永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「うーん、ダメだなあ。うまくいかない」
大躍進があったと言うのに、あれから蓬莱教授は苦悶していた。
あたしはポジティブに考えていたが、どうやら歩留まり改善は思ったより難関になるみたいだわ。
もちろん、1を100にするより0を1にする方が偉いとか、難しいというつもりはあたしもない。
ただ蓬莱教授にとってみれば、これまでとは全く違うアプローチを求められるため、非常に難しいことらしく、同僚の教授たちなどにも意見を積極的に求めていた。
「どこから手をつけていいのか、うーん、うーん……」
これまでも研究に行き詰まることはあって、蓬莱教授が悩ましそうにしている所は何度も見てきたが、最近のそれは格段に強い。
蓬莱教授によれば、「見当違いを救世主に助けられ、これでついに完成したと思ったのにまた壁があって、しかもそれが今までの攻略法方が通じない。これほどの絶望感はかつてない」とのことだった。
救世主って、あたしのことよね?
「生産を続ける中で、見つけるしかないわね」
あたしが、正攻法を提案する。
歩留まりが悪い中でも一応生産は続けられていて、蓬莱教授、今年から昇進した瀬田准教授、そして浩介くんに桂子ちゃんと恵美ちゃんが、既に完全不老の道へと足を進めていた。
健康診断は数回行い、全て問題がないことが証明されている。
今は、幸子さんの旦那さんの直哉さんに、歩美さんの彼氏の大智さん、桂子ちゃんの彼氏の達也さん、更に龍香ちゃんとその旦那さんの夫婦からも、蓬莱の薬の注文が入っていて、龍香ちゃんと旦那さんには、あたしの女の子としての人格形成に貢献してくれた恩返しもある。
「閃き頼りは本当の運任せになるぞ」
「分かってます」
そう、今まで幸運だったからといっても、今回もうまくいくという考えが甘かった。
まさに出口のない迷路、いや、迷路なのか一本道なのか、はたまた大きな部屋にいるのかさえ、あたしたちは認識できないでいる。
「優子さん、そろそろ博士論文を書く時間じゃないか?」
「あ、はい」
まずは大まかなプロットを作り、蓬莱教授に見てもらう。
博士論文は、修士論文ともまたレベルが違う。
だから、あたしは頻繁に論文を蓬莱教授に見てもらう必要がある。
そしていい点悪い点を評価してもらい、何度も何度も手直しをする。
博士論文は内輪向け論文なので、これを微修正したものを、著名な科学雑誌に送り込むという。
そこに記載されれば、世界は大きな驚きに包まれるはずだ。
歩留まりの改善さえ出来れば、正式に蓬莱の薬を販売することができる。
問題は、100年後問題だけど……果たして大丈夫かどうかは分からない。
政府との調整では、「完全不老の薬ができかけている」という記者会見を、あたしたちの記者会見の直前に開くと共に、「蓬莱教授の方から、『想定外のリスクがあった。安全のために100年間は日本限定販売にする』『また、資金面の都合からもしばらく日本限定販売とし、世界全体に広めるためには準備期間が100年は必要』との連絡があった」と発表させる予定になっている。
これはもちろんフェイクだけど、いわば猶予期間を求めるための方便になっている。
そもそも猶予期間についても、急激な社会変化によるリスク管理が方便になっている。
思えばこれも、TS病患者がほとんど全員日本人という偏り具合だったからこそ、説得力が生まれるものなのよね。
世界はもちろん、感情的な反発もあるだろう。
むしろ完成してからが、問題になるかもしれないわ。
まあ今は、歩留まりを改善させないといけないわね。
「どうしようかしら?」
あたしは、博士論文の構成に迷っていた。
それというのも、γ型の発見について、実験ノートもあるし経緯も説明できるけど、原理についてどのように書くかが問題になっている。
動画を使わずに、不老証明をするのも論文にしてみると結構難しいわ。
「明らかに、博士論文のレベルを越えているわ」
考えてみれば、それも無理のないことだった。
蓬莱教授が看破したように、「ノーベル賞に値する」ならば、24歳のあたしに、大半の科学者が書けない論文を書けと言っているようなものだもの。
でも、この仕事はやらなきゃいけないわ。
蓬莱教授の水族館の予言が、今や現実のものとなっている。
後はそれを、論文という形にして、世間に発表する必要がある。
抽象的な自己の思考を、文章に記すのはとても難しい。思い通りにいかないことは多いし、まるで小説を書いていて、「物語に作者が動かされる」ような錯覚を受けた。
「ふう、今日はこんなところかしら?」
とはいえ、まだあたしは修士課程だ。そこまで慌てることはない。
蓬莱教授はもしかしたら、あたしを早期に卒業させてあげたいのかもしれないけど。
季節はあっという間に過ぎていった。
密度の濃い日々が続くと、時間の流れはあっという間で、既に外は12月に入っていた。
蓬莱教授は、記者会見の予定を12月に前倒しすることにした。
政府の会見も同時に行うことになり、どうやら筋書きを変えるつもりらしい。
歩留まりの改善は、未だに解決の糸口さえつかめていないが、浩介くんがややそわそわするようになっていた。
さて、記者会見になるということは、当然あたしも参加することになる。
「優子さんは記者会見は初めてだったかな?」
「はい」
マスメディアの取材はもう何度も経験済みだけど、記者会見を受けるのは未経験だった。
でも、蓬莱教授の記者会見は何度も見てきた。
多分、蓬莱教授の関係者ということで、あたしに変な質問とかは来ないとは思うけど。
「あー、まああれこれフラッシュを炊かれたりとかするわけだけど、リラックスして大丈夫だ。俺がついているからな」
「あ、うん」
蓬莱教授なら、確かに安心感はある。
あたしだって今までも、人前に出る、注目されるということはあったけど、今回のは今までとは訳が違うと思う。
「ともあれ、主要なことは俺がやる。ただ、この発見は間違いなく優子さんの功績なんだ。それだけは、世間に知らせんとな」
あたしを記者会見に出す目的は、功労者を取り違えないようにするためだという。
「もし優子さんが記者会見に出なければ、世間は当然この発見を全て『俺』が行ったものだと思うだろう。しかしだ。もしどこかで情報が漏れて、『あれは本当はかの有名な篠原優子の発見だった』何てことが広まったら? 俺の研究に反対する往生際の悪いレジスタンスどもが、未だに地下で何をしているか分かったもんじゃない」
蓬莱教授の発言には、警戒心がにじみ出ていた。
元より、蓬莱教授が完璧主義者だというのは有名な話だったが、それにしてもよっぽど弱みを作りたくないというのが見てとれる。
「他の大学教授だったら、意気揚々と優子さんの手柄を横取りしただろうが……俺にはもう、十分すぎるほどに名誉がある、財産もある、だから、この功績をきちんと優子さんに分けたとしても、何にも惜しくないのだよ」
蓬莱教授の言うことは最もだった。
経済誌の認定した蓬莱教授の資産は既に30億ドル近くに膨れ上がっているし、名誉についても、既に最高権威たるノーベル賞を12年前に取っている。
そして今回、不老に関する研究で既に2回目のノーベル賞には十分すぎるくらい功績を残している。
そんな蓬莱教授のこと、あたしが記者会見に出るのは、単純に勇気がないだけだもの。
だったら、あたしも蓬莱教授と一緒に、記者会見に出ていいと思う。
「分かったわ。記者会見に出ましょう」
決意を、伝える。
浩介くんも、納得したような表情をしている。
「ああ、助かる。すまんな、無理を言って」
あたしは一瞬、そもそもあたしがいなくても、蓬莱教授がその場で「これは俺の大学院生が発見したもので」って言ってしまえば済むことかもしれないと思った。
でも次の瞬間には、そうなるとこの研究所にメディアが殺到して余計に大変なことになることに気付き、あたしは二言目を飲み込んだ。
あるいは蓬莱教授だけが出たら、いくら口では「優子さんの功績」と言っても、みんな信じようとはしないんじゃないかと蓬莱教授は考えているのかもしれないわね。
「ただいまー」
「お帰り浩介に優子ちゃん、改良は進んでる?」
お義母さんが、いつもの質問をあたしに投げかけてくる。
「ううん、今日もあまりうまくいかなかったわよ」
「ああ」
あたしと浩介くんも、いつも通りの返事をする。
そう、なかなかうまくいかないことは事実だった。
一方で、浩介くんは何やら思慮をしているのがよく見えたのも事実だった。
ともあれ、今は記者会見のことを考えないといけないわね。
あ、でもその前に、まずは浩介くんとの夫婦生活かしら?
「優子さんおはよう、いよいよ今日だな」
「はい」
季節が巡り、12月になった。
この日はちょうど、蓬莱教授が120歳の薬を発表して7年目で、ちょうどクリスマスに当たる日だった。
電車の1両目、ここが今回の集合場所だ。
記者会見場は都内にあるので、政府との交渉をした時と同様に、効率化のために電車の中を集合場所に選んだ。
昼間だというのに、やはり日にちが日にちなのか、それなりの混雑を見せていた。
町はどこもかしくもクリスマスで賑わっている。
人々が笑顔で話し、華やかにおめかししている。
高級ブランド店は激安ではなく品質を売りに出している。
クリスマス商戦の雰囲気も、以前とは全く違う。
永原先生は、「これだけ長く続いた好景気も珍しい」と言っていた。
あたしが女の子になったばかりの頃は、まだ不景気時代の不信感や、東京五輪が終わればダメになるという予測もあったけど、さすがに東京五輪から4年がたち、人々の不安も吹き飛んだ。
都内は、あの頃よりも更に多くの外国人観光客が溢れ、あたしが小中学生だった時にはあちこちで見かけたホームレスも、今ではほとんど見かけなくなり、街の活気は年々賑やかになっていた。
人口減少社会への不安が、まだ残っていないわけではない。
だがしかし、そのわずかな不安も、今日の記者会見で半分以上は吹き飛ぶだろう。
あたしたちの蓬莱の薬、後は生産効率を上げる作業をするだけでいい。
実際にはそこがかなりの難所にはなっているんだけれども、それでも国民の深層にある、「もしかしたら完全な蓬莱の薬は実現不可能なのではないか?」という不安は少なくとも払拭できるはずだわ。
「さて、事前に準備した通り、だ。浩介さん、悪いがやはり調整はつかない。控え室で待っててくれるか?」
「はい」
蓬莱教授の話しに、浩介くんが頷いてくれる。
浩介くんは、本来いなくても大丈夫なんだけど、やっぱり心配性なのか、あたしについていくと言って聞かなかった。
もちろん、愛する旦那様ががついていてくれるのはとっても頼もしいことだし、独占欲を持っててくれているのは、愛されているって実感があって嬉しいけどね。
「それにしても、相変わらず景気がいいなあ」
浩介くんがそう呟く。
「ああ、人々に活気が現れたのも、俺たちのお陰かも知れねえぜ」
蓬莱教授が自信たっぷりに言う。
そしてそれは、きっと間違っていないこと。
あたしの発見が世間にもたらしたことは想像以上に大きい。
以前あたしは、世界からフェミニズムを一掃させたことがある。
その時も、あたしは世界の空気を変えると言う大事業を成し遂げたわけだけど、今回のあたしのしたことは、そんなことは比較にならないくらいに大きな出来事だった。
人々の深層心理には、まだ「本当に実現可能なのか?」という不安感があると思う。
それでも、蓬莱の薬がもし本格的に世に出れば、そんな不安感ともおさらばできる。
今回の記者会見で、人々の不安感は、「一部の恵まれた人間にしか不老の恩恵がないのではないか?」というものになると思う。
現状では歩留まりが悪いことも正直に伝えるつもりだから、「改善を目指す」と言っても、人々が不安に思うのは確かなことだと思う。
だけれども、「実現可能かどうか?」を不安視するよりは、大きな前進だ。
そして、ある程度歩留まりが改善すれば、本格的に一般に売り出しをすることになる。
蓬莱カンパニーの構想については、政府も含め、まだ大きく情報には出さないことにはする予定だけど、その辺りも話し合われることになるわね。
あたしたちは、鉄道を乗り換え、首相官邸を目指す。
今日の記者会見は、政府の記者会見とセットになっているため、あたしたちは普段官房長官などが会見しているスペースを使うことになっている。
まさかあたしが、そんな大それた場所で記者会見をするようになるなんて、本当に思っても見なかった。
人生、何が起こるか分からないわね。
「俺だ、蓬莱だ」
「あ、蓬莱教授、お疲れ様です」
守衛さんともすっかり顔馴染みになったあたしたちは、軽く挨拶をした上で中に入る。
正直、こんなんでいいのかと不安に思ってしまうけど、顔パスで通れるに越したことはないわね。
あたしたちは、もう何度も来ている首相官邸の場所を、暗記してしまった。
だけれども守衛さんは、律儀に毎回案内をしてくれている。
「控え室はこちらです」
「はい」
取材陣が控える控え室と、あたしたちの控え室は当然別で、メディアの盗撮を防ぐために様々な工夫がなされている。
政府関係者なら公人だから、ある程度は甘んじて受け入れる必要があるけれども、蓬莱教授はもちろんのこと、一応は1大学院生に過ぎないあたしと浩介くんは私人も私人なので、特に丁重に扱われている。
あたしたちは、きちんと控え室に入った。
「ふう、にしても厳重だな」
浩介くんが不思議そうな顔で話す。
普段の官邸も当然テロなどが警戒されているけど、今日の警戒ぶりは更にすごい。
「そりゃあ、俺たちは私人だからな。マスコミも丁寧に扱わんといかん」
蓬莱教授は、当然という顔をする。
「とはいえ、この記者会見が終わったら、どこまで完全私人と言えるかしら?」
いわゆる「準公人」という概念がある。
つまり、厳密には私人でも、公益性から考えて一部に公人的要素もあるというもので、例えば芸能人とかスポーツ選手とか弁護士、大企業の役員何て言うのが代表的な人種で、あたしの場合も、今回の発見があったらその範疇に入るかもしれないのよね。
「はは、大丈夫だ。優子さんは美人だから、嫌がらせをすればそこのマスコミは総スカンだし、ネット世論を背景に、俺が薬融通の制裁をしてもいいんだぜ。まあ滅多には使いたくないけど」
蓬莱教授が少しだけ笑いながら話す。
そうよね、でも、あの時の脅しは、今でもマスコミには効いているらしく、腫れ物に触る扱いなのは相変わらずだ。
いや、そもそもこの97-98%という支持率も、マスコミがあたしたちにおもねるようになったから。
フリーのジャーナリストたちも、あたしたちに逆らうのは及び腰だった。
それはもちろん、これだけの高支持率があるからで、しかも永原先生の入れ知恵で、人々に反対世論への密告を奨励したため、ロックと呼ばれる人たちの間でさえ、蓬莱教授に逆らうのはタブーになっている。
「ふふ、そうよね」
あたしたちが、「支配者側」の人間になってしまったことなんて、もう何年も前から分かっていたことだけど、改めて認識するとやっぱりまだ慣れない。
しかもあたしたちが持っている権力は、下手をすれば総理大臣よりも高いものということなのだから。
コンコン
「どうぞ」
あたしたちが雑談をしていると、突然扉がノックされた。
特に入ってきても問題ないので蓬莱教授が代表して「どうぞ」と言う。
「失礼します。まもなく記者会見開始です」
「じゃあ浩介くん、行ってくるわね」
「ああ、気を付けてな」
控え室にも一応テレビ画面があり、浩介くんはそこからあたしたちの様子を見守ることになっている。
あたしは蓬莱教授と共に守衛さんに守られながら記者会見場へと進む。
そして、扉の前に立つ。
この向こうがおそらく、会見場になっている。
事前に打合せした通り、あたしが手前側、蓬莱教授が奥側ということになっている。
扉の向こうから、ガヤガヤと話し声が聞こえてくる。
どうやら、既に彼らの準備は終わっているのかもしれないわね。
あたしの心臓も、かなりばくばく言っている。
この時間は、とてつもなく長く感じる。この時間を基準にしたら、永原先生の人生は想像を絶する長さになると思う。