俺には雄牛、猪、白馬。
あの女には、山羊と鳳。
権能を神獣として独立させ、それらの信頼関係を依り代にうんぬんかんぬんと言っていたけど、ほとんど分からなかった。
でも、これだけは覚えている。
雄羊と駱駝。
これを、ある人に届けなくちゃならない。
東京都港区、七雄神社の、ある一室。
そこで今、日本の趨勢を決めるかもしれない事が起こっていた。
祐里が、顔を僅かに強張らせて、それで、例のものは、と言った。
彼は、その様子に気圧されたかのように、あ、ああ、これです、と言って、リュックを開いた。
よろしくお願いします、と言って、男が神具と思しき短剣を置く。
美術品として見るのならば、なんて置き方を!と言わなければならない程の代物であるのは美術品の鑑定の素人である祐里にも分かったが、今ここでそんな事を気にできるような余裕は彼女には無かった。
拝見致します、と言って、祐里が、短剣を恭しく手に取った。
よく見れば、彼女の手が震えているのが見て取れただろう。
しかし、気づかなかった男は、なんだか大げさだな、と思ったが、口にはしなかった。
短剣を手に取った瞬間、祐里は、すうっと消えるような感覚に包まれる。
霊視の予兆だ。
今回はきちんと発動したらしい、と安堵しながら祐里は意識を手放した。
ーーーーーーーーーーーーーー炎。
強い炎。いや、これは火山か?
鉄。いや、雷?違う、これは剣だ。
火花?いや、槌?これは一体ーーーー
場面が変わる。
……鍛冶場、のようだ。
一人の男が、何かの部品を弄っているようだった。
カチ、カチ、カチ、カチ。
男の手が止まる。
何となく、これはもう見ない方がいい気がした。
意識が溶ける。
ーーーーーーーーーーーー
突然、彼女の雰囲気が変わった。
そして、まるで、夢遊病のように虚ろな目になった。
そして、少し間を置いた後、彼女は、先程までのガチガチした様子が嘘の様に、淡々と、そして朗々と言葉を紡ぎ始めた。
「その神は燃ゆる炎にして、大地の怒り。その炎は鋼を鍛え、技を産む、火山と鋼の化身にしてーーーー」
『おっと、その先は言わないでいいぜ。嬢ちゃん』
声が、響いた。
どこか懐かしい声だ、と男は思った。
声を聞いて、彼女の目が、弾かれたように正気に戻る。
それと同時に、短剣が、彼女の手元からゆっくりと離れて、宙に浮いた。
私たちが、まるで空想のような事態に唖然としていると、短剣から、炎が吹き出してきた。
それは本物のようだったが、全く熱く感じられなかった。
炎は、踊るように短剣の周りを回る。
甘粕でさえも、思わず、僅かにではあるが気を抜いてしまう程の美しさであった。
幻想的な光景だった。
ふと気づくと、炎は短剣を中心として、人を形作っていた。
炎が、一際燃え上がる。
そして、炎がかき消えると、人型の炎は、人の肉を持っていた。
その男の姿は粗末な作業着のような服装であったものの、滲み出る神気は見る者を圧倒させるものだった。
男神からしてみれば僅かでしか無いであろうものの滲んだ神気に、甘粕と祐里があてられていると、徐ろに男が立ち上がった。
甘粕は、足がすくんで動かなかった。況や祐里もである。
男は、神の前だというのに、全く萎縮することなく、久しいな、友よ、と言った。
神は、まるでその言葉を待っていたかのように、応!兄弟!久しいなぁ!と嬉しそうに言って、だがその前に、と呟いて二人の方を向いた。
「そこな嬢ちゃん。今俺を視たのは、お前か?」
そう言って、祐里を見る、男神。
しかしながら、少し洩れただけとはいえ、百戦錬磨の猛者でさえ慄くような気に当てられた祐里は、気絶はしなかったものの、身体を動かすことが出来なかった。
すっと、自然に甘粕が祐里の前に出る。
確かに、甘粕冬馬は給料分以上は働かないと豪語する男である。
それはひとえに、日々の任務にさらされる中で、任務よりもなによりも、命あってのものだねである、と甘粕が考えるようになったからである。
いつもならば、ここはスタコラサッサと煙に撒き、彼を犠牲にしてでも媛巫女を助け出すところだ。
しかし、今回はダメだ。
己の上司には大丈夫だと言ったが、どうやら、私は彼を犠牲にすることはできないらしい。
なぜなら、始めこそ姉を介しての関係ではあったものの、あの頃の自分に親身になってくれた人は彼だけだったのだ。
彼を……、いや、彼も守りたい!
強く、そう思った。
これまで磨いた技は敵わず、使える武器は口八丁手八丁のみ。
だがしかし。
ここでやらねば誰がやる。
私は、未だーーーー
(この胸の熱まで捨てた覚えは無い!)
前に出た甘粕が、顔を伏せたまま口を開く。
「恐れながら、偉大なる神よ、発言を許して頂きたく存じます」
男神は、鷹揚に頷いて、許そう、と言った。
「では。まず、こちらの神具を通して、御神を霊視致しましたのは、こちらの媛巫女であります万里谷祐里にございます。不躾に御神を視てしまいましたこと、平にお詫び申し上げます」
男神は、何、顔を上げろ。そんなに気にしていない、答えてもらって悪かったな、と言って、バツが悪そうに視線を逸らした。
ここからが勝負。
甘粕は、僅かに顔を上げ、言葉を紡ぐ。
「重ねて、恐れながら申し上げます。御神はそちらの方を、どうされるおつもりでしょうか。どうか返答頂きたく存じます」
男神は、怪訝そうな顔をして、お前さん、どうした?別に『お前等』は一人までこだわる奴らじゃあなかったと思うんだが、と言った。
甘粕は、顔を完全に上げきって、男神の目を見て、口を開いた。
「恐れながら、その方は、私にとって非常に大事な方なのでございます。ですので、どうか、どうかご返答頂きたく存じます……!」
甘粕の、その様子を眺めながら男神は、ニヤリと笑って、言った。
「何、友人を悪いようにする男はいねぇさ。それより、お前さん、冷たい男だと思ってたが、中々に良いな。よし、おい、こいつも一緒でいいか?」
聞かれた男は、ああ、構わない、彼のことを紹介もしたかったしな、と言った。
そして、彼がまつろわぬ神と友誼を結んでいるとか、そう言ったことに甘粕が呆気に取られている内に、あれよあれよと言う間に甘粕は二人に連れて行かれてしまった。
一人残された祐里から事の顛末を聞いた馨は、女の子を一人置いていくとかないわー、と呟いた。
さて、彼らはそれから、甘粕のおすすめだと言う居酒屋でしこたま飲んで、食って、談笑したのだが、本筋にはあまり関わり合いがないので、割愛する。
ただ、男神と甘粕は、中々に気が合ったことは記しておく。
帰り道。彼も男神も甘粕も、皆酒には強い方なので、へべれけにはならなかったが、ほろ酔い気分であった。
しかし、兄弟がまさか魔術結社の端くれと知り合いだったなんて、驚いたぜ、と男神が言った。
男は、怪訝そうな顔をして、魔術結社とはなんのことだ?と聞いた。
えっ、と同時に男神と甘粕は声を出した。
ちょっと待っててな、と言い残して、男神は甘粕を連れて行った。
道の端で、ひそひそと話す二人。
「お前ら事情説明とかしてないの!?」
「してないですよまさかそんなに深くまで関わってるなんて思いもしなかったんですから!!」
「説明責任果たせよぉ!?」
「普通魔術とかは隠すものなんですよ!大体、そんなに言うなら自分で説明すれば良かったじゃないですか!?」
「うるせぇ!仕方ないだろ!?忘れてたんだよ!!」
「じゃあ私のこと言えないじゃないですかー!」
「そんなこと言ったらお前だって俺のこと言えないじゃねぇか!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「この話はやめましょう」
「おう、そうだな。それよりどうやってバラそうか……」
「偶然を装う」
「ダメだな。そんなことの為に騒動は起こせん。……黙ってるってのはどうだ?」
「それもどうですかねぇ。喫緊の事態が迫っている時だと説明する余裕なんてありませんよ。……うーん、やっぱり、正直に全部話すのはどうですかね?」
「もうそれしかないかー……。信じてくれるかねぇ……」
「術の類いを見せれば信じてはもらえるんじゃないですかね。これでも私、そこそこ術はできますから」
「そうだな。…………なぁ」
「なんですか?」
「アイツの事とは別件で、お前に頼みたい事があるんだが、受けてくれねぇか?」
「…………内容によりますね」
「おう、その言葉だけで充分だ。じゃあ戻ろうぜ、だいぶ話し込んじまった」
「そうですね。内容はまた今度にしましょう。……ん?あれっ、ちょっと待ってください。先輩からメールが来てます」
「? なんて言ってる?」
「えーっと、『二人が話し込んでるようだから、私は先に帰ります。明日から仕事なので。何か用があればLINEで連絡お願いします。
追伸:時計ありがとう、と伝えておいてくれ』ですって」
「あー、悪いことしちまったかな」
「そうですね……、次はきちんと皆の都合が合う日にしましょう」
「そうだな。ところで冬馬、お前、明日休みか?」
「仕事ですけど」
「あ、そう……」
「…………二次会くらいなら付き合いますよ」
「マジか!ありがとよ。で、どこ行く?」
「えっとですねぇ……、ここからもう少し先を右に曲がった所に良いとこがあるんですよーーーーーーー」
夜は、更けて行く。
ようやく見つけたぞ、ゴルゴネイオン。
これで私は力を取り戻せる……!
力を取り戻した暁には…………うん?
ふむ、興味深いな。
力を取り戻した暁には、まずは奴の所へ向かうとするか。