」

 

 さっきの浩介くんの説明と同じ説明を、自動案内でも行っている。

 隣の浩介くんも、ちょっとだけ苦笑してしまっている。

 

 これから標高3015メートルの立山をバスで横断し、黒部湖が見える大観峰につくことになっている。

 そこからはロープウェイが待っているわけだけど、バスの案内では「大観峰の雄大な景色」のことを話していて、春夏秋冬どの季節に行っても絶景だと話している。

 トロリーバスはトンネルばかりなので、車内放送の観光案内が絶え間なく流れ続ける。

 途中、対向のトロリーバスとすれ違うが、かなりギリギリのスペースで行っていた。

 衝突事故にならないか不安だけど、多分トロリー線の制約で何とかしているんだと思う。

 

「優子ちゃん、大観峰はすかさずロープウェイにも乗れるけど、ここは一本遅らせるぞ」

 

「はい」

 

 どうやら、浩介くんによれば、黒部平からのケーブルカーの関係で、後から乗ってもそこまで変わらないらしい。

 それに、大観峰も大観峰で絶景なので、是非滞在していきたいそうだ。

 

「──ご乗車、お疲れ様でした。間もなく大観峰、大観峰です。この先も、立山黒部アルペンルートをどうぞごゆっくり、お楽しみ下さい」

 

 その放送と共に、バスが徐々に減速し、大観峰と書かれた駅に停車する。

 

「ご乗車ありがとうございました」

 

 運転士さんの案内放送と共に、バスの扉が開かれ、あたしたちも立ち上がって、立っていた乗客に続いて降りる。

 同じようにあたしたちも、地下から地上へと抜け出し、新鮮な太陽光の当たる建物に入った。

 さて大観峰と言うほどの景色、楽しみだわ。


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