永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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やっと見つけた 最高の幸せ

「優子ちゃん、おやつ食べる?」

 

「え?」

 

 長く短い時間が刻一刻と過ぎた午後3時頃、浩介くんが、いきなり面白い提案をしてきた。

 おやつはもちろん入院中に食べたことはない。

 

「お菓子ってわけじゃねえけどさ、これから長期戦になるわけだし」

 

「あーうん……っ!!!」

 

 あたしが「それもいいわね」と言おうと思った次の瞬間だった。

 お腹の下、下腹部が突如これまで体験したことのないような激痛に襲われた。

 

「優子!?」

 

「優子ちゃん!?」

 

 女性2人の声が、明らかに動揺に変わる。

 長く忘れていたその痛み、そう……これはあたしが11年前に……痛い!

 

「痛い、痛い!」

 

 優輝が突然、あたしの中で暴れ始めた。

 強引に、あたしから出たいと、訴えているようだった。

 

「ほら、3人とも出てく!! 見ちゃダメ!!!」

 

 母さんが、浩介くんたち男衆を追い立て、お義母さんが躊躇なくナースコールのボタンを押したのが見えた。

 ボタンを押した音が、あたしの耳に小さくこだまする。

 聴覚と痛覚は違うのに、あたしの中ではもう、混ざってしまっていた。

 

「んー!!! んー!!!」

 

 痛くて、ろくに声も出せない。

 何の前触れもない突然の痛みで、いつもよりもとても痛く感じている。

 

「「せーの!」」

 

 突如、あたしの身体が空中に浮き上がった。

 視界が目まぐるしく変わり、また落ち着いたけど、痛みは落ち着かない。

 母さんとお義母さんが、あたしを分娩台に乗せると、一気に病院服のズボンを下着ごと下ろされる。

 

  ガララララ……

 

「んっ……ひぎいいい!!!」

 

 痛みと戦っていると、また、別の音が聞こえてきた。

 

「どうされました?」

 

「陣痛が始まったわ!」

 

 入ってきた安土先生に、母さんが短くそう伝える。

 

「うぐっ、うあああああ!!! ああ、ああ、あああ!!!」

 

 首を左右に降りながら、痛みから必死に逃れようとする。

 無駄な抵抗なのは明らかで、優輝がお構いなしに進むので、痛みが増すばかりだった。

 優輝が、あたしの中でグルっと回っているのが分かる。

 でも心なしか、痛いのは確かとしても、これまで散々に脅された例えのようなほどの痛みとも思えなかった。

 

「篠原さん、失礼します」

 

 両足が持ち上げられ、分娩台に固定させられる。

 痛みに混じり、そうした音が僅かに聞こえ、赤ちゃんが出てくるために、足が拡げられていく。

 

「んー! んー!」

 

  ガララララ……

 

 扉が開く音が聞こえ、数人の人が入ってくるのが見えた。

 お義母さんが、台所で何かをしている。

 

「今水道からお湯を出しているわ。優子頑張って」

 

「うん、うーんっ」

 

 あたしは、本能的にいきむ。

 

「あ、まだいきまないでください!」

 

 安土先生の大きな声が、あたしの耳に響いた。

 まだ、いきんじゃだめと言われても、この痛みは無理よ!

 

「はぁはぁ……うぁっ……んー」

 

 顔をしかめる。

 この痛みの中でも分かるくらい、あたしは醜い顔になっていた。

 もしかしたら、浩介くんにはこれを見られたくなかったのかもしれないわ。

 

 羊水が、ほぼ出きっていた。

 

「うちの家族たちはどこにいます?」

 

「扉の外で呆然とした様子で立っていますけど」

 

「何してるんですか! 優子の声が聞こえないところに誘導して来ます!!!」

 

 ぼんやりと、母さんと助産師さんの会話が聞こえて来たけど、あたしは何を言っているのか分からない。

 ただ優輝は、乱暴にあたしのお腹を進んでいく。

 

「んあああああああああ!!!!!」

 

 下腹部が、下腹部が裂けちゃう!

 優輝、お願い! もう少し優しく……痛いっ!

 

「あ、あ、無理、無理い!!!」

 

 痛い、痛い痛い痛い! 痛い痛い痛い痛い!

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!

 

「弱音はダメ! 頑張って! 優子ちゃん! 頑張るのよ!」

 

 お義母さんの声が、聞こえ、あたしは正気を何とか取り戻す。

 

「うん、うん、頑張る! はぁはぁ……!」

 

 優輝の頭が、産道を通り始めたのを、あたしは全身で感じる。

 果てしないような戦いで、気が何度も遠くなる。でも、気絶する予感だけは、全然しない。

 

「はい、頭が見えてますよー!」

 

「うあっ! んあー! あー! あー! あー!」

 

 下腹部が、引きちぎられていく。

 あたしの中の優輝が容赦なく、あたしの痛覚を刺激してくる。

 お義母さんと母さんはいつの間にかいなくなっていて、うっすらとぼやけた視界に見えたのは安土先生だった。

 

「はい、いきんでいきんで! いちにのさんですよ!」

 

「んー! んー! んー!」

 

 安土先生の言う通りに、あたしはいきむ。

 死の危険が、あたしの脳裏を一瞬掠め、すぐに消える。

 下半身に力を入れると、少しずつ少しずつ、優輝があたしの中を通っていくのが身をもって分かる。

 

「あー! んあー! ああ!」

 

 優輝が、強引に進もうとする。

 出口に向かって、ゆっくりと、しかし確実に。

 

「赤ちゃんの動きに合わせてください! はいもう少しいきんで!」

 

 分娩台の向こうで、あたしを覗き込んでいる助産師さんと安土先生が、あたしに的確に指導を与えてくれる。

 両足の感覚が麻痺している。

 まるで、自分の体から取れてしまったような、そんな錯覚を覚えた。

 

 視界が、またぼやけてくる。

 痛みのあまり、あたしはそれ以外の情報が疎かになる。

 

「はい頑張って! もう少しいきんでください!」

 

 安土先生たちの声は、それでもよく聞こえた。

 

「んんんんんんんーーーーー!!!」

 

 先生の言う通りに、思いっきりあたしがいきむ。

 優輝は、もうすぐそこまで来ているのが分かる。

 もうすぐ、もうすぐ会える! 優輝っ! もうすぐよ! 優輝! 頑張って!

 

「あー! あー! んっ……優輝……優輝ぃ!」

 

「あんた! 今子供の名前を!」

 

 突然、おばあさんの声が聞こえた。

 隣に首を振り向かせると、全く気付かないうちにおばあさんがここにいた。

 でもすぐに、あたしは出産の仕事に戻った。

 

「んっ……ゆぅ、きー!!!」

 

 もう、あたしはいい。優輝、出てきていいよ!

 

「母性の強いお母さんですね」

 

 お医者さんの誉める声が、聞こえてくる。

 

「はい、あともう数回ですよ、いきんでください!」

 

「んー! あーっ!」

 

 優輝が、どんどんとこちらに向かっていく。

 外の世界を早く見たくて、優輝があたしを押してくる。

 早く、優輝を、優輝を解放してあげたい。

 

「優輝! 優輝頑張って! うあああーーーー!!!」

 

 痛みと共に、優輝のことが脳裏に浮かんでくる。

 さっきよりもずっと痛いのに、苦しみはなかった。

 優輝を産むことだけが、あたしの存在意義だから。

 

「はいもう一度いきんでください!」

 

 助産師さんが、優輝の様子を観察している。

 

「もうすぐよ! 優子もうちょっと!」

 

「優子ちゃん、無事に赤ちゃん産んで!」

 

「行けるぞ! もうすぐひ孫が見られる!」

 

 母さん、お義母さん、そしておばあさんがあたしを励ましてくれる。

 どれだけの時間が経ったかは分からない。

 骨盤の中を、小さな命が辿っていく。

 

「はいもう一度!」

 

「んー! うーんっ!!!」

 

 助産師さんの声が、微かに聞こえてきた。

 本能的に、またいきむ。

 助産師さんの手が、あたしの体を支えてくれていた。

 

  スポッ

 

「オギャア!!!」

 

 何か大きな物が取れたと思ったら、病室中に泣き声がこだました。

 

「オギャアアアア!!! オギャアアアア!!!」

 

「ああっ……」

 

 耳から聞こえてきたその音は、優輝の、元気な産声だった。

 さっきまでと違い、今度は目からの水が、あたしの視界を奪っていた。

 優輝が、元気に泣いていた。

 ああ、やっと、やっと会えたのね。こんなに健やかに……すっかり大きくなって──

 

  チョキ

 

「優輝、優輝!」

 

「オギャアアアア!!!」

 

 へその緒が切られ、お湯で濡らされたタオルで軽く赤ちゃんが拭かれた。

 あたしは、優輝に向かって手を伸ばす。

 あたしの子、あたしが産んだかわいい男の子!

 

「篠原さん、洗いますね」

 

 助産師さんの声が聞こえない。

 何を言っているのか分からない。

 

「優輝、優輝!」

 

 あたしには、もう優輝しか見えない。

 

「はい」

 

「オギャアアアア……コテン」

 

「ああ! 優輝!!!」

 

 目の前に、優輝がいた。

 あたしの隣でさっきまでの元気が嘘のように、静かに、優しい顔で眠っていた。

 

「ああっ……うああっ……」

 

 嬉しさのあまり、涙が止まらないわ。

 あたしの、あたしの子供、小さな小さな、新しい命。

 

「優子ちゃんおめでとう」

 

「優子、よくやったわ。これで優子も、本当の意味で女性になれたわね」

 

「おおやった! やったのじゃ!」

 

 おばあさんが、母さんが、お義母さんが喜んでいた。

 あたしは、ようやく助産師さんたちが出産の後処理をしてくれていたことを見つけた。

 清潔に洗浄され、分娩台が閉じられると、もう一度病院服を着せてもらった。

 でも優輝を見たら、もうそんなことはどうでもいいわね。

 

「ああ……かわいい……優輝、優輝……!!!」

 

「しばらく分娩台で安静にするのですけれど、篠原さんは今回かなりの安産でしたので、ベッドの方に戻られます?」

 

「優輝、かわいい……優輝ぃ」

 

 すくすくと寝ている優輝が、いとおしくてたまらないわ。

 ああ、もうこのまま時間が止まってしまえばいいのに。

 

「優子ちゃん、優子ちゃん!」

 

 突然、体が軽く揺すられた。

 お義母さんだった。

 

「ふえ?」

 

「篠原さん、今回篠原さん安産でしたので、ベッドの方に戻られますか?」

 

 あたしはようやく我に帰る。

 そして、助産師さんに優輝と共にベッドに戻ることになった。

 

「「せーの!」」

 

 時計を見ると、午後4時を少し過ぎた位だった。

 とても長く感じたけど、1時間も経っていなかった。

 

「まだこんな時間……」

 

 あたしが時計を見ていると、隣には寝ている優輝があたしのそばに置かれた。

 

「ええ、篠原さんは稀に見る安産ですよ。普通は数時間とか10時間かかりますし、人によっては数日間の難産もあるんですよ」

 

 うげえ、あんな痛いのがそんなに続く人もいるのね。

 でも、優輝のためなら全く怖くないけども。

 

  ガララララ

 

「優子ちゃん!」

 

 部屋の扉から、浩介くんが入ってきた。

 その後ろには、父さんとお義父さんもいた。

 

「あなた!」

 

「よかった! 無事で! それで、この子が?」

 

「うん、優輝よ。今は安らかに眠ってるから起こさないでね」

 

 優輝のぷにぷにで可愛らしいお肌をちょっとだけ触ってみる。

 優輝は、すやすや寝ていた。

 

「Zzz……」

 

 あーん、もう、ずっと一緒にいたいわ!

 また、泣く声が聞きたい。安らかに眠る優輝が見たい。頭が、おかしくなりそうだわ。

 

「すげえよな、女の子って。お腹の中でもう1つの命を作るんだから。その深層は、ノーベル賞でも分からなさそうだ」

 

 浩介くんが、ノーベル賞に絡めた。

 ふと、優輝から目を逸らし、あたしが取ったノーベル賞のメダルレプリカが目に入る。

 

「篠原さん、私たち女性医師の誇りでもありますの。女性初のノーベル賞ですもの」

 

「ええ」

 

「そうですわね」

 

 安土先生がそんな風にあたしを評してくれる。周囲の助産師さんも、同調していた。

 でも、今はもう、あのメダルには何の価値も見いだせなかった。

 

「こんなもの、何の価値も無いわ」

 

「「「え!?」」」

 

 自然と、ポロっと、ごくあっさりとそんな台詞が出てきた。

 その場にいた全員が、驚いた目であたしを見てきた。

 でももう、あたしには何十兆円という資産も、何千億円という年収にも、蓬莱カンパニーの常務取締役という地位にも、ノーベル賞でさえ、何の魅力にも感じなかった。

 優輝を見たら、ノーベル賞のメダルはあまりにも陳腐な代物でしかないわ。

 

「こんなもの、ただの金属の塊よ。でもこの子は……優輝は生きているの。ノーベル賞何てもうどうでもいいわ」

 

 あたしは、優輝の方に向き直ってから、優輝の頭をまた撫でる。

 優輝は、気持ち良さそうに夢の世界へと入り込んでいる。

 

 あたしも、少しだけ眠くなる。

 周囲は凍りついているようだったけど、もうあたしにはどうでもいいことだわ。

 このまま優輝と一緒に、ずっと一緒にいたいわ。

 かわいらしい優輝の顔、あたしの赤ちゃんのことがもう、たまらなかった。

 

  パッ

 

「あはっ」

 

 優輝の目が開いた。

 

「うええええええんんんんんんん!!!」

 

「おおよちよち、おっぱい欲しいの?」

 

 優輝の愛らしい泣き声と共に、あたしは本能的に病院服を軽く緩め、優輝の目の前に全身を持っていく。

 

「ちゅうちゅう」

 

「んっ……」

 

 優輝は、生まれてはじめての食事を取った。

 そして数分後、優輝はあたしから口を離すと、今度は起きたまま手足を動かして幸せそうにニコニコしていた。

 そしてすぐに、また眠りについた。

 

「篠原さん、お子さんですけれども」

 

「はい?」

 

 横から、安土先生が声をかけてきた。

 一体何かしら?

 

「赤ちゃんに異常がないか、検査させていただきますね」

 

 そう言われると、優輝が取り上げられ、あたしの視界から消えてしまった。

 

「やっ、やだ! 優輝、行かないで!!!」

 

 優輝が、優輝がいなくなっちゃう!

 もう、もう二度と会えないなんて嫌だ!

 

「篠原さん、落ち着いてください。赤ちゃんの──」

 

「嫌だああああああああ!!! 優輝を返してええええええええ!!! うああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんん!!!」

 

 腕を前に突き立てて、優輝を掴もうとするけど掴めない。

 あたしは、ありったけの思いで許しを乞う。さっきまでの喜びの涙が、一瞬にして黒く染まっていく。

 お願い、お願い、優輝だけは優輝だけは!!!

 

「落ち着いて! 優子ちゃん!」

 

「うええええええええええんんんんん」

 

 優輝が、泣いている。

 優輝を、守らないと!

 でも、どんどん離れていってしまうわ!

 

「やだっ、やだやだやだやだ嫌ああああああああああああああああああ優輝いいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 あたしも、泣いている。

 親子が、親子が引き裂かれちゃう!

 

「嫌だああああ!!! やっと会えたのに!!! 優輝!!! 優輝ぃ!!! 優輝だけは許して!!! うわああああああああああああんんんんんんんんん!!!」

 

 優輝が、どこかに行っちゃう! やっとの思いで、今日を待っていたのに!!!

 もう、我が子を失いたくない!

 悪夢と枯れるほどの悲しみの涙で、目の前が真っ暗になっていく。

 

「優子ちゃん! 大丈夫だから! ほらっ!」

 

 不意に、涙で濡れていた視界が、急に揺さぶられ始めた。

 

「あ……なた……」

 

 浩介くんが、慌てた表情をしていた。

 病室には、優輝が泣く声が響いていた。

 

「何て母性……!」

 

「優子ちゃん、赤ちゃんの検査だよ」

 

 浩介くんがゆっくりと優しい口調をしていた。

 

「検査……?」

 

 呆然とした表情で、あたしは浩介くんを見つめ返した。

 

「赤ちゃんの健康診断だよ」

 

「う、うん……」

 

 やっと、今から何が始まるのかを、理解できた。

 あたしは、そのまま、ベッドから立ち上がろうとする。

 

「篠原さん、まだ休んでいた方が──」

 

「嫌です! 優輝から離れるくらいなら死にたいです! せめて、退院するまでは、我慢できません」

 

 優輝が、目の見えない場所にいることは、今のあたしはどうしても耐えられなかった。

 

「……分かりました」

 

 あたしは、赤ちゃんの検査のために、新生児室へと向かった。

 浩介くんも、ついてくると言った。

 

「優子、今はいいけど、子供はいつか巣立つものよ。分かってる? 子離れも、いつかはしないといけないのよ」

 

 母さんが、いつもより厳しく、真面目な口調であたしに注意してくれる。

 それは、あたしの母親としてよりも、子を持つ親の先輩としての忠告だった。

 

「ええ」

 

「それにしても驚いたわ。優子ちゃんの母性」

 

「だなあ、女性って赤ちゃん産むとああまで変わるんだな」

 

 義両親が何か会話していて、あたしと浩介くん、安土先生の3人で検査のお部屋へと入った。

 優輝の体重は3021グラムだった。

 新生児としては平均的な体重で、次に聴覚や触覚などの感覚器官の検査に、内臓の具合の検査も行われた。

 

「異常は無さそうですね」

 

「ふう、よかったな」

 

「ええ」

 

 母子ともに、安産だった。

 優輝には何の異常もなく、健康に過ごしてくれそうだった。

 

「俺さ、ちょっとだけだけど、優子ちゃんの悲鳴を聞いちゃったんだ」

 

 検査も終盤の時、浩介くんがそんな話をしてくれた。

 確かに、聞こえちゃったのは無理も無いわね。

 

「うん、すっごく恥ずかしいわ」

 

「優子ちゃん、とっても苦しそうでさ。痛み、もう本当に大丈夫なのか? すっげえ痛いんだろ?」

 

 浩介くんは、あたしのことをまた心配してくれている。

 あたしは痛みを思い出そうとして──

 

「あ……れ……?」

 

「ん? 優子ちゃんどうしたの?」

 

「痛み……思い出せないわ」

 

 どんな感じの痛みだったのか、一生懸命記憶を手繰り寄せても、一切出てこない。

 いや、痛かったのは覚えているけど、どんな、どれくらいの痛みなのか、完全に忘れてしまった。

 

「え!?」

 

「よくあることですよ。でも、こんなすぐに忘れちゃう人は珍しいですよ。多分、この子を見てすぐに忘れたんだと思います」

 

 助産師さんが、そう助言してくれた。

 

「そうなのね」

 

 痛みを覚えていたら、2人目を産めないからかしら?

 もしかしたら、出生の時の母性で忘れるのかもしれないわね。

 

 

「以上で終了です。うちは母子同室と母子別室が選択制ですけど、篠原さんは聞くまでもないですね」

 

「ええ」

 

 もちろん、母子同室に決まっているし、赤ちゃんとも添い寝することになっている。

 

「これから、母子同室での注意点や、赤ちゃんへの沐浴の仕方などを教えますね」

 

「はい」

 

 あたしたちは、病室へと戻る。

 産むまでよりも、産んでからのほうがずっと長い。この子もきっと、蓬莱の薬で長生きするはずだから。

 

「ねえあなた」

 

「ん? どうした?」

 

 寝たり泣いたり忙しい優輝を抱きながら、病室の廊下で浩介くんに話しかける。

 浩介くんは、いつもよりかっこよく見えた。

 

「あたしね。ずっと満たされなかったの。浩介くんに恋をして、浩介くんと幸せなデートをして、幸せな結婚生活を送って」

 

「うん」

 

「蓬莱カンパニーを作って、浩介くんとずっと一緒にいられて、人々が幸せになって、世界一たくさんのお金をもらって、世界一名誉のあるノーベル賞をもらって、あんなに立派な家に住んで……それでもあたし、満足できなかったの」

 

「ああ、そうだろうな。俺でさえ、今までの幸せは何だったんだって思うもの」

 

 浩介くんが、笑っていた。

 産後で育児が一段落したら、浩介くんのお相手もしてあげないといけないわね。

 

「あたしね。女の子になったこのはじまりの病院で、はじまりの服を着て、やっと答えを見つけられたわ。あたし、ようやくこのTS病に区切りをつけられたわ」

 

「優輝なのか?」

 

「うん、浩介くんと本当に愛し合えたから、優輝はいい子に育ってくれるわ。男の子は、やんちゃで手もかかると思うけど、それでも、よ」

 

「だろうな」

 

 あたしは、随分と遠回りをしてしまったと思う。

 女の子が思う一番の幸せとは何か?

 その問題への回答は、今ようやく示すことができた。

 

「あたしが満足できなかったのは、人間の欲深さのせいじゃなかったの。本当はこんなに近いところに幸せはあったのに、あたしは見当違いの幸福ばかり追求していたわ。今こうして、優輝を産んで、あたしははっきり分かったわ」

 

「ああ、俺も」

 

 あたしたちは、病室の前へと到着した。あたしが先頭に立ち、扉の取っ手に手をかける。

 あたしはもう、迷うことはない。

 これからの人生が、何よりも大きな幸せが待っているから。

 

「さ、開けるわね」

 

 

 

                  永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件  完




これにて本編完結です。長らくのお付き合いどうもありがとうございました。
後は予定通りエピローグの投稿になります。

男性作者なので、描写が色々おかしいのはご勘弁ください。

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