永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件 作:名無し野ハゲ豚
トンッ
「いたっ」
「あら? 大丈夫ですか?」
病室に入り解散しようとした矢先、あたしが突然赤ちゃんに蹴られた痛みを訴えたため、付き添ってくれた病院の人があたしに声をかけてくれる。
とはいえ、よくあることだと思うので、さほど深刻そうな顔はしていない。
「ええ……んもうっ本当に暴れん坊だわこの子」
こうやって話している間にも、赤ちゃんがまたあたしのお腹を蹴った。
一時期よりは少なくなったとは言え、それでもやっぱりまだまだ蹴られることは多い。
「ふふ、赤ちゃんはお外に出たときのために色々と準備をしているのよ」
「ええ、分かってるわ」
他にも、赤ちゃんはお腹の中でおしっこもしていることも習った。
お腹の中は羊水で満たされていて、口から羊水を飲み込み、胃も羊水で満たされ、おしっことなって出ていく。
おしっこはまた成分が分解されて新しく羊水になっていく。
そして赤ちゃんがこうしてお腹を蹴るのも、手足を動かす運動の一環になっている。
お腹の中の赤ちゃんは、十分に体が出来た後は兎にも角にも新しい生活に向けての準備をしなきゃいけない。
「ふふ、赤ちゃんが元気すぎると、夜は眠れないですよね」
「はい、早く会いたくもあるような、そうでないような」
確かに、最近は「かわいい」というより、ちょっと暴れすぎって思うことも多い。
それでも、あたしの中の赤ちゃんへの母性は揺るがない。
入院前の一時期に比べれば胎動も減っているし、あたしがもうすぐ出産なことには代わりはない。
ただ、こうして胎動を感じる度に、「早く会いたい」という気持ちと、「ずっとお腹の中にいて欲しい」という二律背反の気持ちが強まっていく。
「篠原さん、とても母性が強い方ですね」
「ええ」
あたしの母性が強いという話は、あたしも何度となく受けてきた。
「篠原さんには信じられないかもしれないですけど、お母さんの中には母性が無い、赤ちゃんがかわいくない、産まれてきても『あらぶちゃいく』って思っちゃう人もいるのよ」
その話は以前にも聞いたことがあるし、母性について調べていくとどうしても話題に出てくる。
でもあたしには、どうしてもそれは理解できなかった。
今のあたしには、あたしのお腹の中から産まれた赤ちゃんには、無限の愛を無条件に注ぎ込むのが当然としか思えて来ない。
児童を虐待する母親がなぜ存在するのかという問いに答えるのは、あたしにとってはノーベル賞を取るより難しいと思うわ。
「あたし、そんな人を同じ女性と認めたくありません」
だからあたしはこう言うことを言ってしまう。
もしかしたら、一部の女性には物凄く残酷な物言いになってしまっていると知りながらも。言わずにはいられない。
「そうね。でも、あなたみたいに母性の強いママだけじゃないのよ。産まれてから少しずつ、母性を育むママもいるのよ」
病院の人の、諭すような物言いだった。
独りよがりになってしまっているという自覚はあった。
それでも、あたしは自分の思いを制御できない。こんなのは、産まれてはじめてのことだわ。
「そうなのね」
もしかしたら、そうした母性が無い母親が、我の強い母親が、虐待を起こすのかもしれないのかもしれないわ。
赤ちゃんを妊娠して、あたしはとてもよく分かった。
子供のために、大人は我慢するべきなんだって。
大人のために子供が我慢するようでは、子供も大人になってわがままになり、次世代がどんどんと堕落していくから。
もちろん浩介くんとも離婚はしないし、赤ちゃんを絶対に不幸にはしたくないわ。
「本当にひどい家庭で育つと、子供もひどくなっていくのよ。篠原さんは恵まれて、いえ恵まれ過ぎているわ」
病院の人の視界の先には、あたしが貰ったノーベル賞のメダルのレプリカがあった。
更にその隣には、今年の世界長者番付のコピーも貼ってある。2位と3位の所にあたしと浩介くんの名前、そして日本円で20兆を超す資産額が記されていた。
その2つを病院の壁に貼り付けたのも、あたしが富と名声に恵まれすぎているのを自覚してほしいからだと思う。
そこには、蓬莱教授とあたしたち夫婦の名前、更に永原先生の所にもマーカーがしてあった。
小谷学園の制服も飾ってあって、それは「あたしの人生がとても満ち足りたものである」ことを示していた。
「満ち足りた人生は、子供にもいい影響を与えるわ。でも、それは時に他者に残酷になることもあるの。そしてそれは、自覚の無いものだわ」
「はい」
あたしは、その言葉を聞いてハッとなった。
そう、病院の人の言う通り、それはとても残酷なことだった。
あたしは、「悪事を悪事と分かって悪事を働く悪党のすることなどたかが知れている。問題は悪事を善と思って自覚なく悪事をする悪」だという永原先生の言葉を思い出した。
今あたしは、「残酷な女」になっていた。
あたしは、TS病故の母性の強さに加え、恵まれた人生を背景に、大きな母性を感じるようになっている。
でも、世の中はそんな幸せな人ばかりではない。
両親が離婚した家の子供は、離婚が連鎖したり、あるいは逆に強く家族に依存するようになるという。
自我ばかりが肥大化した人、どうしても赤ちゃんを可愛がれない人、あたしは彼女たちをどうしても「人でなし」としか見ることができない。母性の強さのあまり、母性の弱い人や無い人という存在を認識できなくなっていた。
あたしは今、永原先生の言う「最も質の悪い悪」になっていたのかもしれないわ。
「もちろん、母性が強いのはいいことよ。それでも、注意しなくちゃいけないときはあるの。特にこの病院には他の妊婦さんもいるわ。くれぐれも気を付けてください」
そう、大事なのは他の妊婦さんへの配慮だった。
「ええ、分かっているわ」
もしかしたら、こうしたノーベル賞のメダルや小谷学園からの思い出の写真などを見せた目的は、あたしに自覚を促すためなのかもしれないわ。
今でも、テレビはセレブの特集をしている。特に海外のセレブの豪遊ぶりはよく日本でも紹介されている。
そして、あたしたちがそうしたセレブたちでさえ全く追い付けないような莫大な富を持っていることが未だに信じられなかった。
当事者意識が、あまりにも低かった。それは、こうした他のお金持ちの人との交流が少ないせいなのかもしれないわね。
「じゃあ篠原さん、今夜の夕食はどうしますか?」
「とりあえず、外で食べます」
「分かりました。それでは失礼いたします」
病院の人が部屋を出て、あたしはまた、ここに1人になった。
ともあれ、入院中は外食が中心にはなると思う。
今は妊娠末期なので、食べるものも注意しなきゃいけないけどね。
「ふう」
あたしは、もう一度パソコンと向き合う。
見るのは妊娠末期の心得の一覧だった。
出産は母子ともに命がけであり、現代医学では非常に確率が低くなったとはいえ、母親の死亡、子供の死亡、最悪両者死亡というケースもある。
もちろん誰も自分がそうなるとは考えていないものの、不安は当然ある。
それでも、痛みを忘れて、あるいは痛みを経験してもなお、また産みたいと思ってしまう程度には、女性には母性があるという。
まあ、よく考えれば当たり前ね。
1人産んでもう嫌だと思うような女性ばかりなら、人類なんてとっくの昔に絶滅しているわ。
「陣痛っかあ……」
出産の中でも、特に痛いと言われるのが陣痛だという。
赤ちゃんが、あたしの体の外に出てくる。
もちろん赤ちゃんは普段のあたしの状態よりも大きいので、お腹が引きちぎられるような痛みを伴うという。
よく、「鼻からスイカを出す」っていうけど、赤ちゃんの大きさとの比率を考えると、さすがにオーバーな表現ではある。
「痛み……かあ」
幸子さんと比良さんには、無痛分娩をやめるように勧められたので、あたしもそれに倣った。
体力的負担が軽減されるため、身体能力が衰えてくる30代以上の肉体年齢ならば威力を発揮するものの、あたしのように17歳の「産み盛り」の肉体年齢で停止しているならば、行程が増える分どうしてもリスクが増えてしまう。
ましてや、脊髄に注射して鎮痛剤を入れるわけだから、当然何かの表紙に医療ミスになったら、あたしの人生も一巻の終わりになってしまう。
「それに、何故だか分からないけど」
あたしは、パソコンに向けて独り言を言う。
「赤ちゃんのことを考えると、痛みは乗り越えられる気がするわ」
お腹の大きくなった我が子を見つめる。
さっきの映像が、脳裏に焼き付いて離れない。
もうすぐ産まれるその子は、今にも飛び出してきそうな位に成熟していた。
体つきはうん、浩介くんにそっくりだったわ。
でも中身はどうかしら?
あたしに似て優しいかしら? それとも浩介くんに似て責任感が強いかしら?
優一に似ちゃうのは嫌だけど、そうならないための教育法なら、あたしたちの両親が持っているはずだわ。
「もう、まずは産むことでしょ優子」
あたしはそう声に出して自分に言い聞かせる。
問題は産後のこと、あたしには少しだけ不安に思う所がある。
母子と病院の対応についてだ。
赤ちゃんが産まれて母子対面となるけど、初日はその後新しく産まれた赤ちゃんは検査のために一旦いなくなるという。
母親も母親で、その日はゆっくり休む必要がある。だから、一旦母子は別行動になり、翌日から共同生活が始まることになっている。
もちろん、理屈の上では赤ちゃんの健康のためにはそれが一番いいことは分かっているわ。
でも、どうしても、不安が隠せなかった。あたしのあまりにも強い母性が、そうさせているんだって分かる。
「どうしよう……」
今のあたしには、一度赤ちゃんから離れたら、二度と戻れないんじゃないかという恐怖感がある。
子供はいつか親元を離れるもの。いや、長男だしあの家にずっといるのかもしれないけど、それでも何から何まで母親が世話しなくてはいけないという状態は、すぐになくなっていく。
「まただわ……」
あたしはまた、自己嫌悪に陥る。
赤ちゃんがずっと赤ちゃんのままでいたらいいなんて、そんなの自分勝手なこと、全然「優子」じゃないわよ。
赤ちゃんは、いつか成長するものだもの。
でも、どうしたらいいのかしら?
「何もかも世話を焼いてたら、赤ちゃんにも怒られちゃうわね」
それだけは避けないといけない。
自分の子供に嫌われるのは、浩介くんに嫌われるのと同じくらい、いやそれ以上に辛い。
あたしはその後も、妊娠中の心得を読みながら日が落ちるのを待った。
日が落ちて、あたしは小谷学園の生徒たちが下校したのを見計らって病院を出る。
「ありがとうございましたー」
ふと見ると、「お腹に赤ちゃんがいます」のキーホルダーを掲げた妊婦さんが受付を済ませ出口に進んでいた。
お腹も少し膨らんでいて、妊娠中期に入ったという感じの妊婦さんだった。
そういえば、自分以外の妊婦をあまり見ていなかったわね。
あたしは、興味本位で何となくその後ろ姿を追う。
病院の目の前にはうどん屋さんがあり、その隣には牛丼屋さん、そしてその隣は居酒屋のチェーン店になっていた。
病院からも、こうした外食店に行く人も多いと思われる。
「あっ!」
その妊婦さんは、あろうことか居酒屋に入っていった。
あたしは、ショックで一瞬固まってしまう。
妊娠中の飲酒は、本来厳禁のはずだ。
あたしは普段からお酒は飲まなかったけど、それでも赤ちゃんが害を受けるくらいなら、お酒なんて、いやこの世で一番依存性の強い麻薬だって、完全にやめてやれる自信があった。
「……人でなし」
誰にも聞こえない声で、でもはっきりと自分には聞こえる声で、あたしは彼女を罵倒した。
そして、言葉が出た後で、また後悔をする。
まただった。母親は母性が強くて当たり前、赤ちゃんには無限の奉仕をするべきだ。
そうした価値観で、どうしても突き動かされてしまう。
あたしは、気を取り直して炭水化物とたんぱく質をバランスよく取れる牛丼を食べることで、今後のエネルギー源とした。
他にお肉屋さんとしてステーキ店もあるけど、こちらはもちろんレアなどは厳禁で、必ずじっくり中まで焼くものを食べるようにしている。
妊娠中に特に禁止されたのがチーズなどの乳製品で、これらは赤ちゃんにも非常によくないものと幸子さんにもお医者さんにも言われた。
あたしは、特に「大好物」はあっても、「どうしても定期的に食べたい料理」は無いので良かったわ。
「ふう、ごちそうさまでした」
あたしは、病室に戻る。
最上階のVIP環境はとても嬉しい。
あたしは、お風呂に入るためお湯を沸かすことにした。
お風呂のパネルは、前の自宅のものに近かった。浴槽の広さも、改めて見ると「狭い」と思ってしまうけど、よく記憶をたどると、前の家のものとほぼ同じくらいの広さだと分かった。
言うまでもなく、異常なのは浴室に20畳も割いている今の豪邸の方だ。
本当に、慣れって怖いわね。浩介くんとのえっちなことに慣れないのが奇跡なくらいだわ。
ピピッ「お風呂を、沸かします」
お風呂のお湯を沸かし始めると、ナースコールでナースステーションにその旨が伝えられる。
そのため、勤務中の看護婦さんが、あたしに付き添ってくれることになる。
何かまるで寝たきり老人みたいだけど、これも赤ちゃんのため。下らないプライドなんて捨ててしまいましょう。
もしかしたらさっきの妊婦だったら……いややめておくわ。
コンコン
「はーい」
もうすぐお風呂が沸くかしら? と思ったところで、部屋の扉がノックされ、看護婦さんが部屋にやって来てくれた。
「入浴介助のサービスをいたしますね」
「ありがとうございます」
あたしは、恥ずかしいけど、服を脱いだら看護婦さんの力を借りて、体を支えてもらいながら入浴する。
体も、殆ど看護婦さんが介助してくれていた。
うー、色々な意味で恥ずかしいわ。胸もなんだかじろじろ見られていたし。
「篠原さん、結構恥ずかしがるタイプなんですね。予想通りです」
入浴後、看護婦さんがあたしにいたずらっぽく笑っていた。
未だに、人前で裸になることはもちろんのこと、下着姿を見せるのだって慣れていない。
こういうところに慣れてしまうと、いずれ浩介くんの前でも堕落してしまうという危機感があったのも大きい。
「はい……やっぱり慣れないと言いますか恥ずかしいと言いますか」
「ふふ、私は女子校女子大女子の職場と来てますから信じられないんですけど、その分だとご主人にはもっと恥ずかしいんでしょう?」
看護婦さんが少しだけニッコリと羨ましそうに笑っていた。
「はい……顔が赤くなって、体が熱くなっちゃいます」
って何言ってるのよあたし。
「あらあらまあまあ、初々しいのはとってもいいことよ」
「あうあう」
うー、完全に女子会のペースに飲まれちゃったわ。
でもともかく、この気持ちだけは忘れないようにしないといけないわね。
特に家族が増えてからは、ね。
「おっとすみません。失礼いたしますね」
「はい」
看護婦さんは、部屋から出ていった。
パジャマに着替えたあたしは、ベッドで意味もなく横になる。
まだ睡眠時間の関係から、眠れるわけがないのに、電気も消して目をつぶり始めた。
トン……トンッ……
赤ちゃんが、あたしのお腹を蹴っていく。
少し減った胎動だけど、それでもこうして時折お腹を蹴る仕草は見せてくれる。
これから臨月が進めば、もういつ産まれてもおかしくない状態になる。
妊婦としての最後の生活が、終わりかけていた。