永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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永原先生との中華料理

「えっと、唐揚げとかもあるのね」

 

 中華料理はとにかく種類が豊富で、食べることに関しては妥協しない人が多い。

 

「そうよ。あ、クラゲにしよう」

 

 真ん中のテーブルで全員で食べる分だけではなく、あたしたちが個人で食べる分も必要だ。

 ミニチャーハンと、小さなラーメンスープつきのメニューが多い。

 

「これなら大丈夫そうね」

 

 頼みすぎもよくないので、あたしたちはいくらか自重しつつ品目を決めていく。

 

「よし、全部決まったわね。じゃあこれ押して」

 

「はい」

 

 あたしがテーブルの真ん中にあった「呼び出しボタン」を押すと、厨房の方から小さな音が聞こえてきた。

 おそらく、このボタンと連動して反応したのね。

 

「ご注文お伺いいたします」

 

 店員さんがすぐにこちらへとたどり着く。

 永原先生が代表して注文を話し続け、店員さんが機械を動かしていく。

 どこのレストランでも、普遍的に見られる光景ね。

 

「ふう」

 

 注文が終わり、こうして待つ時間は、どうも長く感じてしまうことが多い。

 

「優子ちゃん、お疲れ?」

 

 背伸びをしたあたしを見て、浩介くんが少し心配そうに声をかけてきた。

 

「うん、もう臨月だから、いつ産まれてもおかしくないのよ」

 

 多分、今週は大丈夫だと思うけど、来週からは大変になってくるのよね。

 

「あー、そうだろうなあ」

 

「赤ちゃんっかあ……」

 

 永原先生が、少し寂しそうに話す。

 永原先生は出産も結婚も、経験がない。

 

「永原先生は、赤ちゃんとかいないものね」

 

「ええ、女の子になる前に両親が死んで、兄弟姉妹もいたけど私以外はみんな成人する前に死んだわ」

 

「そう言えば、昔は子供が死にやすかったんだっけ?」

 

 だから多産でも人口が増えなかったというわけね。

 確か、江戸時代の人口が4000万人程度だっけ? 戦乱の時代はもっと少ないはずよね。

 

「そうよ。幼名の習慣も、子供のうちに死んでしまう例がとても多かったからよ。当時は大名や公家の子供でも死にやすかったもの。私の家みたいな足軽と農民の家は言うに及ばずよ」

 

 永原先生によれば、農民の家の場合、3人4人5人と子供を産んでも、疫病などで誰一人成人せずに途絶えてしまった家も珍しくなかったという。

 そうでなくても、戦乱の時代は人々の心も大いに乱れ、些細なことで人が死んでいたから、人口の維持は難しかった。

 

「血で血を洗う報復の連鎖、軽い命に重い面目の時代がずっと続いて出口の見えない中で、戦乱の時代は特に末法思想が流行したわ。末法に突入したのは戦乱の時代とちょうど重なってしまったの。そしてそれがますます人々を荒廃させたのよ、『どうせこの世で生きていても仕方ない。来世にこそ救いがある』って私達の世代や、その上の鎌倉殿の世の人は考えていてね。そうした荒廃と絶望の連鎖の行き着く果てが戦乱の時代というわけよ」

 

 皮肉なことに、仏教の思想が曲解され、人々の心を更に荒廃させてしまった。

 それは、永原先生自身も例外ではなかった。

 今になって思えば、些細なことで怒っていたと、永原先生は述懐していた。

 喧嘩両成敗は、普通に考えれば極めて乱暴な考えだが、戦乱の時代においては、人々の心があまりにも荒んでいたため、ああ言った乱暴な法を作らざるを得ず、江戸時代になるとすぐに批判されるようになったという。

 ちなみに、喧嘩両成敗には続きがあって、「ただし喧嘩を仕掛けられても応戦せずに我慢し、とりあえず穏便に済ませた場合は罰しない」という所が重要で、その意味からも吉良は何も悪くないことが分かる。

 

「最終的に、江戸時代の中期になって、ようやく人々の心に余裕もできてきたのよ。生類憐れみの令で、ようやく止まったけどね」

 

 永原先生が生類憐れみの令を評価しているのは、まさに戦乱の時代の荒廃ぶりをつぶさに見てきたからだと思う。

 

「本当に、今は恵まれているわ。でも分かるの、遠い未来から見れば、今の時代も惨めに見えるってね」

 

「ええ、あたしもそう思うわ」

 

 何故なら、これからの時代は、蓬莱カンパニーの時代だから。

 遠い未来の人が今の時代、あるいは蓬莱の薬が普及する前の「ちょっと昔」を見たら、「すぐに死んでしまう弱い人」に見えることは間違いないわね。

 

「これからの時代、人々の寿命はどんどん延びていくわ。戦乱の時代だったら、人々が不老になっても、100年生きられる人は稀になってたわね」

 

「そんなにひどかったのね」

 

 永原先生は、戦乱の時代のひどさをよく話してくれる。

 何より、当時はそのことに何の疑問も持たなかったという。

 

「よく時代劇のドラマで『戦は嫌い』何て言う俳優がいるけど、私に言わせれば、それを当時の私自身を含めて当時の人が聞いたら『無礼者!』って切り捨てられるわよ。私も含めて、戦乱の時代の人はみんな戦が大好きだったわ。略奪、強姦、人身売買、山賊行為をしたり、逆に山に入り込んで山賊狩りをしたり、戦が開かれたとあれば戦見物に乗り出して、戦が終われば落武者狩りをして、兵の死体からも金目の物を徹底的に略奪、それどころか死体の肉を食べる人だってざらにいたわよ。一通り略奪し終わったら、今度は略奪品をめぐって村を巻き込んで殺し合い、老若男女武士農民僧侶浮浪者問わず、私も含めて皆心踊ったものよ。だから戦乱の時代なのよ」

 

 永原先生は、直接には言及していないが、間違いなく何人もの人を殺してきた。

 でもあの時代からすれば、むしろ殺していない人間を探す方が難しいんじゃないかとさえ思えてくる。

 江戸時代に入ってからも、徳川綱吉の時代までは、「辻斬り」何てものさえ横行していたのだから。

 殺人の時効が廃止されて久しいけど、もしあの時代から時効がなくなってたらどうするつもりなのかしら?

 まあ、事件性を問いようがないけども。

 

「私は、テレビ局がやっている時代劇の反戦描写については不愉快に思っているわ。今年抗議文書も送ったんだけど相手にされなかったわね」

 

 永原先生は、歴史とともに生きてきたからか、そうした都合の良い歴史は嫌いらしい。

 

「まあ、視聴者の見たいものを見せるものだからね」

 

 実際、永原先生が時代考証を担当してドラマを作る企画が存在しないのは、「リアリティー」が強すぎるからかもしれない。

 もちろん、インターネットでは、「永原先生による徹底的な時代考証をした初見お断り」の大河ドラマが欲しいという声はあるものの、あまりにも生々しくなってしまうので声がかからないんじゃないかしら?

 

「そうねえ……」

 

 それにしても、レストランでする会話じゃないわよねこれ……

 

「お待たせいたしましたこちら──」

 

「お、来たわね」

 

 店員さんが、中華料理を運んでくれた。

 あたしも、チャーハンなどを食べることにした。

 

「もぐもぐ……美味しいわね」

 

「うん」

 

 永原先生がよく行くお店とあって、味の方はかなりいい。

 料理人もきちんとした人らしく、統制が取れている。

 

「この味になったのも、いつからなのかしら?」

 

「さあねえー」

 

 ここは、いわゆる中華街というわけではない。

 それでも、中華料理店はあちこちにある。

 

「中華街にも出せそうな味よねえ」

 

「ああ。値段が高いとやっぱり美味しいもんだ。こんないい店が、どうしてこんな立地なんだろうなあ。小谷学園があると言っても、お世辞にも大きな街じゃねえし」

 

 あたしも浩介くんも、このお店が中華街にあったらいいのにとも思う。

 

「中華街も中華街で大変なのよ。華僑の皆さんも一枚岩じゃないってことよ」

 

「へえ、でも確かにそんなイメージはあるわね」

 

 永原先生が言うには、そうした在日中国人の内部にも、様々な対立があり、中華街内部は特にそうしたことが多いという。

 

「特に中華料理店何てそう言うのが多いわ。歴史がある高級店を営業している2世3世の料理人と、『安かろう悪かろう』のニューカマーと対立していたりとかね」

 

 特に日本生まれ日本育ちだと、中華街に住んでいても、どうしても日本文化に染まりがちになってしまうという。

 その辺りでもずれがあったりするのだとか。

 このあたりは、日本に来た日系人とのトラブルもよく知られている。

 

「安易な異文化の流入は避けた方がいいわ。戦乱の時代は家族、本家、分家、村、寺、領地、港、商店、主家や主君、大名に室町幕府に朝廷、他にも様々な共同体があって、共同体ごとに法律やしきたりがあったのよ。江戸幕府が出来るまでは、それらが複雑にしがらみ合っていてね、多様性という意味では今とは比較にならないくらい多様性に満ちていたわ。だからしょっちゅう衝突して、簡単に殺し合いに発展して、戦乱の時代になったのよ」

 

 今でこそすっかり聞かれなくなったが、あたしが女の子になったばかりの頃は、とにかく「多様性」が叫ばれていた。

 あたしたち協会にさえ押し付けられるくらいそれを異様に信仰している人もいた。

 永原先生は、戦乱の時代の教訓から、それを拒否していた。

 人間は個人個人でかなりの違いがって、それだけでも十分に多様性は確保できるし、それ以上を無理に推し進めるのは弊害が多いというのが、永原先生の見解だった。

 

「なるほどねえ……中華料理も、こうしてこういうところで楽しむくらいにして、深入りはしない方が良さそうね」

 

「ええ、私も鉄道に深入りはしちゃったけど、何事も深入りしすぎると闇が深いわよ。もちろん、誰かがやらなくちゃいけないことなのは厳然たる事実だけどね」

 

 永原先生の忠告は、いつもためになる。

 

「永原先生は、やっぱりそう言う人を?」

 

「ええ、何人も見てきたわ。江戸時代は特に、平和になって色々な研究がなされるようになったのよ」

 

「へえ、それってもしかして?」

 

 江戸時代は、皆が思っている以上に変化の激しい時代だったというのは、以前にも聞いたことがある。

 

「そう、古事記伝やその他様々な古典の注釈書も出回ったし、和算も盛んだったわ。江戸の寺社の絵馬には、今の大学生でも難しい数学の問題がいくつもあったわ」

 

 江戸は、そうした知識と知恵の集まった都市だったという。

 特に国学は隆盛を極め、学問が多いに発展した。

 古事記伝を始めとする、古文書の注釈書も盛んになり、その過程で古典文法も甦った。

 その代わり、火事もとても多く、時に大火となることも頻発していた。

 

「江戸時代は、日本語が急速に今の言葉に近付いた時代でもあったのよ。学校の古典の授業、私以外の先生に習っちゃうと、まるで明治維新で古典がいきなり現代文になった錯覚を受ける人も多いわ。でもそれは大間違いよ」

 

 その話は、あたしも分かる。

 冷静に考えたら、そんなわけ無いことは小学生でも理解できるけど、それでも今の古典教育ではそうした錯覚を発生させやすいのは事実だった。

 学校教育での古典は、平安時代の日本語がベースになっているので、現代語と比べると遠すぎて、古い日本語なのは何となく分かっても、いまいち繋がりが見いだしにくい。

 上二段下二段やラ変ナ変はいつ頃今のような形になったのかという問題、永原先生の答えは、「江戸時代」だった。

 

「それにしても、まさか私のつけてた日記で、古典文法の変換が研究されるとは思っても見なかったわ」

 

 江戸城での生活の日記は、当時の江戸時代の江戸の町の生活を知る上での超一級資料であると同時に、江戸時代の日本語が、どんどんと現代語に近づく様子も克明に記されていた。

 

「当時は、言葉が変わってるとは?」

 

 浩介くんがチャーハンの最後の一口を頬張り終えてから話す。

 

「もちろん気付いたわ。最初に気になったのが、以前から言われていた『せ』の発音よ。戦乱の時代の末期に、関東を訪れた公家が『関東の田舎者はせの発音がおかしい』ってばかにした記録もあるわ」

 

 それがいつの間にか、江戸の文化が大きくなって、やがて京都でもせの発音が変わってしまったのだという。

 特に、参勤交代の制度が、江戸の文化や言葉を全国に広める役割を果たしたのだという。

 

「幕府が大名の財力を削るために参勤交代を実施したというのは嘘よ。むしろ見栄を張り続ける大名に対して『質素にやれ』って歴代の将軍様が命令したことが、江戸時代を通じて何度もあったわ」

 

「知らなかったわ」

 

「私も後悔することがよくあるわ。もう少し、歴史学者や世の中に介入するべきだったんじゃないかってね。佐衛門佐殿に対する誤った名前……幸村だって、架空の軍記物が出た時にそれを糺す立て札を立てて貰うように幕府に訴えることだって出来たわ」

 

 歴代の将軍は、皆永原先生に敬意をもって接してくれていた。

 だから、時期を見計らって「真田幸村なるは誤りなり」というお触れを出して、庶民に注意喚起していればよかったと後悔しているという。

 

「明治維新の時も、戦後の時も、私はいくらでも歴史の誤りを糺す機会はあったけどそれをしなかった。私の日記も、ずっと倉庫の奥で眠らせ続けた。そのせいで、日本の歴史研究は大幅に遅れてしまったの。私からすればとんでもない嘘っぱちな説も、あまりにも当時の価値観を無視した無茶な仮定も、大幅に出回ったものだわ。私には、不作為責任があるのよ」

 

 永原先生の話は興味深いものだった。

 不作為責任がある。大昔からずっと生きているのは、永原先生ただ一人だった。

 もしかしたら、それが永原先生から、一歩踏み出す勇気を奪ったのかもしれないわね。

 

「なるほどねえ……でも、仕方ないわよ。いくら何百年と生きていても、1人の力は小さいわ。あたしたちもね。大勢の人の支えがあってここまで来られたのよ」

 

 永原先生に並び立つ、せめて江戸初期か安土桃山時代から生きているTS病患者がいれば、もしかしたら状況は違っていたのかもしれないわね。

 

「ええ、そうよね」

 

 こうして話している間にも、中華料理は次々と減っていき、あたしたちのお腹も膨れていく。

 テーブルは回転を続けていて、とても使いやすい。

 

「あれ? 優子ちゃん、食べる量減った?」

 

「え!?」

 

 浩介くんが、意外な指摘をしてきた。

 あたしの食べる量が減ったという。

 全く自覚のないことだった。

 

「あーうん、多分妊娠末期だから、膨らんだお腹に臓器が圧迫されているのよ」

 

 永原先生の話しは、あたしも聞いたことがある。

 確かに、ここまで赤ちゃんとお腹が大きくなれば、それは無理もないことだった。

 

「うん、確かに安土先生もそんなこと言ってたわね」

 

「うん、赤ちゃんも栄養が必要だから、食事の回数を増やすといいわよ」

 

「分かってるわ」

 

 永原先生は、妊娠の経験はないと言っても、もちろん後輩の患者たちがにんしんやしゅっさんをする様子を何度も見届けて来ている。

 でもやっぱり、どうしてもあたしが優越感を感じてしまうのも事実だった。

 

 あたしたちは食事を続け、最終的に全てを間食し終えた。

 

 

「ごちそうさまでしたー」

 

 食事代は、別にどうってことはないからと、浩介くんが全部おごってくれた。

 ふふ、相変わらずよね浩介くんも。でもここではきちんと浩介くんのためにもおごらせてあげないといけないのも、あたしも永原先生も重々に承知していた。

 

「あー食った食ったー」

 

「じゃあ私、帰るわね。お疲れ様」

 

「「お疲れ様でした」」

 

 永原先生が、駅の方へ去っていく。

 あたしたちはゆっくりと歩きながら、病院へと向かった。

 

「優子ちゃん、くれぐれも気を付けてな」

 

「うん」

 

 浩介くんが病院内であたしを気遣ってくれる。

 人前でも2人きりでも優しいけど、人前の時は特にアピールが強いわね。

 

「入院生活で何かあったら、連絡するんだぞ」

 

「大丈夫よ」

 

「そっか、それはよかった」

 

 あたしたちは、部屋の前へと戻った。

 

「じゃあ、また。無事に産んでくれよな」

 

「うん、大丈夫よ」

 

 あたしは、無事に産める自信だけは、強かった。

 確かに今までTS病患者が出産中にトラブルが起きたことはなかったけど、それが「過信」に変わらないように十分に注意しないといけないわね。

 浩介くんが、名残惜しそうな表情を見せてから、病室の廊下を歩き出した。

 

 出産の日までの辛抱が続くわね。

 

「ふう」

 

 あたしも、ノートパソコンを開き、インターネットを巡回することにした。

 2日目の入院生活も、無事に終わった。

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