永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「どう思う? 浩介さんに優子さん」
あの夏からしばらくすると、建築会社の人から、完成を想像した工場周辺一帯のジオラマが送られてきた。
あたしたちの要求通りの工場のデザインとホテル、そして社宅や新駅、更に貨物列車の発着の様子までを想像してあり、あたしたちの工場への専用の貨物引き込み線も描かれている。
「ああ、俺たちの想像通りだな」
浩介くんが、満足の表情を浮かべて言う。
「ええ、この敷地なら、将来的に世界へ輸出できるだろう。さて、次の問題はサブ工場だが、こちらはメインより少しゆっくりでいいだろう」
サブ工場は北海道の広い土地にと決まっている。
こちらの方は、メインほど大きな規模ではないが、それでもそれなりの規模にはしたいというのが蓬莱教授の希望だった。
こちらは大分絞られているので問題もないし、今はメインの工場を中心に建設していきたい。
「次にするべきは、全国各地への支店だな。これを整備すれば、全国的な普及に支障がなくなる。支店が浸透し始めたのを見て、値下げとともに超長期契約を進めたい。ただ問題なのは、機密維持で必要なことに対して、自分たちが正しいと信じ込んでけちをつけてくる人間だろうな」
その辺りの規制緩和派は、どうやら「自分達は正しい」と信じて疑わないため、この期に及んでもなお、蓬莱カンパニーに反旗を翻す可能性があるという。
それこそが「蓬莱カンパニーと世間のためになる」と本気で思っている。
でも実際そうではないことは、何度も説明する必要がある。
しかし、いくら言っても改まらず、世論が動揺しそうな時は、非融通をちらして脅しをかけることも視野にいれないといけないだろう。
「全く……永原先生の言う通りだわ」
女の子になったばかりの頃にも、「自らを正しいと思ってする悪行は、悪事を知り、悪意をもってする悪行よりもたちが悪い」ということを学んだけれども、今になっても、それは全くその通りだと思うわ。
「ああ、あの頃が……優子ちゃんがまだ俺の家にいなかった時が懐かしいよな」
既に女の子になって8年の月日が流れ、結婚生活も6年になったけれども、あたしも浩介くんも蓬莱教授も、あの頃と容姿が全くと言っていいほど変化がない。
桂子ちゃんと恵美ちゃんも同じで、高校の時のクラスメイトたちが、同窓会で大分変わっていたのとは対照的だった。
あたしにとって特別なあのクラスメイトたちには、特別に割引での融通を考えてもいいかもしれないわね。
「ええ」
何年経っても、小谷学園という母校のことを忘れることはない。
永原先生も、相変わらず小谷学園で教師の仕事は続けている。
永原先生から教わったことは多かったけど、肝心の古典については、もう大半を忘れてしまったわ。
「さ、感慨に浸っている場合じゃないな」
あたしたちはもう一度、この完成想像図について吟味を重ねることにした。
「ああそうだ2人とも」
「はい?」
作業が一段落すると、蓬莱教授があたしたちに話しかけてきた。
「今度発売のこの雑誌なんだが──」
蓬莱教授が、有名な学術誌を出してくる。
権威の高い雑誌で、あたしたち大学院生には縁が無さそうな雑誌だわ。
「ええ」
「俺たちが書いたあの論文が、日本語と英語の両方で載ることになったんだ。あー優子さんと浩介さんのも載ることになったぞ」
「ええ!?」
蓬莱教授がまたしても衝撃的な一言を発してくれたわね。
蓬莱教授によれば、蓬莱教授自身の論文の他にも、不老の薬の歩留まりをよくする浩介くんの論文、更にあたしが開発した「完全不老の薬」についての論文まで、この雑誌に載るという。
この雑誌は査読が厳しくて、とても権威の高い雑誌でもある。
そんな所に、あたしたちの論文が載る何て、考えたこともなかった。
それにしても、どうして内輪向けの博士論文でさえ英語も書かせるのかと思ったら、そういうことだったのね。
「いいか? 今の蓬莱カンパニーを語る上で、優子さんと浩介さんを欠かすことができない功労者だ。無視したらそれは、俺による研究業績の横取りだよ」
蓬莱教授は、どこまでも筋を通したいらしいわね。
まあいいわ、それでも注目されるのは、蓬莱教授だけだと思うから。
──科学雑誌に掲載されると発表していた時は、そう思っていた。
でもあたしは、あたし自身の知名度を、まだ十分に理解してなかった。
あたし自身が、何年も前から協会で広報部長をしていて、しかも早くから取材を受けて、更に言えば蓬莱の研究棟でも広報担当だったために、あたしの世間での扱いはかなり違っていた。
それは、雑誌が発売された翌朝のことだった。
インターネットではあたしたちが発見したということに、疑いの目が向けられていたらしい。
でも、あたしがああした論文を発表したことが、ついに決定打になった。
あたしが不老の薬のメカニズムの発見者であるということに疑いを書ける人は誰もいなくなった。
そしてインターネットで目についたのが、「蓬莱教授のノーベル賞」に関する議論だった。
そしてそれは、「蓬莱教授はノーベル賞に相応しいかどうか?」という議論ではなかった。
議論されているのは「『いつ』ノーベル賞を受賞するのか?」ということ。
そして、共同研究・共同受賞として、あたしや浩介くんがノーベル賞を受賞するのかどうかということだった。
「おはよう」
そんな信じられないような議論があたしたちの知らない外野で繰り広げられているのを見て、やっぱりどうしてもあたしはやや気が重いと言わざるを得なかった。
「おはよう優子ちゃん、騒ぎになってるわね」
こんな日でも、お義母さんは、いつものようにあたしたちを気遣ってくれていた。
やっぱりこの家は、あたしにとっての安息の地よね。
「ええ、主にインターネットでだけど」
あたしたちが不老の最後の発見を作ったなどのことは、既にマスコミに向けて記者会見もしているから、世間も知っている。
しかし、それでもあたしたちがきっかけを作ったという動かぬ証拠が、あの学術誌への記載だった。
それにしても、あたしたちへのノーベル賞って、さすがにちょっと冗談が過ぎる気がするわ。
「まあ、なるようになるわよ。優子ちゃんがどんなに有名になっても、ここのプライベートだけは、私たちが守っていくから」
「ああ、ありがとう」
お義母さんの優しい言葉が身に染みてくる。
この家は、あたしの最後の避難所でもあるのよね。
「じゃあ、行ってくる」
「ええ、行ってらっしゃい」
お義父さんが仕事に出て、あたしたちも大学院へと向かう。
佐和山大学の最寄り駅に何時ものように出ると、あたしたちに対する視線が、普段以上に凄まじいことに気づいた。
まあ、あんなニュースがあったら、あたしたちの顔を知っている人からするとやっぱりどうしても気になっちゃうんだとは思うけどもね。
「お、篠原さんたちじゃないか。おめでとう」
そして大学構内では、何年かぶりに河毛教授に声をかけられた。
よく考えてみれば、河毛教授には会うのも久しぶりだったわね。
「あ、河毛教授。お久しぶりです」
大学院に入ってからは、ほとんどの時間を蓬莱の研究棟で過ごしたこともあって、応用数学が専門だった河毛教授とはほぼ会う機会もなかった。
「驚いたよ。まさかうちの大学院生の論文が掲載されるなんて思っても見なかった。あの雑誌は私も何度か論文を出したんだが……全て弾かれてしまったんだよ」
河毛教授は、冷静沈着な人だけど、今回とばかりは話は別という表情をしている。
「え、ええ……」
実際あたしたちも、まさか自分達の論文が掲載されることになるとは思っても見なかった。
だがそれ以上に河毛教授の表情は朗らかだった。
「あそこの雑誌に掲載されるのは、それだけで栄誉なことだ。そこでだ、今篠原夫妻を2年で卒業させる計画があるんだ。今教授会議でも議論中なんだ」
「そ、そうなのね……」
河毛教授の話は以前にも聞いたことがある。
でもあたしたちには、自覚がなかった。
「それに、もし君たちが2年以内にノーベル賞を受賞する何てことになった時、『ドクター』じゃなくて『マスター』じゃ格好がつかないだろう? ましてや科学3分野の1つ、ノーベル生理学・医学賞何だから」
河毛教授が、あたしたちを早くに卒業させたい理由を説明してくれる。
確かに、あたしたちとしても早期卒業で会社経営に専念できるのはありがたいけど。
「あ、あはは……」
あたしたちがノーベル賞を受賞するなんていう前提で話されている。
正直に言って、現実感が無さすぎるわ。
「さ、引き留めて悪かったね。じゃあこれで失礼するよ」
河毛教授がその場を離れ、あたしたちもまた、蓬莱の研究棟へと進む。
「ねえあなた、あたしたちがノーベル賞何てあり得るのかしら?」
あたしは隣を歩く浩介くんに疑問をぶつけてみる。
「さあ、でも多分ねえだろうな。受賞するのは蓬莱さんだよ」
浩介くんが冷静な口調と表情で答える。
うん、あたしも同意見だわ。
「ええそうよね」
そう、あたしたちは博士課程の、大学院生の夫婦でしかない。
名だたる業績を残した博士たちでさえ、ノーベル賞を取れるのはほんの一握りの学者しかいない。
そんな世界一権威がある賞に、あたしたちが選ばれる可能性だなんて、考えるだけでも現実逃避でしかなかった。
……でも心のどこかで、「ノーベル賞にならないという方が逆に現実逃避よ優子」という声がしているような気がしてならなかった。
「お、浩介さんに優子さんか。おはよう」
こんな日でも、蓬莱教授は何時ものように平然としていた。
まるで「この雑誌に論文が載ることくらいどうってことない」と言わんばかりのマイペースぶりだった。
立派な大学教授の河毛教授でさえ、全て弾かれて1回も掲載されなかったと言うのに。
「おはようございます」
あたしも、勤めて平然とした表情で話す。
ノーベル賞の話はせず、今日の課題と今後の蓬莱カンパニーについて話すことにした。
「あーそういえば優子さん、大学院、もしかしたら2年で卒業になるかもしれねえぞ」
蓬莱教授が、さっき会った河毛教授と同じ話題をしてくる。
「え!? もしかしてそれって──」
正直、まだ自覚がないのでどうしても驚いた声になってしまう。
ノーベル賞受賞の可能性を考慮して、博士号をすぐに与える可能性については、あまり考えたくないわ。
「あーいや、別に博士じゃないとノーベル賞はないってのは違うぞ。日本だって20年以上前に民間人の学士がノーベル賞になっているぞ」
蓬莱教授があわてて訂正する。
確かに、あたしたちが産まれた頃に、大学教授でもない民間人のサラリーマンがノーベル賞になったって話題になったって言っていたっけ?
「そうじゃなくて、優子さんたちが早期に卒業するのは単純に成績がいいからさ」
蓬莱教授としては、あくまでもあたしたちの成績をもって飛び級卒業をさせたいらしい。
「あーそもそもだ。この雑誌に論文が掲載されたというだけでも、大学院生にとっては雲の上の様な出来事さ。実際、博士論文なんかよりもはるかに高いことさ。でも、優子さんと浩介さんのこの論文なら、俺は載ると思ったのだよ」
蓬莱教授が、誇らしげに話す。
そう、ノーベル賞かどうかは関係ない。
あたしたちの業績と成績の優秀さが、早期卒業を検討し始めることになった。
「ま、とはいえ可能性レベルの話だ。だから基本としては、3年の卒業を念頭に置いて、早期卒業は頭の片隅に置く程度にしてほしい」
「ええ、分かったわ」
ともあれ、あたしたちがすることは以前と変わらない。
ただ、宣伝部によれば、あたしたち夫婦のこの発見は、特に海外では大きなニュースになっているとも言っていた。
特にあたしは以前より広報担当だったのもあって、「こんな10代半ばにしか見えない少女が25歳で、しかも世紀に残る大発見をしたなんて信じられるか?」という反応も多いらしい。
あたしとしては、もちろん女の子だから若く見られるのは嬉しいし、これからの「蓬莱の時代」を考えれば、そうしたあたしたちこそ、広告にふさわしいわね。
あたしたちは、研究面では浩介くんの歩留まり改善を推進しつつ、経営面では建設会社たちでの調整も始まっている。
この調子なら、1年半後の来年度中には工場ができるとのことで、あたしたちはそれに向けて事務職の募集と、そして本社の制定に入る。
本社機能を備えた事務所は、結局協会と同じビルの48階と49階の協会部分を除いたフロアに決定した。
オフィスとしての機能を備えたら、今後はそこで新規事業を立ち上げるために諸々のことをしなければいけない。
今年博士課程を終える和邇先輩が蓬莱カンパニーの社員に加わったし、色々と気心の知れた和邇先輩なら、工場長になってくれる可能性が高い。
他にも今後卒業予定の学部生や修士たちも、工場への就職を希望する人が多い。
身内で固めすぎるのもあまりよくないけど、いずれにしても人材に困るといったことはなさそうでよかったわ。
あたしたちは、いつも通りを心がけ、研究を進めることにした。
「優子ちゃーん、浩介ー、手紙よー」
大学院での1日が終わり、いつものように家に帰ると、お義母さんがあたしたちに手紙があると言ってきた。
一体何かしら?
「はーい」
あたしと浩介くんで手紙を受け取り、一緒に中を見る。
「何かな? お、また結婚の報告か。いいことだ」
浩介くんが朗らかな顔で話す。
手紙は結婚式への招待状だった。
そう、この時期になって、高校時代の元クラスメイトが、次々と結婚をし始めていたのだった。
大学を普通に卒業し、そのまま就職していれば、今年で社会人3年目だものね。不思議じゃないわ。
一方で、桂子ちゃんはと言えば、社会人1年目でJAXAの仕事が忙しいので、達也さんとはもうしばらくしてから結婚すると言っていた。
でも桂子ちゃんには焦りはない。
桂子ちゃんも達也さんも、今年の健康診断で分かったように、蓬莱の薬が完全に効いていて、もう老化することは一切無くなったのだから。
……焦る必要はないものね。
「ふー、結婚して時代も変わるわね」
「ああ」
あたしたちは高校卒業直後の結婚だったから、すぐに続くクラスメイトはいなかったけど、さすがに7年も経てば、結婚する人が続出してもおかしくないわね。
あたしたちは……大学院生と社会人を兼任する、何だか変な状態になっているけど。
あたしたちが大発見をしてから、荒廃していた高校の同級生達で作るSNSに再び活気が戻ってきた。
あたしたちにおめでとうと言う人たちもいるし、あるいは「田村を超えたんじゃないか?」何て話もある。
もちろん単純な比較はできないけれども、あたしたち自身、浩介くんがスポーツアカデミーのスカウトを受けたときの断り文句に、「どんなスポーツの偉業よりも、蓬莱教授の研究を成功させる方が偉大」と語ったこともあって、こうした声に口を挟むことができなくなっている。
あたしたちは再び結婚式への参加準備を整えつつ、疲れた体を休ませるために、それぞれ自室へと入っていった。