とても励みになります。
じぃっと青年の顔を覗き込んでいた。幸薄そうな青年の顔は、整っている。病弱そうで、腕なんてアントニオに掴まれただけでポッキリ折れてしまいそうだ。世の中こういう人間の事を美青年と言うのだろう。
眉がピクリと動いて、青年はその紫色の瞳を顕わにした。私の瞳色よりも赤みのある紫色の瞳が真っ直ぐ私を見詰めている。どうせ私の事など見えていないのだから、と安心、と言うよりは油断をしていた。
「あの、ここは…?」
青年の声は何処か幼さを残したけれど、少し低めの声だった。私はこの青年が牧師様に話しかけているのだと思った。勿論部屋の中に牧師様はいない。彼は今、上でミサを行っているはずだからだ。辺りを見渡しても彼が話しかけるような人間は見当たらない。
「あの、お嬢さん?」
お嬢さんと言う言葉に、私のもう意味をなしていないと思っていた心臓がドキンッと揺れ動いた。私はゆっくりと彼の方を向いた。そして私は自分の事を指さした。
「貴女以外にいませんよ。」
私の中の血液がさぁっと引いて行くのが分かった。私はバタバタと慌てながら椅子の後ろに隠れた。
「あの、お嬢さん。どうしたんですか?」
「貴方、私が見えるの?」
私の声に青年は少し驚いた表情を浮かべた。私が眉を顰めながらその青年の事を見ていると居心地の悪さからか彼は起き上がろうとした。私は慌ててその青年に近づき肩を押して抑えた。
「ダメ、牧師様が絶対安静だって言ってた。少なくても一週間は動いちゃダメって。何か食べられる?お腹空いてない?」
「では、水をお願いできますか?」
「うん、わかった。」
私はコップに水道を注ぎ、ストローをさした。水を飲むには彼は体を起さなければならない。コップをベッドの横の机に落ちて彼の背に手をまわした。少しでも青年の手助けになればと、必死に青年を起こそうとした。結局、幼女である私の力などたかが知れていて、青年は自力で起き上がった。
というか、青年を起き上がらせて良かったのだろうか。
手を貸してから首を傾げた。青年は自分でコップを手に取り、水を飲みほしていく。どうしてもこの青年のことを観察してしまう。この青年は目を離すとどこかへ行ってしまいそうだった。
「お兄さんの服は穴が開いてるから今直してるところ。その服は牧師様のだよ。」
「牧師様、ということはここは教会ですか?」
「うん、教会の地下にある部屋。診療所に連れて行ってあげられたらよかったんだけど…。」
私はそこで言葉を切って上を見上げた。そんな私に怪訝な視線を向ける青年に視線を戻した。
「お兄さんの事、殺そうとしている人たちが村の中にいるみたい。」
「貴女は、能力者なんですか?」
青年の口から出た言葉に私は首を傾げた。
「それって、学問では到底解決できない現象のこと?」
「えぇ、そんな風に言う人もいるかもしれませんね。それを扱う人のことです。」
「それじゃあ、私は違うわ。それはお父さんだもの。」
私は青年の言葉に首を振って答えた。
「私はただの
「
「うーん、細かい事は知らない。お父さんがそう言ってただけ。」
私の言葉に青年は微かに眉をひそめた。
「貴方のご両親は?」
「お父さんは今年の冬に死んだ。お母さんは誰にも聞いたことないから知らない。」
「貴方は、いつ死んだんですか?」
青年の言葉に私は腕を組んで首を傾げた。
「お父さんが言うには、私は去年の冬の始まりに作られたんだって。だから、私はお兄さんの言う能力者に作られた
「つまり貴女は、異能力そのものだと?」
『たぶんね。』と、私は曖昧な答えを彼に告げた。そんな言葉しか私は言えなかった。私は私自身のことでさえ、他人からの口から出た言葉でしか知らないのだ。私のあいまいさ加減に呆れたのか、青年は少し考え込むようなしぐさを見せるだけだった。
「まだ寝てた方が良いんじゃない?お腹空いてたら牧師様に頼んでご飯持ってきてもらうよ。」
「いえ、大丈夫です。少し疲れました。」
青年はそういうと起こしていた体を再び寝かせた。私は青年の顔をじっと見つめた。
「寝るの?」
「えぇ。」
「そっか。お休み、お兄さん。」
紫色の瞳は瞼の裏に隠れてしまった。本当に疲れていたのか、それともここから出て行く事を諦めたのか。お兄さんは寝てしまった。小さな寝息が聞こえてくる。
私はお兄さんが来ていたファーのついた暖かそうな
牧師様が言うには、彼は態と銃に撃たれたそうだ。拳銃を至近距離で受けた後がこの
牧師様はあの青年が自殺を試みたか、それともあの三人の内の誰か撃たれたのか。わからないが、この青年は事情が複雑だと言っていた。ここにこうやって匿っておくのが精いっぱいだといわれてしまった。
この青年が生き残れるかは、この青年の生命力にかかっている、と。
でもこの青年は悪運が強そうだから何とかなるでしょうという何の確証もない言葉を頂いた。
私は裁縫箱から針と糸を取り出し、空いてしまった穴を閉じていった。穴は比較的小さいものの、その場所には血が少しにじんでいる。
生地を折り返してなるべく跡が目立たないように縫っていく。裁縫は最近始めたばかりであまり得意ではないのだが、女性の嗜みというやつらしくしっかりと仕込まれている最中だった。
しかし、男性に女性の嗜みを仕込まれるというのはどうなのだろうか。改めて牧師様の万能さ加減に驚いている私だった。
「ふぅ…。」
針が刺さるということはないのだけれど、それでも精神的に痛いと思ってしまう。だからどうしても慎重になってしまう。下手に集中力を使い、少し疲れてしまった。上のことが一区切りついたのか、牧師様が部屋に入ってきた。
「青年の様子はどうですか?」
「一度目を覚ましましたが、水を飲んだ後疲れたといって寝てしまいました。」
牧師の青みがかった緑色の瞳が青年の方を見た。
「彼は、自分のことを何か言っていましたか?」
「いいえ、私の事とここはどこかという質問はしましたが、お兄さん自身のことは何も聞いてません。牧師様がお兄さんは訳アリだと言っていたので聞かないほうがいいかなって思って。」
「少しは気にしなさい。彼が密偵だったらどうするつもりですか?」
ポンッと頭に手を置かれた。私は多少押さえつけられている状態から必死に顔を上げて彼を見上げる。
「まだ聞こえますか?」
「うん、聞こえる。」
最初は自分と同じような
「そうですか。その中に不穏な事を考えているのはこの青年を殺そうとしている人だけですか?」
「たぶん、そうだと思います。結局、私に聞こえてくるのは、願望です。『祖国のために』の祖国がこの国を指しているかまでは分かりませんから。」
「そう、でしたね。」
牧師は私の頭から手を除けた。そして私の机の上に置いてあった
「ふむ、上手くなりましたね。」
「本当ですか?でも、まだ時間がかかります。」
「早ければ良いという物でもないのですが。まぁ、いいでしょう。」
「一度洗ったんですけど、やっぱりそれ以上落ちなくて。」
「血というものは、そう言う物です。覚えておきなさい、アヌンツィアータ。血というものは洗っても落ちないものです。一度その身を血で汚してしまえば、もう二度とその赤は消えない。」
それはすり抜けてしまう私にも同じことが言えるのだろうか。血なんてものが付着する余地のない私でも地に汚れたりするのだろうか。
私がじっと自身の手を見つめているとその手に牧師は手を乗せた。
「普通に生きていれば、人を殺すなんてことにはなりませんよ。」
「牧師様。私は生きていませんよ。」
そう言うと牧師様はいつも納得がいかないといった様子で眉を顰める。それから諦めたように息を吐き出して私から視線を逸らす。これが一連の流れだ。
「今日のお夕飯はここで?」
「いえ、上で食べます。彼には、そうですね。胃に優しいものを作るといいでしょう。」
「胃に優しい物…、御粥ですか?」
「えぇ、それがいいでしょう。」
「はい、承りました。」
ビシッと敬礼をして私は食品庫の中にリンゴが残っているか確認をし始めた。胃に優しいと言うからきっとシナモンを使うのは良くないだろう。ミルクもあるし、作るのに問題はないだろう。
牧師は上に戻って行った。一体何のために降りて来たのだろう。私は牧師の後ろ姿を見送ると私は材料の確認を始めた。林檎の皮をむき、おかゆを作り始めた。米を使った御粥もあるのだけれど、今は米を手に入れるのは難しい。お米の代わりに、リンゴで代用する事は多々ある。林檎をざく切りにして水と砂糖に本来ならバニラエッセンスを入れるのだが、今回はバニラエッセンスは入れないことにした。これを10分ほど煮詰め、これをマッシャーで触感が残る程度に潰す。後は冷蔵庫で冷やす。食べる時に牛乳と合わせると美味しいのだ。
あまり冷たくしすぎるといけないと思い、今回は冷蔵庫に入れるのを止めた。鍋に蓋をして私は青年の方を見た。青年が目を覚ます気配はない。
暫く暇になりそうだったので私はいつもの様に『Nattergalen』と言う本を手に取った。単行本サイズだが、ハードカバーの本だった。私はこの本がとても気に入っていた。本を読んでいる時は色々な物が聞こえずに済むのだ。本の中に集中して、本の中の住民になった気分だった。
どれ程時間が経っただろうか。小さく溜息を付いて首を回す。集中すると周りの音が聞こえなくなるのは私の良くない所だった。時計に目を向ければ、牧師様が出て行ってから目を向ければ、青年の目は覚めていた。
「おはよう、お兄さん。気分はどう?」
「良くはありませんね。」
「そう、みたいだね。ご飯食べれそう?」
「えぇ、少し。」
その言葉を聞いて私は直ぐに用意を始めた。冷蔵庫の中から牛乳を取り出し、鍋の中に入れる。そしてそれをスープ皿に取り、青年の元へ持って行った。
一人では食べられそうになかったので私が彼の口に運んでいった。むしゃむしゃと口を動かす青年の様子を伺いながら私は彼の口に料理を運んだ。
「お兄さんは、何処から来たの?」
私は料理を口に運びながら尋ねてみた。青年は気だるそうにこちらに視線を向けた。
「気になりますか?」
「うん、気になる。特に夏なのにファーのついた
持っていたスプーンを皿の上に置いてテーブルの上に置く。
「お兄さんは寒がり?今は寒くない?」
「えぇ、大丈夫ですよ。」
私は笑みを浮かべ、青年を見下ろした。私は綺麗に食べられた皿の上を見詰めた。ご飯もきちんと食べれたし、後は傷が塞がるのを待つだけか。
「お兄さん、名前は?私は、アヌンツィアータ。」
「僕は、フェージャとお呼び下さい。」
「ふぇ、ふぇー…じゃ?言い辛い名前なんだね。お兄さんの名前。」
舌を噛みそうになり長青年の名前を呼んだ。私の名前も大概だが、この青年の名前は特別言い辛い。
「上に、まだ人はいますか?」
「え、うん。二人か、三人か。それくらいはいる。」
「あぁ、それは。」
私は失礼だがこの青年の精神を疑った。どうしてこんな状況で『好都合だ。』と言ったのか。自身を狙う人間が近くにいる事が好都合なんて私は死んでも言えないだろう。
「お兄さんは死にたがりなの?」
「いいえ、私にはやるべき事がありますから。」
「それって、『罪のない世界』を作るって事?」
私がそう尋ねると青年は驚いた表情でこちらを見詰めてきた。
「
「?良く分からないけど、分かるよ。ずっと、聞こえて来るから。」
「聞こえて来る、ですか。」
と、青年は訝し気に私の言葉を繰り返した。私は首を傾げて青年を見下ろした。青年が私に手を伸ばしてきた。その手は空を掴んだ。私の中をユラユラと揺れていた。
「本当に触れないんですね。でも、貴女は先程色々な物を触れていましたが…。」
「うん、練習したからね。それまでは沢山すり抜けて大変だった。」
苦笑いを浮かべながら私は頭に手を置いた。青年は私の様子を少し眉を顰めた。
「まぁ、もう慣れたからいいんだけど。ほら、お兄さん。寝ないと。良くならないよ。」
青年の体に毛布を掛け直した。私はお皿を持って席を立った。お兄さんは多くを語る事は無かった。寧ろ、私ばかりが話す少し可笑しな時間だった。それでも誰かに自分の話を聞いてもらえるという事はとても幸福だと思った。
翌日、青年はいなくなっていた。
そして、青年を殺そうと息巻いていた願いも聞こえなくなかった。
お疲れ様でした。
一番最初に出て来たのは、ロシア人の彼でした。