永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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初めてのメッセージ

「ただいまー」

 

「優子ちゃん、お帰りなさい」

 

 家に帰ると、妊娠前よりも多い量のご飯が待ち構えている。

 知っての通り、赤ちゃんはママからへその緒を伝って栄養を分けて貰っている。

 最初は結構苦しかったけど、ゆっくりと何度かに分割して食べると、よく食べられることが分かった。

 妊娠の過程が進むにつれて、赤ちゃんも大きくなって「大食い」になっていく。

 妊婦であるあたしも、出産時に向けて、赤ちゃんに負担をかけずに体力をつけるためにも、「食べる」ことは重要になってくる。

 食品の質も変わってきて、これは安土先生のアドバイスでもある。

 

「いただきまーす」

 

 今は赤ちゃんへの栄養ということで、特にバランスが考えられた食事になっている。

 

「育児についても、そろそろ相談しないといけないわね。ここはお世辞にも『普通の家庭』とは言えないもの」

 

 つい去年までは、『普通の家』に住んでいたけどね。

 本当、世の中って分からないわね。

 

「ええ、でも今は産むことで精一杯だわ」

 

「やっぱり? でも、産まれたらすぐに育児が始まるのよ」

 

「分かってるわ」

 

 あたしは何となく、育児についての不安は感じていなかった。

 今後、「妊娠前検査」も盛んになってくる。

 これは、ダウン症やその他の「異常な赤ちゃん」の事前検査を行うというもので、特にダウン症が判明すると9割以上の母親が中絶を選択すると言う。

 一時期は高齢出産の増加で問題になっていたけど、蓬莱の薬のお陰でそうしたことは減少していくと予想されている。

 特にあたしたちTS病の場合、実年例はともかく、肉体的な年齢はTS病になった年齢のままなので、あたしとしては16-7歳で妊娠しているようなもの。

 生物学的には、とても健康な赤ちゃんを産むことができるのよね。

 

「とにかく、頑張りなさい。私たちの頃よりも、医学はずっと進歩しているわ」

 

「ええ」

 

 あたしは、赤ちゃんの分と自分の分をきちんと考えながら食事を進めた。

 

 

「それでは事前の検査をしますね」

 

 安土先生や病院側の都合もあって、検査は4月の始めになった。

 新しい年度ということもあって結構忙しい時期だったけど仕方ないわね。

 あたしが今日する検査は、事前に赤ちゃんに遺伝子異常が無いかどうか調べる検査で、エコー写真などだけでは分からない検査もある。

 主に、あたしの血液で検査するとか。

 

 

「はーい、これが今の赤ちゃんですよ、かわいいですねー!」

 

 また、より鮮明な写真を撮るためには、直接カメラを入れて赤ちゃんの様子を計測することもできる。

 この体制は恥ずかしいけど、医療機器の画面から鮮明に分かる赤ちゃんに、頭がくらくらしそうなくらいにかわいくてたまらなくなった。

 

 あたしの中で、着実に赤ちゃんが育っている。

 そう思うだけで、この子へのいとおしさが込み上げてくる。恥ずかしさなんてすぐに吹き飛んじゃう。毎日でも見ていたいわ。

 まだ顔は、しわくちゃでつぶれたような感じだけど、そうした未成熟なものに対するいとおしさはとても大きかった。

 

 

「ところで篠原さん、ここの病院には麻酔科医がいますので、『無痛分娩』を選択することもできます」

 

 検査が一通り終わると、今度は安土先生が聞き慣れない言葉を話してきた。

 確か、あたしが女の子になったばかりの頃に頻繁に聞いた言葉だったけど、あんまりいい報道のされ方じゃなかった気がするわ。

 

「うーん、昔聞いたことはあるんですけど、何だかあまりよくない印象だけ持っているわ」

 

 麻酔で痛みを軽減して産むことができるというものだけど、もちろんそうしたことをすると言うことはリスクだって当然あるということ。

 

「ええ、ですが医学は進歩していますから……高齢出産の方にはいいですけど、篠原さんは肉体的には10代後半ですからね」

 

「ええそうですね」

 

 しかも、TS病患者はとても安産の体質で知られている。

 つまり、わざわざ新しいことをするメリットは殆どない。

 

「選択は篠原さんの判断ですけど、事故のリスクもあるということを肝に命じておいてください」

 

「はい」

 

 これについては、幸子さんや比良さんと相談しようと思う。

 まあ、多分「やめておいた方がいい」って言われると思うけど。

 

「ああ、やめておいた方がいいわ」

 

 テレビ電話で、幸子さんが即答した。

 元々は、普通に産んでも色々とリスクの高い高齢出産の妊婦さん向けのもので、更に言えば脊髄を傷つける危険性などもあってTS病患者には元々推奨されていないらしい。

 TS病患者の場合、肉体年齢が若いことやみんなかなりの安産体質なのも大きいという。

 

「ものすごく単純に言えば、普通の出産にリスクのある過程を1つ増やすわけだもの。リスクがないわけないわ。重い障害を負ったり、母子ともに死んじゃったりもするわ」

 

 幸子さんが少し深刻そうな顔をする。

 あたしの場合、TS病患者たちの中でも特にその特徴が強い体質なので、特にしなくても良さそうね。

 

「うん、やめておくわ」

 

 TS病患者が出産時に死亡したりしたことはないし、ヒヤリハットの気配すらない。

 それだけ安産型なのだから、わざわざ新しいことをする必要性も薄いということ。

 

「うん、それがいいわ。お金もかかるし……って、優子さんには関係ないわね」

 

「あはは……」

 

 といっても、幸子さんも協会の正会員で、今は協会が持っている蓬莱カンパニーの株式から巨額の配当金を貰っているので、それを会員たちで分配してそれなりにお金には余裕があるんだけどね。

 

「それに」

 

 幸子さんが、にっこりと優しそうな目であたしを見つめてきた。

 やっぱりこうしてみると穏やかなお人形さんみたいよね。

 

「赤ちゃんを産んじゃえば、痛みなんてすぐに忘れちゃうわ。赤ちゃんがいとおしくなって、また産みたいって思えてくるの。女の子の本能よ」

 

「うん」

 

 痛みなんて忘れてしまう。

 あたしにはまだ完全に信じられない。母さんやお義母さんには、痛みの記憶はあるみたいだし。

 でも何故だろう? 幸子さんの言っているように、痛みを忘れてしまう人も一定数いるような気がしていた。

 多分、母性で溢れちゃうんだと思う。

 

「ありがとう幸子さん」

 

「うん」

 

 あたしはテレビ電話を切ると、赤ちゃんに負担をかけないようにゆっくりとベッドに腰をかけて横になって安静にする。

 お腹が少しずつ少しずつ膨らんでいく。

 出産前になれば、お腹回りはあたしの胸くらいに膨らむ場合もあるという。

 どのくらい大きくなるかはまだ分からないけど、あたしにとっては怖くない。

 それよりも不安と期待があるのは、赤ちゃんがお腹を蹴る、いわゆる「胎動」だった。

 あたしのお腹の中で赤ちゃんが動いているのを感じた時に、ただでさえ押し潰されそうなくらいに溢れている母性がどうなっちゃうのか心配だった。

 幸子さんも、初めて赤ちゃんがお腹を蹴ったときには涙が出たという。

 

 何度も何度もお腹を蹴られると痛いけど、「生きた命なんだ」って知ることが出来るから、とても母性が育まれるとのことだった。

 赤ちゃんがエコーの中で、上下に回転したり、指をしゃぶっていたりしていたのは、エコーでも見た。

 でもこれからは、もっと激しく赤ちゃんがお腹を蹴ったりする見たいで、今から期待と不安が入り交じっているのよね。

 

「ふう」

 

 意味もなく、手を天井に持ち上げて開く。

 しばらくぶら下げると、自然と腕がだらりと下がってくる。

 

 あたしの中で、別のことを考えるようになった。

 最近、ちょっとだけお腹がぐるぐるすることがある。

 胎動なのかは分からないけど、3月になってそろそろ動き出す時なのかもしれないわ。

 後日あたしは、安土先生に「普通分娩」を選択すると伝えた。

 

 

 妊娠して初めての結婚記念日は、とても楽しかった。

 新しい豪邸になって初めての結婚記念日で、でもいつものように、妊婦として赤ちゃんを第一に考えることを心がけた。

 いつもはろうそくを燃やしながら、思い思いにちょっと贅沢なお料理を振る舞うんだけど、もう普段から食事は贅沢なものになっちゃってたし(だからたまに食べる大衆向けのジャンクフードはとても美味しい)、おばあさんも含め赤ちゃんの話題で盛り上がった。

 

 もはやあたしにとって、赤ちゃんのことが完全に第一になった。

 会社の社員からは、「ストレスになってない?」と聞かれることもあったけど、今のあたしなら自信をもって、「赤ちゃんの負担になることをする方がストレスになる」と言いきれるわ。

 まだ顔も、姿形も分からない赤ちゃんへの愛情は、ますます強くなるばかりだった。

 おばあさんもおばあさんで、妊娠発覚前が嘘のように元気になっていった。

 特にエコー写真を見た時には、あたしを除けば、家族でも一番興奮している様子だった。

 お義母さんたちは「おばあさんに元気が戻ってよかったわ」と安堵の声をあげていたけど、あたしは何となく、おばあさんはこの赤ちゃんが産まれるまでの命なんじゃないかと思えてくる。

 何故かは分からない。でも、この新しい命が誕生するまでの時間は、古い命が死ぬまでの時間にも感じていた。

 もちろん、産まれたその日に死んじゃうってことはないとは思うけどね。

 

 

 4月の土曜日、あたしはいつものように朝起きて歯を磨く。

 妊娠中はお風呂にも気を付けないといけない。

 特に滑りやすそうな部分は近付くのも厳禁で、湯船に入ることさえ今後は難しくなっていく。

 お腹が大きくなり、赤ちゃんが成長することで、妊婦も体の重心が変わってバランス感覚も通用しなくなるからだ。

 ふとお腹を見る。

 胸が邪魔で、あたしのお腹がよく見えないわ。

 もちろん鏡越しには、もうすっかり目で分かる位に大きくなったのが分かるし、仰向けになって胸を少し動かせば見えるけど、あたしは生まれて初めて、自分のとても大きな胸を恨めしく思ってしまった。

 あたしは、今日の自分の担当家事である「洗濯物」を取り出し、それぞれの人別に分けて部屋の前の小さな机に置いておく。

 あたし自身の服は、あたしが部屋に持ち帰ってクローゼットや箪笥に入れていく。

 妊婦になったことで、これからお腹回りの大きな服を着ないと行けなくなる。

 あたしの場合は特に胸も巨大なので、ワンピースを着るときには前後でスカート丈の異なるものを着ておかないといけない。

 

 その他にも、お腹が大きくなってきた妊婦向けの服があるので、今のうちに追加で購入しておく必要がありそうね。

 あたしは、今日の服を選ぶ。

 昨日から着ていたパジャマと下着を脱いで鏡の前に立つ。

 やっぱり、お腹が膨らんでいた。少しずつだけど、着実に赤ちゃんが大きく成長していくのが見てとれた。

 あたしは、そのまま服を選んで、いつものようにお義母さんからの呼び出しと共に、朝食を食べにリビングルームへと向かった。

 

 

「おはよう」

 

「あら? 優子ちゃんおはよう。ご飯できているわよ」

 

 お義母さんが、今日も妊婦のあたしにだけ、別の食事を提供してくれている。

 あたしも本当はもっと家事をするつもりなんだけど、出産を控えてあたしの担当分は減らされている。

 軽い運動という意味で、妊娠中も家事が無くなることはないとはいえ、減らされているため、休日には暇な時間がどうしても増えてしまうのよね。

 

「うん、ありがとう……浩介くんもおはよう」

 

「おう、おはよう」

 

 浩介くんも、にっこりと優しそうな表情であたしを見つめていた。

 浩介くんは、毎日のようにあの部屋に通っている。

 妊娠中はもちろん、赤ちゃんのことを考えてご無沙汰になるわけだけど、浩介くんにとってはちょっと憂鬱な気分もある。

 それでも、浩介くんはこの間をずっとあたしで乗りきっているみたいでよかったわ。

 

「それでね、あなた──」

 

  トンッ

 

「んっ……!」

 

 あたしのお腹が、内側から打ち付けられたような鈍い痛みを感じた。

 

「優子ちゃんどうしたの?」

 

 真っ先に反応したのがお義母さんだった。

 

「うん、今ちょっと、お腹が蹴られたような……」

 

「赤ちゃんが動いているのよ」

 

「うん、そうよね」

 

  コンコン

 

 そして今度は、お腹の赤ちゃんの手が、あたしのお腹をノックするように叩いてくる。

 あたしの視界が急速に潤んで、前が見えなくなった。

 

「あ……れ……?」

 

「優子ちゃん……」

 

 また、まただわ。あたし、涙が止まらないわ。

 初めてお医者さんに行ったときは、まだほんの小さな小さな命だったのに、今はこうして動いて、あたしにも分かるくらいはっきりと動くのが分かって──

 

「うっ……」

 

  ゴシゴシ

 

 何とか涙を拭き、家族と向き合う。

 お腹の中の赤ちゃんは、この家族の赤ちゃんでもある。

 あたしだけの赤ちゃんじゃないと、理屈では分かっていても、なかなか止められない。

 また母性に押し潰されそうになる。

 お腹の赤ちゃんが、かわいくてかわいくて仕方がない。

 小さな命が、あたしの中にもう1つの命があるんだって。

 母親の気持ちが、母性本能がいやというほど溢れていく。

 

「優子ちゃん、これからどんどん赤ちゃんは大きく、活発になっていくわ。これからは赤ちゃんも耳が聞こえるようになって、優子ちゃんの生活音や話し声を聞くようになるわよ」

 

「お腹の中だと、みんな聞こえちゃうわよね」

 

「そうよ? 泣いてばかりいると、赤ちゃんにも影響を及ぼす可能性があるわ」

 

 お義母さんがあたしに警告してくれる。

 あたしたちの会話や話し声を聞くことで、日本語を覚えたりもするし、赤ちゃんの鋭い感受性から、ママの今の心を読んだりもできちゃうらしい。

 つまるあたしにできることは──

 

「このかわいい赤ちゃんに、ありったけの愛情を注いであげないといけないわね」

 

「ええ、そういうことよ」

 

  トンッ

 

「あいたっ、もーかわいいわね」

 

 また赤ちゃんが、あたしのお腹を蹴ってきた。

 

「痛そうだなー」

 

 浩介くんも、そんなあたしの様子を見て、優しそうに微笑んでいた。

 でも、浩介くんだって不安に違いない。

 妊娠に伴う痛みも喜びも、何も分からないのだから。

 

「元気があっていいわよ。苦しかったからこそ、この喜びも大きいわ」

 

「ふふ、優子ちゃんの言う通りね」

 

 お義母さんも、きっとこんな感じで浩介くんを産んでくれたんだと思う。

 

「うー、俺たち男には全く分からん」

 

「うんうん」

 

 一方で、浩介くんとお義父さんは、ちょっと浮かない顔をしていた。

 よく、「自分達が苦しんだのだからお前たちも苦しめ」という理論は、巷で溢れる思想の中でも最悪の部類だといわれる。

 この思想のせいで悪習を断ち切れず、何の生産性もないものだと。

 もちろん、無意味にこうしたことを言うのは問題だろうけど、一方で浩介くんは「何も苦しむことができない」、つまり誰かが感じている苦しみを全く分かち合えず、完全に苦しみや痛みを覚えられないのも、また健全とは言えないのじゃないかとあたしは思えてくる。

 

 妊娠や出産が「女性の最大の特権」と言われている理由は、これらを全て独占できることにあるとあたしは思う。

 今こうして赤ちゃんがあたしの中で動き、自分の中に生命の息吹を感じられるのも、浩介くんはあたし越しにしか知ることはできない。

 妊婦に辛く当たる人は今でもいる。

 でももしかしたら、それは「無理解」ではなく、「妬み」からなんじゃないかとさえ、今は思う。

 

 あたしには、母親のことは分かっても、父親のことは分からない。

 女の子になった時に、父性というものに全く鈍感だったせいだと思う。

 父性が芽生えないまま女の子になったことで、あたしには母性だけが残った。

 

 もし父性があって、その知識を持ったまま優子になっていたら、「優一の知識」は、この赤ちゃんをどう思ったんだろう?

 その答えは、永遠に分かる日は来ないだろう。

 

「さ、優子ちゃん、胎動を感じたこと、きちんと記録しておくのよ」

 

「分かってるわ」

 

 食事をし終わったら、あたしはまた自分の部屋へ。

 安土先生に持っていくためにも、今日初めてお腹の赤ちゃんに蹴られたことを記録しないといけない。

 

  トンッ

 

「いたっ……もう、やんちゃね」

 

 元気一杯な赤ちゃんが生まれてくれれば、あたしはとっても嬉しいと思う。

 この後もっと赤ちゃんは大きくなっていき、出産に至ることになる。

 結局、妊娠の推定日は12月11日、これは日本時間なので、つまりあの授賞式の夜と言われた。

 妊娠から出産の日までを考えると、そろそろ折り返し地点に来たという感じかしら?

 

「ふう」

 

 リクライニングの効いた椅子に安静に腰かける。

 そして、あたしは穏やかな癒し系の音楽を聞くことにした。

 

 心が、洗われていく。

 赤ちゃんは相変わらずたまに動いていて、よくよく考えると、数日前から胎動のようなものがあったことに気付かされた。

 

 これから数ヶ月の間は、赤ちゃんが動き、また母親を通して会話なども赤ちゃんに聞こえてしまう。

 だから今は、より一層赤ちゃんを気遣ってあげないといけない。

 お腹の外の世界は厳しいことばかりだ。

 あたしは幸せな生活を遅れているけど、そんな人ばかりではない。

 この子だって、生まれてからは色々な困難にぶち当たると思う。

 だからせめて今だけ、あたしのお腹の中のゆりかごにいるときくらいは、幸せに暮らして欲しかった。


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