永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
不思議な夢を見た。
オギャアアアア!!!
「元気な男の子ですよー」
「ああ、かわいいわ。やっと、会えたわね」
にっこり微笑む若い女性と赤ちゃんがそこにいた。
「名前はそうねえ……」
あたしではなく、母さんが元気な男の子を出産していた。
もちろん、あたしの中にはこんな記憶はない。
「あなたに似て優しそうだわ」
「一番優しく……優一ってのはどうだ!?」
父さんの声が、聞こえてきた。
「ええ、いいわね」
あたしは、とても嬉しかった。
あたしもそう、産まれた時には両親から、こんなにたっぷり愛されていたんだって。
「どんな子になるのかしらね? 優しい子になってくれるといいけど」
「あはは、どうだろうなあ?」
多分これらは、あたしの推測に基づく夢だと思う。
でも、両親もあたしには期待していたのは紛れもない事実だった。
こうして、お腹の中に我が子を宿して初めて、親の気持ちが分かるのかもしれない。
「桂子ちゃん、大きくなったら何になりたいの?」
「分かんない! 優一くんは?」
「うーん、俺も分かんないや!」
幼少期に、ほんの微かに残っている桂子ちゃんとの記憶、今思っても、あたしがどんな幼少期だったか思い出せない。
ただあるのは、女の子としての幼少期ではなかったということ。
夢に出てきたのは、両親の微笑む声ばかり。
幼い頃の、まだ男の子だった頃のあたしが、赤ちゃんを産んだ両親が、ごく普通の幸せな家庭として、登場していた。
優一として成長し、乱暴になった時の姿は一切登場しない。
「ん……」
夢から覚め、天井が見える。
本能的に、赤ちゃんがいるお腹をさする。
「またこの夢……」
普通、同じような夢を何度も見ることはない。
漫画やアニメ、小説の中では同じ悪夢を何度も何度も見続けてしまうキャラクターがいる。
でも、夢というのは似たような系統の夢はあれども基本的には一期一会なものだ。
でも、赤ちゃんの妊娠が分かってからというもの、あたしは似たような、いや殆ど同じ内容の夢を繰り返し見るようになった。
もちろん、これは作り話で、母さんにも既に「そういうのじゃなかったわ」という回答を得ているもの。
そうした回答を得ても、夢の内容は変わらなかった。
「ふう……」
今日も少しだけ、気分が悪い。
でも今日は、少し頑張らないといけない。
2028年のお正月の三が日も過ぎ、あたし都内の産婦人科に行くことになっている。
まだお腹は全く大きくなっていないけど、いずれ大きくなることは確実だった。
「おはよう……」
眠気を擦り、リビングに来ると、母さんとお義母さんがまたあたしを出迎えてくれた。
「あ、優子ちゃんおはよう」
「うん……」
「具合はどうかしら?」
母さんが毎朝同じ質問をしてくる。
「あんまりよくないわ」
そしてあたしも、毎朝同じ内容の回答をする。
こんな状況が、そろそろ1週間続いていることになる。
「妊娠初期は特に辛抱よ。間違った生活したら、赤ちゃんが大変なことになっちゃうもの」
「ええ、分かっているわ」
「そうそう、比良さんから手紙が届いているわよ」
え!? 比良さんからお手紙?
とにかく、お義母さんから手紙を受け取った。
篠原さんへ
妊娠おめでとうございます。
今後産婦人科で診察を受けた場合、母子手帳などを交付してもらえます。
この後、篠原さんは妊娠中期になると安定期に入ることにもなります。
その場合の心構えなどはこちらでも随時指導していきますが、医師の指示をあくまで優先してください。
TS病の患者やその赤ちゃんが、出産時に死亡したり、障害を負ったりした例はありません。
また、「危なかった」といったこともありません。帝王切開の前例もありません。
TS病患者は、みんなとても安産体質であることが医学的に分かっていますので、そこまで心配しなくても大丈夫です。
それでも、サンプル数はまだ少ないので、出産が命懸けであることには代わりはありません。
あなたの子供が、すくすく育ちますように。
「優子、どんな内容だった?」
「えっとその……TS病患者は安産だって書いてありました」
「ふふ、お母さんもそう思うわ。一目見ても優子は『安産型』よ」
確かに以前も、あたしは同じことを言われた。
お腹回り、特に下腹部には肉が程よくついていて、またお尻も大きくて赤ちゃんを産むには確かにいいのかもしれない。
これはあたしだけではなく、TS病患者全体が、安産なのだという。
「ええそうね。本当に理想の体型よ」
胸が大きいのだって、中身は脂肪ということを考えたら、赤ちゃんに与える栄養が豊富という意味でもある。
でも、あたしが安産だからといって、やりたい放題していい理由にはならない。
あたしが思うに、TS病患者が安産体質なのは、その母性が強いのにも、大きな理由があるんだと思う。
「ふふ、優子ちゃん、理想の女の子に本当に近いわよね」
「うんうん、自慢の娘に成長したわ」
母さんとお義母さんが盛り上がっている。
今日は産婦人科に行くために朝食はない。
そして、男たちは働きに出ている。
今この家には、おばあさんの介護の人を除けば、女性しかいないことになる。
「さ、優子ちゃん、そろそろ出掛けるわよ」
「はーい」
あたしは、母さんに連れられて家の近くの徒歩圏内にある病院へと向かう。
ちなみに、お義母さんは家で家事を担当する。
あれだけ広い家だと、どうしても専業主婦が必要になってくるのよね。
「こっちよ」
年が明け、あたしのノーベル賞の話題もすっかり下火になって、あたしもようやく、堂々と大手を振るって外に出ることができた。
もちろん、今度の3月に発表される「世界長者番付」で、また注目を浴びてしまう算段が大きいけどね。
ともあれ、今のあたしは妊娠中だし、メディアも滅多なことはしてこないはずだ。
「さ、ここよ」
この病院は産婦人科の他に、いくつかの医療を行っている病院で、それなりに実績のある病院になっている。
でも、あたしは既に、産む病院については決めてある。
あたしたちは、正面の入り口から病院の中に入った。
病院の正面に受付があるので、母さんが「予約した篠原です」と伝えると、すぐに「あちらでお待ちください」と言われ、番号札を渡される。
この番号札と、あちこちにある電光掲示板で、現在の状況を確認するということになっている。
あたしたちは、目立たない四隅の場所の椅子に、ゆったりと座り込んだ。
さて、これから問診票を書いて病院に提出しなきゃ。
「ねえ、母さん」
「ん?」
問診票を書き終わり、落ち着いたら、あたしは母さんに話しかけた。
「産みたい病院があるの」
「え!? 優子が、産みたい病院?」
あたしの言葉を聞くと、予想通り母さんが疑問符を投げ掛けてきた。
確かに病院は選ぶべきだけど、それは「まずい病院」「薮医者の病院」を避けるべきであって、特定の病院に対して思い入れがあるというのはあんまりないから。
「うん、あたしが女の子になって初めて目覚めたあの総合病院」
その病院は、もちろん今も元気に経営している。
小谷学園とも縁の深い病院で、あたしが倒れた時に最初に運び込まれた病院でもある。
「ああ、あそこね。確かにあそこは産婦人科もあったわよね」
あそこの病院は、それなりに大きな病院で、最近更に増床されている。
「うん」
臨月に近くなれば、当然あたしは入院することになる。
最近ではギリギリまで入院せずに、急遽駆け込むとか、自宅で出産してしまった何てこともあるけど、もちろんお金が豊富にあるあたしたちは、長めに入院することになっている。
「あの病院は、あたしの女の子としての原点なのよ。妊娠出産って、ある意味で究極的に女性的なことじゃない? だからね、あたし、第2子以降はともかく、最初の子供はあそこで産みたいのよ」
あたしが母さんに、思いを伝える。
あの病院で目覚めたのが、女の子としての初めての記憶。あの時は、まだカリキュラムの存在そのものさえ知らなかった、TS病の具体的なことさえ知らなかった。
まさに、「これからどうすればいいのか」さえ分からなかった状態だった。
病院では、女の子になって戸惑ってばかりだった。
あれ以来一度も訪れてないその病院を、あたしはもう一度訪れて見たかったから。
「分かったわ。優子の意思を尊重するわ」
母さんが、あたしの意見に賛成してくれる。
今日は妊娠の確認だけなので、この病院でも問題はない。
やがて、電光掲示板にあたしたちの番号と、入るべきお医者さんの部屋が表示され、番号札が強く振動し始めた。
あたしたちは、急いでお医者さんの場所へと駆け込んだ。
「よろしくお願い致します」
「えっと、篠原さんですね、今日は妊娠の確認ということでよろしいでしょうか?」
お医者さんは、おばさんの先生だった。
「はい」
「分かりました、ではこちらに来てください。これから妊娠の検査をいたしますね。妊娠が判明いたしましたら、その後の検査等々はどうされますか?」
「うーん、ひとまず今日はしているかしていないかだけでお願いします。しているならばもっと色々な病院を調べてみたいので」
「分かりました」
実際の所、妊娠が判明したら判明したで、次からは例の総合病院に移ることになっている。
ここからは少し遠いけど、どうせ入院したら産むまで入院だし、何かあったらその時はその時よね。
第2子をもし産むことがあったら、それからはこっちのお世話になろうかしら?
あたしたちは、検査室のある場所へと案内された。
産婦人科ということもあってなのか、この部屋はかなり女性向けにデザインされていて、男子禁制の空気がピリピリしている。
「それじゃあ、いきますよ」
「お願いします」
妊娠をして、改めて自分の「女の子」を自覚することができた。
来る日も来る日も生理が来ないのが、ちょっと便利な反面、寂しくもあった。
お腹の中の赤ちゃんのエコーを撮ってもらう。
他にも、尿検査などで妊娠を総合的に判別するという。
「検査結果は明日郵送で送りますね」
「お願いします」
この都内の病院は有名人もよく来るのか、あたしが来ても全く驚く素振りも見せなかった。
まあ、あたしが有名人といっても、気にしない人も多いのかもしれないけど。
「で、もし決まっているようでしたら、私たちの診断書をもって役所にご提出ください」
そうすることで、各種福祉を受けることができる。
最も、そうした保険に入ってなくても何の問題も無いんだけど、保険料安いし、気にしなくていいものね。
「はい」
あたしたちは、保険証を見せて、とりあえず今日は解散になった。
「へー、いいじゃねえか。優子ちゃんが初めて目覚めた病院か。俺は賛成だぜ」
夜、仕事から帰ってきた浩介くんが、夕食の時間に早速賛成の意を示してくれた。
確かに距離的には遠いけど、交通事故にさえ気を付けていれば大丈夫だと思う。
「優子ちゃん、絶対に転んだりしたらダメよ」
「分かってるわ。万一転びそうになったら、極力背中を向けるわ」
実際そんな芸当ができるとは思えないけど。
「ダメよ。とにかく赤ちゃんの安静のためにも、振動は厳禁よ」
お義母さんにダメ出しされてしまった。
そうね、これからお腹が大きくなって赤ちゃんも重くなっていけば、いつもよりも体のバランスと重心も変わってくるわけだし、とにかく段差には特に注意しないといけないわね。
「優子ー! 手紙届いているわよー」
「はーい」
翌日、母さんから早速病院の検査結果が届いた。
あたしは、母さんから封筒を受け取ると、ゆっくりと丁寧に封筒をはがす。
乱暴に剥がすのは、女の子らしくないものね。
「それで、どう?」
あたしは、早速結果の欄を見る。
結果は、全部陽性だった。
「あっ……やったわ……ああ、このお腹の中に、赤ちゃんが……」
あたしは、またお腹の中をさすった。
朝起きた時も含めて、最近は毎日のようにこの動作を繰り返している。
そして、もう一枚、エコーの写真が同封されていた。
赤いペンで丸をつけないとわからないくらいに小さいけど、確かに赤ちゃんがそこにいた。
「ふふ、優子の赤ちゃんね」
「うん、うん……うっ……ひぐっ……」
母さんからそう言われると、あたしの目から急に涙が溢れてきた。
小さな、本当に小さな点のような赤ちゃんが、堪らなくいとおしくて、自分のお腹の中にもう1つの命があるんだって思うと、本当に涙が止まらなかった。
「よく頑張ったわね、優子」
「うんっ……ひぐっ……えぐっ……」
母さんが、背中をポンポンと叩いてくれる。
今のあたしには、永原先生が11年前に話してくれた女の子の気持ちが痛いほど分かった。
例え相手の父親がストーカーのレイプ犯だとしても、お腹の中にいる自分の子供を殺さなきゃいけないなんて、何より辛い。
ましてやあたしの場合、父親は最愛の浩介くんだもん。
我が子が死ぬことに比べれば、経済的な貧困だって、受け入れられる。
今のあたしはそう断言できる。
このお腹にいる小さな命、これを守らないといけないわ。
「あら、優子ちゃん、妊娠してたの?」
お掃除から戻ったお義母さんがあたしに話しかけてくる。
「うん」
「じゃあ、おばあさんの所にいかなくちゃね」
お義母さんがにっこりとそう言う。
「う、うん……」
今、おばあさんは弱りかけている。
100歳を越えてきて、老衰が目立ち始めたのだった。
幸い、認知症はなくあたしたちのノーベル賞のこともはっきりと覚えていてくれたのは幸いだったけど。
でも、あたしが妊娠したと知れば、きっと元気になると思うから。
あたしたちは家の玄関のエレベーターに乗り込み、母さんは2階を、あたしは3階を押す。
ちなみに、他の家族にも、もちろん仕事帰りに話すことになっている。
ピンポーン
「3階です」
あたしとお義母さんが、おばあさんのいる3階に降り立つ。
「あ、お疲れ様です」
「はい」
介護の人が、忙しなく動いていた。
あたしたちは軽く礼をしつつ、おばあさんの部屋へと向かう。
「おばあさん」
「おう、2人か、今日はどうした……ひ孫か?」
おばあさんは、やや弱々しくそう語る。
あたしは、深呼吸をして、口を開く。
「はい、あたしのお腹に、赤ちゃんができました!」
耳の悪いおばあさん向けに、少し大きめの声で話す。
「ほ、本当かえ? もう一度、もう一度言ってくれるかい優子ちゃん」
「あたしの──お腹の──中に──赤ちゃんが──できました!」
一語一語、ゆっくりと丁寧に大きな声で話す。
「おお、とうとうやったかい! この年まで、この歳まで生きた甲斐があったわい!!!」
おばあさんの目が、急に輝き始め、喜びに満ちた表情になる。
おばあさんがガバッと起き上がる。
そしてあたしにおもむろに近付いてきた。
「優子ちゃん、どうか浩介との元気な子供を、早く生んでくれ。わしも、ひ孫を見るまでは絶対に死なんと、約束するから」
「はい」
赤ちゃんが障害があるかもしれないとか、途中で流産してしまうかもしれないという懸念はある。
だけど、何故かあたしには、お腹の中の赤ちゃんは絶対にそんなことにはならないという確信があった。
根拠はない。正真正銘の「女の勘」というやつだった。
あたしは、元気になったおばあさんを見て、安堵する。
あれなら、ひ孫を見るまではきちんと生きてそうね。
ただ、ひ孫が産まれた後は、分からないけど。
「うー」
「どうしたの?」
下りのエレベーターに乗ると、また少し気分が悪くなってきた。
このつわりが安定するまでは、会社に行くことができない。どうも生理もそうだけど、人より少し重たいらしいわ。
「うん、またちょっと、次からはつわりが、ね」
「そう? 今月末までの辛抱よ。気分がよくなったら、区役所に行くからね」
「うん」
来週、あたしたちは今度は家の近くの総合病院で検査を受けることになる。
もちろん、妊娠の検査結果は分かっているので、赤ちゃんの育ち具合などを主に見てもらうことになっている。
あたしは、つわりを和らげるために自室に戻って休息を取ることにした。
このつわり地獄が収まれば、いわゆる「マタニティライフ」が始まることになる。
あたしが女の子になったばかりの頃は、マタニティっていう単語が流行ったけど、今はそうでもない。
あの頃は妊娠中の旅行だとかカラオケだとかを煽る女性誌がたくさんあった。
とはいえ、妊娠中は安定期といえど油断はできない。
医師たちがそうした「マタ旅」の危険性やリスクについて訴える声明を出してから、そうした煽り記事は急速に落ちついていった。
なので、あたしの場合は、やや安静にするとか、そういう感じにはなると思うけど。