永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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母親

「優子、気分はどう?」

 

「うん、大分よくなったわ」

 

 少し寝ていて、あたしは母さんの声で目を覚ます。

 そう、あたしにはまだやることがある。

 妊娠が証明されたので、これから区役所にいって「母子手帳」をもらわないといけない。

 こうすることで、いくつか出来ることがある。

 

 そしてもうひとつが──

 

「これ……」

 

 起きて机を見ると、今までこの部屋に無かったキーホルダーが置いてあった。

 優しそうなママと赤ん坊の絵が書かれ、「お腹に赤ちゃんがいます」という文字が書かれていた。

 あたしも、電車の中など色々な場所で見たことがある。

 

「優子の診断書を見せたら、駅員さんがくれたわ。優子も、赤ちゃん産むまではこれを鞄につけるのよ」

 

 要するにこれは妊娠中をアピールするもの。

 これで電車の中の優先席の前に立てば、席を譲って貰いやすいというメリットも存在している。

 最も、住まいが住まいなので、通勤時間は短いから座れない辛さは他の妊婦さんよりはいくらか小さくて済むとは思うけどね。

 

 ともあれ、あたしは「お腹に赤ちゃんがいます」というキーホルダーを鞄につけてから、鞄を持つことにした。

 ふふ、何だか気分が違うわ。

 これから向かう先は渋谷区役所、もちろんここからは十分に徒歩圏内なので、あたしたちも歩いて向かうことにした。

 

 ちなみに、週刊紙の記者などは、もちろんあたしたちのプライベートには触れない。

 蓬莱カンパニーの関係者は、まず間違いなくあたしの妊娠を疑っているとは思うけど、誰もそうしたことを口には出さなかった。

 まあ、本社はいい人材を集めたものね。当たり前だわ。

 

「いい? 優子、そのキーホルダーはね──」

 

 区役所への道すがら、母さんはキーホルダーの話ばかりをしていた。

 多くの人はこれを見て親切にしてくれるんだけど、一部嫉妬に狂った行き遅れおばさんが意地悪することもあるんだとか。

 

「でも、いくらなんでもそんな人はいないわよねー?」

 

 確かに、どうしようもない行き遅れのおばさんや、フェミニストもいたし、あたしの場合はそういう「こじらせ女」から何度か喧嘩を売られていたけど、まさか妊婦のあたしを狙って意地悪する人なんていないわよね?

 

「本当に、優子は優しいわね。でも世の中には『優子』ばかりじゃないのよ。特に優子みたいな美人を嫌う醜いブスなおばさんがいたでしょ?」

 

「あー、うんそう言えば」

 

 思い当たる節は、たくさんあった。

 大学に入ったばかりの頃もそうだったし、この前のノーベル賞の晩餐会でもそうだった。

 どうもあたしみたいに、自らの女性を全面に押し出して、男人気を得る女性を嫌う女性がいるらしいわね。

 

「いい、優子? そういう人に出会ったら、まず赤ちゃんを守るのよ。そして、『結婚できなくてもいい』『赤ちゃんなんか産みたくない』何て言うのは全部強がりだから真に受けちゃダメよ。それは分かっているわよね?」

 

「もちろんよ」

 

 女の子になった時のカリキュラムで、少女漫画や女性誌をたっぷり読まされたし、今でも定期的に読み続けている雑誌もある。

 それらを読んで思い知らされるのは、女性向け雑誌の中身はとにかく「モテること」や、「恋愛」あるいは「結婚、出産」に比重がおかれていたこと。

 そうした記事が書かれる頻度が高いということは、つまりそうしたコーナーを望む読者が多いということに他ならない。

 素敵な男性と結ばれて、赤ちゃんを産みたいというのは、おおよそ「メスの本能」に属することだと思う。

 

「さ、優子、ついたわよ」

 

 新住居のある渋谷区の区役所に来るのは転居に関する手続きをして以来だった。

 今年からは渋谷区に住民税を納める必要がある訳だけど、そうした手続きは渋谷税務署でする必要がある。

 

 あたしは区役所の建物の案内図から、妊娠や出産に関する担当窓口を探す。

 

「こっちね」

 

「ええ」

 

 あたしたちは、エレベーターに乗り込む。

 所定の階を押して、エレベーターを降り、案内表示を便りに進んだ。

 

 

「すみませーん」

 

「はいっ」

 

 あたしが窓口の担当者さんに声をかける。

 窓口の人も、すぐにあたしを見てこっちへと駆け寄ってくれる。

 

「えっと、妊娠をしましたので母子手帳の交付を申請しに来ました篠原です」

 

「あ、はい、篠原さんですね。ではこちらの書類に必要事項をお書きください。本日身分を証明できるものございますか?」

 

「はい」

 

 あたしは、身分証明用に持っていたパスポートを取り出す。

 するとやや驚いた表情で窓口の人があたしを見る。

 それは、パスポートで身分証明する珍しい人に驚いたのか、目の前に立っている人が、例の「篠原優子」だと知って驚いたのかは分からない。

 

「はい、ありがとうございます。ではですね──」

 

 でも、すぐに普通の表情に戻って、あたしに必要事項を案内してくれる。

 母さんは、そばの椅子でのんびりと座っていた。

 

 

「はい、それではですね。母子手帳交付となりましたら改めて郵送とさせていただきます」

 

「分かりました」

 

 ともあれ、これで手続きは完了したわね。

 後は手帳を交付してもらい、定期的に病院で検査してもらう必要がある。

 それについては、小谷学園の近くの総合病院で行うことにしよう。

 ちなみに、母子手帳を交付してもらうと同時に、また例のキーホルダーが配布されるという。

 母さんは「2つあったほうがいいと思って」と言っていた。

 

 

「ふふ、優子も様になってきたわね」

 

「え?」

 

 帰り道、母さんがあたしに意味深なことを言ってきた。

 

「その歩き方、優一がお腹の中にいた頃の私にそっくりだわ」

 

 母さんは、今のあたしに、昔の自分を重ねている。

 母さんもまた、母性が強かったのかしら?

 

「え? そうなの?」

 

 初産婦なので、あたしはよく分からない。

 

「そうよそうよ。赤ちゃんを守ろうって、無意識に色々していたみたいでね。お父さんに言われて気付いたのよ」

 

「え? 例えばどんなところが?」

 

 あたしは、全く自覚がなかった。

 だから無意識って言うんだと思うけども。

 

「ほら、例えばお腹を車道から背けてやや斜めに歩いているとかね」

 

「そ、そうだったの……」

 

 全く気がつかなかったけど、今こうして止まっていると、確かにやや体を捻らせていた。

 お腹の中にいる赤ちゃんを守ろうっていうのは、ほぼ無意識での行動だった。

 あたしはふと、付けられていたキーホルダーを見る。

 優しそうなママのお腹の中で安らかに眠る赤ちゃんの絵が、あたしの中でずしりと重くなる。

 

「えうっ……」

 

 急に視界が水で埋め尽くされた。

 赤ちゃんのことを思うと、自分の母性のことを思うと、涙が出てくる。

 

「優子は立派だわ。さ、気を取り直して、家に帰るわよ」

 

 母さんは泣いているあたしを優しく見つめてくれていた。

 

「うん、うん!」

 

 あたしはそのまま涙をこらえて、ゆっくりと家に帰った。

 赤ちゃんを守れたことを、誇りに思いながら。

 

 

「それでね、優子ちゃん泣いちゃって」

 

「へえ、相変わらず優子ちゃんは泣き虫だなー」

 

「も、もうっ!!!」

 

 家に帰ると、家族はその話題で持ちきりになった。

 確かに、赤ちゃんを無意識でも守れたというのは、あたしの中でも大きな誇りになっている。

 しかし、それでも泣いてしまったのもあって話題にされるのは恥ずかしいことだった。

 

「母性ってすげえよなあー」

 

 浩介くんはどこか寂しさ混じりの遠い目をする。

 どうやら、妊娠中ずっとご無沙汰なのがいけないのかしら?

 

「あなた、浮気はダメよ」

 

 妊娠中や出産直後は、どうしても赤ちゃんに気がいってしまって、赤ちゃんに嫉妬しちゃう旦那さんも多い。

 そして、そういうのが続けば最悪の場合、不倫の原因にもなってしまう。

 だから、赤ちゃんのことを優先するとしても、旦那さんの機嫌を損ねないように何とかしないといけないわけだけど……

 

「へへん、大丈夫。こういうこともあろうかと、優子ちゃんの盗撮写真を一杯撮ってあるんだ! これで毎日思い出しながら頑張っているから大丈夫だぜ」

 

 浩介くんがにやけ笑いを浮かべながらあたしに逆さ撮りの写真を見せつけてくる。

 

「……ばかぁ!!!」

 

 うー、写真に記録されちゃってて恥ずかしいよお……!

 

「あらあらまあまあ……浩介ったらー!」

 

「全く、とんでもない変態だな」

 

 お義母さんは、まるで予想していたかのような笑みを浮かべ、お義父さんはやや呆れ気味に浩介くんを見つめていた。

 

「何とでも言え、優子ちゃんは俺の嫁だ!」

 

 義両親の反応に対して、浩介くんが堂々と胸を張りながら答える。

 あたしはというと、恥ずかしさに耐えきれず、顔を真っ赤にして手で顔を覆ってうつむいてしまった。

 

「ふう、でもま、これで浩介が浮気しそうにないことだけは分かったわ」

 

 お義母さんが安心した声でそう話す。

 そう、変態と言っても、対象が妻なうちは、むしろ華だと思ったほうがいいものね。

 

「だな」

 

 でも、解禁日はとんでもないことになりそうだわ。

 赤ちゃんの子育てに、家の家事に浩介くんの相手……うーん、きちんと職場に復帰できるのかしら?

 もしかしたら、あたしは蓬莱カンパニーの常務には戻れないかもしれないわね。

 まあ、株の配当金収入とかあるし、大丈夫だとは思うけど。

 

 あたしは、ふともう一度、配られた母子手帳を見た。

 そして、手帳の中に、役所の人に貰った、「お腹に赤ちゃんがいます」というキーホルダーも挟まっていた。

 これは、「マタニティマーク」っていうらしい。

 

「お、優子ちゃん、これが有名な?」

 

 浩介くんがキーホルダーを興味深そうに見つめている。

 もちろん浩介くんも、「お腹に赤ちゃんがいます」のキーホルダーは何度も見てきた。

 

「うん」

 

 優しそうに包み込む母親と、安らかに眠る赤ちゃんの絵は、あたしをとても癒してくれる。

 もちろん、まだ赤ちゃんは出来たばかり。

 それこそ体の基礎的な形成が始まったか否かでしかない。

 

「でさ、優子ちゃん」

 

「うん?」

 

 浩介くんが、今度はさっきより真面目そうな表情で話しかけてきた。

 

「安定期に入ったら、また出勤するのか?」

 

 そして、出てきた質問も同じだった。

 今あたしの業務は、余呉さんに引き継いで貰っている。

 安定期に復帰することができれば、それだけ余呉さんの負担も減るはずだわ。

 

「うん、このマークも貰ったし、つわりも徐々に収まってるから、明後日から会社に行く予定だわ。もちろん、時短にはなると思うけど、それでも休んじゃってるよりはマシだわ」

 

 正直、今貰っている役員報酬は、株式の配当金からすると、無視できるくらいに少ない。

 しかし蓬莱カンパニーには、和邇先輩のように、大株主ではない取締役もいて、彼らを満足させるくらいの報酬があれば十分なのだ。

 だから、あたしが仮に寿退職したとしても、この家の収入にとっては殆ど変わらない。

 あたしが株を持ち続けている限りは、収入はほぼ同じになる。

 今年の篠原家も、株の配当金で数千億円単位の収入が入ってくる。もちろん、世界長者番付も、TOP3は去年と同じ顔ぶれになるはずだわ。

 とはいえ、あたしは創業者だしノーベル賞受賞者でもあるので、完全に退職してしまうのも、世間が騒いでまずいと思っている。

 

「そうか? 永原先生みたいに相談役や顧問に退くっていう手もあるから、覚えておいてな」

 

「うん」

 

 その事は、あたしも想定はしている。

 以前のように働けなく鳴ったとしても、だからといって完全に退職までする必要はないものね。

 

「今度の6月の株主総会、優子ちゃん大変だと思うけど、出てくれよな」

 

「うん、分かってるわ」

 

 あたしが欠席すると、15%弱の欠席になる。

 もちろん、浩介くんや蓬莱教授、永原先生ら経営陣に、協会の取り分を合わせれば、まだ過半数は持っているけど、去年に比べれば格段に不安定な株主総会になってしまうことは避けられない。

 とにかく、あたしたちの体制を覆されるのだけは、最低後99年は、何としてでも避けなければいけない。

 

 浩介くんに株を譲渡することもできるけど、色々と手続きが面倒だし、やめておくことにしよう。

 

「ま、安定期だとは思うし、大丈夫だろ」

 

「そうね」

 

 妊娠したタイミングを考えると、たぶんあたしが赤ちゃんを産むのは9月頃になると思う。

 その間に、色々な困難が待ち受けていると思う。

 

「ふふ、じゃあそろそろご飯作り始めるわね。優子ちゃんは、まだ休んでていいわよ」

 

「「はーい」」

 

 お義母さんが、ご飯を作る。

 最近では、2階の石山家とも調整し、ご飯の担当を分業制にしはじめることを始めていた。

 そのため、頻繁にキッチンではエレベーターが行き来していた。

 こういうあたり、二世帯住宅は便利よね。あ、でもこんな設備あるのは豪邸くらいよね。

 

「ねえあなた」

 

「うん?」

 

 あたしは、ソファーで寝転がっていた浩介くんに話しかける。

 浩介くんは、何もせずにボーッとしていた。

 

「赤ちゃんの名前、考えておいてね」

 

「うーん、今から?」

 

 浩介くんは、悩ましい顔をしていた。

 確かに、まだ気が早いとは思っている。多分、男の子か女の子かも分からない状態だから。

 

「だって、この後赤ちゃんお腹の中で動くのよ」

 

 胎動のことはあたしもよく知っている。

 赤ちゃんがお腹を蹴ったりするのは痛いけど、幸子さんによれば、母親としての母性が、これまで以上に沸いてくるのだという。

 

「うーん、そう言われてもなあ……男の子か女の子かって、産んだときに分かるのも嬉しいんじゃない?」

 

 浩介くんが面白いことを話す。

 男の子が産まれるか女の子が産まれるかは、最近では出産前から分かることだという。

 でも、敢えてそれを告げないという手を取る親もいる。

 

「ま、それはほら、その時に赤ちゃんが大きくなってから考えた方がいいんじゃね? 今は男女も分からないんだし」

 

「う、うん……」

 

 赤ちゃんのことを考えると、どうしても気が早くなって先へ先へとなってしまう。

 どちらにしても、体が出来て、元気になってくれるといいわね。

 

「慌てすぎもよくねえぜ。お腹の中の赤ちゃんは、俺の赤ちゃんでもあるんだから、さ」

 

「うん、そうよね」

 

 浩介くんが何気なく言った一言、それはとっても大切な言葉だった。

 

「浩介くんの赤ちゃん……浩介くんの赤ちゃん……」

 

 浩介くんが部屋を出た後、あたしはうわ言のように浩介くんが言っていたことを繰り返す。

 今までは、赤ちゃんを守ろうとするあまり独りよがりになっていたこともあった。

 それに気付かせてくれたのは、浩介くんの言葉だった。

 

 あたしは、こうやってお腹の中で、つわりを経験したり、あるいはこれから実際にお腹が大きくなったり、赤ちゃんにお腹を蹴られたりする。

 

 でも、浩介くんは、赤ちゃんを感じることができない。

 本当に育っているのかどうか、見守ることしかできない。

 よく考えたら、あたし以上に不安な気分を抱えていてもおかしくはない。

 あたしが吐きそうになっても、気分が悪くなっても、あるいはお腹が大きくなって赤ちゃんをお腹の中で感じても、その喜びも、苦しみも分かち合うことはできない。

 

 女性たちの多くが、女の子に産まれたことを喜んだ瞬間の筆頭に、出産の時の体験をあげている。

 痛みなんてすぐに忘れてしまい、また産みたくなるという女性も多い。

 それくらい、赤ちゃんを産んだ時の喜びと母性は大きい。

 何ヵ月も妊娠を続けるため、「やっと会えた」という感情が特に大きくなるらしい。

 

 赤ちゃんへの愛情、成長していく子供への愛情で押し潰されそうになる母親も多い。

 まだ妊娠初期のあたしでさえ、母性が止めどなくあふれでてきている。

 もちろん、あたしに母性が芽生え始めたのは今よりずっと昔、協会の正会員として、自殺寸前だった幸子さんを救ってから。

 でも、あの時の母性が、いや、今まで母性だと思っていたエピソードが母性ではないと思えてくるくらいに、今は母性で満たされてきている。

 

 あたしだけの赤ちゃんではない。

 浩介くんと作った赤ちゃんだから、そういう意味でも、あたしは責任感を改めて感じるようになった。

 さ、今日もたくさんいいものを食べて、赤ちゃんをすくすく元気に育てなきゃ。


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