永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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健康診断

  チュン……チュン……

 

 小鳥の小さなさえずり声が聞こえてくる。

 ここは病院の病室で、あたしは出産を間近に控えた妊婦。

 今日のあたしは健康診断のため、朝食は食べないことになっていて、明日以降の朝食については看護婦さんが個人的に料理を作ってくれることになった。

 お見舞いに来てくれる人が差し入れてくれればいいけど、毎日そう言うわけにもいかないものね。

 

「ふう」

 

 今日は昼夜出前で済ませる予定で、健康診断の時間も加味すると、じっとしていた方が良さそうね。

 あたしは、ベッドを傾けて椅子のようにすると、そのままテレビをつけて今日のニュースを見ることにした。

 テレビのアナウンサーが、時間通りニュースを始めた。

 

「昨日午後2時頃、埼玉県の関越自動車道──」

 

 最初にやっていたのは、夏の交通事故のニュースだった。

 正直に言えば、2020年代になって自動運転の普及がほぼ進み、この手の事故は激減しているが、現在でも起こり得る事故だから注意しないといけない。

 むしろ、こうした事故が珍しくなっているからこそ、ニュースにも流れるのよね。

 とはいえ、こうした一昔前ならなんの変哲もない事故さえニュースになるくらいには、ここの所マスコミもすっかり大人しくなってしまった。

 蓬莱カンパニーという絶対的な存在が出現したために、マスコミも蛮勇性がなくなり、随分と丸くなったとされている。

 

「ふふ」

 

 世の中を変える。変えるのは政治家だけじゃない。

 まさにあたしはそんな存在だった。蓬莱の薬を生み出し、そして人々に恩恵を与えたのは紛れもない事実で、普通ならそれだけでも後世の歴史に残る英雄だった。

 でも、あたしには世の中を変えたことに満足感はなかった。

 

 一時期に比べれば、ニュースも穏やかになった。

 穏やかなニュースを見るにつれ、あたしも穏やかになれる。

 

 もうすっかり、「お腹に赤ちゃんがいます」のキーホルダーに描かれた穏やかそうな赤ちゃんと違って、元気一杯な暴れん坊さんになっちゃったけど、それでも元気一杯に起きていても、寝ている時はとても穏やかに寝ていることは、この前の映像でもよく分かった。

 赤ちゃんは真ん丸なお目目を持っていた。昨日の時点での赤ちゃんの推定体重は2.8キロだった。

 もう後は、お腹の中でもう少し成長してから体重3キロ前後で産まれることになる。

 

「すくすく育ってね。でも今日は少し、我慢してね」

 

 あたしは、もちろん最後まで気は抜かないし、子育ても全力で頑張りたいと思う。

 今日の健康診断は、どうしても午前中は空腹にならないといけないので、赤ちゃんにも少し負担がかかってしまう。

 でも、母体の健康は赤ちゃんの健康にも繋がるので、今日は例外的に1日2食ということになる。

 

「んー」

 

 あたしは、意味もなく自分の胸を掬い上げてみた。

 手の中に、柔らかいマシュマロのような弾力性を感じた。

 この中身は脂肪の塊だけど、男はみんなこれが大好きで、男たちの視線は釘付けにするし、浩介くんも、そして優一も好きなものだった。

 特に、浩介くんはここに執着することも多い。

 一説によれば、男の子は赤ちゃんの時にママのミルクを吸うことで、最初の性的快感を感じ、おっぱいが大好きになっていくという。

 そして、この経験が、「母性」を男が渇望する原動力になる。こうして、本能的に男はおっぱいが大好きになっていくという。

 幼少期の記憶は、普通はほぼない。

 しかしそれでも、幼少期の体験はその子の体に強く植え付けられる。これはその典型的な例だと思う。

 

「この大きなおっぱいが、ねえー」

 

「特集です、夏の風物詩と言えば──」

 

 テレビでは、夏の特集をしていて、海で遊ぶ若者たちが写っていた。

 もちろん、水着姿の若い女性も写っていて、胸は皆あたしよりは小さい。

 あたしは海でも注目の的だったし、胸が大きいことで何かと得することが出来たわね。

 

「蓬莱の薬でもう老けなくて安心だわ!」

 

「そうね、若いってサイコー!」

 

 そしてテレビでは、30代女性の次に水着姿の女子高生たちを写し出していた。

 彼女たちは蓬莱の薬を服用し、不老状態になったので、毎年若いままでこの世界にとどまることができたため、これからもいつまでもこの海で楽しく遊べることに感謝していた。

 確かに、こうした露出度の高いビキニは若いうちだけだし、老化しないのはやっぱり素晴らしいわね。

 

「ふふ」

 

 蓬莱の薬の値下げが本格的に始まり、テレビ番組もすっかり蓬莱カンパニーの宣伝をしてくれるようになった。

 こんな風に、何かとニュースでは「蓬莱の薬」に絡めた内容盛り沢山に増えた。

 あたしたちは特に何も言ってないから、おそらくテレビ局の判断になるわね。

 蓬莱の薬を日々宣伝することで、あたしたちは更なる売り上げの増加が見込めることになっている。

 それに伴って、株価も大きく上がってくれるはずだわ。

 そうすれば、あたしもまた、資産が吹き上がるという仕掛けになっている。

 やはりライバル不在は、とても大きいとあたしは思う。

 

 あたしは安心しながら、その後を過ごした。

 

 

  コンコン

 

「はい」

 

 ニュースを一通り見終わり、暇を持て余していると、扉を叩く音がした。

 

「篠原さん、検査の時間です」

 

「はい、今行きます」

 

 あたしはすぐにベッドから立ち上がる。

 もちろん、腰を曲げる時は赤ちゃんの負担にならないように、十分に気をつけないといけない。

 

「特に不健康でもないなら、寝たきりはあまりよくないですよ。出産は体力を使いますからね」

 

 検査の場所に移動する間、看護婦さんに注意されてしまう。

 病院だからといって寝てばかりにしていてはいけないということみたいね。

 

「はい、気を付けます」

 

 そう、赤ちゃんを産むのは命がけなので、体力をつける必要もある。

 しかし妊娠中は赤ちゃんに負担をかけてもいけない。

 そのバランスはとても難しい。

 

「ふふ、今日からは篠原さんのために特別な運動メニューも用意できますけれど、よろしいですか?」

 

「ええ、お願いするわ」

 

 どうやら、あたしはVIPということで、今の段階から既に至れり尽くせりらしい。

 世界一の資産家ファミリーに産まれてくる息子ということもあって、普段のVIP待遇よりも更に手厚くしていても不思議ではないものね。

 

「分かりました」

 

 あたしたちは、検査室に入る。

 昨日の検査と違い、まずはあたしの血液検査を行い、次に様々な検査を行う。

 検査の数は昨日と合わせると、女の子になったばかりの時よりも多い。

 

「本当は他の患者様方はここまではやらないんですけど、とにかく篠原様は特別ですから」

 

「本当に、お姫様ね」

 

 どうしても、あたしはそういう感想を抱かざるを得なかった。

 まさに王子様の出産を控えたお姫様というのが、この病院でのあたしの立ち位置だった。

 最初に来た時は、単なる1入院患者だったのを思えば、隔世の感があるわね。

 

「ええ、ですから、お代も高いですよ。あ、篠原さんにとっては安いかもしれませんけど」

 

 看護婦さんが少しいたずらっぽく笑う。

 昨日今日としか入院してないけど、看護婦さんも性格が様々で、多種多様だということに気付かされる。

 かつては、「不老の人間だけになり、老人がいなくなる未来の日本では、多様性が著しく損なわれるのではないか」と言った人もいた。

 でも、多様性が叫ばれたのは、優一時代から既に疑問の声かけられていて、あたしが佐和山大学を卒業する頃までだった。その頃には、もはや過度の多様性による弊害は隠しきれず、最終的には「多様性になりようがない」協会に対して難癖を付けたことで完全に信用が失墜した。

 現に、日本でも既に多様性は最低限確保されていた。それ以上は必要がなかったということになる。

 

「ええ、安いですわ」

 

 あたしも、ついこんな返事をしてしまう。

 でも嘘は言っていない。巨額の資産を得る前なら、もちろん目玉が飛び出るような値段だけどもね。

 

「さて、では次に参りますね」

 

「はい」

 

 看護婦さんと適度に雑談しつつ、検査は順調に進んでいた。

 赤ちゃんは、静かだった。

 

「はい、健康診断は終わりです。母体の結果については後日お知らせいたしますね」

 

 妊娠中ということで、レントゲン検査をはじめ、放射性物質を使う検査は一切無かった。

 あたしたちは不老遺伝子があるからいいけど、赤ちゃんは10代後半になるまでは蓬莱の薬は飲まない、生身の人間ということになる。

 だから、赤ちゃんの健康は特に気をつけないといけないのよね。

 

「ええ」

 

 とはいえ、TS病の不老遺伝子があるので、あたし自身はそこまで健康を考慮しなくてもいいのが幸いね。

 そして、健康診断が終わったということは──

 

「ふー、お腹空いたわーさて、どうしようかしら?」

 

 あたしは病室に戻った。今日は出前を頼む予定になっている。

 朝食を抜いているので、特に昼食に気を付けたい。

 

「そうするとうーん……」

 

 あたしは、病室にあるパンフレットから出前のメニューを探す。

 提携先のお店の中には、「妊娠中のママにおすすめ」と書かれているメニューがあって、中には「葉酸たっぷり」を唄うものもある。

 

 葉酸たっぷりの食事は、いわば妊娠初期に推奨されるもので、赤ちゃんの先天異常を減らす効果がある。

 もちろん妊娠末期にも葉酸は重要だけど、初期ほどじゃない。

 

「これにしようかしら?」

 

 お昼ご飯に食べる「野菜サラダ」、もちろん出前なので店頭よりも高いけれど、もちろんこのくらいの値段なら誤差だし、そうでなくても妊婦に必要な栄養素がたくさんある。

 

 あたしは、すぐに病室にあった電話を取り出す。

 

  プルルル……プルルル……

 

「はい」

 

「もしもし、こちら……はい……野菜サラダをお願いします……はい、はいありがとうございます」

 

 あたしは病院と部屋の号室を伝えると、VIPルームだとすぐに分かったのか、すぐに作って持っていくとのことだった。

 あたしは、サラダが来るまでパソコンと向き合うことにした。

 

「ふう」

 

 パソコンのニュースやインターネットの声は、比較的人々の本音が書かれているという。

 しかし、一部のコミュニティでは、世の中の大勢の方向と逆に進んでいる印象を受けることがある。

 特に有名なのは、「犯罪が減っているのに治安が悪化していたかのような錯覚」だ。

 むしろ、犯罪が少ないからこそ、0にはならない大きな犯罪が目立ち、体感が悪化するんだという。

 昔は犯罪がありふれていたため、凶悪事件もすぐに流されてしまい、印象にも残らないのだという。そのため、どういうわけか治安も悪く、破綻している国の人間ほど楽天的な傾向さえ見られるという。

 その最たる例が、永原先生が人生の始まりを過ごした室町時代末期、要するに戦国時代だった。

 戦国時代は、後の時代からすればろくでもない時代だったが、それでも当時の人々は戦争を楽しんでさえいた。永原先生によれば、江戸時代初期はそうした時代を潜り抜けていた世代が大勢生きていて、戦乱を懐かしむような人間がたくさんいたというし、永原先生自身もそんなことを思ったことが何度もあったという。

 そのために治安の悪さは相変わらずだったという話を聞いたことがある。

 

 翻って今の時代は犯罪も殆どない。街や建物、電車の中などの至るところに監視カメラが置かれ、完全にプライベートが保たれるのは家の中やトイレくらいになった。

 あたしたちの家も、監視カメラが至るところに設置されていて、日々サーバーに映像を送っている。

 

「ふう」

 

 あたしが女の子になってから大学生辺りまで、実際には売り手市場の長期化によって、労働環境が改善傾向に向かっていたにも関わらず、インターネットの一部空間などではまるで悪化しているような印象を受けた人が続出していた。

 これは、昔の悪い時代にありふれていた環境が改善され、改善が遅れている場所が目立ったために、取り上げられるようになったという。逆に言えば、そうした声が大きくなっているということは、改善している証拠だという人もいたくらいだった。

 今思えば、あたしや浩介くんの家も含めて、不満がなく、改善に向かっていると思う人は声をあげないという一面もあっただろうと思うわね。

 

「今はもう、そうした声も聞こえてこないけどね」

 

 とはいえ、人々の実感が伴えば、それは崩壊の予兆だという人もいる。

 しかし、それを強引に止めたのが蓬莱の薬なのかもしれないわね。

 政府は好景気の長期化に伴って、少しずつ金融の引き締めをはじめることにしているけど、今はそれを跳ね返している状況と言っていい。

 

「反動は怖いけど、仕方ないわね」

 

  コンコン

 

「はい」

 

 そう思ってインターネットを眺めていると、扉をノックする音に起こされる。

 どうやら、サラダの出前が届いたらしい。

 ベッドから起き上がり、あたしは病室の扉を開けた。

 

「こんにちはーサラダの出前に参りました」

 

 いかにもという感じの、白い服の出前の人だった。

 

「ありがとうございます」

 

 あたしは、出前の人から、頼んでおいた野菜サラダを受け取り、ベッドの机に置く。

 

「食べ終わりましたらこちらの机に置いておいてください」

 

 出前の人が、病室の外側にある机を指差す。

 ちなみに、ここには新聞も置いてある。

 

「はい」

 

「では失礼いたします」

 

 あたしは、まだ他に配達が残っている出前の人を見送ると、一旦サラダをベッドの机の上に乗せ、その後新聞も取って中に入れた。

 

 

「いただきます」

 

 1人でいただきますをして、ご飯を食べる。

 1人だけでご飯を食べるのは、よくよく考えると久しぶりの出来事だった。

 

「うーん、そういえばいつ以来かしら?」

 

 あの家に引っ越してからは……って、昨日も1人で食べたじゃないの。

 とすると、やっぱり記憶にないだけで、実際には何度もあった話よね。

 

「もぐもぐ……美味しいわ」

 

 野菜の味が、とてもよく出ているけど、ドレッシングもきちんとかけられている。

 妊婦さん向けの、栄養がとても考えられているメニューで、病院と提携するだけのことはあるわね。

 

 あたしは、野菜たっぷりのメニューを食べ尽くした。

 妊娠中は、赤ちゃんを大きく育てるためにも、野菜ばかりでなくお肉も食べないといけない。

 タンパク質は、特に人体の育成に大切なので、その点も踏まえる必要があるわね。

 

 とにかく、妊婦の食事は難しい。

 取らないといけないものもあるし、取ることを推奨されるけど取りすぎは絶対ダメという食事もある。

 あたしは浩介くんや家族がいるからいいけど、そうした厳しい食事節制に耐えられないと、出産後に反動が出てしまうことがあり、極端な場合、昨日のろくでなし妊婦みたいに妊娠中から居酒屋に行ったりしてしまうこともある。

 そうならないための一番大事なのは、「知識として」こうした反動のあることを知っておくことや、何よりも赤ちゃんを慈しみ、旦那を愛する心だと思う。

 どれだけ物事が発展しても、最後に必要になるのは人間の精神なんだってことを、あたしはこの妊婦生活で強く学んだ。

 

「ごちそうさま」

 

 食べ終わったお皿は、出前の人に言われた通り部屋の外の机に置いておく。

 監視カメラもあるので、盗んでもすぐに犯人が分かる仕組みになっている。

 

 さて、届いた新聞でも読むかしら?


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