永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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永原先生の宗教接触

「ふう。今日の記者会見を、果たして容認してもらえるかが問題だな」

 

 記者会見前の事前打ち合わせの時間、あたしたちは蓬莱教授の司会進行のもと、記者会見での応答や、想定される世論について考えを巡らせていた。

 

 蓬莱の薬に対する世界的な支持率は依然として高いままだが、蓬莱カンパニーが行う商法まで容認されるかは別問題になる。

 特に特権階級化の防止と、詐欺薬の流通防止という名目から行った数々の法的規制や商法については、「共産主義的」という批判はどうしても避け得ないとあたしは踏んでいる。

 機密漏洩防止のために、相互密告を推奨するやり方や、本人のみに責任を帰結させず親族に対しても蓬莱の薬を売らないなどの苛烈手段については、当然伏せる予定になっている。

 

 あたしとしては、日本国内以上に、これまであたしたちと協力関係にあったアメリカのCIAなどからなされる危険性を懸念している。

 

「皮肉なことに、富裕層による不平等を避けるために、日本人だけが100年も早くこの恩恵に預かれるというのも批判の対象になるだろうな」

 

 蓬莱教授がそのように話す。

 もちろん、国際競争力をつけたい経済産業省や、新世界秩序論を唱えた永原先生側への配慮もあるが、最終的には資金的な都合で、「特権階級化防止のためには、100年間の日本人限定販売はやむを得ない」という結論になった。

 つまり、経済産業省と永原先生がこのような主張をしなくても、「蓬莱教授や財務省側の都合で」同じような制度が作られた可能性は高いというのがあたしたちの結論だった。

 

「間違いなく、年を追うごとに、日本に対する批判は高まるでしょう。そのためにも、防衛関係費を伸ばす必要があるわね」

 

 結局最後の砦になるのは軍事力であって、幸いなことに日本の自衛隊もかなり強くなっている。

 

「何、共産主義的と言われようが民間企業のすることだ。『特権階級化の防止』や、『想定外の詐欺の防止』の一点張りでいいとさえ思えてくるよ」

 

「そうかしら?」

 

 もちろん諸外国からの批判には、そうした言い訳が考えられているが、永原先生はそれについては難色を示していたのも事実だった。

 

「おや、相変わらず永原先生は納得がいかないみたいですね。失礼ですが、理由をお聞かせ願いますか?」

 

 蓬莱教授は永原先生に難色を示している理由を聞いていなかったため、ここで改めて聞き出すことになった。

 

「蓬莱先生、日本人相手ならそれでもいいと思いますけど、彼らには通用しないと思うわ」

 

 永原先生は、日本人と外国人の違いについて、思い当たる節があるという感じだった。

 

「永原先生、どう言うことだい?」

 

 蓬莱教授がことの趣旨を尋ねると、永原先生の表情を見ると、やや呆れた顔をしていた。

 その表情は、遠い昔のことを思い出す時に似ていた。

 永原先生の507年間が、現れる瞬間でもある。

 

「蓬莱先生、日本人が無宗教と言っても、古来より受け継いできた神仏思想の遺伝子があるように、彼らにもキリスト教の思想遺伝子があるわ」

 

 永原先生が、珍しく真剣な目付きになる。

 最近は永原先生の年齢についてあまり意識する機会は多くなかったが、いまはその「意識のし時」何だと思う。

 

「その思想はね、自分達と相反するものに対する徹底的な不寛容が元になっているのよ。私も、自分の生きてきた歴史と共に知っているわ」

 

「ああ、確かにそうだったな。聖書には、下らない理由で民を虐殺する神というのがお決まりだものな」

 

 蓬莱教授も、思い出したかのように吐き捨てた。

 そうだった、蓬莱教授は宗教全般が嫌いであり、永原先生はキリスト教が嫌いだったんだわ。

 以前にも、戦乱の時代のキリスト教徒が、日本で共存していた寺や神社を焼き討ちしていたのを豊臣秀吉が目撃したって話をしていたわね。

 

「確か、秀吉だったっけ?」

 

 浩介くんが軽く思い出したように言う。

 

「……ええ。篠原君に篠原さん、私は知っているのよ。彼らの思いやりのなさと共存心の欠如……これは戦乱の時代の日本人にもあったわ。私自身だってそうだった。それでも、日本人は泰平の世を経験することで生まれ変われたわ」

 

 永原先生がゆっくりした口調で話しかける。

 以前にも、戦国時代の日本人は些細なことでキレるし、命が軽く、代わりに自分や共同体の面目が重い社会だったし、自力救済が基本なので司法は機能せず、簡単なことで小競り合いになるという話を聞いたことがあった。

 

「それでも、戦乱の間でも、仏教と神道が混ざりあい、また仏教の間にも宗派が多くなっても、それが例えば十字軍のような宗教戦争になったり他の宗派とで本格的な殺しあいになる何てことはなかったわ。理性とか自重という文字が辞書になかった戦乱の時代の日本人でさえ、宗教戦争は極力避けたものよ。一向宗だって、戦ったのは大名や領主たちで他宗教他宗派ではなかったわよ」

 

 永原先生が、あの時代の宗教について話す。

 あの当時は末法思想というのもあったために、戦乱で国が乱れていたために、更に荒廃した世の中になっていた。

 それでも、宗教同士で殺しあいになるというのは、数少ない例外を除けば、ほとんどなかったという。

 

「数少ない例外が、キリスト教なのよ。忘れもしないわ。あれは天正11年のことよ私が京の商家に奉公していた時に、任務で数人の商家仲間と共に日本各地を回ったわ。だけど、キリシタンがいた時の領内には焼け残った寺院がたくさんあったわ」

 

「それってもしかして?」

 

「ええ、キリシタンが絡んだ時だけ、こんなことが起きたわ。私はバテレンからキリスト教について聞いたことはあったわ。でも、全く心に響かなかったわね」

 

 永原先生の昔話には、いつも興味が湧いてくる。

 イエズス会が日本に布教活動に来ていたことはよく知られていて、江戸時代にキリシタン禁制によって途絶えたことも学校で習ったこと。

 そんな学校で習ったような歴史を、永原先生は体験してきている。

 永原先生も、あの時代の宣教者に会ったことがあったらしい。

 

「もう450年近く前のことだけれども、あの時のことは、今でも鮮明に覚えているわ。私がバテレンに向かって、『全能の神ならば、何故今まで日本に伝わってこなかったのか? 何故人間を皆善人に作り替えず洪水など起こしたのか? そもそも全能なら何故あんな致命的な木の実を作ったのか? ずいぶんと無慈悲で無能な神で、とても全知全能とは思えない』と言った時のその男の青ざめた顔……言葉に窮していて、私は察したわ」

 

 永原先生は、どうやら安土桃山時代に、キリスト教と接触していたらしい。

 まあ、あの当時なら当たり前かもしれないわね。

 

「実はだな。永原先生と同じような突っ込みを当時の日本人はよくやっていたんだよ。他には、その全能の神はどうやって生まれたのか? という疑問もあったな。旧約聖書には、『何々は穢れている』何て言うのもあるが、全知全能で全てを創造したというなら、穢れたものを作るなよと突っ込んだ人もいたな」

 

 蓬莱教授が得意気な顔で話している。

 

「蓬莱教授、専門外なはずなのにずいぶん詳しいですよね」

 

 あたしは、思わずそう突っ込んでしまった。

 実際、こんな宗教の知識なんて、再生医療には全く役に立たない知識だと思う。

 

「ああ、俺は宗教アンチだからな。宗教の欺瞞や悪質性を罵るためには、宗教についてよく知らなきゃいけないんだ」

 

 蓬莱教授が朗らかな笑顔で話す。

 確かに、あるものを嫌いな人は、好きな人よりも詳しい何て言うことは往々にしてあるものね。

 ……それにしても、蓬莱教授は徹底しすぎているとあたしは思うけど。

 

「時は過ぎて、やがてキリスト教の危険性に気付いた太閤殿下と東照大権現は、キリスト教を禁じられたわ。江戸時代……赤穂事件が終わって10年位経った宝永頃の話だけど、私は新井筑後守殿と話す機会があったわ。新井殿は当時幕府で権勢を誇っていて、ちょうどキリスト教の宣教師が布教のために日本に密入国した時の出来事を、私に話してくれたわ」

 

 永原先生によれば、その時の事は江戸城での自らの日記にも記したという。

 ただ、キリスト教に関しては幕府の目もあったので、日記が外部に流出しないよう、細心の注意を払う事にもしたらしい。

 

「新井殿が対面したシドッチという名前の宣教師は、天文学や科学、哲学にとても通じていた人だったらしいのよ。実際、その博識ぶりは新井殿に対して、幕府に即処刑などの手段を思いとどまるように進言させるほどだったわ。でも、いざその宣教した宗教について聞いて見たら、新井殿は『あまりの戯言に、違う人が話しているようにしか見えなかった』という印象を持たれたそうだったわ」

 

 永原先生は、その新井殿に対して、天正時代に会ったバテレンとの問答の内容を話したという。

 バテレンが永原先生の問答に窮したのを聞き、新井殿は「柳ヶ瀬殿誠に聡明なり」と仰せになってくれたという。

 そのことは、今でも永原先生に強く印象に残っているのだとか。

 ここまで話してくれてあたしにも分かったけど、新井殿というのは、おそらく新井白石のことよね。

 まあ、ずっと江戸城に居たら、会ってても不思議じゃないわよね。

 

「その後私は、新井殿に戦乱の時代で見たキリシタン大名などによる神社仏閣の破壊行為について話したわ。新井殿は『誠に。己のみを絶対と考え得るは愚者なり。いわんや仏教の焼き直しをそう称するならば尚の事』と、そう仰せだったわ」

 

 永原先生の回想では、自らが体験したキリスト教に対する不信感が見てとれる。

 

「仏教の焼き直し? キリスト教がですか?」

 

 あたしが再び疑問符を投げかけてみる。

 もちろん、西暦上ではキリスト教の方が後だけれども、キリスト教の時代にはユダヤ教があって、それが元になっていることくらいはあたしだって知っている。

 

「ああうん、今の時代なら無関係なのは分かるわよ。でも当時の新井殿は関連性を見出してキリスト教の欺瞞性を指摘したのよ」

 

 永原先生によれば、新井白石はキリスト教の神話を見て、仏教を焼き直し、偽装したものと考えていたらしい。

 例えば天使の話は仏教に出てくる「光音天」に酷似しているとか、そう言う指摘をしてくれたという。

 結論から言えばこれらの新井白石の分析は的外れだったわけだけど、無関係の宗教同士の類似点を指摘した上で、キリスト教を鮮やかに批判していた新井白石は、当時の永原先生に取ってみれば「憑き物が取れたような」感じを受け、相対的に「とても賢く」見えたという。

 

「でも、当時と今じゃ違うだろ?」

 

 ここに来て、黙っていた浩介くんが思わず突っ込んだ。

 確かにその通りだ。

 永原先生の体験したそれらの出来事は戦国時代や江戸時代、今から数百年も前の話で、いくら精神の支柱にあると言っても、キリスト教そのものが大きく変わっているはずだものね。

 実際、永原先生の時代と前後して、ルターやその支持者による宗教改革とかもあったわけだものね。

 

「ええ。そう思って、私も明治になって、文明開化として西洋化が持て囃された時に、もう一度教会に行ってみたことがあったわ……でも、私が見た時、それは300年前と何も変わってなかったわ。それどころか、私があの時と同じような問答をした時に、苦し紛れの正当化まで覚えていたもの」

 

 永原先生によれば、この時にキリスト教に対する希望は完全に破壊されたという。

 もちろん、それは単に布教が下手な宣教師が重なったことによる不幸や、安土桃山時代から江戸時代、明治初期を通じて、「キリスト教は邪教」という環境で507年の人生の半分以上を過ごしてきたということもあると思う。

 

「その後、私は教師の職業を始めるに当たって世界史を学んだわ。そこで分かったのは、『あの時、300年前に洗礼を受けなくて良かった』ということよ。私は知っているわ。彼らに言葉での説得は無意味よ。するとするならば、資金力を背景にして、徹底的に大声と大金を使って力で黙らせるロビー活動よ」

 

 永原先生は、あの手の宗教はイデオロギーのぶつかりであるから、とにかく大声で主張するべきだという。

 それは江戸時代の長い間に培ってきた日本人の美徳とは相反するが、彼らにはそうでもしないと絶対に通じないと考えている。

 永原先生の話は大分横道にそれた議論だったけれども、永原先生の宗教観について知ることが出来てよかった。

 永原先生は、仏教を中心とした神仏習合の天道思想を基本としているけれども、最近の仏教に疑問を持っていて、今では神社に行くことが多いというのも、今までと同じだという。

 

 

「さ、長くなっちゃけど、何れにしても『100年待ってもらう』ことは、受け入れさせるしかないわ。そのためには受け入れない国に、例によって連帯責任を取らせるべきなのよ」

 

 永原先生は、どうもそうした過激な手段をよく好む傾向にある。

 それは彼女が戦国時代に経験してきたエピソードが原因であることは、明らかだった。

 逆に言えば戦乱の時代のような人間でも押さえつけることが出来る方法と言い換えることも出来るのよね。

 それが現代に通じるかどうかと言えばまあ、逆らう人はいなくなるだろうけども。

 

「人事については、批判は出ねえだろうな」

 

 蓬莱教授は、取締役の人選については殆ど批判は出ないだろうと考えている。

 国内のマスコミはすでに掌握しているし、海外も海外で、制裁を恐れて筆が鈍る人は多い。

 それ以前に、会社の人事がどうこう何て言うことまで、海外のマスコミが突っ込んでくるとは考えにくいから。

 何れにしても、まずは建設会社と建設用地、工場の作業員の確保を進めていく必要があるわね。

 それを募集するためにも、この記者会見を足掛かりにして、まずは事業を起こさないといけないわね。

 

 

  トントン

 

「はい」

 

 打ち合わせが一段落すると、扉をノックする音が聞こえてきた。

 

「はいどうぞ」

 

 蓬莱教授が扉の外の人物に呼び掛ける。

 

  ガチャ……

 

「時間です」

 

 扉から出てきた関係者の人がそう告げると、あたしたちは一斉に立ち上がる。

 案内人さんを先頭に、蓬莱教授と浩介くんが前列に立ち、その後ろからあたしと永原先生と、比良さんと余呉さんが続く。

 

「こちらでお待ちください」

 

 扉を開けると、記者会見場には、まだ記者の姿もまばらで、あたしたちの様子を写真に撮るわけでもない。

 どうやら、正式な開始時間が別にあって、そこでよーいどんって感じみたいね。

 

 あたしたちが座り終わると、記者たちも慌ただしくなってきて、奥の入り口からも多くの記者さんが入ってくる。

 この間行われた「完全不老の記者会見」では、「歩留まりの悪さ」が大きな課題になっていた。

 ということは、この記者会見は当然、それが改善したことを報告する記者会見なのは容易に想像ができた。


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