永遠の美少女になって永遠の闘病生活に入った件   作:名無し野ハゲ豚

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幕間 ここまでの舞台設定等

ここの部分は主に舞台設定の紹介です。読み飛ばしても本編には支障がありませんが、第三章までのおさらいとしてもう一度振り返ってみてはどうでしょうか?

裏設定等も一部ありますが、第四章以降のネタバレはありませんのでご安心下さい。

 

 

私立小谷学園(しりつおだにがくえん)

 優子たちの通う高等学校。共学。「他人に迷惑をかけるな。そうじゃなければ何をしてもいい」という創立者の意向から、極めて校則の緩い学校として全国的にも有名。

 にも関わらず、生徒たちの秩序は良く、地域民からの評判もいい。

 一応停学退学といった処分もあるが創立以来殆ど適応事例はない。教頭先生や2年の学年主任小野先生のように頭の固い人物もいるが、概ね風通しは良い。

 一方で、運動部は弱小揃いで、安曇川虎姫も所属する女子サッカー部と、田村恵美が一人強い女子テニス部を例外にすれば、地区大会の早期敗退の常連である。

 

 あまりの校則の緩さから生徒会・風紀委員の活動実績は乏しく、生徒会は曲がりなりにも活動しているが、風紀委員はまともに召集さえかけられず、それどころか去年は当の風紀委員長本人が自分が風紀委員長であることを忘れていた有様であった。

 制服は男子は学ラン、女子はブレザーにリボン、そして紺チェックのプリーツスカート。

 

 学校側は、制服を廃止する予定だったが、生徒側が「要望」するという形で残っている。そのため実は制服を着ずに登校しても怒られないのだが、誰も実行しない。その日の服選びに迷わなくていいという実用的な側面があるからである。

 学校行事は入学式卒業式の他、6月に球技大会、7月には林間学校があり、秋には文化祭や体育祭がある。施設は教室、職員室、視聴覚室、プール、部活棟など一通りのものが揃っている。プールは水泳部用に水深が深いため、授業では下に柔らかいクッションを置いている。

 

 

総合病院

 小谷学園のそばにある総合病院、最寄り駅との通学路の途中にある病院で、小谷学園とも提携していて、教師の健康診断や生徒の保健室では対応しきれない怪我などの面倒を見てくれる。

 石山優一がTS病を発病した際もここに運び込まれ、優一がまだ優子と言う名前を決めていない時期の、女の子としての最初の生活を始めた場所でもある。

 総合病院というだけあってあらゆる科に対応しており、カウンセリングルームもある。

 

 

|日本性転換症候群協会《にほんせいてんかんしょうこうぐんきょうかい》

 永原先生が会長を務める、TS病の患者で務める協会。100年前の1917年に創設され、「長老」だった永原先生が会長となる。

 会としての主張はいわゆる少数者の権利はいらない。欲しいのは「一人の女性としての扱い」というものである。

 そのため、むしろ見た目第一印象で扱ってもらったほうが間違いは少ないとも。

 TS病は極めて珍しい病気であり、なおかつ自殺者も多いため、会員数は非常に少ないが、それでも弁護士を擁して裁判を起こせるだけの財力や、医学界に圧力をかけて「性転換症候群」の名前を「完全性転換症候群」に変えさせるだけの力はある模様。

 

 

ハンバーガー屋さん

 総合病院のすぐ近くにあるハンバーガーショップ。小谷学園の学生も時折利用する。

 優子が2回目の食事をした所で、食べるのが遅く、また一口が小さくなっていることを自覚した他、2年2組の女子たちで利用したことも。

 

 

地元のデパート

 小谷学園や優子の家と数駅離れており、また区役所のある駅の近くにあるデパート。地元商店街が「発展的解消」と称して出来たもの。

 女の子になって一日目、優子の女の子としての服を大量に買った他、中古店はミニスカートで男物の服や本を捨てる課題の舞台にもなっている。

 ここで優子は一通り売りに出した後の休憩で油断をしてしまい、ミニスカートからパンツを見せてしまった。これを見ていた母さんが家で優子におしおきする。

 また、優子と龍香、桂子の3人が昼食を取ったのもレストラン。また、スカイブリッジを挟んで隣のビルには映画館が入居している。

 

 

優子の家

 学校と区役所との間の駅を最寄り駅とする平凡な一軒家。優子の部屋や父親の書斎、またリビングや寝室、風呂、トイレなども当然ある。

 優子の部屋は健全な男子らしくエロ本を隠してある他、少年漫画や萌え系のラノベの他、ゲーム機やPCなどもある。

 ただし、少年漫画や萌え系のラノベは女の子になったのを機に古本屋へと売られ、代わりに少女漫画や女性誌が置かれるようになっている。

 

 

桂子の家

 直接には未登場、同じ小中学校だったため、最寄り駅は優子の家と同じ。

 

 

地元の鉄道

 優子たちの地元の鉄道。沿線には石山優子や木ノ本桂子、小谷学園の他、篠原浩介や区役所・デパート・スーパーマーケットなどのある街もあり、それなりに賑わっている。

 優子の家から小谷学園は朝のラッシュ時とは逆方向であるが、電車が遅延し、混雑が激しくなった時には痴漢をされたこともある。

 

 

区役所

 優子の所属する「政令指定都市」の区役所。「完全性転換症候群」、通称「TS病」となったため、改名書類と性別変更届を提出した。

 その他、スカートでの女子トイレの仕方を学んだ場所でもあり、優子が始めて女子トイレに入った場所でもある。

 

 

そば屋

 優子が区役所の課題をクリア後、一人で外食したそば屋

 

 

リサイクルショップ

 小谷学園から徒歩数分の所にあるリサイクル店総合病院の部分で通学路を少し外れると到着する。

 小谷学園の制服もリサイクルされており、ここで優子は優一時代の制服と体操着を捨てた。

 

 

スーパーマーケット

 優子が母とともに安売りの極意を学んだスーパーマーケット。ちなみにこの時はハイヒールも体験し、転びそうにもなった。

 

 

ゲームセンター

 優子が桂子、龍香と共に遊んだゲームセンター。区役所のある中心街にある。音ゲーやクレーンゲーム、またエアホッケーなどもある。体育が苦手であることは分かっていたが、ここで優子は体を動かすのがとにかく苦手であることが露呈した。

 

 

映画館

 優子が桂子、龍香と共に入った映画館、区役所のある中心街にある総合デパートとはスカイブリッジを挟んで隣のビルに入居している。

 国民的人気アニメの映画で感動して泣いてしまい、優子は自分が泣き虫になっていることを自覚した。

 

 

旅行会社

 小谷学園の林間学校を受け持つ旅行会社。バスも所持しており、主に運行を担当する。

 最終日、添乗員の野洲康平が優子を強引にナンパし、また篠原浩介に暴力を振るう不祥事を起こす。この時は篠原浩介に取り押さえられ、野洲康平はその場で現行犯逮捕となった。皮肉にもこれが優子に「恋」という扉を開けさせるきっかけとなる。

 

 

バス

 優子たちが林間学校で使ったバス。暇つぶし用にテレビもあり、そこでは豪華客船の映画を見た。

 これは優子たちの生まれる前に公開された映画で、女性ばかり救助されたことが後々に遺恨を残す。優子や永原先生は男女両方の性別を経験しており、男女平等主義の虚しさを語り合っていた。

 

 

パーキングエリア・サービスエリア

 林間学校での高速道路を進む道中で休憩する場所。トイレ休憩の他、昼食休憩もあり、予め学園側の用意した食事を食べるか、サービスエリア内のお店で食べるか選ぶことができる。

 その他、往路では優子が永原先生とともにマッサージ機サービスの無料券を使い、マッサージ機で休憩もしている。

 復路最初のパーキングエリアで、野洲康平による事件が起きている。

 

 

ホテル山のはて

 林間学校3泊4日の起点となったホテル。地上8階地下1階で最上階と地下は風呂に、1階はフロントとゲームコーナー、お土産屋などが入っており、2階はレストラン・軽食屋、3階から7階までは客室になっている。優子たちの部屋は7階で、木ノ本桂子、安曇川虎姫と同室になった。

 レストランは基本的にバイキング方式で、小谷学園ではチケット制を採用し、食べていない生徒が居ないかは実行委員が確認することになっていた。

 ただし3日目の昼食のみ軽食屋のサービスが使われ、1000円まで無料券が渡されていた。

 お風呂は温泉、地下は広く温度別に楽しめる他、源泉を使ったかけ流し湯や、五右衛門風呂、更に優子は使わなかったが、サウナや水風呂、ジェットバスもある。一方地上は大浴場と露天風呂で、東側に面していて、日の出が美しい。

 客室はベッドとテレビなどがある。CSも見ることが出来、ここで優子たちは飛行機事故の検証番組にハマる(ちなみにモデルとなった事故は豪華客船ともどもいずれも実在の事故である)

 ホテルの庭先には草原があり、バーベキューできるようになっている他、地元の花火協会が小さな花火大会を催した。

 最終日、ここのお土産コーナーで優子は着せ替え人形を購入した。

 

 

 優子たちが林間学校二日目で登山した山で1000m級ながらも途中九十九折などもあり、結構長い。2時間で登山する予定が、優子は開始30分で息を上げてしまい、以降は篠原浩介に大半の区間をおんぶしてもらうことで山頂に付けた。これは、優子が彼に惚れる最初のきっかけでもある。

 下山は登山より楽ということもあって、また大半をおんぶしてもらったため、無事に先頭で降りきっている。

 なお、この頃には既に野洲は優子に一目惚れしており、密かに付け狙っていた。

 

 

森林公園

 ホテル山のはてにほど近い場所にある森林公園で、定期的に森林教室を開いている。

 ここでは、森林の生態などを学べ、感想文を書くのが3日目の課題となっている。

 

佐和山(さわやま)大学

 ノーベル賞学者蓬莱伸吾教授が所属する大学。小谷学園の近くにあり、偏差値はあまり高くない

 

 

山のはて花火協会

 江戸時代、幕末創業の小さな花火協会。規模こそ小さいが老舗である。老舗を誇っているが、実は永原先生の半分も生きておらず、改めて永原先生の人生の長さを思い知るとともに、花火という一瞬に全てを掛ける生き様に人生観を感じていた。

 

 

江戸城

 江戸幕府が置かれていた城であり、江戸幕府50年目から明治維新までの200年以上、永原先生はここで過ごしていた。現在は皇居。当然実在。天守閣は「明暦の大火」で失われている。永原先生が花火の時に当時の様子を語っており、焼け落ちた江戸城から脱出した時に、逃げ遅れた人々が次々焼死する様子を見ている。

 

 

警察署

 野洲が暴行を働いたパーキングエリア所轄の警察署。劇中の台詞から最寄り駅はしなの鉄道「屋代駅」であることが分かり、ここから管轄範囲を割り出しパーキングエリア・サービスエリアも特定可能。

 

 

長野県の鉄道駅

 警察署から乗った長野県の鉄道駅、永原先生はここから上田駅までの切符を購入した。永原先生によれば、並行在来線の鉄道会社の1つで、北陸新幹線開業に伴って経営分離された旧信越本線を運行している。

 永原先生が「昔は日本中で見られたけど今は珍しい。広島あたりならまだ主力」と言った車両は115系電車のこと。

 車掌の放送から「千曲(ちくま)駅」より一駅、また上田駅より6駅長野寄りなので優子たちが乗った駅は「屋代(やしろ)駅」であると特定できる。

 

 

上田駅(うえだえき)

 新幹線も停まる大きな駅。劇中では出てこなかったがもう1つ鉄道会社が乗り入れている。ここのみどりの窓口から永原先生は新幹線の切符を購入した。

 上田駅を含め、上田市は「真田」を観光資源にしており、様々な名所を見て回れる。

 駅前には馬に乗った「真田幸村」の像もあるが、永原先生は真田信繁を真田幸村として周知させることに強い怒りを感じており、いわゆる「過激な歴ヲタ」によるそれ以上である。

 

 

上田の蕎麦屋

 長野県信州ということでそばの名産地。上田駅の近くの蕎麦屋で永原先生と優子、篠原浩介が昼食を取った。3人共天ぷらそばで、10割そばが美味であった。

 

 

上田駅から出ているバス

 上田駅より永原先生の故郷の村に出ているバス。ちなみにこれだけでバス会社も特定できる。

 

 

真田氏記念公園

 実在の公園。真田氏発祥の郷があり、永原先生が仕えていた真田幸隆、更にその息子の真田昌幸、そしてその息子の真田幸村を記念しているが、永原先生は「真田幸村」に対して「恐れ多くも安房守殿の次男、真田左衛門佐殿の名を勝手に剽窃して作り上げた架空の人物」と評している。

 

 

刀根之助の家

 かつて永原先生が刀根之助だった頃に住んでいた家、TS病になった後一旦逃走後、数年で領地に戻り、本能寺の変の頃まで同家で過ごした。現在は跡形もなく取り壊され畑になっている。

 

 

歴史館

 優子たちが真田本城を目指す時に通りかかった歴史館。真田家に関する様々な縁の品があるが、永原先生たちは時間の都合で立ち寄らなかった。

 

 

真田氏本城跡

 かつて真田本城と呼ばれていた城で、永原先生が仕えていた城。とされているが、築城は永原先生がTS病になった後の可能性や、真田氏以前から存在していたという記録もある。

 永原先生が不老を疑われて逃走した翌年の1583年に、真田昌幸が上田城を築城すると本城としての役割を終え、本能寺の変の3年後に廃城となった。

 

 

新幹線グランクラス

 いわゆるグリーン車よりも高い列車。小さいスペースを活用するため、飛行機のファーストクラスを参考にして作られた。乗車したのはE7系もしくはW7系電車。

 永原先生が乗ったのは「あさま」であるため、アテンダントによる飲み物や軽食のサービスの無い、座席のみ提供の車両。夏休みの土曜日だったものの、逆方向だったことや、時間帯が昼間だったこともあって比較的空いていた。

 この車内で永原先生は罪深い初恋話を話した。

 

 

 

永原先生の生涯の年表

永原先生のエピソードが増えてきたのでまとめてみました(関連性の薄い史実エピソードもありますが参考までに)カッコ内は永原先生の年齢です(1月1日を誕生日とする満年齢)

 

永正10年/1513年(-) 真田幸綱(真田幸隆)が生まれる

永正15年/1518年(0歳) 鳩原刀根之助が生まれる、この歳は真田幸隆の弟矢沢頼綱も生まれている

大永元年/1521年(3歳) 武田信玄が生まれる

天文2年/1533年(15歳) 刀根之助、真田家に伝令役の足軽として奉公するようになる

天文3年/1534年(16歳) 織田信長が生まれる

天文6年/1537年(19歳) 豊臣秀吉が生まれる。またこの歳真田幸隆の長男真田信綱も生まれている

天文7年/1538年(20歳) 刀根之助、畑仕事中に倒れTS病となり不老の女の子へ。この頃には既に両親は死去していたが、殺害を恐れ隣村に逃亡。名を「柳ヶ瀬まつ」と改める。事実上の真田家出奔

天文10年/1541年(23歳) 信濃進出を図っていた武田信玄の父武田信虎が諏訪頼重・村上義清と同盟し真田家とその本家筋にあたる海野家を攻める海野平の戦いが勃発。真田幸隆は箕輪城主の長野業正のもとに逃亡し、真田の村は村上義清の領地となる。その直後、武田信虎は武田晴信に追放される

天文11年/1542年(24歳) 徳川家康が生まれる。柳ヶ瀬まつが真田領に帰還、空き家となっていた刀根之助の家に戻る

天文16年/1546年(28歳) 真田昌幸が生まれる

天文17年/1547年(29歳) 遅くともこの頃までに真田幸隆は武田家臣となる

天文20年/1550年(32歳) 真田幸隆が砥石城を攻略し旧領に復帰する、まつ、恐怖心から帰参できず別人を装って過ごす

永禄9年/1566年(48歳) 真田昌幸の長男、真田信之が生まれる

永禄10年/1567年(49歳) 真田幸隆は真田信綱に家督を譲って隠居する。真田信繁が生まれる

元亀4年/1573年(55歳) 武田信玄病死、武田勝頼が家督を継ぐ

天正2年/1574年(56歳) 砥石城で真田幸隆病死。まつ、自らが不老ではないかと疑い始める

天正3年/1575年(57歳) 長篠の戦いで武田軍は織田徳川連合軍に大敗、真田信綱は弟真田昌輝共々討ち死にし、三男の真田昌幸が家督を継ぐ

天正10年/1582年(64歳) 織田徳川連合軍が武田征伐を行い、武田勝頼は自害。真田家は独立し、織田信長に臣従するも、織田信長は同年本能寺の変で明智光秀の謀反に遭い自害。明智光秀もまた羽柴秀吉に山崎の戦いで討たれる。まつは村の者にも不老を疑われ始め、命の危険を感じて逃走する。ほどなくして天正壬午の乱で徳川家康が甲斐信濃を平定。そんな中真田昌幸は必死の謀略を駆使し、表裏比興と言われながらも生き残る。この乱の様子をまつは見物している。

天正18年/1590年(72歳) 関白秀吉が小田原征伐で後北条氏を降伏させ、天下を統一。関東には徳川家康が入った

慶長3年/1598年(80歳) 豊臣秀吉が病死、徳川家康による専横が開始

慶長5年/1600年(82歳) 上杉景勝討伐を名目に石田三成と徳川家康との間で関ヶ原の合戦が勃発。真田信之は東軍に付き、真田昌幸と真田信繁は西軍につき分裂。真田昌幸・信繁親子は上田城において後の2代将軍である徳川秀忠の軍を足止めさせ、遅参に追い込んだ。まつ、京の公家と共に関ヶ原の戦いを見物、真田昌幸の援護射撃も虚しく、小早川秀秋の裏切りによって西軍は壊滅し、真田昌幸・信繁親子は本多忠勝や真田信之の助命懇願もあって高野山から次いで九度山へと配流される

慶長8年/1603年(85歳) 徳川家康が江戸幕府を開く。まつ、江戸在住を目指し貯金を開始。

慶長16年/1611年(93歳) 真田昌幸が配流先で病死

慶長19年/1614年(96歳) 方広寺鐘銘事件が勃発。徳川家康の諱を犯したとして豊臣方が避難され、これを大義名分に大坂冬の陣が勃発。真田信繁が大坂城に入り真田丸を作る

慶長20年/1615年(97歳) 大坂夏の陣、裸同然の大坂城に殺到する徳川軍に為す術もなく壊滅。真田信繁が奮戦するも戦死。柳ヶ瀬まつ、江戸へ移り住みここを定住地とする。

寛永7年/1630年(112歳) 真田幸隆と同い年とされている永田徳本が117歳で死去したことにより、以降現在まで「この世で最も長生きの人」となる。男余りの江戸において非常にモテたものの、不老のこともあって拒否し続けていた。

承応2年/1653年(135歳) 江戸の街でも不老の噂が流れ、再逃亡を考えていた矢先、当時の4代将軍徳川家綱により江戸城に呼び出される。真田信之がまだ存命であったため、事情を話し、かつて真田に仕えていた鳩原刀根之助と同一人物であると示す。出奔者のまつを許し、「よく戻ってきた」と労うと、感極まって大泣きしてしまう。家老の叱責に対しても徳川家綱が「よい、泣かせてやれ」と言ったため、お咎めなしとなった。その後、徳川家綱もまた労いの言葉を投げかけ「今日は存分に泣け」と言われ、江戸城の一室で泣き続けた。翌日、この二人に恋心を感じてしまい、これが現在まで永原先生を苦しめている

明暦3年/1657年(139歳) 明暦の大火、江戸城も天守閣などが焼失するが、徳川家綱に誘導され難を逃れる。眼下に広がる大火により、逃げ遅れた人々が次々火に飲み込まれるのを見る。命の危険を感じた最後の時。

万治元年/1658年(140歳) 真田信之が92歳で死去

元禄15年/1703年(185歳) 赤穂事件勃発、赤穂浪士にはいい感情を抱いて無さそうだが……

 

この間江戸城で比較的平穏無事に過ごす。歴代将軍に戦話などを聞かせつつも、江戸の街も比較的自由に歩けたようである。

 

慶応4年/1868年(350歳) 戊辰戦争により再び諸国流浪。数個の偽名を使い分けて生活する

明治15年/1882年(364歳) 全国に鉄道が張り巡らされるという情報を入手、逃走は難しいと判断し教師の職業を始める

明治27年/1894年(376歳) 日清戦争が始まる。この頃、TS病は迷信で殺されることはなくなり、大手を振って活動できるようになる

大正元年/1912年(394歳) 偽名などを整理し、名前を北小松貴子と改める

大正6年/1917年(399歳) TS病患者の人口も増え始めたため、日本性転換症候群協会が設立される。「長老」であった貴子が会長に

大正12年/1923年(405歳) 関東大震災、山口に赴任しており難を逃れる

昭和20年/1945年(427歳) 戦争による空襲が激しくなり、女学校生とともに地方に疎開、いざという時は単独で山に逃れる手立ても考えていたが、結局爆撃などは来なかった

昭和51年/1976年(458歳) 小野先生の学校で当時小学6年生だった小野先生の担任として務める。悪ガキだった小野先生に手を焼く

昭和62年/1987年(469歳) 大正より使っていた北小松貴子の名前を改め、永原マキノと名乗るようになる。TS病患者の改名は珍しくなかったが、この頃には珍しくなっており、最後の改名である

平成12年/2000年(482歳) 石山優一、木ノ本桂子といった主要人物が生まれた年

平成29年/2017年(499歳) 本編開始


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