永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
あたしたちは5回目の、しかし大学院に入ってはじめてのさわわ祭を迎えた。
例年通り、蓬莱教授のプロパガンダには、ノーベル賞のメダルが公開される。
実際の所、これを目当てにさわわ祭に参加している一般人も多いのが最近のトレンドなのよね。
ガララララ
「おはようございます」
部屋の扉を開けると、中には研究所のメンバーが集まり始めていた。
蓬莱教授に和邇先輩、瀬田助教の姿も見える。
「おう、優子さん、浩介さん、おはよう」
去年までは天文サークルで文化祭の開始を迎えていたけど、今年からは蓬莱教授のプロパガンダエリア、2階の教室部分で迎えることになった。
プロパガンダエリアも、中々洒落ていて居心地は良いものね。
「大学院に入って初めての学園祭だな」
大学の4年に修士2年に博士3年と考えると、今年がちょうど真ん中なのよね。
「うむ、最も、院生は無理に参加しなくてもいいんだぞ。本当の意味で勉強に専念していい身分だからな」
あたしたちの会話に、蓬莱教授がゆったりした口調で乱入してきた。
そう、実際、あたしたち意外の院生でこれらの準備に参加していたのは、和邇先輩だけだった。
「いえ、蓬莱教授を助けるのも、大切な役目ですから」
「ありがたいねえ。しかし、これを2つに増やせるかな?」
蓬莱教授が、ガラスケースの中に展示してあるノーベル生理学・医学賞のメダルを凝視する。
確かに、薬を完成させないことには、ノーベル賞とはならないだろう。
毎年秋には、ノーベル賞の受賞者が発表される。
実際の所、蓬莱教授はかなり若いノーベル賞学者で、実際こうしてまたノーベル賞級の研究をしている例は少ない。
「これを2つ持っている人は、歴史上でも数例しかない。有名なのだと、マリー・キューリーだな」
あたしも、キューリー夫人のことはよく知っている。
放射性物質で多大な功績を残し、夫や娘もノーベル賞学者という、まさに天才一族だったわけだけど、女性の研究者というのは、今でも珍しいらしい。
蓬莱教授によれば、「科学の世界は実力至上主義だから、生理や子育てを待ってくれない」とのことだった。
そういう意味でも「優子さんの才能は並々ならないものがある」とも言っていた。
「まあ、今やその数例に、俺も加わる予定だがね。俺の寿命は幸いにもまだ後1000年以上はある。どこかで必ず、この壁を突破して見せるさ」
そう、普通に考えれば、今の不完全な蓬莱の薬でも、十分すぎるほどにノーベル賞には値する。
でも、蓬莱教授は、「未完成品でノーベル賞は絶対にもらわない」とも公言していた。
まさにそれは、完璧主義な蓬莱教授らしいと言っていいことだと思う。
ノーベル財団も、恐らくは空気を読んでか、あるいは単純にまだ判断しきれてないのか、「蓬莱の薬については、現状でもノーベル賞に十分に値するが、完成までは保留する」と明言していた。
逆に言えば、完成さえすれば、すぐにノーベル賞という運びになるという意味でもあるけどね。
「ただいまより、2023年度、さわわ祭を開催いたします」
いつものように、文化祭実行委員長の放送の声が聞こえ、あたしたちの文化祭が始まった。
「浩介くん、どこにいく?」
「うーん、いまいち回る気にならねえな」
浩介くんがちょっと苦々しそうに言う。
でも、それはあたしも同じ気分。
「うん、あたしも」
やっぱり、大学院生になると、それまでの大学生とは気分も変わるのかな?
「どうする?」
とはいえ、ここでじっとしているのも気まずいわね。
「ねえ、研究棟の上層に行ってみない?」
あたしがまず提案したのは研究棟の上層に行くこと。
建物の上の方から文化祭を見るのも、楽しいと思ったから。
「うむ、そうするか」
あたしたちは教室を出る。
すると既に第一陣が、このプロパガンダエリアに到着していた。
あたしたちは彼らを尻目に、例のエレベータで一番上にたどり着く。
ここはもちろん、誰もいない。
今日は普段いる研究員さんたちも休暇になっているし、研究棟にいる人たちも基本的には下層階のプロパガンダエリアや研究所前で文化祭の参加者たちへ対応している。
なのでここでは、信じられないほど静まり返った空間になっていた。
「何か、小谷学園の後夜祭みてえだな」
「うん」
特にここは特別なセキュリティがないとは入れない。
あたしたちは特別に学部生の頃からは入れたけど、普通は研究所に所属する博士課程以上でしか入れず、今日ここにいるメンバーの中で、あたしたち以外に入れるのは蓬莱教授を、瀬田助教、そして和邇先輩の3人だけになっている。
「な、なあ優子ちゃん」
浩介くんがごくりと唾を飲み込んでいた。
「うーん、ダメよ」
「えー」
あたしが、浩介くんの欲望をやんわりと止める。
まだ始まったばかりだし、何より焦らせば焦らすほど、いいものになるし。
「ほら、こっち来て見てよ」
性欲が高まってきた浩介くんに対して、気をまぎらわせるために、あたしは窓から外の風景を見せる。
そこは、始まったばかりの文化祭に対して、大勢の人が行き来している様子だった。
たくさんの人々が、この文化祭を楽しみにしていた。
「天文サークルに行くか」
「うん」
浩介くんの意見にあたしも賛成し、エレベータを降りて、プロパガンダエリアに夢中になっている学生たちを尻目に、あたしたちは天文サークルのある建物を目指す。
あたしたちが大学に入ったばかりの頃と同じ場所に、天文サークルは構えていた。
ガララララ
「いらっしゃ……あ、優子さん」
中には歩美さんがぽつんと1人いただけだった。
どうやら、ちょうどお留守番らしいわね。
「歩美さん、今ちょうど担当かしら?」
「ええ」
歩美さんも、もう大学4年生で、こうしたことからは比較的自由だと思ってたけど、そうでもないらしい。
「大変だな」
「まあ、部員が多いですけど、部への帰属意識が薄い人もいますから」
「それは小谷学園の時からそうだったぜ」
歩美さんの言葉に、浩介くんが反応する。
実際の所、歩美さんに彼氏ができてからと言うもの、男子部員たちは新しい女子部員の獲得に躍起になっていた。
もちろん、他の女子部員もいるとはいえ、やはり男子部員たちの露骨な勧誘は警戒されるらしい。
「まあ、大学生に限らず、男は性欲で動いているようなものよね。特にかわいい女の子が絡んだら。仕方ないわね」
「ええ」
「おいー、ここに男がいるぞー」
歩美さんとあたしが同調していると、浩介くんが抗議してくる。
「おっとごめんね。でも大丈夫よ。そういうのも含めて、女の子は男の子を好きになるものよ」
「うっ、そうか」
浩介くんがやや持ち直してくれる。
「心配しないで、あたしも歩美さんも、元男よ」
「あーそういえばそうだったな」
そう、女として扱うのと、元男として扱うのは矛盾しないし、競合することもない。
それはTS病患者の持つ特徴でもある。
時折、あたしたちを「都合のいい時に男扱いのようなことを望んでいる」と批判している人がいるけど、あたしたちにとって、「元男扱い」というのは、「女性らしく振る舞えなかったら指導してね」とか「男性の感性を解っちゃうけど、今は男じゃないよ」というような意味が大きい。
男扱いをすることには当然断固反対だし、そのためにも、あたしは協会の広報部長を続けている。
「それで、肝心の展示の方はどうなんだ?」
「はい、今年は天文台からの写真とかを載せてます」
写真を展示するのはいつものことだけど、今年はやけに気合いが入っていた。
普通肉眼では山奥でも見えないような満点の星空になっている。
それもそのはずで、これらは天文部員たちが持っている望遠鏡で撮った写真だったりするからだ。
「うわー本格的だわ」
天文部は緩いサークルとして作られていたけど、中身はあたしたちがいた頃よりも真面目だった。
いや、もしかしたらあたしたちがいい加減すぎたのかもしれないけど。
「でも最近は、ちょっと部員の知識不足が問題になってるのよ」
しかし、歩美さんから出た言葉は意外なものだった。
どう考えても、洗練されてそうなのに。
「え!? どういうことかしら?」
「うん、撮影道具や技術は上がったんだけど、逆に言えばそれだけなのよ。カメラの知識は豊富でも、例えば今撮っているのが何座かも分からないとかね」
「なるほどなあ」
歩美さんの言いたいことは、要するに知識が偏り始めているということだった。
つまり、天文サークルの「写真サークル化」を懸念しているということだった。
元々、あたしたちがいた頃、特に小谷学園時代の天文部では、天体観測はそこまで重視されていなかった。
代わりに普段していたことは、パソコンを使ってJAXAを始め天文ニュースを見て、知識と見聞を深めることだった。
それはある意味で、知識探求に重心を置いたサークルとも言い換えることができる。
「確かに、そういうのも天文ですけど、それなら以前からある写真サークルでも出来るじゃないですか。棲み分けをしたいんですあたしたち」
去年行った小谷学園の天文部はそんな感じではなかった。
とすると、やはり小谷学園外の部員が主導しているのかしら?
「そうねえ、でもあたしたちはもう部員じゃないから」
あたしたちにはどうにもならないわね。
「そうですよね」
「ああ」
今後のことは、後輩たちに任せよう。
一応今でも、自由研究レポートのようなポスターが張られていて、知識方面もないがしろにされていないわけだし。
あたしたちは一通り天文サークルの展示を見て教室を後にした。
「で、次はどこに行くか……って、お、ダンスサークルがあるじゃねえか」
「うん」
ダンスサークル、佐和山大学には2つのダンスサークルがあって、元々のサークルは乗っ取られていわゆるヤリサーになってしまっていた。
大学側の追求の手もあったのか、今では名前を変えて今度はテニスのサークルを名乗っているらしい。
なので、今はこのサークルが佐和山大学唯一のダンスサークルになっている。
「お邪魔しまーす」
「あ、篠原夫妻ですよね!?」
去年までとは全く違う部員の顔が見えた。
多分新入生だと思う。
「ああ」
「先輩方から聞きましたよ。『苦しい時に支えてくださった』って」
後輩の女の子が笑顔で言うから、あたしも浩介くんも困惑してしまった。
そもそも、あたしたちとダンスサークルの接点は文化祭ってだけだし。
「うーん、それはちょっと誇張が過ぎると思うけど」
浩介くんが苦言を呈するように言う。
「うん、あたしもそう思うわ」
「謙遜しなくていいんですよ! お陰で、このダンスサークルが正統とようやく認められたんですから!」
別の女の子が今度は割り込んでくる。
2人とも、ぴったりフィットした長袖長ズボンの動きやすさと暖かさをうまく両立した服装になっていて、「これぞダンスの服」という感じにまとまっている。
一時期は、かなり苦しい情勢に追い込まれてたことを考えたらかなり状況は改善されているわよね。
「それじゃあ、ダンス見せてくれるかしら?」
「「はいっ!」」
ダンスサークルの人達が集まって、5人でダンスを見せてくれた。
その様子は、2人だった頃よりもずっと表現力が豊富になっていて、見ているあたし達も飽きなかった。
パチパチパチパチ!!
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
ダンスサークルの男女たちが微妙にずれたタイミングで、ニッコリと笑ってあたしたちに頭を下げてくれる。
あたしたちも、いいものを見せてくれたと思う。
うん、もう大丈夫ね。
その後も、あたしたちはサークルを見て回った。
鉄道研究サークルにしても演劇サークルにしても、していることは毎年そこまで大きな違いはない。
さすがに5回目となるとあたしたちにも「飽き」というものが出てくる。
演劇サークルの演劇は、かなり面白かったけどね。
「ふー、優子ちゃん、次はどうする?」
「うーん、研究棟に戻ろうかしら?」
遊び疲れたのもあって、あたしたちは蓬莱の研究棟に戻ることを決めた。
途中、あたしたちを見ると「篠原夫妻だ」と言う声が聞こえてくる。
普段の大学生活では、そういったひそひそ話はないんだけど、今日は一般に開放されているせいか、はたまたお祭りでハイになっているのか、そういった声があちこちから聞こえてきて、これが意外とあたしたちの精神をすり減らしていった。
……芸能人って、大変だわ。
「ふー」
また誰もいない空間に戻る、外を見るとある程度時間が経ったのか、まだ明るいけど、僅かに、ほんの僅かに空が暗くなっている気がしていた。
「どうする? 優子ちゃん」
「今は、誰もいないから。こういう時こそ捗ると思うのよ」
あたしはそう言うと、資料室へと向かっていく。
この中には蓬莱教授の研究ノートなどが置いてある。
あたしは最近の電子化された資料を見る。
「浩介くん、あたし思うんだけどね――」
文化祭の2人きりの空間で、あたしは浩介くんに詳しく持論を述べる。
浩介くんは聞き手に徹してくれる。
「――と思うのよ。浩介くんはどう思うかしら?」
「うーん、難しいなあ……」
あたしの話している内容についてくるのも、浩介くんにはちょっと難しいのかもしれないわ。
分かりやすく説明したつもりだったんだけど。
「そう?」
「ああいや、言っていることは分かるんだ。でも、何かに引っかかるんだよ」
浩介くんの言いたいことは、もっと別のことらしい。
……紛らわしいわね。
「それより、外が暗くなってるなあ」
浩介くんが窓の方を見て言う。
あたしもつられて首を振り向く。
「え……あらやだっ!」
一応まだ終わりの時間ではないけど、どうやら夢中になって時間が経ってしまったらしいわね。
「蓬莱さんの所に行くか」
「……そうね」
あたしたちは蓬莱教授のいるであろうプロパガンダエリアに戻った。
そこには蓬莱教授はおらず和邇先輩がいた。
「和邇先輩、蓬莱教授はどこにいます?」
「ああ、優子さん。教授なら今は演説に出かけていますよ」
どうやら、ちょうど全校向け演説をしているらしいわね。
今はプロパガンダエリアにそれなりに人がいるけど、やっぱりお目当ては蓬莱教授のノーベル賞メダルだった。
あたしたちも蓬莱教授からメダルの解説を受けたことがある。
蓬莱教授の偉大性を証明するメダルだが、今や蓬莱教授がノーベル賞を貰うきっかけになった万能細胞でさえ、蓬莱の薬の業績に比べたら大した業績でさえない。
まあ、今も一応プロパガンダエリアではそれなりにスペースを割いているけどね。
ガチャッ
「お、優子さんたちも戻ったか」
しばらくボーッとしていると、蓬莱教授が戻ってきた。
「どうですか? 演説は?」
「ああ、みんな『消極的支持』が『積極的支持』になってくれたと思う」
蓬莱教授は朗らかな顔をしていた。
どうやら、手はずは良かったらしい。
「よかったわ」
あたしたちは残りの文化祭の時間をここで過ごし、軽く三本締めして解散となった。
やっぱりあたしは勇気が出ない。
まだ、蓬莱教授にあたしの考えを述べることが出来ない。
おそらく、来年度修士2年、あたしは色々事情があって、既に修士論文が完成しているので時間があれば博士課程の予習や自己の研究に時間を割くことができるはずだわ。