永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「よし、今日の研究はここまでだ」
「「「はいっ」」」
修士課程になったあたしと浩介くんは、蓬莱教授から研究の手ほどきを受けている。
研究では、初めて学界での発表ということも行った。
そこで分かったのは、学界での蓬莱教授は、かなり畏怖されるようになったということ。
「俺は元々この国では最年少のノーベル賞学者というのもあって、一目置かれてはいたが、不老研究には散々なことを言われたものだ。だが、今の連中の様子を見てどうだった?」
初めての発表を終え、緊張がほぐれたあたしに、蓬莱教授がリラックスした口調で話す。
「かなり、扱いにくそうだったわね」
特に高齢の教授からは、腫れ物にさわるような感じさえ受けた。
「だろう? 奴ら、散々俺に圧力をかけて、旧帝の教授でもおかしくない俺を佐和山大学に追いやったんだぜ。ま、お陰で好き放題出来るから、利害は一致してたけどな」
蓬莱教授がにんまりと笑う。
あたしはまた、6年前の水族館でのことを思い出す。
あの時、蓬莱教授は、「俺に逆らう奴も、いつかはひれ伏す」と予言していた。
蓬莱教授は、自らの手で予言を成就させた。
あれから6年、蓬莱教授も既に50代で本来なら壮年になっているが、蓬莱の薬の効果もあって、6年の老化を全く感じさせていない。
もちろん、薬は完全ではないから、僅かに老けてはいるはずなんだけどね。
あの6年前の水族館の出来事から4か月後に、蓬莱教授は最初の記者会見を開いた。
恐らく、あの時は120歳の薬の完成手前で行き詰まっていたのかもしれない。
「優子ちゃん、どうしたの?」
隣にいた浩介くんが声をかけてくる。
「あーうん、蓬莱教授の予言が当たったなって」
実際に、蓬莱教授はマスコミを屈服させたこともあったし。
「ふふ、優子さん、あれは予言ではないさ。こうなるのは、ほぼ必然だったと俺は思う。何故なら、『不老は決して不死ではない』からだ」
「だろうな」
蓬莱教授の言葉に、浩介くんが頷く。
そう、蓬莱教授がAO入試の時に話してくれたように、「不死ではないこと」が、蓬莱教授の研究に対する反対勢力の勢いを大きく削いだ。
不死を求め、死から免れようとすることへの愚かさを説く作品は古今東西に沢山あるけれど、蓬莱の薬は不死の薬ではないので、それらの批判は全く効果がなかった。
そして、現に不老の人間はあたしたちTS病患者という実物がいて、1人だけではあるが、戦国時代から生きている人がいる。
永原先生たちが不老の人生を否定していなかったために、反対派は説得力を失ってしまったのよね。
「さて、明日以降も頑張ってくれ」
「「はい」」
残党を集めたと思われる環境保護団体対策も、徐々に進んでいった。
政府が、来る不老社会へ向けての展望を、話すことになっている。
インターネット上では、様々な議論がなされている。
TS病患者には、社会保障費分の免税特権があることは既に世間でも広く知られていて、そのためにTS病患者は皆比較的裕福な生活を送っている。
ちなみに、これらに対するやっかみの声は少ない。
そりゃあそうだ。不老でもあり、また数多くの病に耐性を持つTS病患者が、下手すれば自分たちより100歳以上も年下の「老人」のために社会保障費を負担すべきというのは、あまりにも理不尽だというのは、中学生でも分かる理屈だ。
永原先生や、江戸や明治生まれのTS病患者からすれば、高齢者といっても自分たちよりも遥かに年下な訳だものね。
ちなみに、最低でも113歳になっている明治生まれも、後数年もすればTS病患者を除いて全滅すると言われている。
いや、もしかしたら既に、TS病患者の方が多数派になっているかもしれないわね。
「ただいまー」
「2人ともお帰りなさい」
家に帰ると、お義母さんが出迎えてくれる。
大学院は忙しいので、あたしは休日も家事を免除されるようになった。
ただ、そうは言っても自主的に一通りするようにしているので、以前と変わらない。
これは、「勘の維持」というのも多分に含まれている。
あたしは女の子になって、女の子が持つ母性というものがいかに大きいかを知ることができた。
あたしの中で明確に母性が生まれたのは幸子さんの所に来たときだけど、今はもう、あの時よりも遥かに自分の母性について考えることが多くなっている。
それは、まだ見ぬ浩介くんとの赤ちゃんのことも、多分に含まれていると思う。
両方の性別を経験すると、「母親」という言葉が身に染みてくる。
「ふー」
初めての学界発表で、あたしも疲れた。
あたし自信がTS病患者、それもかなり著名な患者というのも、拍車をかけていた。
後、教授陣があたしの胸に視線を集中していて、危うく浩介くんが嫉妬しかけてた。
まあさすがに、あんな高年男性になびくはずがないことは浩介くんも分かっているので、すぐに冷静になってくれたけど。
ちなみに、あたしが発表したのは、修論に回したことの一部だった。
TS病患者の遺伝子分類、そして今だ未発見のγ型の存在。
γ型がもし存在しないならば、どのようにして蓬莱の薬を完成させるのかというのも、今後重要な課題になってくるだろう。
「とにかく、今は研究しかないわね」
今後の多忙さ次第では、政府との交渉も欠席した方がいいのかもしれないけど、それをすると協会と蓬莱教授との調整役がいなくなってしまうため、あたしは小さな打ち合わせでも必ず出席している。
まあ、論文が既に完成している分、他の院生よりいくらかはましだとは思うけどね。
「優子ちゃーん! ご飯よー!」
「はーい!」
あたしたちの、忙しい生活はまだ始まったばかりだった。
でもしばらく、膠着状態が続きそうだわ。
「速報です、国際環境保護団体は本日声明を発し、全EU諸国に対して蓬莱の薬に対して受け入れるかどうかの国民投票をするように要求しました。なお欧州各国の世論調査では、ほぼ全ての国で、蓬莱の薬に対する支持不支持は60対40程度とのことです」
事態が動いたのは6月のことだった。
環境保護団体のロビー活動と、蓬莱教授の宣伝部、協会の広報部、そして政府の公安調査庁の連合軍がしのぎを削る中で、世論調査はややこちらに有利だった。
ちなみに、政府と決めた蓬莱教授の方針は、まだ世に知られていない。
最終的に、もし蓬莱の薬を受け入れない国が出た場合の制裁案として、「200年間、当該国民に蓬莱の薬は融通せず、また帰化による逃げ道も認めない。この方針に異を唱えた政治家や家族、国家も同罪とする」というものだった。
これを発表した暁には、諸外国から相当な圧力がかかることは想像に難くない。
もちろん政府側は撥ね付けるつもりであるし、蓬莱教授としても「認める国は使う使わないを選べるが、否決する場合選べない。制裁されるのが嫌ならば可決すればいい」と反論するつもりらしい。
とはいえ、それはあくまで悪い想定であるし、世論調査ではこちらが有利なことも分かっている。
しかし、今ではかなり昔の話になるけど、あたしが女の子になる前に行われたアメリカ大統領選挙や、イギリスのEU離脱など、世論調査と実際の結果が相反することも少なくない。
「これ、国民投票が行われるんでしょうかねえ?」
「うーん、しばらく様子見といったところでしょうか?」
テレビのコメンテーターさんも、話に窮している。
蓬莱教授からは、動きはない。
あたしたちに連絡がいっててもおかしくはなさそうだけど、大学院に入ってからは、あたしたちは本格的に研究がメインになっている。
特にあたしに対しては、雑用が他の院生より更に免除されていて、ささやかながらも、自分のための研究の時間まで蓬莱教授は提供してくれていた。
ブー! ブー! ブー!
「優子ちゃん」
「ああ、うん」
携帯電話が鳴っている。
あたしは手に取り、蓬莱教授からの電話だと気づいた。
「もしもし」
「ああ、優子さんか。俺だ。蓬莱だ」
「はい」
やはり出てきたのは、予想通りの人物だった。
「例の環境団体の国民投票、各国の世論操作を今公安調査庁とCIAで協議している」
CIAとしても蓬莱の薬は願ったりかなったりなため、今ではすっかりあたしたちの味方になっている。
とはいえ、蓬莱教授も、日本政府や公安調査庁ほど信用はしていないし、CIAとしても、「むしろその方が助かる」とのことだった
「それで、どうなんですか?」
「環境保護団体に、既にCIAも公安調査庁も、エージェントを送り込んで潜入を開始しているぞ。ただ、60%の支持率は、過半数を確保しているとはいえ、日本の97%と比べるとかなり低い」
蓬莱教授はやはり最低でも75%、つまり4分の3の支持は欲しいと思っている。
また日本政府も、各国に対して蓬莱の薬に対する推進運動を展開している。
「ですが、なかなかに難しいのでは?」
「でしょうねえ」
「もしかしたら、優子さんにはまた、宣伝役を務めて貰うことになるかもしれん。覚えておいてくれ」
「……分かりました」
「えー、速報です。ドイツの──」
電話を切ろうとしたその時、ドイツの首相が1か月後に国民投票を行うと発表したニュース速報が流れた。
どうやら、全面戦争が展開されそうね。
「蓬莱教授」
「ああ分かってる。とにかく、『有能な味方』だけでなく、『無能な敵』も増やさねばなるまいな。俺たちの出る幕じゃあなさそうだ。研究に専念して、早く薬を作ることの方が大事だろう」
「……分かりました」
既に米軍よりも強力なカードを持っているとはいえ、あたしたちは所詮は大学教授を中心とした研究期間でしかない。
宣伝部もいるし、協会や高島さんのブライト桜といった強力な味方はいるけれども、それでもあたしたちがあれこれ手に終える限界を越えていた。
「早めに政府とパイプを築いておいてよかった。根回しは、大事だな」
最後に、蓬莱教授がそう呟いて、電話が切れた。
「優子ちゃん、蓬莱さんは何だって?」
電話が切れると、浩介くんが早速話に割り込んでくる。
「うん、あたしたちで出来ることはもう多くないから、研究に専念すべきだって」
「そうかあ。よかったな。政府と関係を持っておいて」
「うん」
浩介くんも、やはり蓬莱教授と同じ感想を持っていた。
政府間でも、もちろん省庁によって見解の相違はあるが、ほぼ意思統一は図れたし、将来的に政権交代が起こっても、野党への根回しと95%以上の支持率を背景に、この計画は完璧なほどに磐石だった。
ただ、ここで失敗すれば、外圧との戦いが待っていることになる。
とはいえ、あたしたちには何も出来ないかといえばそうではない。今後も政府との協議には呼ばれるだろうから。
ドイツが国民投票をするというニュースが流れ、日本でも様々な世論が巻き起こっている。
とはいえ、考えが変わった人はほぼなく、むしろ「なぜ未だに海外では反対派が根強いのか?」という方向での議論が中心だ。
また、蓬莱教授もかねてから予定通り、「否決した場合の制裁案」を全世界に向けて発表していて、これが反対派をかなり動揺させた。
とにかく徹底した連帯責任を取らせることで、他者の気持ちを慮ることのできる人間を追い詰めることが出来るのよね。
さて、そんな中で、あたしたちは大学院の生活にも徐々に慣れていった。
多忙になると、浩介くんといちゃつく時間は減っているけど、毎日顔を会わせているのもあって、信頼関係に傷がつくことはない。
それはそう、あたしも浩介くんも、「今忙しいのはあたしたちの将来に対する投資」であることを、十分に理解しているからだった。
あたしも浩介くんも、高校生の頃の自分たちと比べて、何もかもが「大人」になっていることに気づいた。
それも、下手な社会人よりも遥かに、だ。
それは蓬莱教授と永原先生、比良さんに余呉さんといった人々の影響が、とても強いからだと思う。
協会の人たちは、外見は少女だし、普段の振る舞いもそんな感じになっている。
だけど、めぐってきた人生経験は、確実に彼女たちを成長させていた。
彼女たちが「大人を越えた大人」になるのも、永原先生をはじめとした人の影響を受けるからでもあると思う。
「優子ちゃん、そっちはどう?」
「うーん、なかなかうまくいかないわね」
あたしは今、γ型の捜索を研究としている。
これは、本来なら博士課程でするべきことだけど、蓬莱教授曰く、「当事者である優子さんだからこそ、俺に出来ない発想が出来る可能性が高い」と言っていた。
「うーん、私には何が何だか分からないわ」
蓬莱教授のそういう助言もあって、研究室には歩美さんも入れている。
しかし、歩美さんは大学院に行くつもりはあまりないらしく、助手的な役割に終始している。
どこかに、γ型の痕跡があるはずだけど、あたしにはまだ発見できていない。
とはいえ、「千里の道も一歩から」とも言うし、今はこつこつと、事を進めるしかないわね。
「うーん……」
実験が終わるとあたしはいつもよりこった肩に手を当てる。
「優子さん、大丈夫ですか?」
「え!?」
歩美さんが心配そうに声をかけてきて、あたしが一瞬驚いてしまう。
「優子ちゃん、最近根を積めてる気がするぜ」
浩介くんにも心配されてしまう。
「あはは、その、最近ちょっと肩がこっちゃってて」
肩こりそのものは、女の子になってからほぼずっとだけどね。
「あーうん、そうだろうなあ」
言われなくても、浩介くんがあたしの肩に向かってくれる。
ぐいっ……ぐいっ……
「んー! 気持ちいい!」
浩介くんのマッサージはいつも気持ちいいわ。
歩美さんが羨ましそうにあたしたちを見ている。
「あ、歩美さん、これ終わったらマッサージしてあげる」
「う、うん……」
歩美さんは、浩介くんのマッサージを受けたいと思っているけど、当然あたしは巧みにシャットダウンする。
ふふやっぱりあたし、独占欲があるわよね。でも何だろう? 浩介くんが誰かに浮気したとしたら、浮気した女ばかり呪いそうだわ。
……って、そんな変なこと考えちゃダメよ優子。
「山科も肩こるんだな」
「うん、優子さんと同じで、女の子になったばかりの時は良かったんですけど、徐々にこってしまって」
TS病の女の子は、肩こりになりやすい。
もちろん、胸が大きいために肩がこるというのに加え、女の子になったばかりの時に、慣れない女性の体を扱うために肩がこるという一面もある。
永原先生も肩こりに悩んでいたし、多分幸子さんも肩がこっていると思う。
「ふー気持ちいいわー」
あたしのマッサージに、歩美さんも満足そうな表情を浮かべている。
あたしは、こりの重点的な部分をゆっくりとほぐしていく。
「うん、ありがとう」
あたしはパワーはないので、そこまで強く押すことは出来ない。
なので、体を傾けて、重力で押すというマッサージが多い。
「それにしても、肩こりに悩んでいるって言いにくいわよね」
マッサージが終わると、歩美さんがそう呟く。
「うんうん、あたしも、高校の時贅沢な悩みだって言われたわ」
浩介くんがキョトンとしている。
まあ、覚えてないのも無理もないかな? あたしにとってはクラスの女子との肩こりのイベントは特に思い入れが強いんだけど。
「あーうん、そうそう。私も高校の時、肩こりは贅沢な悩みだって言われて、『どうして?』って聞いたら、『やっぱり優子ちゃんはまだまだ女子力低い』って言われたわ」
TS病の女の子は、女子力低い行動を見せると他の女子からいじられる傾向にある。
それは善意からというのもあるし、女の子になろうとしている元男という立場が考慮された「いじり」だったりもする。
でもどちらにしても、TS病患者にとって、女子力の向上は大事なことだから、素直に受け取って女子力を高めることが重要になる。例え、その女子本人が出来ていないことでもね。
生粋の女の子以上に女の子らしくなることが大事になってくる。
幸い、この手のお説教で多かった相手は、女子力が高かった桂子ちゃんだったのも幸いだったわね。
「そうなのね。優子さんにも、そんな時代があったんですね」
歩美さんがしみじみとした表情で言う。
「ええ、あたしも女の子初心者の頃があったのよ」
今ともなれば、「胸が大きい」というのは、肩こりになるということはよく知られている。
「よし、じゃあ今日は帰るか」
「うん」
あたしたちは「蓬莱の研究棟」を出て、各々の家路につく。
途中、たまたま桂子ちゃんとも出会っていて、「ついていくのは結構大変だけど、それでも頑張っている」とのことだった。
ドイツでの国民投票は気になるけど、今は研究のことを考えないと。
あたしには、一個気になる点もあるし。