永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
「じゃあ、行ってくるわね」
「気を付けてねー」
いよいよ歴も8月になって、あたしはついに出産直前の「臨月」と呼ばれる状態になった。
胎動は少なくなって、いよいよ赤ちゃんも出産に備えていることが分かる。
そしてあたしは、安土先生のいる総合病院へと向かった。
小谷学園の最寄り駅で、あたしが女の子になった時に初めて目が覚めた場所でもある。
電車はいつものように動いていて、あたしも空いた座席に座る。
「この電車は──」
あたしは、口では言い表せない複雑な感情があった。
女の子としてのあたしは、あの病院で「産まれた」ようなものだった。
もちろん、男としての人生経験もあるから、完全に1からスタートというわけではなかったけど……何だろう、まるで親元に成長して戻ったような気もするし、それこそ「女としての優子」の人生はむしろこれから始まるような、そんな気もしていた。
もちろん、車内の乗客は、あたしのことは気にも止めない。
普段からテレビに出ている芸能人や有名政治家というわけではなくなったので、世間はあたしのことをすっかり忘れていた。
ただ、目につくのは相変わらずの男たちの胸への視線と、更に出産直前の妊婦だからか、お腹への視線もすごい。
臨月ということで、もういつ産まれてもおかしくない状況ではあるけど、まだ臨月になったばかりなので、今生まれたら早産になることも確かだった。
「間もなく発車いたします。閉まるドアにご注意ください」
ピンポーンピンポーン!
車内放送とともに、電車が発車する。あたしは、懐かしくも11年前より少しだけ変わった風景を見ながら、昔の日々をまた思い出した。
妊娠をしてから、あたしは本当に変わってしまった。
最近では、昔を思い出すことが増えた。後ろ向きになったと言えば聞こえが悪いけど、でも実際、そんな風に見られても仕方ない状態だとは思う。
優一時代と比べて変わったとはよく言われるけど、今ではもう、ノーベル賞を受賞したあの時でさえ、あたしによく似た別人だったんじゃないかと思う。
電車はまた、かつて実家があった場所の最寄り駅に到着した。
降りてみたい衝動に掻き立てられる。今の石山家と木ノ本家はどうなっているのかも気になるわ。
いや、今は桂子ちゃんもJAXAに勤務してて、達也さんと結婚して別の家にいることは分かっている。
石山家のあった土地も、建物はそのままに、今は別の家族が中古物件として家に使っている。
篠原家のあった場所も、同じようなことになっている。
だからもう、あの駅付近には、あたしたちの痕跡はほとんど無くなってしまっているのよね。
「変わるわよね……」
時が経てば景色が変わるなんて、当たり前と言えば当たり前のことだった。東京だって、他の街だって、みんなそう。永原先生が生きてた時代にあった建物なんて、もう歴史的建造物でもない限り残っていない。
このあたりの街だって、変わっていないのは、小谷学園と佐和山大学くらいで、小谷学園にはあたしたちの記念館と、数年前には恵美ちゃんの銅像が新しくできているし、あたしが知らないだけで、学校内のいくつかの建物は補修されているかもしれない。
「次は──」
あたしは、小谷学園の最寄り駅に向かい、そこから懐かしい通学路を進んで病院へと向かった。
「すみません、予約した篠原です」
「はい」
最上階にある一番高い個室に、あたしは入ることになっている。
そこは整備も行き届いているし、富裕層向けなので他の患者さんと鉢合わせになることも基本的には無いように工夫されている。
あたしはお金持ちなので、入院期間も長い。
そして──
「お待ちしておりました。さ、篠原さん行きますよ」
「はい、今日からお世話になります」
安土先生が、あたしを直接迎えてくれた。
病院の構造は、建物はともかく、内装などの間取りやサービスはあたしが女の子になったばかりの頃とほとんど変わっていない。
連絡通路やスカイブリッジで、入院棟は分けられている。こっちに入るのは、あたしも女の子になった最初の日以来だった。
確かあたしがあの時入院していたのは4階だったかしら?
うーん、そういうことまで覚えてなくてもいいわよね。
エレベーターに乗り込むと、安土先生が「R」の下にある一番高い階の数字を押した。
「ドアが締まります」
機械音声とともにドアが締まり、エレベーターがゆっくりと上り始めた。
このエレベーターは病院のもので広く、急患にも対応できるようになっている。ちなみに、非常時には患者優先となっている。
「そういえば、篠原さんって、この病院で女性になったんですって?」
エレベーターが閉まると、安土先生がいきなりあたしの過去のことを話してきた。
「え? 安土先生がどうして!?」
年齢的にも、またこの病院の規模からしても、安土先生があたしのことを知っているとは思わなかったのに。
「あら? 噂は本当だったのね」
「え?」
会話中にエレベーターのドアが開き、あたしたちは一旦会話を中断してドアから降りることに専念する。
「いやあね、院内でひっそりと語り継がれている噂なのよ。11年前のあの日、後にノーベル賞学者になる篠原優子さんがここに運ばれてきたって。そしてあなた、黙っていましたけどやっぱり『あの』篠原優子さんなのですね」
篠原も優子も、よくある名字と名前だから、同姓同名だと思っても不思議ではない。
それでも、この頭の白いリボンや、大きな胸と長い黒髪で、とっくに気付かれていると思っていた。
「こちらです」
安土先生が病院の部屋の鍵を取り出して開け、中へと通してくれる。
「おー」
中は結構豪華だった。
ベッドはあたしが普段使っているのと同じくらいの広さで、日当たりもよくまた分娩台も置かれている。
更に個室のトイレに個室のお風呂、洗面台に小さなキッチンもあって、ベッドには机つきでノートパソコンも完備されていた。
少なくとも、11年前にあたしが最初に入院した時の部屋と比べれば、比べるまでもない。
「では、本日から入院手続きに入りますね。今はまだ臨月といっても安定してますけど、数日後にはすぐに妊娠末期の症状が出ますので覚悟しておいてください」
一通り見終わってあたしがベッドに腰掛けると安土先生も近くの椅子に腰掛けてあたしに注意をしてくれる。
「はい」
「それでは、私はこれで失礼いたします。何かございましたらいつでも『ナースコール』をお呼びください。VIPルームは24時間最優先で駆けつけます。もし急ぎでない場合はこちらのボタンです」
どうやら、ナースコールにも2種類あるみたいね。
「ありがとうございます」
安土先生が部屋の外に出ていき、この部屋にはあたし1人となった。
「あら?」
ベッドに向かい、壁を見ると、そこにはあたしが着ていた小谷学園の女子制服と、そしてあたしが貰ったノーベル賞メダルのレプリカが掲げられていた。
机をよく見ると、置き手紙と思われる1枚の手紙と、小谷学園の卒業証書と卒業アルバム、佐和山大学と大学院での学位証が、それぞれ置いてあった。
「優子ちゃんへ
思い出の品を優子ちゃんの病室に送りました。
思い出の写真も、パソコンの中にあるよ。
入院生活、出産、俺は見守ることしかできないけど、優子ちゃんの助けになると思って、辛いと思ったらこの『始まりの場所』で思い出をめぐってみてね。
愛する夫、篠原浩介より」
「ふふっ」
どうやら、これらは浩介くんが送ったものらしい。
あたしは早速ベッドに入るとパソコンを立ち上げることにした。
「……これ……」
パソコンの中には、「思い出写真」のフォルダがあった。
ダブルクリックして開いてみると、何枚もの写真があった。
「これは……」
忘れかけていることもあった。
そのフォルダはあたしが女の子になったばかりの時に生徒手帳に張ってあった、女の子としてのあたしを記録した一番古い写真から始まっていた。
そして、学校行事の写真、最初の球技大会での様子も、撮影されていた。
そして、林間学校でのあたしの姿もあった。懐かしいクラスメイトたちの顔が浮かんでくる。
あたしが浩介くんにおんぶして貰った山登り、頂上でにっこりとお弁当を食べるあたしの姿もあった。
写真を見て、あたしは長く記憶の奥底に眠っていたあの時の山の絶景、そしてあの時のかっこいい浩介くんを思い出した。
「もしかしたら、恋心を抱いたのって、この時だったのかしら? あーん、素敵だわ」
浩介くんも写っていて、あたしはまた、浩介くんに恋をした。
最近は赤ちゃんのことも多く、浩介くんまで手が回らないこともあった。
でも、浩介くんは責任感が強くて、だから自分で処理する時も、あたしを選んでくれた。
「ふふっ」
林間学校でのバーベキューに、小さな花火大会、そして帰りのバス。
永原先生と3人で行った史跡巡りは、残念ながら写真には残っていなかった。
代わりに、別の場所から持ってきたと思われるあの場所の写真が入れられていた。
「あははっ」
浩介くんが「真田幸村像」の写真のタイトルを「永原先生お怒りの銅像」と名前をつけていて、深くにもちょっと笑ってしまった。
新幹線の写真には浩介くんのコメントが添えられていて、「この新幹線で、優子ちゃんと俺は初めてグランクラスに乗った」と書かれていた。
あの時に永原先生が話してくれた秘密も、今は世間みんなが知っていた。
林間学校の思い出の写真の次は夏の海と夏祭りの写真、海での写真は残っていなかったのか、あたしたちは写っておらず、やっぱり「イメージ」になっていた。
夏祭りの方は、お化け屋敷は外観のみで、盆踊りの写真もあたしたちはうっすらと写っているだけだった。
でも、永原先生が着ていた「吉良の着物」の写真もあって、あたしたちがその出来事を思い出すのには十分だった。
11年前の夏の頃と言えば、あたしが心と身体の解離で悩んだ時でもある。
今思えば、先を急ぎすぎたと思えるけど、あの時の辛い日々は、今はもうない。
秋のあたしたちのデートや、水族館でのことは写真にはなく、その次にあったのは文化祭での写真だった。
そこには制服姿の永原先生や、メイド服姿の永原先生、メイド服姿のあたしに、更に多かったのはミスコンでの写真だった。
あたしはミスコンで優勝していて、浩介くんによれば、「この時俺は優子ちゃんの彼氏になりたいという気持ちが、よりいっそう強くなり、そしてそのまま結婚も意識し始めた」とのことだった。
後夜祭での告白の写真は、もちろん残っていない。だから夜の無人の中庭の写真で代用されている。でも、それを見なくても、あの時の記憶はあたしの中で今も眠り続けている。
そして文化祭の次の体育祭の思い出の写真があった。その中には玉入れの写真があって、あたしが大泣きしちゃったことを思い出して恥ずかしくなった。
浩介くんが活躍する場面も、しっかり写っていた。
一方で、直接な関係はなかったのか、幸子さんとの思い出に関しては写真はなかった。
クリスマスでの天体観測の写真も入っていた。
坂田部長も、今は蓬莱カンパニーの顧客になっている。そう言えばこの日の蓬莱教授の発表が、全てを変えたのよね。
そして1月の新年の最初の初詣は、神社の画像になっていた。
住居が変わり、初詣の神社が明治神宮になったことで、あの神社にはご無沙汰することになった。
そう言えば、あの場には蓬莱教授もいたんだっけ?
スキー合宿では、永原先生とあたしたちが子供たちと一緒に初心者向けのスキー教室に通ったり、浩介くんが上級者コースから滑る様子も写っていた。
あのホテルは、今は新しくリニューアル開業していて、久しく、この写真も今となっては貴重な写真よね。
最後の家族風呂に入ったのが、あたしと浩介くんが初めて一緒にお風呂に入った時でもあるのよね。
今思えば、終わりかけのホテルに泊まれたのも、いい思い出よね。
もちろん、思い出の遊園地デートも写真にはない。
あたしたちは、あまり写真に残さないタイプで、今思うとちょっとだけ勿体無かったかもしれないわ。
ただ、浩介くんにスマホで撮った遊園地の写真はいくつか残っていて、お化け屋敷や観覧車からの眺めを撮った写真だけでも、あの時を思い出すのには苦労しなかった。
「懐かしいわ」
あの時の浩介くんの言葉は今でも思い出す。
今、その約束は果たせている。
あたしが女の子になって1周年のパーティーの写真には、クラスの女子や浩介くんのみならず、幸子さんの写真もあった。
「クラスのみんなはどうしているかしら?」
あたしの調べだと、今年で小谷学園のクラスメイトたちは全員が蓬莱の薬を飲めたことは確認している。
何故なら、全員が「高校時代に同級生だった」と名乗ったから。
でも、どんな仕事をして、どんな風になっているかは分からない。
例のSNSは残ってはいるけど、1年以上誰も書き込んでいなかった。
更に、6月に行われた球技大会の写真は、たくさん残っていた。
浩介くんと恵美ちゃんのテニスの試合、恵美ちゃんが泣いているところは、省かれていた。
あの試合は、今ではあたしのスピーチもあってよく知られている。
結果的には、フェミニストにとってかなり都合に悪い試合なのか、あの試合の存在が世界に知られるようになってからは、海外でもようやくフェミニズムの欺瞞に気付き始めたらしい。
そして次にあったのは修学旅行の写真、ここでも浩介くんと2人きりの時の写真はほぼなく、鉄道博物館の写真が中心だった。
ただ浩介くんは、「思い出は、はっきり残っている」として、当時の様子を記録していた。
それはあたしの記憶とも、完全に一致していた。
そして、一番忘れられないのが、あたしたちが恋人から婚約者になったあの文化祭、桂子ちゃんのミスコンの写真も含め、色々あったけど、特に多かったのがあたしたちにの公開プロポーズの様子だった。
全校生徒と先生たちがあたしたちを歓迎してくれた。
記念館にもそのことは展示されていて、あたしたちの幸せの象徴になっていた。
また、あたしたちは知らなかったけど、小谷学園では、あたしたちを記念して後夜祭で好きな女の子に告白するイベントができたんだとか。
さすがに、「元祖」のあたしたちのように「プロポーズ」までしたカップルはまだいないみたいだけど。
そして、3年の体育祭の写真は、やっぱり浩介くんの活躍が中心に撮影されていた。
更に卒業間際に永原先生が生徒になったのも、制服姿の永原先生の写真で代用されていた。
そして忘れもしない卒業式の写真、卒業証書を校長先生から受けとるあたしの姿が、石山優子としての最後の写真だった。
卒業式と同じ日に、結婚式があって、そちらの写真はさすがに数が多かった。
「きれいね」
自分でもそう思ってしまうくらい、花嫁はきれいだった。
出席者との間での集合写真や、また新婚旅行に向かうあたしたちの後ろ姿を写した写真もあった。
撮影者は……多分母さんね。
新婚旅行は、あたしたちよりもやはり風景が多くて、それでも当時の情景の想像には支障はない。
これも、姿が変わっていないあたしたちならではなのかもしれないわね。
そして、あたしたちが結婚してからの思い出の写真が続いていく。
ゴールデンウィークの写真や、家族旅行、東京オリンピックでの写真に、浩介くんと2人で富山に行った写真もあった。
でも、どれも小谷学園の思い出写真よりは重点はおかれていなかった。
それはやはり、あたしに「原点」に戻ってほしいという浩介くんの配慮からかもしれない。
それでも、あたしたちが会社を立ち上げた時や、初めての株式上場日、そしてノーベル賞の授賞式や晩餐会は、写真豊富だった。
ノーベル賞の晩餐会でさえ、今は遠い昔のようだった。
「あ……」
そして最後の一枚は、あたしの赤ちゃんのエコー写真だった。
「あたしの思い出……かあ」
これまでにあったこと、そしてこれから起きること、あたしはもう一度、フォルダの最初の写真に戻る。
相変わらず、生徒手帳にやや真顔で写るあたしの顔が入っていた。
「ふふ、変わらないわね」
こうして11年も経つと、クラスメイトだって顔つきや体型など様々に変わっている。
蓬莱の薬を早めに飲んだ桂子ちゃんや恵美ちゃん、あるいは浩介くんでさえ、「完全不老の薬」が出来る前にほんの僅かに老化が進行していたために少し変わっているのに、この写真に写っているTS病の人たちはそんな気配が全くない。
永原先生たちはもちろん、幸子さんも、歩美さんもだった。
「でも」
あたしは、お腹がすっかり大きくなって、外からでも目で見て分かる位に激しく動く赤ちゃんを見る。
「本当に、元気になったわよね」
そろそろ、赤ちゃんもお腹から出る練習をし始めている。
いつまでも、お腹の中では育てるわけにはいかない。
また、早く会いたいという気持ちと、ずっとこのままがいいという気持ちでせめぎあう。
出産した後も、子供はどんどんと大きくなる。
そしていつかは、巣立つ時がくるんだと思う。
「何だかなあー」
遠い過去のことを振り返ったかと思えば、お腹の赤ちゃんが巣立つような、そんな遠い未来のことまで考えてしまう。
妊娠中は、色々と性格が変わったりする人も多いという。
あたしも、性格はともかく、色々なことが、妊娠をきっかけに変わっていったと思う。
お腹の赤ちゃんのことが、もっと気になっていく。
「無事に、生まれてくれるかしら?」
ともあれ今は、その心配だけしていきたいと思う。